ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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地球アゴラ☆ゴミを減らしてハッピーライフ

インドネシア バデガン村(ジャワ島中部)

ゴミ銀行に、村の人がたくさんのゴミを抱えてやってきた。
持ち込まれるのは空き缶や空き瓶、段ボールやペットボトルなど、リサイクル可能な資源ごみ。
利用者が持ち寄った資源ごみは、リサイクル業者が買い取る。
その代金は持ち込んだ量に用事て利用者に配分される。

専用の通帳もある。
ゴミを持ち込んだ日時や入金額、出金額、残高が記入される。
利用者は必要な金額をいつでも引き出すことができる。
かつて村ではゴミの不法投棄が多く、環境が悪化、それを解決するため4年前、ゴミ銀行は作られた。
発案者は大学で公衆衛生学を教えているバンバン・スウェルダーさん。
「今までゴミは汚いというイメージを持たれていた。
しかし清潔なイメージを持つ銀行と組み合わせることで、ゴミをキレイなイメージに変えることができた。」

ゴミ銀行ができた時から利用しているブンタルトさん一家、今や分別するのが家族の習慣になっている。
「ゴミを適当に捨てると家の周りが汚れてしまう。
だから子供達にもゴミの分別を教えている。」
ゴミを散らかしていた子供達もきちんと分別するようになり、月に1度ゴミ銀行に行くことを楽しみにしている。

家族で貯めた1ヶ月分の資源ゴミを持ち込んだ金額は5970ルピア(約50円)。
子供「ノートと鉛筆を買いたい。」
以前ゴミ銀行の前はゴミの不投棄場所になっていた。
今では村の中はキレイになった。
また以前はゴミを分別せず、焼いて処理しており、そのため煙害や環境汚染になっていた。

ペオ・エクベリ(スウェーデン出身 環境コンサルタント 10代の頃リフティング世界記録を2度更新 自治体や学校で環境教育の講演、執筆活動をしている ゴミの減量生活を実践しており、自宅で出すゴミは月にサッカーボール大)「世界中でゴミの問題がある。(大気汚染 喘息)、ゴミを減らす効果的は方法の1つは、遊びのギミックを取り入れた、ご褒美(インセンティブ)、お金と結びつけると楽しくなりゴミが減る。」
ゴミ銀行のシステムは2008年にバデガン村で始まった。
インドネシア国内では現在54の自治体にある。
環境省でもゴミ銀行の設置を奨励しており、インドネシア国内すべての自治体に広めようと目標をたてている。
ペオ「ゴミではない、すべては資源。
少なくとも500万種類の生き物がいる。ゴミを作るのは1種類、人間しかいない。
自然界の生き物はゴミを出さない。
資源として利用している。」
アメリカ、カリフォルニアなどでは缶に〇△州に持っていくと5セントに変えられますよと書いてある。

グアテマラ サンタルシア・ウタトラン村
とある村の小学校、この日は新しい校舎の着工を記念する式典が開かれていた。
関係者があいさつするステージ、足元に転がっているのはペットボトル。

集まった子供達がペットボトルにお菓子の袋など、キレイに洗った大量のゴミを詰め込んでゆく。
棒を使ってギューギュー詰めにしてゆく。

できたのはエコレンガ、新しい校舎を作る材料にする。
エコレンガは壁の材料として柱の間に積み重ねる。
通常はコンクリートブロックを使用するが、エコレンガを使うと建築費用がおよそ半分に抑えられる。
仕上げにセメントを塗ることで、断熱性や強度を保つ。

グアテマラでは19の学校で採用されている。
エコレンガを建物に使おうと思いついたのは、地元でNPOを運営するスサナ・ハイセさん、地域の清掃活動に取り組んでいたハイセさんは、あちこちでポイ捨てされるペットボトルを減らしたいと考えた。
「放置されたペットボトルやビニール袋は景観だけでなく、健康にも悪影響を与える。
蚊やハエ等の害虫がたかり、病気を媒介してしまう。
これらが人々の健康に害を及ぼす。」

2005年巨大なハリケーンが襲来、多くの住民が家を失った。
被災者に一刻も早く、安心できる住宅を提供したい、そんなハイセさんの思いから生まれたのだ、ペットボトルを使った家だった。
その時に建てられた家に今も住んでいる人を訪ねた。
「ブロックの場合、地震の時に崩れると危険だが、ペットボトルなら軽いので危険性は低いと思う。
夏は暑すぎず、冬は寒すぎず、とても快適。」

大学でも研究されており、昔からの日干しレンガやアドベより耐久性、断熱効果もある。
子供たちの公害、ゴミに対する考え方が変わり、自らゴミを拾ったり、草取りをしたりするようになった。
他地域ではゴミを川に放り投げたりしているが、この地域では町もキレイで人も落ち着いている。

ペオ「私達はアフリカでいろんなプロジェクトを行っている。
ザンビアでバナナの木から名刺を作ったりしている。
貧困問題によってたくさんのゴミがでる。
ゴミ箱さえもない社会。
レジ袋を貰うためだけにわざわざ店に行く。
それが蓋になって洪水になったりもする。
なぜレジ袋を貰うかと聞くと、ステイタス、一瞬でも先進国の金持ちの気持ちを感じたいという。」
アメリカでも最近、自分達が一番ゴミを出している国なのだと自覚し、1人1人だゴミを減らそうとするようになってきているという。
「それは積極的はメッセージになる。
遠くの途上国でも私達の行動を見ているから、私達が良い事例、良い手本になれば、良い影響になると思う。」
ペオさんのゴミ減量生活
スウェーデン人全人口の平均の月のゴミ量はサッカーボール大。
いくつかのポイントがある。
1つ目はゴミ分別は店から始まる。
そこへ行ってゴミの少ないものを選ぶ。(包装が少ないものなど)
What your realy want.本当に欲しいものは何ですか。
必要のないものは買わない。

もう1つは家の中で分別は1カ所にまとめる。
私達は台所のシンクの下に13種類くらい分別している。
紙、古着はリサイクル、プラスチックは恐竜のマーク(化石燃料だから)の箱に入れておく。
生ごみは特別は瓶に入れる。
1カ所ですると、シンクの下のドアを閉めるとキレイになる。
各部屋のゴミ箱はない、部屋がとてもキレイになる。

▲左側シャンプー・・・ボトルのものと違いほとんどゴミがでない。1個で1ヶ月半〜2ヶ月もつ。
同時に快適さは失わない。
便利さは失わなくても良い、我慢しなくても良い、保つ時間が長いので年間5000〜6000円節約できる。
真ん中コーヒーフィルター・・・1000回ほど再利用できる。
右側ゴミのミミズコンポスト・・・自然循環(土中のミミズや微生物により葉っぱが落ちたら資源として戻る)を生ごみに利用している。
同じような数100万年前からの自然の中のリサイクルシステムをバケツの中に入れて(ミミズと微生物)、そこにバナナの皮などを入れて食べてもらう。
液体もできる。家庭ごみの半分ほどは生ゴミ、自然は3つの形しかない(固体、液体、ガス)。
トイレにいったら何を出す?
生ゴミも同じようにバナナ、綿棒、タオルなどをいれたら土に戻る、それは15〜20%。
8割は液体と気体、それがコンポスト。

ベルギー
食べ残しはニワトリが食べてくれる。
ニワトリによる生ゴミ減量作戦は、12年前町役場が始めた。
1世帯当たり3羽までニワタリ購入費用の半額が補助される。
さらに嬉しいオマケが・・・卵
この取り組みはベルギー国内20カ所以上で行われている。
農村地帯だったところでは、それまでもコンポストの設置は進められていた。
住宅地が拡大し、主に若い人が新しく居住するようになり、コンポストの知識や設備を持ち合わせていない。
そういう人たちを対象に、特にゴミの中でも問題となっていた生ゴミ、食べ残しなどオーガニックゴミのさらなる削減策として、昔ながら馴染があり、飼育もしやすいニワトリが着目された。

ニワトリを買うと一石六鳥・・・
1.ゴミが減る・・・ゴミが減れば実際の負担も軽減するし、ゴミ袋代がうく。
ベルギーはゴミ回収が有料な自治体が多く、ゴミ袋代がかかる。
2.卵・・・ほぼ毎日新鮮な卵が手にはいる。
3.庭の手入れが楽になる・・・ニワトリは生ゴミや食べ残しだけでなく、庭の雑草や庭の木の害になる害虫やナメクジも食べてくれる。
だからニワトリがいる所は手入れしなくてもよいし、薬などを撒かなくてもよい。
4.ニワトリを身近に飼うことで愛着が生まれ、ペットとして飼うこともでき、子供達の食育教育にもなる。
子供は喜んで観察している。
5.鳥の糞はとても良い肥料になる。
6.卵を産み終わったニワトリは美味しいスープにもなる。
ペオ「スウェーデンでは生ゴミを捨てるのは禁止になった。
ゴミではなく、生資源、そのために義務教育の中でニワトリを保育園、幼稚園で導入したりしている。」
アメリカ オースティン

アメリカ人1人当たりのゴミ排出量は年間700kgあまり、日本人の出すゴミのおよそ2倍。
8月オープンした食料品店in gredients、店のコンセプトはゴミの大きな割合を占める容器や包装を極力使わないこと。
そのために導入したのが量り売り。

肉と乳製品以外、箱や袋に詰めた商品は見当たらない。
自分が欲しい分量を自分が持ってきた容器に入れて購入する。ワインも・・・

買い物客はマイ容器を持参、買い物をする前に容器の重さを量り、重さが記録されたシールを貼れば会計の時、その分が差し引かれる仕組み。
ハチミツの瓶にパスタ、衣装ケースにパン・・・

量り売りでゴミを減らす取り組みは店にとって大変なこと、しっかり包装された商品と比べ、賞味期限が短くなるため、在庫管理は1日中行う必要がある。
さらに店に協力してくれる仕入れ先を常に探さなくてはならない。

若き共同経営者ブライアン・ナナリー「この店のようなビジネスモデルを継続することはとても大変。
パッケージを使わず品質の高い商品を仕入れるには研究が必要だし、生産者との良好な関係も大切。」
この店のゴミを減らしたいというコンセプトに共感したいと思う人にとって、この店で買い物をしたら自分もゴミを減らすことに協力できたという満足感を得ることができる。

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日本人は何を考えてきたのか★森と水と共に生きる★田中正造と南方熊楠

今から140年前の明治維新、日本は欧米の文明を受け入れ、近代化を目指した。
明治の日本人は今につながる様々な問題に向きあってゆく。
近代化の波の中、破壊される環境をどう守るのか、この課題に取り組んだ2人の思想家、田中正造と南方熊楠。
銅山から出た煙は山々の木々を枯らした。
流れ出た鉱毒は人々の健康に害を与えた。
足尾銅山鉱毒事件・・・命と水を守ろうと、生涯をかけて立ち向かったのが田中正造だった。
世界遺産・熊野の森を愛し抜いた地の巨人・南方熊楠、明治政府の神社合祀令により故郷の鎮守の森は伐採の危機にあった。
熊楠は森を守ろうと奮闘する。
森と水と共に生きる・・・100年前の2人の戦いとその思想を見つめる・・・

田中正造
栃木県足尾、銅を製錬する時に使う燃料として、山の木々は伐採された。
さらに銅山から出た煙は木々を枯らした。
足尾に生まれ育った池野亮子さん、足尾の山に緑を取り戻す活動をしている。
かつて松木村には170人もの人々が暮らしていた。
木々の緑を失った松木村、今から110年ほど前、廃村になった。
足尾銅山、明治政府の殖産興業政策を支え、東洋1と言われる銅山だった。
明治10年(1877)に古河市兵衛が経営に乗り出し、最新の技術を導入する。
大鉱脈の発見もあり、日本の銅産出量の4分の1を誇るまでになった。
坑道の長さは1200kmあり、東京―博多間に匹敵する。

足尾の銅は富国強兵のスローガンに応えるように、兵器や通信等、多くの産業を支えた。
さらに主要な輸出品として、外貨の獲得に大きく貢献した。
銅の産出が飛躍的に伸びると共に大きな問題となったのが、銅山から川に流れ込んだ鉱毒だった。
足尾銅山の鉱毒が渡良瀬川の流域を汚染したのだ。
栃木、群馬などの流域では、農作物が次々と枯れ、収穫は激減、鮎等の魚が大量死した。
この問題に真正面から取り組んだのが田中正造。
国会議員になった50歳の頃から71歳で死ぬまで、鉱毒事件と戦い続けた。
正造は鉱毒問題が明治憲法で保障された民の権利を侵害するものだとして政府を追及した。
政府の命を受けて、東京帝国大学研究者が調査したが、直接鉱毒に起因する病気は認められず、むしろ少量の銅は健康に良いと結論付けた。
正造が綴った日記が郷土の栃木県佐野市の博物館に残されている。
121冊に及ぶ日記、日々の暮らしの中で積み重ねられた正造の思索が力強い筆跡で記されている。
日記には被害民の立場に寄り添わない、政府関係者への不信や怒りがあふれていた。

[田中正造日記 明治36年10月]
少しだも 人の命に害ありて 少しくらいはよい 云ふなよ
銅の被害が出て、毒の物、稲とか作物等を食べる事に対して、銅が体に良いということが当時あったようで、少しくらいなら良いなどと言うなと言っているのだと思われる。

「予は下野の百姓なり」正造は1841年、下野の国小中村、今の栃木県佐野市の農村に生まれた。
若くして名主となった正造は、幕末、村の暮らしを守ろうと、領主と闘い牢に入れられた。
明治維新後出獄した正造は、28歳の時下級役人として現在の秋田県鹿角市に赴く。
村々の実態調査にあたり、東北農民たちの貧しい生活を目の当たりにする。

[田中正造日記 明治3年3月]
稗の糠ばかり食す 稗の糠ばかり食す 稗の糠ばかり食す
農民たちの食料の蓄えが乏しい様子が書かれている。
故郷栃木に戻った正造は、県議会議員になり、栃木を代表する自由民権運動家となった。
48歳で第1回の衆議院選挙に当選する。

正造は明治憲法の中で、人々の生命、権利、財産の保証が明記されていることに希望を見出していた。
正造が衆議院議員となって4年後、日進戦争が始まる。
銅は大砲や弾丸の原料としてその重要性が高まる。

足尾銅山側は被害住民との示談交渉を進めてゆく。
しかし戦争終結の翌年、渡良瀬川では大規模な洪水が発生、甚大な鉱毒被害をもたらした。
当時描かれた鉱毒汚染地図、茶色に塗られたのが汚染地域。
鉱毒が東京、下町にまで広がっていたことが分る。

被害の激しい地域では、毒に侵された土の厚さが25cmにまで及んだ。
住民自らが土を取り除き、そこに住み続けた。
住民の調査によると、胎児や乳幼児の死亡率が、通常の2倍以上に達していることも判明した。
[田中正造日記 明治31年4月]
栄養欠損 女子乳汁に欠乏を告げ しかして愚直の人民に至りては
未だその害の何たるを知らず
被害地をつぶさに見て歩き、人々の窮状を知った正造は、議会があるごとに足尾銅山の操業停止を求め、質問を続けた。

[田中正造日記 明治33年]
人を殺すな 殺されしものを処置せよ 水を清めよ 川を復せよ
度重なる正造の質問に対し、政府は足尾銅山に対して鉱毒予防工事命令を出す。
今も24時間稼働している中才浄水場はこの頃作られたもの。
しかし様々な施設が建設され、改善がはかられたものの、鉱毒被害はなくならなかった。
被害地と東京を往復しながら議会で闘おうとする正造に対して住民たちは、直接行動に訴えることを選択する。
被害地域の中心にある雲龍寺(群馬県館林市)に、正造によって鉱毒事務所が設けられた。
やがてここは栃木、群馬、茨城、埼玉4件に広がる反対闘争の本部になっていった。
この鐘がなると被害民たちが一斉に集まった。

一団となって東京に請願にゆく・・・押出しだ。
鉱毒被害地に生まれ育った布川了さん、半世紀にわたり正造を研究し続けている。
押出しの際に被害民が歌った歌がある。
布川「鉱毒被害 殺人の悲歌というエレジーだ。」
♪さて今日の社会にて悲惨の数は多けれど
渡良瀬川の岸に住む民に勝れるものぞなし♪
[田中正造日記 明治33年]
鉱毒被害は人のわざ 人と人にてなるものを 
しかも乱暴果てしなく 人の命を倒してゆく

雲龍寺に集まった2000人を超える鉱毒被害民は、東京に向けて出発した。
最大級の押出しだ。
しかし10km程先の川俣地区には警官隊が待ち受けていた。(川俣事件)
被害民のうち100人余りが兇徒聚衆罪などの容疑で逮捕された。
事件に衝撃を受けた正造は、4日後帝国議会で政府を激しく追及する。
憲法で守るべき人民に手をかけるとは、国を滅ぼすことではないのか。
[亡国に至るを知らざれば之すなわち亡国の義に付質問書]
民を殺すは国家を殺すなり 法を蔑にするは国家を蔑にするなり
皆自ら国を毀つなり 財用を濫りに民を殺し 法を乱して
しかして亡びざるの国なし これを奈何

首相の県有朋は次のように答えた。
「質問の主旨その要領をえず よって答弁せず」
議会に期待をかけてきた正造、しかしこの時絶望へと変わった。
[田中正造日記 明治34年(1901)]
亡国に到るを死らざれば即ち亡国なり

正造は衆議院議員を辞任する。
その2ヶ月後、明治天皇に鉱毒問題を直訴することを決意した。
直訴分は1m60cmの長きに及ぶ。
銘文家として知られた幸徳秋水に文面を依頼した。
正造は死を覚悟の上で天皇に直接鉱毒の根絶を願い出ようとしていた。
明治34年12月、帝国議会から宮城に戻る天皇の馬車に正造は近寄った。
しかし巡査に取り押さえられ馬車は走り去った。
正造が命をかけた直訴は失敗に終わった。

明治37年(1904)日露戦争がはじまった。
この頃鉱毒問題に対する政府の新たな計画が動き出していた。
渡良瀬川下流にある栃木県谷中村、3000haの土地に遊水地を建設、洪水を予防し、鉱毒水を溜めようというのだ。
当時谷中村には2500人以上の人々が肥沃な土地で半農半漁の暮らしを営んでいた。
正造は谷中村に移り住み、政府の計画に対して抵抗運動を始める。
鉱毒問題そのものを解決せず、下流の村に押しつけた遊水地計画。
正造は詐欺的行為と綴っている。
当時正造が信頼していた谷中村民の子孫、北村寿宏さん、正造が曾祖父に宛てた手紙を見せてくれた。
北村「私の曽祖父・政次は当時、村会議員をやっていた。
うちのバラックというか雨露をしのぐだけの所を仮役場にして先生と一緒に運動し続けていたから、先生からの支援と指示のハガキ。」
谷中村民と暮した正造、北村さんの祖母はその姿を生前何度も語ったという。
「来るたびに乞食みたいなボロボロのシラミがたかったような着物ばかり持ってくる。
なので嫁だから洗濯して直して先生に着せてやる。
3日もたってまた来ると、またボリボロの・・・
だから貧しい人の所へ行って自分のを脱いで着せて、そっちの着ているのを自分で着て戻ってくると、また先生がボロボロで来たって・・・」

正造の説得にも関わらず、多くの村民は買収に応じていった。
さらに政府は土地収用法を適用し、家屋を強制的に破壊した。
しかし谷中村の16戸は政府に抗い村を離れようとしなかった。
粗末な仮小屋を作って住み続けたのだ。
そんな谷中村民の姿を目にした正造は、こう記している。
[田中正造の書簡 明治40年9月]
この人々の自覚は神にも近き精神
布川「谷中に入ってくると、目線が上から、頑張れ頑張れって・・・
ところが壊されちゃった後どうすんだ、という時に、もう駄目だからどこか土地を斡旋んしようと正造は動く。
皆そこへすがりこむ。
だから改めて被害民、特に残留民と言われる人の頑張りに舌を巻くというのかな・・・
そいういうあたりからも、教えるよりも聞くことだと。
谷中学とは正造が人民を上から見るのではなく、人民になれ、人民の1人になることを志した。」
村人のなかに入って現実を見る谷中学、正造の思想は60代半ばにして新たな展開を遂げようとしていた。

[田中正造の日記 明治40年10月]
実学をつとめよ
即ち村に帰るは実に付くなり
普通文字なき人民のむれに入るなり
人をえて又真の公益を得るなり」

谷中村は洪水になり、水没しても何の処置も取られなかった。
正造は人々を犠牲にする政府の治水政策に対して強い憤りを覚えていた。
正造は渡良瀬川流域をくまなく歩き、住民の聞き取り調査をした。
正造独自の治水策を編みだそうとしたのだ。
70歳のときには半年で1800kmも歩いている。
その時に書いた河川図には、正造の水への想いとこだわりが感じられる。
正造が谷中の闘争を経て最終的に行きついた思想とは?

