ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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プラネットツアー地球が文明を作った5.地球の未来

一面に広がる泥の海、地球と人類との複雑なかかわりが形となって現れている場所。
普段私達が目にしないような泥。
立ち上る蒸気は泥が地中の奥深くにある、とても熱い場所から噴き出している証拠。

インドネシア、ここは地球上でもっとも火山活動が盛んな場所。
この一風変わった現象もその表れ。
これは火山だが、噴き出しているのは溶岩ではなく泥。
この場所で2006年に起きた突然の泥の噴出によって、地元の人々は大きな被害を受け、今も苦しんでいる。

大量に噴き出した泥によっておよそ3万人が家を追われ、1万もの家屋が倒壊した。
被害の傷跡は今もくっきりと残されている。
ハリ・エディアソン(エンジニア)「激しい流れが襲ってきて、村中が泥に覆われてしまった。
それが今では乾燥してこの有り様。
一番酷い時には毎日およそ4000万リットルもの泥がこの村を襲った。
4つの村が泥の下に沈んでしまった。」

6k岼幣紊發療效呂泥の被害を受けた。
しかし何が原因でこのような事態が起きたのだろう。
「原因については様々な意見がある。
自然が起こした災害だという人もいるが、それは違うと思う。
私は地面を掘る仕事をしているが、事故調査レポートを見るに地面を掘り進んでいったのが原因で、泥が噴き出したのではないだろうか。」

2006年のこと、天然ガスを探していた業者が深さ300mまで掘り進んだところで作業を止めた。
そのせいで穴の中の圧力が下がり、周囲の岩に含まれていた高温の地下水が穴に吸い寄せられた。
それによって今度は岩に裂け目ができた。
その裂け目を通って高温の水が穴に注ぎ込み、引き上げる途中で硬い泥の層と混ざり合い、熱い泥となって噴き出した。

毎日オリンピック競技用のプール40杯分の泥が噴き出した。
現在この泥を堰き止めようと巨大な堤防が作られている。
機械を使って周囲の村から泥を取り除こうと必死の努力が続いている。
泥が噴き出している穴に何個もの大きなコンクリートブロックを投げ込み栓をしてしまおうともした。
しかしあらゆる努力をしても、泥の波は押し寄せるばかり。

この噴火は私達と地球との関係を象徴している。
1つ間違えると人間は地球に悪い影響を与えることもある。
人間が行った悪い話ばかりを取り上げることは簡単。
けれども人類と地球の関係はそれ以上に面白さや驚きにあふれている。
人間はこれまで地球の至る所に手を加えてきた。
それらが全て悪い話というわけではない。
カナダ、ロッキー山脈、この壮大な頂と深い谷は地球の大きな気候の変化の中で作られた。
一定の周期を持ち、地球にこのような風景を誕生させたもの、そして私達の歴史にも大きく関わったものだった。
それは氷河期。
およそ300万年前の地球は山が氷に閉じ込められるほどの厳しい寒さが長く続いた後、現在のような暖かい時期が短くあるという周期を繰り返していた。
地球を覆う氷の量は増えたり減ったりし、また地表にあたる熱の量も変化した。
気候学者のウィリアム・ラディマン教授(バージニア大学)は過去と現代の氷河期の周期を比べると、ある違いに気付くという。
「私達が暮す現代は、周期を考えると、次の氷河期への移り変わるはずだった。
しかし今は氷河期にはいっていないという証拠がある。
もし今が氷河期への移り変わりの時期なら北米大陸とユーラシア大陸の北部が小さな氷河で覆われていなければならない。」

もし今が新たな氷河期の入口ならば、目の前のロッキー山脈はまるで違う風景となっただろう。
谷全体が氷で覆い尽くされていたはず。
ヨーロッパではアルプスの花畑も氷河で覆われていたはず。
地球に住む人類にとっては幸運なことに氷河期は始まらなかった。
何が原因で地球の気候の周期が変わったのか。
それは冷えはじめるはずの時期に地球である大きなことが始まったから。
それは農業、今から11000年前中東の肥沃な三日月地帯と呼ばれるチグリス・ユーフラテス川周辺で始まったと言われている。
その後ゆっくりと時間をかけて広まっていった。
農業は今から7000年前ごろにはヨーロッパやアジアでも盛んに行われるようになった。
人類の数はまだそれほど多くはなかったが、農業は地球に大きな影響を与えた。
農地を作るために森は焼かれ、大気中の二酸化炭素の量が増えていった。
また家畜の排せつ物などから大量のメタンガスが発生した。
二酸化炭素とメタンガスはどちらも地球の温暖化を進める強力な温室効果ガスなのだ。
最近の説では温室効果ガスが徐々に増えたために、下がるはずだった気温は一定に保たれたのだと言われている。
次の氷河期が始まるのを押しとどめた原因は農業だったのだ。

はるか7000年も前から人類は地球全体の気候に大きな影響を与えていた。
そしてその関係は今も変わっていない。
農業の始まりから現代にいたるまで、私達は地球の自然を開拓し続け、それこそが人類の進歩の証のように考えてきた。
およそ5000年前、私達の祖先は金属が含まれている岩があることに気付いた。
鉱物を多く含む岩は何百万年もかけて地球の内部で作られ、その岩から取り出された金属は形を変えて様々な道具になり、人類の文明の礎となった。
そして紀元1世紀には人類は水を利用する素晴らしい方法を考えた。
砂漠の下に眠る地下水をひくための水道を作り、最初の都市を築いた。
さらに15世紀の終わりには船乗りたちが地球の風の仕組みを解明した。
彼らはそれを利用して海の貿易ルートを発展させた。
さらに19世紀になると動植物の化石である石炭や石油が主なエネルギー源として使われるようになった。
このように私達人間は地球の力を自分達のためにうまく活用してきた。

人類が地球の資源をふんだんに使って作ったものがある。
デーブ・ロー(航空宇宙エンジニア 第309航空機再生グループ)は飛行機こそが人類文明の集大成だという。
飛行機を地質学的な視点で分析してみよう。
「飛行機の機体は主にアルミニウムでできている。
地中にもっとも多く存在する金属であるアルミニウムは、何百年もかけてボーキサイトと呼ばれる鉱石となった。
飛行機の窓ガラスはガラスではなくプラスチックでできている。」
プラスチックのもとの姿は石油、死んだ生物が地中の中で何千年もかけて変化したもの。
飛行機内の電気の配線は銅からできていて、クジャク石という鉱物から作られる。
こうしてみると飛行機は人間が天然資源を変化させて形作った1つの大きな塊といえる。

地球に影響を与えるのは人類が作り出したものだけではない。
それが使われなくなってゴミとなった時にも現れる川は花粉や植物貝殻など、自然の物質を含む沈殿物を運ぶ。
それらが混ざり合って岩が作り出される。
シェリー・ムーア(南カリフォルニア沿岸水プロジェクト)「プラスチックは排水管を通り、川に流れ込む。
たいていは水面に浮かぶが中には沈んで堆積物となるものもある。」
見つかるのはビニール袋やプットボトルなどの大きなプラスチックだけではない。
最近は小さなプラスチックが増えているという。
大きなプラスチックが捨ててあったら誰かが拾う。
しかし小さなプラスチックは目立たないのでそのままにされ、深刻な問題を引き起こす可能性がある。

ロサンゼルス中心部を流れる川、およそ400万人が暮らす活気あふれる大都市。
プラスチックの影響はこの大都市から離れた場所で現れる。
世界全体で毎年数千万トンものプラスチックが海に流れ込んでいる。
その後プラスチックはある大きなものの一部となる。
アメリカから流れてきたプラスチックは太平洋を輪のように流れる大きな潮の流れに乗る。
海流は渦をまきながら東アジアから流れてきたプラスチックを巻き込む。
プラスチックは特定の海域にどんどん集まり、大きな塊となる。
その1つはあまりにも大きいので名前までついている。
東太平洋ゴミ地帯、プラスチックは太陽の紫外線に当たるうちに分解され粉々になる。
その後海底に沈んで埋もれてしまう。

これはプラスチックが堆積し、巨大な岩に変化する過程の最初の段階。
アメリカ、アリゾナ州のグランドキャニオンを見れば堆積岩ができた過程がよくわかる。
このあたりの崖は大昔は海の底だった場所。
何100万年もかけて堆積物が積もり、層を作った。
つまり水圧を受けてそれらの層は互いにくっつき、やがてこのような巨大な岩となった。
現在海底に沈んでいるプラスチックの破片もいつの日か、岩の一部となるだろう。
地球規模で考えれば将来これらの何百万トンものプラスチックは私達人間が地球に存在したことを示す大きな証拠となるかもしれない。
これはまさに人類の遺産なのだ。

人間は文明の発展によって山を削りとることも、山に町1つ分の穴をあけることもできる力を得た。
地球が生まれてからこれまで、自然の浸食で削られたのと同じ量の岩を、たった1年間で削ることもできる。
人類が生んだ機械が地球を変えた。
およそ1万年前から現在までに、私達が地球に与えた影響はとても大きく、新しい時代として名前がついている。
完新世(最後の氷期が終わるおよそ1万年前から現在までを示す)、人類が大発展した時代。
これまで人間の手がはいった町や村、都市、農地などをまとめると、地球上の氷のない大地のおよそ4分の3にあたるという。
まさにここは人類の星なのだ。
人間が自然の営みを遮ったことで、思いがけない大きな影響がでたこともある。
1907年に誕生したアメリカ、サウスダコタ州Capa、人口はわずか1人だという。
1900年代初め、ここは活気にあふれていた。
広大な草原で農業を始めるため、アメリカ国内外から多くの開拓者が西部に移住してきた。
この地にあった豊かな土は数百年の年月をかけて数cm積もったものだった。
それが風に飛ばずにとどまるには、草などの植物が必要だった。
けれどもここCapaでは最初にやってきた人々が草を刈って土をむき出しにし、日光で乾燥させてしまった。

この町の最後の住人フィル・オコナー「誤った方法で農業を行ったのが原因。
土をむき出しにしたから風が土を運び去ってしまった。」
さらに気候が追い打ちをかけた。
「彼らはきっと毎年きちんと雨が降ると思っていたのだろう。
ところがこの町に雨は降らなかった。」
1930年代雨が降らなかったこの町では、刈り取られてむき出しになった土が風にさらされた。
そしてダストボールと呼ばれる巨大な砂嵐が起こった。
10年の後ついに40万k屬發稜醒呂荒地となった。
そして大草原に住む50万人もの人々が暮す場所を失った。
ダストボールの教訓から80年ほどたった今も、私達は土をうまく扱えずにいる。
中国では森林伐採と多すぎる家畜の放牧によって、急速に土壌の悪化が進んでいる。
もはや地球自身の力では元に戻せない状態になっているのかもしれない。
オーストラリアでは農地にするために木を抜いたため、地表に塩があがり60000k屬發療效呂塩による被害を受けた。
私達が生産量を増やそうと無理をした結果、世界中の農地の25%が荒地となってしまった。
地球が持っていた元々の自然環境と私達が人工的に作り出したものの間には大きなへだたりができるようになった。

人類が自然の営みをどれほど変化させているか知るために、水のサイクルを観察してみよう。
山に降った雨は小さな流れを作り、それがやがて川となる。
人類は川に新しい水のサイクルを作った。
全長およそ2000kmのコロラド川には20以上のダムがある。
そのため川を流れる水のほとんどがアメリカ西部の町や農家へと送られ、海までたどり着かなくなっている。
コロラド川の水をもっとも使っているのはロサンゼルス。
水は水路、運河、パイプラインなどのネットワークを通って砂漠の中を何100kmも送られる。
ロサンゼルスの90%の真水がこのシステムで賄われていて、これがないと都市は存在できない。
人間にとってはまるで動脈や静脈のように大切なもの。
この循環システムは全世界でみられる。
人類の作った循環システムによって地球の水のサイクルは大きく変わった。
今では実際に流れている川の水の5倍の量が常に貯水池に溜められている。
人類と地球の関係はさらに変わっていった。
人間がある天然資源を追い求めたからだ。

カナダアルバータ州の中央を流れるアサバスカ川は私達の新天地、探し続けていたあるものが存在する。
それは石油、私達は生活のほとんどを石油に頼っている。
機械化されたこの世界の燃料であり、輸送しやすい、とても便利なエネルギー。
私達は毎年およそ310億バレルの石油を使う。
毎秒1000バレルもの量を消費している。
しかし無限に採れるわけではない。
地球が300万年かけて作ったものを、私達はあっという間に消費しているのだ。
最近では石油を探すのもひと苦労。
そんな中、地中にはまだ十分石油が眠っていて、私達が見つけていないだけだという人もいる。
マイク・レンジャー博士(カナダ、アルバータ大学)「地層が露出しているこの場所の土には石油に変えられる物質がたくさん含まれている。
表面は風雨にさらされて灰色になっているが、中を割ってみるとその物質がでてくる。
これは石油が15%も含まれる砂と石油の混合物だ。
この混合物はタールサンドと呼ばれている。
自然の姿ではこんな風に川沿いの土手でみられる。
風雨にさらされた天然資源だ。
崖を登った丘の上には、この土から資源を抽出している場所がある。」

広さ5万k屬傍擇屮拭璽襯汽鵐匹梁臙呂砲蓮△よそ3兆バレルもの石油が含まれていると言われている。
タールサンドを手に入れるには地下深くまで穴を掘るのではなく、地表を大量に削らねばならない。
従来の石油精製よりもずっと大変。
石油と砂を分離させるには、大量の蒸気が必要。
それにはかなりのお金がかかる。
一般的な油田では、1バレル分のエネルギーを使っておよそ25万バレルの石油を掘ることができる。
しかしここれは1バレル分のエネルギーを使って、およそ5バレルしか採れない。
これは理想的な解決方法ではないかもしれないが、石油に関する限り、カナダ西部のタールサンドはもっとも見込みがありそうに思える。
何世紀にもわたって人類は知恵を絞って新しいエネルギーを生み出してきた。
人類の歴史を振り返ってみると、資源が枯渇したことはない。
しかし地球の歴史はもっと重要なことを私達に教えてくれている。
人類が急速に、あいかも広範囲にわたって地球を取り巻く大気を変化させているということを、私達に伝えようとしているのだ。

産業革命によって化石燃料が多く燃やされるようになり、それによって大気中のガスの成分が大きく変わった。
現在二酸化炭素とメタンガスが大気の中で占める割合は過去1500万年で最大となっている。
その影響はすでに見え始めている。
北極海の氷は解けだし、以前の半分の厚さになった。
私達が大気中に放出した二酸化炭素は海にまで吸収された。
その結果海中の酸性度が大幅にあがり、珊瑚などの海の生き物の成長を妨げるようになった。
この数10年間で海水の温度が上昇してハリケーンの起きる頻度が2倍になった地域もある。
キーワードは地球の温暖化、私達が発生させる温室効果ガスが原因で起きる現象。
それによって地球は大きな変化の時代に突入した。
問題は人類が地球の温暖化にどう向き合ってゆくか。
その答えを探すため、地球の歴史を少しふり返ってみよう。

アメリカ西海岸、カリフォルニア沖、このあたりの海上は奇妙に泡立っている。
マイラ・ライファー(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)はこの異様な現象を調べている。
噴き出しているのはガス、彼はこのガスを海上で集めて分析するだけでなく、ダイバーたちを遣い、湧き出している海底のガスを集めている。
泡の中身はメタンガスの地球の変化のカギを握る物資る。
現在海底から噴き出しているメタンガスはごくわずか。
しかしおよそ5500万年前の地球の海では海底から大量のメタンガスが噴き出していたという。
メタンガスは二酸化炭素の20倍も強力な温室効果ガス。
太古の昔海から湧き上がったメタンガスは北極海の氷が解けるほど一気に地球の温暖化を進めた。
しかし暖かい時代は長く続かなかった。
地球は再び冷えはじめ、北極圏には氷がはった。
いったい何がおきたのか?
およそ5000万年前、インドプレートとユーラシアプレートが衝突し、世界最大の山脈が誕生した。
このヒマラヤ山脈が成長する過程で、地球は最強の冷却システムを発動させた。
大気中の二酸化炭素が雨や雪に溶け、それが岩の中のミネラル分に反応し、流れ出た液体は川から海へと運ばれる。
海中で二酸化炭素は海洋生物に吸収される。
それらが死ぬと海底に沈みやがて岩となり二酸化炭素を取り込んでくれた。
そのおかげで地球温暖化の原因となる二酸化炭素は減り、地球が冷やされることになった。
そして北極は再び氷に包まれた。

地球の歴史は自然の力だけで温室効果ガスを減らせることを教えてくれた。
しかし山脈ができるのには何百万年もかかる。
私達にはそんなに長い時間待っている余裕はない。
しかし地球の歴史から得た教えが無駄になったわけではない。
私達は今地球温暖化を防ぐため、大気中から二酸化炭素を取り除く方法を開発している。
その1つの方法は海藻を大量に発生させること。
光合成によって大気中の二酸化炭素を取り込ませようとしている。
陸地では疑似的な光合成をしてくれる人工の樹を作る計画もある。
しかし最大のチャレンジは大気中に放出される前に二酸化炭素を捕まえるのだ。
次に何千トンもの二酸化炭素をどこかに捨てなければならない。
その方法とは?
水がしみ込まない岩石に大きな縦穴を掘る。
次に縦穴に二酸化炭素を注入し、砂や岩の間の小さな隙間に閉じ込める。
上には岩石があるので地表に漏れ出すことはない。
これで温室効果ガスの問題が全て解決するわけではない。
けれどもよりクリーンなエネルギーを開発するまでの時間稼ぎにはなるだろう。

これまで人類が地球に与えてきた影響は良いにしろ悪いにしろ、意図したことではなく、偶然の産物だった。
科学の力によって人類は地球の仕組みを理解し、予測不能な自然の力から身を守ることができるようになった。
私達は今新しい時代の入口にいる。
人類は自分達が自然に与える影響をコントロールするようになった。
さらには文明が繁栄し続けられるよう努力している。
世界中が力を合わせて、あるプロジェクトに挑戦しようとしている。
ノルウェー領、Svalbard諸島にある施設は海の水位が上がっても大丈夫なように、標高の高い場所に作られた。
さらに核爆発にも耐えられるよう、山の奥深くに穴を掘って作られた。
この世の終末が来ても人類が生き延びるための計画だ。
植物学者のモルテン・ラズムーセンはこの施設に入ることを許可されている数少ない1人。
「ここには世界中の戦植物の種が保管されている。」
それぞれの作物について1種類の種が保存されているわけではない。
どんな環境でも作物が健康に育つように、あらゆることを想定し、何千種類もの種が保存されている。
この先地球規模で何らかの大きな災害が起こらないとも限らない。
もしそうなった時、必要な作物が失われないよう、ここに種を保存してあるのだ。
人類は立ち上がり始めている。
絶えず変化し続ける不透明な未来に向けて、着々と準備を始めているのだ。
この施設は世界中の人類が地球と向き合い、大いなる自然の力と共に生きようとする意志の象徴かもしれない。

アンコールワットを作ったクメール人はモンスーンがもたらす雨水を利用して繁栄したが、人口の増加によって水の供給が追いつかなくなった。
アメリカ南西部チャコキャニオンのアナサジ族はエルニーニョ現象が引き起こした突然の長い干ばつによって滅んでしまった。
エーゲ海に浮かぶサントリーに島で繁栄したミノア文明は火山の爆発によって滅ぼされた。
しかし今地球と人類の関係は変わりつつある。
今や人類は地球の力と同じくらいの強い力を持つようになった。
人類ははたして我々が暮す地球と私達の未来を守ることができるのだろうか?
今こそ人類はこれまで培ってきた力を最大限に発揮する時なのかもしれない。

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被曝の森は今 Chernobyl,A National History?

1986年4月26日午前1:23、旧ソビエト、ウクライナ共和国にあったチェルノブイリ原子力発電所で、2度の爆発が起きた。
その後火災が10日間続き、大量の放射性物質が大気中に放出され、国境を越えて広大な範囲に汚染が広がった。
発電所から半径およそ30km圏内は立ち入り禁止杭kに指定され、誰1人として入ることを許されなかった。
立ち入り禁止区域の住人135000人は事故の翌日に強制退去となり、2度と戻ることはなかった。
人間が足を踏み入れることを禁じられた区域には、野生の生物だけが取り残された。
その後この地に何が起きたのか?
チェルノブイリ原発4号炉の周り半径30kmは、今も人が住めない場所となっている。
セシウムやストロンチウムだけでなく、この30km圏内にはもっとも危険なプルトニウムもまき散らされている。

皮肉なことに事故後人が強制退去させられた区域に入ってきたのは自然だった。
30km圏内は馬や鹿、熊などの大型動物から鼠や鳥に至るまで、多様な生物が住む、いわば自然の楽園となった。
動物達には目に見えない臭いもしない放射性物質の危険性は分からない。
同時にこの区域は科学者達にとっては放射線が生物に与える影響を長期的に観測できる絶好の実験場ともなった。
野生の営みは一見穏やかだが、それぞれの生物の体内では、日々放射線との過酷な戦いが続き、抵抗と適応が繰り返されてきた。
チェルノブイリ原発に隣接する町Pripyatは、人々が立ち退くと完全な静寂に包まれた。
住民達がここに戻ろうと思わないよう、政府が兵士を送り込み、町を破壊つくしたため、ゴーストタウンと化したのだ。
しかし静寂はすぐに破られた。
あえてこの呪われた土地に足を踏み入れようという人達が現れた。
立ち入り禁止区域は厳重に警備されているが例外がある。
当局の許可を得た科学者は、検問所を通りこの区域に自由に出入りできる。
通常の数千倍の放射線が検出され、非常に危険だとされる地域も彼らには関係ないようだ。

1986年事故直後の処理のため、およそ80万人の作業員が立ち入り禁止区域に送り込まれた。
セルゲイ・ガシュチャク(国際放射生態学研究所 放射生態学者)もその1人、基準を超えて被曝し、チェルノブイリを離れたが、いつか必ず研究のために帰ってこようと心に決め、実際に戻り区域内で行われた研究のほとんどに携わってきた。
ガシュチャク「私は動物学者になった。
カメラと双眼鏡を手に、立ち入り禁止区域をくまなく歩いたり、車や船を使ったりして回っている。
この20年間この一帯で何が起きたのかよく知っている。
この土地には強く惹かれる。」
生態系がここまで広範囲に、これほど大量の放射能で汚染されたことはかつて1度もなかった。
いわば野外実験室ともいえるこの区域で科学者達は驚くべき現象を発見してゆくことになる。
ガシュチャク「ここは原子力発電所から2km離れた場所、放射線量は通常の1000倍、罠にかかったオスの鼠、この地点は放射線レベルが非常に高いので、ネズミもかなり被曝しているだろう。
だが驚くことにこの鼠はとても元気で力もある。
自分の身を守ろうと必死に抵抗している。」
大惨事から20年以上経過し、チェルノブイリの自然は驚くような方法で本来の姿を取り戻しているようだ。
現在立ち入り禁止区域には多くの種類の野生動物が生息している。
事故以前にはいなかった熊などの動物も外から移り住んできた。
イノシシやシカ、ノロジカもよくみられる。
鳥たちは損壊した原子炉を覆う石棺に巣を作っている。
ここの放射線量は通常の100万倍、しかし不思議なことに、どの動物も実に健康そうだ。
チェルノブイリの立ち入り禁止区域は動物の楽園になったのだろうか?

