ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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人体から学ぶ地球の歴史
およそ45億年の時を経た現在の地球、その過去は謎に満ちている。
地球はどのように、なぜ変化を遂げたのだろうか。
私たちはその答えを探し続けてきた。
渓谷、砂漠、火山、断層・・・
だが地球の謎に満ちた物語を解き明かすカギは、私たちの中に潜んでいるのかもしれない。
私たち人間の骨の形、奇妙な行動、これらすべてが謎を解く手がかりとなる。
●HOW THE EARTH●Taught Us To Throw なぜ人は投げることができるのか
アメリカンフットボールは19世紀の終わりごろから発達し、今では多くのアメリカ人が休日のキャッチボールを楽しんでいる。
親子のキャッチボールという日常の風景から、何百万人ものファンが見守る中狙った場所に正確に投げる能力が勝負を分ける試合まで、環境は違えどこの投げるという技術は人間だけが持っている。
人類学者のベンジャミン・キャンベル博士によると、この能力は私たちの体と先史時代をつなぐカギだという。
「クゥオーターバックが遠くにボールを投げるのと似たような動作は昔からあった。
少なくとも40万年前にはすでに存在していただろう?」
もし博士が正しければ、正確に投げる能力が人間の体に備わった原因は遠い過去に存在していることになる。
アメフト会のスター「試合でボールを投げるときに気を付けることは、タイミングや正確さ。
数cmでも目標からずれたところに投げてしまったらディフェンダーにカットインされてタッチダウンに持ち込まれてしまう。」
正確に投げるためには骨と関節の角度、投げるときの力加減、ボールを離すタイミングのすべてがそろわなければならない。
1つでもかければミスにつながる。
しかし人間であればある程度正確に投げることができる。
キャンベル博士「アメフトのボールを投げる動作と槍を投げる動作は似ている。
少なくとも40万年前には人間は槍を投げていた。」
地球がある転換点を迎えた時、人はこの投げるという動作を身に着けた。
260万年前、地球は今にも変化しようとしていた。
大陸が北半球に向かって移動を開始し、それに伴って海流が変わり始めると、一気に地球の気候が変動した。
それ以降地球は何百万年の長きにわたる氷河期に突入する。
氷河期を生きることがどれほど困難なことなのか、現代に生きる私たちには想像すらできない。
だがアフリカ大陸に住んでいた私たち祖先の敵は、氷ではなく、乾燥やそれに伴う森林火災だった。
当時地球上の水の大部分は氷床に閉じ込められていた。
砂漠は広がり、湖は干上がり、森林は焼け、そして食料は突如として消えた。
私たちの祖先は狩りの腕を上げなければならなかった。
鋭い顎や爪を持つ動物たちは直接獲物を仕留めることができるが、人間は遠くから倒さなければならない。
5〜6m離れた場所から獲物に向かって槍を投げ仕留める、こうしたやり方が効果的なのは一目瞭然、命を守るために。
私たちは当たり前のように的に物をあてているが、この能力は人類固有のもの。
260万年前、氷河期は人間を進化させた。
正確に投げるための運動能力が体と脳を発達させたのだ。
私たちの体には地球の歴史の謎を解き明かす手掛かりが他にもある。
●HOW THE EARTH●Gave Us Hiccups なぜ人はしゃっくりをするのか
しゃっくりはこの世に生まれる前から人間に備わっている。
胎児の時子宮で呼吸を練習していたのかもしれない。
しゃっくりが起きると突然筋肉が収縮し一気に空気を吸い込む。
「ひっく」という音は空気の通り道の蓋が閉じることで鳴る。
バルブの役割を果たしている喉頭蓋と呼ばれる喉の弁が閉じ、それによって呼吸が止まることで、しゃっくりの音が出る。
ではしゃっくりのルーツはどこにあるのか。
そのカギは古代魚が握っている。
オタマジャクシにも同じことが言えるのだが、彼らの特徴は、あるときはエラ呼吸をし、ある時は肺呼吸をする点。
水中で呼吸するときは弁を閉じて水が肺に入らないようにしている。
しゃっくりは人間と異なる種をつなぐ接点であり、ある特異な時代へとつながる接点でもあった。
ある特異な時代、それは私たちが水中と陸上で呼吸をしていたころ、魚だった時代。
4億年前の地球は、現在の地球からは想像もできない姿をしていた。
その頃地球には2つの大きな大陸があった。
北には現在の北米とヨーロッパの一部、グリーンランドからなる塊、南にはそれ以外の部分からなる塊があった。
その2つの大陸以外は全て水に覆われていた。
何十億年もの間、全ての生命は水に宿り、陸は実に殺風景だった。
4億年前の地球は荒れ果て、一面砂や泥で覆われていた不毛の地だった。
だが再び地球は姿を変える。
突然植物が生え、地球は緑であふれた。
そして蜘蛛、サソリ、ヤスデなどが陸の上に住み始めた。
植物や昆虫などに続き、いよいよ我々の祖先・魚が陸に上がる時がきた。
しかしそのためには水陸両方で呼吸しなければならない。
しゃっくりは古代の水の世界から陸の世界へと移行したときの名残なのだ。
私たちの体にはこの時代へとつながる手がかりがもう1つある。
腕、手首、肩の骨と筋肉を使い、体の重みを抵抗として、レバーのように自分の体を持ち上げる・・腕立て伏せ。
この動きから地球の歴史にまつわるどのような謎が明らかになるのだろうか。
古生物学者のテッド・デシュラー博士によると、その答えはエルズミア島にあるという。
カナダの北限にある凍てつく荒れ果てた島だ。
博士は凍ったまま時が止まったこの島で進化に関わるきわめて貴重なものの発見に成功した。
キクターリクと呼ばれる古代魚である。
この魚には未発達な腕がついていた。
肩や肘、手首もあった。
人間の直接的な祖先と密接な関係があるはず。
人間を含め現存するすべての動物には、キクターリクと同じような原始的な骨の構造がなにかしらの形で残っている。
コウモリの羽と人間の腕の構造は全く同じ、コウモリはその構造を飛ぶために使っているが、人間はそれとは違う用途で使っている。
腕立て伏せで使っている骨は基本的にはキクターリクの骨と同じ。
3億7000年前のエルズミア島は今の姿とはだいぶ違う。
赤道からさほど離れていない場所にあって、現在の北米やグリーンランド、ヨーロッパからなる大陸の一部だった。
小川や氾濫圏もあった。
当時小川に生息していたキクターリクには人間でいう腕立て伏せの能力があった。
つまり水から陸へと上がることができた。
水中の生活から陸上の生活へ。
この地球の転換期に私たちの授けれた能力こそがシャックリ、そして腕立て伏せ。

私たちの身体に残る古代の水の世界へとつながる手がかりはこれだけではない。
子宮内で手を形成する遺伝子と魚のヒレを形成する遺伝子は、ほぼ一致している。
バランス機能をつかさどる内耳リンパ液は、マスが水流を進むための脳に相当する。
また膝関節が痛むのは、古代魚の手足を二足歩行に適用させたときの歪。
水から陸への移動によって、私たちの運命は変わった。
だが地球最後の変化はまだ先の話である。
地球を回る軌道に乗って、5億年分の変化を上から見ることができたら、大陸が常に動いていることが分かる。
氷床が現れては消える、地球は常に変化している。
ある地点から地球の歴史を早送りで見てみると劇的な変化が見て取れる。
巨大な氷の塊が地球を覆い、山が形成され、空に向かって隆起し、火山が噴火し、噴出した火山灰が空一面を黒く覆う。
あっという間の出来事。
手がかりは私たちの中にある。
皮膚に浮き出る鳥肌、不快感による感情の急変、デジャブという不思議な感覚、ゲームで遊ぶ時の興奮、こうした手がかりと地球の歴史をたどっていた先には、いかに地球が人間を作り上げたか、その壮大な物語がまっている。

もっとも深い渓谷から高くそびえる山脈に至るまで、1つ明確な事実がある。
地球は劇的な変化を遂げてきたということだ。
この地球の劇的な変化への手がかりは、私たち人間の中にある。
例えば史上最大規模の大量絶滅の謎を解き明かすヒントが人間の耳に隠されていた。
●HOW THE EARTH●Sharpened Our Hearing なぜ人の聴覚は発達したのか
運転中のあなたはラジオから流れるお気に入りの曲を聴いている。
あなたの耳には低周波のリズム音だけでなく高周波の歌声も届いている。
幅広い音域を聞き分けられるのは、耳の中の3つの小さな骨のおかげ。
人間の骨の中で一番小さく18mmに満たない。

この3つの骨は鼓膜から伝わった音を増幅させながら、さらに耳の奥へと伝えてゆく。
私たちのするどい聴覚はこのおかげなのだ。
この3つの骨が私たちをある時代へとつないでいる。
奇妙な生物が地上を闊歩していた時代だ。
2億6,000万年前、人間はおろか恐竜さえ生まれていない遠い昔、超大陸パンげアを支配していたのは古代の爬虫類たちだった。
その1つがギメトロドン、剃刀のように尖った歯、背中に生えた長い帆、一見恐竜のようだが、実はティラノサウルスより人間の方が共通点は多い。

テキサス州北部の人里離れた牧場で古生物学者ロバート・バッカー博士とその助手たちはギメトロドンの骨の一部を発見した。
その骨はウィリーと名付けられる。
もともと耳の小骨はギメトロドンに代表するバンリュウ類の顎の骨の一部だった。
その後哺乳類へと進化する過程で今のような形に変化していった。
ここで発見されたのはウィリーだけではなかった。
地球上の生命の中で最大級の試練となったある事件、大量絶滅の証拠がでてきたのだ。
後に大絶滅と呼ばれるようになったこの悲惨な大量絶滅が起きたのはギメトロドンの時代が終わった直後だった。
2億5000万年前、陸上の生物の70%、水中の生物の95%が突然この世から消えた。
超大陸パンげアで火山が大爆発し、噴出した毒ガスによって窒息死した、というのが大量絶滅の有力な説。
辛くも生き延びたギメトロドンの仲間がやがて哺乳類へと進化する。
ギメトロドンの体や骨は、私たち人間へと確実に引き継がれている。
大絶滅を生き延びた爬虫類から私たちが引き継いだものはほかにもある。
体温を一定に保つ能力、様々な形の歯、呼吸と同時に咀嚼できる能力もその1つ。
だが大絶滅が最後の大量絶滅ではなかった。
地球規模の大量絶滅は少なくとも5回、平均して1億年に1どの割合で起きている。
一番近い大量絶滅は直接私たちへとつながっている。
その手掛かりは人間の皮膚の下に隠されていた。
●HOW THE EARTH●Gave Us Goosebumps なぜ人は鳥肌が立つのか
そのルーツは人間の体が毛でおおわれていた時代に遡る。
興奮したり恐ろしいと感じたりすると毛が逆立つ。
私たちが寒さや恐怖を感じると、立毛筋と呼ばれる小さな筋肉が収縮し、皮膚の毛を押し上げる。
かつては毛の中に熱を閉じ込め敵に自らを大きく見せるためのものだった。
今や私たちの祖先にあった体毛はなくなり、現象だけが残っている。

6500万年前、地球を1億年以上にわたって支配していたが恐竜、巣穴の中で生きていた私たちの祖先である小さな哺乳類は、恐竜に食い殺されないよう感知能力を駆使して生き延びていた。
再び世界は変化する。
比較的大きな小惑星が地球に衝突し、それによって生じた地球の変化が恐竜を絶滅に追い込んだと考えられる。
小惑星の衝突によって大量の熱が生じ、燃え盛る炎が地球の大部分を覆いつくした。
まさに灼熱地獄・・・
恐竜はそのほかの種と共に一瞬のうちにこの世から姿を消した。
だが私たちの小さな祖先は危うく難を逃れることができた。
進化の過程でたまたま小さな体をしていたおかげで、地面の下に隠れ、この危機を乗り越えることができた。
最後の大量絶滅を乗り越え、体毛、鳥肌といった哺乳類の特徴は人間へと引き継がれた。
●HOW THE EARTH●Jolted Us Awake なぜジャーキングは起きるのか
あなたは眠りに落ちてゆく。
瞼が重くなり、体温は下がり、今にも意識を失おうとしている。
すると突然身体が痙攣し、あなたは眠りから引き起こされる。
人が眠りに入ると筋肉は弛緩し始める。
能はこの状況を落下していると判断し、体制を立て直そうとして筋肉が痙攣する。
なぜ落下の感覚によって起こされるのだろうか。
数百年前、私たちは他の霊長類と同じように木の上で寝ていた。
落下の感覚はそこから来ているのだろう。
1500万年前、哺乳類は数えきれないほどの種に分かれ、その1つが霊長類へと進化した。
膨大な熱帯雨林がアフリカを覆い、人間の祖先である霊長類の寝床はその熱帯雨林の木の上にあった。
睡眠時の痙攣によって、木からの落下を防いでいたが、危険なのは落下だけではなかった。
真夜中に木から落ちるとその音で自分たちの存在が肉食動物に気づかれる。
食物連鎖の中で霊長類は食べられる側にいた、という事実が考古学的な物証によって明らかになっている。
私たちは狩りをする側にはいなかった。獲物として狙われる側にいたのだ。

●HOW THE EARTH●Relaxed Our Minds なぜ人はリラックスするのか
私たちは開放的な景観を好む。
心を落ち着かせる効果があるからだ。
筋肉を緩め、呼吸を穏やかにする化学物質が能から放出される。
なぜそうなるのか。
アフリカの風景が現代の私たちの心に焼き付いている可能性があるという。
実験、被験者に4枚の風景画を見てもらい、一番リラックスする絵を選んでもらう。
4枚の絵のモチーフは、一面に広がる砂漠、うっそうとしたジャングル、花咲なだらかな丘、そして雪に覆われた山。
同様の実験は世界中の様々なバックグラウンドを持つ人々に対し行われている。
何度やっても選ばれるのは開放的な景色だった。
ジャングルや島に住む人々もである。

「ここなら、寝そべっても大丈夫な気がする。安心感がある。」
「見通しがきくのがいいね。」
なだらかな風景が一番落ち着くというのは、当たり前というのかもしれない。
だが進化論的な説明づけは可能だ。
この光景が私たち祖先を敵から守っていたとしたらどうだろう。
見通しの良い場所であれば肉食動物が近づいてきても事前に逃げることができる。
安心感が生れるのは開放的な風景が生化学反応の引き金となるからだ。
脳内の神経伝達化学物質によって人は安心と感じる。
危険の回避は生物化学的な本能、危険を避けることで人は安心する。
その能力が私たちに備わっているのだ。
一方ある絵は正反対の反応を引き起こした。
丘と比べてジャングルに住みたくないと思ったのは、どうしてなのだろう?
「明らかに危険な感じがする。」
「安心感が全く伝わってこない。」
ジャングルの絵が不安になるのは敵が近くの木の上や茂みに隠れていても分からないから。
少なくとも敵の存在には気づける場所を人は好む。

400万年前、私たちの祖先である霊長類は、うっそうとした森と開けたサバンナの境界線で暮らしていた。
狩りをしたり食料を調達するときには森へ入り、一方大草原やサバンナで肉食動物を見つけたら姿を隠し身を守るといった生活をしていた。
開放的な光景を見て私たちがリラックスするのは、かつて祖先が眺めていた光景を無意識のうちに思い出しているのかもしれない。
眠りからおこされるのも、開放的な眺めを楽しむのも、全ては私たちが食うか食われるかの時代を生き抜いてきた名残なのだ。
肉食動物に対する恐れの痕跡はほかにもある。
私たちが忌み嫌うヘビと蜘蛛、アフリカの森に生息する彼らはかつて大きな脅威であった。
進化によって優れた色彩感覚や三次元の視角を手に入れたのは、近くで息をひそめる敵を見つけるため。
また恐怖を感じたときに汗をかくのは、敵に捕まらないよう皮膚を滑りやすくしていたためとも考えられる。
●HOW THE EARTH●Made Us Cringe なぜ人は身がすくむのか
身の毛がよだつ音、黒板に爪を立てる音に人は反応してしまう。
なぜなのか。
リーン・ハルパン博士はこの全世界共通の反応にまつわる秘密の解明に乗り出した。
人がどんな音に最も拒絶反応を示すか、実験で検証する。
心地よい音からぞっとするような音まで様々な音源が用意された。
耳心地の良い音として鍵が鳴る音、他にも自転車の車輪が回転する音を録音、深いな音として金属製ケースを引きずった音、発泡スチロール同士をこすり合わせた音を用意した。
学生たちはそれぞれの音を10段階で評価する。
だがある音が他より不快だという結果を博士は予言した。
「板の上でガーデニング道具を引きずる音が最も不快なはず。」
板の上でゆっくりと金属を引きずってみる。

黒板に爪を立てる音の変わり。
この音を聞かせた時、色んな行動や表情が見て取れた。
背筋を伸ばしたり、目をつむったり、心理的な反応ではなく、全て肉体的な反応。
この音と地球の歴史にどのような接点があるのだろうか?
この音に対して全世界共通の反応が見られるのは、進化の過程で退化した私たちの祖先が持っていたある能力の名残と考えられる。
黒板に爪を立てる音と近いのは一体なんであったのか?
黒板に爪を立てる音と一部の霊長類の発する鳴き声が似ていると仮説をたて、まず森でマカク猿の鳴き声を録音し分析した。
結果は黒板と爪の周波数成分と雌のマカク猿が我が子に危険を知らせるときに発する鳴き声の成分が非常に似ていることが分かった。
周波数を分析したところ、不快と感じる原因が高周波ではないことが明らかになった。
人を不快にさせる周波数成分は低い周波数帯にあることがわかった。
この不快な音が私たちを地球のある転換期へとつなぐ。
400万年前のアフリカの奥地、私たちの祖先は森とサバンナの境界で暮らしていた。
日中は二足歩行でサバンナを歩く、そして夜が訪れると木の上に引きこもる生活だった。
現在とは違って日が暮れてしまうと辺りは完全な暗闇に包まれる。
曇った月明かりのない夜は漆黒の闇、そんな暗闇の中では音で危険を察知していた。
何百万年もの間、暗闇の中で肉食動物に付け回される生活、そんな中危険を知らせる手段が耳をつんざく鳴き声だったとしてもおかしくない。
人間が狩る側となった現代とは違い、当時の社会を牛耳っていたのは肉食動物。
彼らを殺せないならば避けるしかない。
視覚的手段と違い、音による警告は暗闇の中でも効果的だった。
直観的に素早く音に反応することが種の生存にとって重要だった。

●HOW THE EARTH●Made Us See Faces なぜ人は顔を認識するのか
空に浮かぶ雲を見て、人の顔に見えたことはないだろうか。
雲の中に顎、鼻、頭の輪郭がふと浮かび上がる。
他にも、シンプルな形のコンセント、前から見た車などを人の顔に変換できる。
不規則なパターンに人の顔を見出すことをパレイドリアといい、私たちの心を密接な関係がある。
黒板に爪を立てる音と同様、パレイドリアは、食うか食われるかの時代の名残なのだ。
この能力によって近づいてくる肉食動物の目を瞬時に捉えることができる。
これは生き延びるために欠かせない能力。
私たちの脳がどれほど早く顔に反応するかを測定するため、被験者を最新式のスキャナにかけた。
被験者には複数の写真を見せる。

人の顔に見えるオブジェクトのの写真を混ぜておく。
人の顔に見えるオブジェクトが顔認識に欠かせない脳の一部を刺激することがわかった。
人の顔と同じ反応。
能が人間がそこにいると判断したのだ。
わずか0.17秒、瞬きの2倍のスピードで、私たちが全く気付かぬうちに、脳は人の顔に見えるオブジェクトを人の顔として認識した。

非常に早い信号、つまり見ようとしなくても見える。
パッと目の前に顔が浮かび上がる感じで。
自分の仲間か見分けるために顔を認識していることはほぼ間違いない。
子供が母親の顔を見分けるように。

だがこの電光石火の反応は人の生死を決める戦略としての機能であることもこの実験結果は示している。
実際には存在しない顔がどうして見えるのか、古代の暗く混とんとした世界においては、用心するに越したことはないということだったのかもしれない。
攻撃を仕掛けてくる敵はいないか、私たちは常に周囲の状況に目を配る必要があった。
恐怖を感じる脳の中枢部が常に警告を発し、危険を見逃さないよう、入ってくる情報を監視している。
顔がなくても顔を認識できるほうが、顔があるのに認識できないよりいい、生き残った者は前者のタイプ。
この能力は現代にも引き継がれている。
2004年グリルチーズサンドウィッチに聖母マリアの顔が見えると話題になり、26000ドルで落札された。

1956年、カナダの紙幣に描かれたエリザベス女王の髪の毛の一部が悪魔に見えるとして、その図柄が変更された。
人間のこうした行動のルーツは、食うか食われるかの世界にあった。

だが逃げる時代は終わりを告げる。
今私たちが走ったり攻撃的な衝動にかられたりするのは、地球が人間を追われる側から追う側へと変化させていった時代と、私たちがつながっているからだ。
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人体から学ぶ地球の歴史 後編

21世紀を迎え、70億人もの人たちが世界の隅々にいきわたり、今人間は食物連鎖の頂点に君臨している。
だがここに至る道のりは長かった。
現在人が動物に食べられることはまずない。
しかしここに至るまで、虎やライオンはもちろん、人間を獲物とする動物たちに食べられるという脅威に常にさらされてきた。
パワーバランスはいつ変わったのだろうか。
どのように追われる側から追う側へと変化していったのだろう。
その手掛かりはやはり私たちの肉体に隠されていた。

●HOW THE EARTH●Made Us Run なぜ人は走るのか
人は走る動物だ。
サッカー場やジムのランニングマシーン、人間の体は走るのに適した構造へと変化した。
大きな膝関節、優れた体温調整、人間の体がいかに長距離を走るのに適しているのか、気づいていない人もいるだろう。
Diane Van Derenは、世界有数のスーパーランナーだ。
「プロとして耐久レースに出場している。
専門は160km長ですね。何十時間も走るようなレース。」
42.195kmはウォーミングアップに過ぎない。

アキレスけんと人体が体を前に押し出すバネの役割を果たす。
他の霊長類にはこのように走るのに適した構造が備わっていない。
走ることに関していえば、こんなに持久力のある種は、人間をおいて他にはいない。
かつてこの持久力が人間の武器となった時代があった。
動物は人間の持つ持久力に勝てない。
人間に走り負けた動物の中には倒れてそのまま死に、人間の食料になることもあった。
長く走ることは、もともとは狩りの戦略だったと考えられる。
では、その戦略をどこで身に着けたのか。
260万年前、気候の変化に伴い、アフリカのうっそうとしたジャングルはサバンナへと姿を変えた。
新たな環境では新たな戦略が必要となる。
ダイアンのように長い距離を誰もが走れるわけではないが、昨今の高まるマラソン熱を考えると、走るという行動には先史時代のサバンナにつながる別の理由がまだあるに違いない。
マラソンの人気が高いのは疲れるから。
でもなぜわざわざ疲れたがるのか、それはその疲労感がハンターだった時代の記憶を呼び覚ますものだから。
ハンターとしての名残は別の形でも残っている。
動物の生態を見てみると、生きるためにしなければならないことは、何かしら楽しいと感じているもの。
狩りに相当する現代の活動には、そうした楽しさが残っていて、例えば球を投げたり売ったり、シューティングゲームなどもそう。
●HOW THE EARTH●Made Us Violent なぜ人は凶暴になるのか
どんなに愛想がよい人にも怒りの衝動はある。
怒りがこうじて暴力の衝動へと駆られてしまう沸点が私たち1人1人の中に存在している。
人は皆心の奥深くに闇を抱えているのだ。
人が持つ闇とは?
チンパンジーは2つの種に分かれている。
チンパンジーとボノボ。