布川「治水の要諦は流れに従ってすることが一番よいのだ。
水が流れたいように流してやりなさい、そして逆らって人間の都合で余計なことをやったら絶対しっぺ返しがくるぞ。
そういうことに徹していた。」
正造の日記には、水の流れを自然のままにすべきという思想が端々で語られている。
水は自由で人の勝手にはならないという考えに行きついている。

[田中正造の日記 明治42年11月]
水は自由に高きより低くに行かんのみ
水は法律、利屈の下に屈服せぬ
人類なぞの決めたことに服従はしない谷中村の復活を願い、川から川を歩き、水の思想を深めていった正造、渡良瀬川のほとり、民家の軒先で倒れ、大正2年、71歳の生涯を終えた。
庭田隆次「田中さんが縁側に倒れたので、こんな所にいたらしょうがないからといって、布団の4隅をもって・・・自分で歩けなかった。
水害調査をしている最中なので、俺は休んでいる時間はないんだと・・・
早く谷中の青年に戸板をもって連れてゆけ、迎えにこいと・・・
俺はそっちへ行って仕事をやるんだからと、ここで休んでいる時間が惜しくて谷中に帰りたかった。」

正造が死んだ時、残されたのは枕元の信玄袋1つだけだった。
その中には聖書マタイ伝、大日本帝国憲法、3つの小石があった。
川の水の流れに転がり、丸くなってゆく小石を、正造は愛してやまなかったという。
死の前の年、正造が日記に残した言葉がある。
今からちょうど100年前の言葉だ。
[田中正造の日記 明治45年(1912)6月]
真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし

小松裕(熊本大学教授 専門は日本近代思想史 田中正造の思想に30年以上取り組む)
「肖像は晩年、自然観、自然に関する洞察がすごく深まってゆく。
その中で、山、川、その地形によって村もできてくるというようなことを強調するようになってくる。
そして治水問題に取り組む中で、川は直角に作って速く海に水を流すようなことをしていてはダメなんだ、というふうに明確に・・・
そういうのはまさに人造の文明だと言い切る。
人造の文明は本当の利益を人間にはもたらさない。
それと違って真の文明というのは、山を愛し、川を愛し、そして村の自治というものを大切にし、人の命を守ってゆく。
それが本当の文明だという。
そういう正造のまさに叫びともいえる言葉。」
中沢新一(明治大学 野生科学研究所 宗教学から人類学まで幅広く研究)「真の文明というのは、今ヨーロッパで展開している文明じゃないのだということを言いたい。
はたして本当に人間を幸せにする文明なのかというのが正造に突き付けられた大きい問題で、その日本にあった文明の中では長い歴史として川をこんなに汚すことも、山をこんなに荒らすこともなかった。
人々は村の共同体を作ってその中で貧しいけれど、幸福に暮らしてきた。
それを文明というのではないかと強烈に言いたいのだろうと思う。」

西島秀俊(俳優)「実際そういうことに気付いた人は少なかった。
もっとみんなショックを受けて、きっともしかしたら劣等感やコンプレックスを持って、もっと西洋に近づこうという人が多かった。」
中沢「肖像はストレートにいけば、社会的ポジションも高いところにいったが、自分でそれを否定した。
それは違うということをはっきりつかみ取った。
コンプレックスを持っていなかった。」
谷中学と呼んだ、谷中で学んだものとは?
小松「鉱毒によって亡くなってゆく人がかなりたくさん存在していることに気づき、非命の使者ということを言い始める。
最終的に正造の谷中学は命の思想をベースにして本当に命というものがこの後存続してゆくためには、いったいどんな文明が必要なのか、あるいはどんな国の形が必要なのかということを真剣に模索していった結果、自然との共生であるとか、地位の自治の重要性であるとか、世界平和、軍備廃絶であるとか、そういう思想に最終的に到達する。」
中沢「人間は主権を持ち生きているが、同時に自然の方にも主権があって、この自然の主権と人間の主権が渡り合って共生してゆくのだという考え方が日本人の庶民の基本的な考え方だったと思う。
だから人間が偉いという風には言わないし、自然主権というものを認めると人間の世界との間に共生の関係についてしい考え方がこれから生まれてくるような、この大変可能性をもった考え方というのが、民衆の中に根差していて、田中昭三はそれを身を持って吸収したのだろう。」
小松「正造がいつも言うのは、人間は万物の奴隷でいい、万物の霊長でなくてもいい、万物の奴隷でも、奉公人でもよい。
小遣いでよいのだとう。
人間は万物の霊長であるという発想を否定することから、自然との付き合い方を彼はスタートさせてゆく。
それはまさに近代を越えてゆくような自然観がそこに見られると思う。」
中沢「それは日本人の普通の考え方だった。
脈々とこの列島の中で生きてきた人間達が自然に身に着けていった思想で、そこに田中正造が着地していったのだ。
そこから力を得ていった人なんだなという印象を受ける。」

南方熊楠
半裸で森に立つ男・南方熊楠、博物学、民俗学、植物学・・・その知の赴くところは果てしない。
知の巨人、熊楠の思想はどこから生まれてきたのか。
彼が愛してやまなかった森にやってきたのは、俳優・西島秀俊。
熊楠が思索を重ねたのは紀伊半島南部、熊野の森だった。
高等植物、昆虫、キノコ、地衣類、シダなどの採集にあけくれた。
そのころは熊野の天地は日本の本州にありながら
和歌山等とは別天地で、蒙昧といえば蒙昧
しかしその蒙昧なるがその地の科学上極めて尊かりし所以で
小生はそれより今に熊野に止まり
おびただしく生物学上の発見をなし申し候

土永知子(日高高等学校教授)に熊野の森を案内してもらった。
早速見つけたのは熊楠が生涯探究し続けた不思議な生命体・粘菌。
「触ってみると胞子が散る。
埃見たいなのでホコリカビという名前だった。」

粘菌はアメーバ上の変形体から小さなキノコのような実体に変貌する不思議な生物。
ある時は植物のように胞子を作り、ある時は動物のように移動しバクテリアを食べる。
熊楠は熊野、奈良の森に3年にわたってこもり、生命の研究に打ち込んだ。
森は熊楠にとって宇宙だった。

土永「多様性に彼はひかれた。
宇宙はものすごく多様で、それは自分1人では知りつくせないほどたくさんのものがある。
今、大きな目で見たら植物しか見えないが、これをすうっと目を移して地面を見れば、小さな生物がいっぱいいる。
さらに足の下の土の中にも、小さな生物がいっぱいいる。
そのように視点を変えれば、無限に生き物がいる。
その多様性に熊楠はひかれたのだと思う。
それを一生追いかけ続けた。」
土永さんは大好きな熊楠の言葉があると言って教えてくれた。

[南方熊楠書簡 明治36年6月]
宇宙万有は無尽なり。
ただし人すでに心あり。
心ある以上は心の能う(あたう)だけの楽しみを宇宙より取る。
宇宙の幾分を化して己の心の楽しみとす。
これを智と称する。

土永「共感できる。本当にそうだと思う。」
南方熊楠は明治維新の前の年1867年に現在の和歌山県和歌山市に生まれた。
幼いころから学問に並はずれた探究心を抱いていた。
10歳の頃、友人の家にあった105巻からなる百科事典『和漢三才図絵』を読んでは暗記し、自宅に帰って筆写した。
3年間でこの写本を完成させたずば抜けた記憶力を持ちながら、学校嫌い、既成の枠にはまらない異端児。
19歳から14年間、海外を放浪する。
キューバではサーカス団に出入りし、アメリカやイギリスでは古今東西の学問に触れた。
大英博物館に通い詰め、旅行記、辞典など500点以上の書籍を写した。

▲『ロンドン抜書』世界の風俗、風習が英仏独イタリア語スペイン語などで事細かく記されている。

33歳で帰国した熊楠は、西洋で学んだ知識を下敷きに、独自の思想を深めてゆく。
イギリス人の科学雑誌Natureをはじめ、多くの学術雑誌に論文を発表。
和歌山にいながら、世界の地とつながっていた。

▲熊楠のフィールドワークの幅をうかがわせる多種多様なコレクション
中瀬喜陽(南方熊楠 顕彰館館長)「熊楠は捨てない、一切捨てない。
物持ちがいい。
博物学者はああでないとね。」

熊楠は個々の生物を収集、研究するだけでなく、それらが互いに関係し合う森羅万象を捉えようとしていた。

▲友人の僧侶にあてた手紙の中に描かれたいわゆる南方マンダラ
真言密教を土台に、宇宙の本質を解き明かそうとしていた。
そんな熊楠の生活を一変させる出来事が起きる。
それは明治39年(1906年)に政府から出された法令がキッカケだった。
いわゆる神社合祀令だ。
1つの町村につき、神社を1つに統一することを原則とし、それ以外の神社は祠は取りつぶし、合併するというものだった。
3年間で全国5万もの神社が廃止される。
その結果、多くの神社を取り巻く森林、鎮守の森が伐採された。
古木は建設資材や燃料として高値で売買され、それによって利権を得る人々も増えていった。
とりわけ熊楠の故郷・和歌山は神社合祀が激しく進められる。
熊楠は慣れ親しんだ鎮守の森を守ろうと、神社合祀反対運動を始める。

吉川壽洋さんは熊野合祀反対運動を実地で研究し続けている。
熊野神社合祀反対運動の現場、大山(和歌山県日高川町)、現在はその多くがミカン畑になっている。
大山には100年前まで神社があった。
熊楠の先祖が代々氏神としてよりどころにしていた大山神社、合祀令によって取り壊された。
西島「合祀した分鎮守の森の木を売る事で利益になるので皆どんどん合祀してどんどん木を売ったと聞いた。」
吉川「そういうところもあるが、木を1本切っても、10本切っても大した影響はないじゃないかというのが一般の人間。
それが彼は100年ほど先を見ていた。
1本切ることが周囲の植物の層に影響を与えてゆくろ言っていた。
最終的には人間にも及んでくると思っていたのかもしれない。」

[南方熊楠書簡 明治44年8月]
植物の絶滅ということは ちょっとした範囲の変更よりして
そのときいかにあわてるも 容易に恢復し得ぬを
小生目の当たりに見て証拠に申すなり

熊楠は地元の新聞[『牟婁新報』)に意見を発表。
神社合祀反対の論陣を張った。
鎮守の森を守るためには地域住民たちと力を合わせる必要があると考えていた。
大山神社も多くの住民が参加する反対運動によって合祀を防ごうとしていた。
この時頼りにしていたのが地元に暮していた従兄の古田幸吉。
幸吉の孫、ヨシノブさんの家には熊楠から寄せられた80通もの手紙が残されている。
そのすべてが神社合祀反対運動に関わるものだった。
熊楠の想いが溢れた手紙、しかしこれに同調する人は少なく、熊楠が無念さをつのらせてゆくさまが綴られていた。

大山神社のことは誠に惜しけれども
事情すでに石のごとくなれば
小生において何とも致し方なく

吉川「民主が保存に賛成というのでなかったら、1人や2人がもがいても到底神社は保存できない。
みなさんが保存しようという気持ちにならねば駄目なんだと。」
大山神社をめぐる闘いは4年で終わる。
神社は取り壊され、森林は切り倒された。
神社合祀反対運動を繰り広げる中で、熊楠は事件を起こしてしまう。
熊楠は地元の中学校に田村という名の神社合祀を推し進める県の役人が来たことを聞きつけ、神社合祀反対を直談判する事を決意。
酔った勢いで中学校に駆け付けた。

怒りが一気に爆発、手に持っていた信玄袋を壇上の役人に投げつけた。
熊楠は家宅侵入罪で捕えられた。
18日間留置場に収容された。

その時熊楠のもとに1冊の本が届いた。
『石神問答』、著者は民俗学者の柳田國男だった。
本のいたるところに熊楠自筆のメモ書が残されている。
南方熊楠蔵書
明治43年8月より9月の間
予田辺にて未決監にあるうち郵着
監中にてこれを読む

柳田はこの本の中で、森と日本人の重要な関係について強く訴えている。
それは熊楠が主張していた考えと通じていた。
松居竜五(龍谷大学準教授)「熊楠は留置所に入っているので、とても孤独だったが、これを読んで外の世界に自分と同じ考えを持っている人がいると考えたのだろう。
力をいれて感嘆符を3つ書いている。
とても強い共感を感じたと分る。」
熊楠が柳田に宛てた手紙、長さおよそ3m、民族学上の自身の発見に加え、柳田に合祀反対への力添えを願う気持ちが綴られている。

柳田は熊楠の書いた手紙をまとめ、各界の有力者に配布した。
2人が協力して残した樹木が、三重県阿田和にある。
樹齢1000年を超す大楠。
熊楠は森を守る事は、人間の暮らしそのものを守る事につながると考えていた。
[南方熊楠書簡 明治45年2月]
伐のあまり大水害年々きいて常時となすに至り
人民多くは淳樸の風を失い
小数人の懐が肥ゆるほど村落は日に凋落し行くこそ無残なれ

熊野、中辺路にある継桜王子社の神木、当時熊楠が地元の人々の声を受け、伐採中止へと動いた。
30本の杉の木は伐採されたが、熊楠の奔走で、9本の巨木は守られた。
熊楠は神社合祀の弊害をこうまとめている。
神社合祀は第1に敬神思想を薄うし
第2 民の和融を妨げ
第3 地方の凋落を来たし
第4 人情風俗を害し
第5 愛郷心と愛国心を減じ
第6 治安民利を損じ
第7 史蹟古伝を亡ぼし
第8 学術上 貴重の天然記念物を減却す
省曲はかくまで百方に大害ある合祀を奨励して
一方には愛国心、敬神思想を鼓吹し、鋭意国力の謀る称す何ぞ
下痢を停めんとして氷を喫う(くらう)に異ならん

秋の祭りを前に、地元の人が参道を掃き清める。
西島「きっとこの杉が残っていなかったら、全然違うのでしょうね。」
地元の人「シンボルだからね。これがなくなったら精神の支えという気持ちはなくなるだろうね。」
11月、継桜王子社では、秋の例大祭を迎える。
人々は1年の収穫への感謝を神に捧げ、無病息災を祈る。

我が国の神社、神林、池泉は人民の心を清澄にし
いわゆる何ごとのあるかを知らねど有難さに涙こぼるるもこれなり

西島「熊楠はエコロジーだったり自然との共感といった単純な、よく聞く文字じゃなくて、本当にたぶん森がなくなることで人の心とか、生活とか、実際にどう影響してゆくのかという、すごくリアル、具体的なことを研究して話していると思う。
そういう意味で本当に理解できる。
森がなくなるとどういうことになるのか・・・」
中沢新一(熊楠を題材にした著書に『森のバロック』)「森が切られるということが彼の運動の出発点になっていったが、彼を根底に突き動かしているものはそういうものを超えていると思う。
昔の日本には、神社だけではなく、たくさんの“お入らずの森”というか、普通人々が入りこんではいけないような場所というのがたくさんあった。
人間がやることよりもっと大きいものが私達を包んでいるという感覚があって、その感覚を残すために人間の行為が入らない領域というのをちゃんと設定してあり、そこには植物が生えていて、動物がいて、神社があった。
これが日本の形。
その人間を越えた大きいものというものを南方熊楠はいつも自分の中で捉えようとして・・・森に象徴されるものを壊してゆく力が加わり始めた。
そのことについて彼は激しく憤るが、これは私達が今考える自然保護とかいうものをはるかに超えた深みを持っている。
熊楠の考え方は2つの局をもっている。
自然と人間の心。
この2つの心は相互に交流しあっている。
よく似た構造、作り方をしているが、実のところをいうと自然の方が全体的な精妙さをもっている。
人間の知性は使い方を間違えると必ず自然の持っている精妙さを捉えられない。
人間の陣地を発達させるとは何なのかというと、合理主義的な考え方、思考を発展させるというのではなく、宇宙が持っている精妙、複雑さというものに共感できる、共鳴できるような知性の形に高めてゆくというのが知だと考えていて、この2つがいつかは合体する地点があるそと彼は考えていた。
この学問はヨーロッパにはない。」
小松「背景にあったのは、大きくいって日露戦争で20億もの軍事費を使ってしまった。
それもほとんどが外国への借金。
戦争が終わった後、それをどうやって返したらよいのだという、ものすごい財政難となり、国民に対し倹約をうったえる。
そしてそこにそれまでそれぞれの村が持っていたような財産が統合されてゆく。
お金の面倒もかけないというような、そういう形でまず地方を強くしてゆく。
もう一方が神社統合によって伊勢神宮を頂点とした国家神道のヒエラルキーを作ってゆく。
そうやって国民を思想統合してゆく。
その2つの大きな意味があったと思う。
国家的な再編、家からの再編、まさに同じ時期に片方は川や水を中心として、つぶされた谷中村を拠点として、片方は那智の森を中心として国家が進めてきたそういう政策というものに全身をかけて対抗していったといえると思う。」

南方マンダラについて・・・
中沢「これは熊楠がヨーロッパ的な科学というものと違う知性の働かせ方があるとはっきり表すために書いた図。
理呂因果が錯綜しつつ統一してつながっているということを表そうとしている。
AとBは単純にはつながらない、しかしその間に相互関係がないデタラメな世界、デタラメで怒っているわけではなくて複雑な経路を通している。
しかも時間軸を超えながら。
様々な出来事が結びついている。
それを捉える知性がありますということを言わんとしている。
世界はそういう風に出来ているし、たぶん熊楠はこれを那智の山の中で書いている。
夜旅館の1室で、たった1人で植物採取しながら・・・
その時彼の頭の中のことがあったと思う。
実際森の植物はああいう生き方をしている。
森はマンダラに近い理想的な精妙な宇宙が作り出す構造体。
だから森が切られるということは、彼にとっては自分の存在を、刀を突き付けられて刺されるくらい痛いことだった。
自分の全存在をかけても、これと闘わねばならないというぐらい闘ったのだと思う。」

2人の闘いは100年後の今、どのように受け継がれているのか。
俳優・西島秀俊は和歌山県那智勝浦へ向かった。
しかしその道は、熊野を直撃した台風によって土石流に埋まっていた。
熊楠が歩いた足跡を研究している安田忠典さん(関西大学準教授)は、今回の被害を拡大させたのは、植林された針葉樹が放置されていたことも原因だとみている。
「植林の若い杉などは、根が浅くて見えない。
なので流れてしまう。
いわゆる放置林が水害の1つの原因とも言われている。」

一方広葉樹林は根を深くはっていたものの、放置林に巻き込まれる形で倒れていた。
道を阻まれ、結局那智の森へ達することはできなかった。
100年前、神社合祀反対を訴える手紙の中に、熊楠は1つの言葉を残していた。
[南方熊楠書簡 明治44年11月]
殖産用に栽培せる森林と異なり 千百年来斧斤を入れざりし森林は諸草木相互の関係はなはだ密接
錯雑致し近頃はエコロギーと申し
エコロギー、つまりエコロジー・・・
植林の森とは違って自然林はお互い密で複雑な関係性を作っている。
そのことが重要だと熊楠は訴えていたのだ。

インドのデリー大学で近代社会思想史を教えるブリジ・タンカさんは、熊楠の環境への思考や物事の捉え方に深く共感できるという。
「環境を守ろうとする熊楠の方法は、私達がインドで抱えている問題に通じるものがある。
彼は科学者だが、その興味はそれだけにとどまらない。
南方熊楠は、世界を多くの局面から幅広い目線で捉えようとしている。」
田中正造が生涯かけて操業停止を求めた足尾銅山、資源が枯渇したために、1973年(昭和48年)閉山した。
しかし鉱毒事件は完全には終わっていない。
銅山から出た鉱石屑の源五郎堆積場、去年3月11日東日本大震災の折に堆積物が崩落した。
そこから鉱毒が混じった土が流れ出て、渡良瀬川に注ぎこんだが、現在は回収されている。
足尾から50km下流にある群馬県太田市毛里田地区、戦後になっても高度の被害と向き合ってきた。
およそ50年前、足尾の堆積場が決壊し、田畑への被害が激化したことをキッカケに、住民の鉱毒反対運動が大きく盛り上がった。
足尾銅山を所有する古河工業は、責任を認めて補償金を支払い、土地改良工事も20年近くかけて行われた。
住民「山が崩れたり、台風がきたり、大雨が降ると、赤い水が流れる。
まだ終わっていないのだ。」

戦後日本が経済成長してゆく中、各地で公害が発生した。
56年前、有機水銀を含む工場排水が海に垂れ流されて起きたのが水俣病。
水俣湾の魚などを口にした地域の人々は、神経に疾患を起こし、多くの犠牲者が出た。
医師の原田正純さんは、50年前から水俣に入り、患者の立場に寄り添って治療と研究に力を注いできた。
原田さんが中心となり、熊本の大学で10年前から始まったのが水俣学講座。
水俣の現場で学んだものを、広く若い世代に伝えようとしている。
水俣学のヒントは田中正造の思想にあった。
「100年前、正造が現地に入って、むしろ自分は農民たちを指導しようと思って入ったけど、実は彼らから学ぶことが非常に多かったといった。それを谷中学という。
私も医者として水俣に入り、患者を共済しようと思ったが、実は患者から私の持っている医学の概念、医学の構造が砕かれていった。
正造の谷中学は100年いろんな人に受け継がれているように、水俣の事件も、今から100年も200年も受け継がれてゆくであろう。
今度の事故にもいろんな影響を与えてゆくのではないかと期待をしている。」

正造の思想は今、国境を超えて広がろうとしている。
政治哲学を研究している金泰昌さん(公共哲学共働研究所所長)は、韓国でも民衆の側に立つ正造の思想に関心が寄せられるようになったという。
「田中正造の精神というのは、物事を民の立場から考える、それを民の力で変えてゆく。
そうすればまずは一番重要なのは命をどういう風に守るか、暮らしをどのようにもっと生命を育むような暮らしになるか。
それが成り立つために生業をどのようにお互いに作り合うかということを、国家という壁、又は文化、宗教等の壁を超えてお互いに協力し合うほうが相互にとって利益になるし、命の育みに貢献する。
今から日本だけで独り占めするのはもったいない。
そういう1人の人間像で、これこそよく我々は考え抜いて、これは世界で共用する価値のある、そういうものを持っている。」

中沢新一「坂の上の雲に全身で抗っていった2人。
日本が右肩上がりで急上昇してゆく時代に彼らはホントに孤独だったと思う。
逆にその右肩上がりが終わって日本が次の国の形を目指さねばいけない時に、2人の思想はとても現代的な意味を持ってくると思う。
この2人が言っていた事は、3.11以後の日本人が意識して自分たちがこれからどういった世界を作ってゆくか、という方向付けを得ようとしている者に、いいっぷしさを与えてくれる。」
西澤秀俊「明治が始まって起きた問題が、そのまま現代につながっているようにしか見えない。
完全に相似形のものが今起きていて、だからかつてその時に何があったのか、こういう人たちは何をしたのかということを、ちゃんと掘り下げるということは、今の問題を考える糸口になると思う。」
中沢「これから僕らが作ってゆかなくてはならない思想というのかな。
重要かというと僕らはある意味ですでにいっぱい失っているから、回復しなければいけないことがたくさんある。
熊楠も正造も昔に帰れと言っているわけではないと思う。
ただこれから回復しなきゃいけないのは、ヨーロッパの社会は自由な個人ということを強調するあまり、個人が自由財産を持ったり、公共性というものはどんどん壊している。
人間を越えたもの、自然とか宇宙とか、熊楠がいうものをどんどん破壊しちゃってる。
そいういうものの思想はアジアには残っている。
一番重要な素材となるものは、自分たちの伝統の中にある、歴史の中にあるし、民衆の生活の中にあるのだということなのだと思う。」
小松裕「正造は自然公共の大益という言葉を使っている。
だから正に自然がもたらしてくれる天の恵みであったり、そいういうあまねく誰もが利用できるものにこそ、本当の利益がある。
自然公共の大益をベースにした文明というものを、新しくやっぱり作っていかなくてはならないのでは、と痛感する。」
西島「心も、なんでこういう風になってしまったのだろうと思う。
スローガンとかの言葉じゃなくて、本当に人と人とがつながるだったりとか、自然と本当に密接に関係して暮すとか、もっと掘り下げてゆけば自分のものとして入ってきて、自分自身も変わってゆくのではないかと思う。」
小松「僕はもっぱら田中正造だが、希望がある。
つまり現実の歴史の展開というのは、こうでしかなかったのだけど、今度は違う生き方もあったのだと、そういう事を考えてゆく先に、この国の希望が見えてくるのではないか、そういう意味では正造は時代に絶望して亡くなったのではないと思う。」
中沢「この2人の生き方を見ていると日本人は感動する。
何かここに重要なものがあると、それは自分の内面から出てきて言わせている。
ということは、日本人は変わっていない部分があるなと思う。
それがこれからの日本人が生きてゆくための一番の財産になるのではないか。」