植物の目を向けてみると木も草も盛んに生い茂っている。
建物の中にまで入り込んでいるほどだ。
かつてソビエトの理想郷と謳われたこの一帯は、ゆっくりと、しかし確実に森に飲み込まれてゆき、町という町がジャングルと化した。
植物も動物同様一見放射線の影響を受けていないようだ。
ガシュチャクは放射線の影響について調べるための対象に鼠を選んだ。
原発事故の後、人間はまだ1世代しか進んでいないが、ネズミは次々に子供を産むため、すでに40世代進んでいる。
そのため放射線の長期的な影響について貴重な情報を得られる。
ガシュチャクは調査で使うバスにガンマ線測定器を積んでいる。
鼠の体からでている放射線を正確に測定し、本当に鼠に異常がないかどうかを調べる。
「体内に放射性物質のセシウム137が大量に蓄積されている。
ここで暮す動物は食物連鎖によって大量の放射性物質を吸収する。
驚くべきはそれでも生きていて、繁殖させしているということ。
しかも見た目に異常はなく健康そう。」
被曝した動物が見た目に変異を表すことなく今もなお放射能に侵された環境で生きている。
自然がそうした常識外の状況に至るまでに一体何があったのだろう。
それを確かめるためには事故直後に何が起きていたのかを知る必要がある。

時は1986年4月26日午前1:23、事故は200トンもの酸化ウラン(核燃料)が放出されたばかりの原子炉で起きた。
デニス・スタモーズ(フランス放射線防護原子力安全研究所 地球科学者)のチームは土壌に入り込んだ放射性物質がどうなったかを調査している。
「爆発は急激に発せられた水が瞬時に蒸発することで起きる水蒸気爆発だった。
核燃料が空気中に飛び散り放射性物質が地上に降り注いだ。」
原子炉が爆発しただけで終わっていればチェルノブイリの事故はここまでの大惨事にはならなかっただろう。
質量の大きい放射性物質は遠くまで飛び散らないので半径30km圏内にとどまったはずだからだ。
ところが火災が発生し、しかもそれが10日間続いた。

「火が上がっている間原子炉の温度は非常に高くなった。
核燃料に含まれる放射性物質のうち、質量の大きなものは発電所の周辺に散らばったが質量は小さく揮発性の高い物質は煙と共に遠くまで拡散したのだ。
小さな放射性物質は空に舞い上がり、移動を開始、悪名高いチェルノブイリの雲が発生し、国境線を安々と越えていった。
1986年4月26日から5月9日までに雲が通った地域を表す映像、この10日間で無数ともいえる放射性物質が環境中に散らばった。
世界中の原子力発電所が1年間に排出するはく廃棄物の3万倍に相当する。
今日でも人類が日々浴びている放射線の3%はこのチェルノブイリの雲に由来すると言われている。
「放射性物質の飛散地域には天候も影響した。
汚染物質の雲は風向きによって刻一刻と進路を変えるからだ。
その雲が雨を降らすと水滴の落下した先は放射性物質で汚染される。
一方雲が上空を通り過ぎただけの場所は汚染を免れた。
汚染地域はまだらに広がり、対応は困難を極めた。」

政府は住民の安全を図るために何千もの場所で放射線量を測定し立ち入り禁止区域を設定し直した。
各地の放射能レベルにはまったく規則性はなく、深刻な汚染を受けていながら住民に避難命令がでていない地域も見つかった。
1986年春の日差しと共に強い放射能を持つ何百万もの原子が降り注ぎ、放射線と自然との激しい戦いが始まった。
植物、動物、微生物、あるとあらゆる生物が大量の放射線を浴び、体中の細胞が直接放射線にさらされた。
これは急性被曝期と呼ばれている。
放射性物質の原子核は非常に不安定な状態で存在している。
この原始核が崩壊すると、光の速さで進むエネルギーであるフォトン(光子)が放出される。
フォトンはほとんどの物質を通過する、肉眼では全く見ることのできない放射線の1つだ。
フォトンは生物の細胞にぶつかると、その分子を破壊する。
その時フリーラジカルと呼ばれる分子のかけらが飛び散る。
フリーラジカルには強い毒性があり、今度はこれが他の分子を破壊してゆく。
生物は大量の放射線を浴びる連鎖が連鎖を呼び、細胞、ひいては組織が破壊されてゆく。
ある一定量を超える放射線に対して生物は防衛機能を持っていないのだ。
後に立ち入り禁止となる区域では、事故から数か月の間に数えきれないほどの動物、昆虫、植物が命を落とした。
バクテリアなどの微生物にまで目を向ければ、失われた命の数はさらに膨大。
発電所の近くにあった何千本もの松の木は、わずか数週間で赤くなり枯れてしまった。
この不吉な森を科学者達は赤い森と名付けた。

事故から数年の間に立ち入り禁止区域の周辺で奇形の家畜が生まれたとの報告が400件以上もあった。
放射性物質で汚染された場所はモザイク状に広がっていったため、被害の少ない地域の隣に動物が完全に死に絶えた地域があるという条項だった。
一瞬の閃光と共にすべての核エネルギーを放出する核爆弾と違い、チェルノブイリに降り注いだ放射性物質は安定した状態になるまで、落ちた場所で放射線を出し続ける。
スタモーズ「物質が出す放射線の量はある一定の期間が経過するごとに半分になり、その期間のことを半減期という。
半減期の10倍の時間が経過すると、その物質には放射能がなくなったとみなされる。
半減期から数日から数秒と早いものはすぐに放射能がなくなり、それ以降は放射線障害を引き起こさない。
一方プルトニウムやウランの半減期は数万年〜数億年と気の遠くなるような時間。」
現在の立ち入り禁止区域の放射性物質は事故直後の3%以下にまで減った。
しかしこの先もきわめて長期間にわたり、放射線を出し続ける物質も残っている。
このことが自然界にどのような影響を与えるのかはまだわかっていない。
チェルノブイリ一帯は急性被曝期を終え、次の段階に入った。
低線量被曝がある慢性期だ。
事故直後の数年に比べれば放射線はほとんどないに等しい状態だが、それでも通常の数千倍はある。
事故の後歳月が流れてゆく中、被曝した植物は枯れてゆき、やがて分解される。
すると放射性物質が土の中にしみこみ、それを別の植物が根から吸収する。
放射性物質を含む植物を動物が食べると、今度は動物の体に放射性物質が移る。
あるとあらゆる生物が食物連鎖を通じて体内の放射性物質を取り込んでゆく。
体の内側から放射性を受けることを内部被曝という。
立ち入り禁止区域内の生物は、やがて内なる敵と戦うことになった。

発電所から18km離れた家庭菜園の土も事故で汚染された。
レオニード・ボクダン(放射線生物学者)は事故の後チェルノブイリを一旦離れたが、再びここで暮らしている。
本来立ち入り禁止区域に住むことは禁じられているが、彼は例外中の例外。
この区域はは管理業務に携わる職員が2000人いて、共同の宿舎で暮らしている。
彼らは外から持ち込まれたものだけを食べていて、区域内の栽培は厳禁。
自宅で1人暮らし、畑で作ったものだけを食べているボグダンは実はこの区域できわめて特殊な仕事についている人物。
この20年様々な生物が持つ放射能を測定する研究所の所長を務めてきた。
「今はサクランボがおいしい季節。
人間が食べなきゃハチが食べるだけ。
もちろんサクランボにも放射性物質は含まれている。
でも果肉にはごくわずかしか含まれていない。
たくさん含まれているのは種の部分。
果肉はとてもおいしい。
種の吐き出しさえすればちゃんと食べられる。」
ボグダンは通う研究所はかつてはデイケアセンターだった場所。
研究者達は立ち入り禁止区域で採取した何千もの植物を検査し、2つの放射性物質、セシウム137とストロンチウム90が生物の組織にどうやって入り込むのか、驚くべき仕組みを明らかにした。
それらは別の物質に成りすましていたのだ。

赤い森で採取したカバノキの葉、軽量すれば準備完了。
まず葉のなかに含まれているセシウムとストロンチウムが放出する放射線の量を測定する。
ボグダン「放射性物質であるセシウムはカリウムと化学的な性質が似ている。
またストロンチウムはカルシウムと似ている。
カバノキはカリウムとカルシウムを大量に必要とする植物なので、それらとよく似ているセシウムとストロンチウムを大量に吸収してしまい汚染も深刻なものになる。」
植物はセシウムをカリウムと間違え、ストロンチウムをカルシウムと間違って認識して無防備に取り込んでしまう。
ごく最近になり人類が核廃棄物としてこうした物質を作り出すまで、地球上にはなかったのだから。
ボグダン「どんな食部tもカリウムとカルシウムがなくては生きてゆけないが、それらをどのくらい必要とするかは植物の種類によって違う。
そのためセシウムとストロンチウムをの吸収量も種類によって違ってくる。
私達は畑で採れた作物を1つ1つ徹底的に分析した。」
ボグダンは栽培する野菜や果物を化学的なアプローチで調べ上げたからこそ、被曝した作物でも何の心配もなく食べることができるのだ。
しかし立ち入り禁止区域内に生息する野生動物はそうはいかない。
毎日大量のセシウムとストロンチウムを何も気にせず口にしている。
こうした動物はどのような防衛機能を持っているのか、そしてこの先どのような結末が待っているのか?

カール・ラーソン(スウェーデン放射線保護機関 生物学者)「細胞が放射線を浴びた時に出現するフリーラジカルはDNAに損傷を与える。
しかし生物は進化の過程で修復する機能を身に着けているので、たいていの場合は損傷に対応できる。」
DNAはついになる2本の紐がらせん状に組み合わさった構造になっている。
どちらか一方の紐が損傷すると、もう片方が修復の設計図として機能する。
残された正常な紐を見れば欠けた部分の構造が分かるからだ。
こういった修復作業は、DNAの一部が欠けるとすぐに行われる。
「DNAの修復機能は必ずしも完璧なものではない。
修復の過程でミスが生じ、突然変異が起きることもある。
突然変異を起こした細胞は死んでしまう場合もあれば、そのまま増殖を続けることもある。」
赤い森に住むネズミは放射線を浴びた動物の代表。
鼠は地表近くで暮らしているので食べ物による内部被曝に加え、土や植物が出す放射線にも1日24時間毎日さらされている。

ロバート・ベイカー(テキサス工科大学 遺伝学者)はチェルノブイリの鼠の研究を1994年から続けている。
彼の研究室には立ち入り禁止区域で集められた動物の標本が何全体も保存されていて、世界中の研究者が利用できるようになっている。
1994年ベイカーはウクライナの科学者セルゲン・ガシュチャク(国際放射生態学研究所 放射生態学者)と共同研究を始めた。
放射線の多い環境で生まれ育った鼠の研究だ。
テーマはすぐに決まった。
「放射線の影響で突然変異が起きていることが予想された。
被曝というと多くの人は癌を連想するが、私は生まれてくる子供達が先天性の異常を持つ古都も恐ろしいと思った。
そこで被曝と先天性異常の関連性を解明するために、突然変異した鼠を調べることにした。」

統計学的に信頼できるデータをとるために、2人はまず大量の鼠を捕まえることから始めた。
鼠はガシュチャクの所属する国際放射生態学研究所に移す。
放射線が生物に与える影響を研究する目的で、1999年に設立された施設だ。
DNAの配列を解読するためには鼠の爪ひとかけら分の組織があれば大丈夫。
次にサンプルを培養器に入れ、テキサス工科大学に送る。
チェルノブイリの鼠の遺伝子はベイカーの研究室で1匹分ずつ解読される。
その結果は驚くべきものだった。
突然変異した鼠の割合が非常に低かったのだ。
また、ここに生息する鼠の種類の多くが遺伝学的にとても近いことが分かった。
研究チームは調査を続け、この謎を解明していった。
まず事故直後、放射線が大量に降り注いでいた汚染区域に住んでいた動物はすべて死に絶えた。
広大な範囲が生物の空白地帯となり、区域外の動物たちに開放された。
「被曝しても死なないレベルまで放射線量が下がってくると外部にいた動物達はこの空白地帯に入り込み、そのまま住み着いた。
そしてたくさんの子供が生まれ、種を存続できるようになった。
たとえ放射線があったとしても他の動物との競争がない場所の方が暮らしやすかったのだ。
そうした環境下で精子と卵子を作り、どんどん繁殖していった。」
もともとチェルノブイリ周辺には事故で絶滅した鼠と遺伝子的に近い鼠が生息していた。
その鼠達は空白地帯に入り込み、それぞれ散らばっていった。
チェルノブイリ一帯では他の動物もこれと似たような行動をとったと考えられる。
外部にいた動物達が立ち入り禁止区域に入り込み、時間をかけて増え続け、遺伝的多様性を獲得する、そんなことがあり得るのだろうか?
鼠に特異な病気は見つからなかった。
しかしさらに詳しく調べてみるとネズミなどの小動物は放射線に対して優れた防衛機能を持っていることが分かった。
セルゲイ・ガシュチャク「動物達の体に障害や異常があるのは明らか。
また放射能レベルが高い環境で暮らしているので、体にストレスがかかっていることや、損傷を修復するシステムがフル稼働していることは間違いない。
しかしそれにも関わらず調査したどの動物も放射線で受けた損傷を自ら修復し生きていけることが分かった。
これは防衛機能を持っていることを明らかに示している。」
チェルノブイリでは鳥類に関して2人の科学者が膨大なデータを集めている。
はたして鳥にも放射性物質に対する耐性があるのだろうか。

アンデルス・モレール(バリ南大学 進化学者)とティム・ムソー(サウスカロライナ大学 生物学者)はチェルノブイリに生息する鳥について1991年から調査し続けている。
2人が注目しているのは赤い森のような汚染度の高い区域と、あまり汚染されていない区域とで、鳥の個体数に違いがあるかどうか。
それが分かれば鳥に対する放射線の影響を知る糸口になると考えた。
「調査した結果汚染区域では鳥の個体数はおよそ半分、種類はおよそ3分の2と著しく少ないことが分かった。
調査を行ったすべてのポイントで同じ結果だった。」
チェルノブイリにはソビエト時代の集団農場コルホーズの廃墟がある。
汚染のレベルは低いが、モレールとムソーはここで低線量被曝の影響に関する重大な発見をした。
それは世界中で15000倍以上のツバメを捕獲して調査してきた2人でさえ見たことがないものだった。
「この場所で調べたツバメには腫瘍ができていた。
足、首、目の周り・・・
小さな卵、大きさは正常なものの4分の1くらいしかない。
こうした異常な例は次々見つかっており、ここ数年調べたものだけでも15ものタイプに分類できる。
そのうちの10タイプはこれまで世界中のどの個体群でも見たことがないもの。」

「辺りに放射線があることをはっきりと示すサイン、鳥にごく小さいが色が抜けたスポットがある。
部分的に色素を失っているのだ。
これは自然の中ではほとんど見られないきわめて珍しい現象。
羽にこうした白いスポットがよくみられるのは他ではパリやモスクワなどの大都市くらい。
大気汚染のレベルが高いせいだろう。
この地域では羽の形に異常があるケースもいくつか確認されている。
例えば羽の長さが左右で違い、左右対称になっていないケースなど。
長い距離を飛ぶ鳥にとって左右の羽やしっぽの両側の羽の長さが違うことは命に係わる重大な問題。
空気力学上大きな障害となる。」
このほかにもツバメの老化が早く、1年以上の生存率が3割しかないことをつきとめた。
こうしたツバメは繁殖のために戻ってくることができない。
さらにツバメから採取した精子の5割以上で形態的な異常が確認された。
このような精子は受精できない。
「実はこの区域に住むツバメの多くはこの土地で生まれたわけではない。
なぜならこの区域のどのポイントで調査してもツバメの生存率は著しく低いという事実があるから。
これらを考えあわせたところ1つの結論にたどり着いた。
この区域のツバメの数が減らずにいるのは、常に別の場所で生まれたツバメが新たに加わっているからではないかと考えるようになった。」

放射線の影響で大量のツバメが死ぬと、その空白地帯に新しい鳥がやってくるが、それらも低線量被曝によって結局は死んでしまう。
人間が去り、チェルノブイリはヨーロッパ最大の動物の楽園になった。
しかしここにやってくる鳥にとっては地獄かもしれない。
2007年モレールとムソーは数百羽のツバメの分析を通じ、ツバメの個体数が少ない理由を説明する手がかりを得た。
渡り鳥であるツバメはアフリカで冬を越し、この土地に戻ってくる。
そしてその際に体力を消耗し、体内にある抗酸化物質の大半を使い果たす。
その抗酸化物質は放射線との戦において重要な役割を担っている。
放射線によって分子を切断され、毒性の高いフリーラジカルが生み出されてもそれを抗酸化物質が消し去るのだ。
ツバメがチェルノブイリの汚染区域に到着すると、体内に残された抗酸化物質は次々に作られるフリーラジカルとの戦いで急速に消費される。
そして蓄えが尽きるとフリーラジカルが組織を破壊し始める。
その結果体に異常が発言するまでに長くはかからない。
ツバメが衰弱するのに対し、鼠はなぜずっと健康を保てるのだろうか?
鼠が放射線に対して持っている並外れた防衛機能、そのメカニズムを解明しようと2008年テキサス工科大学のベイカー教授の研究チームがブレンダ・ロジャーズ(テキサス工科大学 遺伝学者)をリーダーとして新しい実験を始めた。
その結果明らかになった鼠の適応能力は予想だにしないものだった。
研究チームは放射線をまったく帯びたことのない実験用マウスを45日間赤い森に置いた。
そして比較のため別のマウスを汚染されていない区域に置いた。
赤い森に置いたほうのマウスは放射線の1つであるガンマ線を毎日通常の1000倍浴び続けたことになる。
1000倍でも科学者達にとっては低線量。

こうして実験の第1段階が終了、マウスを回収する。
次にすべてのマウスに1.5グレーという大量の放射線を数分の1秒浴びせる。
普通なら細胞の分子、特にDNAが破壊される量。
赤い森で低線量被曝させておいたマウスとそうでないマウスとでは、何か違いが現れるのだろうか?
24時間後マウスを調べてみると細胞の分子が大量に破壊されたことで、実に様々なことが体内で起きていることが分かった。
「事前に放射線を浴びなかったグループに大量の放射線を浴びさせると、予想通りDNAが破壊された。
一方大量の放射線を浴びる前に弱い放射線を浴びていたグループはDNAの損傷レベルが低かった。
少量の放射線は体によいというホルミシス効果があるのではないかと考えた。」
ホルミシス効果とは本来は有害なものでも、わずかな量を与えることで耐性が生まれ、有益に作用するというもの。
赤い森の弱い放射線がマウスの体に有益に働いたのではないかと考えられた。
「私たちはDNAを修復するために働く遺伝子が増えるのではないかと予想していたが、そのようなことはなかった。
実際にはフリーラジカルへの対抗システムをコントロールする遺伝子とそのシステムに変化が生じた。」
ガンマ線を大量に浴びると体内で有害なフリーラジカルが発生するが、それが効率的に消されていった。
そのスピードはなんとフリーラジカルにDNAを壊す隙を与えないほど。
実験によって明らかになったこの驚異的なメカニズムを鼠以外の動物も持っているのか、それとも他の動物はツバメと同じように衰弱し、次々と死に絶えてゆく運命なのか。
放射線が生態系に及ぼす影響を明らかにするのは容易ではない。
1986年の事故で放射線がまき散らされるのと同時にこの区域から人間が1人もいなくなったからだ。

セルゲイ・ガシュチャクは今見られる影響のうちのどこまでが放射線によるもので、どこまでは人間の不在によるものなのかを調べている。
「原発事故が起きる前は、商業用の林では業者は健康な木しか残さず、病気の木、古い木、枯れた木を放っておくと様々な病気が周りの木に広がるので伐採した。
しかしそういった木も健康な木と同じように森の生態系にとってはごく普通の存在ということをわすれてはならない。
健康でない木もそれを食べる動物の命を育んでいる。
事故の後森には病気の木や枯れ木が増え、生物多様性が大幅に増した。
例えば枯れ木などにはコウモリや虫が姿を見せるようになったし、古い木や木のうろには鳥や哺乳動物が住むようになった。」
1940年代国家政策による植林で森ができると林業者達は大量の化学薬品をまいた。
同様に広大な穀倉地帯は化学肥料、殺虫剤、殺菌剤に覆われていった。
こうしてチェルノブイリの周辺も化学物質によって汚染され続けたが、その状況に原発事故という残酷な形で終止符が打たれる。
「人間がいなくなったことは森にプラスに働いた。
動物も植物も土地も空間も人間の干渉を逃れ、自然の法則に従って発展していった。
今では人間が住んでいた頃よりも生物多様性が増している。」
立ち入り禁止区域には白鳥、熊、オオカミ、ビーバーが姿を現すようになった。
新しい動物がやってくるようになると、さらに多様性に富んだ環境に変わってゆく。
捕食者、それも大型の肉食動物の数が増える。

「この地域では植物、草食動物、肉食動物がそれぞれに適切な数を保ち、バランスよく暮らしている。
食物連鎖が正常に機能した非常によい状態だといえる。」
広大なチェルノブイリ地域では、自然が本来の姿を取り戻したかのように見える。
何千人もの命を奪う悲劇が起きたまさにその場所で・・・
しかしいくら自然が本来の姿に戻ったとしても、そのために私達人間が払った犠牲はあまりにも大きく、それを認めろと言われても到底受け入れられるものではない。
この先どのような状況が待ち受けているのだろうか?
チェルノブイリの自然は回復しつつある。
しかし現在ウクライナの政情不安と財政難から立ち入り禁止区域の一部を活用しようという動きがある。
よそで排出された核廃棄物の処理や埋蔵をこの場所でになってはどうかというのだ。
ガシュチャク「ここを自然保護区にしてほしいと願っている。
理想をいえば自然を保護するために最善を尽くしてほしい。
それからここに研究チームのための拠点ができれば、とも思っている。
安全も確保しながら、自然を保護する。
それが私の夢。」

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プラネットツアー★地球が文明を作った4.火の力

火の力の凄さを体験するために、消防士が火の中へ飛び込む。
最先端の技術によって開発された防火スーツは耐熱性に優れた素材でできており、マスクには強化ガラスが使われている。
酸素を送る装置もついている。
しかしこの重装備でも炎に耐えられるのはわずか数秒、たった7mの距離を歩くだけだが炎は摂氏1600℃にまで達している。

恐ろしい炎、しかしその怪しげな光は美しささえ感じる。
私達はもはや火の力なくして生活してゆくことはできない。
火は電力を生み出し電力は機械を動かす。
誰もが毎日火を使っている。
地球の歴史を調べてみると、火の力が人類に対し、いかに大きな力を及ぼしてきたかが分かる。
しかし実は地球の46億年に及ぶ長い歴史のうち、ほとんどは火のない時代だった。
かつて地球上には砂と岩しかなく、燃えるものはなかった。
初めて火が登場したのは地球の歴史から見るとごく最近、およそ4億年前のこと。
火が誕生するきっかけを作ったのは植物だった。
陸の上に植物が育ち、これが火の燃料となった。
植物の役割は他にもあった。
火が燃えるために必要な酸素を生み出すことだ。
炎が燃え上がるには大気中に13%以上の酸素が必要。
しかし誕生したばかりの地球には酸素はほとんどなかった。
光合成をする植物は太陽の光を使って二酸化炭素と水から炭水化物を作る。
その時酸素を生み出す。

およそ4億年前、光合成によって大気中の酸素濃度が火を起こすのに必要な13%を超えた。
火が発生するために必要なものはあと1つ、火花だ。
火花は雷から生まれる。
雷が森林や草原に落ち、植物を燃やした。
何億年もの間、誰も火をコントロールすることはできなかった。
どこからともなく火がつき、どこまでも広がる炎。
燃える物がなくなるか、雨が降るまで消えることはない。
そんな火の力に注目したのが人類。
およそ150万年前、人類は火をコントロールするようになった。
私達人類は火を起こすことができるようになった。
自然の力に頼らず、自分達の力で火を起こし、使った。
人類が火の力を手に入れた瞬間だ。
その役割はとても重要だった。
そしてそれ以降、人類と地球の歴史は大きく変わり始めた。
火によって生まれたいくつもの可能性、人類は火を使って食べ物を焼くようになった。
火は温もりと光を与え、天敵から守ってくれた。
火で草をもやせば草を刈る手間が省ける。
火は私達にとって最強の武器となった。
毎日の生活に欠かせなくなった火、その光は信仰の対象にもなった。
紀元前6世紀頃に生まれたと言われるゾロアスター教も火を大切にした宗教の1つ。
人々は火には奇跡を起こす力があると信じていた。
火は自分達を守るものだと考え、火を祭壇の上で燃やして大切にし、崇拝するようになる。
人々にとって火は聖なる存在だった。
彼らは火を神だと考えた。
温もりと優しさを与える存在。
火を崇めれば善い行いや良い考えができるように導いてくれるだろうと信じていた。
ゾロアスター教はユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教などに影響を与えたと言われている。

およそ6000年前、人類の生活に新たな変化が訪れる。
その変化は炭素によってもたらされた。
もっとも純粋な炭素の結晶ダイヤモンド。
炭素は美しいだけではない。
地球上のあらゆる生命の源。
火にとっても炭素は特別な存在、火と炭素はどのように結びついているのだろうか?
植物は光合成によって二酸化炭素から炭水化物を作る。
炭水化物を使って成長した枝や幹には炭素がたくさん含まれている。
火によって植物が燃える時、植物に含まれる炭素から熱エネルギーが生まれる。
なので炭素が豊富に含まれる木材はよく燃える。
木材を燃やした場合、炎の温度はおよそ摂氏700℃、やがてそれより高い温度で長時間燃え続ける燃料を求めた人類は、木材を蒸し焼きにして炭素を多く含む燃料を作るようになった。
蒸し焼きにした木材・木炭は一度火がつくと簡単には消えない。
しかも火力が安定した木炭の炎は摂氏1100℃にまで達する。
それは金属をも溶かすことができる温度だった。
木炭によって石から金属を取り出す技術は人類史上大きな発見となった。
金属の時代がやってきたのだ。
金属によってコインや武器など新しい道具がたくさん生まれた。
それは人類がさらに発展するための礎となった。
鉄を尽かすのに欠かせない木炭作りは次第に大きな産業になった。
一方で問題も生まれる。
木材が不足し始めた。
イギリスはもとも国土のほとんどが森に覆われていた。
しかし16世紀の終わりには森林の9割は切り倒されてしまった。
ロンドンでは木材が手に入らなくなり、価格が跳ね上がる。
イギリスだけでなく、世界中の国々で同じような燃料不足が起こった。
16世紀末、エネルギー危機が世界を初めて襲った。
これまで方法ではこの危機を乗り越えられそうになかった。
人類を救った新たな燃料、それは森から生まれた石炭だった。

アメリカ西部オレゴン州、一見何の変哲もない湖、水は澄みきっている。
湖祖底からまっすぐ上に突き出ている神秘的なもの。
およそ3000年前の木の幹、水に沈んだ森の跡。
枯葉などが水中に落ちてもそれを分解する微生物が少ないため、底に積み重なってゆく。
昆虫などの微生物に分解されなかった木々は、腐葉土になることはなく、保存される。
水に沈んだ森は木々がそのまま残る。
そして長い時間を経て生物の死体や泥などに覆われ埋もれてゆく。
何百万年にもわたって木々は水の中で変化していった。
そしてまったく別のものに生まれ変わる・・・石炭だ。