ボノボにはあるユニークな特徴がある。
ヒヒ、チンパンジー、ゴリラ、人・・・霊長類は皆自らが生き残るためなら資源の争奪に加わることを辞さない。
だがボノボだけは違う。
人間とチンパンジーには闇があるという点で似通っている。
ボノボにはそれがない。彼らは殺さない。
なぜボノボだけが暴力と無縁なのか?
実験、1匹のボノボには手が届く範囲に食料を置く。
ドアを隔てた向こう側には、もう1匹別のボノボがいる。
ボノボがとるべき選択肢は2つ、独り占めか、分け合うか。
ボノボは扉を開けて仲間を招き入れ、一緒に食べた。
生死を分ける場面で人は分け合うか戦うか選択する。
だがボノボは平和を選び、仲間に食べ物を分け与えた。
いかにも無力で凶暴性の欠片も見えない。
なぜ人間にはボノボと違い闇があるのだろうか。
コンゴ川はアマゾンに次いで2番目に流量が多い川、クエスチョンマークのような形。
全長4700km、幅最大12kmに及ぶコンゴ川は100万年以上前に誕生した。

100万年前、コンゴ川の北側にはチンパンジーと人間の祖先が、南側にはボノボが暮らしていた。
ボノボは泳ぎが苦手だったので、巨大な川を渡れなかった。
その結果ボノボとチンパンジーは、川を隔てた別々の森で進化を遂げていった。
氷河期によってアフリカの資源は枯渇してゆくが、隔離されていたボノボには食料を争う敵はなく、仲間内で分け合うことで生き延びることができた。
一方コンゴ川の北側では霊長類たちは生き残るための戦いを余儀なくされていた。
人間の奥深くに潜む、攻撃、暴力への衝動は、かつて暮らしていた環境に原因があったのかもしれない。
様々な面で、私たちは先史時代のアフリカ大陸に深く根付いている。
古代アフリカの地理的な影響は別の形でも現れている。
私たちの平らな爪は、かつてうっそうとしたジャングルの木に登れるよう鋭いカギ爪だった。
また二足歩行が始まったのは、アフリカの森林が乾燥したことで、木から木へ歩いて移動せざるを得なかったためだ。
だがこの先にさらに大きな変化が待っていた。
人間が人間たらしめる由縁のある体の一部が進化の最終段階で大きな変化を遂げたのだ。
そう、脳である。
その手掛かりの1つが私たち人間に残された不思議な現象、デジャブに隠されている。

足の骨から顔の筋肉に至るまで、私たちの体は人間が進化を遂げてきた地球への手掛かりを握っている。
だが私たちの心は、さらに不思議な秘密を解き明かすカギを握っていた。
古代世界の選択、淘汰の力は私たちの骨や筋肉といった肉体だけではなく心も変えた。
脳の様々な部位が進化を遂げた瞬間があったのだ。
脳のひだやしわには、変貌を遂げてきた地球の歴史が刻み込まれている。
その驚くべき例は、私たちが進化の歪を感じる原因に隠されていた。
●HOW THE EARTH●Gave Us Deja Vu なぜ人はデジャブを体験するのか

あなたは友人とコーヒーを飲みながらたわいもないおしゃべりをしている。

突然あなたはなんとも不思議な感覚に支配される。

この光景はどこかで見たことがあると・・・

そうではないとわかっていても過去の出来事を細かい部分まで追体験しているような錯覚を覚える。

誰でも一度は経験したことがあるだろう、デジャブ・・・

ローレンシア大学神経解剖学者マイケル・パーシンガー博士によると、デジャブは脳の2つの重要な領域で起きる軽い発作が原因だという。

「耳の上にある右と左の側頭葉、記憶と意味をつかさどる領域。」

雷が落ちるように軽い発作が記憶をつかさどる側頭葉に作用するという。

「人間の脳は特に夢を見ている時に軽い発作を起こすことが分かっている。

睡眠中の脳を調べてみると電気的な活動が見られる。

デジャブも同じ。」

博士によると、研究室でデジャブの感覚を再現することができるという。

右の側頭葉を刺激すると、脳に変化が起きる。

この時デジャブと同じ感覚が得られる。

デジャブのルーツは古代にあり、地球の物語のある重要な時期と不思議な接点を持っていた。

200万年前、私たちの祖先は氷河期の中もがき苦しんでいた。

地球の気候は急激に変化し、突然の干ばつや山火事に見舞われた。

不安点な気候を生き抜くため、人間には新たな生きる術が必要だった。

そして人間の脳は急激な進化を遂げ、3倍の大きさにまで成長したのである。

もっとも急速に発達した脳の部位を新皮質という。

側頭葉も新皮質の一部。

メーカーが新しいCSの市場投入を急ぎすぎて大量のバグを発生させてしまうように、脳の急速な発達によってデジャブという歪が生じたのだ。

一般的にデジャブの原因となる発作は危険なものではない。

だが稀なケースとしてこうした進化の歪が制御不能に陥り、時にテンカンの症状を引き起こす場合もある。

その稀なケースがダイアンに起きた。

「その時母と車に乗っていた。発作を起こした瞬間は覚えていないが、我に返ると頭痛がひどくて、何がどうなっているのか全く状況がつかめなくて、トラックにぶつかるみたいな感覚で・・・

症状は次第に悪化していった。回数もどんどん増え、最終的には週に5回も発作が起きた。」

テンカンの発作が起きる前には、必ず強いデジャブの感覚があったという。

「見たことのある場面が出てきたり、次に何が起きるか分かったりするのだ。

まるで自分の中で何かおかしなことが起きているのを知らせてくれるみたいに。

脳の中で何かが爆発しているような感覚。」

症状が悪化してきたことで、ダイアンは手術を受けることに。

検査の結果発作は脳のある一部で起きていることが判明した。

切除されたのは右の側頭葉の一部だった。

手術後発作は出なくなり、デジャブも消えた。

ダイアンのような極端なケースから私たちが体験するデジャブまで、私たちの心に埋め込まれた痕跡は、ある時代へとつながっていた。

それはより大きな脳の持ち主として地球が人間を選んだ時代。

ダイアンの事例は地球が私たちの心を急速に進化させていったことを如実に物語っている。

そして心の進化の痕跡は別の形でも残っている。

地球は人間にデジャブというひずみを残す一方、電光石火の判断という能力も与えた。

その能力は日々の生活に役立てられている。

クオーターバックがボールをどこに投げるかを判断する時間は、わずか3.5秒だということが調査の結果わかっている。

本能に基づいて行動しているのは、私たちも同じである。

瞬間的な判断が求められること、例えば車の運転中は瞬時に判断している。

私たちは考えたうえで行動していると思いがちだが、実際には私たちの行動のほとんどは、無意識に本能に従ったもの。

その本能はどこから来たのだろうか?

人間が何をどう考えるかは進化の歴史によって決まっている。

●HOW THE EARTH●Shaped Our Instincts なぜ人に本能が備わったのか

心理学者のフレッド・クーリッジ博士によると、人が判断する仕組みを作ったのは地球だという。

ルーレットに招かれた3人の被験者がどのように判断するのか。

運しだいのルーレットで人はどのようにかける数字を決めるのだろうか。

「賭けに興じている人は、合理的でないのはわかっている、根拠は特にない、なんとなくそんな気がする、そう口々に言う。

心理学者は彼らのそういう心理に注目する。」

1人の女性がチップを8番に置いた。

そしてその後も8番に賭け続けた。くる確率は低いと分かっているのに。

確立はわずか38分の1、しかし彼女は自分の直観を信じた。

女性「根拠なんてない、全て運だから。自分と他人の運は同じでしょ。

だけど8番がすごく気になったの。

だからその直観に従ったわ。8番にオーラが見えた気がしたの。

念というのか、それとも気合なのかな、うまく言えないけど見続けてたら来るような気がする。

当たらなかったのは念が足りなかったからだ。

玉から目を離さずに集中して自分の賭けた番号に来るよう、もっと強く念じることができたのに。」

彼女は物理的な手立てはないことはわかっていて、それでも精神的な方法は有効だと思っていた。

ベテランのギャンブラーは合理的な勝ちパターンを編み出すかもしれない。

だが私たちの脳は不合理な本能に支配されていることがこの実験で明らかになった。

いわゆる直観というのは比較的古い脳の奥の構造によって呼び覚まされる感情的な反応のこと。

この反応を例えるとしたら、何百年も前にインストールされたコンピューターのハードウェアみたいなもの。

こうした直観はなぜ人間に備わっているのだろうか。

100万年前、脳の成長に伴い人は慎重かつ合理的に考える能力を身につけた。

だが突発的な危険はなくならない。

地球自体が生きてゆくには危険で厳しい環境だった。

安全と管理が行き届いた現在とは違い、祖先たちは今の私たちよりはるかに弱い存在で、火山の噴火や雷などの災害で死んでしまってもおかしくない環境にいた。

こうした脅威に常に対処しなければならない状況だった。

突然の災害という脅威にさらされ続けた時代に、現代のように考える時間が常にあるとは限らない。

そうした中で従うべきは原始的な本能だった。

虫が光に吸い寄せられるように、ねずみが猫の臭いを嗅ぎ分けられるように・・

動物としての本能が私たち人間に根付いている。 

そんな人間の本能の中でも極めて強力なものあがある。

●HOW THE EARTH●Gave Us Disgust なぜ人は不快と感じるのか

レストランでの食事中目の前に座っている友人が額の汗をふきとる、肌をかきむしる、食べかすを指でとる、鼻をかむ、その光景を見たあなたは、つい顔をそらし、目を細め、口をすぼめ、体を遠ざけようとする。

科学者の調査によると、人間の最も強力な本能は、不快感であるという。

人は特定のことに拒絶反応を示す。

理屈抜きの感情、不快と感じるときどう反応するかは、世界各国違いは無い。

顔にも共通する表情が現れる。

それはこういう表情で、体をひく。

ギャバン・フィッシモンズ教授によると、不快感の表情には一定のパターンが存在するという。

オレンジジュースにさっき消毒したあるものを浸す・・・

この状態のオレンジジュース飲めるかな?

鼻にしわがよって、上唇が上がる、目を瞬く場合もある。

身体を遠ざけ手で口を覆う、こうしたとっさの反応で感染源となりうるものから自分の目と口を物理的に遠ざけている。

つまり無意識のうちに自らの身を守っているのだ。

消毒したゴキブリはスーパーの果物などより安全と言っても無駄なのである。

不快感ははるか昔から存在する根源的な感情であることがわかった。

人類の歴史を通して、私たちの祖先が生きていくうえで大きなネックとなってきたものの1つが病気。

人類の歴史の中で突然変異や進化する病原菌は、火山の噴火や地震、肉食動物よりはるかに大きな脅威であった。

病気が死に直結する時代、時に不快と感じ、時に逃げることで、病原菌と戦ってきたのだ。

あの何気ない反応は、かつて病原菌から身を守る術だった。

19世紀半ばにルイ・パストゥールが病原菌を発見する前に、私たちは心が進化する過程で無意識のうちに感染を避けるようになっていたのだ。

この本能はあまりに強く、時に制御不能に陥る。

人は本能に支配されてしまう場合がある。

例えば1日に何百回と手を洗う人がいるが、これは強迫性障害といって本人たちも意味がないとわかっている。

やめたいと思い困っているがやめられない。

激動の地球の歴史は、はるか昔およそ45億年前に始まった。

そしてその歴史は今を生きる私たちにも不思議な方法で影響を与え続けている。

例えば性に関する不可解な統計がある。

世界中の出生記録を調べたところ、地震発生直後の数日間で出生率が跳ね上がっていることが明らかになった。

自然災害と出産には大きなかかわりがあるようだ。

もう1つ明らかになったことがある。

災害からちょうど9か月後に出生率が再び跳ね上がるという事実だ。

災害は出産を促すだけでなく、無意識のうちに人間に生の営みを働きかけている。

災害は人類の生存を常に脅かす存在だった。

私たち人間の特徴をたどってゆくとすべて巨大地震や津波、大規模噴火といった出来事に行き着く。

人間は自然の力の前では無力。

●HOW THE EARTH●Rewrote Our DNA なぜDNAは書き換えられたのか

科学者世界中の人々の遺伝子を調査した結果、驚くべき事実が判明した。

この世に生きている人は皆7万年前のおそらく数千人規模の非常に小さな集団の子孫であることが分かった。

7万年前というのは、ちょうどインドネシアのトバ火山が突然噴火した時代と一致する。

7万4千年前、後に世界を混乱に陥らせた史上最悪の災害がインドネシアのスマトラ島で今にも起きようとしていた。

トバ火山の地下から2500㎦のマグマが噴出したのだ。

大噴火というと1980年のセントヘレンズ山を思い出す人もいるかもしれないが、トバ火山の噴火はその何千倍の規模。

噴火の影響でその年の冬は相当厳しいものだったはず。

噴火によって地殻変動が起き、空は暗くなり、氷のような寒さが6年間続いて、人類は絶滅の危機に陥た。

この大噴火により、人間の数はわずか数千人にまで減少、これは現代の劇場を満席にすることもできない人数。

私たちはみな、トバ火山の大噴火の幸運な生き残りの子孫なのだ。

この噴火の痕跡は、現代に生きる私たちの体に刻まれている。

その証拠を握るのがDNA。

多様に見える人間だが、DNAの配列は99.9%以上一致しているという。

これは動物としては異例で、ハエですら人間より10倍遺伝的多様性を持っている。

この人間の驚異的な類似性は、トバ火山の集団消滅によって、必然的にもたらされたと考えられている。

私たちの目の色、骨の形、そして心のメカニズム・・・

わずかな手がかりが、私たちを作り上げた意外な地球の姿を浮き彫りにする。

そしてそうした人間の体や心に隠された手がかりを広い集めた今、地球の歴史の全貌が明らかになる。

全ての手掛かりから浮かびあがる真の物語だ。

206本の骨、640個の筋肉、膨大な数の細胞、人間の体は私たちを取り巻く地球の創造物だ。

私たちの体の内部には、地球の歴史を解明する仮想マップが埋め込まれている。

はたしてつじつまは合うのか、手がかりをつなぎ合わせ、地球規模の変化、そして想像をはるかに超える混乱にまつわる壮大な物語を今から解き明かしてゆこう。

●HOW THE EARTH MADE MAN●人体から学ぶ地球の歴史

今からおよそ45億年前、燃え盛る大量の溶岩の塊としてこの世に生まれた地球は、生命が宿るような環境ではなかった。

しかし10億年物月日で地球の温度は下がり、やがて表面に水の塊が現れ、最初の単細胞生物が住み着いた。

それから30億年、地球はすさまじい変化の嵐を耐え抜き、生命は顕微鏡を使わない大きさのままだ。

5億年以上前、大気中の酸素が増加したことで、より高等な生物が住む環境が整う。

この時人間を含めたすべての動物の基本構造ができあがる。

3億7000万年前、古代魚に手足が生え、陸上へと這い上がる。

これが人の体を動かす腕の仕組みの原型となる。

2億5千万年前、トカゲに似た生き物が史上最大の大量絶滅を生き延びる。

その顎の一部が私たちの耳の骨へと進化、優れた聴覚が備わった。

6500万年前、ねずみに似た哺乳類へと進化した私たちは、小惑星の衝突という大惨事を生き延びる。

この時の体毛、爪、鳥肌が、後世に受け継がれる。

私たちは哺乳類から霊長類へとさらに進化を遂げる。

だが、地球による人間の創造はまだ終わっていない。

数百万年にわたるアフリカ大陸の変化が私たちを類人猿から人へと変化させる。

二足歩行で歩き、走る能力、投げる能力、狩りの能力を手に入れる。

この時の肉食動物への恐れ、本能が私たちの心に刻み込まれた。

260万円前、氷河期という試練の中、人の脳は3倍の大きさへと成長、合理的に考える能力が備わる一方、デジャブといった歪が残された。

環境の変化という困難が、直観に従い深いと感じる能力を私たちに授ける。

25万年前、私たちの体はさらなる進化を遂げる。

15万年前、アフリカの大地を離れ、人間は世界へと散らばる。

74000年前、火山の大噴火により、私たちは絶滅の危機にさらされる。

その痕跡は遺伝子の類似性として今に残る。

そして古代シュメールを皮切りに、エジプト、ギリシャ、ローマ、中世ヨーロッパ、アメリカ、そして現代へと続くありとあらゆる文明が、わずか1万年の間についに花開く。

人間の文明は本に記され、それ以前の歴史は全て私たちの体に刻まれている。

この物語には続きがある。

今の私たちを作り上げた地球の変化はまだ終わっていない。

将来大陸はまた1つの超大陸になる。

大陸を隔てている大西洋は広がってゆき、やがて狭くなり長い時間をかけてさらに狭くなり、最終的に北米とヨーロッパ、アフリカが再び1つになる。

そうなる前に、新たな小惑星の衝突、あるいは火山の大噴火によって、私たちはさらい進化を遂げるかもしれないし、絶滅するかもしれない。

確かなことはただ1つ、地球や私たちの未来は予測不可能ということだ。

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古事記の世界1
古事記の魅力とは?
三浦佑之(立正大学教授 国文学者)「古事記のお話は面白い。
特に神様のお話は物語がストーリーを持っていて、様々な神様が出てきて活躍をする。
古事記(712)とは別に日本書紀(720)という歴史書は朝廷により作られた正規の歴史書、古事記はそういうものよりももっと古い日本列島に住んだ人たちの古層の意識が様々な形で神話として浮かびあがってくる。
自分たちは何でここに住んでいるのか、なんで生まれたのか、死んだらどうなるのか教えてくれる、読めてくる。
そういう魅力があると思う。」
里中真智子(漫画家)「ずっと感じているのが、意外と女性が強いということ。
そういう本質的なものがおおらかに描かれていると思う。
お話も、理屈には合わなくても、男女の違いみたいなものをするどくつくような物語もあったりして面白い。」
天と地が初めて起こった時、高天原になりました神の皆は、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、この三柱の神は皆一人神で、姿形を見せることはなかった。
大地が若く油のように浮かび、クラゲのごとく漂っている時、葦の芽のように燃え上がるものからなった神の皆は、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神、この二柱の神も姿形を現さなかった。
これら五柱の神は、特別の神で、別天つ神(ことあまつかみ)という。
その後、兄と妹で一対となる十柱の神々がなった。
その最後に現れたのが伊邪那岐神、伊邪那美神である。
天の神々は伊邪那岐の命、伊邪那美の命におおせになった。
「この漂える大地を整え固めよ、そなたたちには天の沼矛を授ける。
これを用いて国をなせ。」
伊邪那岐の命と伊邪那美の命は天の浮橋にお立ちになり、沼矛を刺し降ろして、コウロコウロとかき回された。
「矛の先から滴り落ちる潮が固まってゆく。」
「島ができましたね。」
「いざ。」
これが淤能碁呂嶋(おのごろしま)である。
「あなたの体はいったいどのようにできているのですか?」
「私の体はほとんどできあがっているのですが足りないところが一カ所だけあります。」
「私の体もすでにできあがっているのですが、余ったところが一カ所だけあります。
ですから、私の体の余ったところで、あなたの体の足りないところをふさいで、国を生もうと思います。
それでどうでしょう?」
「ええよろしいですね。」
「それならば、私とあなたで、この天の御柱の周りを廻って出会い、契りを交わしましょう。
あなたは右から回ってください。
私は左から回って出会うことにしましょう。」
「まあ、なんて素敵な殿方なのでしょう。」
「ああ、なんて素敵な乙女なのだろう。
女性が先に言葉を発したのはよくなかった。」
それでも、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は契りを交わした。
しかし・・・

「うまく国を生むことができなかったら、天つ神のもとにまいってこのことを申し上げ、お伺いをたてることにしよう。」
天に昇った伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、神々の仰せに従い鹿の骨を焼き、裂け目の現れ方を見る太占(ふとまに)の占いをした。
女性が先に言葉を発したのは、よくなかったとでている。
淤能碁呂嶋に戻り改めてやり直すのだ。
「ああなんて素敵な乙女なのだ。」
「まあ、なんて素敵な殿方なのでしょう。」
こう言い終わって契りを交わすと、まず淡道之穂之狭別嶋(淡路)が生れ、次に伊予之二名嶋(四国)、この島は、体は1つであるが顔が4つあった。
次に隠岐之三子嶋(隠岐)、筑紫嶋(九州)が生れた。
この島も、体は1つであるが、顔は4つあった。
そして、伊伎嶋(壱岐)、津嶋(対馬)、佐度(佐渡)の島が生れ、大倭豊秋津嶋(本州)が生れた。
これら8つの島が先に生まれたので、この国を大八嶋国という。
伊邪那岐の命と伊邪那美の命の会話が、古事記ではどのように表現されているのか・・・
「故此の吾が身の成り餘れる処以ちて
汝が身の成り合わ不処に刺し塞ぎ而
国土を生み成さむと以為ふ
生むこと奈何に
とのらせば
伊邪那美命 答えて日さく
然善(しかよ)けむとまをす」
■世界はどう始まったか
日本の神話では世界が最初にあって、それから神様が生れる。
キリスト教の旧約聖書では、まず神様がいて、それから天地を創造して昼と夜を作り、1週刊で世界と人間を作る。
世界の成り立ちが全く逆。
「天と地がはじめておこったとき高天原に成りました神の御名は天之御中主神・・・」
キリスト教ではそこに絶対的な神の意志があり、神の意志のもとにこの世は成り立っているという絶対条件がある。
しかし日本人はあまりかっちりと分けるのが好きではないのか、なんとなくボワーンとこちらが気づいたらそこに世界があったという感じ。
いつからあったのかとか、なぜあるのかとか、どうなっているのかとか、そんなことはこだわらない。
「天地初めて発りし時
高天の原於成りませる神の名は
天之御中主神
此の三柱の神者
並に独神と成り坐し而
身を隠しましき」
❝成る❞とは生れてくるのではないし、絶対神作るわけでもない。
気が付いたら、ああいたという感じが❝成る❞という言葉にとてもよく表れている。
木に実が成る、それが落ち、種となりまた生えてくる。
そういう循環が❝成る❞という言葉にうまく表される。
日本には絶対神がいない。
中空構造の神話、日本の神話は真中がない。
例えば天之御中主神は、天の真ん中にいる神様という名前を持っているが、何の働きもせず、この後一度も登場しない。
真ん中が存在しないことに特徴がある。
 