北海道佐呂間町栃木、100年前渡良瀬遊水地により故郷を追われた人々が入植した。
谷中村と周辺町村の210人が雪の峠を越えて・・・
集落の中にある栃木神社には正造を称える石文が今も残されている。
千葉清美さん(79歳)、母は10歳で栃木を離れ、この地にやってきた。
開拓は苦難を極め、夢破れこの地をあとにした人たちも多い。
栃木集落の暮しがようやく安定したのは蓄膿を始めた昭和30年代のこと。
時代が変わっても正造が教えてくれるものは多いという。
「田中さんはとにかく農民のために、側について物事を考えた。
普通だったら、どんないいことやって、どんな立派なことやったって、何年かしたら忘れられる。
だけど100年たっても今だにまだ・・・
これは他の人にはできないこと。
やっぱりここにおって、この土地を守って、また次の世代にやるっていう・・・
これは我々の勤めだ。
ひとつの運命だ。」

真の文明は山を荒さず
川を荒さず
村を破らず
人を殺さざるべし

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アジアエコ情報2009

Flower Power 花のパワー インド
原油は古代の生物の市外からできている、というのが定説。
化石燃料と呼ばれており、燃やせば多くの二酸化炭素が排出される。
そこで登場したのがバイオ燃料というアイディア。
化石ではなく植物から燃料を作る。
しかし人々の口に入る作物を使うことはできない。
燃料よりも日々の食事が先決。
さらに植物の種類も問題。
効率よく燃料を作れる植物が必要。
B.Jayakumarが栽培するのは他の植物より多くのオイルが採れるヤトロファ。
南米原産のヤトロファは、古くから薬として利用されてきた。
16世紀にポルトガル人がインドに伝え、種子の油が利用されるようになる。
毒性があるため食用にはならない。
最大の特徴はどんな場所でも育つこと。
低木帯や荒地など、農耕地以外でも生育する。
茎に水を蓄えるため干ばつにも耐えられる。

オイルの抽出方法は簡単。
まずは種子を取り出す。
種子から成分の30%を占めるオイルを絞る。
トウモロコシ畑に比べて生産量は10倍。
このままでも使えるが、精製を行う。
絞った粗油を装置にいれる。48時間でバイオディーゼルになる。
メタノール水酸化ナトリウム、硫酸を混ぜ合わせることで、ディーゼル燃料ができる。
精製の過程でできる油カスは有機肥料になる。
植物を育てるのに再利用できる。
課題は野生種のままでは生産量が少ないこと。
品種改良を進める必要がある。
簡単ではない。
交配はダンスパーティーに似ている。
パートナーさえ見つかれば大喜びだが、誰でもいいというわけにもいかない。
お見合いの準備をするのはラム・パブ。
有望そうな株を見つけて摘花してゆく。
バイオ燃料に適した子孫が生まれることを祈りつつ、雌花だけを残す。
そして別の株の雄花と受粉させる。
良い品種を作るためだ。
甘い時間が終わると他の花粉を避けるため袋をかぶせる。
どんな子孫が誕生するだろうか?
インド各地ですでに試験栽培が始まっている。
Jayakumarは大きな期待を寄せている。
将来的に相当の生産量が見込まれるが、世界の需要を満たすには、800万k屬糧が必要。
オーストラリアの広さだ。
そんな土地があるだろうか?
ヤトロファの生育地は熱帯の低木地。

Slim Sublime 崇高なる藻 日本
藻の教授こと渡邉博士は優れた特性を持つ藻を発見した。
「ボトリオコックスブラウニー(Botryococcus Braunii)はオイルを作る緑藻。
炭化水素のシクロヘキサンやケトン、エポキシドから成るオイル。
悲痛のオイルから採れる藻は、細胞内に油分を蓄積する。
しかしこの藻の場合は油分を細胞の外に分泌する。
この種独特の特性だ。」
分かりやすく説明すると、水中へオイルが放出されるので、容易に集めることができるというわけ。
藻がオイルを作るのは浮かぶため。
暗い水底では生きられないからだ。
「藻は大気中の二酸化炭素を吸収し、オイルを生産する未来のエネルギー。」
長年研究を続けてきた博士は、完璧な藻を求めている。
手間がかからずあらゆる気候に適応し、少量の光で生きる藻だ。
オイルの量も重要。
1時間当たり120トンの生産を見込んでいる。
しかし問題がある。
「この藻を研究所で栽培するのはとても簡単。
しかし屋外で栽培するのは難しい。」
新鮮な水と適切な深度、温度が必要だからだ。
専用のタンクは高価。
人口の多い日本に余分な土地はない。
しかし博士は日本と世界の役に立てると信じている。
「私の夢は日本を変えること。
現在はオイル輸入国だが、将来はオイル輸出国にしたい。」
産業化には時間がかかるうえ、研究資金は限られている。
しかし博士は10年以内には緑藻が地球温暖化対策に貢献できると考えている。

Sun-Struck 太陽の恵み シンガポール
日照条件に恵まれた国が多いにもかかわらず、アジアは太陽光発電の後進国。
普及させるための努力が必要。
Christophe Inglinは実行している。
シンガポールの自宅はソーラーパネルで覆われている。
電気は使い放題。
赤道直下のシンガポールでは毎日の日照時間は12時間に及ぶ。
「屋根のソーラーパネルは直流電気を発生させる。
電力はまず避雷器のついたボックスを通る。
そして家庭で使えるように直流を交流に変換する。
交流のケーブルは配電盤に続いていて、メインのAC分電盤に流れる。
太陽光発電と送電線の電力、両方が使える。
景税制をアピールすることが普及のカギとなる。
初期費用は約70000ドルだった。
化石燃料を使わないという優れた利点の他にも何かメリットが?
「屋根にソーラーシステムを設置した家には特別なメーターがつく。
ソーラーパネルで作られ家庭で消費されず余った電力だ。」
彼は太陽光のない夜間は電力会社から電力を購入し、日中は余剰電力を売っている。
電力が余ったら利益が発生する。
高級住宅地であれば屋根の面積も相当なもの。
しかし集合住宅の多いアジアで成果は見込めるのだろうか?
太陽光発電は世界的に人気があるが、問題がないわけではない。
太陽は夜には沈んでしまうのだ。
では宇宙にでてみたら?
日本の宇宙航空研究開発機構JAXAは、宇宙発電所の研究を行っている。
人工衛星で発電した電力をレーザーで地球に送信するのだ。
もちろん課題はある。
レーザーを使うのは名案だが、不安定で効率が悪い。
電力より無駄のほうが多く出てしまう。

Good Vibrations 日本
速水浩平氏は無駄が大嫌い、何からでも電気を作り出してしまう。
人間は歩くたびに振動エネルギーを生み出している。
例えば橋の上を歩くと、橋はたわみ、そこにエネルギーが生じる。
足音も同じ。
エネルギーが音として放出されているのだ。
慶応大学の速水氏はこのエネルギーを活用することを思いついた。
「日本の伝統的な履物・下駄も発電床の小さいものが間に入っていると考えられる。
ファッションとしてLEDが地面を照らす。
これを靴に応用できる。」
歩くたびに靴底には圧力がかかる。
その力を電気エネルギーに変換しライトが点灯する。
日本的な靴の形はともかく、この技術は電気をつけたり足元を照らす以外にも使えそう。
「充電することも可能。
通勤通学で15分くらい歩くとPHSで5分ほど通話できる。」

話し声のエネルギーも無駄にはできない。
彼は音による発電機も開発した。
「これは人の音声で発電する音力発電装置。
まず裏側に口をあてて声を出すと発電し、電気を整流する回路につながっていて、発電する。」
効率面では実用性に欠ける。
発電所の代わりにはならない。

もっと現実的なプランもある。
日本には多くの高速道路が存在し、防音壁によって遮音されている。
速水氏はこの防音壁の振動を利用できないかと考えている。
ただの壁から電気を作れたら言うことはない。
電力の多くは送電中に熱エネルギーとして消失している。
現場で発電するメリットは大きい。
速水氏は橋を応用した。
東京のある橋で実験が行われた。
車やトラックの振動を利用して安全灯を灯すことができた。
試験は地下鉄でも行われた。
駅には毎日大勢の通勤客が通る。
その歩くエネルギーを利用するのだ。
電気靴は使えないので床の上に発電システムを設置した。
試験の結果、振動が生み出す電力は照明を灯すどころか自動改札機を動かせるほどだった。
速水氏の自由な発想があれば、アメリカの全道路が発電所になるかもしれない。
アジアには熱帯地域に位置する国が多くある。
エアコンは必需品だが、当然大量のエネルギーを消費する。
シンガポールではビルで使われる電力の80%が、総消費電力の半分が、エアコンに使われる。
エアコンのエコロジー化には最適地というわけだ。

Not Just Hot Air 排熱の行方 シンガポール
室外機から出される熱は、町をさらに暑くする。
町の一角にあるホテルの廃屋である取り組みが行われている。
Philip Leeは画期的な給湯器を発案した。
太陽熱を使うのではない。
エアコンを利用した給湯器だ。
部屋を冷却した後の冷媒をタンクに循環させて水を温める仕組み。
水を温めることで冷媒の温度は下がり、エアコンにかかる負担が減る。
一石二鳥のしくみ。
装置は飲食店などで使われ始めている。
通りに面したルイの店にエアコンはない。
しかし大きな製氷機がある。
毎日スケートリンク分ほどの氷を作るため、冷媒もたっぷり使っている。
そこでルイはPhilipが考案したシステムを天井近くに設置した。
お湯はシンガポール名物のコーヒーに使われる。

Green-Collar Workers 日本
発電床が訪問客を未来のオフィスへ導く。
歩くたびに光グリーンカラーの社員たち。
足元のランプは意識向上のための仕掛け。
1歩が重いほど電球は喜ぶ。
Takeshi Fujiki(Kokuyo Office Systems)「経済的という意味ではまだまだ発電量にも限界があるので発電量は少ないが、大事なのはここで働くワーカー1人1人が自らが発電することを意識すること。」
オフィスは2つに分かれている。
従来のオフィスと新しいオフィス。
机の多くは自然光の入る窓の近くにある。
室内灯は日光とのバランスを考えて設置。
社員はスーツ姿ではなく、カジュアルな服装。
おかげで夏はクーラーの温度を1〜2℃高めに設定し、節電することができる。
会議室にはタイマー付のLEDが使われている。
終了予定時刻が過ぎると電気が消えてしまうため集中力が高まる。
「大事なことは位置から全部造り直すのではなく、今あるオフィスをいかにリデザインし直しながら、いかにエコに近づいてゆくか。」
これらの試みは温暖化に対する真剣な気持ちの表れ。
この会社はわずかな努力で消費電力を20%も削減した。

Clean Green Machine シンガポール
星々は水素の核融合によって、莫大なエネルギーを生じ輝いている。
しかし地球上で再現するのは困難。
核融合炉を車に積むのは無理だろう。
シンガポールのHorizon社は小さなものから始めた。
水素で動くオモチャだ。
水素の生成には電気と水が必要。
燃料電池は燃料を補給し続ける限り、永遠に発電が可能。
必要なのは水素と空気中の酸素。
それに触媒だけ。
化学反応で水と電気が作られる。
一般に触媒には高価なプラチナが使われる。
「技術コストを下げるのは困難だが、プラチナの使用量は減らせる。
その結果小売可能な製品が実現した。」
おもちゃは子供の教育にも最適。
水素燃料の車で遊んで育った子供は本物の水素燃料車にも抵抗がなくなる。
会社にとっても将来への足掛かりになる。
装置の大型化に着手しているが、販売するにはまだ準備が足りない。
水素燃料に頼り切らない乗り物もある。
究極のグリーン燃料は朝食。
バナナとコーヒーが活力源となってペダルを動かし自転車を走らせる。
しかしいつ息が上がってしまうかわからない。
オランダ人のドルフにとって自転車はわが子同様。
スーパーバイクHMX(Hydrogen Mobility X-tender)(水素燃料電池バイク)。
「人の力と燃料電池の力を組み合わせて走る。
走りをサポートするペダルをこぐとモーターが作動し、同量のパワーを供給する。
空気中の酸素とタンクの中の水素を使ってモーターに電気を供給する。
出発する時はボタンを2秒押す。
排気ガスを出さない通勤手段、パーワー2倍は魅力的。
しかし水素のパワーと聞くと心配なことが・・・
水素爆発が尻の下で起こったら困る・・・
水素は金属化合物でできた容器に保管されている。
「水素専用の合金タンク、圧力は5バールと低く、安全で使いやすくなっている。」
缶2本で300kmの走行が可能。
手軽に水素を運ぶことができれば、さらなる応用も可能になる。
緊急用の電源に予備発電装置もある。
ボートのエンジンやより大きな予備発電機・・・応用範囲は様々に広がっている。
水素燃料は進化を続けている。

Super-Cooled Magnety Thing スーパークールな電磁利用 日本
太陽光が使えない時、月を利用しては?
潮の干満を利用するのだ。
神戸大学の武田実教授は極低温という分野の専門家。
教授は海流から電気を作ることを思いついた。
発端は1980年代、日本の大企業が画期的な船舶を開発。
超伝導電磁気推進船というものだ。
開発段階ではヤマト1と呼ばれていた。
ヤマト1はウォータージェット推進方式。
超伝導コイルで覆った推進装置のダクトに海水をいれ、電流を流すことで電磁力を発生させて水を押し出す。
それが推進力となる。
Lorentzが提唱したローレンツ力。
ローレンツはアインシュタインの友人だった。
科学者達はこの超伝導電磁気推進船が大きな成功を収めると考えた。
試算では9000トン級の潜水艦が60ノット進めるはずだった。
日本の未来を担うプロジェクトは約50億円と6年の時間をかけて完成した。
ダクトを備えた2代の水深装置。
ディーゼル発電機は電磁石に電気を供給。
同時に電流を流すことでローレンツ力が発生し、ヤマト1を前進させる。
1992年の進水式ではモダンな姿が目を引いた。
デロリアン社のスポーツカーのようだ。
同様の成功が期待される。
しかし華やかな進水式とは裏腹にスピードはでなかった。
最大速度は7ノット、計画は失敗した。
この研究チームに加わった武田教授はさらなる名案を思い付いた。
推進装置を利用してエネルギーを作るのだ。
手順は海中に推進装置を沈めるだけ。
ダクトに海流を通して電気を発生させる。
研究はまだスタート地点、教授は計画の概要を発表したが資金は集まっていない。
今は他の研究を行っている。
研究を進められず苛立ちを覚えつつも教授の目は未来を見ている。

Dung Ho! 糞だ! インド
アジアの多くの国々にとって最先端の環境技術は身近な存在とは言えない。
廃棄物を利用する方が現実的。
それはインドの精神性につながる。
同時に糞にも・・・
ベンガルールにあるNGO団体アートオブリビングには人々が瞑想や自己との対話に訪れる。
基本精神は自然との共存。
環境への配慮はヒンドゥーの精神にもつながる。
ヒンドゥー教で牛は聖なる動物、殺すことは犯罪。
ここでは電気も作ってくれる存在。
道場の農場でSan Joy Majumbarが牛の世話をしている。
Majumbarは牛が大好き、牛たちも同じ気持ちのようだ。
彼が牛の排泄物を使って作る物とは電力。
「まず新鮮な牛の糞を専用の槽にいれ、水と混ぜ合わせる。
12〜24時間ほどおく。
たっぷり水に浸かったらしっかりかき混ぜ生物分解できない遺物を取り除く。
その液体を地下を通して屋根のついたタンクに移す。
そのまま数日置くと自然の作用でメタンガスが発生する。」
ガスを発電機に送り石油と同様電気を作るのだ。
使用した排泄物はその後畑で肥料として使われる。
「糞や尿を配合したり様々な薬草を混ぜることで作物を病害から守るための様々な農薬を作ることもできる。」
通常農薬や肥料作りにはエネルギーが必要。
しかし牛の糞ならクリーン。
道場全体の電力を供給するには現在の排泄物では足りない。
住居ブロックでは太陽光発電を利用。
料理には別の物を使っている。
彼らが口にするのは牛の肥料で育てられた作物。
チャパティを作る小麦粉も同様。
瞑想はお腹がすくもの。
毎日約5000人分の食事が用意される。
導師がいるときには35000人が知恵と食事を求めてやってくる。
調理は蒸気で行う。
使用するのはボイラー。
太陽光発電では十分な湯を沸かせない。
燃料はブリケット、ナッツやコーヒー豆の殻、おがくずで作られた燃料。
彼は環境への配慮を重視している。
「近代的な生活は快適かもしれないが、後世に汚染された地球を残すことになる。
我々は自然と地球を破壊してきた。
環境に配慮すれば地球を傷つけずにすみ、次の世代のためにもなる。」

従来のエネルギーは温暖化を促進させる。
アジアの科学者は新たなエネルギーの開発と改良を進めている。
アジアが誇る創造性は、石油に代わる燃料を生み出せるだろうか?
気候変動は止まらない。
問題を解決できるのはアジアだと考えられている。
資源問題に取り組むアジアから目が離せない。

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つなげようEcoハート〜明日へのチカラ〜地球と生きる100のコト

タワゾン川 怪魚伝説
多摩川(全長138km、流域面積1240k屐砲法∈とんでもない異変が!
捨てられてしまい、多摩川に住み着いたアリゲーターガーパイク:世界最大級の淡水魚、大きいものは3mを超える。
動く者は何でも口にする獰猛な肉食魚。

多摩川の自然と生物を長年研究している自然環境コンサルタントの山崎充哲さんは、定置網を1年中仕掛けている。
在来種の中に、過去にはナマズやアリゲーターも捕れたという。
刺し網漁でアリゲーターパイク捕獲に挑戦。
川の中ほどに向かい網を入れてゆく。
目印のウキを落として網のセットは完了。
魚を追い込むための石を拾う。
竹の棒で水面を叩き、魚を脅かす。
水中に石を投げ込み魚を網に誘導する
追い込み作業30分、網を引き揚げた。

捕れた魚はコクチバス(原産地:北アメリカ)
国が規定する特定外来種。
国の法律で放流してはいけないと決まっている。
個人で放流すると300万円の罰金。
お腹を捌くとたくさんの卵・・・胃袋にはアユの稚魚が・・・
バスはアユの稚魚を1日10〜15匹食べる。

高度成長期(昭和53年頃)には死の川と呼ばれるほど汚れていた多摩川、現在は下水処理技術の向上でアユが遡上するほど水質はよくなった。
しかし人間の放流によって住み着いた外来種がアユなどの在来種を食いあさり、生態系のバランスを崩している。
ノーザンバラムンディ(アロワナの一種 原産地:オーストラリア北部など)、ライギョ(原産地:朝鮮半島、中国など)、ピラニア(原産地:アマゾン川)などの外来種も多摩川で捕れたという。

なぜ熱帯の魚が?
国土交通省のデータによると多摩川の水温は20年前に比べ、およそ4℃上昇、その原因は家庭から流れてくる温かい排水。
生活が豊かになり、誰でも暖かいお湯を使えるようになったため、温排水が増加。
水温が上がった多摩川で、熱帯性の外来種が冬をこせるようになってしまったという。
さらに違法な放流により年間10万匹を超える外来種が多摩川に捨てられていると予想される。
そんな現状をなんとかしようと、6年前多摩川沿いの公園(川崎市菅稲田堤・稲田公園)におさかなポストを作り、捨てられる生き物を預かるようになった。
おさかなポストには1日50匹ほどのカメや魚が預けられてゆく。
山崎さんはおさかんばポストに預けられた魚の新しい飼い主を探す活動も行っている。
川崎市立生田中学校、水槽学部の皆さんは、山崎さんが定期的に届ける魚を部員みんなで大切に育てている。

Ecoなアート作品
●空き缶で作ったアート
ヾ未鮴擇辰織▲襯瀏弔坊浸罎鯏修襦
型紙通り切り取ったパーツを組み立てる。
長谷川和子さんは、空き缶のデザインをうまく活かす。

●果物屋さんが作るダンボールアート
|淵棔璽襪鮗蠅任舛り形を整えてガムテープでとめる。
▲ラフト髪をよくもんで軟らかくして表面に張り付ける。
8劼乾いたら絵の具やニスを塗って完成。
出来上がったキリン、顔の表情までなんともリアル。
渋い家具は木の質感。
田中和之「中にわざと空気を入れて押さえ込むとしわができる。それがリアルさになる。」

●オーストリア 超エコ奈高級車
ハーネス・ランゲダーさんが乗っている車、プラスチックパイプなどで骨組みを作り、ボディは金色に塗ったアルミホイル。
自転車のように足でこいで動かすので、排出される二酸化炭素はゼロ。
●新潟市 紙ひもアート
船岡和夫さんは米袋の口を縛る時などに使う紙ひも(再生紙)で作品を作る。
蒸気機関車、胴体から車輪、配管に至るまで精密に再現されている。
線路やその下の石まで紙ひもで表現。
細部まで作りこまれた雷門は、提灯までよくできている。

〇罎劼發鯢要な太さに割いてゆく。
円形の部品を作る時にはコップなどに巻きつけて接着剤で固める。
H直のものを作る時には接着剤を紙ひもの側面につけて合わせてゆく。
船岡「素材に惚れ込んでいる。これなら自分のイメージに応えてくれる。」

船岡さんのこだわりは半端ではない。
電車内にはつり革、特急電車には座席カバー・・・
作品は模型だけにとどまらず、数々の実用品もある。
組子細工の小物入れ、照明、時計、組子工芸の衝立・・・

●福岡県水巻町 1年中枯れない花畑
永沼幸子さんはペットボトルで花畑を作っている。
本物の花の間に花に見立てた美しいペットボトルフラワー・・・

,れいに洗ったペットボトルをハサミで切って花びらを作る。
花びらに色テープを貼ってキャップの部分をめしべに見立てて組み立てれば完成。

●ニューヨーク ビニール袋アート
Joshua Allen Harrisの作品は、地下鉄の吹き出し口から出てくる風を利用・・・

東京で自然を探そう!
■マロニエゲートの屋上菜園では、ハーブ、ベリー、はちみつ、枝豆などを育てている。
収穫した作物とハチミツは10階のレストランで食べることができる。

■白鶴酒造の屋上水田

■クラブのママたちによる銀座緑化部

■東京大学の研究室 ミドリムシの研究
螢罅璽哀譽・出雲充社長は東京大学と連携し、ミドリムシの研究をしている。
ミドリムシは二酸化炭素を吸収して光合成をし、酸素を出すという植物の性質と、動き回るという動物の性質を持つ微生物。
さらに光合成する際、体内にオイルを作り、それをエネルギー源として動いている。
つまり二酸化酸素を減らしながら、エネルギーの素を作り出すエコな微生物。
出雲さんは在学中にミドリムシの可能性に注目、オイルを新バイオエネルギーとして活用することを考えついた。
仲間と試行錯誤のすえ、大量に培養したミドリムシから特殊な方法でオイルを抽出することに成功。
ろ過して不純物を取り除くときれいな黄色いミドリムシオイルの完成。