石炭は火と人類の間に新たな関係をもたらした。
今ある木材を燃やし尽くす代わりに人類は石炭を使うようになった。
石炭という自然の恵みに、私達は救われた。
しかしどこにでも存在しているわけではない。
石炭が見つかるのはごく限られた場所。
最初に石炭の恵みに与ったのはイギリス。
少し掘るだけで豊富な石炭が見つかり簡単に採ることができた。
17世紀初めには、家庭や工場で使われる燃料も木から石炭へと変わる。
すでに世界中で石炭が使われていた。
イングランド南西部グロスターシャーにある森、地面の近くにあった石炭はすぐになくなり、炭鉱の労働者たちは地下深くを掘り進めた。
地中に鉱脈を求めた。

地面から石炭を掘るのはさほど難しくない。
しかし地中深く掘れば掘るほど大きな障害が立ちはだかった。
17〜18世紀の炭鉱労働者を悩ませた。
大きな障害は水だった。地下には鉱脈だけでなく水脈も通っている。
水脈に達した途端、炭鉱の中に水があふれ、石炭を採ることができなくなった。
水はものすごい勢いであふれるため、手でくみ出すことはできなかった。
しかし18世紀初め、技術者たちが解決法を見つける。
蒸気機関だ。
はじめは炭鉱から水をくみ出すために設計されたが、すぐに応用されるようになる。
蒸気と石炭を組み合わせた動力はのちに世界経済を支える大きな力となる。
石炭の火力によって鉄よりも強い鋼が生まれた。
鋼を使って列車や船が作られそれらは蒸気の力で動いた。
その結果石炭の需要はさらに増す。
このようにして世界は産業革命の時代へ突入していった。

もう1つ石炭をたくさん持つ国があった。
中国だ。17世紀にはこの国にも産業革命がおこるはずだったが、中国は全く違う道をたどった。
中国はすでに広大な帝国を築いていた。
そして確かな技術力と財力を持っていた。
石炭を採るのは難しくなかったはず。
しかし問題があった。膨大な石炭量を誇るもののその場所は大きな町から遠く離れていた。
人々はなんとかして石炭を町まで運ぼうと考えた。
彼らは中国大陸を横断する川・黄河を使おうとする。
木造船で急流を下る。
もし石炭がいっぱい詰まっていたらこの流れを超えるのは難しかっただろう。
さらなる難関が続く。
逆に川を登る時には人の力に頼るしかない。
途中までは川を下れるが、その先の運搬は非常に困難だった。
貨物船は急流より先には進めなかった。
跡は陸から船を引っ張るしかない。
しかしこの方法では長い距離を運ぶほど人件費などで価格が上がってしまうため、1000km以上離れた位置まで石炭を運ぶのは現実的ではなかった。
地形が妨げとなって中国は国を発展させたであろう膨大な石炭を使うことができなかった。
蒸気機関の発明によって問題を解決したイギリスに比べ、中国は地理上の問題を解決することはできなかった。
地球が与えた恵みを人間がどこまで生かせるかが問われた瞬間だった。
イギリスが産業革命を推し進めていた頃、中国は北京の北にある承徳という町で、大きな庭園を造っていた。
広い国土と民族の多さを示すためだ。
黄河にミニチュア版に万里の長城、チベットのダライラマの宮殿のレプリカまっである。
中国は広い国土をいかにして治めるかを何より優先した。
技術革新に力を注ぐより、国の安定が大切だった。
優れた知恵は全て国の治安のために使われた。

中国が大陸の中心部にまでつながる道路や鉄道システムを整えたのは20世紀の半ばのこと。
そして独自の産業革命を推し進める中国は今、世界最大の石炭生産国であり、消費国となった。
300年前エネルギー危機を解決できなかった中国の指導者たち、しかし人民達は違った。
ケンポ・メランツ教授(カリフォルニア大学アーバイン校)は中国人が現在世界中で知られる斬新な発明をしたと考えている。
「中華料理はもともと煮物が中心だった。
いろいろな食材を何時間もかけて煮込む。
広大な森があり木材が豊富だった時代の名残。
人々が燃料を節約する工夫をした結果、中華鍋が生まれる。
薄い鉄でできているので、効率よく熱を伝えることができる。
鍋の形は炎をしっかり捕えるようにできている。
また野菜や肉などの食材はとても薄く切られた。
加熱時間を短くするためだ。」

石炭を使うことができるかどうかは1つの国の運命を左右する問題だった。
しかし時代と共にエネルギーも変化する。
今日では石炭に代わる新たな燃料が世界中で使われている。
石炭不足を十分に補った燃料、それは石油。
石油はどこから現れ、どのように作られるのだろうか?
イラン南部の洞窟、中に入るのにロープを伝って50mも降りる。
ここではとても珍しい現象を見ることができる。
イジー・ブルタンス(プラハ・カレル大学)「ひどく狭い割れ目の上には厚さ100mの塩の層があり、世界1長い洞窟に続く。」

多くの洞窟は硬い岩でできているが、ここは違う。
変わった形の鍾乳石をよく見てみると小さな結晶がびっしり並びクネクネ曲がりくねっている。
この洞窟は全て塩でできているのだ。
天井にまっすぐ伸びた帯状の層が、どこから塩が現れ、どうやって洞窟ができたのか教えてくれる。
「この天井の塩は5億年以上前、海底にあったもの。
ここの海は繰り返し干上がり、塩の層を残した。
厚さはおよそ500mに達する。」
塩の洞窟を作るには膨大な量の海水を蒸発させねばならない。
通常この現象は海の浅瀬で起こる。
海水が蒸発すると厚い塩の層が残る。
しかしそこに残るのは塩だけではない。
浅瀬には様々な生物が暮らしている。
それらの体は炭素でできている。
海の生物の命がつきると、骨は海底に積もってゆく。
何百万年もかけてこれらの骨は炭素の沈殿物となる。
この炭素の沈殿物を実際に見られる場所がある。

カスピ海接する国アゼルバイジャン共和国。
ここでは炭素の沈殿物はナフタランと呼ばれている。
ナフタランは何1000年も前から治療薬として使われてきた。
4000年前、人々はナフタランをビールに混ぜ、薬として飲んだ。
使い方は他にもあった。
お風呂だ。
ブァレ・クルバノフ医師「ナフタランオイルはキリスト誕生以前からこの地域で使われてきたと言われている。
陶磁人々はこのナフタランオイルが湿疹などの皮膚病などに効果があると考えていた。
なので肌の調子が悪くなった時などにオイルのお風呂に入った。」
ナフタランにはよく知られている別名がある。
石油だ。
つまり原油の中に浸かっていたのだ。

時を経て石油の利用法はさらに増えた現在では世界の産業を支えている石油が採れたことによってまず豊かになったのがアゼルバイジャンだった。
何世紀も前から石油が簡単に手に入った。
そして19世紀半ばごろ石油の需要が拡大、世界中で使われるようになった。
アゼルバイジャンの油田が石油ブームの舞台となった。
世界中の企業家が一儲けしようとアゼルバイジャンに集まった。
成功した企業家たちの名前は今でもよく知られている。
ノーベル賞で有名なノーベル兄弟はここの石油で一大産業を築いた。
石油によって富を手にしたのだ。

1900年代初めには、アゼルバイジャンの首都バクーが世界でもっとも億万長者の多い町となった。
アゼルバイジャンは油田のおかげで突然豊かになったのだ。
ここでは地下深く掘ることなく、石油が手に入った。
油田が眠っているという目印があったからだ。
その目印とは奇妙な泥の山。
ケイティ・ロバール(ダラム大学)「山の中央を切り崩すと大きな空洞がある。
ここから小さな管を通って泥が湧き上がり、次第に山が盛り上がってゆく。溶岩のようだ。」
泥が泡立つのは天然ガスが含まれているから。
天然ガスは通常石油と共に作られるアゼルバイジャンのように石油とガスが簡単に手に入る国はごくわずかだった。
しかし20世紀に入り石油の需要は急増。
新たな油田が必要になった、
アゼルバイジャンだけでなく、中東も世界的な石油の山地として注目されるようになる。
中東の石油はどのように誕生したのだろうか?

3億年前、現在の中東にあたる場所は2つの離れた陸地だった。
しかしゆっくりと移動を始める。
2つの陸地は長い間海に使った浅瀬だった。
この浅瀬の底には海の生物の死骸が層となって重なってゆく。
また定期的に海水が蒸発したことで、塩の層も沈殿していった。
現在の中東の形になった頃には、これらの層が地中深くに埋まり、海の生物の死骸は莫大な量の石油へと変化していた。
またアゼルバイジャンと同じように、中東の石油も少し掘れば手に入れることができた。
中東の石油は元々地中深く眠っていた。
簡単に掘ることができない深さだ。
石油を地面近くまで押し上げたものは塩だった。
焼けつく日差しの下に広がるのは氷河。
水の氷河と同じように動いている。
山全体が地中深くからにじみ出た塩で覆われていた。
遠い昔に失われた海の名残だ。
地面では塩が大地を覆うように移動し、この塩によって中東の石油は誕生したのだ。
大陸が移動し中東の形になろうとしていた頃、塩の層と石油のつまった岩の地層がせり上がり始めた。
塩の影響で岩の地層はより曲がりやすくなっている。
そして避けた。
こうして裂け目から石油が上へと流れだし、岩の層の下に溜まっていった。
世界中にある地中の塩の層をと油田の位置はほぼ重なったため、地質学者は石油を見つけるためにまず塩を探した。
石油が生まれるには何百万年もかかり、さらにそれが地面近くまで上がってくるには珍しい地形の変動が必要。
そのため石油は限られた国でしか採れない。
一度発見されればその国の人々はどんな方法を使ってでも手に入れようとするだろう。

そんな人々の気持ちを象徴するのが旧ソビエト領のオイルロックス、一見ありふれた東ヨーロッパの町並み、1940年代から発展を続け、現在はサッカーチームにモスクまである。
しかしこの町はカスピ海の真ん中にある。
陸地からは50kmも離れている。
この油田基地では600以上原油を掘るための井戸が掘られてきた。
今日もオイルロックスでは石油を生産しているが、その量は減ってきている。
まるで人と石油の関係を象徴するかのようだ。
現在私達はこれまでにないペースで石油を使っている。
地球が300万年かけて作った石油をわずか1年で使い果たしている。
人類の歴史に新たな転換期が訪れた。
文明が大きく発展した時には必ずエネルギー効率のよい燃料が新たに発掘されてきた。
しかし石油をはじめとする炭素でできた燃料と人間との関係は終わりに近づいている。
現在炭素を燃やし発生する温暖化ガスが気候を変動させている。
これからも人類が繁栄を続けるために、私達は地球のパワーを生かし地球と共存できる新たなエネルギー源を探る必要があるのだ。

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プラネットツアー地球が文明を作った2.水の旅


アフリカ北部サハラ砂漠、地球上でもっとも乾いた大地が広がる。
ここでは気温が摂氏40℃に達する日も多く、雨はほとんど降らない。
この砂漠をしばらく進むと、人類と水との関係を示す面白い石が残っている。
デビット・マッテニングリー博士(レスター大学)「岩肌にたくさんの動物が描かれている。
ゾウ、サイ、シカの仲間、ムーの大群、キリン・・・
みんな水をたくさん飲む動物。
現在のサハラ砂漠では生きてゆけないだろう。」
6000年前、ここは豊かな水に恵まれていた。
人工衛星からサハラ砂漠を撮影すると、古い川の跡がいくつも交差しながら走っている。
1万年前のサハラ砂漠には、今とは全く違う景色が広がっていた。
当時ここに住んでいた人類について詳しいことはほとんどわかっていない。
ただ彼らの生活が水と深い関係にあったことは確か。
彼らは湖で泳ぎを楽しんでいた。
水辺の植物は家畜のえさになったことだろう。
彼らはたやすく水を手に入れていたに違いない。

しかしやがて気候が変化する。
およそ5500年前、大地は乾燥し始めた。
雨が降らなくなり、川が枯れ、湖は干上がった。
ここに住む人々に残された道はただ1つ、雨を求めて故郷を発った。
彼らがたどった道は時を超えて私達にある真実を教えてくれる。
人類の運命は水と深くかかわっている。
そして水は1ヶ所にとどまることなく常に地球上を移動している。
地球は水の豊かな星だと言われるが、私達にとって使える水はそれほど多くない。
地球の水の97%以上は塩分を含んだ海水で、飲み水や農業用水には適していない。
人類は残り3%足らずの真水に頼って生きている。
さらにその3%さえ確実とは言えない。
真水は一定のサイクルで増えたり減ったりする。

私達の命を支える真水は海で生まれる。
太陽の光が海面を照らすと水の分子が熱せられ、その一部が蒸発して空気中に放出される。
ここから水の長い旅が始まる。
水は常に空気中で漂っている。
1つ1つは目に見えないが、固まると雲になる。
空気中の水分は全体の1000分の1以下だが、陸地の水はすべてここからもたらされる。
水は9日間ほど空気中を漂うと、雨となって地上に落ちる。
地上に落ちた水は次第に集まり川となって地面を削りながら進む。
私達は川や雨から必要な水の量を得ている。
しかしそれは地球上に存在する真水のほんの一部。
全体のわずか2%に過ぎない。
残りの真水は地下に閉じ込められている。
そしてその大部分は氷となって眠っている。
凍らなかった水は土の中へしみこんでゆき、地下水となる。
地下水は集まってやがて海へ流れ込み、再び雨雲へ。
このように水は海から始まる旅を続けてきた。

終わりのない旅を続ける水を私達はあらゆる方法を使って手に入れようとしている。
それは人類の歴史に大きな影響を及ぼしてきた。
氷に注目すると水と人類との関係がよくわかる。
およそ12000年前、北半球の大部分は1枚の氷の板に覆われていた。
現在でもその一部が残っている場所アイスランドの氷河は遠い昔に地球を覆っていた巨大な氷のかけら。
この氷河にはたくさんの水が閉じ込められている。
その氷の増加が人類の暮らしを大きく変化させることになる。
およそ13000年前地球を覆う氷は空気中の水分を大量に取り込んで凍らせ、成長を続けてきた。
その結果地球の裏側を極端な水不足が襲った。
地球上の水分の多くが氷となったせいで、中東は数百年に渡って雨不足となった。
後に肥沃な三日月地帯と呼ばれる豊かな大地に恵まれた地域に、日照りは激しい感想をもたらした。
雨不足は人類にとって深刻な問題。

当時人類は狩りをしたり木の実を拾ったりして食料を得ていた。
三日月地帯に定住していた人々は、日照りによる食料不足のため、様々な工夫を始める。
そして効率よく食料を得ようと考えるうちに素晴らしい道具、食料を刈り取るための小さなナイフを作った。
人類は初めて食料を探して移動することをやめ、1ヶ所に定住し、作物を育てるようになった。
この小さな石のナイフを使えば、素手よりはるかにたくさん作物をかり集めることができる。
水不足とそれに打ち勝つためのちょっとした工夫が文明の誕生をもたらした。
やがて農業の発達と共に、人類と水との関係に変化が訪れる。
人類は雨を追って移動することをやめた。
代わりに作物を育てるのに必要な水源を確保することにした。
その結果文明の拠点となる場所が次第に定まってきた。
それは水のサイクルの中で人類がもっとも安定して真水を得られる場所、川の近く。
地球上で川が占める面積はほんのわずか、そこへ人々が集まり文明が生まれた。

古代エジプト文明、皇帝ファラオの巨大な権力のもと、ピラミッドを築いた紀元前の文明として知られている。
観光客はおろか地元の人さえほとんど訪れることのないという場所、古い階段のようだが、実はこれは巨大な計測装置・ナイロメーター。
これを使ってナイル川の水位を測ることができる。
ナイル川の水位がエジプト全体の運命を左右したため、水位の測定は欠かせないものだった。
ナイル川の水位が平均より高ければ、その年は豊作になった。
作物が多く採れれば人々は豊かになる。

しかしこの地に豊作をもたらしたのは、大量の水だけではない。
川の水に含まれるあるものが関係していた。
他の川と比べてナイル川流域の農業が特に栄えたのはナイル川がただ水を運ぶだけでなく、一緒に良質の土の粒子・シルト(砂より小さく粘土より粗い土の粒子)を運んでいるから。
シルトはミネラルを多く含む。
どの川の水にもシルトは含まれるが。ナイル川の水源、とくに新しい火山岩に覆われたエチオピアの高い山にあり、火山岩は良質なシルトを生み出していた。
年間1億4000万トンのシルトがナイル川を流れ、エジプトに運ばれる。
そして川が氾濫するがびにミネラル豊富なシルトは畑に流れこみ肥料となる。
シルトが多いほどたくさんの作物が採れた。
そこでシルトの量、すなわち作物の収穫量を予測するために、ナイロメーターが使われた。
ナイル川の水位を測れば川の氾濫により流れ出すシルトの量から作物の収穫量が分かり、収入を予想することができた。
その数値からその年の税金の額が決められていた。
古代エジプトが富と繁栄を手に入れたのは、たまたま場所がよかったからだと言える。

一方シルトが採れるエチオピアは、大金を手にすることがなかった。
エチオピアはシルトというもっとも価値ある源をナイル川に持ち去られてしまったからだ。
しかしナイル川の流れは古代エジプトの人々にとって単なる税金の目安以上の深い意味を持った。
ナイル川には社会の仕組みを決める力さえあった。
エジプトのように水の供給源が1つしかない社会では、貴重な水をもっとも有効に使うための仕組みが必要。
農地に水をひくには水路の場所を決める役人がいなければならない。
水路を掘るのは労働者、そして水路が完成したら農民たちは使用量を払って畑に水をひく。
古代エジプトの厳しい階級社会はファラオによる単なる押しつけではなかった。
それはナイル川に水の供給を頼らざるをえない独特の風土から生まれた。
5000年前の川の価値に気付いていたのは古代エジプトの人々だけではなかった。
世界中で川の周りに文明が築かれていた。
チグリス川とユーフラテス川にはさまれたメソポタミアでは、メソポタミア文明が花開いた。
さらに東へ行くとインダス川沿いにインダス文明が、黄河流域では黄河文明が発達した。

しかしすべての農民が川沿いの土地に落ち着いたわけではない。
新たな水源を求め、意外な場所に行き着いた人もいた。
リビア、サハラ砂漠にあるジェルマの町の遺跡。
ジェルマはローマ帝国にさえ屈しなかったガラマンテス人(紀元前500年頃からリビア中部を支配し、独自の王国を作っていたとされる)が築いた町。
彼らはおよそ2000年もの間、サハラ砂漠を支配した。
ジェルマの巨大なモグラの穴のような穴、深さ20〜30mは、畑に水を送るシステム、地元の人がファラガと呼ぶ地下用水地への入口。
サハラ砂漠はその乾いた砂の下に治療の地下水を隠していた。
水は地面にしみこみ、岩の隙間に溜まっていた。
数1000年前、サハラ砂漠がまだ緑豊かな草原だったころのもの。
岩にしみこんだ水はその後地上が砂漠となってからも乾くことなくじっと地下で眠っていた。
それをガラマンテス人が見つけたのだ。
現代のリビア人も地下水を利用している。
ガラマンテス人には届かなかった、さらに深い場所の水をポンプで汲みあげている。
しかし限りある資源を消費しているという点においては変わりない。
長くてもあと50年ほどで、この水は枯れてしまうだろう。

地下水はなかなか人の目には触れないものだが、世界中の様々な場所に存在する。
フロリダ州タラハシー(Tallahassee)には地下水が長い年月をかけて削りだしたカルスト地下水系と呼ばれる洞窟群があり、現在ダイバーたちによって調査が進められている。
洞窟がどこまで続いているのか、ダイバーたちには見当もつかなかった。
やがて彼らは水中洞窟の入口から10km以上も奥へ進むという前代未聞の記録を打ち出す。
一度の潜水時間が24時間に及ぶこともある。
その結果世界最大規模の水中洞窟の全容が明らかになってきた。
そこは様々な深さからなる巨大な地下水の貯蔵庫だった。
フロリダ全体と隣の州にまで広がっている。
こうした地下水はアメリカだけではない。
地上は乾いていても世界中に地下水は存在する。
地球上の真水の30%以上が地面の下に眠っているのだ。

かつて人類は安定した水源を確保するために、川や地下水の近くに住み着いた。
しかし次第に行動範囲を広げるうちに、様々な方法で水とうまく付き合うことができるようになった。
その秘訣は環境への適応、例えば雨、世界中のどこでも見られる自然現象だが、1年のある季節にだけ激しい雨を降らせるのがモンスーン。
インド北部、地球上でもっとも雨が多い場所、チェラプンジ(Cherrapunji)。
ここに住む人々は雨がもたらす災害から身を守る工夫をしてきた。
年間の平均降水量は11000〜12000ミリリットル、雨が多いと言われるロンドンの約20倍の量にあたる。
ヒマラヤ山脈のふもとにあるこの地では、モンスーンの影響で激しい雨が降り、谷を流れる小川は、瞬く間に激流となる。
この地域に雨が降ると、川の流れが非常に激しくなる。
そんな時人々が川を渡るのはとても危険。
また激しい流れは地面を削る。
大きな岩まで流されてしまう。
しかしカシ族の人々はそれらの問題を解決する驚くべき発明をした。
ボダイジュの橋、彼らはまず橋を架けるのに適したできるだけ川幅の狭い場所を探した。
そして両岸にボダイジュを植えて大切に育てた。
やがて両方のボダイジュの根が伸びて川の真ん中で出あい、まるで網の目のようにからみあう。
人口の橋は大量の雨にさらされると腐ったり壊れたりするが、樹木の根でできた橋は時間がたつほど強くなり、数100年以上もつ。

激しい雨をもたらすモンスーンは水と深い関係がある。
水は他の物質と比べ、温めるのに多くのエネルギーが必要。
そのため夏が近づき気温が上がると海と陸地の温度に大きな差が生じる。
インドでは陸地の表面が周りのインド洋と比べてはるかに熱くなる。
熱くなった陸地の上では空気の密度は低くなり、低気圧が生じる。
その結果海上の水分が陸地の方へ吸い寄せられ雨となる。
この現象は太陽の熱によって引き起こされるため、発生するのは夏の暑い時期に限られる。
つまり雨が降るのは1年の間3ヶ月だけ、あとの9ヶ月はまったく雨が降らない。
インドの人々はモンスーンがもたらすこの極端な気象条件に適応してきた。
しかし外国から来た人々の場合そうはいかない。

19世紀イギリスによるインド統治が失敗に終わった。
理由についてはいくつもの説があるが、中でも興味深いのが水にまつわる話。
イギリスはインドの水道整備に失敗した。
それが両国に重大な結果をもたらすことになる。
イギリス人の知識不足のせいか、あるいはインドの気候が極端すぎたのか、いずれにせよイギリス人は環境の変化に対応できなかった。
インドの人々は様々な方法でモンスーンと付き合ってきた。
中でも重要なのがバオリー(Baori)、巨大な屋根のない井戸で、地下水に届く深さまで掘り下げてある。
雨が降ると雨水が周りの地面にろ過され、巨大なバケツに流れ込むようにこの井戸に溜まる。
しかしここは水をくむためだけの場所ではなかった。
おしゃべりしたり体を洗ったり、祈りを捧げたりした。
19世紀までにこのような階段式の井戸が3000個以上も作られ、多くの人々の暮らしを支えた。
しかしインドの人々の命をつないできたこの井戸を、イギリス人達は好まなかった。
飲み水と体を洗う水が同じなのは不衛生だと考え、井戸を封鎖し水道をひいた。
イギリス政府はインド全土に長さ57000kmを超える水路を建設した。
しかし大量の淀んだ水は井戸よりも深刻な健康被害を招くということにイギリス政府は気付いていなかった。
水路はマラリアの温床となった。
その後イギリスによるインド統治は皮肉にもモンスーンのために破滅へと導かれることになる。

19世紀終わり、インドは雨不足に見舞われた。
10年間にわたり繰り返し起こった日照りにより、畑は荒れ果て人々は飢えに苦しむようになった。
しかしイギリス政府は悲惨な現状から目をそらし、米を輸出し続けた。
モンスーンがもたらす独特な自然のリズムを無視したイギリスの行為はインドの人々の不満をあおり、独立運動へとつながっていった。
現在インドでは、井戸の修復作業が進んでいる。
モンスーンの雨が少ない時は地下水を組だし、水不足を乗り切ることができる。
こうしてインドは世界で最も多く地下水を利用する国となった。

かつて季節によって極端に変化する水の量を見事にコントロールした文明があった。
モンスーンに打ち勝ったクメール人。
クメール人は9世紀に現在のカンボジア一帯を支配するようになった。
彼らのクメール文明が運河壮大な寺院群、アンコールワット。
そもそもクメール人はカンボジアの中央に広がるトンレサップ湖(Tonlé Sap)とそこへ流れ込む川を目指してこの地へやってきた。
現在ここには水の上に町が作られ、生活に必要なものは何でもそろう。
人々はほとんど湖を離れることはない。
ここには家や学校はもちろん、教会やビリヤード場まである。
人々がここで暮らす理由は1000年以上昔と変わらない。
モンスーンの季節になると湖に驚くべき変化が起きるのだ。
湖には常に新しい水が流れ込んでいる。
モンスーンが大量の雨を降らせると、排水が追いつかない。
その結果乾季と比べてトレンサップ湖の面積が10倍も大きくなる。
毎年数か月の間、トレンサップ湖は東南アジア最大の淡水湖となる。
大量の水がもたらすのはたくさんの魚。
毎年モンスーンの時期にはトレンサップ湖は世界でもっとも多く淡水魚が採れる湖となる。