国生み神話の舞台、淡路島、まるで神がかき回したかのように、大きなうねりをあげて渦を巻く淡路の海。
この海にオノゴロ島と伝えられる伝説の島がある。
沼島、周囲およそ10km、人口500人ほどの小さな島。
島に古くから伝わる古文書がある。
天と地が最初に起こった時の始まりの地である・・・
♪神のつくりし おのころ島 由緒も深き この島は
我らが国の 起源ぞと 聞くさえ いとど嬉しけれ♪
島の高台にある、おのころ神社、国を生む二柱の神の像。
沼島の名はこの神が持つ、天の沼矛(ぬぼこ)に由来しているという。

住民「古代語で沼(ぬ)は、珠とか神々の精神が宿ったとか、光り輝くといった意味がある。
矛を引き上げたときにポタポタ潮の滴が落ちて、勝手に凝り固まって島になった。
だから、おのころ神社にも、自分で凝り固まる神社、と書いてある。」
おのごろ島の名の意味は、おのずから凝り固まって成った島・・・
その名のとおり、沼島を形作る岩石は、神が混ぜ合わせ、凝り固まったかのような形をしている。
沼島は、太古の地殻変動がそのままの形で見て取れる岩々から成りたっている。
島の南東に回り込むと突如異様な巨岩が姿を表す。
オノゴロ島に降り立った二柱の神がたてたという天の御柱であると伝えられている。
古事記では、伊邪那岐の命は御柱の左から、伊邪那美の命は右から回った。
そうして次々と国を生んでいった。
古事記の世界をそのまま表したかのような沼島の自然。
国生みの神話の起源について、ある興味深い説がある。
それははるか海を越えてやってきた民族がもたらしたものであるという。
その民族とは海人族(あまぞく)、縄文時代の終わりにはるか南方から渡来した海人族は、やがて沼島をはじめとする淡路の海に進出した。

彼らが新たに生み出した技術に、塩づくりがある。
海水を煮詰めて塩をとる太古の塩づくり、海人族たちが長い棒を使って海水をかき回す様子から、海をかき混ぜて島を生む島生みの神話を生んだとも伝えられている。
日本の起源を語り継ぐ国生みの神話、そこにはまだ多くの謎が秘められている。


故 二柱の神 天の浮橋に立たし而(て)
其の沼矛を指し下して画かせ者(ば) 塩許々袁々呂々(こをろこをろ)迩画き鳴し而(て)
引き上げます時 其の矛の末自(さきよ)り垂落る塩之累積(しおのつもり)
嶋と成りき 是淤能碁呂嶋なり

外来の文字を利用して、やまとことばに当て字をしていった。
言葉に対するこだわりが古事記には残されており、日本書紀(漢文)とは全く違う。
やまとことばの音を大事にしている。
語り部によって語り継がれた神話。

いくつもの国を生み終えた伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、さらに神々をお生みになった。
「まず家づくりの神々を生むことにしよう。」
そして岩・土の男神、石・砂の女神、戸口の神、屋根の神などを生んでいった。
「次に自然をつかさどる神々を生もう。」
海野神と河口の神が生れ、風の神、木の神、山の神の野女神など多くの自然をつかさどる神々が生れた。
さらに船の神、食物の神、最後に火の神をお生みになった。
火の神をお生みになった時、伊邪那美の命は、ひどいやけどを負われた。
伊邪那美の命が吐いたものから鉱山の神がなった。
たれいでたしものものから粘土の神、流れ出た尿からは田畑の水の女神がなった。
こうして伊邪那美の命はお亡くなりになられた。

「愛する我がミコトをたった1人の子に変えようとは。」
伊邪那岐の命の涙からは、泉の神・泣沢女神がなった。
伊邪那美の命は、出雲の国とほうきの国の境にある比婆之山に葬られた。
伊邪那岐の命は、火の神をお切りになった。
火の神からは刀剣にまつわる様々な神々がなった。
そして伊邪那岐の命は、愛する伊邪那美の命に今一度会いたいとあとを追って、黄泉の国へと向かう決意をなされた。
そこには思いもよらぬ再会が待ち受けていた。

古事記は伊邪那美の神が葬られた地について、こう記している。
其の所神避(かむさ)りましし伊邪那美神者
出雲国と伯伎国与の堺の比婆之山に葬りまつりき
1000mを超える山々が連なる中国山地、その1つに、神の眠る山、比婆山がある。
古事記の記述から、この山は伊邪那美の神が眠る候補地の1つとして古くから信仰を集めてきた。
麓にある熊野神社、ここは伊邪那美の神が眠る神域への入り口、山の頂へと向かう参道が続いている。

熊野神社は比婆の山それ自体を祀り、信仰の対象としている。
古来より神の山として恐れ、敬われてきた比婆山、戦前は祭などの決められた時以外、山に入ることは避けられてきた。
人々が足を踏み入れるのは、この拝礼所まで。

山へ入ることが許された日、人々はあるものを目指し山頂へと向かった。
神社から続く5kmほどの参道、比婆山には日本で最も大きなトチの木など、神が眠るにふさわしい豊かな自然が残されている。
山頂で人々を待ち受けているのは、イチイの老木、頂の聖域を守る神の木。
その奥に天に向かって伸びるブナの原生林がある。
木々の根元にあるのは、苔むした大きな石、幅3mほどのこの巨石こそ、伊邪那美の神が降臨すると言われる御陵石。
比婆山の西、ほぼ同じ高さを持つ吾妻山、土地の言い伝えには、こんな話が残されている。
伊邪那美の神を葬った後、この山の山頂に立った夫の伊邪那岐の命、比婆山が見渡せるこの場所から最愛の人を思い「吾が妻よ」と叫んだことが吾妻山の名前の由来と言われている。
神の山、比婆山、深い自然に抱かれたこの地で、伊邪那美の神は今も静かな眠りについている。

↓つづき・・・
http://poyoland.jugem.jp/?eid=768
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たけしの新・世界七不思議大百科
Entry No.1 マヤ文明の秘宝 翡翠の仮面
Entry No.2 神秘の仏教遺跡 パガン(ミャンマー)
Entry No.3 大英博物館の至宝 ロゼッタストーン

私たちの知る世界四大文明とは、巨大なピラミッドがそびえる黄金に彩られたエジプト文明、太陰暦や楔形文字を生み出したメソポタミア文明、緻密な計画都市を数多く築いたインダス文明、漢字の原型となる甲骨文字を生みだした黄河文明。
しかしこれは時代遅れの歴史観だと言われる。
今はアメリカ大陸に生まれた2つの文明、マヤに代表されるメソアメリカ文明とインカに代表されるアンデス文明を加え、世界六大文明と呼ぶ方が正しいとされる。
20世紀アメリカ大陸では新発見が相次いだ。
その中に、古代エジプト ツタンカーメンの黄金のマスクにも匹敵する発見があった。
340片の翡翠と4片の貝殻、2片の黒曜石が使われた翡翠の仮面、中米ユカタン半島のジャングルパレンケ遺跡から発見された秘宝である。

Entry No.1 マヤ文明の秘宝 翡翠の仮面
第1の扉 翡翠の仮面の主とは一体誰なのか?

1952年、翡翠の仮面を発見した伝説の考古学者アルベルト・ルス。
4年の歳月をかけ、神殿の秘められた空間にたどり着いた。
そこで見たものは・・・
隠し扉の奥にあったのは、高さ7mの空間。
真ん中に彫刻を施した大きな石板があり、部屋のほとんどを占めていた。
一体その中に何があるというのか?
そこには無数の翡翠の欠片と共に男性の人骨が葬られていた。
翡翠の欠片を組み合わせると仮面となった。
神殿に眠る翡翠の仮面の主の正体とは?
第2の扉 古代マヤ人にとって翡翠とは何なのか?
王や貴族の装身具として使われてきた翡翠は黄金より価値のある最も尊ばれた宝石だった。
なぜマヤの人々は緑を崇めたのか。
翡翠が出土したグアテマラの都市遺跡から、マヤ文明の伝説を覆す大発見があった。
驚くことにマヤ文明の起源が今から3000年前であったことが明らかになった。

1922年11月26日イギリス人考古学者ハワード・カーターによってエジプトで初めて発見された未盗掘の王墓、ツタンカーメンの王墓の発見により古代エジプトのファラオの姿が初めて明らかになった。
そして30年後メキシコで謎に包まれた文明の真実を解き明かす世紀の大発見があった。
中央アメリカ、ユカタン半島の熱帯ジャングルに栄えたマヤ文明は、紀元前800年以降を起源にスペイン人に征服されるまで2000円以上続いたとされる文明である。
そんなマヤの真実の姿が分かってきたのは20世紀になってから。

光をあてたのはマヤを代表する都市の1つ、パレンケを1948年に訪れたメキシコ人考古学者アルベルト・ルス。
キューバ人の父とフランス人の母の間にパリに生まれながら、中南米の遺跡に魅せられ、メキシコ国籍を取得、考古学者となったルスは、欧米人に歪められたマヤの真実を探ろうとしていた。
ルスが注目したのはパレンケの中央にそびえる巨大な神殿ピラミッド。

高さ35mのピラミッドは最上部で多くのマヤ文字が刻まれた石板が見つかったことから、碑銘の神殿を呼ばれていた。
神殿を調べてもマヤの真実に迫る手がかりは何も得られないまま時は過ぎていった。

だが1949年神殿の最上部にある瓦礫を取り除いていた時のこと・・・
奇妙な穴を発見した。
そこに埋まった土を取り除くと・・・

これは下へと続く階段ではないか?
おそらく侵入者を阻むために埋めたのだろう。
以来ルスたちはこの階段の発掘作業に没頭した。
瓦礫を取り除いてわかってきたのは、この階段が驚くほど長く下へと続くものだったこと。
4年の歳月が過ぎた1952年、ついにルスたちは瓦礫をすべて取り除き、階段の一番下に降り立った。
そこでルスは不思議な石板の存在に気付いた。

三角形の大きな石板、ルスはそれが何かを隠すためだと直感した。
そして石板をずらし、隙間から中をそっと照らしてみた。
隙間の奥に見えたのは、高さ7mの空間、真ん中に彫刻を施した大きな石の塊があり、部屋のほとんどを占めていた。
そこにはまるで宇宙船を想像しているかのような人物や植物、意味不明のマヤ文字が刻まれていた。
これは何かの蓋だ・・・
蓋の重さは約5トン、人力で動かせるものではない。
そこでルスはジャッキを使い蓋を開けてみることに。
その中にあったのは・・・

これは墓だ。
眠っていたのは身長190cmを超える人骨。
緑の輝きを放つ無数の欠片と共に葬られていた。
これは翡翠だ。これほどの翡翠と共に埋葬されているということは、高貴な人物に違いない。
もしかしたらパレンケの王かもしれない。

周囲に散乱していた340片の翡翠と4片の貝殻、2片の黒曜石を組み合わせていったところ、なんと驚くことにそれは仮面となった。
まさにそれはツタンカーメンの黄金のマスクに匹敵する世紀の大発見。
さらに石棺の中からは仮面以外にも翡翠のアクセサリーが多数見つかった。
果たしてこれほどの翡翠に彩られた人物は誰なのか?
後に蓋の碑文が解読されたことで、その人物は明らかになった。

ルスの予想通り、7世紀ごろこの地で強大な権力を握っていたパカルというパレンケの王だったのである。
さらにその後他の遺跡でも神殿ピラミッドの内部から王の墓が続々と発見された。
マヤはそれぞれの都市を王が統治する都市国家の集まりだったことが明らかになったのだ。
パレンケでは近年新たな発見もあった。

碑銘の神殿の隣にある13号神殿から、驚く物が見つかった。
その発見をした人物こそメキシコ考古学の第一人者、アルノルド・ゴンザレス博士。
ルスを尊敬してやまない博士が同じような発見をしたのである。

石棺の中に眠っていたのは全身が赤く染まり、翡翠に彩られた女性の人骨だった。
赤い色は棺に塗られた水銀が酸化したため。
そのことから人骨は赤の女王と呼ばれている。

翡翠に彩られた「赤の女王」、その女性は一体何者なのか?
DNA分析の結果、「赤の女王」はパカル王と血がつながっていないことが判明した。
つまり母親でも兄弟でも娘でもない。
つまりパカル王の妻、王妃である可能性が高まったのだ。
翡翠の仮面を発見したルスは、1979年、73歳でこの世を去った。
ルスの墓は碑銘の神殿を見守るような場所に建てられていた。
アルノルド博士「留守の墓はこの建物の正面にあるのだが、偶然にも光を当てると丁度赤の女王の墓に反射するんですよ。
もしかしたらルスが私を導いてくれたのかもしれませんね。」

■たけしの大百科チェックポイント
パレンケの王パカルがかぶっていた翡翠の仮面、このような仮面はパレンケだけでなく、ティカルやカラクルムといったマヤ遺跡からも出土している。
古代マヤでは、なぜ死者に仮面をかぶせたのだろうか?

マヤの王は死後神になるとされていた。
そのためにはジャガーの攻撃や極寒の館といった地下世界の神々が与える試練を乗り越えなければならなかった。
翡翠の仮面には不思議な力があり、死後の世界で王を守ってくれると信じていたという。

2013年4月アメリカの科学誌「サイエンス」にマヤ文明の定説を覆す論文が掲載された。
それは日本人研究者らによって発表された。
紀元前800年以降とされていた従来のマヤ文明の起源が200年ほど早まり、紀元前1000年頃まで遡るというもの。
なぜマヤ文明の起源が改められることになったのか。

その証拠の1つとして遺跡から出土した翡翠の存在が深くかかわっていた。
パカル王の仮面が翡翠であったように、メソアメリカで翡翠は黄金より高いを持っていた。
古代マヤ人にとって翡翠とは一体何だったのか?

茨城大学水戸キャンパス、ここマヤ文明の定説を覆した日本人研究者がいる。
古代メソアメリカ文明古代マヤなど数々の著書を持ち、マヤ文明学の第一人者として知られる青山和夫・人文学部教授である。
新たな大発見があったのは中米グアテマラの熱帯雨林に眠るセイバル遺跡、9世紀半ばに最盛期を迎えたマヤ都市の1つ。
しかし発掘されていたのはごく一部、その起源は謎に包まれたままであった。
本格的な調査が始まったのは2005年、青山教授はアリゾナ大学の猪俣健教授らと共に多国籍の調査チームを編成、都市遺跡の中心部にある神殿ピラミッドや王宮、中央広場など、発掘は広範囲に及んだ。

歴代の王たちは公共祭祀を行う基壇があった場所により大きな神殿ピラミッドを築くことで権威を強化していった。
しかし都市が衰退すると神殿は土に埋もれ、忘れ去られていった。
青山教授らは神殿ピラミッドの下に眠るもっとも古い建造物がある地層まで地面を掘り下げるという大規模な発掘に挑んだ。
そして中心部に向かってトンネルを掘り進めていったところ、ついに最古の建造物へとたどり着いた。

黒い地層の下に見える白い層が、最初に造られた建造物の遺構。
それは驚くことに今から3000年前に造られたマヤ文明最古のものであることが判明した。
その年代を測定する方法は日本にあった。
福井県にある三方五湖の1つ、水月湖である。
世界で最もきれいな年縞堆積が残っている湖。
年縞:長い年月の間、湖沼などに堆積した土などの層が描く縞模様
水月湖は直接流れ込む川がないため、湖底がかき乱されることなく土が非常にきれいな状態で堆積している。
そこで青山教授の同僚である研究者たちが年縞を採取、研究を進めた結果過去52800年分の年代が測定できる世界一正確な年代軸を作成することに成功したのだ。

水月湖から得られたデータを基にセイバル遺跡の地層に含まれる木片など56点にものぼる出土品を利用して放射炭素年代測定を行った結果、派遣した建造物が紀元前1000年前後のものであることが決定的になった。
さらに中央広場からは翡翠の石器が出土した。

磨製石斧、トウモロコシの穂か、種を象徴するものと考えられている。
公共祭祀を執行する空間を創設する儀礼の一部として埋納。
なぜ翡翠はマヤ人たちに崇められてきたのか?
中米に翡翠の産地はグアテマラ高地しかない。
緑色がマヤ世界の中心と考えられていた。
金よりも翡翠の方が重要であった。
マヤの東西南北の色は北(白)東(赤)南(黄)西(黒)で表されている。
それは彼らの主食である4種類のトウモロコシの実の色と一致する。
そしてその実を包む緑が中心に置かれた。

マヤの世界観で緑色に輝く翡翠は世界の中心を象徴するものでもあったのだ。
神聖な意味を持つ翡翠の装身具は雨の神にささげる供物としてセノーテに投げ入れられることもあった。
セノーテとはジャングルの地下に張り巡らされた天然水路が所々地上に姿を表した泉のこと。
マヤ世界にとっては大河に変わる水源であり、文明と命を育むために欠かせないものだった。
つまり彼らは文明と命の源に翡翠を捧げたのだ。
紀元7世紀、マヤ文明の最盛期に造られたパレンケの秘宝翡翠の仮面、それは3000年以上も前から翡翠を生命の源、世界の中心として位置付けてきた古代マヤ人たちの最高傑作なのかもしれない。

■たけしの大百科チェックポイント
翡翠は王をはじめとする支配層が権威の象徴として身に着けてきた。
そしてもう1つ、支配層が権力を維持するために独占したものがある。
それは一体何だったのか?
それは数学や天文学といった知識、彼らは知識を独占することで権力を誇示したという。
最も長いマヤ歴は10の31乗、2京×兆倍。
マヤ長期歴の歯車は、地球の年齢46億年、宇宙の年齢187億年よりもはるかに長い時間の概念を持っていた。

Entry No.2 バガン
世界には3大仏教遺跡と呼ばれる巨大な建造物がある。
1つめはカンボジアのアンコール遺跡群、2つめはインドネシアのボロブドゥール、そしてもう1つは謎の仏教遺跡群バガン。
ミャンマーの大平原に無数の仏教建築が見渡す限り建ち並ぶ。
この地は11世紀から13世紀にかけてバガン王朝の都として隆盛を極めた。
そびえたつのは仏教寺院やパゴダと呼ばれる仏塔、その数は2200以上にも及ぶ。
建築の内部は豪華絢爛な大仏やダイナミックな仏教壁画で飾られ、神秘的な雰囲気が漂う。
実はバガンの存在は長きにわたり謎のベールに包まれてきた。
ミャンマーは1960年代から軍事政権のもとで鎖国状態が続き、世界に門戸を閉ざしていた。
近年ようやくミャンマーの情勢が変化、民主化が進んだことで、ついにバガン遺跡の封印が解かれるときがきた。

第1の扉 なぜ幾千ものパゴダが造られたのか?
金箔で覆われ、見る者を驚嘆させるパゴダ、最盛期には5000以上のパゴダや寺院が存在したという。
誰がなぜ何のために造ったのか、そこには仏教をめぐる伝説の王の物語が秘められていた。

第2の扉 なぜバガンは滅びたのか
バガン王朝の建国から250年後、突如栄華を誇った王朝は滅びてしまう。
一体何が起きたのか?
その謎に迫るのはアジアの仏教遺跡研究の第一人者、上智大学・石澤良昭教授。
まるで洞窟のような寺の中で、バガン滅亡の真実が明らかになる。

近年著しい発展を見せるみゃんま、最大の都市ヤンゴンはビジネスチャンスの広がるアジア最後のフロンティアとして今世界の注目を集めている。
かつてはビルマと呼ばれたミャンマー、太平洋戦争では19万人もの日本人が戦死した。

ミャンマーの伝統的な朝ご飯モヒンガー、ナマズからだしを取ったスープに、そうめんのような細い麺が入った料理。
味はカレーに似ている?

エーヤワディー川のほとりに広がる都バガン。
大平原に立ち並ぶのは無数のパゴダや寺院などの仏教建築、その数は2200を超える。
バガンは11〜13世紀にかけてミャンマー初の統一国家バガン王朝の都として栄えた。
タッビンニュ寺院は高さ65m、バガン遺跡で最も高い建築物。
金箔で覆われ煌びやかに輝くのは、バガンを代表するパゴダの1つシュエズイーゴン・パゴダ。
パゴダとは釈迦の遺骨や髪の毛などを納めたとされる仏塔。
このパゴダに使われた金は10トンとも言われ、完成までにおよそ30年を要した。

世界三大仏教遺跡にふさわしいバガン遺跡だが、他の2つと違う点は発見者がいないこと。
12世紀に建立されたアンコールワットは、王朝の滅亡と共に密林の中に忘れ去られたが、19世紀にフランスの探検家アンリ・ムオによって発見され、世界に紹介された遺跡である。
ボロブドゥールも同じく王朝が滅び、密林覆われてしまうが、19世紀にイギリスのトーマス・ラッフルズによって発見された。
一方バガン遺跡には発見者は存在しない。
13世紀に王朝が滅亡したあと、人々に忘れ去られることなく仏教の聖地として愛され続けてきたからだ。

最盛期には5000以上の寺院やパゴダが存在したという。
誰が何のためにこれほどの建造物を築いたのか?
バガン王朝初代アノーヤター王、11世紀にミャンマー全土を制圧しバガン王朝を建国した英雄。
しかし王には大きな悩みがあった。

当時バガンにはまだ現在の仏教(上座部)が伝わっておらず、古い密教の一派が勢力をふるっていた。
バガンを支配していた密教とは?

それをうかがい知ることができる貴重な壁画が残されている。
壁画に描かれているのは妖艶な女性が腰をなまめかしくくねらせ、踊っている姿。
とても官能的な表現。
こちらの壁画に描かれているのは菩薩の姿なのだが、両脇に女性を抱いて、不敵な笑みを浮かべている。
この不思議な絵は、何を物語っているのだろう?