化石燃料にミドリムシオイルを混ぜることで、化石燃料の消費を減らすことができる。
さらにミドリムシオイルの性質が、ジェット機の燃料に似ていることが分かり、ジェット機を動かす燃料としての研究が行われている。
その他愛媛県壬生川火力発電所と共同で、火力発電所から排出される二酸化炭素をミドリムシに吸収させる研究も進められている。
さらにミドリムシを粉末にして練りこんだクッキーも・・・
ミドリムシは植物性動物性合わせて59種類(ビタミン:14種類 アミノ酸:18種類 不飽和脂肪酸:11種類 その他:7種類)もの栄養素を含んでいる。
その栄養価の高さに注目して作った。
クッキー1枚に2億2千万匹のミドリムシが入っている。

■パソナグループ本社 アーバンファーム
自然との共生を目指し、外壁を緑のカーテンで覆って冷房の使用を減らしている。
またビル内の至る所で作物を育てている。

収穫したものは社員が社員食堂で食べるという究極の地産池消を実践。
米、トマト、ピーマン、シイタケ・・・

蛍光灯の使用量は半分だが、壁中にアルミホイルを貼り、会議室としても十分な明るさを保ち、トマトもアルミホイルの反射で育つ。

Eco まめ知識
●地球上の水は約14億k㎥・・・海水:97.5%  淡水:2.5%
淡水のうち氷河、地下水以外で生活に利用できる水は・・・0.01%
●カバはレッドリストの絶滅危惧種に指定されている。
種の絶滅速度は1年で40000種類、13分で1種類。

最新エネルギー事情
●世界1小さな国・バチカン市国の太陽光発電
サンピエトロ大聖堂のすぐ隣、パウロ6世ホール、広さ5000屬硫虻に2400枚のパネルがびっしり並んでいる。
発電した電気はホールの照明などに使われる他、周囲の建物にも供給されている。
元々環境ほどに熱心な現ローマ法王ベネディクト16世、メディアからはグリーン法王と呼ばれている。
バチカン市国の人口はおよそ800人、1人当たりの太陽光発電量が世界で一番多い国と言われている。

●九州大学の洋上風力発電研究
洋上風力発電といえば、海底に直接風車をたてるものが主流なため、大陸棚が少ない日本は不向きをされてきた。
しかし発想を転換し考えだされたのが浮体式洋上風力発電、巨大な風車を海の上に浮かべてしまおうという計画。
風レンズ風車:風車に輪っかをつけることで空気の渦が発生して風車の後ろ側の気圧がさがる。
すると空気が吸い込まれるように流れるため、風車の回転数が上がり、発電効率が2〜5倍増える。
これを巨大にしたものを海の上に浮かべる研究を進めている。
風車の大きさはお台場にある観覧車とほぼ同じ。

海に浮かべた場合の安全性についての研究も行われ、研究は確実に進んでいるという。
将来的には巨大な風車を載せた浮体を蜂の巣のように並べてゆく計画で↓のユニットで発電量約18万kw(原子力発電所1基の6分の1程度)、さらに大型の風力発電とソーラー発電を洋上で組み合わせて使う計画もある。
非常に効率の良いエネルギーファームが洋上でできる。

●相模原市JAXA 宇宙科学研究所の宇宙太陽光発電
地上での自然エネルギーの量は気象の影響を受け不安定。
宇宙での発電の場合、常時発電することができ、一定の電力を地上に送ることができる。
その仕組みは、まず地上から36000km離れた静止衛星軌道上に設備を打ち上げ、太陽光パネルを設置。
雲も夜もない宇宙で太陽光をタップリ集めてエネルギーに変換して地上に送る。
その発電量は原子力発電所1基分に相当する約100万kwと試算されている。
マイクロ波を使って地上に電力を送れば、雲があっても雨が降ってもほとんどの電力が大気を通過でき、97%程度の電力が地上に到達できる。

魔法のEco技術
■電気を使わない冷蔵庫
栃木県那須町、非電化工房、発明家・藤村靖之さんは、今まで1000以上の発明をし、600以上の特許を取得。
非電化冷蔵庫は放射冷却の原理を利用して冷やす。
放射冷却とは夜に地表の熱が奪われて温度が下がる自然現象。
この現象を利用して夜に冷蔵庫の中の温度を下げる。
そして日差しの強い昼間は断熱材で熱の進入を防ぐ。
さらに温度の変わりにくい水の性質を保冷剤代わりに使っている。
そのため電気を使わなくても冷蔵庫の中の温度は低い。
現在電力の少ないモンゴルの遊牧民のために非電化冷蔵庫を設置するプロジェクトも行っている。

他にも電気を使わない掃除機、換気扇・・・
藤村さんはもともと大手機械メーカーで電気に関わる研究をしていた。
長男がぜんそくになったことをきっかけに、環境への意識が高まり、電気に頼らない製品を作るにようになったという。

■大地の力を使った省エネエアコン
地中にアルミ製パイプ(5m)を埋める。
屋外の外気を吸い込みパイプを使い地中5mへ送り込む。
地中5mの温度は1年中ほぼ一定、関東地方なら15℃前後。
熱い外気は地中で冷やされ、小型ファンで家全体に届けられる。
一般家庭で夏の日中に消費される電力の53%がエアコン。
開発者ジオパワーシステム会長・橋本東光さん、ひらめきのヒントになったのは鍾乳洞(1年中温度が一定)、井戸水(夏冷たく冬温かい)。
斬新なアイディアは高く評価され、文部科学大字表彰、科学技術省を受賞した。

■どんなゴミでも跡形もなく消し去る。
ゴミを燃やすと二酸化炭素がでる。
場合によっては有害物質がでてしまうこともある。
燃えるゴミを燃やしてもすべては無くならず、灰などの廃棄物が残り、それを埋め立て地に埋めねばならない。
現在日本のゴミ埋め立て地の空き容量は東京ドーム約93個分(116.044千㎥)、20年以内に今ある埋め立て地はゴミで一杯になってしまうと言われている。
横浜市、東京工業大学、ゴミでもなんでも跡形もなくなくしてしまう装置。
鉄のパイプを装置の炉の中にいれると先端がなくなってゆく。
プラズマの力で金属がバラバラになったのだ。
プラズマとは自然界でも雷やオーロラとして見ることができる物質の状態のこと。
物質が10000℃の高温で原子レベルでバラバラになっている状態のこと。
つまりプラズマでゴミを分解すると物質を作る原子がバラバラになるため、跡形もなく消え去る。

分別しなくても金属でもプラスチックでもどんな有害なゴミでもプラズマの力でゴミを消すことができる。
このプラズマが実用化されれば、ゴミ焼却場から煙突がなくなり、埋め立て地もなくなるかもしれない。
さらに世界初のプラズマ技術も開発した。
水プラズマ、普通の水道水をプラズマ状態にすることができる。
水プラズマでゴミ処理することにより、ゴミから水素というエネルギーの素になるものを作ることができる。
つまり水を作っているH2Oと可燃ごみに入っているCという原子が水プラズマで一度バラバラに分解され、その後一酸化炭素と水素に変わる。

セコ&エコな裏ワザ
●パスタは余熱で茹でる
1人前を茹でる場合、水の量は鍋だと1.5リットル必要だが、フライパンだと500奸
パスタを半分に折り沸騰した湯にパスタを入れ、1分茹でた後火を止め蓋をして明記されている茹で時間放置すると出来上がり。
茹で卵の場合、鍋に水を入れて卵を入れ、沸騰させて1分間、火を止めて蓋をして12〜13分で出来上がり。
●扇風機の前に凍ったペットボトルを置けば風が涼しくなる
また、凍ったペットボトルを夏場停電した時、冷蔵庫の上段に入れると冷たい冷気が下に降りてくるのでしばらく保冷効果が期待できる。
ただし、凍らせるとペットボトルは膨張するので水は少なめに入れる。
●バナナの皮で靴を磨くときれいになる
バナナの皮の白い部分にはタンニンという皮をなめす時に使う成分が含まれている。
●Tシャツを冷蔵庫に入れておけば着たときにヒンヤリ気持ちいい。

やっかいもので町おこし
千葉県印旛郡、印旛沼で巨大外来魚が異常繁殖。
戦時中、食料不足を補うため中国から輸入されたが、戦後食糧事情が改善し、日本人の口にはあまり合わないということで捕獲されなくなり、印旛沼で大量繁殖。
網を引き裂くなど漁網の被害が大きい。
地元の容姿たちは自費で外来魚を駆除。
しかも外来魚は豊富なプランクトンを餌に巨大化、本来沼に住むフナやコイの生息域を侵し、生態系を脅かすまでになったという。

ハクレン、大量捕獲できるが、食べるには臭いがきつく、漁師たちはその処理に頭を悩ませていた。
そこで漁師、商工会、町が一丸となって試行錯誤を重ね、地元食品会社の協力を得ることで特別な調味料を考案、見事独特の臭みを消すことに成功した。
やっかいもののハクレンをどうにかしたい、地元の人達の強い思いから生み出されたのがハクレンのフライ。
割烹金田屋ではハクレンを使ったメニューが出されるようになり、新たな町の名物として人気を博すまでになった。
生態系のバランスを崩し、やっかいものとされてきたハクレン、町の人のアイディアと努力により、ハクレンは今後町おこしの救世主となるかもしれない。

エコ豆知識
■砂漠化を食い止めようと研究が進められている納豆。
納豆樹脂と水を混ぜるとゲル状になる。

樹脂とヘドロを混ぜたペレットを土に混ぜれば、乾燥地や砂漠地帯でも野菜栽培が可能になる。
しかし、ただそれだけではつまらない。吸水性でひらめいたのは紙オムツ。「健康食の納豆を食べて長生きした人、必ず下(しも)の世話が必要となってくる。そこで納豆樹脂を使った老人用紙オムツをしてあげる。使い終わると、それを船に積んでシルクロードの砂漠に埋める。すると約5000倍保水力で砂漠の緑がよみがえる!」

現在、紙オムツ原料のパルプメーカーなどは、熱帯雨林などの木材伐採で温暖化を加速すると厳しい目にさらされている。
しかし、納豆ポリマーによるオムツなら砂漠に埋設する最終処分により、砂地は目を見張る保水力を確保し、緑の沃野に変貌するのだ。さらに生分解性なので公害も汚染もゼロ。
四方が丸く収まる。

■世界中の森林は約40億ha(地球の陸地の約30%)。
1990年代の森林減少は1年に平均1460万ha、世界中で東京ドーム1個分の森林がなくなる時間は約10秒。

カリスマEco達人
●福岡県宗像市 大谷光男
宗像市は市民ぐるみで環境に取り組むecoの町。
資源ごみの13分別を実施。
週3階の回収日には多くの市民が資源回収所にやってくる。
大谷光男さんの自宅、自家発電で電気代はタダ・・・
巨大ソーラーパネルの最大発電量は8.7kw(テレビ55台を一度につけられる電力)。
余った電気を売ってお小遣い稼ぎ・・・売電で年間20〜30万円程度の収入があるという。
さらに水道代もタダ、飲み水や料理に使う水は、地下40mからひいた井戸水を利用。
井戸水をくみ上げる電気ポンプの動力は、太陽光発電の電気。
家庭菜園での水撒きには雨水を使っている。
全部で4つの雨水タンクを設置し、畑仕事や掃除、洗車に使っている。
生ごみはコンポストでたい肥にし、野菜を育てるのに利用している。
風呂の水も井戸水、電気料金が安い夜間の電気でお湯を温めている。
大谷さんはなぜEcoにこだわるのか?
北九州洞海湾、昭和45年頃、工業排水が流され、生き物が生きられない死の海と呼ばれていた。
しかし洞海湾の近くで暮らす人々が10数年かけた浄化活動により、洞海湾に生き物たちが帰ってきた。
当時洞海湾近くで働いていた大谷さんは、海が蘇るさまを目の当たりにした。

徹底した節電、達人の家にある電化製品には必ず消費電力を書いたシールが貼られている。
そうすると自ずと節電する気になるという。
クーラーは使わず、代わりに4人家族に4台の、自分専用扇風機がある。
冷蔵庫の扉を開ける回数を減らすため、中に入っている物をメモし冷蔵庫に貼っている。
冷蔵庫の中身はいつも決まった場所に同じものを入れておき、探す時間を減らすよう整理整頓。
夏と冬で設定温度を変えている。
また定期的に地域の子供達を集め、環境学習を開いている。

●米子のエジソン 清水谷繁
自宅の一角にFUDEN研究所を作り、自然エネルギーを利用した発電マシーンを作っているEco発明家。
今までにその発明で数々の賞をとっている凄い人。
Eco発明.Εーキング発電システム:ウォーキングするときに手を振ると、そのエネルギーを使って発電する。
貯めた電力でライトがつき、ラジオも聴ける。
Eco発明⊃瓩竹式ダイエットシステム:息を吹く力で発電しながらダイエット効果もある。
こうして貯めた電力は、夜本を読む明りなどとして使える。

Eco発明H電式肩たたき:肩を叩くと明かりがつくため、子供たちが喜んでおじいちゃんの肩を叩き続けてくれる。
Eco発明ぅラスおどし:農家の必読書『現代農業』にも載った。
太陽エネルギーを遣い畑の中で鳥を脅かすことができる。
その他家の中には発明品がたくさん。
Eco発明ゥ疋△魍け閉めする力を利用して発電するシステム

屋根の上に取り付けられた5基の大きな風車や太陽光パネルで太陽光パネルで自家発電しており、発電した電力はバッテリーに蓄電して家庭のおよそ半分の電気を賄っている。
発電した電力を管理する装置もある。
清水谷「同じ風は二度と吹かない。風にロマンを感じる。」

植物に秘められた驚きの力
●NPOチェルノブイリ救援・中部、菜の花の力で土壌の放射性物質を収集する試みが行われている。
●アフリカモーリタニア、鳥取大学乾燥地研究センターは、乾燥地で野菜を育てる研究を行っている。
●岩手県盛岡市、石の間から生えている石割桜、今も石を割りながらしっかり成長し続けている。

植物には人間の創造をはるかに上回る力があるのだ。
2011年は国連が定めた国際森林年、地球規模で森林の減少や劣化の防止を考えようという年。
地球で生きるすべての動物たちにかけがえのない恵みを与えてくれる森林、その広さは全陸地面積の約30%を占めている。
そんな森林の持つ力に注目したのが畠山重篤さん。
職業は漁師、海の男がなぜ森林の力に注目したのか。
畠山「森、川、海の関係がちゃんとしていれば、黙っていても魚介類、海藻は獲れる。」
森、川、海の関係とは?

宮城県気仙沼市唐桑町、昔からカキの養殖が盛んな町。
実の大きいことが特徴で、生食用として評判が高く、高級料亭などで使われている。
畠山さんはこの町で父親の代から牡蠣の養殖を営んでいる。
しかし今から40年ほど前、自慢の牡蠣が育つ海で大きな異変が起こった。
高度経済成長を続けていた当時の日本、生活排水などが川や海を汚染した。
その結果赤いプランクトンが大量発生。
いわゆる赤潮。
畠山さんが育てた牡蠣もその被害を受けた。
牡蠣はプランクトンを餌にして成長するため、実が真っ赤に染まってしまった。
血ガキと呼ばれ、売り物にならず廃業する仲間が増えた。

そんな中海外視察を行った畠山さんは、海が森と密接に関係していることに気付いた。
秋に山の木々から落ちた枯葉は腐葉土となり、土に栄養を与える。
栄養分は湧水や地下水へと溶け出し、川から海へと流れる。
海ではプランクトンがその栄養分を吸収。
その結果プランクトンを餌とする牡蠣が大きく育つ。
しかし海に栄養をもたらすはずの山自体の荒廃が進んでいた。
木材の確保のため、森が杉の人工林に変えられた。
その後林業の衰退と共に手入れされなくなったからだ。
海を蘇らせるためには再び森を作らねばならない。
畠山さんは漁師仲間と『牡蠣の森を慕う会』を設立。
こんな言葉が生まれた。“森は海の恋人”
この言葉をキャッチフレーズに20年以上前に始めたのが気仙沼湾上流の山での植樹。
この活動が人々の環境意識を変える結果となり、海にも変化が表れ始めた。
毎年6月に行われる植樹祭は回を重ねるごとに参加者が増え、去年はおよそ1000人が集った。
その活動は今では小学校の教科書にも掲載され、多くの子供達が森、川、海の関係を知ることとなった。
畠山さんは人々の心にも木を植えてきたのだ。

こうして見事に蘇った気仙沼の海と牡蠣、しかし・・・
3月11日東日本大震災、自身と津波が気仙沼を襲った。
特に港の被害は深刻で、牡蠣の養殖施設はほとんど流された。
畠山さんは今どうしているのだろうか?
この海で働く漁師たちは当然海の近くに家や仕事場があるため、津波の被害を直に受けてしまった。
畠山さんの家は高台にあったので被害を免れた。
しかし仕事場は・・・
牡蠣の養殖に欠かせない、70もあったというイカダも波が飲み込んでしまった。
仕事場が全てもとに戻るまでには2年以上の歳月がかかるという。
津波が畠山さんから奪ったものは他にもある。
森、川、海の関係を子供達に教える環境教室。
畠山さんがライフワークにしている活動の1つ。
その拠点にしていた家は・・・
残っているのは土台だけ。
市内の高齢者施設に入居していた母・小雪さんも津波で命を落とした。
海と寄り添って生活してきた畠山さんは、その海にすべてを奪われた。
畠山「海を恨んでいる人は1人もいない。
生きる道は海しかない。」
畠山さんはすでに新しい1歩を踏み出している。
昔から付き合いのある業者から牡蠣の子供である種牡蠣を仕入れ、育てている。
畠山「貝の先が白く伸びている。
1ヶ月こんなに伸びた。
海は回復している。」
元通りの海を取り戻そうと、唐桑町の漁師たちは力を尽くしている。
水産庁の支援を受けて瓦礫の撤去作業を進めている。
大きなクレーンを載せた船での瓦礫の撤去は気仙沼市が行っている。
1日も早く漁場を再生したい、それが海に生きる人々の共通の思い。

去年まで毎年植樹祭を続けてきた森へ。
森と海をつなぐ大川、震災の爪痕は残っているが依然と変わらぬ清らかな水の流れ。
畠山「川の役割は森の養分(葉が落ちて腐った腐葉土)、この中に海のプランクトンを育てる大切な養分が含まれている。
それを運ぶ、人間の体でいえば血管のような働きをしている。
地元の人も大川をひとつの誇りにしている。」
大川には秋になると7万匹もの鮭が遡上する。
気仙沼湾から川をさかのぼることおよそ25km、矢越山、植樹祭の会場。
赤い印のついた杭が植樹した木の目印になっている。
“ひこばえの森”植樹祭のセレモニーをする広場、今まで植えた木のマップがある。
植えた樹種は44種類ある。
杉の木だらけの山を落葉樹の雑木林にするため、様々な木を植えた。
広場には山が豊かになった証がある。
大川を経由して流れてきた水、冷たくておいしい。
植樹祭の開催は毎年6月、震災に見舞われた今年、上流の室根町の人達が震災復興の意味でぜひやりたいと言い、畠山さんは迷った末開催を決意した。
畠山「この活動が日本全国に広がることが願い。
そうすると日本は蘇る。
森、川、海さえちゃんといしておけば、もっと良い国になるのだ。」

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本当のエコを考える地球旅行〜明日へのチカラ

今この瞬間にも破壊され続けている地球環境。
未曽有の大震災に見舞われた日本、私達は今地球に生きていることをかつてないほどに感じている。
だからこそ今考えたい。
本当のエコとはどういうことなのか?
伝説のスピーチ・・・
1992年地球サミット、国同士の利害関係がぶつかり、難航する中、12歳の日系カナダ人少女セヴァン・スズキさんのスピーチが注目を浴びた。
「ここに来た目的は明確です。
自分の未来のために戦いに来ました。
未来をなくすことは選挙に負けたり、株で損することとは違います。
今私達は動物や植物が日々絶滅してゆくのを耳にします。
絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、砂漠にどうしたら森を蘇させられるのか、皆さんは知らないでしょう。
もし手だてがないのなら壊し続けることをもうやめてください。
私はまだ子供ですが、ここにいる誰もが1つの家族一員であると知っています。
50億以上の人間からなる、いや実は3000万種類以上の大家族です。
なぜこの会議にでているのか、どうか忘れないでください。
一体誰のためにこの会議を開いているのか。
それは皆さんの子供達のためです。」
シンプルでまっすぐな訴えに各国首脳達も思わず言葉を失ったという伝説のスピーチ。
我々は誰のために何のためにエコをするのか、そして今本当のエコのあり方を見失ってはいないだろうか。

キューバ共和国
日本人にとって一般的なキューバのイメージは・・・
フィデル・カストロ前議長「アメリカは自由民主主義、人権について話すモラルもなければ権利もない。」

日本とは違う社会主義国家、長年キューバはカストロ前議長を中心とする一党(共産党)独裁体制をしいてきた。
さらに徹底した反米主義を貫いており、アメリカとは隣同士なのに犬猿の仲。

そんなキューバが知られざるエコ大国?
首都ハバナ市内、車で走っていると目にする看板に描かれているのはブッシュ大統領、“テロリストを保護する人はみんなテロリストだ。”
“先進国がやっていることは意味不明”

キューバはオリンピックでもメダルの常連、世界屈指の野球大国。
国民は皆大の野球好き。
真昼間からの野球談議はキューバの風物詩。

行列を発見、その先には使い捨てライター専門のリサイクル店、どう見ても元気をとどめていないライターもその手にかかれば見る見るうちに復元。(日本では分解、改造は禁止されている。)
“買った方が早い”と日本人なら思ってしまうが、キューバではこうした修理やさんの町が至る所にある。
物を繰り返しつくのはキューバでは当たり前。
なぜ私達はすぐ新品を求めてしまうのか?

クアトロカミーノ市場はハバナ1大きい生鮮市場。
朝早くから買い物客でにぎわう庶民の台所。
アイスの容器に生姜が盛ってある・・・量りの代り?