9世紀クメール人達はここで魚を採れば、大金が手に入ることに気付いた。
彼らは漁業によって得た富でアンコールワットという美しい寺院を築いた。
ところがやがて思わぬ壁に良く面することになる。
モンスーンはその土地に住む人々の暮らしを完全にコントロールしてしまう。
雨が大量に降る緑豊かな季節をもたらし、その時期は稲がよく育つ。
しかし反対に気温がとても高く乾燥した季節も生まれてしまう。
その間は水が少なくなる。
毎年モンスーンの季節が過ぎると魚も水も姿を消す。
そのたびにクメール人は飢えと渇きに苦しんだ。
しかし彼らは水の支配から解き放たれるべく立ち上がる。
モンスーンの気まぐれに怯えて暮す代わりにモンスーンを利用することにしたのだ。

9世紀初め、クメール人達は水路の建設を始める。
水路は縦横に広く張り巡らされ、これまでにない大きな水路のシステムが完成した。
水路は今も空から見ることができる。
1000年以上昔、クメール人達は8kmに渡って川の流れを変えた。
さらに1000k屬箸い広大な範囲に水路を張り巡らし、モンスーンの雨を溜めておけるよう、6億㎥の容積を誇る貯水池を作り上げた。
こうしてクメール人は変化する水の量をコントロールできるようになった。
モンスーンによる偏った雨を1年を通じて安定した水の供給源に変えたのだ。
水路の完成によりアンコールワットは発展を続け、最盛期には100万人を超える人々がこの地で暮らした。
水を支配したクメール人は産業革命以前の世界において最大の都市を築き上げたクメール文明は16世紀まで続いたが、人口が急激に増えたため、ついに水の供給がおいつかなくなった。
人口が増加するにしたがって様々な問題が生まれた。
水が淀むようになり、土屋ゴミがたまって水路はまったく使い物にならなくなった。

現在私達は大量の水をコントロールするようになった。
世界中に貯水池が作られ、貯えられている水の量は10000k㎥以上、これは地球上のすべての川の水の5倍に相当する。
その多くは人口の多い北半球の赤道から離れた場所にある。
そのため地球の重さが頼るようになった結果、地球の自転スピードが速まり、過去40年のうちに100万分の8秒昼の時間が短くなっている。
現在水は私達の身近な資源。
現代文明は水なしでは成り立たない。
とはいえ水の量には限りがある。
そのため世界各地で水の供給源を巡る激しい争いが繰り広げられている。
それは先進国であっても例外ではない。

便利で快適な町として知られるアメリカ西海岸の都市ロサンゼルスの町は、砂漠と海に囲まれている。
そのため人々の暮らしを続けるために必要な安定した水の供給源がなかった。
そこでロサンゼルス市は水を手に入れる方法を探していた。
ロサンゼルスから北へ400kmほど、シエラネバダ山脈のふもとにオーエンズバレーと呼ばれている谷がある。
緑豊かなその血では、人々は農園を営んでいた。
谷の中心部には広々とした川と大きな湖があった。
このオーエンズバレーには100万人以上の暮らしを支えるだけの水がある。
しかし湖はロサンゼルス市のものではなく、オーエンズバレーの住人のものだった。
そこで綿密な計画が練られた。
オーエンズバレーに投資家を名乗る男達が現れた。
あらゆる手を使い住民に圧力をかけ、水源と水路に必要な土地を安い値段で買い占めていった。
ロサンゼルスは長年求めていた水源を手に入れた。
川岸の土地を60km以上に渡って買占め、6年間に及ぶ工事の末、全長375kmの水路が完成した。
ロサンゼルス市民たちは水路が完成して大喜びした。
これで自由に水が使える。
しかしオーエンズバレーの住人は納得できなかった。
彼らは抵抗運動を起こす。
農園のオーナーたちが水路の中のアラバマゲートと呼ばれる水門にたくさん集まり、ゲートを強引に解放した。
その結果ロサンゼルスに送られるはずだった水は全て地元の川に戻ってしまった。
さらに過激な抗議が行われた。
水路が爆破されたことも1度や2度ではない。
抵抗運動は3年間続いたが、警察の厳しい取り締まりにより、農園のオーナーたちはオーエンズバレーを去り、ついにロサンゼルス市が水を手に入れることとなった。
現在この水路は他の給水システムと結びつき、大都市ロサンゼルスに水を供給する巨大なネットワークの一部となっている。
一方オーエンズバレーにはのはや湖はない。
川もほとんど干上がっている。

ロサンゼルスにの例は決して珍しい話ではなく、世界各地で水を巡る争いが起きている。
中東ではヨルダン川を巡ってイスラエル、パレスチナ、シリア、ヨルダンが争いを続けている。
エジプト、スーダン、エチオピアはナイル川の水を、インダス川においてはインドとパキスタンが川に建設されたダムを巡って対立している。
これらは世界中で起きている水問題のほんの一部。

10000年前人類は水のサイクルに翻弄されながら生きていた。
しかしやがて川の力を利用して高度な文明を築くようになる。
乾いた大地から地下水をくみ上げる技術を身につけた。
さらには川の流れを変え、水を溜めることを覚えた。
そして今人類は水に支配される側から支配する側へと立場を変えた。
しかし今も昔も地球上には限られた量の水しか存在しない。
私達の身近に水があったからこそ命をつなぎ、豊かな生活を手にすることができた。
水がなければ人類は生きてゆくことができない。
その一方で環境破壊によって美しい水はこれまでにないスピードで汚れた水へと姿を変えつつある。
地球に残された限りある水をどのように使ってゆくのか、私達人類の未来には、水の存在が大きく関わっているのだ。

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Death of the Earth 地球最後の日

今から75億年後には、地球は太陽に焼き尽くされると考えられている。
しかしその前に、地球は生命の存在しない世界と化す。
地球は最後の瞬間を迎えるまでに、いくつもの大変動に見舞われるだろう。
緑豊かなジャングルは砂漠と化す。
地殻変動で大陸の形が変わり、気温の上昇で海は干上がる。
地球の大気は激変し、あらゆる動物と全ての植物が死に絶える。
私達人類は地球の未来を予測できるが、地球から最初に姿を消すのも人類かもしれない。
地球の最後を予測してみよう。

地球の最初の脅威は宇宙から来る。
宇宙は最大幅10kmにも及ぶ小惑星が時速98500km/hのスピードで飛び交っている。
小惑星がいつ地球に衝突するにしても、人間にできることはない。
さらに地球への衝突を前もって知ることも困難。
いつ起きても不思議ではない。
太陽から4億8000万kmは慣れた領域には、多くの小惑星が集まった小惑星帯がある。
そこに存在する小惑星はおよそ75万個。
それらの小惑星の1つが軌道を変えて地球に向かって飛んでくるとしても不思議はない。
Prof.Donald Brownlee(University of Washington)はNASAの天文学者。
Brownlee「月の表面にはたくさんの巨大クレーターがある。
宇宙が誕生してから現在までに、ありとあらゆる星に小惑星が衝突している。」
6500万円前、幅9.6kmの小惑星が地球に衝突した。
数100万トンの岩石が地上数100mまで吹き飛び、砂は溶岩の熱で黒曜石と化した。
この小惑星の衝突によって、1億6000万年も地球に生きていた恐竜は絶滅した。
このような小惑星の衝突は、再び起きるのだろうか?
Brownlee教授は月や他の惑星のクレーターを調べて1つの答を導き出した。
Brownlee「幅10kmくらいの小惑星や彗星が惑星に衝突する頻度は1億年に1度くらい。」
それが地球の衝突すれば、半径数km内の生物は一瞬で消滅。
衝突の衝撃で地殻は大きく割れ、それによって大規模な地震が起きる。
そして衝撃波が海の波を押し上げ、大きな津波を発生させる。
わずか数日で空は塵の雲に覆われ、地表に太陽の光は届かなくなり、暗い冬が1年以上続く。
地球の大気中には一酸化窒素が急激に増え、その結果オゾン層の約85%が破壊される。
やがて太陽の光が地表に届くようになると、オゾン層が破壊されたために、人類を含む多くの生き物が太陽の紫外線によって致命的なダメージを受ける。
最初の1年で生物の70%が死滅し、地中の生き物や冬眠する動物だけが生き残るだろう。

私達人類は恐竜にはなかったものを持っている。
人類の技術をもってすれば、シェルターを作れるかもしれない。
さらに小惑星の軌道を変えたり、地球に衝突する前に爆破できるかもしれない。
それが恐竜を絶滅させたくらいの大きさの小惑星であれば、人類は自分達を守れるかもしれないが、太陽系にはそれよりはるかに大きな小惑星が存在する。
衝突のダメージが2倍にもなれば、未来の技術でも打つ手はないかもしれない。
次に小惑星が地球に衝突するのはいつかを知ることは、人類にとって非常に重要。
しかし人類がどれだけ備えをしても、防ぐことができない自然現象がある。
地球の極地の厚い氷床は、やがて世界中を覆うことになるだろう。
新たな氷河期の始まり。
これと同じことは、はるか昔にもあった。
その確かな証拠の1つは天然アスファルトの沼である
La Brea Tar Pitsで発見されたマンモスの骨格。
カリフォルニアでマンモスの骨が見つかったのだ。

カリフォルニアは大昔の氷河期のように、再び氷に覆われてしまうのだろうか?
その答を明らかにするには、数万年前の気候変動の痕跡を調べる必要がある。
痕跡は海の底に残っている。
海洋地質学者のProf.Peter deMenocal(Lemont-Doherty Earth Observatory)「海底の堆積物は、過去を知る貴重な資料。」
この堆積物の中には、氷に覆われた過去のアメリカと、その未来を知るための手がかりがある。
deMenocal「これは1万年前に海底に積もった堆積物、この岩石は大昔の氷山の中に閉じ込められていた。
氷山が溶けると、海に落ちてそのまま海底に沈んだのだ。」
1万年前の北アメリカ大陸は大部分が氷河期だった。
では1万年前の氷河期を引き起こした原因は?
その応えは遠い宇宙にある。
地球は徐々に形を変える楕円軌道にのって、太陽の周りを回っているため、太陽に対する地球の傾きも変化している。
そしてこの傾きの変化によって、地球の気候も周期的に大きく変化すると考えられている。
この周期はミランコビッチサイクルと呼ばれている。
地球物理学者のMilutin Milankovićの計算によれば、前回の氷河期が終わったのはdeMenocal教授が発見した堆積物と一致する1万年前。
しかし地球の気候が周期的に変動するという説が正しければ、いつか再び氷河期が訪れることになる。
deMenocal教授は3万年以内に新たな氷河期が訪れると考えている。
1万年前の前回の氷河期に地球に暮らしていた人類は、わずか500万人ほどだったが、現在の地球には、60億を超える人が暮らしている。
氷河期が人類に与える影響は、前回の比ではない。
厚さ3kmを超える氷床が陸を覆う。
ロンドンやニューヨークのような大都市も氷に覆われるだろう。
海水が凍り、海水面は120m以上低下する。
気温は何10万年も0℃を下回る。
氷に覆われた陸地では、植物が生きられなくなり、食料を失った草食動物が死滅するだろう。
文明社会は崩壊し、人類は生き残るために本能的な行動にでる。

Dr.Irwin Redlener(National Center for Disasuter Preparadness)「氷河期のような地球規模の自然災害が起こると、人類は殺し合いをする可能性がある。
まずは多くの人々が過酷は状況を生き延びるために、移住しなければならなくなり、乏しくなった水や食料や資源を手に入れるために、世界中で人間どおしの激しい争いや殺し合いが起きる可能性がある。」
陸地の多くは氷に飲み込まれ、何10億もの人間が地球から消えるだろう。
しかし赤道に近い地域に限っては、緑が残り、農作物も育つだろう。
しかしその量は限られるので、生き残った人間が奪い合うことになるだろう。
緑が残る地域では、人類が生き残るが、世界の人口は大幅に減少し、人類が築いた文明社会は崩壊する。
そして次の氷河期が終わっても、周期的に拡散と収縮を繰り返す。
極地の氷床が再び陸地を覆う日がやってくる。

今から2億5000万年後には、事態はさらに悪化する。
そのときまで地球に生き残った生物の多くは絶滅するだるお。
海は枯れはて、陸地のほとんどは砂漠と化す。
今から2億5000万年後の地球は氷河期や小惑星の衝突とは比べ物にならないほどの危機を迎えていると予測される。
地表では火山活動が激しくなる。
地球の生物の多くは絶滅するだろう。
このような壊滅的な未来を引き起こす力は現在の地球を形作った力と同じもの。
Redlener「現在の地球の状態は安定しているように見える。
世界各地の山脈が隆起していても、誰にも分からない。
海面の上昇も私達の目には見えない。
しかし何百万年という長い期間を見れば、この地球上では私達の予測できない変化が起きている。
現在も大陸は移動し続け、山脈は隆起したり沈下している。
私達の目に映る現在の地球は地球の誕生から終焉までを描いた長い映画のほんの1コマにすぎない。」
人類が未来の地球の形を想像するようになったのは、世界を1つの地図で描けるようになってから。
Redlener「大西洋を囲む大陸の海岸線に相似性があることは、18世紀にも指摘されていた。
しかし大陸は移動し続けていることはまだ信じられていなかった。」
しかし20世紀後半、大陸の移動が科学的に証明された。

現在北アメリカ大陸は1年間に2.5cmの速度でユーラシア大陸から遠ざかっている。
それはプレートテクトニクスと呼ばれる。
地球の表層部は常に動き続けている。
いくつかの巨大な大陸プレートで構成されている。
これらの大陸プレートがぶつかると、巨大な山脈が形成され、火山が溶岩を噴出し、それが陸地を形成する。
このような大陸プレートの動きが明らかになると、今から2億5000万年前の地球では、全ての大陸がつながっていたとする説が導き出された。
その巨大な大陸はパンゲアと呼ばれる。
そこは恐竜達が支配する世界だった。
果たして未来の地球でも、全ての大陸が1つにつながることはあるのだろうか?
Redlener博士は今から2億5000万年後の地球では、新たな超大陸が形成されると予測している。
現在のアフリカは中東とつながり、南極とオーストラリアは1つになる。
周りを海に囲まれた超大陸の誕生だ。
内陸の大部分が海から数1000km以上離れてしまうため、雨はまったく降らなくなる。
植物が育たなくなり、大地が太陽熱を吸収して気温が上がり、陸地は砂漠と化す。
今から2億5000年後の世界では、陸地の半分以上が高温で乾燥した砂漠になるだろう。
そこで生き残れる生き物はごくわずか。
現在の地球に生きている種の8割が絶滅し、水や食料が極端に乏しく、気温の高い環境に適応できる生き物だけが生き残る。
人類の遠い未来の子孫は、沿岸部で生きているかもしれない。
しかしどこにいても新たな世界の脅威が迫ってくる。
Redlener「沿岸では火山が活発に活動し、地震が頻発するだろう。」
その原因は大陸プレートを動かしている巨大な力にある。
その力によって近くの弱い部分が割れ始める。
その結果大きな地震が起こる。
大地の割れ目からは溶岩が流れ出し、新たな火山を形成してゆく。
溶岩流は数1000kmに渡って広がり、生き物達を焼き尽くす。
陸に暮らすほとんどの生き物は地上から姿を消すことになるだろう。
しかし未来の海に暮らす生き物は、さらに過酷な運命をたどることになる。

大気中の二酸化炭素は何処からくるのだろうか?
自然界で最も多く二酸化炭素を出すのは火山だが、遠い未来の超大陸には数多くの火山が存在すると考えられるのだ。
Dr.James Barry(Montery Bay Aquarium Research Institute)は、火山からでる二酸化炭素が海の生き物達を絶滅させる仕組みを明らかにするために、大昔の地球で火山活動の影響を受けた腕足動物を研究している。
Barry「10万年以上前の地球では、火山活動によって二酸化炭素が増え、海水の酸性が非常に強まった。
その結果腕足動物だけでなく、海で暮らしていた多くの種類の生き物は絶滅した。」
Barry博士は大気中の二酸化炭素が急激に増えることで、海の生き物にどのような影響があるか、明らかにしようとしている。
Barry「これらの腕足動物は最も古くから地球に生きていた動物の1種。
4億年前には、およそ3万種類の腕足動物がいたが、現在は300種類にまで減っている。
なので生物の絶滅を象徴する生き物の1つだといえる。」
腕足動物は、何億年もの間に起きた様々な変化を生き延びてきた。
それでも火山活動は腕足動物の種類の99%を絶滅させた。
Barry博士の研究によれば、火山活動で増えた二酸化炭素によって、海水の酸性度が強まったときに、最も影響を受けやすい生き物の1つが腕足動物だった。
Barry「二酸化炭素が海に溶け込むと、海水が炭酸化し、海水の成分が大きく変わってしまう。」
海水の酸性度が強まり、腕足動物は死ぬ。
急激に酸性度が強まった海では、多くの無脊椎動物が死滅していった。
その結果それまでの食物連鎖は崩壊する。
無脊椎動物を食べていた生き物が食料に困るようになったのだ。
大陸が1つになって、超大陸が誕生した時の変化は、海の食物連鎖の崩壊だけではない。
海の生物の80%は海岸近くに暮らすが、大陸が1つになって海岸が減少すれば、多くの生き物が住む場所を失う。
未来の超大陸では、海岸線は現在の30%まで減る。
そのため今から2億5000万年後の地球では、砂漠化した陸地と酸性度が強まった海で、恐竜の絶滅とは比較にならないほどのスケールで多くの種の説滅が起こると考えられている。
しかし未来の地球の過酷な環境に適応して生き延びる生き物もいるだろう。
ヘビやクモなどは高温で乾燥した砂漠でも生きることができる。
サボテンのような植物も進化して生き残るかもしれない。
しかし生き物達が、姿を消す時がやってくる。

今から数10億年後の地球は、死に近づいている。
太陽は内部のエネルギーを燃やし続けて膨張する。
すると太陽の表面は次第に地球に近づいてくる。
その結果地球の気温は30℃を超え、さらに上昇し続ける。
これより10℃ほど高くなれば、人間の肉体は限界に達するだろう。
そして様々な器官に問題が生じる。
数10億年後の地球では、人間の肉体は機能することができす、人類は地球から永遠に姿を消すことになる。
しかし地球に生き残る生物もいる。
Prof.Lynn Rothschild(NABA Amos Research Center)は現在の2倍も気温が高い地球では、どのような生物が生き残るかを調べるために、カリフォルニア科学アカデミーで過去に絶滅した生物を研究している。
Rothschild「これはアンモナイト、かつては地球で最も多く生息する無脊椎動物だった。
非常に優れた捕食生物だったが、地球の環境が大きく変わった白亜紀の終わりに絶滅した。」
太陽が膨張して地球の気温が上昇し続けると、運よく新たな世界に適応できるものは生き残っていけるだろう。
適応できなければ死に絶えるだけ。
しかし状況がさらに悪化すれば、それまで生き残った地上の生物も確実に絶滅への道をたどることになる。
最初は植物、大気科学者のProf.James Kascing(Penn State University)は、今から数10億年後の地球では、ほとんどの植物が地上から姿を消すと予測している。
その原因は大気中の二酸化炭素の急激な減少。
大気中の二酸化炭素は現在も海に吸収され、深い海の底に堆積されている。
しかし全ての化学作用は温度が高いほど早く進行するため、数10億年後の地球では、大気中の二酸化炭素が急激に減る。
二酸化炭素が減れば、植物は窒息して死んでゆく。
地球の陸地からは緑が失われ、最後には広大な砂漠だけが残るだろう。
植物が姿を消せば、陸上における食物連鎖は完全に崩壊し、それまで生き残っていた全ての生き物は地上から姿を消すだろう。

しかし生物が生きてゆける場所が1つだけ残されている。
それは海。
しかし太陽の膨張によって気温が高くなった数10億年後の地球では、海水が蒸発して海面が下がり、海水の塩分は極端に濃くなる。
Rothschild教授は数10億年後の海がどのようなものであるかを知るために、サンフランシスコ郊外の塩を作るための池を訪れた。
Rothschild「この池と同じように海水の塩分が非常に濃くなった未来の海では、様々な魚や海草など、海の生き物のほとんどが生きてゆけなくなるだろう。」
それは現在とは全く異なる海。
そこにはクジラもイルカもクラゲも珊瑚礁も全く存在しない。
これらの生き物は塩分が濃くなった未来の海では死滅する。
Rothschild「それでも海で暮らす昆虫類の一部は生き残っていけるかもしれない。
しかし海水の塩分濃度が現在の10倍程度に強まれば、海で生き残ることができるのは、好塩性の微生物だけになると考えられる。
好塩性の微生物は、エンドが高い環境にのみ生息する。
この池の水が赤いのは、好塩性微生物のせい。

Rothschild「人間は夏には日に焼ける。
これは太陽の紫外線から身を守るためだが、好塩性微生物は日焼けする代わりに体内でカロチノイドという赤い色素を作り出す。
このカロチノイドはトマトやニンジンにも見られる赤色色素。
この色素が好塩性微生物を紫外線から守ってくれる。」
太陽が膨張して気温が上がった地球で生きられるのは、好塩性微生物のような極限環境微生物だけだろう。
12億年後には、他の全ての生物は姿を消す。
未来の地球に最後まで残った海に極限環境微生物だけが生き残る。
しかし地球から全ての生物が死滅する時は確実に迫っている。
今から12億年後の地球では、植物も動物も地上から姿を消す。
そして急激に塩分が高まった海に極限環境微生物だけが生き残る。
その海もついに終わの時を迎える。
膨張し続ける太陽の熱によって、地球の平均気温は現在の約2倍、38℃まで上昇する。

1972年アポロの調査により、地球の水素が宇宙に逃げ出している証拠が見つかった。
水は1つの酸素原子と2つの水素原子でできており、地球の水素が失われているということは、海が失われていることを意味する。
現時点では地球から宇宙に逃げている水素の量はわずかだが、地球の気温が38℃に上昇すれば、その量は飛躍的に増える。
蒸発した海の水は水蒸気と化す。
そして水蒸気が大気の最上部に達すると、太陽の紫外線が水蒸気を酸素と水素の原子に分解する。
そして比重が軽い水素は宇宙を漂い、2度と地球には戻らない。
地球から徐々に海が失われてゆくと、空にも影響が現れる。
空は徐々に雲で覆われてゆき、やがて地球の表面は宇宙から見なくなるだろう。
Kascing「10億年後の海が消えた地球を月から見ることができるとしたら、現在の地球とは全く違ったものに見えると思う。」

地球から水素が失われてゆくと、大気中の酸素の割合が急激に増え、地球の大気は水蒸気に満たされ、やがて湿度はほぼ100%に達するだろう。
地上100kmの上空では、高い気温と水蒸気によって巨大な雷雲が形成される。
その雲が生み出す嵐の破壊力は、現在の嵐とは比べ物にならない。
地表から吸い上げられる水蒸気が多いため、上空では水蒸気が凍って雹となる。
しかし雹は上空から地面に落ちる間に高い気温のせいで溶けてしまうだろう。
Kascing「地球は濃いガス状の大気に覆われ、宇宙からが地表が見えなくなるだろう。
この時地球からは大量の水素が宇宙へと逃げ出している。」
地球の気温が高くなるほど、海が失われてゆくスピードは速まり、大気の状態はますます不安定になる。
この悪循環は温室効果と呼ばれている。
Kascing教授の予測によれば、地球から海が完全に消えるまでの時間は長くても2億年。
水なしでは生物は生きられない。
そして太陽系には地球と似たような過程を経てはるか昔に海を失った惑星が存在する。
金星は太陽系の惑星の中で、大きさや平均密度が地球に最も近い惑星。
金星を研究したKascing教授は、いつ地球の海が失われるかを予測することができた。
Kascing「早ければ12億年後には地球から海が失われると考えられる。」

広大な地球の海から完全に水がなくなると、そこには乾燥した塩の塊だけが残る。
生命も尽きるはず。
しかし新たな発見により、原始的な生命体は水がない世界でも生きられることが明らかになった。
Rothschild「好塩性微生物は、塩の塊の中で仮死状態にあるわけではなく、非常にゆっくりちゃんと呼吸し、栄養も摂取し、排泄も行っている。
好塩性微生物は水がなくても代謝活動を行っている。」
好塩性微生物が太陽の光から身を守る手段は体内で赤い色素を作り出すこと。
そのため宇宙から見る地球の色は大きく変わるだろう。
地球が誕生してから消滅するまでの歴史の半分近くはピンク色をした塩が地球全体を覆うことになるだろう。
14億年後の地球、極限環境微生物は、かろうじて生き残っている。
しかし気温が上昇し続ければ、やがて死滅する。
今から16億年後の地球では、気温が水の沸点を大きく超える107℃にまで上昇する。
そして最後まで生き残っていた極限微生物もついに地球から姿を消すことになる。
それまでピンク色に見えていた地球は、茶色い不毛の惑星へと変貌する。
人類が他の惑星に移り住んでいなければ、これが生命の終焉。
生命が消えた地球は死にゆく大要の周りを回り続ける。
Rothschild博士は地球の最終的な運命を明らかにした。
博士の研究によれば、地球は死にゆく太陽が膨張し続けるにつれて確実に最後の瞬間に近づいてゆく。

すべての星は死の瞬間を迎える。
70億年後の太陽は、確実に死に近づいている。
太陽の光ははるかに強まり、大きさは現在の200倍になり、なおも膨張し続ける。
その強烈な熱は、地球の表面を溶かし、地球の特徴を消してしまうだろう。
およそ1400℃の熱が地球の表面を溶かす。
地表には溶けた鉱物が流れ出し、地球はその姿を完全に変えてしまう。
Dr.Robert Smith(University of Sussex,England)によれば、地球が死を逃れる可能性はある。
75億年後の地球、山や海は地表から完全に消えた。
生命が死滅してから60億年が経過し、気温はおよそ1400℃にまで達している。
地球の死はもはや間近に迫っている。
膨張し続ける太陽の内部では、ヘリウム濃度が急激に高まる。
すると太陽の内部はヘリウムガスで満たされ、中心核の活動は不安定になる。
この時地球の空は、現在の256倍にまで膨張した真っ赤な太陽に埋め尽くされる。
太陽は残されたエネルギーを燃やしながら膨張し続け、直径3億2200万kmにまで巨大化し、近くの星を飲み込む。