考古学者ミョーニョアン「壁画は密教(日本の密教とは異なる)の影響を強く受けたものだと考えれる。
バガンに現在の仏教が伝わる以前、密教色の濃いアリー僧という僧侶たちがこの地で権勢を握っていた。
30人のアリー僧が6万人の弟子を抱え、酒を飲んで女遊びをするなどみだらな暮らしを送っていた。
彼らの教義は過激で、親殺しの罪でも呪文を唱えれば許されると説いていた。
女性が結婚する際には、初夜をアリー僧に捧げなければならないという掟までもがあった。」

アリー僧の傍若無人な振る舞いに頭を悩ませていたアノーヤター王だが、そこに救世主が現れる。
僧侶ダンマダッシー、ミャンマー全土を歩きながら仏教を説いて回った僧侶。
アリー僧とは対照的に戒めと秩序を重んじるダンマダッシーは人々の心を捕え、カリスマとなっていた。
噂を聞いたアノーヤター王はダンマダッシーと対面、ひざまずいて悩みを打ち明けたという。
ダンマダッシーは、王に仏教を熱心に説いた。
仏教に目覚めたアノーヤター王は、宗教改革に乗り出す。
軍隊を使ってアリー僧たちをいっそう、ついに秩序を取り戻した。
アノーヤター王は仏教を民衆に広めるために数々のパゴダや寺院を建立、その後も歴代の王や庶民は次々と仏教施設を作り続けた。

■たけしの大百科チェックポイント
アンコールワットやボロブドゥールは世界遺産に認定されているのに、バガン遺跡は世界遺産ではない。
バガンは世界遺産になれない理由があるという。
世界遺産に認定されるためには建立当時の状態が保存されていることが条件の1つ。
しかしバガンは、❝生きた遺跡❞と呼ばれ、仏教施設は改修工事を繰り返しながら地元の人々に使用されてきた。
古い仏像は時代に合わせて作り替えられ、進化を遂げた。
そのため建立当時の姿をとどめておらず、世界遺産には認定されないと言われている。

バガン遺跡の魅力を語る上で欠かせなのは、その類稀なる仏教美術のすばらしさである。
バガン王朝の最盛期に建立されたアーナンダ寺院には驚くべきものが残されている。

高さ10mに迫る黄金の大仏、全身が金色に輝くその姿はバガン最盛期の栄華を物語るかのようだ。
黄金の大仏は一体だけではない。
寺院の中央になんと四体の巨大な仏像が祀られている。
それぞれ東西南北の方角に向かって安置されており、見る者を圧倒する迫力。

この寺院を建立したのはバガン王朝第3代チャンスイッター王、自らの絶大な権力を誇示するために黄金の大仏を築いた。
大仏には面白い仕掛けがあった。
遠くから眺めると、その表情は穏やかで微笑んでいるように見える。
しかし間近から仰ぎ見ると真剣で厳しい表情に見える。

2つの顔を表現するデザインには、チャンスイッター王のある思いが秘められている。
アジアの仏教遺跡研究の第一人者・石澤良昭教授「当時仏像の近くで手を合わせるのは王様の関係者や高位高官、家臣には厳しい顔が伝わる。
村の人や一般の人は外で見る、こちらには優しいお顔で、救ってくれる。」

石澤教授によれば、壮大なバガン建築の秘密を解き明かすために、注目すべきポイントがあるという。
それはレンガ、巨大な建造物は無数のレンガを積み上げ造られていた。
バガンでは粘り気の強い粘土が採れ、レンガの製造が盛んに行われた。

このレンガは1200度の高温で焼かれているために水分がとび、軽くて頑丈に仕上がっている。
壮大なバガン建築を可能にしたのは、良質なレンガの存在だったのだ。

バガンをめぐる最大の謎・・・栄華を極めた王朝は、なぜか13世紀に突如滅亡してしまう。
その謎を解くために、滅亡寸前に建てられた王朝最後のパゴダを訪ねる。
ミンガラー・ゼーディー・パゴダ、完成からわずか3年後に王朝は滅亡した。
このパゴダを建立したのはバガン最後の王、第11代ナラティーハパテ王、政治には無頓着で仏教にのめりこんだ。
バガン王朝は仏教寺院の活動に寛大で、税金は免除された。
しかしその免税措置が王朝の危機を招いたと石澤教授は考える。
「お寺の敷地の中は免税なので税金を取られない。
そうすると国庫に入ってくる税金が少なくなる。
バガン王朝はたくさんのお寺を造る。
しかしその裏では国が収入を得られない免税地ばかりが広がった。
お寺成って国滅ぶ」
国力が弱まっていたバガン王朝に、さらに追い打ちをかける事件が起こる。
チャンスイッター窟院、瞑想用の寺院で外の光が入らないように造られている。

この壁画こそバガン滅亡の謎を解くヒント、描かれた男たちの姿に石澤教授は注目した。
帽子を見るとミャンマーでは見かけないもの、また弓矢を持っている。
モンゴル兵だ。
モンゴル帝国は地球上の陸地の4分の1を支配下においた人類史上最大規模の帝国。
フビライ・ハンの軍隊は元寇の6年後1287年、バガン王朝に侵攻した。
その数、騎兵隊は600万、歩兵は2000万にのぼったと言われている。
モンゴル軍の侵略にナラティーハパテ王はあっけなく逃走し、王朝は滅亡した。
しかしバガンは政治的な機能は奪われたものの、美しいパゴダや寺院は破壊されることなく残された。
こうしてバガンは仏教の聖地として人々から愛され続けたのだ。

■たけしの大百科チェックポイント
おびただしい数の寺院やパゴダの建設はバガン王朝の財政を圧迫しただけでなく、意外な事態を引き起こしていた。
仏教施設の建立には大量のレンガが必要、そのためレンガを焼く燃料として木が伐採され、深刻な森林破壊を引き起こしたという。
こうしてバガンは不毛の土地となり国力を落としたとする説もある。

Entry No.3 大英博物館の至宝ロゼッタストーン
人類が生み出した最も輝かしき文明、古代エジプト文明。
だが、どのような文明だったのか?今からおよそ200年前までは全くの謎であった。
古代エジプト文明3000年の歴史の扉を開けた鍵、それはたった1つの石。
その石は今、数奇な運命のもと、イギリスが誇る世界最大級の博物館大英博物館に保管されている。
1799年に発見されたロゼッタストーン、石の表面に刻まれていたのは、エジプトの古代文字ヒエログリフだった。
ヒエログリフはエジプトの様々な遺跡に書かれていたが、まったく読むことのできない謎の文字であった。
だがこのロゼッタストーンの登場により、ヒエログリフは解読され、ピラミッドなどに刻まれたエジプト文明の謎は次々と解き明かされることになった。
第1の扉 なぜロゼッタストーンは大英博物館にあるのか?
石の側面に書かれていたのは、英語・・・
最初に石を発見したのは英雄ナポレオン率いるエジプト遠征軍、そのナポレオンにイギリスの軍神ネルソン提督が襲い掛かる。
ロゼッタストーンは誰のものなのか、超大国がエジプトで激突する。
第2の扉 なぜヒエログリフは解読できたのか?
ロゼッタストーンをめぐるもう1つの戦い、ヒエログリフの解読対決。
イギリスの物理学者トーマス・ヤングとフランスの言語学者ジャン=フランソワ・シャンポリオン、2人の天才が謎の文字の解読に挑んだ。

時は18世紀末、2つの大国が世界を支配しようと熾烈な勢力争いを繰り広げていた。
イギリスとフランスである。
1798年フランス国民から絶大な人気を得ていた29歳の青年が、ライバル国であるイギリスへの侵攻軍司令官に任命された。
その青年こそが英雄ナポレオン。
ナポレオンがいよいよイギリス本土への攻撃をしかける。
世界中の人々がそう思い込んだ。
が、人々の想像を超える動きをするが天才ナポレオン、思わぬ作戦をたてた。
エジプト遠征。
ナポレオンは大国イギリスに直接攻め込むのは難しいと判断、エジプトを占領し、イギリスの財源の1つとなっていたインドとの物流を絶つ作戦をたてた。
38000人の兵士と共にエジプトに渡ったナポレオン、しかしその船の上には戦いには不似合いな集団が乗っていた。
ナポレオンによって集められた学者や芸術家たち、エジプト研究特別チーム。
ヨーロッパ全土にフランスの力を見せつけるというのがナポレオンの狙いだった。

エジプトへと出撃したナポレオンは、アレクサンドリアの港を攻略、そこで部隊を2つに分け、半分をアレクサンドリアの艦隊に残し、自らは首都カイロを目指した。
無事首都カイロへの入場を果たしたナポレオンだったが、この後思わぬことが起こる。
アレクサンドリアに残したフランスの艦隊が壊滅したとの連絡を受け取ったのだ。
フランス艦隊を襲ったのはネルソン提督率いるイギリス海軍だった。
ナポレオンがエジプトへ向かったとの情報を受け取ったネルソンは、フランス軍を追い出撃。
​地中海に残っていたフランス艦隊を壊滅させた。
イギリス軍の巻き返しに遭ったナポレオンは砂漠に閉じ込められてしまう。
しかしこのことが良い結果を招くこともあった。
ナポレオンが連れて行った学者たちにとっては格好の研究時間ができた。
その研究成果がまとめられた本があるという。
国立図書館(パリ)、エジプト誌は歴史学者や植物学者、画家らの手により帰国後20年以上の歳月をかけ制作された。

カイロでエジプト研究が進む中、イギリス軍の反撃の足音がひたひたと迫ってくる。
そんな中、あの世紀の大発見が起きた。
フランス軍はイギリス軍の攻撃に備え、アレクサンドリア周辺に前線基地を構えた。
ラシードにあった要塞を補強したのもその1つだった。
その作業中、1人の兵士が謎の黒い巨石を発見、それがロゼッタストーンだった。
石は直ちにアレクサンドリアの守備を任されたムヌー将軍に送られる。
将軍はロゼッタストーンを前にすると目の色を変えた。
「これはエジプト文字解読へ導く石だ。」
なんと石の表面には3種類の文字群が刻まれていた。
一番上には謎の文字であるヒエログリフ、その下にはヒエログリフの崩し文字であるデモティック、一番下には現代でも読むことのできるギリシア文字が刻まれていた。
ギリシア文字から、この石には古代エジプトの王を称える言葉が刻まれていることが分かり、ヒエログリフにも同じ内容が書かれていると推測された。
石はすぐに学者たちのいるカイロへと送られる。
が、しばらくするとイギリス軍がカイロを目指しているという知らせがナポレオンのもとへと届く。
すると、「ロゼッタストーンをアレクサンドリアに戻せ。
死んでもイギリス軍へ渡すなとムヌーに伝えよ。」
首都カイロよりアレクサンドリアの方が安全だろう、このナポレオンの判断は、実は大きな間違いだった。
石を発見してから2年後、ムヌー将軍が守っていたアレクサンドリアは、ついにイギリス軍により陥落してしまう。
エジプトで集めた収集物は奪われ、結局ムヌー将軍がマットで隠していたというロゼッタストーンも見つかってしまう。
石を引き渡すよう求められると、ムヌー将軍はとぼけたり私有物だと言って、決して首を縦にはふらなかった。
しかし結局ロゼッタストーンはイギリス軍のものに。
持っていかれる時、将軍は人目もはばからず、涙を流したという。
ロゼッタストーンの側面に書かれているのは、イギリス軍がフランス軍から石を勝ち取った時に書かれたと言われている。
実際に当時のイギリス人は大変誇らしく思ったという。
ナショナリズムや国際問題も含むこの文は、今となっては非常に後悔が残る文字。
それはまさにイギリスがフランスに向けた勝利宣言に他ならなかった。
■たけしの大百科チェックポイント
ナポレオンのエジプト遠征が後世に残した遺産は、ロゼッタストーンだけではなかった。
ナポレオンはロゼッタストーンにも負けないほど世界的にも有名なものをパリに残している。
 
​ナポレオンはエジプトから持ち帰った収集物などを集め美術館に集め、ナポレオン美術館と名付けた。
その後ルーブル美術館と名前を変えた美術館のいたるところに今ナポレオンのNのマークが残っている。

エジプトからイギリスへ運ばれたロゼッタストーン、ヒエログリフの解読は持ち帰ったイギリスばかりが挑んでいたわけではなかった。
なぜイギリス以外の国でも解読に取り組めたのか。
イギリスへ渡ったフランスの学者たちは、ロゼッタストーンがイギリス軍に奪われる前に写しをとっていた。
どうやってその写しをとったのか?
当時写しに使っていたものは、私たちの生活にもなじみのあるもの。
学者たちは靴墨を石の表面塗り、紙を押し当て写しをとっていたという。
イギリスとフランスの面子をかけた戦い、解読対決がここに始まった。
先手を取ったのはイギリス、物理学者のトーマス・ヤングがヒエログリフの解読に挑んだ。
ヤングは物理学だけでなく、医学、言語学など、様々な分野で活躍した天才学者。
そのヤングが目をつけたのが、ヒエログリフで書かれている文書の中に何度も現れるカルトゥーシュと呼ばれる楕円の枠。
ヤングは、ロゼッタストーンの中のヒエログリフと、その下に書かれているギリシャ語を見比べた。
そしてカルトゥーシュの中のヒエログリフが、ギリシャ語部分に何度も出てくる王の名前プトレマイオスであると考えた。
当時絵で描かれていたヒエログリフは、そのすべてが意味を絵で表した表意文字だと考えられていた。
例えばパンの絵が意味するのはパンである、というように。
しかしヤングは当時の定説を覆す。
パンの絵はパンを意味するのではなく、アルファベットの「T」の音であると主張した。
ヤングはヒエログリフがアルファベットと同じ表音文字である可能性を見抜いた。
そしてその考えからカルトゥーシュの中のヒエログリフの読み方がプトレマイオスだと分かった。
だが後にヤングが解読したアルファベットのほとんどが間違いだったことが判明する。
ヤングによる解読成果の発表は、フランスを落胆させた。
ロゼッタストーンを奪われた上に解読も先を越されてしまうのかと。
しかしそのフランスに救世主となる人物が現れる。
それが天才言語学者ジャン=フランソワ・シャンポリオン。
1790年フィジャックに生まれたシャンポリオンは、わずか19歳でグルノーブル大学の助教授になるほどの頭脳を持っていた。
さらにその頃すでにラテン語をはじめ、ヘブライ語、アラビア語、サンスクリット語、中国語などを習得、言語に関してのエキスパートになっていた。
シャンポリオン博物館、もとはシャンポリオンの生家だった。
現在は改築され、彼が残した貴重な資料や記録などを展示している。

​自らの人生をかけ、ヒエログリフの解読に挑み続けるシャンポリオン、1815年シャンポリオンのもとにある知らせが届く。
ナポレオンが当時シャンポリオンが暮らしていたグルノーブルに来るというのだ。
そしてついにシャンポリオンは、英雄ナポレオンとの対面を果たす。
2人は古代エジプトのファラオに思いをはせ、熱く語ったという。
ナポレオンの激励を受けシャンポリオンは、すべてを投げ打ち、ヒエログリフの解読に挑む。
ナポレオンと会って6年後、グルノーブルからパリに転居し、マザリン通りのアパートに研究の場を移したシャンポリオンは、兄の援助で食べつなぎながら、まさに寝食を忘れ研究に没頭した。
そして解読を始めて13年目、ついに歴史を変える日が訪れる。
解読のカギとなったのは4世紀にエジプトで生まれたコプト語であった。
シャンポリオンにとって決定的だったのは、ヘブライ語・中国語・中東の言葉など世界中の言葉に幼い頃から興味を抱き研究し、実際に話せるようになっていたということ。
彼が貯えた膨大な知識と情熱が解読の成功へと導いたのだ。
1822年9月14日、アパートで図版を詳しく調べていたシャンポリオンは、それまで見たことのないカルトゥーシュの中の人名に気が付いた。
最初の図は、それまでの研究から太陽を表す図であることが分かっていた。
最後の図は、ロゼッタストーンの研究からプトレマイオスの最後の文字Sだと分かる。
そして真ん中の図は「生む」を意味する図であり、コプト語では「MIS」、この頭文字を当てはめてみると、ラムセス・・・クレオパトラ・・・
シャンポリオンは、コプト語をヒントに、ヒエログリフの文字を合わせ、独自の対応表を作り上げた。
コプト語に精通していたシャンポリオンは、ついにヤングよりも正確にヒエログリフにあう音を解読した。
ヒエログリフの解読に成功したシャンポリオンは、興奮のあまり半狂乱となり、パリの町を走り抜け、「ついにやった」と叫ぶと、そのまま記憶を失ったという。
このシャンポリオンの功績により、後にピラミッドを造った主の名前をはじめ、エジプト文明の様々な謎が明らかになった。

■たけしの大百科チェックポイント
シャンポリオンの快挙には多くの人々が称賛を贈った。
が一方で解読をきっかけに大議論が巻き起こった。
議論のきっかけは、古代エジプト文明の解明が、ある人々にとってはとても都合の悪いものになってしまったから。
​シャンポリオンが反感をかった相手とは?
シャンポリオンのヒエログリフ解読により、エジプトには紀元前2300年頃から文明があったことが判明した。
この事実は当時カトリック教会の教えていた歴史とは矛盾していたため、教会が反論したという。
​たけしの新・世界七不思議大百科に掲載されるのは・・・
File008翡翠の仮面
File009ロゼッタストーン
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聖書の掟で知るキリスト教の世界2 セックス

聖書は、史上まれに見るベストセラーである。
この聖なる書物には2000近い規律や掟が記されている。
それは神の掟だけでなく、人間が作り従った決まりでもあった。
特にセックスに関する決まりである。

紀元前7世紀ごろの聖都エルサレム、そこに驚くべき聖書の掟の1つを見出すことができる。
IF TWO MEN ARE STRUGGLING,AND THE WIFE OF ONE COMES NEAR TO DELIVER HER HUSBAND FROM THE ONE WHO IS STRIKING HIM AND SEIZEZ HIS GENITALS,THEN YOU SHALL CUT OFF HER HAND;YOU SHALL NOT SHOW PITY.
[DEUTERONOMY(申命記) 25:11~12]
(妻が夫を救おうとして相手の急所をつかんだら、手を切り落とすこと 憐みはいらない)
この掟には重要な事柄が書かれている。
争う2人の男、止めに入る妻、つかんだ急所、3000年前の喧嘩の一場面である。
これがなぜ聖書にあるのか。
実際に起きたと仮定しよう。
妻が夫を守ろうとするのは自然なことだろう。
それともこれが、古代の人々には異様に思えたのか。

この掟を読み解くため、はっきりしている部分から検証しよう。
まず男性の急所である。
なぜ女性が狙おうとすると問題になったのだろうか。
その手掛かりは石器時代から続く風習にあるようだ。
男性器崇拝である。
古代世界では、エジプトからインドまで、男も女も男性器を崇拝した。
男根像はギリシャ語でファルスという。

ペニスには悪魔から守る聖なる力があり、神のペニスほど聖なるものはない。
そうギリシャ人は信じていた。
柱にヘルメス神の頭をのせたヘルメス柱像は、中央部にペニスがあった。
守り神として道端に置かれていた。
現代ギリシャの街ティルナコスでは、毎年男性器崇拝のお祭りが行われている。

古代の男性器崇拝は、この聖書の掟の重要性を裏付けているのだろうか?
もし神聖なものなら、生死にかかわる戦いでも、触れてはいけないはずである。
ただその掟は、夫がけんか相手の急所を攻撃することは講じていない。
つまり何をつかんだかより、誰がつかんだかを重視しているといえる。
聖書は、女性は許されないと言っている。

その証拠の1つが、現在パリのルーブル美術館に展示されている。
高さが2mを超える黒い石柱には、古代バビロニアの法律、ハンムラビ法典が刻み込まれている。
本店に282条ある法律が聖書の掟に影響を与えたと考えられている。
女性に関する法律は、掟に厳しさを裏付けているのだろうか?
法典によると女性は父親または夫の所有物で、特にセックスについてはそう明言している。
女性は男性以下で、レイプされたら石打の刑に処された。
当時女性には何の権利もなかった。
男性が女性を殺したいと思えば殺すことができ、男性は責任を負うこともなかった。

ハンムラビ法典は古代エジプトからペルシャに至るまで、社会の法制度を形作った。
その影響力を考えると、女性が男性の局部を狙えば厳罰は免れないだろう。
女性が男性器をつかむと、それは男性の誇りに対する攻撃を意味した。
こうした理由のために聖書の掟がよくある喧嘩に言及したかについては定かではない。
旧約聖書も、新約聖書にも、このような話も、また男性の急所を狙って手を失う女性も出てこない。
しかしメッセージは異なるが男性器は聖書の他の掟にも登場する。

(睾丸をつぶされた者 陰茎を切断された者は、主の会衆に加わることはできない。)
局部を損傷している男は聖なる神殿に入れないのである。
男性の局部を攻撃した女性が厳しい罰を受ける。
それは男性が神殿に入れなくなるからだろうか?