花屋さんではペットボトルに穴をあけてジョウロ代り?花瓶もペットボトル・・・
なぜキューバの人達はここまでリサイクルを徹底しているのか?
住民「キューバ人は使えるものはどんなものでも大切にする習慣がついているから。」
「町から突然ものがなくなった経験をしているから。」
アメリカとは対立しているキューバだが、昔は同じ社会主義国のソ連から支援を受けていたので、それなりに豊かだった。

ところが1991年、頼みの綱だったソ連が崩壊し、突然物資の輸入がストップしてしまった。
当時キューバでは8割近いものをソ連からの輸入に頼っていたため、あっという間に国家的危機に陥った。
エネルギーとなる石油の輸入がストップしたのをはじめ、町から日用品から食料品に至るまで消え、生活は大混乱に陥った。

突然訪れた大ピンチをどう乗り越えるのか、その時キューバはある大転換を行うことになった。
国のあり方そのものを見直す一大決心に踏み切ったのだ。
それがスペシャルピリオド:国家危機を機に大量消費社会からエコ国家への大転換を図った。

踏み切ったのは当時の最高権力者フィデロ・カストロ前議長。
“貧困や飢餓をもっと少なくするためには、贅沢な浪費をもっと少なくすることが何よりも大切なことだ。
環境を破壊するライフスタイルや消費習慣はこれ以上続けてはいけないのである。”

エコ国家へ転換するため、様々な政策を実施。
現在でも国営放送で流れているのは節電啓発のCM、1日中節電を呼びかけている。
街にある店内は暗い、外が明るいうちは電気をつけないことにしているという。
奥のテラス席は明るいが、電気を節約するために屋根を取り壊し、昼間は光が入るようにしたという。
一般家庭では・・・政府が全世帯に省エネ電球を無料配布、1つの電球を家のあちこちに付け替えて使っている。
でも住民は陽気に笑って話す。

こんな節電生活を20年も続けているキューバ、それでも国は環境によい自然エネルギーにこだわった発電を目指しているという。
なぜ?
キューバ環境庁ヒセラ・アロンソ総裁「石油などの資源に頼るのではなく、持続可能なエネルギーを作り出す国家を目指している。
現在27000もの自然エネルギーを活用する設備を運営している。」

日本と同じく石油などの資源が乏しいキューバ、輸入が止まればすぐさまエネルギー危機に直面する。
しかし太陽光や風力など、自前のエネルギーなら失うことはない。
それはいざという時の備え。
とはいえこうした自然エネルギーだけですべてを賄うにはまだまだ課題も多いという。
それでもキューバはエコ国家へと突き進む。

人だかりを発見、トラブルか?
そこには1台の車、ギュウギュウ詰め・・・
ここはヒッチハイク乗り場、ヒッチハイクする人が喧嘩にならないよう、車の整備をする人は国家公務員。
キューバでは国がガソリンの節約を目的にヒッチハイクをシステム化している。
行き先と同じ方向に向かう車は基本的に載せなければならないというルール。

知らない人の車にのることに抵抗はないのだろうか?
「目的地が一緒なんだから、とても効率的でいいんじゃない?」
載せるほうは・・・「気にならないよ。」
一体どれくらい待つのか?「せいぜい5〜6時間かな。」

乗合タクシー:ガソリンを節約するため、乗車人数がそろうまで出発しない。
キューバの車のほとんどは60年以上前のクラッシクカー。

使えるものは何でも使う、食料自給策もエコ。
世界が注目するキューバ流有機農業。
キューバが有機農業にこだわる理由とは?
1980年代までは化学肥料と農薬を使う大規模農業だった。
肥料やトラクターの燃料はほとんど輸入に頼り切っていた。
ところがソ連の崩壊で輸入が突然停止(1991年)、農業が立ち行かなくなった。
食料危機を乗り越えようと政府は輸入に頼らない有機農業へと大転換を図った。
農薬や化学肥料を一切使わない有機農業で生産性をあげるのは非常に難しい。
しかしキューバは今や有機農業で世界トップレベルの技術を持つと言われている。
アラアール協同農場ミゲル・サルシネス「野菜を蝕む害虫はもともと匂いで集まってくる。
だから違う匂いの花を複数植えて害虫を錯乱させ、野菜に寄せ付けない。」

牛耕:トラクターの代わりに牛を利用した伝統農法。
ミミズはキューバの有機農業に欠かせない生き物。
「ふつうは牛の糞でたい肥を作るが肥料として完成するまでには半年はかかってしまう。」
そこで考えられたのがミミズを使ったたい肥農法。
ミミズの糞には肥料の最大成分窒素が牛糞に比べおよそ2倍も含まれているため、牛糞をミミズに食べさせれば栄養が倍増する。
しかも牛糞をそのままたい肥にするよりもミミズを使った方が短期間で良質な肥料になるという。
資源に頼らない有機農法はピンチに強い。
さらに自然界に思わぬ変化も・・・
環境保護に力を入れてきたおかげでキューバには今、絶滅危機にあった鴇が戻ってきている。

オーストリア
首都ウィーンはモーツァルトやベートーベンが活躍した音楽の都として知られている。
オーストリアは環境保護に力を入れている。
シティバイク:ウィーン市が行うレンタル自転車システム、登録すればだれでも借りられる。
1時間以内に返せば無料、市内50ヶ所以上、どこにでも返却できる。
ウィーン市は大気汚染を防ぐなど、環境面から自転車利用を推進。

ペレットストーブ:ペレットとは木材工場ででた端材、おがくずなど廃棄する物を圧縮して作ったもの。
50kgで3ユーロ(約350円)(灯油の半分以下のコスト)
排気で硫黄酸化物をほとんど出さない環境に優しい燃料を使った注目の家電。
35万円〜、購入時に35%まで補助金がでる。
冬は最低気温-10℃にまでなるオーストリアにとってストーブは全ての家庭で使うもの。
ストーブのエコ対策は大きな効果、国も補助金を充実させている。

レッヒ村、アルプスの良質な行くどけ水と緑に囲まれたヨーロッパで一番美しい村。
人口「1400人ほどの小さな村ながら、世界の王族が訪れる高級リゾート地。
生前ダイアナ妃も度々訪れたという。
さらに冬は一面白銀の世界。
映画『ブリジットジョンズの日記 きれそうなわたしの12ヶ月』でも使われた世界的スキーリゾート。
ヨーロッパの由緒あるコンテスト、アンタントフローラルでもっとも美しい村の称号を得た。
地下駐車場:レッヒ村の厳しいルールで観光客の車は街中に止めてはいけない。
駐車場自体がない。
観光客が十分泊まれるだけの駐車場を地上に造ると自然豊かな村の景観を壊してしまうから、1973年に造られた。
当時の車は今のように技術が進んでおらず、排気ガスを多く出していた。
歴史的なたたずまいを持つ教会の下も、地下3階、650台収容の巨大駐車場。
レッヒ村元観光局長フーベルト・シュヴェルツラー「レッヒ村ではどこでも川の水が飲める。」
川の上流にある水源地域は関係者以外の立ち入り禁止。
さらに土地開発も禁止されている。
環境を徹底して守っているからこその水質。
山頂付近オーバーレッヒ地区のすべてのホテルがトンネルでつながっている。
自然を守りたかったから山の上に道路を作ろうと考えなかった。
トンネル内は電気自動車で移動。
村の自然環境を守ったトンネルシステムだが、作り上げるまでには多くの苦難があった。
トンネルプランを考えてからすべての関係者を説得するまで10年かかった。
建設費は10億円、賛同してくれた各ホテルのオーナー、住民皆でお金を出し合った。
結果的にトンネルができてから宿泊数は30%アップした。
目先の利益に捉われない、先を見据えた開発によって、緑豊かな自然を守り、高級リゾート地へと発展した。

レストランにもエコの秘密がある。
牛フィレ肉のグリル、チーズがけのパスタと共に。
シカ肉のステーキ、コケモモジャム添え。
オーナーシェフ、マーダーさん「肉、乳製品、野菜などの食材は地元の農家から仕入れたものだけを使っている。
レッヒ村のレストランやホテルはみな地元の農家をサポートしたいと思っている。
何故なら彼らが農家を営むことでこの村の自然を守ってくれるから。」
地域で生産した者を地域で消費することで輸送にかかるエネルギーを削減するなど様々な環境利点があり、何より地域経済が活性化する。
観光地としての経済発展と自然を守るエコを両立するレッヒ村、こうした選択の背景には何があったのか?
レッヒ村ルードヴィック・ムクセル村長「今から20年前、我々は大きな決断を迫られた。
レッヒ村がスキーの世界選手権開催地に要請された。
当然それは名誉なこと。
ただ世界選手権受け入れに対しての住民投票の結果は圧倒的に受け入れ反対だった。
開催地になれば新たな土地開発を行うため自然を壊すことは避けられない。
開催地を拒否することで、美しい自然を守ったのだ。」
そこにあるのは自然を守るための広げ過ぎないという理念。
リフト券、発売枚数を14000枚までに限定、観光客の数を制限している。
新しく造られた巨大施設に木くずの山・・・
木質バイオマス地域暖房システム:村の木材工場などから出る木の屑や皮を燃やして熱湯を作っている。
その熱湯がホテルや家庭にパイプラインで送られ、熱エネルギーが暖房などに使われる。
各家庭の使用量は回線を通じてコンピュータールームで管理している。

小笠原諸島
おがさわら丸、小笠原諸島、父島へ行くにはこの定期船のみ、約25時間の船旅。
東京・竹芝から南へおよそ1000km、大陸と一度も陸続きになったことがなく、動植物は独自の進化を遂げた。
今世界自然遺産に登録されようとしている。
父島は小笠原諸島の玄関口、面積約24k屐⊃邑約2000人。
自然目当ての観光客も多い。
この島の生態系の危機とは?

↑タコノキ  アカガシラカラスバト(通称あかぽっぽ)
森の入り口には種子除去装置がある。
靴の裏、ズボンの裾には知らないうちに外来植物の種子がついている。
それを森に持ち込ませない。

小笠原諸島では外来種の拡散を防ぎ、固有種を保護している。
さらに森に入る人を統計調査、生態系の保護を徹底している。
森の中に入ると・・・固有種シロテツ、マルハチなど一見豊かな自然にあふれる。

しかし・・・グリーンアノール:米軍の物資に紛れて持ち込まれたとされる。
場所によって緑や茶色に変色、それが今父島と母島の至るところに生息し、問題になっている。
小笠原にはもともと、例えばトンボは5種類いたが、これらの固有種は絶滅した。
受粉してくれる虫がいなくなると、花が咲いても実がつかなくなり、固有の植物もいなくなる可能性があり、グリーンアノールがたくさんいると生態系が壊れてしまう。
港近くでは対策が取られている。
アノールトラップ(粘着剤付のワナ)を仕掛けグリーンアノールを駆除、他の島へ飛び火させない狙い。

外来種は固有種を追い詰めるだけでない。
地元特産の小笠原コーヒーの農園で島の産業も脅かす深刻な事態が・・・
野生のヤギ(ノヤギ)(人間が持ち込んだ外来種)が農園近くの山に出没・・・
農園ではノヤギから苗を守るため、電気柵をはっている。
現在ノヤギは父島の至る所に出没し、人里近くの草木を食い荒らしている。
被害はこれだけにとどまらない。
小笠原諸島の無人島・媒(なこうど)島、土砂崩れのようになっているがヤギが食べてしまうと下の植生が荒れて、さらに雨が降り赤土が崩れてしまう。
元々森林があったような場所、赤土がどんどん流れて行ってしまうと小笠原が誇る青い海も錆びたような色に・・・

小笠原諸島の入り江にはサンゴが発達している。
サンゴの上に赤土がかぶってしまうとサンゴが太陽光を浴びることができず死んでしまう。
サンゴにはいろんな生き物が頼って生きているので、そこを住処にしていた魚たちもいなくなってしまう。
現在媒島はノヤギの根絶に成功、緑が戻りつつある。
父島では森に柵を張り巡らし、外来種が入らない対策も行っている。
森の固有植物を守るために外来種植物の伐採活動も行われている。
気の遠くなる進化の中でその地域にあう生き物が生き残り、生態系を保ってきた。
しかし今、人間の都合で外来種を移動させ、生態系を崩している。
そしてそのつけは我々人間に戻りつつある。

↑固有種グリーンペペ、ムラサキオカヤドカリ
小笠原には希少な生物を守るため、無人島で保護活動をしている男がいるという。
父島から北におよそ70km、聟(むこ)島、上陸できる人数には制限がある。
島目前で船はストップ、ここから先はゴムボートでしか進めない。

三階鳥類研究所、出口智広博士、絶滅の危機に瀕したアホウドリを育てている。
個体数は全世界でおよそ2700羽、その8割が鳥島に生息している。
だがそこは火山噴火の危険性がある。
出口博士の活動は新たに安全な生息地を作るため、鳥島からヒナの一部を聟島に移し育てること。
親鳥の模型(デコイ):巣立ったヒナが空から見てもここは生息地だと分かる。
さらに絶えず鳴き声を鳴らし呼び寄せる効果も狙っている。

ヒナは成長し、巣立ちを待つ段階。
体重を減らして羽ばたきの練習をしている。
親鳥のいない聟島では、人間が親代わり。
1羽1羽給水してやる。
毎年10〜15羽のヒナを聟島に運んでいる。
出口さんたちは親鳥に代り、巣立ちまでヒナを育てる。
そして今年、3年前に巣立ったヒナが「6羽、聟島に帰ってきた。
出口「アホウドリは約100年前に人間が羽毛を採取するための乱獲によって絶滅の縁まで追い込んでしまった鳥。
1度絶滅した種は2度と復活しない。
私達の手で復活させつことが責務。
鳥は多様な自然環境を利用している。
そのため環境の健全さを示すバロメーターと考えられている。
だから鳥が棲めない環境というのは人間は住むことはできない。」
【絶滅危機の世界の動物達】
ピンタゾウガメ:体長約1.2m、かつて絶滅したとされたが、1970年にガラパゴス諸島で1頭だけ再発見。
名前はロンサム・ジョージ(孤独な寂しいジョージ)

リクイグアナ:ガラパゴス諸島、イザベラ島に生息。
2年前に新種として認定、卵は産んでいるが人間が持ち込んだネズミが卵を食べてしまい、繁殖できない。

コモドオオトカゲ(通称コモドドラゴン):体長約3m、体重は140kg以上にもなる。
時速18kmで走り、大型の水牛、人間さえも襲う。
森を切り開いて農業するので彼らの餌が少なくなる。
また森を切り開くと乾燥化が始まる。
益々生き物が生きられなくなる。
コモドドラゴンは常におなかをすかせており、木の上に食べられそうなものがあると感じ立つ?

ブータン王国
国民の97%が「幸せ」だと言う。
ブータンは生活の豊かさを表すGDPが世界ランキングで156位(182ヶ国中)。
経済的には豊かではない。
発展途上国の人達が幸せだと言うのはなぜ?
ヒマラヤに囲まれた国、唯一の国際空港パロ国際空港は山の中、飛行機は山を巧みにさけて降りる。
着陸がもっとも難しい空港。

ブータンは世界初の禁煙国家、2004年煙草の国内販売が禁止、持ち込みには関税が200%。
1箱まで、2箱目からは没収。
ブータンは外国人観光客には政府が認定したガイドがつくことが義務。
さらに政府からの証明書の取得や詳細なスケジュールの提出も義務。
でもなぜ?目だった輸出産業がない中、観光は外貨獲得の重要な産業なのに・・・
観光客の勝手な行動による自然破壊を防ぐのが目的。
Ecoと幸せはどう結びつくのか?
首都ティンプーへ向かう高速道路、ブータンの中で一番良い道、牛も人も歩く。
首都近郊の標高は約2600m、素晴らしい景色。
首都ティンプー、伝統文化を守るため、学校や職場など公の場で民族衣装の着用が義務。
ブータンの民族衣装、男性用はゴ、女性用はキラと呼ばれる。
手織りの民族衣装は1着仕上げるのに約14ヶ月もかかる。

食堂、エマ・ダチ(青唐辛子のチーズ煮)・・・激辛。
バクシャ・パー(大根と豚肉の唐辛子煮)
ブータンは山岳地帯で海はなく、昔から塩が手に入りづらかったので味付けには唐辛子を使う。
交差点、町の景観を守るため、信号機は1つもない。
代りに警察官や係員が誘導。
譲り合えば事故は起きないという。
道路の真ん中で犬が寝ている。
ブータン人は生き物すべてを大切にする。
伝統文化を守るため、法律で建物のデザインが決められている。

歌を歌いながら建設作業をする人。
ブータンでは勝手に木を切ってはいけない。
政府が許可したものしか流通しないため、木材が不足することがある。
ブータンでは法律で国土の60%以上の森林保護が決められている。
木材を売れば経済的に豊かになるのだが・・・
いくら森林保護とはいえ、家を建てる木材が手に入らなかったら不満がでてもおかしくない。
「そういう法律があるから森が守られるのだ。」
ティンプー最大の市場。
オラチョット:カラスの口と呼ばれるウリ科の野菜。
食材は新聞で包む、ビニール袋は使用禁止、皆マイバックを持っている。
義務や規制が多いのに不満がでないのはなぜ?
外国のもっと便利な文明のものが入ってきていないから、その中で幸せと思えているのか?

CD屋さんでは欧米に楽曲が近年急増、携帯電話やテレビも普及、ケーブルテレビを通じて世界中の番組を60チャンネル以上視聴可能、インターネットカフェやテレビゲームもある。
便利な文明を知っていてあえて求めない。
「家族みんな健康で元気だから幸せ。」
「仕事がうまくいっているし子供が病気をしないから幸せ。」
皆が本当に幸せと口をそろえる。

その理由は・・・・・・・GNH(Gross National Happiness)国民総幸福両:経済的な豊かさだけでなく、精神的な満足度を優先させるという考え方。
GNHを進めるための大きな要素の1つが環境保護。
電力の99%を水力発電で賄う。
国土の60%以上を森林として維持。
ビニール袋の禁止。
民族衣装や建物のデザインなど、伝統文化を大切にする・・・

ポプジカ村、夜20時、村は真っ暗。
この村に毎年、絶滅危惧種の鶴が飛んでくる。
鶴が飛ぶのに邪魔になるので電線をひくのを止めたという。
代りに主な電気は自家発電や太陽光発電でまかなっている。
現在発電所から山を迂回し電線を地下にひく工事が進んでいるがまだ工事中なので、家庭の家の電力メーターもメモリはゼロのまま。
村人「電気も大事だけど電線のせいで鶴が来なくなったら寂しい。」

ブータンで学校や会社などが合同で販売している水『Bhutan for Japan』、売り上げの一部が義捐金として贈られている。
裏には“今こそ恩返しするチャンスです”と書かれている。
ODN(政府開発援助):1964年以降日本からブータンへ約453億円が贈られている。

小学校ではGNHの考えに基づき、毎週1時間、環境の授業がある。
母国語はゾンカという言葉だが、すべての授業は英語で行われている。
国際社会で通用する人材を育てるためだという。
先生「新鮮な空気はどこから来ますか?」子供達「木」先生「そう、だから自然を守ることが私達の幸せにつながるのですよ。」
校長「自然を大切に守っていれば、例えば辛いことがあった時、花や緑が私達の心を幸せにしてくれる。」

ジュカ村、農家にもすでに電気は通っているが、主な電化製品は炊飯器、冷蔵庫、テレビくらいしかない。
掃除機や洗濯機はなく、家事の負担は大きい。
「家族みんなで元気に暮らしてなんでも一緒に話せる。
悩みも喜びも全部話せるから幸せ。」
豊かで便利ってなんだろう?
ブータンも少しずつ国が豊かになりつつある。
でも決して求めすぎない。

風呂を沸かすのもひと苦労、薪割は重労働、石を焼いてそれを入れて風呂を沸かす。
薪割から4時間後、やっとお風呂に入れる。
しかし充実感・・・

家族そろって夕食、お父さんが取り分ける。
手を使って食べる。
ブータンの人は特別にエコを考えているわけではない。
本当に大切なものだけを大切にしているだけ。
ブータンのお父さんが心がけていることは?
「幸せとものがたくさんあるのは別のこと。
まずは親を大切にしなさい、そうすればきっと幸せになれるはず。」

ブータンの首相・ジグメ・イェゼル・ティンレイ、GNHという政策を始めた理由は?
「我々は経済成長や物質的な豊かさを追求する過程で心の問題が大切なことを忘れてきた。
そこで幸せを生み出す環境づくりのためには精神的な部分が大切だと思いGNHの考え方に至った。
幸せと環境には非常に大切な関係がある。
健康であってこそ幸せを追求できるのだが、私達の体は自然の要素で構成されている。
もし自然が破壊されたら私達の体も持ちこたえることができない。
多くの人は幸せと喜びを混同していると思う。
喜びは感覚が満たされた時に感じるもので、すぐどこかへ行ってしまう。
これは幸せとは違う。
幸せとは長く続くもの、私は家族に恵まれている。
そしてとても平和な国に住んでいる。
今なお自然が豊かな国。
だから私は幸せだと思う。」

本当のエコは共生、共に生きること。
共生するためには一番強い人が譲歩しなければいけない。
地球の中で一番威張っていて一番強くて全部の生物を絶滅させることができる力があるのは人間。
だからやりたい放題もできるが、じっと我慢して他の生物のために自分の力をあげる、それが幸せにつながってゆくのだ。
自分も幸せになり、地球の他の生き物も幸せになる。
人間の体の中も自然なのだ。
自然によって人間の体が健康でいられる。
Eco=環境保護=生き方、義務だと思わずにできるものがエコとエゴの差ではないだろうか。

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先住民の叡智に学ぶ★天空の湖で究極の地産地消★アンデスの民

南米アンデス山脈のほぼ中央、標高3890mに位置するチチカカ湖。
かつて栄華を誇ったインカ帝国発祥の地。
チチカカ湖に降り立ったとされる初代皇帝Manqu Qhapaq 、今も湖に生活する人々を見守っている。
チチカカ湖に暮らす先住民族は湖から様々な恵みを受けてきた。
限られた資源を最大限に活かす彼らの生活。
環境問題が深刻化する今、私達に様々な知恵を伝えてくれている。

月尾嘉男(東京大学名誉教授)「日本には江戸野菜、京野菜、加賀野菜、庄内野菜など地域固有の野菜がたくさん存在していた。
しかし大量生産、大量流通の時代になり、それらは次第に消えつつある。
ところが最近この伝統野菜を復活させようという動きが始まっている。
それは単に伝統を維持するという目的ではなく伝統野菜が地球環境を救うという発想からだ。
その秘密はフードマイレージ(食料の重量×輸送距離)にある。
例えばニュージーランド産のカボチャを輸入すると国産に比べ9倍の二酸化炭素を排出する。
もし私達が伝統野菜を地域で消費すれば、フードマイレージは大幅に減る。
ここに環境時代の地産地消の意味があるのだが、標高3890mの湖上に浮かぶ島々には輸送距離0の究極の地産地消を行っている人々がいる。」