Smith博士は太陽は膨張するにつれて地球を引き寄せる力を徐々に失ってゆくことを発見した。
太陽の引力から開放された地球は、宇宙空間に逃げ出して、太陽に焼き尽くされる運命を免れる可能性がある。
しかしSmith博士の同僚が、巨大な赤い太陽に関する新しい計算を行った。
その結果は博士の予測とは違った。
博士は太陽に対する地球の潮汐効果を見逃していた。
月が現在の地球の海の満ち干に影響するように、地球の重力は未来の太陽の表面を膨張させることになる。
そしてこの膨張によって、地球自体も太陽に引き寄せられるのだ。
博士は新たなデータを基にして、予測を立て直した。
博士が導き出した結果は好ましいものではなかった。
地球は太陽から逃げられない。
今や地球の表面の温度は金属が溶ける1370℃にまで上昇している。
巨大な太陽の炎は、地球に届きかけている。
巨大な太陽に焼かれて消滅する。
120億年の地球の歴史は終わる。
巨大な太陽の炎に焼かれた地球は、跡形もなく消滅し、再び原始へと帰するのだ。
生命を誕生させた星にも大きな変化の時は訪れる。
科学者は過去の地球と現在の地球を知ることで、その未来に何が起きるかを明らかにしようとしている。
しかし過去の地球と遠い宇宙の星達は、この地球にもいつかは最後の瞬間が訪れることを私達に教えてくれている。

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Toxic Cloud 大災害、過去からの警鐘 有毒な煙



1945年以来、工場や危険物輸送に関わる300件の重大事故で15000人以上が命を落としている。
化学物質は爆発の原因となるだけではない。
はるか遠くにまで広がる有毒な煙を発生し、付近の住民に最大の危険をもたらす。
災害の可能性は過去の例からも分かる。
1947年4月16日に起きた硝酸アンモニウムの爆発は、水爆に匹敵する規模だった。
人口密集地で化学物質の流出が起きれば数1000人が亡くなることもありうる。
化学物質は製油所、水処理施設、紙パルプ工場など、あらゆる産業施設で使用されており、現代社会に欠かせない存在。
我々の生活を変えた化学物質は、プラスチックやガラスの製造にも、飲み水の消毒にも、ガソリンの燃焼効率を上げるのにも使われる。
しかし化学物質の使用には大量流出などの危険が伴い、特に製油所での事故は大惨事の原因となる。
化学物質安産性委員会は1982〜2002年に発生した製油所での流出を含む167件の重大事故を調査した。
これらの事故による死者は108人。
物的被害総額は何億ドルにも及ぶ。
アメリカ国内には150以上の製油所があり、どこも有毒ガスが流出すれば、数1000人を危険にさらす可能性がある。
Ronald P.Koopman(Industorial Hazards Consultant)「積極的な安全対策にも関わらず、製油所での事故は頻繁に起きている。」
Luke Metzger(Director Environment Texas)「ヒューストンやフィラデルフィアのような都市では製油所が町の中にあるので、最悪の場合何100万もの住民が危険にさらされるだろう。」
Texas州Texas Cityは過去の経験から科学事故の危険を認識している。
それに備えるのがBruce Clawson(Director,Texas City Emergency Management,Homeland Security)の仕事。
Clawson「準備は万全、事故に対処するための訓練は常に行い、事態を素早く収拾するのに必要な設備や人員、知識も十分そろっている。」


フッ化水素酸は多くの産業で使われる。
その用途はガラスの装飾をはじめ、農薬やプラスチック、ハイオク燃料の製造など様々。
Koopman「非常に毒性が強く、人体のあらゆる組織を破壊してしまう。
異常に反応性の高い物質で、肌に触れたとたん骨に達し、その間の組織を全て壊してしまう。
その蒸気を吸い込めば、肺や鼻、目の粘膜を破壊する非常に危険な物質。」
塩素は水の殺菌や食品加工の過程で広く使われる。
2000年環境保護庁は、123の化学設備について何らかの事故があった場合、有毒物質への接触によって100万人以上の死傷者を出す危険性があると指摘した。
製油所によるフッ化水素酸の流出事故を恐れる自治体は国内に50近くあり、Texas Cityはその1つに過ぎない。
仮にこんな事故が起こるかもしれない。
いつものように製油所では定期点検が行われている。
その時突然の爆発によりフッ化水素酸のタンクが破裂し、有毒な煙が流れ出す。
風がないため煙はゆっくりと地面を這いながら、近隣の住宅地へと忍び寄る。
実は60年以上前、このような爆発事故がTexas Cityで起きた。
住民は化学事故の危険が身近にあることなど知りもしなかった。


1947年4月16日、気持ちの良い朝だった。
町が開店準備の店や通勤通学の人々で活気付いている中、港ではフランスの貨物船Grandcampへの積荷が行われていた。
TJ Aulds(Journalist,Khou,Com)「あの貨物船はヨーロッパ向けの硝酸アンモニウムを積んでいた。
家畜のえさを育てるための肥料用だ。
それ以外にはより糸と弾薬を少し積んでいた。」
船に乗り込んだ作業員は、硝酸アンモニウムの袋の下から煙が出ているのに気づき、水や消火器で火を消そうとしたが、火はくすぶり続けた。
Aulds「彼らが消火ホースを使って火を消そうとしている所へ船長が現れ、彼らを止めた。
船長は積荷を水に濡らしたくなかった。
その瞬間から火はどんどん大きくなった。」
Matti Lou Westmoreland(Survivor 1947 Texas City Disaster)「夫のマリオは事件消防団員だったので、電話でオペレーターに問い合わせ、家事の場所を聞いていた。
末の息子が夫の下に駆け寄って、制帽を差し出すと、夫は家事の時はヘルメットをかぶるのだと言って出かけた。
夫が戻らないかもしれないという嫌な予感がして、とても心配になり、家の外へ飛び出し、裏口から家事の様子を見ていたら、2本の黄色がかったオレンジの煙の柱が噴きあがった。」
Aulds「午前9:12頃、硝酸アンモニウムが大変な勢いで爆発した。」
Don Westmoreland(Survivor 1947 Texas City Disaster)「学校の2階にいたが、1回目の爆発で窓が吹き飛ばされ、壁が崩れて教室は誇りまみれになった。」


26人の消防団員全員が即死した。
当時のニュース:Texas City In The Wave Of Disaster
“Texas Cityに壊滅的な被害をもたらした激しい炎は、まる3日間に渡って猛威をふるった。
大量の油が入った29個の燃料タンクの爆発で、夜の町は戦時中を思わせる様相を呈し、翌朝にはその恐ろしい惨状が明らかになった。”
船の爆発がキッカケで、火はTexas Cityに広がり、町は見る見るうちに破壊された。
Cliffod C.Reed Sr.(Republic Oil,Volunteer Fire Fighter)「事務所へ駆けつける途中、大きな鉄の塊が通り過ぎた所に落ちてきた。
その下に着くと、誰もがひどい状態だった。
混乱して走り回っている人の大半は爆発で服が剥ぎ取られており、体は油で真っ黒だった。」
火が完全に消えるまで1週間かかり、500人以上が死亡し、3500人以上が負傷。
住宅の3分の1は廃棄処分となり、2000人が家を失った。
被害総額は7500万ドルと言われる。
この事故は化学物質の恐ろしさを見せつけた。


現代社会はその活動の多くを化学工業に依存している。
化学工業は火薬や軍需品の製造を手始めに、第二次世界大戦後成長著しい製造業の中心的存在として発展した。
化学によってもたらされた製品は、生活の質を向上させ、近代社会の象徴として歓迎された。
しかし時と共に化学の力に頼ってきた代償が明らかになり始めた。
Metzger「危険な化学物質を大量に保管している設備があるので事故やテロによってこれらの物質が流出すれば、大変な被害と死者を出すことになるだろう。」
最もよく使われる化学物質アンモニア、塩素、フッ化水素酸は腐食性や毒性があり、反応性も高い。
そのためこれらの加工、保管、輸送には危険が伴う。
それは過去の例からも知ることができる。
1976年7月、イタリアのSevesoでダイオキシン(Dioxin)が流出。
化学反応が生み出した不要な副産物のダイオキシンが、およそ2kmが大量に流出した。
37000人が被害にあい、内1600人が診察を受け、15人の子供が入院した。
生き残った家畜は人の口に入らないよう、全て処分された。


1996年4月Montana州Albertonで塩素が流出、列車事故により19両が脱線、タンク車が破裂し、60トン以上の塩素が流出した。
有毒ガスはClark Fork川を越え、住宅、学校、教会を包み込んだ。
350人が塩素吸入で被害を受け、1人が亡くなった。


世界最悪の化学事故は1984年12月3日、India Bhopalで起きた。
M.Sam Mannan(Professor Chemical Engineering Texas A&M University)「いくつかのミスが重なり合ってイソシア酸メチルが大量に流出した。」
工場付近の人口密集地に有毒な煙が広がり、3000人以上が即死。
この事故の影響でさらに15000人近くが死亡した。
この事故がキッカケで、アメリカ政府は各企業にそれぞれが保管している有毒化学物質の情報公開を求めるようになり、緊急避難計画の改善が法で義務付けられた。


事故は今もなくならない。
1988〜1992年の間に有毒化学物質に関わる事故は34500件も報告されている。
つまり1日19件。
Texas Cityはその現実をよく分かっている。
最初の爆発事故から40年後の1987年、再びこの町を危険が襲った。
Koopman「石油産業における事故の危険性の話し合いをしている最中のことだった。
その時Marathon製油所でフッ化水素酸が漏れたというニュースを聞いた。
フッ化水素酸のタンクの上で重い物を吊ることは禁止されているので、まさかタンクの上に何かが落ちたとは思いもしなかったが、実際非常に重い熱交換器を積んでいたクレーンの足が折れ、熱交換器がタンクの上に落ちたのだ。」
目撃者によるとフッ化水素酸がおよそ60m噴きあがり、気化したフッ化水素酸の煙が風下の住宅地に流れたという。」
Aulds「製油所は化学物質が漏れたことを町に報告し、付近の通行止めを依頼した。
そこで警察は何が漏れたかも知らず、マスクもつけずに有毒な煙が漂う現場に向かった。」
Bruce Clawson(Director,Texas City Emergency Management/Homeland Security)「大半の人は家に避難し、一部は公共の建物に避難した。
状況が回復するまでの数時間、町は閉鎖状態になった。
事故直後サイレンで警告があり、無事避難できた。
フッ化水素酸は猛毒、肌や目に触れれば炎症を起こし、その蒸気を吸い込めば肺に水がたまり発作を起こして死に至る。
この事故で1000人以上が心臓血管障害、呼吸障害、喉や目の異常で治療を受け、およそ100人が入院。


そして有毒な煙は明白な痕跡を残した。
Koopman「フッ化水素酸は植物を枯らすので、高濃度の煙がその場を通ったかどうかは植物を見れば分かる。」
実際あの事故のときも汚染が発生した場所から枯れた芝生や木、死んだ植物をたどって汚染が広がった範囲を突き止めた。」
多くのアメリカ人にとって製油所や化学工場の近くに住むことは避けられない事実。
元々は遠隔地に作られたこれらの設備も、現在は住宅地に囲まれ、事故があれば大惨事になりかねない。
住民達は身近な危険の存在に気づき始めている。
Texas Cityは今もなお化学産業の拠点、毎日平均22隻の船から6000万トンの荷物が降ろされ、そのおよそ97%は製油所で使う石油と化学物質。


Marathon製油所の事故から18年以降、最初の事故から58年後、またもやこの町を爆発が襲った。
2005年、この爆発で15人が亡くなった。
原因は設備の老朽化。
Clawson「過去の事故をよく研究して、自分達がした行動でよかった点と改善すべき点を分析し、2005年にはその成果がでて窓が割れただけですんだ。」
このような地域の住民を守るには、迅速な対応が必須。
Clawson「化学工場や製油所と協力し、対策を練っている。」
しかし緊急時対策だけで、確実に住民の安全を守れるのだろうか?
Koopman「個々の企業がそれぞれの設備で起こりうる危険に対して完全に責任を持つことが必要。」
Aulds「また災害が起こることは間違いない。
人は災害の怖さを忘れてしまうからだ。」


アメリカの石油精製産業は、150年以上前に始まった。
その後の成長は著しく、人里離れた場所に製油所が次々と建てられた。
これにより景色が変わっただけでなく、地域に根本的な変化がもたらされた。
製油所ができたことで、過疎地に雇用が生まれ、住宅が作られ、他の産業が生まれた。
原油を製品化するのに必要な化学物質を輸送し、保管するためのインフラも発達した。
国内には現在153の製油所があるが、Texas州ほど石油によって大きな変化がもたらされた場所はない。
Texas Cityは石油、石油精製触媒、石油副産物の精製売買で成り立っている。
Aulds「Texas Cityの港は貨物取り扱い量でいうと全国で5本の指に入り、およそ1700万トンが定期的に出入りしている。」
製油所では危険度が高いフッ化水素酸が他のどんな設備よりも多く使われている。
Koopman「フッ化水素酸は石油精製の過程で効果的な触媒となり、ハイオクガソリンを作るのに使われている。」
輸送中の化学物質漏れは致命的となりうる。
最悪の場合、フッ化水素酸、アンモニア、塩素などの危険物質が液体からエアロゾルとなって有毒な煙を発生させ、取り返しがつかないほどの壊滅的被害を与える可能性がある。
2002年1月18日North Dakota州Minotで無水アンモニアを積んだ5両のタンク車が脱線転覆により破裂。
76万リットルを超える有毒ガスが町に流れ出した。
町の3分の1を覆った有毒な霧のせいで救助活動は難航、その結果1人が亡くなり、子供を含む男女300人以上が健康を害した。


アメリカ国内に150以上ある製油所のうち、およそ50ヶ所では今もフッ化水素酸を使っている。
フッ化水素酸が流出したらどうなるのだろうか?
Koopman「アモコ石油から問い合わせがあった。
彼らは私達が濃密ガスの流出についての専門家であることを見込んで、フッ化水素酸が事故によって流出したらどうなるのかを尋ねてきた。
しかし結局大量のフッ化水素酸が流出したらどうなるのかは誰にも分からなかった。」
そこでアモコ石油はフッ化水素酸が流出した時の危険性を知り、その対策を見つけるための実験を行った。
Koopman「流出したフッ化水素酸は全て煙となって風下に流れてゆくという驚くべき結果がでた。
大半はエアロゾルとなり、残りは蒸気となって風に流される。
エアロゾルの粒子はとても細いので浮遊する。
湿度が高い場所なら目に見えるが、湿度が低い場所では目に見えないので、知らずに吸い込んでしまえば死亡するか健康を害する。」


フッ化水素酸の使用をやめることを望む声もある。
Metzger「変わりになる物質はいくらでもある。
これからできる製油所は固体酸触媒を使うだろうし、既存の製油所も硫酸やもっと安全な物質に切り替えられるはず。」
Mannan「より安全な化学物質に置き換えるというのはとてもよい考え。
何に置き換えるかというと硫酸、同じように触媒として使える。」
しかし硫酸に切り替えるには相当な費用がかかる上、それだけで危険が軽減するとは断言できない。
Koopman「製油所のように処理の過程で莫大なエネルギーを取り扱う設備は、たとえ案人に設計されていても何かあればそのエネルギーが放出され、大事故になる。
製油所では大量の可燃物質や有毒物質などが複雑な工程の中で使われているからだ。」
化学物質を置き換えても事故の数を減らすことにはならない。
むしろ事故が増えるかもしれない。
Mannan「触媒として硫酸を使うことにした場合、フッ化水素酸の場合の25〜140倍くらいの量を使わなければならない。
つまり配管やその他の設備、貨物船などあらゆるものを増やさなければならない。
そうすれが失敗やテロの危険性も高まる。
人はミスをするものなので事故は起きる。」
1947年の事故からTexas Cityは学んだ。
Clawson「現在は化学物質を扱う時、製造業者から安全データシートをもらう。
それを見れば物質の名前や有害性、取り扱いの注意などがすぐに分かる。」
彼らの対策は効果を見せているが、万が一の時、迅速に対応するための自動システムも必要。
Koopman「製油所には安全システムが導入されており、それにはフッ化水素酸が漏れた場合、即座に検知する機能が備わっている。
つまり設備のあらゆる場所にセンサーがついており、自動警報システムにつながっている。」
明らかに安全対策は進んでいる。
Mannan「被害を抑える対策として効果をあげているものに、Water Curtainがある。
フッ化水素酸が漏れたのをセンサーが感知したら、水がカーテンのように噴出す。
フッ化水素酸はそれほど水に溶けやすい物質ではないが、そうすることで成分を分解し、水の中に閉じ込めることができる。
そしてその水を処理すれば、汚染を除去できる。」


危険な化学物質を扱う産業に対し、テロの脅威が高まっている。
製油所は国の安全にとって心配の種。
Metzger「同時多発テロ以来、製油所への不安が高まっている。
陸軍軍医総監の話によると、化学設備への攻撃は、国の安全にとって生物攻撃に次ぐ第二の脅威。」
彼らが特に懸念している化学物質の1つが塩素。
アメリカ国内には1トン以上の塩素を保管している工場が1200以上あるという。
流出事故を避けるため、塩素への依存率を下げることも検討されている。
アメリカでは過去に塩素漏れによる悲劇が起きている。
アメリカ国内には16000以上の排水処理施設があり、どこも浄化のために大量の化学物質を使用しており、その多くは塩素のように気剣。
Washington DCでは国会議事堂から6kmほど離れたポトマック川の堤防沿いに排水処理施設がある。
Washington DC南西部にあるBlue Plains高度排水処理施設、敷地はおよそ210000屐⊇萢能力はおよそ160万人分で世界でも最大級の高度排水処理施設。
安全性はあらゆる段階で厳重に監視されている。


Everett Lallis Jr.(Director of Safety and Security D.C.Water and Sewer Authority )「ここはこの施設の心臓部、施設内で行われている全てのことを管理するためのセンター。
ここの職員は水の流れや化学物質の状態など、処理の全てを監視できる。
排水がこの施設に入ってきてまず最初に行うことは、塩素やジア塩素酸ナトリウムなどの物質を加えて臭いのもととなる物質を除去すること。」
これには大変な注意と専門知識が必要。
排水のバクテリアを殺す塩素は、ガスに変われば人を殺す。
Lallis「第一次世界大戦の映画で兵士達はマスタードガスを浴びて倒れた後、呼吸障害を起こすというシーンを見たことがある人も多いだろう。
塩素ガスにも同じ効果がある。」
塩素は大気中に流出すると、密度が高い煙となり、地を這うように何km先までも広がる。
この黄緑色の酸性ガスは刺激が強く、接触すると目や喉や肺の組織が破壊され、まもなく窒息死する。


過去に事故の例もある。
2005年1月6日South Carolina州Granitevilleで、塩素のタンク車を運んでいた貨物列車が停車中の車両に激突。
塩素ガスが漏れ、町に広がった。
5400人以上が避難し、554人が塩素被害で手当てを受け、9人が死亡した。
塩素の保管や輸送には危険性がある。
一方水の浄化における塩素の利用は我々の健康と衛生を維持するのに大きな役割を果たしてきた。
Mannan「同じような働きをする物質としてジア塩素酸ナトリウムがあるが、それは塩素から作られる。
大量のジア塩素酸ナトリウムを作るための大きな工場が必要になり、危険性が増えることになる。」


立地上Blue Plains Wastewater Treatment Plantは危機管理上の難しい問題を抱えている。
Jerry N.Johnson(General Manager D.C.Water and Sewer Authority)「Washington DC付近は国内でもテロの危険性が高い地区。
もしここで塩素漏れが起きたらどのような影響あるかを分析した。
汚染が風にのってどの方向へどこまで広がるのか調べた結果、大規模な事故が起これば国会議事堂付近まで汚染が広がることが分かった。」
同時多発テロの発生直後、Washington DC上下水道局はBlue Plains排水処理施設における塩素使用の撤廃が必須だと判断した。
Lallis「局長の判断で塩素を施設から運び出すことになった。」
チームが編成され、職員全員で話し合い、3ヶ月のうちに全ての塩素が施設から出された。
Johnson「最終的にこの切り替えでかかった費用はおよそ1250万ドルで、そのほかに切り替え時に臨時で使った塩素の料金がかかった。
しかも切り替えた物質は塩素より高価、タンクローリーで運ばれてくるので輸送上の危険は残っている。
仮に事故があったとしてもその規模は以前より小さくてすむ。」
この施設では他にメタノールも使われている。
塩素ほどではないにしろ、危険性はある。
Lallis「メタノールは非常に燃えやすい物質。
この物質は汚水処理の工程の中で微生物の活動を活発化するのに使われる。
メタノールで怖いのは火事の危険性だが、私達にはそのための最新の設備が備わっている。
地下にある保管用のタンクは二重構造になっているし、常に監視されており、もし漏れることがあれば警報が鳴る。
それに消火設備も用意されている。
また消防署と協力してメタノールも含め、全ての化学物質への対応訓練を行っているので安心。」
メタノールの使用を停止するための調査も始まっている。


化学物質を扱う設備が危険なのは否定できないが、住民の生活を支えているのも事実。
製油所や化学工場から延びる数々の煙突や、入り組んだパイプは今や見慣れた光景。
住民は設備の危険性に気づいており、その多くは事故が起きた時の影響もわかっている。
近隣住民を守るためのさらなる対策が急がれる。
Mannan「事故の80〜90%くらいは危険性を分かっていながらそれを放置していたがために起きたこと。」
Texas Cityは国内のエネルギーとしの現状を象徴している。
Clawson「Texas Cityの人口はおよそ40000人、そして昼間は建設作業員の数によって50000人前後に増える。
典型的な工業都市で、多くの化学工場や製油所がある。」
Aulds「住民達は子供の頃からここで育ち、怖いとは思っていない。」
Texas Cityではあらゆる危険に備えている。
Clawson「それぞれの組織が少しずつ防災のための設備を持ち合っているので、それを集めるとかなりの量の設備になるので火事や化学事故にも対応できる。」
2005年の事故は地域には広がらず、1947年以降住民に深刻な被害はでていない。
しかし製油所を持つ他の自治体と同じように、フッ化水素酸の脅威はある。


大災害は再び起きるのか?
いつかこんな事故が現実となる可能性は高い。
温かい夏の日の閑静な住宅街。
近くの製油所では定期点検が行われている。
その時、たて続けに爆発が起き、フッ化水素酸のタンクが破裂。
有毒な煙が流れ出す。
タンクの横に開いた穴からは、ガスが噴出している。
その影響は壊滅的。
あまりに早い流出に、安全装置は間に合わず、有毒な煙はゆっくりと住宅地に忍び寄る。
風がほとんどないため、煙は地を這うように住宅地を漂い始める。
Koopman「フッ化水素酸の煙は空気より重く、風にのって風下へと移動する。
なので風が弱いと、煙は1ヶ所を長く危険にさらしながら、はるかと置くの風下まで広がる。」
通報を受けた消防隊が現場に駆けつける。
Clawson「16ヶ所あるサイレンは大音量で問題の発生を知らせる。
10分以内に各個人に連絡を入れる体制も整っている。」
消防隊は煙に水をまき、製油所の非常事態を収拾する。
Koopman「フッ化水素酸1に対して40の水をかければ、フッ化水素酸は十分薄められて地面に落ちる。
そうなれば大気中に広がる心配はない。」
しかし有毒な煙はすでにこの町に影響を与え始めている。
これほど濃度が高いフッ化水素酸は、たとえ一瞬触れただけでも致命的となる。
Clawson「化学物質の流出が起きたら外へ逃げ出すより家に閉じこもったほうが安全。」
所々に濃い煙がたちこめ、住民には逃げる場がない。
蒸気が肌に触れ、組織や骨を破壊する。
大勢が発作を起こし、そのほとんどが死亡する。
夕方までに被害規模が明らかになる。
死傷者は驚くべき数。
Koopman「以上に反応性が高いガスなので、触れたもの全てに反応する。
そして広がって薄められ、最終的には消えてなくなる。」
このような事故はまだアメリカでは起きていないが、多くの人は時間の問題だと考えている。
そして危険地域の住民にとっては避けられない事態にどう備えるかが唯一の方策。

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Volcanos



何世紀もの眠りから覚め、大噴火を起こす火山。
全てを燃やし、破壊し、のみ込む。
火山はどのように形成されるのだろうか?
火山噴火による被害とは?
過去2000年間で25万人以上が火山噴火に伴う危険な現象で命を落としている。
Aomawa Shields(Cal Tech)「多くの危険が考えられる。
火山から有毒ガスがでる。」
Julia Hammer(Univ.of Hawai'i,Manoa)「高温の岩とガスが一緒に斜面を下りてくる。」
Ken Hon(Univ.of Hawai'i,Hilo)「大量の火山灰が屋根に積もり、雨が降ると重みで崩れる。
泥流の破壊力も相当。」
Shields「火砕流は特に危険。
通り道にあるものを焼き尽くす。」
被害は人間だけでなく、全ての生物に及ぶ。
危険な火山現象 第10位 Lava 溶岩