3000年前以上のインド、聖なる文書リグヴェーダが編纂され、男性に降りかかるという呪いが書かれたとされる。
4000年以上前のインドでは、生殖能力がない男性は、宦官と呼ばれていた。
どんな人物で、何をしていたのだろう?
当時のインドでは、異性愛ではない性的思考を持つ男性は、麻袋に入れられて宦官が住む地区に運ばれた。
そこには虚勢をした男性も、虚勢せず強い同性愛の思考を持つ男性もいた。
宦官の中には奴隷から兵士になった者もいた。
マリク・カーフールである。
1300年頃北インドのスルタンに仕えていたカーフールは、素早く出征して軍事指導者になり、モンゴル軍を破り南インドの大半を征服した。

聖書にも権力を持つ宦官階級が登場する。
列王記のアハブとイザベルだ。
紀元前9世紀、イスラエルの北王国にはアハブ王がいて、妻はイゼベルといった。
2人は別荘を持っていたが、アハブは隣のブドウ畑が欲しいと思うあまり、床に伏してしまった。
そこでイゼベルが自ら事に当たる。
彼女はブドウ畑の所有者に、神への冒涜と王への反逆の罪をでっち上げる。
すると街の人々はイゼベルの言う通り、所有者を石打の刑にして死なせた。
その後すぐ預言者エリアがイゼベルに言った。
あなたは罰を受ける あなたの体は犬の群れの餌食になり、血は通りで踏みつけられるだろう。
宦官たちはイゼベルを宮殿の窓から投げ出し、その予言通りとなった。

しかしこの掟が述べているのは宦官ではなく、神聖なものについてのイスラエル人の考え方かもしれない。
男性の生殖器は、誰が仲間で、誰が違うかを知る1つの方法だった。
聖書の掟、それは古代世界への新たな扉を開ける。

セックスは楽しいだけのものではないという。
セックスは何度も聖書に出てくるため、英語では「聖書のようなことをしよう」というスラングも生まれた。
意味は「セックスをしよう」である。
そして聖書の数多くの掟の中には男性の生殖器について述べているものもある。
なぜ聖職者たちは男性の睾丸がつぶれているかどうかを気にしたのだろう。

古代世界では身体的な特徴で部族を見分けることが多かった。
厳しいようだが、無傷の睾丸を持つ男は認められ、つぶれていれば認められなかった。
身体的な特徴で部族を見分けていたのは、古代ヘブライ人だけではない。
聖書の時代では、独自の特徴を生み出した。
例えばピアスである。
ペルシャ兵は小さな輪を、アステカ族はリップリングを、そしてローマ兵は乳首にピアスをつけた。

古代の男性の身体的特徴が重要なら、この聖書の掟は理解できる。
男性器の状態で、その人が誰で、どの部族かが分かるからである。
WHEN A MAN HAS TAKEN A NEW WIFE,HE SHALL NOT GO OUT TO WAR,NEITHER SHALL HE BE CHARGED WITH ANY BUSINESS;BUT HE SHALL BE FREE AT HOME ONE YEAR;AND SHALL CHEER UP HIS WIFE WHICH HE HAS TAKEN.
[DEUTERONOMY 24:5]
(人が新妻をめとったならば兵役に服さず公務も課せられず1年間はすべてを免除され妻を喜ばせねばならない)
2000年以上前にこの掟が書かれたころ、結婚しても確かなものは何もなかった。
当時は恐ろしい伝染病がはびこり、栄養状態もかなり悪かった。
早死にや戦士はもちろんのこと、出産時に死ぬこともよくあった。
乳幼児の死亡率が極めて高く、2人のうち1人が2歳まで生きられなかった。
女性の死亡率も高く、比較的若い時に亡くなっていた。
2世紀にアントニヌスの疫病と呼ばれる天然痘の大流行で、ローマ帝国では500万人が犠牲となった。
しかも戦争も絶え間なく起きていた。
戦争は無数の死者をもたらした。
1つの都市の人口が激減するのだ。
アテネでは信じられないほど人口を失った。
なんと10%も人口が減ってしまったのだ。
30か35歳くらいまで生きるのは、かなり難しいことだった。

病気や戦争であっけなく命が奪われていた社会では、妻と過ごす時間は大切だった。
しかし妻を喜ばせる掟は具体的にどう過ごすかを述べているようだ。
古代イスラエルでは、セックスは奨励されていた。
子供を産み、夫の家系を絶やさないことが重要だった。
イスラエル人は少数民族で、常に隣国との戦いにさらされていた。
200年にわたってユダヤ人と戦っていたローマ人を例に挙げれば、何万人も命を落としている。
人口を増やす方法は、ただ1つ、子供を作ることだった。
男性は子供を持つことを期待され、女性は身ごもることを期待されていた。
子供を増やすことに重点を置いていたのはイスラエル人だけではない。
敵のローマ人も同じことだった。
ローマ帝国の死亡率は高く、歴史家によると平均的な上層階級の男性の寿命は25歳、女性の寿命はさらに短く、男女とも40歳になれれば幸運だった。
だからこそローマ皇帝アウグストゥスは、子供を増やす対策を講じたのだろう。
子供が3人以上いる家族は税金を一定額免除された。
つまり人々は結婚することと、跡継ぎとなる子供をもうけることに重点を置かざるを得なかった。
それは社会が必要としていたから。
帝国は女性が子供を次々と生むことを求めていた。
最盛期のローマ帝国は、6500万人以上の人々を支配していたが、病気や戦争の犠牲になりかねない。

災難に打ち勝つ唯一の手段は子供を産むことだった。
聖書の掟で、夫は家にいて子作りに励み、妻を喜ばせようと勧めるのは当然かもしれない。
しかしこの掟は男性に警告も発しているようだ。
家を離れるときの危険性である。
家を離れると、常に新たな誘惑が待ち受けている。
そして常に新たな問題が生じる。
男性が戦争へ行ったら、戻ってこないかもしれない。
誘惑の一例は他の女性との出会いだが、聖書のある掟では、それは絶対に避けるべきこととしている。
BUT I SAY TO YOU THAT ANYONE WHO HAS LOOKED AT A WOMAN WITH LUST HAS ALREADY COMMITTED ADULTERY WITH HER IN HIS HEART
[MATTEW(マタイによる福音書) 5:28]
(みだらな心で人の妻を見たら、既に心の中でその女を犯したのである。)
妻以外の女性のことを考えただけで浮気したことになるのだ。
不倫は普遍的なもの、どの社会でも調査をすると不倫が行われていた。
不倫は人間が生れながらに持つ特徴のようだが、人間のように頻繁にセックスする動物もほとんどいない。
人間は生殖のためももちろん、喜びや社会性のためにもセックスをする。
そこが動物と違う。
人間は女性が排卵期でなくでもセックスを行う数少ない生き物。
女性が妊娠中でも授乳の時期でも閉経後でも生理中でもセックスをする。
哺乳動物で社会性のためにセックスをするのはチンパンジー、ボノボ、イルカだ。
ただし古代世界では、相手を間違うと致命的な結果を招いた。
この掟では、情欲を抱いただけで姦通。
しかし本来ある欲望を抑えることはなかなか難しい。
だが実際は世界的に有名な男性がその掟を破っている。
道徳的指導者たちがカーター氏の記事に反応。
大統領工法のジミー・カーターは、雑誌プレイボーイに対しこう語った。
みだらな心で女性を見て、心の中で姦淫をしたが、神はお許しになるだろう。
カーターは神の許しを信じていたようだが、掟を書いた人はそうではなかったようだ。

2000年前の不倫は現代と同じだったのだろうか?
古代世界の不倫というのは結婚している女性と関係を持つ男性をさしていた。
古代オリエントのような一夫多妻制の社会では、結婚していない女性となら誰とでも関係をもてた。
扱いが男性と女性とで違っていた。
そして不可解なことに古代イスラエルでは、不倫が起きた場所により処罰が異なっていた。
もし男性が人妻と関係を持ち、それが町の中で起きたとしたら、2人とも処刑された。
なぜなら同意の上での不倫と判断されたから。
もし男性が町の外で人妻と関係を持った場合、女性は同意していないと判断された。
大声で叫んでも誰にも聞こえないからだ。
その場合、男性だけが処刑された。
古代世界の部族社会は家系を重視しており、家族がすべてだった。
女性が夫以外の男性と関係を持ち、妊娠したとしよう。
それは恥ずべき事どころか、不倫で生まれた子供は、男性とその子孫を呪うと言われている。
ローマ人も不倫を脅威とみなしていた。
1世紀、皇帝アウグストゥスはユリウス法を制定し、不倫を取り締まった。
罪人は円形競技場に連行され、何千もの見物人の前で石打の刑を受けた。
新約聖書では、手厳しいものになっている。
考えただけで行為に及んだとしているのだ。
古代世界では、人間の思考には神秘的な力があると信じられていた。
多くの宗教には禁欲的なグループがある。
彼らは今生きている世界から抜け出して抑えきれない欲望や衝動から解放されようと願っている。
どうやって欲望を抑えるのか?

200年頃、キリスト教指導者オリゲネスは悍ましい方法で試している。
自ら去勢し、信仰の証として禁欲を貫こうとした。
それから100年後、肉欲から逃れるためキリスト教徒は修行にでた。
有名なのは荒野の教父達である。
自由意思を示す行為として、現実世界から逃れた。
日々起きる仕事や結婚生活での心配ごとなどから逃れるためだ。
荒野の教父たちは日常を逃れて性行為を絶つだけでなく、食べることの喜びからも遠ざかった。
断食は性行為から気をそらし、神に集中するための究極の修行だった。
2000年前、断食が荒野の教父達の心と体にどう影響したかはわからない。
しかし現代科学によってその過酷さが解明された。
1944年、断食が心と体にそう影響するかを調べるため、アメリカでミネソタ飢餓実験が行われた。
被験者36人が半年間飢餓状態におかれた。
その結果興味深いのは鬱状態に陥り不安になったこと。
被験者の1人は指を3本斧で切り落としたが理由を言えなかった。

今も昔も、自らを飢餓状態におくことは、極端な意志の表し方と言えよう。
しかしそれでも掟を守れということなのだろうか。
それとも聖書は、人間にもう少し寛大なのだろうか。
旧約聖書や福音書の記者たちは、人間は感情を持ち、何かを考える者だと捉えていた。
しかしそんな考えに何度も浸ると、やがてそう行動するようになる。
絶え間なくその考えを頭に浮かべていると、いつしかその考え方に乗っ取られてしまう。

(ひれやうろこのない生き物は海のものでも川のものでもすべて汚らわしいものだ。)
この掟が書かれた時期ははっきりしないが、現代医学が登場する数千年前、今から2500年以上前とされる。
聖書記者たちは知っていたことがある。
甲殻類はろ過してエサを摂るので、もし大量のチフス菌が下水に流れ出たら、甲殻類を食べると腸チフスになる恐れがある。
また甲殻類はアレルギー反応の一種であるアナヒラキシーショックの原因の1つ。
古代の人々は甲殻類は食べないほうがよいと分かっていたのだ。
甲殻類が危険視されていたのは古代だけではない。
現在アメリカ人の2.3%、つまり700万人近くが甲殻類にアレルギーを持つと言われている。
古代の人々には病気やアレルギーの知識はなかったようだが、この掟は健康に関連しているらしい。
しかもこれには地理的要素もあるとみられる。

古代イスラエルの乾いた砂漠に甲殻類はいなかった。
そのため他の土地の食べ物だと思われたようだ。
古代イスラエル人は海岸の周りを支配することはあまりなかった。
海沿いに住む人々は甲殻類を食べていたが、古代イスラエル人はこの食べ物がすぐに手に入らなかったので、禁止することで隣国と差別化した。

聖書も他の法典も実際に何かが起きたために掟を定めている。
つまり遊女と結婚した祭司が1人以上いたということになる。
旧約聖書には613の掟があり、そのうち247はレビ記にある。
この掟が書かれたとされるイエスの時代から400年ほど前、みだらなことが行われていた。
この掟の謎を紐解く前に、史上最古の職業とされる売春について・・・
現代と違い3000年前は、娼婦として仕事をしても投獄されなかった。
聖書は特に売春を禁じていないが、古代イスラエル社会では、娼婦は社会の底辺にいた。
現代のように、娼婦になることは最後の手段だったのだ。
古代世界では、娼婦は小さな部屋にベッドとなる石がある売春宿で働いていた。
ローマではこうした宿はオオカミの家を意味するルパナーレと呼ばれた。
火山の噴火で破壊されたポンペイの町から、紀元1世紀の売春宿が発見された。
その壁に性的な場面を描いた絵があった。
古代世界の男性は、口コミに頼ったのかもしれない。
トルコのエフェソスに、売春宿とみられる建物がある。
面白いのは、入り口の1つが通りの向こうの図書館につながっていること。
つまり図書館に行くと言って、売春宿に行くことができた。
時に神殿は売春宿の代わりをした。
豊穣祈願の儀式には、儀式的な売春が行われた。

古代イスラエルでは、もちろん娼婦は日陰の存在だったが、祭司は名高い公の人物だった。
祭祀が聖なる指導者なら、なぜ娼婦との結婚を考えたのか。
本当に結婚したのなら、なぜ戒める掟が書かれたのか。
古代世界ではなんと娼婦と祭祀が同じ仕事をすることもあった。
紀元前5世紀、古代ギリシャのコリント、ここには聖なる娼婦がいて、愛と美の女神アフロディティの神殿でサービスを行った。
紀元前464年ギリシャの軍人で歴史家のクセノポンが、感謝のしるしとして100人の若い女性を神殿に奉納している。
性的なサービスをすることで報酬を得る売春婦は特殊な身分にあった。
神殿へ来る娼婦は神への捧げもの、または神の力に加わるものと受け止められていた。
カナン人は嵐の神バールを信仰していたが、その中心は性行為だという。
バール神の信仰は、古代の豊穣を祈る儀式とかかわっていた。
もしバール神を性的に興奮させることができれば、バール神は彼の種で雲を肥沃にすると考えられていた。
そうすれば雨が降り、大地は実り豊かになり、家畜も太る。
人々は儀式的な売春という行為で豊穣をもたらしていた。
古代イスラエル人はバール信仰を避けていた。
よってこの掟は祭司への警告かもしれない。
聖書の掟の謎は答えが見つからない場合が多い。
しかしこの祭祀と娼婦との結婚を禁じる掟には理由が1つあるという。
祭司の元祖はアルンで大祭司だった。
彼の息子たちも祭司としてアロンを支えた。
祭司の仕事は世襲されていた。
娼婦を娶ることの懸念の1つは生れてきた子供が本当に自分の子かわからないこと。
2000年前には父親を確定する検査はなかった。
だから祭司たちは家系を汚さないために娼婦を避けていたかもしれない。

(父の妻を犯してはならない。父を辱めることだからである。)
英語で犯すは「裸から覆いを取る」と表現されるが、聖書で性行為は意外な言葉で表現されている。
セックスをするとは足元に横たわると表現されているのだ。
この掟は育ての母と関係を持つことに触れているが、当時は近親相姦と考えられていた。
現代も3000年前もタブーだったようだ。
この親族とセックスをしないことには生物学的な理由がある。
人間も他の種にも生まれつき近親相姦を行わないという性質がある。
有性生殖の目的は異なる遺伝子をかけ合せてより生命力のある親より強い個体を生み出すこと。
親族との生殖では先天性異常をもたらすことがある。
しかし育ての母親など血縁関係がない人とセックスをして、何が問題なのだろうか。
古代イスラエル社会では、妻は男の所有物である。
つまり父親の妻とセックスをすることは無礼なだけではない。
盗みなのだ。
妻は夫以外の男性が触れてはいけなかったが、窮屈な場所に大勢で住む人には厳しい掟だった。
古代の農民は大きなテントに大家族で暮らし、家族は並んで眠っていたのである。
まず夫と妻がいて、第1婦人以外の妻がいる。
そして息子や娘の結婚相手がいる。
息子にも複数の妻がいる。
男性の家系の家族を中心に、3世代、4世代の家族が1つ屋根で暮らしていた。
近親相姦の掟が生れたのは、こうした背景がある。

エジプトに住んでいたギリシャ人は、兄弟同士の結婚が許されていた。
一族の富が外に出ず、とどめておける。
一緒に育っているので仲が良い。
知らない家族と縁組をして問題が起き、夫婦の仲が悪くなるよりずっと安心。
驚くことに結婚契約書を交わす習慣があったのだ。
100点に及ぶパピルスの結婚契約書が発見されているが、そこにははっきり父親と母親は同じと書かれている。
同じ親を持つ兄弟の結婚・・・

近親相姦の掟に矛盾しなくても、食い違っているような興味深い記録がある。
レビレート婚、子供のいない夫婦で夫が死んだ場合、残された妻は夫の兄弟と結婚するというしきたり。
第二次世界大戦中の軍人も、軍の基地でパートナーを紹介しあるパーティーを行っていた。
それは空軍パイロットと、その妻や恋人たちが主催したもの。
パイロットは日本へ飛行任務に就く男性たちで、死亡率は25%近くに達していた。
同僚やパートナーでコミュニティを作ることが重要だった。
そうすれば男女が親しみを覚え、もし戦士した場合には仲間が妻の面倒を見てくれると安心できた。

2001年の同時多発テロのの後、消防士の妻がこう言った。
夫はツインタワーで亡くなった。
でもその後私は彼の親友と恋に落ち、どうしてよいかわからないという相談を受けた。
そこで彼女に聖書の時代、レビレート婚の話をした。
故人の思い出を称えるだけでなく、その人生や価値観を広めたいという兄弟たちの思い。
それがレビレート婚。
普通なら受け入れることはできないが、悲劇に見舞われた時は受け入れられるだけでなく、最も聖なる行動になる。
セックスと性欲についての聖書の掟は、互いに矛盾していることが多い。
セックスがよい時もあれば、タブーの時もある。
聖書はどういう立場をとっているのか。
聖書に書かれている戒めの言葉を読むと、セックスに対してとても神経質な見方をする箇所がある。
そのせいかセックスは不道徳で下品などと思われている。
でも神からの贈り物として祝福する文書もある。
そういった言葉から、セックスに対して健全かつ分別を持つという教えを見出していくべきなのだ。
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ORDER & DISORDER エネルギーと情報とは何か
今の地球を作るために、人間は何をしただろう?
夜景を見ればエネルギーを巧みに操作し、うまく利用してきたことが一目瞭然。
エネルギーは不可欠、構造物の建設にも、身を守るためにも、輸送や家庭の照明にも使われる。
食料から得るエネルギーがないと、生命すら維持できない。
しかしエネルギーとは?なぜ役立つのだろうか?


科学者たちは一連の原理を導き出した。
エンジンや人間、星などすべてが関係する原理だ。
その結果、日常生活に不可欠な上、宇宙を理解するカギだと分かる。
これは森羅万象の仕組みをどのように発見したかの物語、またエネルギーは崩壊する運命にあることを知る物語でもある。
エネルギーは無秩序になるのだ。
さらに今の環境の創造に宇宙がどう関わったか、その過程を明らかにする。


周囲からエネルギーを抽出する多くの方法を私たちは考えてきた。
例えば果物をもぎ、木を燃やし、風で船を動かしてきた。
しかし約3000年前、大変革が起きる。
大量のエネルギーを作り出す機械が発明され、仕事の能率が上がった。


多くの人々の努力の成果だが、科学史上特に重要な人物、エネルギーの理解に挑んだ人物は・・・
GOTTFRIED LEIBNIZ(1646~1716)
外交官で科学者で哲学者だったライプニッツは、宇宙の仕組みの解明に生涯挑んだ人物。
当時の科学者はこう考えた。
❝私たちを囲む世界は巨大な機械装置であり、神によって創られた。❞
そして機械の仕組みの理解に努める。
それが分かれば宇宙の仕組みや原理も理解できるはずだと考えた。

つまりライプニッツにとって神学や哲学は工学や力学に近いものだった。
哲学と工学が近いと考えた彼は1676年にある研究を始める。
研究課題は一見簡単そうだった。

物体が衝突するとどうなるか・・・例えば球を衝突させると静止していた球が動く。
何かが移ったようだ。
ライプニッツはこれを活力と呼んだ。
衝突時に球の間で何かが交換されたと考えた。
ライプニッツは世界は機械だと考えた。
中には神が創造時に詰めた多くの活力が入っていて、その量は永遠に変わらないというのだ。
つまり世界の活力は一定量に保たれる。

では活力とは何か。
ライプニッツは数学的手法を使って活力を説明した。
さらに別の観点でも見る。
彼が考える活力は、火薬や炎、蒸気からも激しく放出されているというのだ。
活力を利用できれば、人類は莫大な力を得られる。
ライプニッツは活力の抽出法を考え始めた。

彼は若いフランス人科学者のドニ・パパンと文通していた。
2人はやり取りするうちに
❝活力はある状況下で利用できる❞と気づく。
❝熱を活量に変換できるかもしれない❞
実証できるだろうか?パパンは自信満々だった。
彼らの手紙からの抜粋「理論上この発明により人間の力は無限に増大する。
発明の意義はどんどん見つかるはずだ。
誇張なしに言って、実質的に100人分の仕事が1人でできるだろう。」
ライプニッツとパパンが世界を変えたかに思えるが、違った。
見事で壮大な着想だったが、仮説にとどまる。
理論を発展させるには、さらなる改良や無数の熟練職人がに必要だった。
新しい方法で実験することが必要だった。
それは彼らの後の世紀に目覚ましい方法で実現された。

2人のアイディアが生れた150年後に、活量は見事な方法で実用化される。
彼らの夢見た機械が作られたのだ。
19世紀における最先端技術、蒸気機関だ。
蒸気の技術は社会を変えただけではない。
活力という概念の真理を解明して、万物の働きへの新たな見識も生んだ。
ロンドンの下水処理場、産業を支えた荘厳な建物であり、ビクトリア朝の蒸気機関も残っている。
1854年4つの巨大な蒸気機関が作られた。
年間で5000トンの石炭を消費した機械で、47トンのビームを動かす。
建物内のすべてが見る者を圧倒する。

豪華な鉄の装飾に、古代ローマの神殿にあるような柱、まるで豪華客船の内部かと錯覚するような装飾だ。
しかしここは下水処理場だった。
この内装を見たのはわずかにいた労働者のみ。
それでも蒸気機関はイギリスの国力と繁栄の象徴であり、宗教的な敬意すら払われていた。
蒸気機関の発明による恩恵は計り知れない。

しかしその仕組みについては不明な点と謎が多くあった。
どの程度効率的なのか、限界はあるのか。
究極の問いは、蒸気で他に何ができるのか、だった。
疑問が生じた理由は簡単。
蒸気機関の特性やそれを支える宇宙の原理をほとんど誰も知らなかったからだ。
意外だろうが、蒸気機関は宇宙の秘密を隠し持っている。

パリ郊外のヴァンセンヌ城、ここで起きた出来事を機に1人の若者が大志を抱く。
そして蒸気機関の謎に迫り科学の新分野を築いた。
後の熱力学だ。
NICOLAS LEONARD SADI CARNOT(1796~1832)
いたるところで戦いが行われていたナポレオン戦争中の1814年、ロシアなどの連合軍からパリは度々攻撃を受ける。
市民は分散して重要な地区を守った。
この城は戦闘経験の浅い学生が守っていたが、砲兵射撃を受け撤退を強いられる。
その中に優秀な科学者がいた。
ニコラ・レオナール・サディ・カルノーだ。
彼はこの戦いで受けた屈辱感が原動力となり、蒸気機関の詳しい仕組みを解明し始める。
軍人家庭の出身だった彼はフランスが各地で連敗すると国の誇りを取り戻す決意をする。
カルノーの不満は敵国が高い技術を持っていることだった。
特にイギリスは蒸気機関の技術があるため軍事的にも経済的にもけた外れに優位だった。
そこでカルノーは蒸気機関の仕組みを理解し母国に貢献しようと誓う。
弟と質素に暮らしていたカルノーは1824年、画期的な論文を発表する。
「火の原動力に関する省察」
60ページながら熱機関の根本的な仕組みを発展させてまとめた。
彼は熱機関には高温部と低温部が必要だと考える。
そして❝熱は水のように高温から低温へ流れる❞創設を立てた。
しかも高所からの流れる水のように、流れる熱が利用できると説く。
彼の説ではどんな熱機関も効率化が可能だった。
高温部と低温部の温度差を単に拡大すればよいのだ。
この原理は後の200年間応用される。

車のエンジンは蒸気機関より高温になるため効率的。
より高温のジェットエンジンは抜群の効率。
カルノーが示したのは熱機関が精巧なだけでなく、自然の特性も生かしていること。
高温から低温に流れるエネルギーを使っていたのだ。
カルノーは熱機関の特性に気づき、科学の新分野を開拓した。
しかし自説への反響はみないままだった。
1832年パリではコレラが大流行し、死者が19000人にも達した。
病気が流行する仕組みは当時未解明のままだった。
カルノーは危険を顧みずそれを究明しようと決意する。
しかし自信がコレラにかかり亡くなった。
36歳の若さだった。
貴重な研究の資料は伝染を防ぐために燃やされ、彼の研究は灰と化してしまう。
世界は彼より遅れていたようだ。
カルノーは熱力学に対し最初の貢献を果たした。
時がたつにつれ熱や運動、そしてエネルギーの研究に拍車がかかる。
彼の説は深い心理につながると、まもなく認識された。
ライプニッツの❝活力❞と同じように、広範囲にわたり応用ができたのだ。
19世紀の中頃までに各種のエネルギーの比較を科学者たちは行っていた。
異なるエネルギーを作るのに必要なエネルギー量を計測したのだ。