ペルーとボリビアの国境をまたぐチチカカ湖、アンデスの雪解け水を湛えその広さは琵琶湖のおよそ12倍、昔からその湖面は空よりも青いと形容されてきた。
この地にいつ頃人類が住み始めたか確かなことは分らないが、遅くとも11000年前にはユーラシア大陸のモンゴロイドが南米大陸に到達したと言われている。
その後紀元前3000年ごろから様々な文明がこの地に生まれた。
中でもインカ帝国(1438〜1533)は現在のコロンビア南部からチリ中部に至る巨大な国家を築き上げた。
しかし栄華を極めた帝国もスペイン人の侵略によって1533年、歴史の舞台から姿を消してしまった。

チチカカ湖の西岸に位置するプーノはインカ帝国の時代よりもはるか昔から文化が栄えたところ。
先住民族ケチュア族やアイマラ俗などが今も暮らしている。
チチカカ湖の浮島に暮らす人々を支えているのはトトラという植物。
トトラの茂みの向うの家並み、およそ4kmに渡り大小100近い数の島が浮いている。
その1つを訪ねた。
この浮島に暮らすミゲールさん(ウロ族)「ここはサン・ミゲール島、島自体がトトラでできている。
風が吹くと動く。」
トトラは葦に似ているがカヤツリグサ科の植物。
繊維が上部で成長すると丈が4mにもなる。
昔から刈り取りに使われていたのはキニーニャ、棒の先にナイフをつけた道具。
浮島を作るにはまず刈り取ったトトラを束ね、1ヶ月ほど乾燥させる。
これを湖に浮かべ厚さ4mほど積み重ねる。
束をばらして上に敷き詰めれば島の完成。
さらに浮島だけでなくその上に建つ家もトトラでできている。
ベッドも帽子もトトラでできている。
トトラの茎の部分は食べることもできる。
トトラは浮島の人々の衣食住を支えている。
ウロスと呼ばれるこれらの浮島で暮らすウロ族の人々がいつ頃からここで生活し始めたのか詳しいことは分っていないが、16世紀にスペイン人が残した記録にはすでに浮島に暮らすウロ族が登場している。
島には畑もある。

ミゲール「土はトトラの根をほぐしたもの、肥料の役割も果たしている。」
浮島でのジャガイモ作りにもトトラは欠かせない。
湖での生活に欠かせない船バルサもトトラでできている。
ミゲール「一番小さいナサニ・バルサは魚の漁に出るときに使う。
ヒスカ・バルサは水鳥の罠を仕掛ける時に使う。
大きいバルサは町へ物々交換に行く時に使う。
1隻で30人ほど、荷物なら2トンまで載せられる。」
舳先を飾るピューマは地上をつかさどる神、空のコンドル、地下の蛇と並びインカの人々に神聖な動物として崇められてきた。
ウロ族の人々にとっても守り神。

ミゲールさんがバルサで向かったのはトトラの茂み。
ここに昨日罠を仕掛けたという。
水鳥は湖でとれる貴重な食料。
水鳥の罠にもトトラを使う。
トトラで作ったアーチの周りに紐をめぐらせる。
ここはトトラの茂みに巣を作る水鳥の通り道。
巣に戻ってきた鳥の首に紐がかかり締まるという仕掛け。

鳥と並ぶ貴重な食料が魚(トゥルチャ 鱒など)。
ミゲールさんは浮島にイケスを作っている。
イケスがある島は最近増えているという。
湖でとった魚をここに放しておけばいつでも食べられる。

石焼にするのがウロ族伝統の食べ方。(ワティア 石焼料理)
石を熱するために燃やしているのは乾燥させたトトラ。
熱した石を運ぶのにもトトラが使われる。
魚を石で挟み、待つこと1時間、香ばしい匂いがしてきた。
食べる前に塩をひとふり。

月尾「これま世界中の様々な先住民族を訪れたが、共通する特徴の1つは限られた素材を限られた技術で加工しながら豊かな生活を送っていること。
モンゴルの草原に生活する遊牧民は家畜を食料だけでなく、様々な道具に加工して生活している。
カナダの北極圏に生活するイヌイットは狩猟した動物を生活のあらゆる局面に利用している。
しかし今回訪れたウロの人々はトトラというただ1種類の植物から衣食住どころか生活する土地まで作り出し、究極の地産地消を実現している。
1億人異常の人々が高密度に生活する日本がウロ族の人々の生活を真似ることはできないが、その生き方からは学ぶべきことが多い。」

島の住民達が集り、なにやら相談している。
ミゲールさんが手にしたのは長さ1mもあるノコギリ。
島の土台を切り取り、棒で押し出す。
実はこれは引越し。
切り離された島に住んでいるのはミゲールさんの娘夫婦。
子供が大きくなったので夫の実家がある島へ引っ越すという。
作業が始まってからわずか10分で完全に切り離され、船で押してもらいながらゆっくり進む。
引越し先に近づいたらロープで引張ってもらう。
浮島ならではの大胆な引越し、島の住民達の協力で30分後には無事終了。
最後に2つの島をしっかり固定し、つなぎ目にトトラを敷き詰める。
引越し祝いの宴が始まった。
手伝ってくれた人たちにミゲールさんからご馳走が振舞われる。
お酒も入り歌や踊りで盛り上がる。

ウロスから船で3時間、タキーレ島、全長6km、面積わずか12k屬両さな島へ向かった。
島に近づくと目に入るのは段々畑、現地の言葉でアンデーネスといい、アンデスの地名の語源とも言われている。
タキーレ島にはおよそ2000人のケチュア族が自給自足で暮らしている。
ケチュア族のアレハンドロさん夫婦の自宅は段々畑の中、素晴らしい眺め。
奥さんがいれてくれるのは自生するムーニャという薬草のお茶、高山病に効果がある。

アレハンドロ「ジャガイモやトウモロコシを育て暮らしている。
部押しや服も自分達で作っている。
水は湧き水を使っている。
電気は通っていないのでロウソクなどを使う。」
家族の1日は日の出前に始まる。
アレハンドロさんの朝一番の仕事は水汲み。
生活のすべてをこの水で賄っている。
一方台所では息子のお嫁さん達が朝食の用意、今朝のメニューは麦とジャガイモを煮込んだスープ。
食事は家族全員で食べる。
この家で暮らしているのはアレハンドロさん夫婦と2人の息子家族の9人。
朝食の後畑へ向かう。
道の途中にある石の門、四角く削った石を積み上げただけのごく簡単な作り。

アレハンドロ「この門から先がチューニョパンパ・スーヨで、ここまでがエスタンシア・スーヨ。」
スーヨというのは地区の意味。
タキーレ島は6つのスーヨに分れていて石の門はその境界を示している。
アレハンドロさんはすべてのスーヨに畑を持っている。
アレハンドロ「6つのスーヨの内3つではそれぞれジャガイモ、オカ、トウモロコシを育てている。
残りの3つは休耕中。」
育てる作物はスーヨごとに島で決められている。
今年は南からジャガイモ、オカ、トウモロコシを育て、残りは休ませているが、これは1年毎にローテーションする。
例えばジャガイモを育てているスーヨでは次の年はオカを、その次の年はトウモロコシを育て、その後3年間は休耕させる。
休耕が明ければ再びジャガイモから育てる。
そして島民はみなスーヨごとに畑を持っている。
アレハンドロ「半分を休耕にする理由は痩せた土地を回復させるため。
休耕明けの肥沃になった畑ではジャガイモを育て、その後はオカ、最後は痩せた土地でも育つトウモロコシを植える。」
島一面に広がる段々畑も昔から伝わる農耕の知恵。
急勾配の斜面でも階段状の畑にすれば作物を育てることができる。
島の限られた土地で収穫をあげる様々な知恵が自給自足の生活を成り立たせている。

月尾「植物は土の中の養分を吸収するので同じ作物を続けて栽培すると土地は次第にやせ細ってしまう。
このタキーレ島は農地の面積が限られている上、土地も必ずしも豊かではない。
そこで長年農業を続けるためにはスーヨのような輪栽式の農業が誕生したのは必然。
しかしスーヨにはそれ以上の意味がある。
限られた土地を地域社会で共同で使うという仕組みのため、地域社会が潤滑に維持されている。」

アレハンドロさんが島を案内してくれるというが、編み物をしながら歩いている。
アレハンドロ「ここでは男女関係なく皆編み物をする。」
農業の後、家族が集り編み物や織物をするのも島では普通の光景。
男性が編むのは主にマフラーや帽子、女性はアワナという織り機を使ってポンチョやマントなどを織る。

結婚相手を選ぶ時も織物や編み物が重要な決め手になる。
奥さんがプレゼントしてくれた腰帯、編みこまれている模様にはそれぞれ意味がある。
ひし形は太陽、6つに分れた六角形はタキーレ島のスーヨ、段々畑、口づけする2羽の鳥は永久の愛を表す。

色にもそれぞれ意味がある。
赤い帽子をかぶっているのは結婚した男性、独身の男性は先の白い帽子をかぶる。
女性も独身の時は紫など明るい色のスカートをはくが、結婚すると黒など地味な色のスカートをはく。
織物に使ういとも自分達で染める。
糸は島で飼われている羊の毛を紡ぎ、赤色に染める時はコチニール(カイガラムシの一種)を使う。
これを石ですりつぶし、細かい粉末になったらお湯に溶かす。
これに糸を浸けて30分ほど加熱する。
緑色に染める時は島の至る所に生えているチルカを使う。
これを刻んで糸と一緒に煮出す。
アレハンドロ「黄色いコルパという石は、緑色に染める時に必ず加える。
色落ちしなくなる。」
これを細かくすりつぶしお湯に加える。
30分ほどで、見事な緑色に染まった。
天日で乾かし完成。

アンデス地方で3000年以上の歴史を持つ編み物や織物、その伝統も姿を消しつつある。
しかしタキーレ島では今も大切に受け継がれており、2005年はユネスコの無形文化遺産にも登録された。
タキーレに残る織物や編み物の伝統は、家族が一緒に作業することで、親から子、子から孫へと受け継がれ、豊かな心の財産となっている。

月尾「西洋社会では宗教的背景もあり仕事は苦役でその代償として賃金などを得るという思想がある。
そのため働く時間は短いほど良く、仕事から早期に退職できるほど優雅な人生という考え方も登場している。
日本でも1980年代までは人生の生きがいは仕事という人が多数派だったが、90年代から次第に転換が始まり、最近では人生の生きがいは生活や余暇という人が圧倒的に多数になり、西洋型社会に近づきつつある。
しかしタキーレ島の人を見ると、畑作業に行く途中も、広場でくつろいでいる時も編み物をし、とても労働が苦役とは見えない。
青空の下で一家総出で織物を織るとき、それは家族の団欒としか見えない。
タキーレ島の人々の仕事、生活、余暇が渾然となった生き方から、私達は働くという意味を改めて見直すキッカケにしたい。」

何千年に渡り地元の人々に様々な恵みを与えてきたチチカカ湖、しかし10年ほど前から水質汚染が深刻になっている。
湖畔の町プーノの人口は現在15万人以上、都市化が進み、人口が急増している。
下水などのインフラ整備が追いつかず、家庭からでた生活排水などがそのまま湖へ垂れ流しになっている。
その影響で大量に発生したのがアオコ、現地ではレンテハといい、排水に含まれる窒素やリンなどを栄養にして繁殖する。
レンテハが増えると日光を遮断して水中の生態系を壊す。
魚屋水鳥は激減し、腐ったレンテハの悪臭が地元の人々の憩いの場まで奪っていた。
そこで始まったのがチチカカ湖の清掃活動。
レンテハだけでなく湖面のゴミも取り払うPELTというペルー政府機関によって行われている活動。
2008年から始まった清掃活動に携わっているのは地元に暮らすケチュア族やアイマラ族の人々。
肉体的にも辛い地道な仕事だが、何が彼らを駆り立てているのだろうか?
「この町に住むものとして湖が汚くなるのは心配。
ここはインカ時代からの大事な湖、この仕事を誇りに思っている。」
活動によって地元の先住民族に働く場を提供する効果も生まれている。
また湖を守ろうとする彼らの活動が、憩いの場をよみがえらせることにもなっている。
集められたレンテハはただ捨てられているわけではない。
近くにある農業畜産学校で、乾燥させ、ブタの糞と混ぜて発酵させ、有機肥料として地元の農民達に無償で配られている。

月尾「イタリアで始まったスローフードは良く知られているように、ファーストフードの対抗から登場した活動。
世界各地の風土、習慣、伝統などに関係なく、世界中どこでも同じような食事を提供するファーストフードは産業革命から始まった大量生産、大量消費の構造が食事にまで及んだ結果。
しかし現在政治や経済などの社会活動、言語や音楽などの文化活動にもこの動きは及んでいる。
今回訪れたウロスやタキーレの人々の生活は、世界の平均的な生活からすれば特殊に映るかもしれないが、これらの人々の生活はこれからの生活のあり方を考える上で貴重な情報を提供してくれる。」

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地球の恵み 自然エネルギー


我々は電力に依存した生活を送っている。
止まると事態は深刻。
給水はストップ、車は給油不可能、冷凍庫も止まる、すべてが停止する。
電力に頼る生活はなんともろいのだろう。
飛行士でもあり発明家でもあるBill Lishmanは再生可能エネルギーを探して世界中を旅した。
ナイアガラで水力発電の歴史を学び、モハーヴェ砂漠では巨大な太陽熱発電所を探検、アイスランドの噴き上がる地熱エネルギーや、デンマークの風力タービンに圧倒された。

カナダ人と同量の電力を全人類が使うと地球が5個必要になる。
再生可能エネルギーの利用とエネルギーの節約を心がけよう。
Billは地下に家を建て、実践中。
Bill「1846年代に先祖が建てた石造家屋。
人力以外に利用できたのは水力のみ。
材木を切り出した製材機は水力式。
再生可能で有害物質のでないエネルギー。
100年後の今日でも仕える製材機がある。」

19世紀のカナダでは水力を見事に活用、小さな滝の水が動力の製材機が至る所で活躍していた。
ほんの数馬力でも大きな戦力になった。
人力にはるかに勝る。

Bill「高さと幅が2mの水路に水を溜め、ポールを下げると水車に水がかかる。
すると歯車が回転し、歯がかみ合うごとにドラムが回転して縄を引き、材木を刃に押し付ける。
速度を上げるには水量を増やす。
水の供給量が増えるほど材木を速く切れる。
1日に600m分切ることができた。」
20馬力の小型製材機が終日稼動する。
自然にあるエネルギーを有効に使う。
19世紀のカナダでは日常の光景だった。

Bill「水力で問題なのは伝達が不可能なこと。
テスラとウェスティングハウスは水力を電気に変換させ、送電することを可能にした。」

やがて20世紀を迎え、カナダは水力発電において世界をリードした。
Ontario Hydro、滝には五大湖からの水が流れ込む。
1890年代水が電力に変換されるようになり、渓谷に水力発電の聖地が誕生した。
1メガワットは約1000戸分の電力量に相当。
20世紀初頭国内での供給に加え、アメリカに電力を輸送した。
オンタリオ電力発電会社、1906年に建設された社屋、電力会社が力を持っていたことが大建築からうかがえる。
現在は廃墟だが、見事さはそのまま。
今日の電力会社にはありえないほどの豪華な社屋。

1906年は水力発電時代の始まりだった。
1950年代半ば、オンタリオが壮大な計画に着手した。
地下トンネルで滝の水を引く発電所の建設。
タービンは17基で発電量は1200メガワット、他の発電所と共に200万戸に電気を供給した。

当時のニュース“ナイアガラの水力を有効利用するため、壮大な自然を相手に新たな事業が始まりました。
それがAdam Beck第2発電所計画です。
発電機は寸分の誤差も許されない。
発電量は1基につき10万5000馬力の見込み。”
それから50年発電所は記念建造物として水力発電が100%を占めた時代を伝える。

今日オンタリオでは水力発電はたった25%。
化石燃料による発電が40%、そして原子力発電所による発電が30%を占めている。
およそ100年間毎日再生可能な電力をナイアガラ川は作っている。
Bill「オンタリオ州カークランドレイクの地下1.8kmほどにある金鉱を訪れた。
下に向かうにつれ、熱を感じた。
最下部は温度が35〜40℃ある。
そこの地面を掘って水をくみ出せば、永遠に地熱エネルギーを利用できる。
理想は金属が地表に近い場所。
アイスランドはまさにうってつけの場所。」
レイキャビック(Reykjavík)は“煙の湾”の意。
湿気が煙に見えることが地名の由来。
昔から温泉の湯を選択や入浴で利用。
1930年代この自然エネルギーに着目。
今日では国中で地熱発電が用いられている。
大西洋中央海嶺上にあるため、マグマが湧き出る穴を掘ると水が出てくるが、一瞬で蒸気に変る。
高温のエネルギーが大量に噴出されている。
まるで別の星に来た気分。
レイキャビックを離れると、月面に似た荒涼とした風景。
はるか遠くに見える岩山、蒸気の音が異世界を思わせる。
近づくにつれ、大きくなる蒸気。
まさにあれが発電所。
斬新なデザイン、ポストモダン建築。
美しく湾曲したステンレス鋼と管。
まるで宇宙基地。

Porsteinn Jonsson(Hitaveita Sudumesja HF)「この工場は世界で始めて発電と暖房用温水の供給を一体化させた。」
工場内には人の姿がなく、機械だけが稼動している。
轟音を立てて自動で動くさまは不思議な感じ。
金属管は磨き上げられていて、床もとても清潔。

アイスランド社会の92%が地熱を暖房に活用している。
高温の水が蒸気に変わり、タービンを動かして発電する。
温水が町へ供給され、家屋を温める。
街路を温め歩道の氷を溶かす。
煮沸されて清潔なので飲料水にもなる。
発電所で使用済みとなった温水は、貯水池に放出。
乳白色で鉱質の温水は皮膚病に効果があるとされ、ブルーラグーンは観光名所となった。
Jonsson「我々の目標は掘削を進めて地熱エネルギーをより実用化すること。
比較的浅い部分に高温域がある。
高温域とは400〜600℃あたりのこと。
その温度の地熱を効率的に利用できるようになれば、原子力発電所をなくすことを真剣に考えることができる。
自国の資源に目を向けて欲しい。
世界が自然エネルギーを利用すべき時期なのだ。」
ブルフェットル、アイスランドで最大級の水力発電所。
270メガワット級、27万戸の需要を満たす。
60年代に建設、90年代に規模を拡大した。
アイスランドの生活はクリーンエネルギーに支えられている。
地球を汚さない生き方がこの国にはある。

Bill「太陽から降り注ぐエネルギー、幼い頃それをレンズで集めて何かを焦がしたよね。
それをアメリカ南西部の260k屬両貊蠅嚢圓┐弌∨綿特罎療杜呂世辰届鼎┐襦」
80年代この滑走が世界1の太陽光集熱機を生み出した。
酷暑のLA、エドワーズ空軍基地近郊まで来るまで2時間半、そこからセスナに乗って太陽熱発電所を訪れる。
眼下のMojave Desert、発電所の曲面鏡が広がっている。
オイルで満ちたチューブにミラーで太陽熱をあて、電力を生み出す。
70年代石油危機により再生可能エネルギーが脚光を浴び、この発電所が誕生した。

Kramer Junction発電所、イスラエルの会社が成功を見越して築いた。
地上では点検係がゆっくりと車を走らせ、チューブの破損など、異常があれば記録、傷のあるミラーは落下防止のため取除く。
レーガン大統領が状況を一変させた。
再生可能エネルギー生成は免税されず、石油に逆戻り。
クリーンエネルギー事業を行っていた会社は倒産した。

Robert Cipriani(KJC Solar Facility)「2番目のチューブからオイルが流れてくる。
熱をグングン吸収しながらあのパイプで折り返す。
さらに熱を吸収しながら戻る。
2列が循環している。
故障中のチューブは電動ノコギリで切り離し、ゴミ紐で再度固定。
その日のうちに修理してまた仕える。
モニターで状況を把握できる。
現在の太陽高度は23.48度、集熱機ごとに分かれて情報が表示される。
1028基すべてがこの1台で分る。
全ミラーにセンサーを取り付けてこの制御室で管理している。
蓄熱しておくことで、夜間でも発電可能。
オイルが加熱され、蒸気を温めタービンを回す。」
素晴らしい設備だが、構造は複雑。
高温のオイル、壊れやすいミラー、迷路のような配管、維持管理が大変。

Bill「昔父が教えてくれた外燃機関のスターリングエンジン、1800年代にスコットランドで発明された。
この技術を応用して放物曲ミラーでスターリングエンジンに太陽熱を集める。
発電機を組み合わせると発電できる。」

David Slawson(Stirling Energy Systems Inc)「アメリカは全てのエネルギーを太陽、風、地熱、水、バイオマスで作れる。
どれも再生可能。
多くの健康被害に関係しているのは環境中の有害物質。
石炭火力発電所の1100基は48000トンの水銀を排出する。
我々の技術は気温が高いほどたくさんの発電が可能。
南西部のほとんどの地域で需要に見合った供給ができている。
我々の発電所の多くはアメリカ南西部にある。
日射量が多く太陽エネルギーをふんだんに使える。
環境も汚さず、低価格での発電を実現しており、天然ガス発電にも引けをとらない。
この発電システムの寿命は35〜40年。
設備投資にかかった費用は寿命を迎えることにはもとが取れる。
現在1キロワット時当たり2セント以下で発電、浮いた費用で電気分解による水素ガス製造も行っている。
今や水素を基盤とする新たな経済に移行する時なのだ。
過去100年を振り返るとエネルギー生成の技術が環境を悪化させた。
我々もまた健康を害するエネルギーに依存してきた。
悪循環を止めるための技術が必要だ。」

Bill「太陽光発電は計算機や高速道路の電話に使われている。
送電線がなく、電力が得られない場面で役立つ。」
グランドキャニオン近郊に車で向かい、デコボコ道を走ること1時間、Kaibetoに到着。
ナバホの人々は太陽光パネルでパソコンの電力を確保している。
ネットで世界とつながるためだ。

つい1920年代まで100万以上の風車ポンプが北米の農場で活躍していた。
Bill「飛行機部品を作るうちに風力の歴史に興味がわいてきた。
風力は数千年前から活用されている。
古代ペルシャでは揚水以外に製粉にも風力を利用していた。
船が世界を巡れたのも風力のおかげ。
ナイアガラの滝は水力の聖地、デンマークは風力の聖地。」
ポール・ラ・クール博物館を訪ねた。
19世紀末、水力発電所が誕生した頃、ラ・クールは風力で電気と水素を生み出した。
彼はタービンの翼が少ない方が発電量が多いことも発見した。