Hon「岩石は熱せられると明るく輝く。
900℃ほどだと、暗い赤色、コンロのバーナーと同じ色。
約1000℃だとオレンジ色。
1100〜1200℃になると黄色っぽくなる。」
溶岩は地上での名、地下深くにある時はマグマと呼ばれる。
Hammer「マグマは溶けた岩にガスが入ったもの。」
マグマの成因は地下約5000kmにある。
地球のは火星より巨大。
核の直径は約7000km、温度は約6000℃で、太陽の表面温度に匹敵する。
地表に向かう核の熱は減衰するが、マントルでも1000℃以上。
地下深くでは、圧力ガスが大きいので、たとえ高温でも岩石は溶けない。
ところがその圧力も地表付近では低下するため、岩石は溶けてマグマになる。
Donald Swanson(USGS Hawaaiian Volcano Observatory)「地下数100kmから岩石が溶け始めて、地表へと上ってくる。」
マグマの成分はマグネシウム、鉄、アルミニウム、酸素、炭素、硫黄、ケイ素など。
周囲の岩石より密度が低いので、浮きやすく、時に勢いよく地殻を突き破る。


マグマが地上に噴出す場所はホットスポットと呼ばれる。
そこでマグマが積み重なって山や島、火山が形成される。
Hammer「火山が噴火中の場所はいくつかある。
その1つハワイでは、地表近くに大量のマグマがたまっている。」
Hon「数10万年の間に何万回も噴火を繰り返し、火山が形成された。
ハワイの溶岩は流れやすいので、底面積が広い盾状火山ができた。
形が裏返した盾のようなので、盾状火山と呼ばれる。」
ガスを含んだマグマが地表近くまでくると、マグマ溜りができ、マグマ溜りが成長すると、ガスが逃げ場を求めて外に出ようとする。
Hon「ソーダを振ると炭酸が出ようとするが、どこへもいけない。
開けると炭酸が液体を押し出して一緒に噴出す。」


1977年現在のCongo民主共和国で、噴火による被害が発生した。
現場はMount Nyiragongoで、煮えたぎる溶岩湖を持つ、標高3470mの火山。
Scott Rowland(Univ.of Hawai'i Manoa)「溶岩湖が決壊して、粘性の低い溶岩が斜面を流れた。
大量の溶岩が猛スピードで。」
溶岩は時速約100km/hで流れ、70人がのみ込まれた。
Rowland「ゾウも逃げ遅れ、溶岩流にのまれ、悲惨な死に方をした。
骨だけが残っていた。」
2002年再び溶岩が流れ出し、Goma市を直撃。
家屋12000棟と住民100人以上がのまれた。


速度が遅い溶岩流も危険なのは同じ。
1990年ハワイ島、100棟以上の家があったKalapana地区で、Kilauea山の溶岩が流れてきた。
溶岩はジワジワを住民に迫った。
そして6ヶ月の間に家を焼き、大地を覆った。
Hon「1秒ごとにダンプカー1台分の溶岩が流れこんだ。
最大18m積もった。
基に戻るのは、何100年も先だろう。」
Kalapana地区の例は珍しくない。


ハワイの火山学者は世界最大の活火山、Mauna Loa山を注視している。
Hon「Mauna Loa山の溶岩を引き伸ばして赤道を1周させたとすると、幅も厚さも1.5kmになる。」
前回の噴火は1984年。
再び噴火が起これば、ハワイ島最大の都市Hiloが溶岩にのまれる恐れがある。
Swanson「Hiloの地盤の大半は固まった溶岩だから、悪条件が重なれば、溶岩流の被害を受ける。
噴火が長引くと危険。」
溶岩は温度差で固まるので、樹木さえ冷却効果がある。
もちろん岩と違い、樹木自体は焼失する。
根っこまで焼き尽くされる。
Hon「大きな木だと溶岩が冷えて固着することがある。
溶岩樹型と呼ばれる。
樹に触れた溶岩だけが冷えて固まり、あとは流れた。
だから中心部は元々大きな木だった。
まだ欠片が残っている。
炭が埋まっている。
ハワイではよくあること。」


1973年アイスランドのHeimaey島で噴火が起きた時は、人の力で溶岩流の阻止を試みた。
1000℃を超す溶岩が家屋を焼き、漁港に接近。
住民は奮起し、10億リットル近くの海水を溶岩流に放水した。
海水は空気より100倍速く溶岩を冷やす。
半年に及ぶ戦いの末、600万㎥の溶岩流はただの岩石と化した。
そして噴火は収まり、漁港は救われた。
火山の脅威で最初に思いつくのは溶岩だが、静かに忍び寄る脅威も存在する。


危険な火山現象 第9位 Gases 火山ガス
噴火により排出される二酸化硫黄は大気中の水と混ざる。
これは酸性雨の原因となる。
火山ガスで最も危険な気体の1つが無色無臭の二酸化炭素
Cameroonの火山では、二酸化炭素が大災害を引き起こした。
現況は火口湖のNyos湖
この地下にあるマグマは二酸化炭素を絶えず水中に放出している。
1986年8月21日の夜、およそ幅1km、高さ1kmの二酸化炭素が湖面から浮上。
二酸化炭素は空気より重いため、麓の村へ流れ込み、住民を窒息死させた。
Rosaly Lopes(Jet Propuision Laboratory)「火山湖から発生した二酸化炭素は、地面を這うように移動。
そして約1700人の村人が就寝中に亡くなった。」


火山ガスははるか昔にも地球上の他の生物を危機に陥れたことがある。
複雑な生命体には酸素が不可欠だが、酸素がない時代もあった。
地球のほぼ全体が海で覆われていた27億年前、空は二酸化炭素と窒素で満ちていた。
海ではシアノバクテリアと呼ばれる細菌が二酸化炭素を吸収し、酸素を排出する光合成を行っていた。
通常なら酸素は浮上し、大気に放出される。
しかし一部の学者はこの酸素は失われたと主張する。
火山ガスの硫化水素などが酸素と結びつき、硫酸になったという。
これでは複雑な生命体は生まれてこない。
しかしそれから2億年後状況が好転した。
地殻変動により陸地が一気に増えると共に、海底火山が海面上に出た。
酸素は火山ガスから逃れてついに大気中に放たれた。
その酸素のおかげで生物の進化が始まった。
火山ガスはそれ自体が十分危険。
またガスが一気に膨れると、弾丸が飛ぶ原理で火砕物が放出される。
プレートの境界に形成された火山では特に注意が必要。
Swanson「2枚のプレートがぶつかり合う。
普通古い方のプレートは、温度が低く密度が高いため、新しいプレートの下に潜る。」
下側のプレートは高温にさらされる。
プレートにある水分子がマントルと混ざり、比重の小さいマグマができる。
Shields「地下の岩石が溶けると、マグマとなって地表の方へ上昇する。」
このような形の火山を成層火山(Stratovolcanoと呼ぶ。


成層火山は盾状火山より粘性がある溶岩によって造られる。
火山と言えば誰もがこの円錐形の成層火山を想像するだろう。
成層火山と盾状火山の違いは外観だけではない。
ガラスの材料である二酸化ケイ素、別名シリカの量が違う。
シリカはマグマの主成分。
成層火山のマグマは盾状火山よりシリカが多い。
Hon「盾状火山は溶岩の流動性が高く、ガスが外に抜けやすい。
一方成層火山の溶岩は、粘性が高く、隙間がないのでガスは抜けない。
だから溜まったガスが大爆発を起こす。
成層火山は細かい岩や灰を噴き上げる。
これらが噴煙の中で衝突し、危険な現象が生じる。


危険な火山現象 第8位 Lightning 火山雷


Rowland「噴煙の中には細かい岩や火山灰がある。
それらが衝突すると電荷移動が起こる。
そして粒子が正の電荷や負の電荷を帯びる。
じゅうたんに手をこすっても同じことが起こる。
電荷移動がどんどん進んでいくと、電位差が大きくなり、放電が起こる。」
放電現象は火山の火口付近で起こる。
噴煙の中を雷が走る。
遠方から見るとまさに自然の神秘だが、近寄りすぎると二度とその景色は拝めない。
1999年以降Etna山では火山雷によって4人が死亡している。
強い電流によって神経系が損傷した。
予測は難しいものの、火山雷は火口に近づかなければ怖くない。
しかし被害が広範囲に及ぶ危険な現象も存在する。


危険な火山現象 第7位 Tephra テフラ
火山の大爆発は岩石を粉砕し、その破片を遠方まで飛ばす。
Shields「火山噴出物を総称してテフラという。
2.5ミリほどの細かい粒も、小型車くらいの塊もそう呼ぶ。」
テフラの塊は火口から800mも飛ぶ。
Lopes「私はエトナ山の火口から1.5kmの距離で、噴火による煙を見た。
火山はゲップをするように岩を吐き出した。
熱さはないものの、火口付近の旅行者の頭上に落下した。
小さなゲップで9人が亡くなった。」
大きいテフラが当たると致命的。
しかし直径2ミリ以下の小さな粒のほうがもっと危険。


危険な火山現象 第6位 Ash 火山灰
火山灰は木材の灰ほど柔らかくない。
シリカや岩石の破片なので、硬くて粗い。
噴出された火山灰は、航空機にまで外を及ぼす。
Carolyn Driedger(USGS Cascados Volcano Observatory)「エンジンに火山灰が入ると、エンジンの温度が高いので、シリカが溶け出す。
そしてシリカがエンジンにくっつく。」
火山灰は低温の部品に触れて固まり、故障を引き起こす。
エンジン停止などの原因になる。
火山灰に突入した約100機のうち7機にトラブルが発生、3機がエンジン停止に追いやられ、墜落の危機に直面した。
1982年、747型機がインドネシア上空で火山灰の中に突入した。
全エンジンが停止、機体が7000m降下した所で、エンジンの再点火に成功。
かろうじて海への墜落は免れ、乗客248名は助かった。
火山灰は地上にいる人々にも危険。
降り注ぐ火山灰を逃れて建物に駆け込んでも、危険は待っている。
火山灰は高密度、少し積もるだけで建物は崩れる。
灰が雨水を吸収すれば、さらに重みが増す。


危険な火山現象 第5位 Tsunamis 津波
火山は溶岩などが積もり成長する。
しかし高い山ほど不安定で、熱い酸性ガスが岩に染みるとより危険。
山の側面が崩壊して、海に落ちるからだ。
Hammer「ハワイでは頻繁に見られる光景。
岩屑なだれ(Debris avalancheと呼ばれる現象で、火山の生成サイクルの一部。」
Hon「巨大なものが海へ落ちると津波が起きる。」
岩屑なだれではなく、大噴火でも津波は発生する。
1883年Krakatauの噴火では、高さ35mの津波が発生。
Lopes「爆発の威力は広島原爆の約10000倍、およそ200メガトンだった。」
この噴火による津波は295の村を壊滅させた。
火山性津波の犠牲者は、過去に50000人以上いると言われる。
津波が起きやすい場所は決まっている。
今一番恐ろしいのがハワイのMauna Loa山南西の斜面は有史以前に何度か崩れ、高さ150mの津波を起こしている。
Hon「前回の発生は125000年前。」
しかし津波は誰にも防げず、もし同じことが起これば被害は甚大。


危険な火山現象 第4位 Lahar ラハール
海への崩落は津波を引き起こすが、内陸へ崩れた場合、火山泥流ラハールが発生する。
ラハールはインドネシア語で、泥流を意味する。
山頂に氷や雪が積もっている火山では、ラハールに要注意。
Rowland「いわば噴火による鉄砲水。
泥や灰や岩が混ざったものが、通り道の土砂や木々を巻き込み流れる。」
1985年Colombiaでは甚大な被害が出た。
氷河に覆われたNevado del Ruiz山が140年ぶりに噴火。
火山灰は30km先まで飛んだ。
また170億㎥の氷河が溶けて流れ出し、ラハールとなって麓の町Armeroを直撃。
23000人以上が死亡した。
これはアメリカでも起こり得る。


Cascade Rangeに同様の火山がある。
Rainier山の麓は居住区で、山は氷河で覆われている。
Driedger「42億㎥の万年雪と氷がある。
Cascade山脈では群を抜いている。
高温の噴出物が雪や氷を溶かし、ラハールを引き起こす。
地球科学教授Pat Pringle(Centrallia College)は、過去にRainier山で起こったラハールの調査をしている。
Pringle「これは過去数1000年以内の泥流だろう。
膨大な量の土砂が流れてきている。
端の土砂は削り取られたのだろう。
これを見る限り、大規模な泥流のようだ。
たぶん8割が固形物、2割が水。
まるで流れるコンクリート。」
噴火しなくてもラハールは発生する。
約600年前、地盤が緩んだ西側の斜面が崩落し、100km先のPuget Soundへ泥流が流れ込んだ。
現在再び溶岩が堆積し、西側の斜面は緩んでいる。
Anne Doherty(Mt.Rainier National Park)「ここは地震が起こる地域。
地震の規模によっては構造の弱い部分が崩れる可能性がある。」
再び崩落があれば、ラハールが起こるだろう。
泥流のルートは600年前と同じかもしれない。
当時の腹だった場所は今や数万人の居住者や労働者などがいる。
ラハールを防ぐ方法はない。
Tacoma港を守る術もない。
Jody Woodcock(Pierce County Dept.of Emergency Mgmt)「Tacoma港は世界有数の港。
アラスカやアジアとつながるため、重要な港。」
ラハールが起きたら被害は甚大だと地元自治体は考えている。
泥流の影響で、港は何ヶ月も封鎖状態。北西部の経済は停滞し、国外にも波及するだろう。
しかし人命を守るための対策は打ってある。
Woodcock「対策センターが町中にサイレンを鳴らす。
また各家庭と事業所に電話をかけて人々に非難を呼びかける。
地上15m以上の場所に登るよう促す。
命は助かるだろう。」
しかしこの一帯が危険なことに変りはない。
Doherty「いつ噴火するかは分からないが、噴火するのは確実。」


危険な火山現象 第3位 Pyroclastic Flow 火砕流
Shields「高温の岩やガスが一体化した火砕流は、通り道の全てを破壊しつくす。」
火砕流が恐ろしいのはガスのせいで高温になっているから。
火砕流の温度は700度を軽く上回る。
そして熱いだけでなく、速い。
時速160km/hで斜面を下りてくることもある。
Rowland「火砕流によってセメント製の建造物が倒れたこともある。
後に残ったのは基礎だけだった。
全てガスと灰にのみ込まれてしまう。」
火砕流は1度で多くの犠牲者を出す。
1902年Martinique島Pelee山が噴火。
火砕流がSaint-Pierreの町を襲った。
Lopes「噴火の前から兆候があり、町に被害がでていた。
火山灰が降り、小規模な火砕流も発生していた。
火山は数々の警告を発していたのだ。
でも地元民は何か起こるか知らず、また避難しないよう指示されていた。
選挙が近かったからだ。」


1902年5月8日、Pelee山が大噴火、火砕流が時速150km/hで町へと押し寄せた。
3分でSaint-Pierreに到達、悪夢が始まった。
Lopes「火砕流にのみ込まれたら、惨い死に方をする。
皮膚は焼け、息をすると肺まで焼かれる。」
28000人以上いたSaint-Pierreの人口が、数分で2人に激減。
1人は地下室に避難し、1人は石の独房にいた。
Lopes「囚人は大火傷を負ったが、市の中心部で助かったのは彼だけ。
救急隊が悲鳴を聞きつけて彼を救出し、後で釈放した。」
火砕流の場合、死に様は悲惨だが即死。
しかしゆっくりと間接的に、より多くの命を奪う現象がある。


危険な火山現象 第2位 Starvation 大飢餓
19世紀Krakatauなどの火山が噴火、泥流や火砕流、津波で食料の供給が絶たれた。
被災者は苦しみながら亡くなった。
作物も火山灰に覆われ全滅。
焼死でも窒息死でもなく、飢餓により90000人近くが死亡した。
21世紀の現在、災害救援が迅速かつ組織的に行われるようになった。
被災地に援助物資が届くようになり、餓死者は格段に減った。
しかし経済的、社会的な被害は未だ甚大。
噴火による難民は100万人とも言われる。
Woodcock「住んでいた家や職場に二度と戻れないかもしれない。」
火山の噴火は餓死者や難民を出すだけではなく、地球規模の災害をもたらす。
火山の脅威は直接的で間接的。
火山の最大の脅威は何世紀もかけ人々を苦しめる。


危険な火山現象 第1位 Greenhouse Effect 気候変動
溶岩や火砕流ほど危険に感じないが、ガスと塵は気候に影響を及ぼす。
生物の絶滅もあり得る。
Pringle「噴火による大量絶滅は過去に数回起きている。」
火山の噴火が6500万円前の恐竜の絶滅を招いたという説もある。
Pringle「一般的には直径約10kmの隕石が、ユカタン半島に落ちたのが絶滅の原因とされているが、絶滅と同じ頃に起こったインドのDecan Trapsでの噴火が原因とも言われる。
噴火は環境を変えたはず。」
Decan Trapsとは、昔インドのDecan高原にあった広大な火山地帯。
Trapは階段状の丘を指す地質学用語。
6500万年前頃、Decan Trapsでは火山活動が活発だった。
大量の溶岩が温室効果ガスを排出し、気候が変わったはず。


Pringle「火山灰が日光を遮ることは、一般的に知られているが、硫酸の微粒子などのエアロゾル粒子が気候変動の原因とも言われている。
太陽光を遮り、寒冷化を促すと。」
現在二酸化硫黄は年に8000万トンほど排出されている。
Decan Trapsでは1回の活動で10億トン以上排出される。
恐竜が絶滅してもおかしくない。
恐竜の絶滅だけではない。
噴火によって別の大量絶滅が起こったとも考えられている。
その大量絶滅が起きたのは、2億5100万年前ペルム紀の末期、陸に住む生物の70%と、海に住む生物の90%が絶滅した。
この大量絶滅の下人となったのが、現在のシベリアにあった火山群かもしれない。
Pringle「2億5100万年前に起きた大量絶滅は、Siberian Trapsの火山である可能性がある。
大量の二酸化炭素が発生し、環境は激変しただろう。」
Driedger「火山灰が空を覆い、寒冷化した可能性もある。
動植物が絶滅しても不思議ではない。」
1991年にも火山の噴火で気温が低下した。
Pinatubo山から噴出した大量の二酸化硫黄は、上空20km付近まで達した。
そして3週間で地球を1周。
二酸化硫黄は大気中の水と反応し、硫酸エアロゾルを作り、太陽光を遮った。
平均気温が2年間以上に渡り、1℃ほど下がったと言われる。
Pinatuboの場合火山は1つ、複数の山が一斉に噴火したら、大惨事になる。


火山はこれまで何億年にも渡り、溶岩、ガス、泥流、火砕流、雷などで多くの命を奪ってきた。
しかし良い面もある。
Lopes「火山は財産や人命を奪うが、新しい陸地を生み出す。」
Kilauea山のおかげで、1986年以降ハワイ島は広がっている。
海に流れた溶岩が固まり、陸地になっている。
土地が風や波に削られも、火山が溶岩を供給し続ける。
Hon「供給が止まれば島は小さくなる。
ハワイ最大の島であるには、溶岩が必要。」
Kalapana地区は1990年の噴火で溶岩に覆い尽くされたが、いつの日か再生するだろう。
Kalapana地区だけではない。
Swanson「ここは壊滅状態になったエリアだが、徐々に変化している。
噴火の後にはこのような光景がよく見られる。
火山灰は土地の養分になる。
恐らく数100年後には、火山灰の成分である火山ガラスはすぐに分解されるからだ。
これらの細かい火山灰などが、肥えた土に変る。
地質学的にはあっという間。」
更に固まった溶岩も風化し、土に混ざると栄養分となる。
火山灰は水持ちがよく、灰に含まれるシリカも土によいと言われる。
Lopes「火山灰は土壌を豊かにしてくれるので、昔から人々は火山の斜面に住んできた。」
現在火山の周辺で暮らす人は6億人以上いる。
住人は一瞬で命を失う可能性がある。
火山は危険だが多くの恩恵ももたらしている。
火山の周辺住民は、災害が起きないよう祈ることしかできない。

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Earth Ride 水の旅 生命の源を追って


あらゆる生命からなる多様な惑星地球。
その全ての生命の源となるのは水。
水はどこにでも行き渡る。
どんな時も地球上の生命体は皆水を分け合って生きている。
しかし地球の水の量は限られている。
水はどのように誕生したのか、そしてどのように地球を巡っているのか?
全ての生物は水がなくては生きられない。
人間の体は3分の2が水でできている。
そしてあなたの体を作る水にも、壮大な歴史が宿っている。
今日これからあなたが飲む水は、かつて海を満たしていたものと同じ水。
海から離れた水は、あらゆる動物や植物のもとを循環し、あなたのもとへとたどり着いたのだ。
水を飲むことによって、あなたも壮大な水の循環の一端となって機能している。


乾燥した砂漠地帯から雪に覆われた山の頂上まで、水はこの地球全ての場所を何度も循環している。
そして重さ12兆トンの水が大気となって常に地球を覆っている。
この水の正体はいったい何なのだろうか?
その答を探るために、まず水滴の中に入ってみよう。
水の分子H2O、2つの水素原子と1つの酸素原子から成っている。
1つ1つが水素結合と呼ばれる分子間の力で結びついている。
この結合こそが水の特殊性を生み出した。
ありふれているように見える水は、実は特別な存在。


いったいいつどのように水は生まれたのか、その謎を探るために、地球が誕生して間もない頃までタイムスリップしてみよう。
40億年前、宇宙には膨大な量の水素と酸素が結合した氷のような物質が存在していた。
彗星も平均10億トン以上もの氷でできている。
地球が生まれた時、水の一部はその宇宙の氷によって運ばれてきた。
宇宙の氷が人間を含めた全ての生命を作った水の一部となった。
そして残りの水の大部分が地球が生まれた時、地底の奥深くで水素と酸素が結合することによてできたと言われている。
そこで生まれた熱水が火山源や間欠泉と呼ばれる地殻の裂け目から湧き出て、やがて蒸気となった。
それ以降30億年もの間、地球はその蒸気に覆われ、飽和状態になった。
この蒸気が焼けるような太陽光線から地球を守り続けた。
太陽の熱は少しずつ蒸気に蓄えられていったため、地球の大気は徐々に温められていった。
こうして地球は温室のように保たれた。
もしこの効果がなければ、地球の平均気温は-18℃、凍りついた不毛の地となっていただろう。
私達が誕生することもなかった。
地球の大気が十分に温まると、飽和状態を過ぎた蒸気が雨となて地球に降り注いだ。
その雨が地球に海を作った。
海の水は太陽のエネルギーによって蒸発し、雨となって再び地上へ帰ってくる。
壮大な水の循環システムは、こうして出来上がった。


初めに降った雨は、今日までにおよそ800万回循環を繰り返している。
温められた海水は汚れのない純粋な蒸気となって地球に広がる。
しかしこの蒸気は大気圏の上の方で宇宙の彼方へと少しずつ失われている。
地球の大切な財産である水は、いつか全て宇宙へと失われてしまうのだろうか?
その答は地底奥深くに隠されている。
地下30km、摂氏1000℃以上。
地球の核と地殻との間にあるマントルと呼ばれる層は、ここから始まる。
マントルはほとんど熱い岩でできているが、下に下がると水がある。
地中奥深くに存在する膨大な量の水、これが宇宙へと消えてゆく水を補っている。
火山の爆発によって噴出する。
生命が誕生する前、地球は火山で覆われていた。
その大部分は後に海に沈められ、海中で起こった噴火が蒸気を海の中に直接吹き込んでいった。
海底で起こる噴火は、今も地底の奥深くから海の中へと水を送り込んでいる。
海底にある噴火口とはいったいどんなものなのだろうか?
地中の奥深くから噴出している熱水ブラックスモーカー、マグマに含まれる硫化水素と海水が反応するため黒く見える。
地球の生命が誕生したのは、まさにこのような深い海の底だった。
全ての生き物の起源は海の中にある。
海面下2.5km、水圧が高いこの深海では今も微生物が生息している。
噴火口から放出されるミネラルや熱のおかげ。
安定した温度と豊富な栄養を提供する海水。
海の水は生命の誕生に理想的だった。


舞台は整った。進化の始まり。
7億年前、太陽の恵みを受け、力強い潮流に乗り、生命の流れは地球上に広がった。
5億9000万年前、時代が進むにつれ、海はより豊かに、生物達はより多様に変化していった。
3億7500万年前、肺魚やシーラカンスの仲間が登場。


2500万年前、暖かい赤道付近では、海の豊かさを象徴するような美しい珊瑚礁も生まれた。
今日海の中には大小様々、ありとあらゆる形の生き物達で溢れている。
生物が海を上って陸で生活できるようになったのはそれほど昔のことではない。
4億年前、海の恵まれた環境から外れると、生物の体は急激に変化していった。
まるで別世界のエイリアンのように。


トビハゼは生物が陸に上り始めた時の特徴を今だに持っている。
陸を生活する魚のように、えらを閉じて胸鰭で歩く。
生物が陸で生活するために不可欠だったのは、体内に水を蓄えることだった。
水はまさに生命線。


3億7500万年前、巨大な昆虫は水が外に漏れない肌を発達させ、地球上に広がっていった。
昆虫達は一時この地球を支配した。
2億9000万年前、さらに時が経つと、水から離れて生活できる生物が増えていった。
陸上に卵を産み始めたのが巨大な爬虫類。
爬虫類の卵は水を逃がさない固い殻でできている。。
しかし爬虫類の赤ちゃんは、水から離れて生活することはできない。
クロコダイルのように母親が水のある場所へと連れてゆく。