30ミリリットルの水を摂氏1度分だけ上昇させるとする。
それには12.5kgのおもりを1m上げるのと同じエネルギーが必要。
ここが重要な点、機械的な作用と熱は全く異なるように見えて、どちらのエネルギーの1津の側面なのだ。
この理論は後に❝熱力学第1法則❞と呼ばれる。
❝エネルギーは作られたり破壊されたりせず、単に変換される❞という法則だ。
これにより19世紀の科学者は全宇宙の総エネルギーは不変だと悟った。
なんと一定量のエネルギーが単に形を変えていたのだ。
蒸気機関のエネルギーも作られるのでなく、熱から機械的作用に変換されただけ。

第1法則からは多くの疑問も生まれた。
例えば❝変換される時何が起きているのか?❞
そもそも変換される理由は?
ルドルフ・クラウジウスが答えの一部を見つけた。
それを基礎に生まれたのが❝熱力学の第2法則❞。
RUDOLF CLAUSIUS(1822~1888)
物理学を学ぶ優秀な学生だった。
ベルリンで学業を修め、非常に若くして有能な教授になった。
後にスイスのチューリッヒでも新設工科大学で教鞭を執る。
そして1850~60年頃、熱力学に関して初めて理路整然として完成された数学的分析を発表した。
宇宙の総エネルギーは一定であるだけでなく、厳密な法則に基づくとの主張だった。、
すなわちエネルギーは常に一定方向に移動するというのだ。
これは科学で最も大切な理論の1つといえる。
つまり熱は低温の物体から高温の物体へは移らない。
熱い紅茶のカップは必ず冷める。
カップの熱が手に移り、さらに手から胸へと移っていくということ。

当り前に思えるが、当時は重大な新設だった。
熱の流れは一方通行であり、元来宇宙に組み込まれた法則だとの主張だ。
当然物体は温まるが、必ず働きかけねば温まらない。
放っておくと凝縮しているエネルギーが常に拡散してゆくようだ。
生化学者のセント・ジェルジがこう言っている。
❝科学とは誰もが目にする事柄を見て全く新しい思考を行うことだ❞
クラウジウスはまさに、ごく普通の世界に暮らし誰もが見るものを観ていた。
確かに熱は冷たい物から温かい物へと移らず、必ず逆の動いをする。
クラウジウスはそれを当然と思わず熟考したのだ。
彼はエネルギー変換に関するあらゆる理論をまとめ、数学的なこんな式を導き出した。
ds/dt≧0
新たな量、エントロピーを提案したのだ。
式ではsで表している。
この式は何を示すのか?
熱が温かい物から冷たい物へ移ると、エントロピーが必ず増えること。
エントロピーは熱の拡散を測る尺度と言える。
物が冷えるとエントロピーは増大、物質もエネルギーも変わらない環境なら、逆の過程は起こらない。
数学が得意だったクラウジウスは、この不可逆過程が宇宙でも起きていると考えた。
そして宇宙のエントロピーは極大に向けて増大するはずで、それは不可避だと推察する。
❝熱力学の第2法則❞として後に知られる理論だ。
これは彼の理論御中で最も美しく普遍的なものとなった。
熱を放出するすべての物質が何かの形で結合していることも、熱を放出するすべての物質が何かの形で結合していることも、熱力学の第2法則は示した。
熱を出す物質は、そこら中にある不可逆過程の1つなのだ。
つまり拡散の過程であり、エントロピー増大の過程とも言える。
宇宙は紅茶のカップとどうやら同じ運命のようだ。

熱力学が確立する一方で、19世紀半ばには論争と混乱が巻き起こる。
エントロピーの定義と増大する理由に関する論争だ。
答えを得るには思考の飛躍が必要だった。
しかし答えが出るとエネルギーの真理や万物の秩序と無秩序に関する真理がわかった。
エントロピーの概念と格闘した科学者の中でも特に重要な人物がいる。
彼はエントロピーを定義し増大の理由を説明した。
LUDWIG BOLTZMANN(1844~1906)
ボルツマンは1844年生まれ、確実性が重んじられる時代だった。
しかし彼は定説に注意を払わない。
彼にとって物理学は自由に探求できる世界だった。
ボルツマンは型破りな科学者で、偉大な芸術家のような感受性があった。
極めて論理的で鋭く分析する一方、情熱的に研究に打ち込む。
しかし落ち込む時期もあり思考すらできなくなった。

音楽にも情熱的だったボルツマン、特に愛したのは壮大なワーグナーのオペラやベートーヴェンの音楽だった。
ピアノの名手でもあった彼は数学理論と同じように、好きな曲の演奏に何時間も没頭する。
ボルツマンは情熱も才能もある上、数学が自然の神秘を解明できると信じていた。
だから論争を招く衝撃的な新理論を打ち立てられたのだろう。
裸眼では到底見えない小さな世界を彼の新理論は解き明かした。
19世紀後半、一部の科学者がある思索を始める。
極小の世界では万物の働きが日常の世界と全く違うというのだ。
注意深く見ると、万物を構成するのは、絶えず動き回る小さな固い粒子のようだった。
そして原子レベルで考えると熱の謎も解けてきた。
ボルツマンらは熱い物体を原子が激しく動く状態だと考えた。
原子の概念で多くの謎が解けそうだった。
しかしこの説には解決しがたい問題があった。
たとえ少量のガスの中でも原子は膨大な数に上がる。
説明する数式など作りようがない。
何より原子は互いにぶつかり、絶え間なく方向や速度を変える。
証明は不可能に思えた。
しかしボルツマンは成功させた。
彼は気づいていた。
物理学でこの新たな概念を説明するには確実性は追及できない。
すなわち個々の原始の動きは計測しなかった。
代わりにボルツマンは確率論を使うことで、原子の動く速度や方向を説明できると考えた。
そして物体の内部に思いをはせる。
非日常の世界を想像し説明する数式を見つけ出したのだ。
彼が導いた理論は後年エネルギーの謎を解くカギとなった。
しかし当初は猛烈な反発に遭う。

非常に驚くことに、当時多くの科学者たちが、原子の概念に激しく反発した。
物質が極小の粒子、原子からなっていることは、現在では常識。
しかし当時は著名な科学者が受け入れなかった。
誰も原子を見たことがなかったからだ。
信じるのは無理な話。
ウィーンで彼が講演を終えた直後、偉大な物理学者マッハが一言述べた。
❝原子の存在を信じない❞
痛烈で壮大な批判だった。
マッハのような高名な学者からの批判は心を傷つけただろう。
論敵の主張はこうだ。
❝分子や原子は便利な虚構だ。
計算のための道具で存在はしない。
見えないのだから。
ボルツマンは夢想家だ❞
しかしボルツマンこそが誰より心理を見つめていた。
宇宙は原子の存在で説明でき、確率論で理解できると考えた。
19世紀の科学は原子論により根底から覆されたのだ。
原子の世界を見つめるボルツマン、やがて自分の新設によって科学界最大の謎の1つが説明できると気づく。
❝なぜ熱力学第2法則は正しく、自然は不可逆なのか?❞
それも証明できると考えた。
エントロピーの定義や増え続ける理由を原子で説明できるはずだと。
あらゆる物体はごく小さな物質でできているとボルツマンは理解する。
我々が見るすべての物は無数の原子や分子の集まりだったのだ。
それがエントロピーや熱力学の第2法則のカギだった。
熱い物体はなぜ冷えるのか?
その真の理由がボルツマンにはわかった。

一例が熱い金属の塊。
内部の原子は接合している。
しかし物体の表面では机の表面の原子にエネルギーが移る。
移った原子はさらに隣に衝突。
熱エネルギーは自然にゆっくりと拡散してゆく。
物体の全エネルギーは最初は凝集し、秩序立った状態。
それが徐々に無秩序となり、エネルギーが多くの原子に拡散する。
ボルツマンはこの過程を数学的に表した。

↑が彼の方程式、末永く科学に役立つだろう。
彼の墓石にも彫られている。
物質は整然とした状態より無秩序な時の方がずっと多い。
それがこの式の示す本質。
だから万物は放っておくとどんどん散らかる。
物質は秩序だった状態から無秩序へ変化するのだ。
全てに当てはまる法則だ。
落とした水差しから燃え盛る星まで。
そして1杯の紅茶から消耗品の数々まで。
秩序から無秩序へ移行する万物の傾向をゴミとなった消耗品は表している。
無秩序状態は万物の運命なのだ。
クラウジウスはエントロピーなるものが常に増大すると語った。
ボルツマンはその意味を明かす。
エントロピーとは物質の無秩序の尺度だった。
エネルギーは一見したところ消滅する。
第2法則はエントロピーの増大のことで、平たく言えばでたらめさが増すこと。

ボルツマンの情熱と繊細さ、それに数学への信頼が科学史屈指の発見につながる。
しかし彼の激しい正確には暗く自滅的な面もあった。
ボルツマンは深刻な鬱に何度も陥る。
時として彼の理論への批判が引き金になった。
1906年ボルツマンは鬱がひどくなり休暇をとる。
1906年9月にはイタリアのドゥイノを家族と共に訪れた。
そして家族が海岸へ出かけたすきに首をつり、生涯を唐突に終わらせた。

悲しいことに生前批判され、冷笑され続けた彼の理論は、その死から数年のうちに受け入れられた。
しかも科学の新たな常識となる。
エントロピーから逃れるすべはなく、全ては最終的に秩序から崩壊と無秩序へと移るのだ。
ボルツマンの式は万物の❝死❞も網羅する。
水差しから人間の命、そして宇宙まで・・・
変化と劣化の過程は避けられない。
熱力学の第2法則は示す。
宇宙もいつかエントロピーと無秩序が最大になる。
そして宇宙自身も死を迎える。

もし万物が崩壊し無秩序になるのなら、私たちはなぜ存在するのだろう。
宇宙はどのように生命という美しく複雑な構造を作ったのだろうか。
実のところ万物の存在も熱力学の第2法則に基づく。
宇宙の偉大なる無秩序が複雑さを生んだ。
秩序から無秩序への自然の流れが力となり、新たな秩序と構造物が生れる可能性が出てくる。
例えば初期の蒸気機関は理論はさておき利用され、それが世界を変えた。
車も建物も美術品もそして人生も一変した。
車のエンジンは熱力学の第2法則を利用する。
ガソリンはエネルギーの塊で整然とした物質。
ところがエンジンを点火すると体積が2000倍のガスに変わる。
そして熱と音を周囲にまき散らしながら無秩序へと変わる。
拡散するエネルギーを利用できる点が車の賢さ。
ガソリンを吸い出し例えばピストンを駆動するために使う。
つまりエンジンは秩序から無秩序に変わる流れを利用している。
実は同様の原理に基づいて生物の体も進化してきた。
エネルギーが整然と詰まった食品を食べるとする。
私の体は消化によりそのエネルギーを崩し、生きる力にする。

秩序から無秩序へと変わる宇宙の流れを車も人間も動力源としている。
蒸気機関も発電所も地球上の生命も全てが秩序から無秩序への宇宙の流れを利用している。
崩れゆく宇宙のエネルギーを利用する方法を私たちは習得した。
だから地球は今のような姿になったのだ。
一方で人類は進化のため常に新エネルギーが必要だった。
さらなる技術や街や社会を構築するため崩壊させる凝集エネルギーだ。
食料から樹木や化石燃料まで人類は繁栄のために崩壊させるエネルギーを発見してきた。
21世紀の今我々は、究極の凝集エネルギーを利用しようとしている。
太陽を構成する物質、水素だ。
オックスフォードの核融合研究カラムセンターでは、地球王で星を作る試みが進んでいる。
しかし星を生み出すのは容易なことではない。
精巧なテクノロジーと何百人もの知恵が必要。
このトカマクという装置は、凝集エネルギーを抽出するために作られた。

水素原子の秩序あるエネルギーだ。
水素エネルギーは宇宙の初期にできた。
誕生直後だったと言われている。
トカマクを使って水素を融合することで、エネルギーが取り出せる。
トカマクの中には2種類の水素原子、重水素とトリチウムがプラズマ状態で入っている。
このプラズマが達する温度はなんと1億5000万度。
トカマクにある巨大な磁場がプラズマを閉じ込める。
ここで十分高温になると水素原子同士が融合し、ヘリウムと中性子が発生。
中性子はプラズマから飛び出す。
この中性子が持つエネルギーを使って水を熱して蒸気にし発電機を動かす。
この過程で一瞬だけトカマク内部にドーナツ型の小さな星が作られる。
問題はエネルギーを使えるほど融合を長く保つのが至難の業であること。
科学者の奮闘が続いている。
「物理学と工学の中間。
いかにプラズマという高温の状態を維持し、かつ最大限に利用できるかを考えるのだ。
それには衝突の機会が最大になるよう原子を極力長くとどめたい。
限界まで数値を伸ばすためトカマクで挑戦している。
現在の研究が危機の改良にも役立つと思う。」

トカマクは肥沃なビッグバンの灰の中から最初に凝集されたエネルギーを取り出す。
水素は宇宙で最も豊富な物質。
将来核融合反応を長く維持できれば、無限のエネルギーが得られるかもしれない。
蒸気機関に対する疑問から誕生した熱力学は、私たちの生活に多大な影響を与えた。
生きるために凝集エネルギーを使わねばならない理由や宇宙の終焉についても明らかにしている。
夜景を見れば何が現在の地球を形作ったか理解できるだろう。
過去300年にわたり、エネルギーを活用する方法を我々は編み出してきた。
しかしその努力や成果も広い宇宙から見れば些細なものに過ぎない。
私たち人間は崩れゆく宇宙のごく小さな秩序を保とうとしているのだ。
運命からは逃れられない。
しかし物理学の法則はつかの間の美しい時間を人間に与えてくれた。
宇宙をさらに深く理解することで、この時間を何百万年、何十億年と延ばしたいものだ。
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聖書の掟で知るキリスト教の世界
古代世界の真の姿、その答えは聖書に記された数多くの掟に隠されている。
掟は衝撃的で謎めいている。
その掟を紐解き、古代世界の失われた真実を明らかにしよう。
モーセの十戒はよく知られているが、聖書には2000近い掟や戒律がある。
そのすべてが古代世界を理解するための扉である。
古代の人々の衣服から神に誓った呪いの言葉まで古の人々がどのように生き、死んでいったのかを綴った書物、それが聖書。
家庭生活や人付き合い、社会秩序のあり方や支配者のこと、部族の役割など、こういったことすべてが古代の文化や社会を統制していた掟に反映されている。

紀元前2000年エルサレムの町からほど近いヒノムの谷、空を切り裂くような甲高い声が今もなお旧約聖書のレビ記に残っている。
DO NOT GIVE ANY OF YOUR CHILDREN TO BE SACRIFICED TO MOLOCH(LEVITICUS 18:21)
「自分の子を1人たりともモレク神に捧げてはならない」
モレクという恐ろしい神、この子供を生贄として求める神とは一体何者なのだろうか。
モレク神とは冥界の神、この異教の神は紀元前2000年頃、中東である宗派に崇拝されていた。
我が子をモレク神にささげることは生死にかかわる問題とその宗派は信じていた。
子供の生贄が本当に行われていたことを示す物的証拠が見つかっている。
その場所は現在のチュニジアにあった古代都市カルタゴ。
新生児から2歳ごろまでの子供たちの骨を詰めた骨壺が無数に発見された。
これで要求の多い神へ実際に子供を捧げていたことが、より確実となった。
我が子を生贄にすることなど、悪魔がなすことのようだが、その背景には古代世界のある事情が隠されていた。
おぞましい習わしや土地の神々だけでない、当時の人々の寿命も大きな原因となっていた。
治療できない病気(コレラ 腸チフス 天然痘など)で瞬く間に命が奪われた。
人の寿命は短い、そこで家族の誰かを神に捧げれば、自分だけでなく家族も早死にを免れると信じていたのだ。
神に気に入ってもらうために生贄をささげえる、それは古代世界全体で行われていた。
例えば1000年前、メキシコに暮らしていたアステカ族、実際儀式で甘いものを使った最古の記録はこのことに関係している。
アステカ族はピラミッドの天辺で若いおことを生贄にした。
男が怖がったりするとチョコレートの飲み物を与えた。
それには血が混じっていたが、その地は前に生贄になった人のものだった。

紀元前2000年ごろ、古代イスラエル人は生贄を邪悪だとしていたが、常にそうとは限らなかった。
「出エジプト記22章」で神は最初に生まれた息子を私に捧げねばならない、と命じている。
DO NOT GIVE ANY OF YOUR CHILDREN TO BE SACRIFICED TO MOLOCH [LEVITICUS 18:21]
(自分の子を1人たりともモレク神に捧げてはならない)
これは旧約聖書で子供の生贄の存在を示す箇所の1つ。
しかし聖書にはもっとも衝撃的と言うべき逸話がある。
それは子供の生贄がどう思われていたかを知る決定的な手がかりとみられる。
登場するのは父親と息子、いわゆるアブラハムとイサク。
イサクがある年齢に達した直後、アブラハムは神から息子を生贄に捧げよと命じられた。
そこで山へ登り祭壇を造る。
神はこういったとされている。
「息子を焼いて捧げものにしなさい。
そして刃物を持って行き、それで息子を殺しなさい。」
アブラハムはひどく悩んだはず。
アブラハムはイサクの胸を刺そうとして刃物を振りかざした。
その時天使が現れて「やめなさい」と言い、そばに茂みに角をとられた牡羊がいた。
アブラハムは神がイサクの代わりに動物の生贄を与えたと理解した。
神が与えた試練に応えるなら、親はほとんどのことをやり遂げてしまうだろう。
アブラハムは生贄にすることを神に止められたが、この瞬間古代世界が転換点を迎えたといえよう。
神が止めたことで、神とアブラハム、その子孫の間に子供を生贄にしない新たな取り決めができたのだ。
こうして子供の生贄は減っていたが、古代イスラエル人は時折行っていた。
戦いに勝つためだった。
古代イスラエル人がモアブの王のもとへ攻め入った時、王が息子を神に生贄にしたところ、戦いに勝った。
子供を捧げるなという掟こそ反撃の手段で、子供の生贄という攻撃を封じるためのものだったのだろうか。
もしそうだったら効果的だっただろう。
しかし今もなお続けられている地域がある。
例えばアフリカのある地域では宗教儀式として子供を生贄にしている。
子供の血を守り神とみなした古と同じ考え方なのか。
モレク神はその謎を解く1つの手掛かりに過ぎない。

一方こうした掟を調べると古代世界の姿が見えてくる。
子育てがその例といえる。
WHOEVER CURSES FATHER OR MOTHER SHALL BE PUT TO DEATH [EXODUS 21:17]
(父あるいは母を呪う者は死刑に処せられる 出エジプト記21章17節)
現代はどうか、最近の研究では親を罵る子供が10年前より増えるだけでなく、低年齢化して、3歳ごろから親に悪態をつく子もいるという。
古代世界では悪態をつくと死刑になったのだろうか。
掟の中の「呪う」という強い言葉は何を意味するのか。
呪いの中には恐ろしい暗黒の魔力のための呪文もあるという。
「夜の神々と共に呼び出す。夜を、ベールを被った花嫁を」
聖書の掟には今を生きる私たちの暮らしに新たな光をあてるものもあるという。


呪いという言葉は、3000年前は今よりはるかに強い意味を持っていたのだろうか。
呪いという言葉は社会のあらゆる階層で使われた。
国際政治でも呪いを使ったので、国同士の協定は神によって保障された。
もし協定を破ったら、神から残虐な罰を受けると言って脅したのだ。
この掟の呪いは罵ることだけでなく、悪魔を呼び寄せることも含まれる。
ほんとうにそうしたのだろうか。

その答えは、中東から地中海沿岸に点在する神殿や墓に見られる。
実際に使われた呪文が粘土板に刻まれているのだ。
そこには呪いだけでなく手順も記されている。
効き目を高めるには決まった手順に従う必要があった。
呪いは聖なる場所で行われていたようだ。
神に近づくほど神によって理解され、願いを聞いてもらえるからだ。
呪うときは呪文を唱えるだけの場合もあれば、呪いの対象代わりの人形や痛めつけたい部分を模ったものを用意することもあった。
相手を痛めつけたいときはこんな具合だった。
「女と寝るとき、ペニスを傷むのだ。」

もし呪いを確実にかけたい時などは深い皿などを割った。
呪いたい人の名前を深い皿に書き、声に出して読む。そして粉々にする。
古代人は呪いをかける側には魔力がなかったので、自分より高い存在に頼べば、実行してもらえると信じていた。
神や悪魔にはとてつもなく大きな力があり、その力は他者を痛めつけるためにも使われた。
誰かを呪いたいときにはその力が相手に降りかかるように祈った。
古代人は地獄が実在すると信じていた。
そのため呪えば相手を傷つけることができると考えていた。

親を呪う子供は死ぬという聖書の掟は、ある時代では意味を持ち始める。
古代人は呪いを信じていたので、その手順も整っていた。
親を呪う子供は親に殺意も抱いていた。
だから子供をおとなしくさせる必要があった。
聖書の中の命令や呪いの多くは生き延びることが前提。
古代世界は家父長制の世界で権力ある男性のもとにいるのが安全とされた。
権力ある男性が戦っている時、その男性は自分が守っている者たちが忠誠心を持っているか知る必要があった。

古代世界では言葉には絶大な力があった。
それが呪いや呪文。
ある出来事の結果を変えようとして魔力を使う者もいたが、聖書では掟を述べている。
A MAN OR A WOMAN WHO IS A MEDIUM OR A WIZARD SHALL BE PUT TO DEATH
(男であれ女であれ 口寄せや霊媒は死刑に処せられる[レビ記20章27節])
レビ記の魔術師の魔力は思いもかけないある目的に役立った。
当時は天気図がなく、地震も地面が揺れる仕組みが分かっていない。
なので魔術師は人々を意のままにできた。
身体についても支配できた。
怪我や病気をしたとき、自分が何も悪くなければ誰かのせいだと考えた。
そこで魔術師に責任をとらせた。

魔術を信じることは古代世界に広まっていたが、それを禁じる掟が古代文書に見られる。
古代メソポタミア 紀元前1772年 ハンムラビ法典にはこう記されている。
「もし魔術師が責任を問われ、証明できない場合、問われた魔術師は川で水攻めに処される。
もし助かれば訴えたものは殺される。
魔術師が川で死ねば有罪。」
古代において魔力は存在することが当たり前とされた。
メソポタミアの祭祀は魔力を持つと思われていたが、ヘブライ人の預言者も神の名において奇跡を起こしていた。
もし本当なら、なぜ聖書は魔術師に特に厳しい判断を下しているのだろうか。
正しい手順を経ていないことが問題だった。

もし神が人々と話を望むなら、神は伝言を預言者に託すはず。
現代は魔術を法で取り締まるのが難しく、アメリカ政府は一部を認めている。
1996年国防総省は現代の魔女信仰ウィッカを兵士も信仰できる宗教として承認。
現在軍に5つの実践グループがある。
2007年にはウィッカの五芒星を軍人の墓石に刻むことを許可した。
その一方で魔女への恐れは今も続いている。
ある人々が私たちには理解できない力を持つと思うと、不安を抱く。
部族社会の人々は今も魔女を恐れている。