Torben Bjerre-Madsen(Vestas Wind Systems)「1970年代の石油危機のとき、デンマークは石油を中東に頼っていた。
発電や暖房のためだ。
政府は2つの政策をとった。
北海でも石油とガスの採掘と再生可能エネルギーへの移行だ。
デンマークの再生可能エネルギー事業は独特だった。
助成金がゼロなのだ。
その代り発電した電力は電力会社に買い取ってもらえた。
売電により高額が得られるので、需要が生まれた。
この風力タービンは出力900kw、年間発電量は160万kw時、しかし風が強い西海岸では年間250万kw時も発電可能。
立地が重要、農場主は農業をしつつ所有地にタービンを建てる。
おかげで結構な副収入を得ている。
回転部の負荷をうける部品はここで型を取り溶接する。
小型タービンは丸ごと成型可能。
大型のものは組み立て式が効率的。
カバーと回転翼がない状態の風力タービン。
小型化を実現させることでコストが下がった。
他国での普及にも協力している。
最終的には最小限の費用で生産量を上げるのが目標。
このまま減らせれば、1kw時につき年間3〜5%の費用を削減できる。」

驚きなのはそのサイズと組み立て技術。
発電機はギアボックスと連結され、頂部に載る。
その重さは60トン。
さらにプロペラの組み立て部が30トン。
それらを載せるタワーは200トン、パーツの大きさがうかがえる。
翼の大きさに圧倒されられるだろう。
ここではメガワット級のタービンを5基は作っている。
研究を重ね翼の形は洗練されたものになった。
途方もない大きさに圧倒される。
長さは30〜50m、美しい輪郭、風力を最大限に得られる究極の翼。
変化に富み実に美しい。
その曲線部、尖った先端、長さ、力強さ、純粋に美しい。

Moren Thomsen(Energi E2)「ニューステッド洋上ウィンドファームには、2.3メガワットのタービンが2基ある。」
世界最大の洋上風力発電所へ向かった。
Energi E2社の船で10km沖まで行く。
近づくほど現実離れして見える。
24km四方の水上にそびえたつタービン。
薄い空気の中72基が発電している。
風速毎秒10mの場合、毎秒およそ60トンの空気が通過している。
運転を止め、頂上を見せてもらう。
小型エレベーターで一番上まで行く。
タービンのドアはてっぺんが開く。
ブレーキが解放され、翼が回転を始めた。
50mの翼の回転は少しずつ勢いを増し、タービン全体が風に揺れる。
毎秒60トンの空気が翼を通過し電力を作る。
水上70m、稼働中のタービンの中は怖い。

Thomsen「現在デンマークで消費電力の20〜25%を賄っているものは風力発電。
2020年までにはその割合を50%まであげるつもり。」
風力発電の成功と風の質は無関係。
施政者の理解が大事。

Bill「デンマークは風力発電に真剣に取り組み巨大な機械を投入した。
風が生活に溶け込んでいる。
北米は再生可能な資源の宝庫。
南西部の太陽光で大陸全土の配電を賄え、中西部の風を蓄えれば大停電を防げる。
水は豊富で岩山には地熱がある。
どれも再生可能なクリーンエネルギー。
生成可能な資源の活用と並んで省エネも大切なこと。

妻と私は1973年にこの家を購入した。
小高い立地と眺めのよさが気に入った。
もとは1960年代に医師が建てたプレハブ住宅で、まっすぐだった木材が縮んでいた。
冬には風が吹き込んで寒いため、電気の消費量が多くなった。
効率のよいエネルギーを追求するうちに、地球と一体化した家を建てたいと思い始めた。
凍結線下の温度変化は年間10℃以内なので地下に家を建てようと思った。
そこで実際に建てる家を設計してみた。
形はかなり独特、問題は山積みだった。
すべてのものは丸形ではなく、四角い家用に作られているからだ。
そのため設計では苦労したが楽しい試みだった。

新居には地元でもっとも高地で水はけのよい丘を選んだ。
丘の頂上から2m掘り、コンクリートで固めた。
数年がかりで設計した。
ワイヤ製のドームは計8個で大きいものは直径8m。
下地用の金網を張り、配管設備を整え、換気管を取り付けた。
普通の家に不可欠な設備だ。
コンクリートは1度成形すると固まってしまう。
やり直しはできないので換気管などを2本ずつ取り付け失敗した場合に備えた。
後でコンクリートを壊してやり直すより安上がりだ。

続いて下地の金網にコンクリートを吹き付ける。
均等になるよう試行錯誤しながら10ミリの厚さで覆った。
湿気を防ぐため家全体を断熱材とゴム膜で覆う。

家の上には妻が庭を造り、花を育てている。
外壁の塗装は不要。
景観の美化に努めればよいのだ。
こういう家の設計図を持って建築業者を訪れるとする。
昔ながらの四角い建築物にしか馴染みのない彼らは設計図を見てこういうだろう。
“何なんだこれは”そしてちゃんと家が建つのか技術者に相談する。
大丈夫だと太鼓判を押してくれる技術者を探さねばならない。
これには時間を要した。
私が考える優れた技術者は、よく考察した上で成功を保障してくれる
人。
90年代のコンピューターは処理速度が遅く、3日がかりで数値を処理し答を出した。
“建築可能です”と、鶏は丸い卵を簡単に産むのにね。

自然光による照明、空から降り注ぐ光の魅力は側面の窓から差し込む光の5倍明るいところ。
つまり直径1.5mの円から入る天空光は窓5枚から入る光と同量。
地下に家を建てるのは多少労力がかかるが、他の家が朽ちてもうちだけは残るだろう。
このような家を都会で建てるのは無理。
しかしエネルギー消費を減らす家なら造れる。
イギリス南部の集合住宅Bed Zedには様々な工夫が見られる。」

ロンドン到着後ウェストエンドのホテルに宿泊、翌日ヴィクトリア駅から電車で南に向かった。
車窓から見えるのは歴史ある住宅団地。
煙突付きでレンガ造りの家がイギリスの産業革命を思い起こさせる。
"Beddington Zero(fossil) Energy Development=BED ZED(化石燃料ゼロ)"
Pooran Desai(Bio Regional Development Group)「我々が提唱しているのは1つの惑星で暮らすこと。
イギリス人並みの消費を世界で行うと、地球が3つ要る。
そこで新たな生活様式の提案。
1つの惑星の資源を公平に分け合うのだ。」

消費の大半は住環境を変えることで削減可能。
Bill Dunster(Architect)「構想の基本は商業的地域の住宅を取り込むことだった。
団地は真南に位置し日当たり良好。
暖房に使用する電力の3分の1が太陽熱。
オフィス群は日陰にある。
冷暖房が必要ないからだ。」
地価が高いので個数を増やすことが課題だった。
有効利用できるだけの太陽光の確保も課題だった。
燃料チップにより発電を行う。

Desai「屋上につけた換気筒で換気を行う。
高断熱高気密の建築を望むなら換気筒の設置をお薦めする。
エネルギーを消費せずに新鮮な空気をリビングに取り込める。
さらに台所や風呂場のむっとする空気を排出できる。」
Dunster「もしこの換気筒がなければ太陽光発電でピーク時に得られる電力全部が従来型の換気扇を回すのに使われただろう。
太陽光発電を使って年間走行距離16000kmの電気自動車40台を動かせる。
エネルギー需要を減らすことができれば再生可能エネルギーですべてが賄える。」

バイオマス燃料、原料は乾燥させた木片チップ、ガス化して燃料にする。
Brian Williams(Exus Energy)「この技術は長い時間をかけて発展した。
第二次世界大戦期には大型トラック用のディーゼル燃料の代わりに使った。」
Desay「汚水の処理も工夫している。
葦床を使って浄化する。
水はトイレや庭の水撒きに再利用する。」
David Triggs(Greenwater Treatment Plant)「基本的には活性汚泥法で処理する。
未処理の汚水を浄化槽に引いてくる。
そしてかき混ぜる。
汚泥が取除かれてゆく。
微生物が汚泥で繁殖したのだ。
微生物はタンクの中で沈殿する。
これが活性汚泥。
処理後は取り出して再循環させる。」
Dunstar「実行あるのみ、インフラを整備した集合住宅を設計しよう。
公共施設や職場とも一体化させる。
建築方法だけではなく、生活様式を見直すのだ。
会社が近ければ乗り物が要らず、炭素を排出しない。
確かに費用はかかっているが、外国から化石燃料を買うよりはるかに安い。
様々な入居希望者が大勢いるが、開発業者が敬遠している。」

Bill「家が丸形の設計だと従来の家具などは納まらない。
大抵の製品は立方体。
オーブンと食器洗浄機は無事収まった。
問題は冷蔵庫、大きい上に分割もできず、どうしようもない。
冷蔵庫のドアを開けると冷気は床に下りてゆく。
私は丸型の家に合う冷蔵庫を作った。
従来のものと違うのは円筒形で上下に動くこと。
問題となたのは強いモーターの確保。
冷蔵庫の上昇をジリジリとではなく2〜3秒で行い、円筒形で魔法瓶の仕組みに似ている。
標準的な冷蔵庫より高い断熱性が望める。
エネルギー効率がよいので節電になるだろう。
冷気の貯蔵庫から冷蔵庫が上昇する。
回転式だから欲しい物が見つけやすい。
熱損失も計算してみた。
設計どおりに作ることができれば通常の冷蔵庫の50%ですむ。
代替エネルギーを利用するだけでなく、エネルギーを節約することを考えてみませんか?
それが私からの提案。」

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地層処分


効率的に安定して電気を作り出すことができ、発電時に二酸化炭素を出さないことから地球温暖化対策としても有効だと再評価されている原子力発電は、その一方で高レベル放射性廃棄物が発生する。
この高レベル放射性廃棄物の処分方法の中で一番現実的だと言われているのが地層処分。

放射性廃棄物とは原子力発電をする際出てくる電気のゴミ。
放射能(放射線を出す力)を持っていて放射線を浴びると人の健康によくないのでキチンと管理しなければならない。
特に問題なのが高レベル放射性廃棄物。(使用済み燃料の再処理の過程で発生、現在日本では青森県に再処理施設を建設中。)
放射性物質が入った液体を液体のまま置いておくと具合が悪いので、ガラスで固めるという作業をする。
ガラス固化体、高レベル放射性廃棄物をガラスと一緒に固めたもの。
液体とガラスの原料となるようなものを高温で溶かし、ステンレス製の入物のなかに落とし込む。
そうすると冷えてガラスと一緒に放射性物質が固まる。
その固体を閉じ込めておいて遠くに離しておくことが大切。

今の間だけならば人が見張っていればよいが、将来の人が知らずに近づいてしまい、被害を受けてしまうかもしれない。
そういうことがないようにキチンと始末したいので、地下深いところに置き、人が近寄らないようにしようというのが地層処分の考え方。

↑ガラス固化体の放射能レベルの推移(天然ウランと同程度になるまで、数万年の隔離が必要)
今は発電所で使った燃料の集合体というのがあり、そのままの状態でいろんな発電所のサイトの所に保管されている。
もしそれをガラス固化体に固めたとしたら、約22200本くらい溜まっている状態。(高レベル放射性廃棄物の累積発生量 平成20年12月末時点 ガラス固化体に換算)
我々が出した廃棄物だから、今キチンとしておかねばならないということが地層処分の考え方。
もう1つはできる限りものをリサイクルしようということがある。
原子力の場合も同じで本当にゴミになってでてくるのは約5%、残りのものはもう1度使える。
一番コントロールできて安全に隔離と閉じ込めができ、自国でできるということを考えると地層処分しかない。

【地層処分に関する世界の動向】
1977年OECD/NEA(経済協力開発機構の原子力機関)「もっとも問題点が少ない解決方法」と結論。
【日本での地層処分事業への取り組み】
1976年地層処分の研究がスタート。
2000年特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律制定。

地層処分では放射性廃棄物を人工バリア天然バリアの組み合わせで閉じ込める。(多重バリアシステム
ガラスと一緒に固められた放射性廃棄物を鉄製のオーバーパックで覆い、さらにその外側をベントナイト(閉め固めた粘土)で覆う。

このようにして放射性物質が地下水と接触することを防いだ上で、深い地下に埋めてゆく。
深い地下の岩盤には化石などを見ても分るとおり、長期間安定して物質を閉じ込める性質があり、この性質を天然バリアとして利用している。

スウェーデンの地層処分
1980年代から一貫して進めてきた脱原発制作を地球温暖化対策や経済効率の観点から方針変更し、現在では電力の45%を原子力で賄っている。
その原子力発電で生まれた放射性廃棄物の地層処分を担当しているのが1970年代に電力会社が協力して設立したSKB(スウェーデン核燃料廃棄物管理会社)。
スウェーデンでは長さ5m、直径1mの金属のカプセルの中に高レベル放射性廃棄物を入れ、それを地中深くに埋め、地層処分することにしている。
このプロセスは今後50年くらいかけて行う予定。
現在SKBでは政府に地層処分場建設許可の申請を行うための最終的な調査を候補地エストハンマルで行っている。
調査だけでなく、地元の人々に地層処分についての情報を提供し、信頼を深めるような活動にも力を入れている。

エストハンマルはスウェーデンの首都ストックホルムから北に100kmほどのところにあり、約21000人が住んでいる。
エストハンマルではすでにSFR(中低レベル放射性廃棄物処分場)が稼動している。
運ばれた低レベルの放射性廃棄物は貯蔵庫に保管され、いっぱいになったところでコンクリートに固めて埋める。
この施設に最初に廃棄物が運び込まれたのは1988年。
スウェーデンでは原子力発電が始まった1970年当時から放射性廃棄物の処分に取り組んできた。
処分地の選定では地質学的調査、住民の理解、交通インフラの状況など様々な検討が行われた。
中でも岩盤の質はもっとも重要な要素。
高レベル放射性廃棄物の地層処分場はSFRに隣接した場所に造られることになっている。
ほとんどが地価で2〜4k屬梁腓な施設が地下深くに造られる予定。
建設許可が下りるのが2014年くらい、それから工事が始まり、操業開始は2023年頃の予定。

日本のNOMO(原子力発電環境整備機構 特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律に基づき2000年10月設立)に相当するのがSKB。
【日本の地層処分場の計画】
深さ300m以深:安定した岩盤
地下施設の大きさ:約2×4km

日本は火山、活断層が多い。
【地層処分場建設で避けるべき場所】
・隆起、浸食が起こりやすいところ
・地下水の影響が大きいところ
・鉱物資源があるところ
【人の処分事業スケジュール】
全国の市町村からの応募、国の申入れに対する受諾
↓ 文献調査
概要調査、地区選定
↓ 概要調査
精密調査、地区選定(平成20年代中頃目途)
↓ 精密調査
処分施設建設予定地選定(平成40年前後目途)

建設(10年)
操業開始(平成40年代後半目途)

エストハンマル住民の77%が地層処分場建設に賛成している。
SKBは人事育成にも力をいれている。
放射性廃棄物の処分は高い技術がなければ実現できないハイテク産業。
小さな町だが国の最先端事業を受け入れるのだと考え、事業として引き受けている。
事業をやることによるリスク、メリット(雇用が増え地域活性化)を考えた上、日本全体のことを考えて、どこか手をあげてほしいというのが今の考え方。
地層処分は技術だけでなく、みんなの合意を得てお互い納得して進めていかねば、こうした事業はできない。
2009年10月、東京で開催されたシンポジウム「地域と共に歩む地層処分事業」にはエストハンマル市長、スウェーデンの処分事業体SKBの社長が来日し、話をした。
スウェーデンの住民が国や事業社からの一方的な情報提供に甘んじず、主体的に自分の音大として一生懸命に考えている雰囲気が伝わってきた。

フランスの地層処分
日本と同様エネルギー資源が乏しく、これまで一貫して原子力発電を進めてきた。
現在国内電力の78%を原子力発電で供給。
エネルギー自給率を比較しても、先進国の中では日本が4%、フランスは8%。
原子力を準国産のエネルギーと呼ぶが、プラスすると日本が自給率19%、フランスは50%になる。
DGEC(フランス政府省庁)原子力産業局長トマ・プランシュ「フランスの原子力政策は原子力によって持続可能な開発を国内井で実現していこうというもの。
長期的な展望に立って放射性廃棄物の処理や新しい技術開発を行い、国内だけでなく、原子力を整備したいと考えているあらゆる国を支援しながら積極的に進めていこうとしている。
高レベル放射性廃棄物に関しては1991年に最初の法律が定められた。
バタイユ法、フランスにおける放射性廃棄物の処分方法について3つの方向性が示された。
…拘貯蔵 地層処分 3房鑛儡后癖射性廃棄物の分離と変換)」
フランスではこの3つの方向性に従い、放射性廃棄物の処分方法の研究が進められている。
この中の核種変換は高い放射能を持った放射性物質を、別の物質に変換することで、放射能を弱めたり、寿命を短くして処分しやすくするための研究。
この研究を行っているCEA(原子力庁サクレー研究所)ディレクター、ベルナー・ブリス「核種変換は放射性廃棄物の中に含まれる寿命が長い放射性物質を取り出し、違う元素に変換して寿命の短い物質に変えてしまおうという研究だが、この技術は簡単に実用化できるものではない。
今ある原子炉ではできないので、次世代の原子炉が必要となる。
実用化にはまだ数10年という年月が必要となる。
また残念ながら放射能を0にすることもできない。
つまり地層処分に取って代わる処分方法ということではない。」
ブリス氏は日本やフランスが行っている使用済み燃料の最終処理も放射性廃棄物の寿命を短くするのに役立っているという。
ブリス「使用済み燃焼をそのまま処分した場合、天然ウランと同じ放射能レベルになるには数10万年かかるが、現在フランスや日本で行われている再処理でウランやプルトニウムといった物質を取り除くことによって、残った廃棄物の寿命を数万年にまで短くすることができる。
さらに残った廃棄物からも寿命が長い放射性廃棄物を取り除くことができれば、1000年以下にまで短縮することも可能になるだろう。」

バタイユ議員と共にバタイユ法制定に関わったクロード・ビロー議員(OPECST議会科学技術選択評価委員会)「バタイユ法が作られる前フランスでは放射性廃棄物の地層処分に関して大きな反対運動が起こった。
処分に関わる施設の建設は全て阻止しようとしていた。
地層処分の研究は全く立ち向かなくなった。
そこで放射性廃棄物の処分はどうあるべきかについて調査が行われることになった。
バタイユ議員は廃棄物の管理に関すること、私は原子力の安全性に関することを調査し、その報告を基に長期貯蔵、地層処分、核種変換の3つの可能性について研究を行い、どのような方法がふさわしいか決め手ゆこうというバタイユ法が作られた。
そして自治体との交渉が始まり、地層処分についての研究では研究所の候補地を募集することになった。
その時興味を示し手をあげたのがビュール周辺の地域。」
パリから東へ約250km離れたドイツ国境に近いビュールには、ビュールのあるムース県と隣のオートマルヌ県にまたがる形で地層処分の研究所が建てられ、2000年から地下の研究が行われてきた。

ビュール地下研究所、マルク・アントワーズ・マルタン(ANDRA)「地表から490m下にある粘土層の中にある施設の研究目的は岩盤や地層について研究し、地層処分の可能性を明らかにすることで、2000年から始まった。」
研究用トンネル、直径約4m、1周約700mの中で地層処分に関する様々な研究が行われている。
現在この研究所では、地層の適正を調べる研究は終了し、どのように地層処分を行うかという第2段階の研究が行われている。
マルタン「この付近の粘土質の岩、1億6000万年前にできたもの、元々海底にあった地層だが、長い年月をかけて堆積し、強い圧力がかかることで中の水がすべて排出された。
押し固められているので水が染入ったり中で水が動くこともほとんどない。
地層処分に非常に適した岩盤で、今後100万年ほどは安定した状態を保つだろうと考えている。」

この研究所ではフランス国内だけでなく、世界各国から研究者達が集まり、地層や岩盤の研究が行われている。
また地元の人の雇用も積極的に行われている。
マルタン「現在ここでは300人ほどが働いているが、その内半分は地元、残りは他から引っ越してきた人達。
みんな近くの村に、地元の人達と一緒に住んでいる。
よそ者ではなく一緒の村に住む隣人なら、住民の方々も心を開いて話を聞いてくれるし、信頼関係も築きやすくなる。
ただ生活環境がある程度整っていないと家族に抵抗感があるのも事実。
なのでこの地域に対して助成金などで学校やインフラを整備することは必要。」

この研究所での研究をはじめ、地層処分事業を実際に行っているのがANDRA(放射性廃棄物管理機関)、1979年に創設されたフランスの地層処分の事業の実施主体。
ビュールの粘度質、岩の研究以外に他の場所で花崗岩の研究も予定していたが、断層の有無や地下水の存在などを総合的に判断し、政府の方針で研究を中止した。
その結果フランスでの地層処分の研究所はビュールに絞られ、この地域が地層処分場の有力候補地になった。
ジャンポール・バイエ(ANDRA副社長)「ANDRAは国営の機関で、放射性廃棄物全般の処分を担当しているが、この事業を進める上で重視しているのは地元とのつながり、着実に安定した事業として地層処分を進め、かつ地域に最大限貢献できるようにする必要がある。
そのために雇用の拡大や地元企業への発注など、様々な努力をしている。」

ジャン・マッソン(GIPオートアルヌ:公益事業共同体)「GIPは2000年にANDRAの事業に関係する地域への助成金を管理指導する目的で設立された。
GIPにはビュール地域のために年間200万ユーロという多額の予算が与えられているが、今後300万ユーロに引き上げられる予定。
この予算は放射性廃棄物の排出もとである電力会社などから支払われている税金で賄われている。」
GIPによる助成金の使い道には大きく分けて3つある。
|楼茲寮験荼上。(学校、公共施設の建設など)
∋唆肇ぅ鵐侫蕕寮鞍。(携帯電話の基地局、道路建設など)
C楼茲粒萓化のための経済振興。
マッソン「経済振興には長期的な視野と積極的な姿勢が必要となる。
GIPでは180万ユーロという、この地域の小さな自治体では考えられない規模のベンチャーキャピタルを推し進め、地元の中小企業を支援している。
GIPはこの地域の各自治体関係者や地元の経済界の人々など100人を超えるメンバーで構成されているが、立場の違う多様な人々が意見を戦わせ、問題と解決策を話し合うことでいろいろな経済振興策が生まれてきた。
その1つがバイオマスエネルギーの開発。
この地域の40%は森林地帯、森林を所有する自治体はその資源をうまく活用できていなかった。
また人口の減少や高齢化という問題を抱えているため財政不足が深刻で、経済の活性化が最重要課題なのに、有効な手がうてずにいた。
そこでみんなが協同でこの森林を使った新しい産業を考え出し、GIPが資金援助する形で地域のための経済振興策をスタートさせた。」