1億4000万年前、爬虫類の子孫、鳥類の卵も固い殻に包まれている。
厳しい環境で繁殖できたのも、水を逃がさない卵のおかげ。
体内に水を蓄える機能が最も発達しているのが哺乳類。
ラクダは砂漠での生活にも十分適応している。
120リットルもの水を溜め込むことができる。
数億年に渡る生物の進化、その過程で水はあらゆる生物の体内を満たしてきた。


しかしこの地球上にある水の量は限られている。
ちょうど1杯のグラスのように。
この1杯が何度も地球を循環して生物の進化を支えてきた。
海の水は温められると水蒸気となって空に広がり、冷やされる。
それが塵と混ざって固まり、雲になる。
雲の中で水分子同士がぶつかって、大きくなると、雨となって地上に降り注ぐ。
海は再び雨によって満たされ、そしてまた循環が始まる。
蒸発凝結降水という過程を繰り返す水の循環。
雲の中で水は固体、液体、気体の3つの状態で存在している。
水の分子は水素結合を繰り返して形を変え、その過程で膨大なエネルギーを生み出す。
そのエネルギーが雲の中で急速に動き回った時に風が生まれ、そして嵐が起きる。


海から外に上がり、雲となった水滴は、地上へと下りてゆく。
水の旅はほとんどが氷の状態から始まる。
暑い季節でもそれは同じ。
夏の雲の多くは極度に冷えた水の粒子でできている。
その粒子が雲の中を漂う氷の結晶とぶつかると、1つの雪の結晶になる。
雪の結晶は重力によって地上へ急降下する。
地上にたどり着く前にほとんどの雪は溶けてしまう。
暖かい空気に触れ、水滴に変って雨になる。
形は涙の雫というよりハンバーガーのよう。
表面張力という力によって水滴は玉の形を保っていられる。
地上のどこに落ちるかによってその水滴がたどる運命は全く違うものになる。


小さな昆虫にとっては雨粒はエネルギーが詰まった爆弾のようなもの。
それが大雨ともなればひとたまりもない。
山で起こる鉄砲水は小さな生物達をあっという間に飲み込んでしまう。
なす術のない南アメリカのアカアリ達。
互いに足を絡めあい、流れに身を任せている。
行く先は誰にも分からない。
激しい流れはがっしりとした花崗岩までも打ち砕く。
20cmある岩でも一旦流れに飲み込まれると、10km流される間にたった2cmの石へと変ってしまう。
さらに10km進めば、そこにあるのは砂だけ。
長い年月が経てば、地形を丸ごと変える威力さえ水は持っている。
下流にたどり着くと、水はその力を緩め、穏やかな航海を始める。
先程のアリ達は何とか激流を乗り切っただろうか?
女王アリとサナギを安全な中心部に乗せて、アリ達はようやく岸辺にたどり着いた。
緩やかになった水は、木々に吸収されてゆく。
水滴と共に木の中へ入ってゆこう。
1時間に60mという驚異的な速さで、水は木の中を駆け巡る。
植物はその水を使い、光合成しながら生きている。
水と二酸化炭素と太陽の光が栄養分を作り、余分な水分は蒸気となって外に出される。
水分をたっぷり含んだ葉は、動物の口へ。
水は植物から動物の体内へ移動した。


蒸気となって外に出された水を追ってみよう。
木はたくさんの蒸気を排出している。
大きな森は大量の蒸気を排出することによって、自ら雨を降らすことができる。
南アメリカ、アマゾンの低地。
ここで降る雨のうち、70%は木々が放出する蒸気によるもの。
アマゾンで降る雨は世界の降水量の半分。
その雨1滴1滴が広大なアマゾン川の源流となる。
この大河の水量は、世界の淡水の5分の1にも達する。
下流に広がる氾濫原を通れば、その先は海。
ついにスタート地点に戻ってきた。
これからおよそ2000年、もしくはそれ以上、水の分子は海に留まる。
再び蒸発し、また新たな旅が始まる日まで。
その頃までには海の流れが水の分子を地球の反対側まで運んでいるかもしれない。


地球の表面の70%は水、陸地はわずか30%に過ぎない。
そして陸地で得られる水が少なくなるほど、そこに住める生物も少なくなる。
食物連鎖の基盤となる植物も、水がなくては育たない。
しかし植物は毛管作用によって非常に効率よく水を吸収することができる。
少しの水さえあれば、乾燥した地でも生命が宿る。
水は植物の成長を全面的に支えている。
水がなくなれば、若い芽はすぐにしおれてしまう。
しかし少しの水でたちまち元気を取り戻す。
わずかな水も吸収する植物の力は驚くべきもの。


植物と同じように水を吸収できる珍しい動物もいる。
オーストラリアの砂漠に生息するトカゲ、Thorny Devil
このトカゲはただ水溜りに立っただけで、水を飲むことができる。
重力に逆らって水を引き上げることができる。
皮膚を伝って上に上がった水は口まで到達する。


乾いた土地であるほど、動物達は水からの影響をダイレクトに受けて生活しなければならない。
水の循環が悪い土地では、動物達はどんな生活をしているのだろうか?
東アフリカ、サバンナ、1人に2回ある雨季を合わせても、降水量は年間1mに過ぎない。
水が少ないため、大きな木は育たない。
地面を覆っているのは一面に広がる草だけ。


雨季がやってきた。
この時期サバンナは水浸し、雨の中動きが鈍くなる動物達。
獲物を追うチーターにとっては好都合。
ガゼルは雨の中、視界が曇り、聴覚も弱まっている。
危険を察知するのは難しい状態。
しかし実際はチーター自身も動きが鈍くなっている。
スプリンターであるチーターは、乾いた地面が好き。
滑りやすい地面では曲がるのが大変。
獲物を逃してしまった。


さらに乾燥した地域に行くと、いつ雨が振るのか予測不可能。
年間降水量50cm以下の地域と定義されている砂漠。
アフリカの砂漠に生息するサケイは60km離れた場所から水を求めてはるばるやってくる。
しかしまだ自分で飛べないヒナドリはどうやって生き延びるのだろう?
その秘密はオスの羽にある。
胸の羽が、吸い取り紙の何倍もの吸水性に富んでいるため、水を巣まで持ち帰ることができる。
オスの親鳥が60kmの距離を飛んで帰ってきた。
喉をカラカラにしたヒナ達が、胸の羽から水を飲みほしている。


砂漠はわずかな天候の変化で絶えず大きさを変えてきた。
しかし20世紀以降、砂漠は急速に拡大し、現在地球の表面の5分の1を覆っている。
チリのアタカマ砂漠は世界で最も乾燥した砂漠。
この砂漠には雨が1度も降ったことがない地域もある。
ここにはもう水が1滴もなくなってしまった。
連なる砂丘に照りつける太陽、それが私達が持つ砂漠のイメージ。
しかし実際砂漠は必ずしも暑いわけではない。
そして砂でできているとも限らない。
地球上には一面氷で覆われた砂漠も存在している。
南極だ。
南極には水はあってもそのほとんどが固体。
雪が氷となって地上に固定されてしまっては、生物は水を利用することができない。
南極を覆う膨大な量の氷は、どうやってできたのだろうか?
上空高い雲の中、水滴から氷の結晶が作られると、それがいくつか組み合わさって重くなり、雪となって落ちてゆく。
氷の結晶は6つの水の分子が結びついてできているため、全て六角形をしている。
基本的な型は同じでも、気温や湿度の違いで、実に様々な形を作っている。
そうしてできた雪が吹雪となって山頂へ舞い降りる。
積もった雪はやがて氷河と言われる氷の川を作る。
氷河はゆっくり流動している。
1粒の氷の結晶が広大な氷河を渡り終えるには、何1000年もの歳月がかかる。
しかしついに氷河から解き放たれる時がやってくる。
水として取り出すか、あるいは流氷となる。


現在地球の10分の1は厚い氷で覆われている。
氷は不思議な存在。
どんなに巨大でも、水に浮くことができる。
自然界において、液体の状態よりも固体の方が軽い物質はただ1つ、水だけ。
もし氷が水に沈んでしまったら、どうなっていただろう?
ペンギン達も大慌て。
ペンギンに限らず、全ての生物は氷が水に浮く現象によって支えられている。
もし氷が水に沈めば、海は沈んだ氷によって下から冷やされ、生物は皆凍りついてしまう。
生命の進化は決して起こらなかっただろう。


氷は一体何故水に浮くことができるのだろうか?
その秘密は水の持つ特殊な分子構造にある。
水の分子は凍って六角形になると、隙間ができることによって密度が小さくなる。
その分氷は軽くなるので、液体の水に浮くことができる。
水の密度は摂氏4℃で最大になる。
4℃以下に冷やされれば、密度は小さくなり、重さは軽くなってゆくため、もう沈むことはない。
表面の冷たい水は上に浮かんだまま氷となってゆく。
この水の不思議な性質のおかげで、巨大な氷の下に息づく生命の営みが守られている。
しかし極地では、真っ先にその影響を受けてしまう。
地球を巡る水の循環は、今これまでにない勢いで変化している。
これから先どうなってゆくのか、誰にも分からない。
目覚しい技術の進歩と共に、人間は膨大な量の水を取り入れ、文明を発達させてきた。
今や水は都市の隅々にまで行き渡る。
私達の日常生活も、水がなければ成り立たない。
そして何より人間が生きてゆくためには、少なくとも1日2リットルの水が必要。
宇宙の氷が地球へとたどり着いてから、果てしない年月を経て、あなたのもとへと循環してきた水。
一見何の変哲もない水だが、これほど不思議な物質は他にない。
私達人間はこの壮大な水の循環を操ることができるのだろうか?
操ってもよいのだろうか?
人間はすでに何100万トンもの水を地球上で動かしている。
環境破壊も確実に進み、異常気象や海面上昇など、水の循環に影響を与える現象が次々に起こっている。
人間は地球上の水を自分勝手に使いすぎているのだろうか?
いつか水が尽き果ててしまう日が来るのだろうか?


今後100年、もしくはそれ以上の間に、様々な要因が水の循環に影響を与えると言われている。
その最も深刻なものが、地球の温暖化。
1998年は観測史上最も暖かい年だった。
そして2001年には初めて北極で雪解けが観測された。
南極では氷雪の大陸が海へと溶け出し、その面積を縮めている。
温暖化が北極や南極にどのくらい影響を及ぼすのか、はっきりと分かってはいない。
しかし確実に極地の氷は溶け出している。
氷が解ければ、そこに住む生き物達にも影響が出てくる。
陸上で最も大きな肉食動物であるホッキョクグマ
流氷の上で大好物のアザラシを捕まえて生活している。
もし氷が消えてしまったら、ホッキョクグマもいなくなってしまうだろう。
もうすでにホッキョクグマは薄い氷の上を滑っているような状態。
そのうち氷は海から消え去ってしまうかもしれない。


今の時点では、地球上で水の循環がどう変化してゆくのか予測することは不可能。
もしかしたら深刻な干ばつや洪水、破壊的な嵐がより頻繁に起こるようになるかもしれない。
私達が生きている間に、何かが起こる可能性も十分にある。
環境破壊は水の循環を狂わせ、永久的な破壊を招いてしまう。
時間は刻々と過ぎてゆく。
これから地球はどう変ってゆくのだろうか?
1つだけ確かなのは、私達はこれからもずっと水の循環の一端を担ってゆくということ。
この地球上に生きている限り・・・


私達が水を飲む度に、水のローラーコースターは次のステージへと移動している。
そして私達はこの地球上で水を分け合って生きている。
水が旅をしてきた全ての場所、全ての生き物達と時間を越えたつながりを持っている。
何もない所に命を生み出す水。
水はまさに地球の生命の源。
水がなければ、私達も存在していないのだ。
46億年前に地球が生まれてから、水は果てしないたびを続けてきた。
その水と共に行き続ける私達の旅はまだ始まったばかり。
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Earthquake In New York


普段と変らないNew Yorkの朝。
旅行者や通勤客がグランドセントラル駅で降り、地下鉄に乗り換える。
旅行者はマンハッタンの名所へ行き、通勤客は高層ビルの並ぶオフィス街へ向かう。
一方近海の地中では、異変が起きている。
米国最大の都市に住む人々は、そのことに気付いていない。
ある日突然海底に亀裂が走り、地震が発生する。
震源はコニーアイランド沖、マグニチュード7.1。
1989年のサンフランシスコ地震と同じ。
高層ビルの壁は剥がれ、歩行者の頭上に落下する。
街は瓦礫の山と化し、都市機能は完全に停止する。
これはパニック映画の話ではなく、将来実際に起こり得ること。


New Yorkで地震が発生したら、かつてない惨事となる。
死者は数1000人に及び、多くの建物が倒壊する。
街と国が完全に復興するには数10年を要するだろう。
New York大地震の可能性を、専門家はどう見るのだろう?
Chuck Scarborough(Author,Afteshock)が関心を持ったのは、1988年のアルメニア地震がキッカケだった。
Scarborough「地震の発生について専門家は議論しなかった。
皆New York地震の発生は疑う余地がないと言う。
論点は“もし起きたら”ではなく“いつ起きるか”なのだ。」
通説から考えてNew Yorkで大地震というのは意外に思うかもしれない。
地震が起きる原因のほとんどは、プレート運動。
地球を覆うプレートは、細かく分けると30枚前後。
これらは常に移動している。
マントルの上を年に10数cm動く。
プレートの境界線沿いには無数の断層が存在する。
その1つがサンアドレアス断層(San Andreas Fault)で、太平洋プレートと北米プレートの境にある。
この付近の住民は要注意。
プレートの境界には、摩擦によるエネルギーが溜まっている。
そのエネルギーが解放されると、地震が起こるからだ。
しかしNew Yorkの近くにプレートの境界はない。
New Yorkは北米プレートの中央に位置する。
太平洋岸のサンアンドレアス断層と、大西洋中央海嶺の中間だ。
しかし科学者はNew Yorkにも多くの断層があるという。
言わばNew Yorkの地下に埋まる時限爆弾。
トンネルやビルの下など、街を縦横に走っている断層があるのだ。


地質学者Alec Gates(Geologist,Rutgers University)は、New Yorkの断層分布図を作成している。
多くの断層は分かりやすい裂け目がないので難しい作業。
しかし専門家の鋭い目は、小さな手掛かりも見逃さない。
Gates「ここはマンハッタン125丁目駅(Harlem-125th Street)、私は高架に立っている。
地下鉄の列車はこの辺りを通る時、地上に現れる。
125丁目の谷を越えると、再び地下に潜る。
ここに谷があるのは、この付近に断層が走っているから。」
数100万年の間に断層によって岩盤が削られ、沈下して谷になった。
地下鉄の乗客やドライバーは断層の上を通っているとは思いもしないだろう。
New Yorkに断層があるのは何億年ものプレート運動によるもの。
現在のNew Yorkは北米プレートの中央だが、かつては境界に位置し、断層もカリフォルニアと同様、活断層だった。
Gates「これらの断層は大西洋が広がった時期にできたのだろう。
6500万年前の白亜紀のことだ。
当時は活発な断層が数多くあったが、その後活動は弱まった。」
125丁目の下を走る断層が古いのならば、心配は無用なのでは?
地震の多くは活断層の周辺で起きている。
カリフォルニアが例だ。
しかし科学者は古い断層も地震の原因になると言う。
Gates「プレートが摩擦を起こすと、エネルギーはプレートの境界に溜まると誰もが思うだろう。
しかしエネルギーの一部はプレート内部にも伝わる。」
つまりプレートの境界が押されると、中央部の地殻の弱い部分で自身が起きる恐れがあるのだ。
プレートの境界以外の場所も危険なことは証明されている。


現に米国の観測史上最大の地震は、カリフォルニア州ではなく、中央のミズーリ州で発生している。
1811〜12年の3ヶ月間に、ニューマドリッド断層で大地震が連続して起こった。
そのうち2つはマグニチュード8以上だった。
振動は約1500km離れたヴァージニア州まで到達。
ミシシッピ川のコースも変えた。
New Yorkでも過去300年間に400回以上の地震が発生。
ミシシッピ以東の州では3番目の大きさ。
1737年にはマグニチュード5.2、1847年はマグニチュード4.5、1848年はマグニチュード4.4、最近では2001年にマグニチュード2.5の地震がマンハッタンで2回あった。
近年で一番大きな地震は、沖合いの海底で発生している。
Gates「近年最大の地震は、1884年にコニーアイランド沖20kmで起きた地震。
規模はマグニチュード5.5。
被害を受けたのは、この近辺と海の向こうのニュージャージー。
教会や家屋が倒れるなど、多くの被害が出た。」
幸い地震による死者は少なかったと言われている。
マグニチュード5.5でも今のNew Yorkで起きれば被害は甚大。
理由は交通量の増加や建物の老朽化。
Gates「地震が起きていないのに、建物の崩壊や爆発事故が度々起こっている。
数年前のハイウェイの崩落事故では、岩で道が塞がれた。
地震とは関係ない。
パイプの破裂事故もそうだった。
端や支柱は老朽化して、セメントが剥がれている。
そんな状態で地震が起これば、確実に崩壊するだろう。」
マグニチュード5.5の地震は50〜100年に1度起こると言われ、マグニチュード6になると周期は400〜500年、マグニチュード7以上の大地震の発生周期は3400年と推測されている。
かなり長い間隔だが、前回この地域でいつ起きたのか誰も知らない。
次は明日かもしれない。


2003年の試算によると、マグニチュード7の地震が起きたら、6500人の命が失われ、街の中心にある建物13000棟が全壊。
20万人が路頭に迷い、病院のベッドは不足する。
火災は1200件発生すると考えられている。
Chuck Scarborough「ガス漏れによる火災、ビルの崩壊、給水停止など、New Yorkは地獄と化す。
New York5区全てが瓦礫の山。
それが大地震の恐怖。」
高層ビルが建ち並ぶNew Yorkでは、様々な事態が想定される。
マンハッタンの住人を例に挙げてみよう。
アッパーイーストサイドの20階建アパートが揺れ、屋上の給水タンクが倒壊、地面に落下する。


地震による建物の揺れ方は、建物の構造によって異なる。
Steven S.Ross(Author,Construction Disasters)は、建物が崩壊する仕組みを知り尽くしている。
Ross「マンハッタンの建造物は問題だらけ。
例えば耐震補強していないあの石造りの壁、あれが崩れるとハイウェイは普通となる。
車道の上に建てられたあのビルも危険。
もし地震が直撃したら、ビルを支える土台は崩れるだろう。
イーストリバーに架かるロープウェイも危険。」


このロープウェイは、30年以上マンハッタン島とルーズベルト島を結んできた。
その距離は900m、高度約75mを走り、1度に最大125人を運ぶ。
地震時には幸運ならスリルを味わうだけだろう。
最悪の場合は?
Ross「大地震の発生時にゴンドラが支柱の位置にいたら、支柱は倒れるだろう。
支柱が倒れたら、乗客は高確率で命を落とす。
支柱自体は軽量、キャンディーの棒みたいにね。
キャンディーを食べ終わった後に棒を振っても棒は折れない。
しかし大きな飴玉が付いた棒を振ると、棒は折れる。
飴玉をゴンドラと考え、棒が支柱と考える。
棒を激しく振ると折れる。」


ロープウェイの隣には橋がある。
このクイーンズボロブリッジ(Queensboro Bridge)は崩壊が最も危ぶまれる橋。
Ross「鋼材が網目上になっていて頑丈そうだがほとんどの柱が垂直に建っている。
補強材となる斜めの柱はあまりない。
地震が発生すれば、地震波を受けて橋は横に揺れる。
マグニチュード6や7という、想定される最大規模の地震が起きたら、この橋は崩壊するだろう。」


こうした被害は震源を中心に広がる地震波によりもたらされる。
その仕組みは?
Gates「池の波紋に例えると簡単。
波紋は石の落下点から同心円状に広がってゆく。
基本的には震源から離れるほど揺れも被害も小さくなる。
地震波が建物に与える影響は、建築方法や地盤に左右される。
建物の建つ場所が、固い地盤なのか、軟らかい地盤なのかで違う。
地震波の一種、表面波は、さざ波のように動く。
強固な地盤を伝わる場合は海面のように波打たないが、軟弱な地盤の場合は波打つので揺れは増す。
だから被害も大きくなる。」
マンハッタンの地盤の大半は強固な地盤。
4億75000万年前に形成された“マンハッタン片岩(Manhattan schist)”で構成されている。
超高層ビルを建てられるのも、この固い岩盤に基礎を築けるから。
Central Parkにその岩の一部が露出している。
Grand Central駅の地下、一般人は入れない特殊な場所。
Gates「ここは地下13〜14階、この非常に固い岩盤の上に町はある。
この岩は地震時の強い味方。
もっと軟らかい岩盤の場合は、地震に弱く上下左右に揺れる。」
Times Square辺りでは、5mあまり掘れば岩盤まで達する。


しかし地盤の弱いエリアもある。
20000年前の氷河期から弱くなった。
マンハッタンを覆っていた氷河が後退していく際に低地に堆積物が流れ込んだからだ。
ビルの高さを見ていけば、その地域が分かる。
Gates「超高層ビルは主に住宅地区と商業地区に集中している。
その間のGreenwich Villageや中華街の建物は低層。
そこだけ風景がくぼんでいる。
これらの場所は地盤が弱いので、高層ビルが建てられない。
地震が起きた時に、地表の近くに岩盤がある所より被害が大きくなると考えられる。」


25万人が住むUpper East Sideも同じく危険なエリア。
East Sideの川沿いには、高速道路FDR Driveがあり、1日15万台を超える車両が走っている。
これらの地域は地盤の固い所の2倍は揺れるだろう。
川沿いの土壌は水分を多く含んでいるため、地震時に危険な現象が起こる。
液状化現状だ。
地震の揺れによって水分が土の間に浸透し、固まっていた砂粒が水に浮いて泥状になる。
つまり地盤が緩む。
Gates「液状化現象が起こると、建物は支えを失い倒れてしまう。
地表が液体のようになり、基礎が機能しなくなる。」


この液状化現象で、Brooklyn Bridgeも崩壊する恐れがある。
建物の揺れ方は構造ごとに違う。
吊り橋は揺れに逆らわない設計になっている。
では Bridgeは安全なのでは?
Ross「安全ではない。
橋を支えている2本の柱の内、1本が砂の地盤に建っている。」
当初は2本共、岩盤上に築く予定だったが、マンハッタン側は岩盤の9m手前で掘削を断念してしまった。
そのためマンハッタン側の支柱は砂の上にある。
大地震が起こったら、垂直の支柱が片側だけ傾く危険がある。
Ross「マグニチュード7の地震なら結果は見えている。
片側の支柱が倒れて橋は崩壊する。」


この橋の8km先にも砂の地盤に建つ国連本部ビルがある。
地震が起きたらこの薄いビルはねじれて窓ガラスの破片を撒き散らすだろう。
ただ倒壊は免れると考えられている。
周囲の建物は倒れるだろう。


Robert B.Fleischman(Civil Engineer,University of Arizona)「地震が起きた時に最も倒れやすいのは、無補強の石造建築だろう。
3つの欠点がある。
建物の構造が固く力を流せない点、その割りに強度が低い点、そして建材に柔軟性がなく割れやすい点。」
古い建物はレンガとモルタルのみで建てられ、鉄骨は使われていない。
修復中のビルを見れば、もろさは一目瞭然。
壁が崩れないよう補強してある。
軟弱な地盤と石造建築の組み合わせは最悪。


そのような場所が多いBrooklynとQueensは、人口800万のNew York Cityのうち500万人近くを抱える地区。
Ross「市民の多くが住むBrooklynとQueensは、巨大な砂洲に過ぎない。
ここはPark Slope、建物は頑丈そうに見えるが実際は違う。
これらの家が建っている所は砂地。
砂の層は浅い所でも15mほどある。
建設当時は地下深くに杭を打たなかった。
地下1.5mほどに基礎を造り、その上に家を建てた。
このような石造りの建物は、補強もされていない。
揺れに弱いつくりになっている。
レンガの壁と床を支える水平材がしっかりつながっていない。
木製の水平材がレンガの壁にはまっているだけ。
もし地震で建物が揺れたら、数cmのズレでも床は崩れ落ちる。」


中規模の地震でも真っ先に崩壊するだろう。
そうなると道には大量のレンガが散乱する。
Ross「もしマグニチュード6〜7の地震が起きたら壊滅状態だろう。
この一帯は瓦礫の山。」
建物の崩壊による死者は1ブロックで数100年に上るだろう。
それが街中で起こる。
それというのもNew York Cityの建物の大半は未補強の石造建築だからだ。
その数は29000棟以上。
一方サンフランシスコでは2000棟もない。
New Yorkの地震対策は遅れていて、耐震基準が設けられたのは、1990年代。
建築基準の重要性は、1980年代末の2つの地震による被害の差が示した。
1988年アルメニアでマグニチュード6.9の地震が発生、25000人以上が死亡し、街は瓦礫の山と化した。
その10ヶ月後、サンフランシスコでマグニチュード7.1の大地震が発生。
しかし死者は70人未満だった。
建築基準が犠牲者の差に表れていると専門家は考える。
地震で人命が失われるのは、主に建物の下敷きになる場合。
New Yorkの建物は、サンフランシスコよりもアルメニアの建物に構造が近い。
New Yorkが大地震に襲われたら、街は壊滅状態になる。
東海岸の地殻の構成では、中規模の地震でも被害が出やすい。
今でもプレート運動が活発な西海岸では、岩盤が軟らかく裂け目がある。
そのため震源から広がる地震波は、裂け目や断層を通る際に吸収される。
一方東海岸の地殻は古く、裂け目が少ないので、地震波が弱まることなく伝わる。
そのせいで同じ規模の地震でも、揺れる範囲は西海岸の100倍。
Art Lerner-Lam(Seismologist,Columbia University)「サンフランシスコでのマグニチュード7より、New Yorkでのマグニチュード6の方が危険。
震源から遠くても揺れを感じる。
断層の近くでなくても建物は揺れる。
断層沿いに被害が集中する西海岸とは違う。」