ONE WHO BLASPHEMES THE NAME OF THE LOAD SHALL BE PUT TO DEATH THE WHOLE CONGREGATION SHALL STONE THE BLASPHEMER [LEVITICUS 24:16]
(主の御名を呪う者は死刑に処せられる 共同体全体が石で打ち殺す)
石打の刑は古代イスラエルでよく使われた死刑の方法。
それは村をあげての行事で村中の人々が集まり男も女も罪人が死ぬまで石を投げた。
なぜ村全体が参加したのだろうか。
石打は忠誠心を試すものだという説がある。
近所の罪人に石を投げることを拒否したら、敵から村を守れなくなるのだ。
どんな状況でも団結が求められたため、処刑には全員が参加した。
絞首刑や斬首刑もあったが、石打の刑は部族にとって特別な意味があった。
石を拾い上げることは同意を意味し、みんな投げた。

石打の刑を受けたのは男性だけではない。
多くの場合女性は首まで埋められた。
そしてその女性が死ぬまで人々は石を投げた。
石打の刑は今では投石刑ともいわれ、15か国で許可されている。
しかし頻繁に行っているのはイランとパキスタン、ソマリアの3か国だけ。
石で打ち殺すという掟は地域社会を守ることと言える。
この掟が実践された背景には何があったのだろう。
古代世界では誰もが崖っぷちに立った状態だった。
つまり生きるか死ぬか。
現代の私たちは快適で安全な暮らしをしている。
それに対していつも命の危険にさらされていた古代世界がどんな場所だったか、想像できる。

3000年前、聖書の掟は衣服でさえ神を冒涜することがあると述べている。
NOR SHALL YOU PUT ON A GARMENT MADE OF TWO DIFFERENT MATERIALS [LEVITICUS 19:19]
(二種の糸で織った衣服を身に着けてはならない)
古い格言でも、衣服はその人を表すというが、聖書もそれを知っている。
つまり植物から作り出される生地と、動物から作り出される生地とを混ぜてはならないということ。
混合は不純を暗示するので物事を混ぜてはいけない。
また混合は不浄で不適切な結合を意味する。

紀元前450年頃、部族を守ることが重要だった古代の中東では、敵か味方かを見分ける必要があった。
使われたのは旗のような意味を持つ布。
衣服でも食べ物でも、つい不純物がないものが欲しいと思うもの、同じく忠誠心にかける人を仲間にしておきたくない。
例えばある男性が他の部族の女性と結婚した後、女性の部族が襲ってきたとする。
その時男性の部族は女性がそれまでの部族ではなく、自分たちの味方であってほしいと願う。
現代では衣類の掟に従うことは無理だろう。
生地の多くは、実用的な合成繊維だ。

YOU SHALL NOT REVILE THE GOD OR CURSE A LEADER OF YOUR PEOPLE.[EXODUS22:28]
(神をののしってはならない 民の代表者を呪ってはならない)
もし現代の政治が過激だと思うなら、指導者を呪うことが許されなかった古代世界を調べるとよいだろう。
古代、民の代表者は検閲を厳しく行っていたが、それは神のようにふるまっていたためもある。
現代社会では、宗教と政治は明確に分けられている。
しかし古代世界、イスラエルでは明確な線引きはなかった。

民の代表者を呪うことは、敬い従うべき親や神を呪うことでもあった。
イスラエルの民が砂漠の中をモーセに導かれていこうとしていた時、長老や統率者、指導者たちに民が彼らに従うよう権限が与えられた。
現在民需主義国家には言論の自由があり、指導者を呪っても逮捕されない。
その件は、聖書の解釈と共に発展してきた。
神は不可侵の権利を与えられると言われ、その権利には生きること、自由、幸福の追求が含まれている。
そこには政治的な指導者に反論する自由はもちろん、神を冒涜する自由も含まれている。

古代世界では、王は民の上にあり、王の上に神がいるということははっきりしていた。
なぜ民の代表者を呪ってはならなかったのか。
代表者が神に立ち向かうとどうなったのか・・・
紀元前2000年頃、場所はペルシャ湾北部からイランに位置していたアッカド王国、史上初と言われるこの王国には、無数の呪いがかけられたという。
そして栄華を極めていたにも関わらず、王国は滅んでしまった。
アッカド王国の滅亡からおよそ100年後、滅亡について書かれた詩を考古学者が発見した。
原因は何だったのか。
神々はアッカドの町を呪った。
なぜなら王が神の意志に反して神殿を建てたから。
王が古い神殿を取り壊すと、神々は嘆き、アッカドを呪った。
すると権力が近くの都市に移った。

考古学者たちによると、呪いの言葉とは歴史的事実を示し、大惨事は実際に起きたのだという。
紀元前3000年頃に干ばつが起きたという考古学的証拠がある。
アッカド王国の場合、王が神に背いたため王国は滅亡した。
しかし神に従い王の権力を奪うとしたらどうなるのだろうか。
ダビデ王はイスラエルの王の中で最高とされている。
しかし聖書の研究者のほとんどがダビデ王の話はかなり美化されていると考える。
実際の彼は意地の悪い人物だったと言われている。
ダビデ王は実在の人物とされ、紀元前およそ1010年から、紀元前970年頃までイスラエルを支配したと言われる。
キリスト教徒にはイエス・キリストの直径の先祖だと信じられている。
ダビデに政治的才能があったのは確かだろう。

彼はサウル娘との結婚を望んだ。
国王の娘だったからであり、深い愛があったわけではない。
しかし平凡な青年であるダビデがどうやって王女と結婚するというのか。
どんなことをしても、ダビデは結婚を望んだ。
時の王サウルはダビデの野心を感じ取り、難題を吹っ掛ける。
普通の男なら、とてもできないことだ。
ペリシテ人100人分の放屁をもってこいと命じた。
事の始まりはさらにさかのぼること数百年前のエジプトの慣習にあった。
エジプト兵は敵を殺した証拠としてペニスを切り取り、それで金銭的報酬を受けていた。
イスラエル人はエジプト人から割礼の慣習を取り入れた。
つまりイスラエル兵は割礼を受けていたが、ペリシテ人は違っていた。
サウルの要求は残虐な行為を必要とした。

古代世界では権力を握るために殺人と暴力が行われていた。
サウルの命令の狙いは100人分の放屁を集める過程でダビデが死ぬことだった。
しかしダビデは200人分を持ち帰り、それが花嫁の家への持参金となった。
2倍の放屁を持ち帰ったダビデは、王に絶対服従を命じる聖書の掟に、倍で返すことで答えた。
そして力は正義なりと言わんばかりに王への道をひた走る。
民の代表者を呪うなという聖書の掟は、指導者にたてつくなと正式に述べている。
指導者は初めからこの掟を見ているのかもしれない。
聖書の掟は現代の趣味にも言及している。
入れ墨である。
YOU SHALL NOT MAKE ANY CUTS IN YOUR BODY FOR THE DEAD,NOR MAKE ANY TATOO MARKS NO YOUR ELVES.[LEVITICS 19:28]
(死者を悼んで身を傷つけたり入れ墨をしてはならない)
入れ墨は異教の進行に関わるため禁止された。
その答えはカナン人、古代イスラエルの隣人で、宗教的な習わしで体に傷をつけていた。
カナン人の神バールの預言者たちは、神の気を引こうとして、体中が赤く染まるまで剣で切りつけたと言われている。
古代エジプトから、ギリシャ、ペルシャまで、入れ墨には様々な意味があった。
通過儀礼、勲章、セックスアピールなどだ。
しかし古代イスラエル人は例外のようだ。
他の民族と違って体を傷つけることを拒んだ。
身体は神の神殿、精霊の神殿、なので体を傷つけたり軽んじたりすること、痛みや苦しみを与えたりすることをしてはならない。
聖書には本質をねじ曲げる言葉を禁じるという掟も見られる。
これはどういう意味だろう。

PUT AWAY YOUR CROOKED SPEECH,AND PUT DEVIOUS TALK FAR FROM YOU.[LEVITICUS 25:17]
(曲がった言葉を口から退け、ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ)
嘘にはいろんな段階がある。
何とかうまい言葉を探しながら取り繕う、自分の本当の気持ちを隠す、相手のことを騙す・・・
これは聖書全体の深いテーマ。
生れてはじめて物を考え、話した時はどうか。
子供は言葉を覚えると同時に真実を変える方法も身に着ける。
人間が言葉で行う基本的なことの1つが嘘をつくこと。
現代は言葉が意味をなさない社会、誰かが言葉を口にしても、そんなつもりじゃなかったということがある。
しかし古代世界では、自分が口にした言葉に忠実だった。
現代ではネット上に何でも書きたいことを書きこめる。
古代、なぜ人々は約束を守らなかった時のことを恐れたのか。
現代社会は様々な法律や契約、法廷がある。
しかし古代社会はほとんどの人が文字を読めず、遊牧民族には一冊の本さえなかった。
そんな社会では口約束や何を言われたかを覚えていることが社会をまとめる糊のような役割を果たしていた。
つまり自分の言葉に忠実であることが需要だった。
それを物語るユダヤのたとえ話がある。
ある男が隣人の噂を広めていた。
そこでその男は賢者のもとへ行き、相談した。
彼はカッとなって近所に住む友人のことを悪く言い始めた。
すると賢者は彼にこう言った。
「家に帰ったら羽毛の枕を手に取り、中身の羽毛を取り出して風に飛ばしてしまいなさい。」
その後中身を集め、枕の中に戻す。
彼は言った。
「それは無理です。一度外へ出した羽毛をまた枕の中に戻すなんてできなせん。」
賢者は言った。
「あなたが話した隣人の話も同じです。」
この聖書の掟は言葉の持つ影響力を物語っている。
だがコミュニケーションの方法ならたくさんある現代にこの掟は通用するのだろうか。
言葉で騙されることは、金銭の被害より悪いと考えられていた。
金銭なら返済すればよいが、言葉による被害は治せないからだ。
言い換えれば古代において言葉とは行動を表していた。
何かを約束したときには特にそうであった。
聖書の掟は約束を守るよう戒めている。
守らなければ悲惨な結果になると。
そのような世界では、口から出た言葉は覚えておいて、言葉通りに行動しなければならない。
そうでなければ社会は混乱して崩壊する。

WHATEVER YOUR LIPS UTTER YOU MUST DILIGENTLY PERFORM.[DEUTERONOMY 23:23]
(唇にだしたことはそれを守り実行しなさい)
古代世界は約束をどうとらえていたのか。
その謎を解く手がかりが古代ギリシャの神々の外見にあるという。
紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスによると、ギリシャの神のほとんどはエジプトから取り入れられた。
しかし外見は変えている。
動物の頭を持つエジプトの神々と違って、ギリシャには動物の頭を持つ神はいない。
これはどういうことか。
動物は話をしない、理性があって話をするのは人間だけ。
ギリシャ人にとって重要な話すという行為は、神々に結び付くものと考えられていた。
当時それはごく普通のことで、口から出た言葉には目的意識が強く込められていた。
約束とは危険を承知の行為だったのだ。
法廷が存在しない世界、文書による契約書がない世界、デジタル録音がない世界、そういう世界。
口から出た言葉を覚えておき、言葉通りに行動しなければならない。
そうでなければ社会は混乱して崩壊する。
約束を守るという聖書の掟を無視すると、報いを受けることになっていた。
古代世界だけでなく、今日も強い影響力を持つ言葉がある。
人種についての発言や人種差別主義者という言葉でさえ、仕事や人生を深く傷つけることがある。
3000年前の人をののしる言葉は違っていただろう。
そんな言葉でも古代ヘブライ語とは要点に直接触れる言語だった。
ヘブライ語はまさに砂漠の言語と言える。
実際砂漠にいけばわかると思うが、できるだけ無駄なエネルギーを使いたくないと思うはず。
暑くて体力を消耗するからだ。
ヘブライ語は、英語のTheやAなど定冠詞を使わない。
前置詞のToやForなど小さな単語を使わない。
ヘブライ語を使っていた人々は言葉に忠実であれば、日常生活を維持できると信じていた。
社会は言葉でまとまっていたのだ。
言葉は影響力があるので、天地創造も言葉で理解された。
言葉がなければ何も現れなかった。
神はこう言った。
光あれ、生き物を生み出せと。
神の言葉は天地創造を実現させた。
聖書は史上まれに見るベストセラー、そこに書き記された2000近い掟や戒律は、古代世界を理解する扉となっている。
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幻解!超常ファイル〜失われた大陸・アトランティス
1882年イギリスの首相が驚くべき提案をした。
ウィリアム・グラッドストン(当時のイギリス首相)「政府は南大西洋に軍艦を派遣、アトランティス大陸の調査を行うべきだ。」
世界にかんたる大英帝国の首相が国家をあげて探し出そうとしたアトランティス、世界の文明の原点と言われる大陸とは、いったい何なのか?
伝説は紀元前10000年ごろまで遡る。
アトランティス、それはかつて大西洋にあったと伝えられる島。

その最大の特徴は、巨大な丸い運河が三重に連なり完璧に設計された都市。
港は他の大陸や島々から訪れた船で満ち溢れ、昼夜を問わず多くの民でにぎわっていた。
石壁は銅や錫でびっしりと覆われ、中央都市の壁は、オリハルコンという金の次に希少価値が高い幻の金属が炎のように燦然と輝いていた。
島全体の山々の大きさや美しさは、あらゆる山を凌駕し、人々から称賛されていた。
自然にも恵まれ、あらゆる植物や農作物も豊富、野生動物の中にはゾウまでいたという。
アトランティスを最初に治めたのは、海の神ポセイドン。
そして時が絶つとその子孫たちに引き継がれた。
「神の性質を持つ彼らは、黄金や財産への欲望を抑え、友愛や徳を大事にする生き方で穏やかに島を治めた。」
(古代ギリシャの書『クリティアス』)
しかしその行く末は、悲しむべきものだった。

「アトランティスの民に宿っていた神の性質は、代を重ねるにつれて人間の性質に変わり、大切な得を失っていった。
よこしまな欲望を満足させ、その力をほしいままにすることで、自分たちは栄光と祝福の中にあると思い込んでいた。」
そのあげくアトランティスは、軍勢を出して他の国々を支配しようと戦争を始めたのだ。
アトランティスは堕落した・・・全能の神ゼウスは怒り罰を下す。
恐るべき天変地異が襲い掛かった。
そして一昼夜の間にアトランティスは海深くに姿を消した。
幻の国アトランティスは、果たして実在したのか?

この話は紀元前4世紀、古代ギリシャ・アテナイ、大哲学者プラトンが書き残したもの。
彼は自らの先祖がエジプトの神官から聞いた伝承として、古の繁栄に満ちたアトランティスの様子を描いた。
「何とも不思議な話ではあるが、しかし紛れもない真実の話である。」
プラトンが真実だと語るこの話、やはりアトランティスは本当なのか。
西洋文学研究家・庄子大亮「本当の話、真実だというのはプラトンの哲学的思想において、あるべき国の姿や、なってはいけない国の姿を話していることについて、これは本当のことだと・・・
歴史的事実という文脈で言っているわけではない。」

プラトンが生きた時代彼の故郷アテナイは彼が語るアトランティスとよく似た状態にあった。
そんな人々のありさまをプラトンは嘆いていた。
「アテナイ人はかつては慎みがあって法律をよく守り友愛の心を持っていた。
しかし今や思い上がったあげく法に服従せず神々までも軽視してしまうようになった。」
プラトンにとってアトランティスは、まさに故郷アテナイを強く意識して描いた国だったのだ。
プラトンが語ったアトランティス物語、それは理想的な国家が欲望にまみれ滅んでゆくことへの警告だったのか。

やがて2000年以上を経て、この物語は思わぬ方向へと動き出す。
1882年アメリカ、1冊の本『アトランティス〜大洪水前の世界』が欧米社会にアトランティスブームを巻き起こした。
「『すべての道はローマに通ず』と言われるように、すべての文明はアトランティスに通ず」

アトランティスは世界の文明の源だ、画期的な説を掲げたのはミネソタ州元副知事のイグネイシャス・ドネリー、彼が自説のヒントとしたのはエジプトと中南米、大西洋を隔てた2つの古代文明に共通する遺物や文化だった。
ピラミッドはどちらも四角錐を基本に巨大な石積みで造られている。

ミイラは死者の魂が復活すると信じた特殊な埋葬、太陽を神として崇拝する信仰・・・
大西洋を挟んで何千キロも離れた2つの地域で、なぜこれほどそっくりな特徴がみられるのか。
「大西洋の両側に全く同じ芸術や科学、信仰、伝統が存在している。
その理由をそれぞれの大陸の人々が別々に、偶然、同じ文化に到達したからだというのか?
そんな考えはばかげている。」
現代の研究では、それぞれ別々に発展した文明だと分かっている。
しかしドネリーは当時の知見をもとに、どちらもアトランティスに由来するものだと主張したのだ。
さらにドネリーはアトランティスの物語にキリスト教の旧約聖書や世界各地の神話との共通性を見つけだす。
理想郷のような島の様子はエデンの園をはじめとする各地の楽園伝説を、神の怒りに触れて水没するところは、ノアの方舟を思い起こさせる。

これらはアトランティス滅亡から生き延びた人々が世界中に散らばり、その記憶と文明を伝えたものではないか。
ドネリーのアトランティスのイメージは、プラトンのものからは変わっていった。
「アトランティスは現代の私たちとほぼ同等の高度な文明を享受していた。
蒸気機関や電気まではなかったが、ほぼすべての芸術や科学の生みの親であり、最初の文明人である。
この失われた人々は我々の祖先であり、あらゆる人種や言語、思想、信仰は彼らに通ずるのだ。」
ドネリーの本は欧米で大ヒットし、イギリスの首相がアトランティスの調査を求める事態まで招いた。

考古学者・ケネス・フィーダー「世界の文明はそれぞれの先住民がみずから発展させてきたもの。
そこに外部の助けは必要なかった。
そして西洋の人々は先住民たちがすばらしい創造性と能力を持っていることを認めようとしなかった。
アトランティス伝説はこういった問題もはらんでいる。」
プラトンが教訓として描いたアトランティスは、ドネリーによって世界の文明発祥地へと変貌、さらに20世紀思いもよらぬ巨大な幻想へと拡大してゆく。
アトランティスの他にも「失われた大陸」と呼ばれる存在がある。
大西洋にはアトランティス、太平洋にはムー大陸、そしてインド洋にはレムリア大陸などが昔から噂されてきた。
でも実際の大陸はプレートという厚さ100kmもの硬い岩盤の上にある。
もし過去に巨大な大陸が存在していたら、その痕跡はプレートに残っているはずだが、これまでの調査では確認されていない。
そうしたことから、幻の大陸の存在は、完全に否定されている。

アトランティス伝説が世界の歴史に大きな影響を与えてゆく。
19世紀後半イギリス、国が近代産業で繁栄する一方で、人々の心は大きく揺らいでいた。
きっかけは1859年チャールズ・ダーウィンが発表した進化論、人間は動物から進化したもので、動物の1つに過ぎない。
こうした科学的思想が大きな衝撃を与えていた。
それまで長年キリスト教社会の人々は、人間は神に似せて造られた特別な存在と信じて生きてきた。
その価値観が崩れたのだ。
私たち人間とは何者か・・・人々は納得のゆく新たな可能性を模索していた。
そこにアトランティス伝説を取り入れた新たな思想を説く人物が現れた。
ロシア出身のヘレナ・P・ブラヴァツキー、キリスト教やインド哲学、古代エジプトの宗教などに進化論まで取り入れ、神智学という独自の考えを提唱した。
それは人間の霊は生まれ変わりながら進化を繰り返してゆくという考え方だ。
まず最初の人類は神聖なる土地に肉体を持たない霊的な存在として登場。(第1根幹人種)
やがて物質化した肉体を持つ存在に進化、その霊の中の優れたものが進化し、初めて人間の肉体を持ったのがアトランティス人だという。
アトランティス人はテレパシーで意思の疎通を行い、高度な科学と芸術を発展させた。
そしてアトランティスに巨大な都市を築き繁栄していった。
ところがそのアトランティスも滅亡、災難を逃れた優れたアトランティス人が、世界各地に散らばり、人類の指導者として君臨、その地に文明をもたらしたという。
そして進化の次の段階として現れたのがアーリア人(第5根幹人種)、当時ヨーロッパ人の祖先として考えられていた人々。
ブラヴァツキーはこのアーリア人こそ、アトランティス人の優れたところを引き継いだ支配種族であるとした。
やがて人は、次の段階では肉体を離れ、霊体へと進化、さらなる未来では、神のような存在に進化するという。
進化論とアトランティスを取り込んだブラヴァツキー、アトランティスを現在の人間の起源と位置づけながら、人類の未来までも描いたこの説は、欧米で大勢の支持者を集めた。

なぜ、このような神秘的な説を人々は求めたのか。
当時は人々の価値観が大きく揺らいでいた時代だった点を専門家は指摘する。
「キリスト教的な歴史観であるとか創造説というものが説得力を持たなかった段階で人々がどういう歴史観、死生観にのっとって自分の人生の目標を見つけていったらいいのかという問いに直面したとき、我々はこういう仕方で今以上に進化・発展できるという前向きで一見科学的なビジョンを与えた。」
やがてブラヴァツキーの説は同時代の学者たちの研究と交わりながら発展、アトランティス人とその後継者アーリア人こそ優れた存在とする考えは広まっていった。

その思想と意外な関係があるのが映画『インディージョーンズ〜レイダース失われたアーク(聖櫃)』1930年頃エジプトヤインド、中南米などを舞台に古代の伝説の遺物を探し求める冒険アクション。
謎の力を秘めた遺物をめぐり、主人公はナチスドイツなどと激しい争奪戦を繰り広げる。
実はこの設定、まるっきりの作り話ではない。
ナチスドイツは本当に古代の伝説の遺物を探していた。

アドルフ・ヒトラー率いるドイツの独裁制とナチ党は、自らの権力の正統性を古代の歴史に求めていた。
自分たちドイツ人こそ人類の上に立つ優れたリーダー・アーリア人の末裔だというのだ。
「我々が今日持っている人類文化 芸術 科学 および技術の成果は、ほとんどアーリア人種が創造したものである。」
こうした思想を強く持ったナチ党幹部のハインリヒ・ヒムラー、特別な研究機関・ドイツ古代遺産協会アーネンエルベを組織、アーリア人に関する調査を世界中に広げてゆく。
アーネンエルベはドイツ人の祖先の古代文字ルーン文字に似たシンボルを持つ遺跡を世界中で探索、優れた文明につながる証拠を見つけ出そうとする。
特にアトランティス人とアーリア人のつながりが証明できる場所として注目したのが大西洋のカナリア諸島、この地の伝承では、金髪 長身 白い肌の先住民族がいたという。
事実、髪が金色になったミイラが発見され、その真偽が議論されていた。

アーネンエルベはこうしたミイラをアトランティス人が白人だったことの証拠であり、アーリア人につながるものだと主張した。
文明の指導者アトランティス人の伝説と現実社会の権力が結びついた時、人間を優劣で分ける時代が始まる。
ヒムラーは自らが率いる親衛隊をアーリア人の純潔性を守るエリート部隊とすべく、長身で金髪、青い目を持つ隊員を集めてゆく。
その方針についてヒムラーは、人間を植物に例えてこう語っている。

「品種改良を行う栽培家を同じだ。
立派な品種も雑草と交じると質が落ちる。
我々はまず質の良い植物を選別する。
それから我々た使えないと思う者 つまり雑草を除去するのだ。」
お前は劣っている、そう決めつけた人々への弾圧、排除、ユダヤ人をはじめとする人々は町を追われ、強制収容所へと送られた。
そして犠牲者数百万にも及ぶ大虐殺へとつながっていった。

失われた大陸、超古代文明アトランティス、古に理想を求める人々の強い願いは、時に人間の心の闇までも浮かび上がらせることがあるのだ。
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ありえへん世界の独裁国家
トルクメニスタン・・・中央アジアの北朝鮮!?
カスピ海に面した中央アジアに位置、1991年にソ連から独立したばかり。
現在ベルディムハメドフ大統領が行う独裁政権下にある。

大統領個人への崇拝をもとにした、その独裁政治から、中央アジアの北朝鮮と呼ばれるようになった。
世界の報道自由度ランキングでは、北朝鮮に継ぐワースト3位(1位:エリトリア)
報道規制の厳しさから、実情が他国に流れることのない謎のベールに包まれた国。
町での観光写真やビデオ撮影が一切禁止されている。
首都アシガバットへ・・・そこには、ありえへん街並みが・・・
驚くほど整備された街並み、白い建物で町の中が統一されている。

建物の壁面は全部大理石、大統領の好みで首都を白い街にする計画が進んでいる。
国土:約48.8万k屐米本の約1.3倍)、人口:約520万人(日本の約25分の1)
街中にはいたるところに現大統の写真が・・・
バスにも駐車場にも飛行機内にも大統領の写真が・・・
ロケには政府の監視役が常に付いて回り、撮影内容をすべてチェックされるなど、情報規制の厳しさは噂以上。
行く先々に警官や軍人も多く、こちらの動向を常に監視している。
ガイドも1時間おきに政府へ報告の電話をする。

今回日本のテレビ局で初めて一般の国民へのインタビューが正式に許可された。
子供たちへインタビューを試みると、ありえへん光景が・・・
「トルクメニスタンに繁栄をもたらしてくださった私たちの大統領様がこの世で一番素晴らしいお方です。」
「私たちはトルクメニスタンという国で暮らす世界一幸せな子供たちです。
豊かな暮らしが毎日送れていることを、大統領さまに感謝致します。」
まるで機械のように大統領への賛辞を唱える子供たち・・・

公園では怪しげな集会が・・・
大勢の民衆に掲げられた無数の国旗の先には、大統領の巨大看板。
これは大統領様を称える集会。
大統領の偉大さを称えるライブが定期的に行われているという。
♪大統領様♪
その集会はおよそ4時間続く。

夜になると一見美しい街頭で華やかに見えるが、不気味なことに街から人の気配が一切消え、ゴーストタウンと化してしまう。
そんな街中に人の気配がする場所、結婚式の集まり。
新郎の家はとんでもない広さの大豪邸、家の中は推定約30帖はある巨大リビングに、数えきれないほどの招待客たち。
家にプールを持っている。
多くの部屋に大勢の招待客、全部で800人はいるという。

独裁国家トルクメニスタンでは、親が子供に立派な結婚式をあげさせるのが人生最大の贅沢とされ、親戚、会社の同僚、友人やその友人まで祝う人数が多いほど縁起がよいとされている。
この日は結婚式の前夜祭、翌日午前11時、新郎は装飾された車に乗り、親族たちと共にサイレンやクラクションを鳴らしながら花嫁を迎えに行く。

新郎側が花嫁の家に到着すると、花嫁は40kg以上の民族衣装に身を包み、顔を隠したまま新郎のもとへ。
車に乗り込むと、新郎の家に向かい、2日目は終了。
3日目午後7時、この日花嫁は洋風のドレスに身を包み、40kgの重さから解放される。
3日目にして結婚式本番を迎える。
会場は1000人規模のド派手な式場。
3日連続大人数を招待し、プロの歌手による生歌や、クレーンカメラによる撮影。
老若男女問わずひたすら踊り続けて祝福する。
民衆と接してみると意外にも明るい人たちばかり。
そこにはありえへん理由が・・・
豊富に埋蔵された石油や天然ガス、これら資源が生み出す莫大な金を大統領は独占せず、公民へ還元しているという。
例えば電気、ガス、水道が無料。
子供が8人以上いsる大家族には、エリートハウスと呼ばれる高級マンションが無料で与えられる。
その中は億ションクラスの内観、大統領の潤沢なお金をみんなで使おうという政策が支持され、独裁国家ながら明るい民衆に溢れている。

ジンバブエ 8億円が1円の価値に?ハイパーインフレが起こった
日本から約13000km離れたアフリカ南部に位置する。
1980年、100年以上に及ぶ白人支配から独立。

その立役者が、独立闘争の英雄ロバート・ムガベ大統領、63歳で大統領に就任して以来90歳の現在まで27年間国家元首として君臨。
世界最高齢の大統領。
世界悲惨な国ランキングではワースト1位(2位:リベリア 3位:ブルキナファン 4位:ベラルーシ 5位:トルクメニスタン)

その選ばれた理由の1つがハイパーインフレ。
お金の価値が極端に失われてしまい物価が急上昇。
約5年前にハイパーインフレが起こり2008年11月の月間物価上昇率は796億%。
8億円のお金が1か月後には1円の価値に下落。
国土:日本とほぼ同じ大きさ 人口:約1400万人(日本の約10分の1)
失業率:95%

今も札束を抱えて生活しているのだろうか?
首都ハラレ近くの市場ではUSドルが使われている。
ハイパーインフレから脱却するため、ジンバブエドルを廃止、アメリカの通貨ドルや南アフリカの通貨ランドを用いる複数外貨制を採用。
玉ねぎ1袋は3兆ジンバブエドルで売られていた。
ムガベ大統領は国民がお金を数える手間を省けるように50兆札や100兆札を発行した。
そしてこれらのお札の使用をやめ、外国のお金を使用したことで、現在ありえへん事態が発生。
おつりがあめ玉・・・
ドル紙幣は流通しているが10セントコインなど硬化が入ってこないため。
ジンバブエドルでは大人の男性が子供のようにあめ玉をなめるのが日常。
あめ玉が嫌な人はマッチを選ぶことも可能。
運が良ければ南アメリカのランド硬化をもらえることも。
しかしハイパーインフレを起こしたムガベ大統領を国民はどう思っているのだろうか?
「大統領様を愛しています。世界一の大統領。」
独裁国家と言われているが国民の多くは独立を勝ち取った大統領に不満を抱いてはいない。
街には大統領の写真が連発。道路10mおきに飾られている。
お店には95%の確率でムガベ大統領の写真。
Tシャツにもスカートにも帽子にもカーペットにも非常用のライトにも大統領。
国民の生活グッズが大統領グッズだらけなのには忠誠を誓う以外にももう1つの理由が。
大統領グッズは大統領様から誰でもタダでもらえる。
大統領の写真が生活に溶け込んでいるので、国民は1日80回ムガベ大統領の顔が自動的に拝める。

大統領はこんな政策も・・・
教育政策を推進し、識字率99%を達成、アフリカNo.1の識字率。
失業率95%と言われているが、みんな一生懸命働いている。
失業率について尋ねてみると・・・
「みんな働いているよ。でもジンバブエドルでは、就職先を見つけるのはとても難しい。
だから人に頼らず自分で金になりそうなことを見つけてそれを仕事にするしかない。」
多くに人が個人事業主となってお金を稼いでいる。
例えば拾ってきた鉄くずで道具を作り売っている。
荷物を担いで運ぶ運送屋を若くして開業。
ジンバブエ人の平均月収は約12500円。

ジンバブエではかつて日本で活躍していたと思われる数多くの中古車が走っている。

日本製の電化製品も人気。
ジンバブエでは日本製品がステータス。
日本製品を数多く取り揃えている店には・・・
ありえへんメイドインジャパンが!
アカソニック、ソニソン・・・

カンウェッド、カシノ

間違い日本食堂シャングリラでは
フォークで寿司を刺し、醤油をつけずに食べる。なぜかガリに醤油やワサビをつけて食べる。
寿司の隣にはチャーハン。
「チャーハンを食べてから寿司を食べると寿司のおいしさが引き立つわね。」

ジンバブエ唯一?の寿司職人ライエヨさん、シャリはスーパーの袋の中に、ネタをのせたら、独自すぎる握り方。

軍艦巻きは日本では何もつけずに海苔を巻くだけだが、ライエヨさんはご飯粒でのり付けする。
寿司の握り方はカナダからやってきた中国人に2週間だけ教わったという。
「カンジャニ」はジンバブエの挨拶で「ご機嫌いかが?」

ありえへん治療法とは?
まず、呪文を唱えて患者さんのご先祖様にこれから治療することを伝える。
御先祖様のご機嫌をよくするためにムヴィラという楽器で演奏。

そして水で傷口を洗い砂糖をかける。
先祖の力を込めた砂糖を塗ると傷は治ると信じられている民間療法の1つ。
頭が痛い時には木の粉を、花から直接吸う。

アルバニア ねずみ講で国家が破産!?かつてヨーロッパの北朝鮮と呼ばれた元独裁国家
日本との意外な共通点、鎖国を行った。
イタリアの海を隔てた向かいに位置、第二次世界大戦後の1946年、エンヴェル・ホッジャという共産主義者が最高指導者に就任すると、永らく独裁政権時代に突入。
1978年から鎖国状態。
ホッジャは宗教を一切禁じた。
国民にとってはつらく暗い時代が続いた。
そしていつしかヨーロッパの北朝鮮と呼ばれるまでに。

しかしその後ホッジャが死去し、1991年のソ連崩壊を受けると、鎖国を撤廃、急速に民主化へ歩みを進めた。
そのわずか5年後1997年、ねずみ講による国家破産。
ねずみ講とは〜反イ砲金を払って参加
⊆分が新たに会員を勧誘する度お金が手元に入ってくる
という詐欺システム。
参加するとたいへん儲かるらしいとアルバニア国民の3分の2以上に広まった。
しかしねずみ講を仕掛けていた投資会社が政府と癒着、ねずみ講式に国民をだまし、集めていたお金で武器を購入。
そして国家ぐるみの詐欺が明るみにでると、財産を失った国民が政府にデモを起こし、国民の全財産の3分の1以上が消えた。
その結果ヨーロッパ最貧国へ。
さらに鎖国の影響もあり、ここ20年日本のテレビ局も取材に来ていない。
全貌は謎のベールに包まれたまま。

国土:四国の約1.5倍 人口:約300万人
鎖国を撤廃し資本主義が入ってきたことにより街にはきわどいパクリ店が溢れている。

例えば車のジャガーのロゴをそのままパクった洋服店、サブウェイならぬサブウェイワン、キティちゃんならぬハチキャット?、ケンタッキーのパクリ店AFCアルバニアフライドチキン。
グーグルならぬイーグルモバイル

グーグルのパクリ店イーグルモバイル、「イーグル」に隠されたある由来とは?
アルバニア人が鷲の子孫であることから、鷲(英語でイーグル)をとってイーグルモバイルとなったという。
アルバニアの国旗には鷲が描かれており、国民は鷲の子孫だとほぼ全員信じている。

独裁国家アルバニアでは、かつて危険すぎる結婚式が行われていた。
参列者が銃を乱射・・・
今は銃の所持は禁止、ねずみ講で国民が騙されて破産して、ストレス発散に宴で銃を撃っていた時代の結婚式。

ベラットという街、窓の多さから「千の窓を持つ街」と呼ばれる。
景観の美しさから世界遺産に認定されている。
昼間は街の道路はガラガラだが、夜になるとたくさんの人。
鎖国していた時、家に電話を置くことが禁止されていて、みんな夜は外に出て散歩しながら情報交換をしていた。
共産主義時代から50年以上続く歴史ある散歩。
1度端にたどり着いても、Uターンしてきた道を何往復もして散歩する。
出会いの場でもある。
エリトリア 世界報道自由度ランキング最下位!
紅海に面したアフリカ北東部に位置、1993年にエチオピアから独立。
現在イサイアス大統領が行う独裁政権下にある。
イサイアス大統領は選挙なしの永久大統領、彼が生きている限り永久に独裁政治が続くとも言われている。
世界報道自由度ランキングでは1位(2位:北朝鮮 3位:トルクメニスタン)
世界一謎に包まれた独裁国家。
首都アスマラ、夜8時だというのに、街全体が暗闇に包まれている。
「今大統領様が私たちの暮らしを第一に考えて新しい発電所を造る工事を行っています。
もう3週間、断続的に停電しているんですが、あと1週間ほど停電が続く予定です。」
エリトリア国内では政府が許可した携帯電話以外は使用不可能。
旅行者が現地で携帯電話を購入することは禁止。
一度入国すると外部と連絡をとるのが非常に困難。
街には無数の戦争の残骸、大量の戦車・・・

「エリトリアは30年にわたりエチオピアと独立戦争を闘いぬいた。
これらは倒した敵の戦車と敵が逃げて残していったもの。」
人口:約560万人(日本の約24分の1) 国土:北海道と九州を合わせた広さとほぼ同じ
なぜか店に置いてあるカレンダーは2005年。

なぜ2005年で生活しているのか?
ゲエズカレンダーという古代からの暦を使っている。
ゲエズカレンダー:エリトリアで盛んなキリスト教教派コプト正教会で使われる暦
一般的はカレンダー:世界的なキリスト教教派ローマ・カトリック教会が広めたもの
2つの教派でキリスト生誕年の解釈に違いがあり、その結果暦もずれてしまった。
民衆はどんな生活を送っているのか。

一般的な中流家庭の下へ。ムスゲンナさん一家は7人家族で、一家の主はお母さん、わけあって夫と離婚した。
女で1つで5人の子育ては大変だったのでは?
シングルマザーでも5人の子育てが楽勝だという。
小学校から大学まで学費は全て無料。
(日本の子供1人当たりの平均学費は約1000万円)
大統領が無料で建ててくれた家(2LDK)管理費は1ヶ月1000円
(東京港区のワンルームの平均家賃は10万円以上)
エリトリアは所得税がないので、稼いだお金は全部自分のもの。
通院から入院まで医療費も全部無料。
エリトリアが無料だらけの理由は、豊富な金・銀・銅などの天然資源、これらの利益を大統領は独占せず国民に還元。

パナマ共和国 とんでもない麻薬王が支配した元独裁国家
独裁国家を率いていたのがノリエガ将軍、1983~89年までパナマ軍の最高司令官として君臨、裏の顔は別名麻薬王。
隣国コロンビアの麻薬組織と結託しアメリカへのコカイン密輸ルートを私物化。
密輸で得た莫大な不法利益のうち約3億円を使いパリの別荘を購入。
反発勢力が大統領選挙で勝利しても選挙を無効にするなどやりたい放題。

1989年、麻薬撲滅とノリエガ逮捕を名目に約5万人のアメリカ軍がパナマに侵攻。
麻薬戦争、ノリエガ率いるパナマ軍とアメリカ軍の激しい戦闘。
しかし力の差は歴然だった。

まもなくアメリカ軍は首都パナマ・シティを制圧、首都は壊滅状態。
拘束されたノリエガは麻薬密輸の罪で懲役40年を科された。
24年前壊滅状態だった首都パナマ・シティ、現在の姿は超高層ビルが立ち並ぶ大都会。
たった20年でニューヨークのような街並みに。

国土:北海道よりやや小さい 人口:約386万人
パナマは今、中米で最も勢いのある国と言われている。
その最大の理由が、太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河、建設は世界の海運事業に大きな変革をもたらした。
パナマ運河ができる前、北米大陸と南米大陸は陸続き、貿易船がアメリカ大陸を横断するためには、わざわざ南米大陸の最南端を迂回しなければならなかった。
そこでパナマの陸地に全長約80kmの水路を造る大工事を行い、それまで24日間かかっていたサンフラシスコーニューヨーク間の航路が、10日間に短縮できた。

その通行料金がありえへん。
船のサイズや貨物の量によって異なるが1000~4000万円。
パナマ運河を通行する船は年間約14000隻なので、その収益は船を通すだけで1200億円。
パナマは運河の収益を元に、この十数年で急激な発展を遂げた。
運河を造る際、海と海をつなぐため、陸地にあるガトゥン湖を利用、海と湖にはおよそ30mの高低差が。
そこでまず湖の手前まで陸地を削り細い水路を建設したのだが、30mの高さをどうやって船が昇るか?

水のエレベーター・・・
運河に巨大な貨物船が入ってくると閘門が開き、中に入ってくると閉まる。
すると壁から水が噴出し、水面がどんどん上昇してゆく。

するとそれに合わせて巨大な貨物船もどんどん上に持ち上がってゆく。
8分間で2億リットルの水を注いで閘門で挟まれた前後の水位を合わせる。
そして水位が水平になったら閘門が開き、巨大な貨物船が通過できるようになる。
高低差30mのガトゥン湖へは、水のエレベーターを3回繰り返し昇ってゆく。

パナマのありえへん風習・・・ド派手すぎる自転車。
自転車を派手に改造するのが伝統。
ハンドルには大きなラジカセ、車体にはド派手な電飾。

アンゴラ共和国 パン一斤3000円?世界一物価が高い国
日本が安土桃山時代だった16世紀から約500年間ポルトガルに植民地支配された。
多くのアンゴラ人が奴隷にされた。

苛烈なポルトガルの支配から抜け出すため1961年独立戦争に突入。
14年にも及ぶ激しい戦いのすえ、1975年にやっと独立。

しかしアンゴラ人が形成する3つの政治勢力が政権を奪い合う内戦に突入。
泥沼の内戦を2002年に終結させた人物ドス・サントス大統領。

1079年に大統領に就任して以来、現在まで35年にわたり、大統領を譲らない生粋の独裁者。
アンゴラに潜入すると、予想外の街並み。
団地が見渡す限りに続く巨大な街。
 
白衣の人だらけ、国民がみんな科学者みたい。
国民「偉大なる大統領様によって学生は白衣を着ることを義務付けられている。」
「大統領様は戦争ですべてを失った私たちのために、この住宅街キランバを造ってくれた。」
約20万戸のマンモス団地。
首都ルアンダは高層ビルが立ち並ぶ巨大都市。

国土:日本の約3倍 人口:約2000万人(日本の約6分の1)
首都ルアンダが世界一を誇るのが物価の高さ
2013年物価の高い都市ランキング第1位(第2位:モスクワ 第3位:東京)
日本の1円≒アンゴラの1クワンザ

スーパーマーケット・ジャンボでは店員はローラースケートをはいている。
お客様の要望に素早く対応するためだという。

食パンの値段は2931円、ハムは1016円、白菜は1444円、パプリカは1533円、キュウリは1本720円、マッシュルームは1パック1150円、冷凍のタコは3650円、ノートは2150円、マジックは1465円・・・

アンゴラには衝撃的すぎる風習がある。
薪で煙草に火をつけ・・・火をつけたほうをくわえる・・・
田舎のおばさんは火がついている方から煙草を吸う。
フィルターを通すと煙が弱くなるのでイヤなんだとか。

小学校の授業での常識、先生に質問され、正解したらクラス全員で手をたたいて褒める。
友達に手をたたいてほしくて一生懸命勉強するのだという。
メイドインジャパンのバイクが大人気。

日本製のバイクを豊富に取りそろえたバイク店を訪ねると・・・
店員「日本の先端技術を駆使したバイクがありますよ。
ケウェセキの50ccバイクです。」
ケウェセキのライバルメーカーも入荷・・・カウィシキ
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ありえへん 江戸の世界
江戸時代に人気だったレンタルのお店とは?

江戸時代、大繁盛していたのは・・・ふんどしのレンタル屋さん
当時ふんどりは、新品を買う場合、今の価値にすると6000円ほどし、高額だった。
それをレンタルすると約1500円と割安だったため、繁盛したという。
しかも借りるとき、自分の汚れたふんどりを持ってゆくと洗濯してくれるというサービスも・・・
ふんどしは男のお洒落、祭りや遊郭に行く時などに勝負ふんどしをレンタルしていた。

そのほか江戸時代には今では考えられない様々な職業があった。
全身唐辛子の格好をした、唐辛子売りや、耳の垢取りを専門に行う人・・・

ありえへん、超恥ずかしい職業とは一体?
屁負比丘尼・・・屁の身代わりをすることを職業としていた。
当時若い女性が人前でおならをすることは非常に無礼な事で、お嫁に行けなくなるぐらいの大事だった。
そこで裕福な武家や豪商の娘には、屁負比丘尼(へおいびくに)という本来身の回りの世話をする女性がつき、娘が人前で屁をしてしまった時には身代わりとなって誤り、ピンチを救う役割をしていた。

ありえへん、江戸の寿司
当時寿司は屋台でも提供されていた今でいうところのファストフード的な存在だった。
江戸時代、鯛やヒラメなどは高価だったのに対して、マグロは安く庶民の間で気軽に食べられていた。
当時大トロは脂が多すぎて下品なものと嫌われていたため、捨てられていた。
また当時の寿司は、現代の寿司の3〜4倍の大きさ、今の一口サイズになったのは、近代以降のこと。
食べづらいため、人によっては2つに切って提供していたのが、現在寿司が2貫単位で提供される由縁と言われている。

ありえへん、カステラの食べ方
カステラは室町時代、ポルトガルから伝わり、江戸時代よく食べられていたお菓子。
その食べ方は・・・わさび醤油につけて食べる・・・さらに味噌汁の具に・・・
当時のカステラは現代の者ほど甘くないこともあり、こういった食べ方がされた。

ありえへん、江戸の制度
おでこに謎の文字?
大髭禁止令・・・徳川家綱が発布。
江戸初期、髭を生やすのが大流行し、生えない人は付け髭をつけたり、墨で髭をかく人が続出するほどの異常事態となり、禁止されたという。
おでこに犬と書かれた人が・・・
軽犯罪を犯した時の刑罰で、「犬」と額に入れ墨を入れられていた。
地域や犯罪の種類によって文字が変わり、中には○や又や✘というものも・・・
さらにオデコだけでなく腕に「悪」という字を入れ墨されるものも・・・
恥ずかしいこれらの刑で犯罪を抑えていた。

壮絶!離婚した妻のありえへん行動
江戸時代の離婚率は現在の約2倍、武士は10人に1人が離婚していたと言われている。

「うわなりうち」をしに行く謎の女性集団、皆かなり険しい顔、手には棒、しゃもじ、ほうきを持っている。
後妻打ち(うわなりうち)とは夫と別れた元妻が友達を引き連れて再婚した男の家を襲撃するという風習。
一種のストレス発散のようなもので、暴れて一通り気が晴れたらかえっていった。
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