では地震の時に安全なのはどんな建物なのだろうか?
重要なのは建物の構造や地盤の固さ。
その他にも建物の安全性に関わる要素がある。
弦楽器の弦の振動は、弦の太さや硬さによって変る。
同様に建物にも固有の振動周期がある。
振れて戻るまでの時間は、建物の高さによってほぼ決まる。
低いビルは振動周期が短く、高いビルは長くなる。
建物の振動周期と地震波の周期が一致すると、揺れが増幅され、建物が倒れる恐れがある。
ブランコと同じだ。
ブランコが頂点に達した時に力が加われば、より高く上がる。
共振と呼ばれる現象だ。
共振によって建材は曲がり、やがて折れてしまう。
Ross「倒壊する危険性が高いのは、6〜10階建てで、無補強の石造建築。
想定される地震が放つ地震波の周期に建物の周期が近いからだ。
分析通りだと、深刻な被害を受けるだろう。」
Empire State Buildingなどは危険性が低いと言われている。
大地震は想定していないが、強風対策が施してあるからだ。
Ross「ねじっても曲げても骨組みは崩れない
風揺れに逆らわないように設計されている。」
倒壊の可能性はゼロではない。
しかし超高層ビルは大地震でも大半が無事であると予想されている。


高層ビルの柔軟性は、思わぬ災害をもたらす。
しなやかな骨組みと違い、壁は堅固。
壁面が割れるのだ。
外壁とガラスの雨が地上に降り注ぐことになる。
壁面を美しく飾る彫像なども恐ろしい凶器と化す。
Ross「大地震が発生したら、レンガやガラスの破片が歩行者の頭上に落ちるだろう。」
リバティ島から街を見守る自由の女神も初めての大地震に遭う。
New Yorkの象徴も無事では済まない。
最も弱い部分は全身で一番目立つ場所。
松明を掲げた細長い腕。
例えばムチは小さな動作で先端が大きく動く。
女神像の土台を揺らす振動も、腕の先では増幅される。
Ross「恐らく腕は折れるだろう。
でも胴体は助かるはず。
自由の女神はエッフェル塔を建てた偉大な建築家が造ったのだから。
損傷はしても崩壊はしないと思う。」


New Yorkには24時間運行の地下鉄があり、常に利用者がいる。
地下鉄は地震が起こった時どうなるのだろうか?
大勢の通勤客が利用するNew Yorkの地下鉄は、総延長約1000km。
大地震が起きたらホームの天井は崩れるだろう。
岩盤を横から掘って造られていたら、振動に強く簡単には崩れない。
しかしNew Yorkの地下鉄は、大部分が開削工法。
これは地面を掘ってレールを敷き、その後支柱を建て、天井を造る建設方法。
1995年に起きた兵庫県南部地震で、大開駅の上を走る国道が陥没した。
支柱が駅の天井部を支えきれなかったのだ。
New Yorkでも同じ現象が起こるかもしれない。
Ross「Grand Central駅のホーム。
この線路は北へと延びてPark Avenueの下を通る。
駅には支柱があるが、ただ垂直に建っているだけなので、地震時はかなり揺れるだろう。
補強材は一様あるが、細くて頼りないもの。
電車の運行を妨げないように造るので仕方がない。
マグニチュード5.5の地震なら耐えると思うが、マグニチュード7の大地震なら、支柱は倒れるだろう。
乗客は地下に閉じ込められ、重傷者や死者が何人もでる。」
地下の危険は地下鉄以外にもある。
New York Cityに欠かせない下水道は断層帯を通っている。
1日に35万人以上が利用する海底トンネルもある。
Scarborough「断層付近のトンネルは、大地震が起きたら大変。
Queens-Midtown Tunnelが崩壊するという見解もある。」
大地震によってトンネルや橋、鉄道が使用不能になると、大災害に追い討ちをかけることになる。
New Yorkへの食糧輸送は、列車やトラックで行われる。
流通経路が断たれる島などは、1週間で食料が尽きると言われる。
地震の後は物不足に陥るだろう。
Scarborough「病院はほとんど機能せず、電力供給は宣言される。
水や食料は配給制になるだろう。
困窮生活を強いられるだろう。
ほとんどの市民が想像している以上にね。」


恐ろしいのは地震が来ると知りながら、時期が予測できないこと。
せめて場所を特定したいところだ。
科学者は何100もの断層から活動中と休止中のものをグループ分けしようとしている。
Gates「活断層を特定できれば、対策が打てる。
ビルやパイプラインに送電線を作る際に活断層沿いを避けて建設することが可能。」
危険性が指摘されてきたラマポ地震帯は、ニュジャージー州からNew York Cityの北へ延びている。
近年の地震はこの一帯で起きているが、断層との関係は不明。
地質学者が断層を調べても、活動は認められなかった。
しかし活断層は確かに存在する。
1884年のマグニチュード5.5の地震や近年の小さな地震がその証拠。
New Yorkを走る断層は、大地震の原因になるのだろうか?


New York郊外にあるHarriman State Park。
地質学者のGatesは、長年この広大な公園を調べている。
20年近く岩の調査を続け、最近驚くべき発見をした。
Gates「岩の分布図の作成中に断層を見つけた。
衛星写真を用いて一帯を調べると、15kmのものを含むいくつもの断層が見つかった。」
北東に走るラマポ地震帯と異なり、公園の断層は北西に走っていた。
注目すべき点だ。
1つの地域で同じ方向に走る断層は、同時期に形成されたものだと考えられる。
言わばこれらは仲間。
1つが活断層なら残りもその可能性が高まる。
そしてこれらはNew Yorkの断層とも共通点が見られる。
Ross「この公園の断層は、皆同じ仲間と考えられる。
またこれらは方向、年代、特徴がNew Yorkの断層と似ている。」
公園の断層が活断層だと判明すれば、New Yorkの断層も警戒が必要。
125丁目の下を走る断層も危ないということ。
彼は重要な発見をした。
北東部は氷河期に氷河で覆われ、大半の岩は表面が削られ丸くなった。
しかし公園の断層沿いの岩は表面が丸くない。
Ross「この斜面の辺りは約12000年前まで氷河に覆われていたのでほとんどの岩は丸いはずなのに、角張っている。
氷河の後退後にできたのだろう。
氷河が後退したのは12000年前だから、それ以降に起きた地震によってできた岩だと思われる。
地質学的には最近。
つまりこれらの断層はまだ活動中ということ。」
彼はNew Yorkの南でも北西向きの断層を発見した。
そして分かったことがある。
断層の位置と過去に地震が起きた場所を地図上で重ね合わせるとピッタリ。
実際断層の1つの延長線上に、1884年の地震の震源がある。
Gates「断層は沖へと延びている。
海水を全部どければ、大西洋の改定にコニーアイランド沖を走る断層が見えるだろう。
プレート運動によってこの断層にかかる圧力が高まると、はじける。
次にどこで地震が起きるか予知するのは無理。
しかし危険性の高い場所を予測するのは可能。
そこが昔と違って進歩した点。」
しかし断層の位置は分かっても街は守れない。
もし明日地震が起きたら、対応できないだろう。
警鐘を無視し続けていれば、街は無防備なままなのだ。
ずっと昔からプレートは移動している。
地下で蓄えられたエネルギーは、いつか解放されるのだ。
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大災害 過去からの警鐘 大量発生、大群、襲来 Super Swarm
それは見たこともない大群だった。
長さ2800km、幅160kmの規模だった。
太陽を5日間隠すこととなった。
その中にはトビバッタが3.5兆匹いたと推測された。
行く先々で恐怖をあおり、食糧不足と飢饉を引き起こした。
これは19世紀のアメリカで実際に起こった現象。
そして再び起こると恐れられている。
メキシコや中米に生息するトビバッタが北上し、国境を越えアメリカの都市や畑、農場を襲いかねない。
立ちはだかるものすべてを食べつくすという。


トビバッタは地球上でもっとも恐れられる生物の1つ。
トビバッタといえば聖書の出エジプト記に記された第8の災いを思い起こさせ、人類を震え上がらせる。
土壌を耕し、農作物を育てようとしてきた人間は、地球のどの大陸においてもバッタの大群がもたらす恐怖を昔から目撃してきた。
聖書の出エジプト記では、エジプトのファラオが約束の地を目指すイスラエルの民の出国を拒むと、トビバッタの大群が天の災いとして送り込まれる。[出エジプト記(第10-15)]
地面はバッタで覆いつくされ、真っ暗になった。
地上のあらゆる草、木の実はことごとく食い尽くされた。
緑は何1つ残らなかったとある。
本当にこんなことが起こったのだろうか?
Jeffrey Lockwood(Natural Sciences,University of Wyoming)「出エジプト記を読むと、バッタは東へ吹く風に乗ってやってきて、また西へ吹く風に乗って去っていったと書かれている。
これは今でも紅海からナイルの辺りへとバッタを運ぶ風のパターンと同じ。
だからバッタが押し寄せる前に起きた風の記述と、バッタが飛来した場所と、破壊状況を照らし合わせると、つじつまがあう。」
聖書に記された第8の災いのバッタは、サバクトビバッタ(Schistocerca gregaria)ではないかと言われている。
古代の書物に描かれているようなトビバッタの大群は、遠くから見れば大きな茶色の雲のように見えたに違いない。
聖書に記された大群は、数1000kmを覆ったともされる。
風がない状態でもサバクトビバッタは時速11km/hの速さで飛ぶことができる。
Jeffrey Lockwood「最初は気象現象のようだ。
水平線に黒い雲が現れ、徐々に近づいてくるにつれ段々チラチラしてくる。
光がバッタの羽に反射しているのだ。
近づいてくると最初の内は数匹ずつ当たってくるので、ヒョウにうたれるような感じだが、その内嵐自体がバッタの大群であることに気づく。
バッタの羽音がするので本当に近くまで来ると異様な音になる。
何100、何1000万もの羽をはばたかせて打ち付ける音が聞こえる。
それはブンブンうなるような音になって迫ってくる。」


大群はどうやって飛来地を決めているのかは謎。
Jeffrey Lockwood「特定の光の波長に反応しているのではないかという説もある。
緑や黄色など食料を示す色だ。」
トビバッタの大群が飛来すれば、大惨事となる。
バッタの顎は、大顎があってその顎が前後左右に動き、葉をかじってすりつぶし、砕くようにしてから飲み込む。
専門家によれば、サバクトビバッタの個体は長さ7cm、重さは1gほどしかないが、大群になれば破壊的な被害をもたらすには十分だろという。
バッタは1日で自分の体重と同じ重さだけ食べると言われているが、大群が飛来すれば1日に200トンもの植物が食い尽くされるとも言われる。
食い尽くされるのは農作物だけではない。
どんな植物でも食べる。木材でできていれば家でも食べてしまう。
専門家達はサンプルを集め、この食欲旺盛なトビバッタの生態を分析しようとしている。
Hojun Song(Research Fellow,Brigham Young University)「サバクトビバッタの大きな特徴は、羽が本体の体の長さより長く、後ろのほうまで伸びていること。
そして羽の後ろの斑点。」
分類学上サバクトビバッタはバッタ目、世界にはおよそ12000種類のバッタがいるが、トビバッタの種類は世界中でも12種類くらいしかいない。
トビバッタは他と大きく異なる特徴がある。
Gregory Sword(Senior Lecturer,University of Sydney,Australia)「トビバッタの大きな違いは数が増え高い密度で群れになった時の習性、普通のバッタは数を増やしたところでたくさんのバッタになるだけだが、トビバッタは群れになった場合、生理学的にもいろいろ変化する部分がある。」
Jeffrey Lockwood「まさにジキルとハイドばりの変身。
群れの状態になったり、厳しい環境におかれると、相変異を起こす。」
相変異が起こると外見からして全く変わってしまう。
まずトビバッタの体の色が黒っぽく変色する。
天敵から身を守るために防御機能が発達したものだろうと考えられている。
Stephen Simpson(Prof.Biol,Sciences,University of Sydney,Australia)「群れになった時わざわざ毒性の植物を選んで食べ、お腹に毒をためる。
他の動物は1度食べたらその種類のバッタは2度と食べないようになる。
はっきりした色であることもその効果をうながす。」
バッタは数時間でトビバッタに変身する。
しかし大群となって飛び立つまでにはさらに変身しなければならない。
こちらは数日かかる。
トビバッタが1匹ずつの個体の状態から群れの一員になると頭部の形が変化する。
背中の上の部分の形は丸みを帯び、幅も広くなる。
群れの顔である群生相へと変化すると、バッタは集団をなす。
無害なバッタが今や恐ろしい災いと化す。

↑(上)孤独相、(下)群生相

人類は昔からバッタに苦しめられてきた。
ローマ時代の文人であり博物学者である大プリニウスは、西暦1世紀に未曾有の死と破壊をもたらしたバッタの襲来について書いている。
リビアでは200万人以上の人がサバクトビバッタの襲来の後亡くなっている。
トビバッタが襲来し、農作物を食べつくしてしまったため、餓死したのだ。
人間が住む場所と農地が拡大されてゆくと、大量発生による被害は深刻化した。
アメリカ西部開拓時代の先駆者達も、大群に襲われている。
ユタ州に住み着いた初期のモルモン教徒達は、飛ばない巨大キリギリスの襲来を受けた。
今日では「モルモンクリケット」と呼ばれる種類。
3週間に渡りキリギリスの大群がモルモン教徒達の作物を食い荒らしてしまった。
食欲旺盛なキリギリスの大群は、度々飛来し生活を脅かした。
モルモン教徒達は飢饉や餓死を免れるように神に救いを求めた。


この虫の大量発生は、世界中で危機的状況を引き起こしている。
ヨーロッパやアジア、アメリカでも過去にトビバッタなどによる甚大な被害が起こっている。
一番大きな被害がでているのはアフリカ大陸。
厳しい気候がトビバッタの繁殖と増殖に理想的な条件。
食物が少なくなり密度が高くなったトビバッタの群れは、減ってゆく食料を巡り、個体同士争い始める。
限界に達し、いよいよ食料がなくなると、トビバッタは大群となって飛び立つ。
特に被害を受けやすいのが北アフリカの国々。
1867年にAlgeriaで起こった大量発生の結果、25万人の人が餓死している。

北米に初めて開拓者がやってきた時も似たような目にあった。
初期の開拓者アメリカ西部に定着した頃、昆虫の大群に襲われた。
最初に記録されたのは1840年代のユタ州でのこと。
モルモン教徒の民は1847年にソルトレークバレーに到着し、何1000人もの人が後から合流することを念頭に農作物を植え始めた。
1848年5月には数100人のモルモン教徒達が10000エーカーもの土地を耕し、小麦やトウモロコシなどの農作物を植えていた。そして・・・
丘の向こうから昆虫の黒い波が押し寄せてきた。
草原を覆うように進み、谷の方へ向ってきた。
この黒い波こそ後に被災したモルモン教徒達にちなんで「モルモンクリケット」と名づけられた何100万ものキリギリスだった。
当時キリギリスの大発生は平均して30年に1度起こった。
1度起これば何年も続くこともあった。
モルモンクリケットはサバクトビバッタに似ているが種類は違って飛ぶことはできない。
群れになると劇的な変化を遂げる。
緑色の無害な虫が群れを作り、高密度な条件がそろうと黒や濃い茶色、コーヒー色に変身する。
この変身を遂げると大群になって移動できる。
平均してモルモンクリケットはサバクトビバッタの3倍の大きさ。(3g)
1回の食事につき、自分の体重と同じ重さの分食べる。
モルモンクリケットは共食いをして同じぐらいの大きさの同胞を一気に食べてしまうことで知られている。
群れや大群の中で怪我をした個体は他の個体に食べられてしまう。
共食いの習性が移動を促す要素の1つにもなっている。
キリギリスは後ろから来るキリギリスの攻撃を避けるために、前に進み続けなければならない。
雑食性で何でも食べる。
葉はもちろん死体も。
人間も噛み付かれたとの報告もある。
初期のモルモン教徒達は数々の試練を乗り越えてきたが、キリギリスの大群は一番の難関だった。
3週間に渡りキリギリスがソルトレイクバレーに流れ込んだ。
キリギリスを土に埋めたり、焼いたり、水で流そうとしたが効果はなかった。
天の神に祈りを捧げ、救いを求める他なかった。
モルモン教徒の残した記録によれば、キリギリスが襲来してから3週間後にカモメの群れがやってきてキリギリスを食べ始めたという。
カモメはキリギリスを食い荒らし、キリギリスはいなくなった。
モルモン教徒達にとって「カモメの奇跡」だった。


さらなる恐怖がアメリカ西部に畑を耕し落ち着こうとする開拓者を襲った。
雨の多い都市が数年続いた後、厳しい日照りが続くなど、1870年代は巨大な群れを生むための環境条件がそろうことになった。
ロッキートビバッタの登場。
何万もの人々が食糧不足に苦しんだ。
ロッキートビバッタの大群は数時間で1年分の作物をたいらげてゆき、人々はなす術もなかった。
そしていつどこが襲われるか予想がつかなかった。
事態を悪化させたのは群れがとにかく大きかったこと。
1875年ロッキー山脈は2800kmの長さのトビバッタの大群により太陽が5日間隠れた。
アルバートの大群と呼ばれるようになった。
ネブラスカ州の医者の名前にちなんでいる。
アルバート・チャイルドは元々トビバッタに興味があったわけではなく、初期の気象学者だった。
チャイルドが大群を見つけたのは1875年6月15日、その大群を気象現象として捉えた。
トビバッタの飛行速度をできるだけ正確に測ろうとした。
トビバッタ自体の速度を、風速を考慮して割り出した。
チャイルドによれば、時速25km/hの速さで移動していた。
大群の横幅は1人で測定できないので、東西に電報をうって大群の両端の位置を確認しようとした。
チャイルドはじっとして大群が通り過ぎてゆくのを待てば長さが測定できると考えた。
5日間が過ぎた。
計算すると少なくとも160kmの幅があり、2800kmの長さがあった。
チャイルドは望遠鏡と丘のある地点を基準に、大群の高さが2.4kmもあることを計算した。
現代の昆虫学者は独自の研究により1875年のトビバッタの総数を推定している。
3.5兆匹の個体がいたと言われている。
アルバートの大群はアメリカの西部一帯に広がった。
全部で50万k屬旅さを覆い尽くした。
トビバッタの大群が茶色い雲になって水平線に現れ、異様な音が聞こえてきた。
大群がやってきて髪の毛にからみ、服の中にも入り込んだ。
さらに不幸なことに、トビバッタがどこに飛来するか検討がつかなかった。
魔術や悪魔の仕業にも見えた。
竜巻の被害にも似て、ある地区は全滅したかと思えばすぐ隣の地区は無傷で終わるということもあった。
バッタは木材や布地の他、肉にも食らいついた。
水分のあるものなら何でも食べ、農具の木の部分にもかじりついた。
おそらく汗の後に残された塩分が目当てだと考えられる。
一番の食料は農作物、30万エーカーもの農地が甚大な被害を受けた。
1875年は西部における農業生産量の半分が犠牲となり、何1000もの人々が飢饉に苦しんだ。
西部に配属されていたオード将軍は人々の困窮状態にショックを受け、1875年10月東部にある政府に救援を求めた。
オード将軍の要請のおかげでアメリカ政府は初めて軍を救援に送ることとなった。
その冬トビバッタの被害を受けた地域に食料が200万食配給された。
しかし1875年のトビバッタの襲来が原因で数100人が亡くなったともされる。
西部ではトビバッタの被害は3〜5年ごとに起こり、特に酷い被害は6〜8年ごとに起こった。
1887年議会は対策委員会を立ち上げ、化学者のチャールズ・バレンタイン・ライリーに問題解決を委任した。
ライリーはトビバッタの生態の3段階を解明した。(卵、幼虫、成虫)
トビバッタの移動を追いかけることで、発生地も突き止めた。
ロッキー山脈の上の方の肥沃な渓谷で発生することを発見した。
トビバッタの増殖に適切な条件がそろって、どんどん増えてゆくと、トビバッタは群生相に変身し、食料を求めて山間からあふれ出て草原を渡ってゆく。
その途中で次の世代を産み落とす。
ライリーはトビバッタを止めるには卵をつぶすことだと結論付けた。
人々は卵を孵化させまいと躍起になった。
開拓者を苦しめる害虫を駆除するために、土壌を焼いたり薬品をまくなど様々な機械を編み出した。
そしてロッキートビバッタは急に姿を消した。
ロッキートビバッタが最後に目撃されたのは1902年。
小さな群れがカナダを飛んでいた。
消えたのは政府による駆除計画のおかげだったという人もいるが、本当は人々が畑を耕すときに卵を一緒につぶしてしまったからではないかと言われている。
同時に家畜も飼われるようになり、川辺で草を食むようになった。
そしてロッキートビバッタの生息地を破壊していった。


破壊的トビバッタの大群は今でも世界中で発生している。
トビバッタの被害をまともに受けているのは生存水準の収穫しかもたない農家。
人命を救うために専門家は様々な実験を行い、トビバッタがナゼ群れをなして飛来するのか解明しようとしている。
専門家達は地球の陸地の20%がトビバッタの被害を受け得ると言う。
1番破壊的なのは、聖書の災いにも出てくるサバクトビバッタ。
大量発生に対して、政府や支援団体による対処法では不十分かもしれない。
普通は殺虫剤が使われる。
飛行機で広大なエリアにまかれる。
しかしトビバッタの殺虫剤への耐性が生まれる、コストが高い、環境的な負荷があるなど問題も多い。
専門家達は相変異の様子を研究してトビバッタの大量発生と闘おうとしている。

トビバッタが変身するキッカケは何なのか?
2つの主な要素に絞られる。
先に確認されたのが臭い。
排便による臭いはバッタが群れをなすキッカケになる。
もう1つのキッカケは触れることによるもの。
後ろ足にある特別な毛に触れることが変身を促すことが発見された。
この刺激がどういうわけかバッタの体の中の生理的な連鎖反応を引き起こすと考えられている。
さらに気候条件がサバクトビバッタの変身に貢献し、個体の密度を決定付けることが発見されている。
トビバッタが食べる草が成長するためにはそれなりの雨が必要。
卵が孵化するためにも地面に水分が必要。
良好な繁殖条件が続けばあっという間に増える。
大量発生は平均して7〜10年ごとに起こるが、それは気候による影響。
雨が多い年が続いた後に日照りが続くと、増えたトビバッタは移動の準備を始める。
紀行が乾燥し、トビバッタに適した住処が少なくなってくると、トビバッタは密集してくる。
狭くなって個体同士がお互い触れることになると、これがキッカケで孤独相から群生相に変身する。
これが行動パターンも変え、大きな群れを作り、新たな土地を求めて飛び立ち移動する。


アメリカ西部ではここ数年モルモンクリケットが大発生している。
ユタ州、アイダホ州、ネバダ州の被害は大きく、2004年がピークだった。
ネバダ州では専門家チームが最先端の技術を駆使して現地調査し、モルモンクリケットの移動パターンを把握しようとしている。
どの方向へ進もうとしているのか決定付ける要素を知る必要がある。
そのために小型無線機を個体にノリでくっつけ、無線による遠隔測定法で動きを把握する。
Gregory Sword(Senior Lecturer,University of Sydney,Australia)は遺伝子によってトビバッタの群れによる移動を阻止することができると言うが、この研究結果がでるまでにはまだ何年もかかるだろう。
一方一部の専門家はもっと差し迫った懸念があると言う。
地球温暖化によってトビバッタの数が世界的に増え、その移動パターンが変化している。
中米のトビバッタが北米に押し寄せるかもしれないという。
最近の研究によれば、バッタの地理的な分布は不吉な傾向を示す。
ちょうど良い気候条件が整えばトビバッタは増え、食料を巡る競争は激しくなる。
極限状態に達すると、各個体の形、色、行動が変わる。
この変身が完了すると、トビバッタは大群となって飛び立つ。
トビバッタの群れが町に近づくにつれ、空は暗くなってゆく。
大都市に到達すれば大混乱になるだろう。
至る所を飛び回り、顔に当たり、体にも当たってくる。
服の中にも入り込み、窓に当たってつぶれ、家の周りに積もる。
たくさんのトビバッタが道路に着地し、車がそのバッタをひけば道路が滑りやすくなり、交通事故が起きやすくなる。
風にあおられたバッタは1日に160km飛んで食べて繁殖し、卵を産む。
卵が孵化してトビバッタが成長すると、何10億匹という羽のない幼虫の大群が猛烈な勢いで農作物を荒してゆく。
都市部では大惨事を避けようと緊急措置として殺虫剤を積んだ飛行機を飛ばし、トビバッタの大群に噴霧することが提案されるかもしれない。
行政上、環境的理由から対規模な殺虫剤の散布をすぐに行うことはできない。
数を一時的に減らすことはできても、将来的に大量発生が起こる可能性を高めるかもしれない。
恐怖で人々はパニックになる。
責任のなすりあいになる。
農作物が数日で消えてしまう。
食糧不足が起こり、飢餓が続く。
都市部では食料を外からお金で調達することになり、結果飢饉を貧しい国に移してしまうことになるだろう。
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