自治体ではどのような取り組みが行われているのだろう?
ジェラール・アントワーヌ(ビュール村村長)「私達の村に建設予定の多目的なホテル、予算は300万ユーロ程で6月頃完成予定。
この施設の隣には古文書、保管施設ができ、1km程先にはバイオマス工場もできる。
それを見込んでこの規模のホテルを造る事にした。
このホテルは村で経営する。
自治体には民間よりも多くの助成金が認められている。
人口が100人ほどの小さな村では考えられないような話。
託児所や集会所、村民用の住宅も造ろうと思っている。
10年後の村がどれくらい発展しているのか、やるべきことがたくさんありすぎて大変。」

日本の場合、まず文献調査地区を決めてそれから概要調査、精密調査をして、それから処分地を決めるというステップ。
最初のところでも市町村に強力してもらわねばならない。
その時手をあげても地層処分事業をすることによるメリットは得られない。
全体としての地層処分事業に加わり、その仕事をしてもらっているのに何の対価も支払わないのは具合が悪いのでそういうことに対してもキチンとした交付金を支払おうと日本では決めている。

↑地域への波及効果
文献調査、概要調査などステップごとに交付金はどのくらいかということだが、大事なことはそれを地域がどう利用して地域を振興させてゆくかということで、地域が主体となって決めるのだが、NUMOや国も一緒に相談にのっていろんなことをやってゆかねばならない。

研究所があるからといって、そこに処分場ができるということではない。
安全の問題、利益の負担の公平性の問題。
実際進めてゆく時にこうしたことの透明性を保ちつつ、納得できるような解決策を見つけていかねばならない。
研究所の段階でさえ、風評被害がある。
引き受ける地域の人にとっては、そいういうこともあるのだということも分って事業を進めていかねばならない。
小さな不信感でも全て信頼できないという感情に飛躍する場合もある。

フランスでは事業を進めているANDRAがどれだけ正確な情報を流すかにかかっている。
フランスには情報公開など様々な活動をしているCLISという組織がある。
CLIS(地域情報フォローアップ委員会)ビュール事務所、地層事業について住民に正しく理解してもらうために講演会の開催や情報誌の配布、インターネットを通じての情報公開等、様々な活動をしている。
ジャンルイ・カノーヴァ(CLIS)「我々には特別な権限が与えられていて、ANDRAの活動内容や情報を専門家の科学的知識を持つ第3者機関に再鑑定してもらうこともできる。
またCLISには地層処分事業に賛成の人も反対の人もいて、それぞれが意見を言う機会がある。
我々は可能な限り分り易く客観的に信頼できる情報を一般の人々に伝えると共に地域の意見を無視してこの事業が進められることがないように活動してゆかねばならない。」

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エコロジー台湾 エコアイディア

人間が及ぼす影響により、地球温暖化が進んでいる。
温暖化で地球の表面が温まると、その兆候はまず赤道付近に表れる。
太平洋の西に位置する台湾でも異変は起こり始めている。
海水温度の上昇が超大型台風を頻発させ、甚大な被害をもたらした。
地球を救えるかどうかは1人ひとりの手にかかっている。
台湾では科学者や市民が環境活動を始めている。
台湾の地理的な特徴や豊かな自然を生かし、環境技術の分野で研究を進めている。
カバン、ヘルメット、凧、バッテリー、衝撃吸収剤、給湯器、発電機など、これらは個人向けに開発されている。
地球に優しい発明品を使うことで、私達は地球環境の改善に役立てるかもしれない。
100年後“北緯25度02分、統計121度台湾台北市、地表状況:摂氏49度、極めて強い紫外線。
環境:有害防護服の着用が必須。
市民は水、食糧、燃料の枯渇に直面しています。
海面は上昇し、台湾の沿岸部は浸水しました。
調査隊が新たな生命体を探索中。
何年も前に起こった温暖化が地球を変えたのだ。
今はもう手遅れだが、100年前なら解決策はありました。”

未来は変えられる。
北回帰線の南に位置する台湾南部の高雄、晴天の多いこの街では、ある変化が進行中。
個人規模の環境保護が盛んなのだ。
たとえ小さな努力でも、大勢で行えば国の対策より大きな成果をあげられる。
温暖化が問題視されるより前から高雄の人々は太陽光をうまく利用してきた。
官民を問わず誰もが積極的に太陽エネルギーを活用している。
この結果化石燃料への依存が減り、同時に温暖化の抑制効果を得ている。
人々の環境保護への高い意識を感じるのが、再生資材で造られたWorld Games Stadium、設置したソーラーパネルは年間114万キロワットを発電する。

これは数ある計画の1つに過ぎない。
二酸化炭素排出の削減を目的に、様々な計画が進行中。
しかし地球温暖化を抑制できるかどうかは結局のところ各個人の力にかかっている。
技術が進んだことで、個人が太陽光を利用し始める。
その動きは浸透しつつある。
Liu Jun-Hong(Solar Backpack)「「太陽光を使って携帯電話を充電する。
この回路基板の出力は焼く100ミリアンペア、つまり2時間くらいで携帯電話をフルに充電できる。
回路基盤の値段は約2000新台湾ドル。
身近な電子機器の動力をすべて太陽光から得られたらよいな。」

太陽エネルギーはもっと幅広い分野でも活用できる。
大気汚染や石油価格高騰により世界の交通事情が変化。
電気自動車などが注目を集めた。
しかし自動車の販売手数料が高額で国土が狭い台湾では、市民の足はスクーター。
街を走るスクーターは1400万台以上。
車に比べて小回りが利くのが利点。
しかし猛暑の夏にスクーターに乗るのは過酷。
強烈な日差しの下では暑さは何倍にも感じられる。
見た目より機能を重視するなら、太陽光を利用して暑さを和らげることができる。
熱を使った冷却装置を研究している学生がいる。
Zhang Jun-Zhi ★Solar Helmet(エアコン付ヘルメット)

ヘルメットに付けられたソーラーパネルが9ボルト分の電力を生み出し、冷却装置を動かす。
結果東部の暑さに緩和する。
Zhi「電源はソーラーパネル、パネルからの電力の一部がファンを動かす。
残りの電力は冷却チップ用、エアコンと同じ働きをする。
冷却チップはファンよりもはるかに大量の電力を必要とする。
でも節約の方法も考えている。
エアコンの動きを抑えれば、それが可能。
冷却スピードを落とせば電力は少なくて済む。
全面ゾーラーパネルのモデルも作りたい。
上にパネルを設置しなくてもすむし、被りやすくもなるからね。
内部のデザインや素材は自由に選べる。
マザーボードには冷却チューブを付ける。
カーボンナノチューブを使って暖気や冷気を循環させる。
僕が開発中のヘルメットは冷暖房の両機能を備えている。
スイッチで簡単に切り替えられる。
ソーラーパネルは補助フレームで固定している。
パネル自体は透明のアクリル樹脂に収められている。
前面の4つのチップは内側のファンを作動させる。
暖かい空気も冷たい空気もこのファンで外に送り出される。
エアコンと同じ構造。
心配なのは太陽光が足りない時、ファンが作動しなくなる。
そこでバッテリーも内蔵できるようにした。
これでいつでも使える。」
少し視点を変えるだけで、新しい発想が生まれる。
身近なエネルギーが私達の生活を快適にするのだ。
厳しい日差しの下、ほんの少しでも涼しさを体感できれば、過ごしやすくなるだろう。
1年を通じて晴天の日が多い台湾は、太陽光発電にとても適している。
しかし時々台湾でも雲に覆われる日はある。
その場合発電は可能だろうか?
巨大台風が太平洋で発生し、太陽が雲に隠れていても太陽光発電は可能なのだろうか?
大学院の研究チームが、人間にも地球にも優しい理想の方法を開発中。
天候に左右されず、一定の効果が得られる方法として人口の風力エネルギーを研究している。
求めるのは安定した確実なエネルギー。
Wu Zhi-Hao ★Turbine Helmet

Hao「外面に付けた5つの小さなファンが発電機を作動させる。
ファンは直列回路でつながっている。
この力が回路基板上のLEDウィンカーを点灯させる。
充電式バッテリーも4つ付けた。
あまったエネルギーはバッテリーに蓄えておく。
ブルートゥースの無線技術でヘルメットの基盤とバイクの基盤をリンクさせている。
バイクが信号を送るとヘルメットが受信する仕組み。
ウィンカーを右に出すとヘルメットも右を表示、ブレーキをかけるとライトが点滅する。
また速度を表示する機能もついている。
ヘルメット内臓のディスプレイに走行中の速度が表示される。
ディスプレイには速度警告も表示される。
制限速度を超えるとバイクの計器から信号が送られる。
その信号をヘルメットが受信し警告が出る。
最初の課題はファンの設置だった。
ヘルメットの形はアーチ状だから設置が難しい。
外面にドリルで穴を開けて苦労してファンを取り付けた。
今はまだチップ1つしか稼動できない。
出力エネルギーを上げられれば、無線や電話だって使えるようになるだろう。」

このヘルメットではファンの回転翼を小さくし、走行中に受ける風の抵抗力を最低限に抑えている。
一方風力発電基地では翼が大きく、風が強いほど効果的。
台湾に被害をもたらす台風や強風だが、悪い面ばかりではない。
新竹という都市では、自然の猛威が有効利用されている。
雲や強風はここでは当たり前。
この風の街には他にも名物がある。
新しい高速鉄道駅の独特な形状、涼風で乾燥された食感のよさが人気のビーフン、また凧の愛好家にとって新竹は天国のような場所。

凧揚げ名人He Liang-Haiは、凧を離れ業で操り、人々を楽しませてきた。
彼にとって風は自然の強大な力の象徴。
Hai「新竹では1年の半分は南東や北西の風がふきつける。
平均風速は約18m以上、台風並みの強風、冬の時期は身を切るような冷たい北東風が吹き荒れ、立っていられないほど強力。
以前寺院の近くで凧揚げをした。
凧が空に舞い上がった後に寺院のライオンの石像にタコ糸をくくりつけた。
その時空風が吹き、石像が引張られて倒された。
凧の重さに比例してエネルギーは大きくなる。
10kgの凧は80kgのものを引張る力がある。
20kgの凧なら160kgだ。」

大学院の研究チームが凧について聞くためHaiを訪ねてきた。
学生達は低コストで風力を利用する方法を考え出した。
Wind Energy Reseach Team
凧で風力タービンを上空に揚げ、発電した電力はケーブルで地上に送る。
凧揚げと風力タービンの技術をうまく合体させることで、上空の強風を電力に変えようというわけだ。
凧を高く揚げるには、Haiの助言が必要。
タービンの重さが障害になっていた。
学生「ヒントになったのは沿岸地帯にある風車。
でも風車は莫大な費用がかかるし地表近くの風速は不安定。
そこで上空の風力を利用し発電できないかと考えた。
高度があるほど風力は安定している。」
Haiによれば凧の中にはタービンのように回転する種類もあるそうだ。
それを使えば総重量を抑えつつ発電量を増やせるはず。
Hai「これが回転凧、ベルヌーイの定理。
回転することで圧力差が生まれ、凧に揚力が働く。
コイルはここの位置で磁石はこの位置につける。
これにフレームを取り付ければ君らの元の設計と同じようなものができる。
つまり凧自体が発電機になる。
総重量が軽くなる利点もある。」
1つの凧ではわずかでも、500人が揚げれば1時間当たり5000ワットを発電できる。
料理をすることも、エアコンで涼むことも可能。

太陽光と安定した風力は一般的な代替エネルギー。
実は植物も代替エネルギーになりえる。
100年後“生命が存在しない不毛地帯、中国南東の置きに浮かぶ台湾では、淡水が枯れ、植物も激減した。
温暖化による急速な気温上昇に生態系は適応できなかったのです。
植物の捜索が続いていますが望みは薄いでしょう。
緑豊かな自然環境が悪化し始めたのは100年以上前。
環境破壊が進む前に、手を打つことはできたはず。”
現在の台湾にある美しい未開の森で青々と生い茂る植物は、土地、太陽、水によって育まれる。
生命力に溢れる植物は、生態系を維持する上で欠かせない存在。
葉はいわば小さなソーラーパネル、吸収した太陽光をエネルギーとして利用する。
Dr.Liao Chung-Din ★Chlorophyll Battery

緑豊かな熱帯林が広がる台湾北部、物理化学者のDr.Liao Chung-Dinは、強力な太陽電池の開発を目指していた。
実験の過程で葉緑素を使えば、安定した電荷ができることを発見。
世界初の生分解可能な葉緑素による電池を開発した。
Din「葉緑素は太陽光を9割以上エネルギーに変換する。
しかし既存の太陽電池では太陽光の1割も利用できない。
葉緑素電池は従来の電池と違い、マイクロアンペアではなく、ミリアンペア単位の電流が流れる。
しかも面白いことに葉緑素は夜でも電荷を帯びたまま。
つまり太陽エネルギーを貯蔵して利用している。
その点にヒントを得た。
葉緑素を抽出するには昔ながらの方法を使う。
必要なのは水とアルコールと火。
アルコールに葉をいれ湯銭で温める。
加熱5分ほどで葉緑素が溶け出す。」
光合成によってエネルギーが作られる過程で電子の流れができる。
植物は葉緑素の量が減り、老化すると葉が黄色く変化し、光合成量が低下する。
Liao教授が開発した葉緑素の電池は光合成の仕組みを生かしている。
Din「黒い粉はプラスの電気を供給する、正極材料。
アルミ箔は負極の役割を果たす。
次に絶縁膜を置き、その上に正極材料を置く。
これなら正と負の電荷が混ざらず、発電効率を保てる。
真ん中には集電するための炭素棒をおく。
まだ化学反応は起こっていない。
いまは手作業で実験しているが実用化すれば機械作業になる。
これで葉緑素の電池が完成。
水を1滴垂らしただけで電流が流れる。」
水1滴でこの電池は3日間電気を流し続ける。
しかもまた水を垂らせば3回まで充電可能。
つまり最長で9日間持つ。
ほぼ葉緑素のみで作られているので生分解可能。
水銀やカドミウムなどの有害物質を含んでいない。

台湾では毎年1000トンの電池が消費され、リサイクルされるのは4割。ゴミ埋立地の各有害物質カドミウム、鉛、水銀は7割以上が電池から排出されたもの。
地球の未来のため、斬新な発明をする人は他にもいる。
台湾では運動エネルギーを効率よく活用し、温暖化を防止しようという動きがある。
100年後“地球上の石油は枯渇しました。
地表は車の残骸で覆われ、二酸化炭素と金属廃棄物が深刻な汚染をもたらしています。
排ガスの量は二酸化炭素排出量全体の3分の1を占める。
資源の過酷な消費が環境破壊を引き起こしたのです。
代替エネルギーや自転車を利用していれば避けられた事態です。
台湾の人々は身近な技術革新により、地球温暖化を食い止めようとしています。”
Wang Zhen-Rong ★Shock Absorber

Rong「僕はどこに行くのも自転車。
台湾を1周するつもりで旅の準備を始めた時、毎晩テントを張るつもりだったが、電話やカメラの受電ができないのが不便だと感じた。
それで自分で発電しようと考えた。
自転車サスペンションは運動エネルギーを吸収する。
その運動エネルギーを熱に変換すれば、運動エネルギーを無駄なく活用することができる。
原理は単純、サスペンションには磁石とコイルが取り付けてあり、衝撃で上下するたびに電流が生まれる仕組み。
道が険しいほど衝撃も大きいのでその分充電するのも早い。
バッテリーが充電されるとライトがつく。
携帯電話も充電できる。
直流電流に変換しバッテリーに蓄えた電力は変圧器で交流にして機材の充電に使う。
サスペンションが収縮さえしていれば加速していようと減速していようと充電できる。
横断歩道ほどの距離を自転車で渡るだけでも発電できる。
完全に水平でない限り、電気を生み出せる。」
従来自転車の発電力は、こぐスピードにかかっていた。
一方彼の発明は低スピードのときも1時間に180キロカロリーを蓄え、安定した電力を供給する。
小さな機器だけでなく、家電製品を充電することは可能だろうか?
人体もエネルギーを蓄える。
その量は1トンの電池に相当するほど。
そして今、運動エネルギーを利用する試みがある。
Huang Shao-Xuan ★Stationary Bike Power Generator

Xuanは仲間と共に運動エネルギーを蓄える方法を研究している。
現在は古い自転車のパーツを再利用して独自の発電機付エアロバイクを制作している。
そういったバイクを利用すれば、スポーツジムや家出運動する際にエコ発電ができる。
普段無駄にしているエネルギーを有効利用できるのだ。
Xuan「エアロバイクをこぐ時、消費カロリーを増やすため、ギアを調節して負荷を高める。
そこで無駄になる大量のエネルギーを蓄えて活用したいと考えた。
電圧計でバッテリーの電圧が分かる。
USBポートがあり、MP3もつなげる。
バイクにトースターをつなげてみた。
ペダルでこいだ熱が加熱コイルに送られる。
こぐ動きは変速機へと伝わる。
変速機を使うことでエネルギーの伝達効率が上がる。
そして発電機に動力が伝わる。
ペダルをこぐ力は一定ではないので、電圧安定装置を使って電圧を12ボルトに保つ。
これで家電を動かせるくらいの電力を生み出せる。
変圧器を付けたので出力は110ボルト。
これでいろんな家電に対応できる。
自転車をこぐと3アンペア、20ボルトの電気が作れる。
10〜13時間こげば車のバッテリーがフル充電できる。
480ワットの電力、1時間分。
ミキサーなら2時間、MP3プレーヤーなら2日間、トースターなら45分間は使える。」

1人の運動量は少なくとも、数千人が集まればかなりの電力になる。
いつものジムが環境に優しい場所になりうる。
場所はジムでなくても良い、体の動きをエネルギーに変換するだけなら家や学校でもできるはず。
それだけではない、人の運動エネルギーだけでなく、活用できそうなエネルギーはある。
車のエネルギー効率はわずか25%、ガソリンの燃焼で作られるエネルギーのうち4分の3が熱となって失われる。
Liu Xin-Yi ★Car Water Heater

Yi「エンジン内の爆発で発生する熱エネルギーを利用する。
発生する熱量がもっとも多いだけでなく、他で発生する熱よりも効率よく回収できる。
発生熱この部分から逃げ出す。
だから社内のこのあたりに給湯器を設置すれば無駄に放出される熱を減らすことができる。
将来自動車メーカーと協力してデザインを改善してゆきたい。
私はお茶が好きなので、運転中にもお茶をいれる方法を探していた。
排気管は給湯器の水を熱する部分に似ているので排気管で水を温められないかと考えた。
問題にもぶつかった。
例えば排気管の一部にコイル状の白い鉄の管を入れた時、管は熱せられると変色し、中の水にも色がついた。
そこで管を二重構造にしたら水に色がつくのを防ぐことができた。」
何をするにおいても自然環境に及ぼす影響が最初に考慮される時代。
Liuが考案したようなエネルギーの新たな活用法はより広まってゆくはず。
温暖化防止への取り組みが盛んな台湾では、地球そのものの力を活用する方法も考えられている。
地熱エネルギーだ。
台湾は環太平洋火山地帯の上にあり、地震活動や火山活動が活発な地域。
地熱を利用すれば、国内の電力の2割を賄えるといわれている。
台湾北部の北投温泉では、お湯は70℃を保っており、まさに地熱エネルギーの宝庫。
Dr. Chon Chien-Heng ★Geothermal Sterling Engine

Heng「スターリングエンジンの特徴は、様々な種類の燃料が使えること。
北投出身の私は昔から温泉が大好きで、この地熱エネルギーを利用できないかと考えていた。
難点はお湯の温度が一定であること。
温度差が小さくなると熱効率は低くなる。
しかし天候に左右されないし、熱源は無料なので長期的に利用できるという長所もある。
温泉のお湯をここに注ぐとお湯が流れてシリンダーの底面が温められる。
つまりシリンダー株の気体は上部の気体よりも温度が高くなる。
そこでピストンを下げると暖められた空気がピストンを押し返す。
するとピストンがフライホールを回し、その動きで再びピストンが下がり暖かい空気を圧縮する。
こうしてピストンは上下動し、フライホールは回転を持続する。
この一定の動きが熱を運動エネルギーに変え、小さな発電機を作動させる。
そうすることで電気が発生するとライトがつく。」
この発電機が生み出す電力だけでは北投の電力全ては補えないが、街頭の看板や照明のための電力を賄うことは可能。
地熱は長期的に使えるエネルギー源なのだ。

個人の小さな工夫や発見が環境保護につながる。
将来を変えるのは法律でも大企業のプロジェクトでもんく、1人ひとりの行動。
環境を優先課題に据えれば、私達の未来は開けてくる。
地球は数10億年の間複雑に絡み合う生態系の中で、無数の命を紡いできた。
その生態系のバランスを保つことができれば、悲惨な未来は避けられるだろう。
そして台湾の美しい山々や清流や豊かな緑は後世にまで受け継がれてゆくだろう。

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先住民の叡智に学ぶ☆地方主権が守る自然と伝統☆イヌイット

雪と氷に閉ざされた大地、最低気温は-40℃を超える極寒の地カナダ、ヌナブト準州。
立法議会府の紋章はイヌイットの文化を象徴している。
東京大学、月尾嘉男名誉教授、情報通信が専門だが、世界の山や川を探訪する中で、自然の大切さを痛感、環境問題の解決に挑戦している。
月尾「ヌナブト準州はカナダ政府とカナダの先住民族イヌイットの人々が20年以上に渡って共有し、1999年に誕生した新しい行政単位。
これは国家に集中していた権限を、先住民族に大きく分権したという意味で、世界でも画期的な事例と言われている。
現在日本でも明治以来140年続いた中央集権の国家の仕組みを地方主権に転換しようという動きが始まっている。
しかし中央政府と地方自治体の思惑が複雑に錯綜し、中々進展していない。」
カナダの先住民族イヌイット、動物を狩り、その命を糧として過酷な環境を生き抜いてきた。
イヌイットの正確な起源は分からないが、今から10000年程前、アジアから渡った人々の一部が獲物を追って東へ移動、カナダ北部にたどり着いたとされている。
移動しながら狩猟していたイヌイットも、20世紀半ばにはほとんど定住。
現代的な生活を送るようになった。
現在カナダにはおよそ45000人が暮らしている。
ヌナブト準州は日本の5.5倍もある土地に、人口がわずか30000人ほど。
その内8割以上がイヌイット。
“ヌナブト”とはイヌイットの言葉で“我々の土地”という意味。
1970年代に入ると、イヌイットは自分達の土地を自分達で管理したいと願うようになる。
そこに膨大な地下資源が眠っていることが分かり、その開発による環境破壊が食料となる野生生物にも影響すると考えたから。
1993年カナダ政府とヌナブト協定調印。
一部の土地の所有権が認められ、1999年ヌナブト準州誕生。
イヌイットは政治的な権限を勝ち取り、自らの手で環境問題に取り組めるようになった。


ヌナブト準州の旗、モチーフはイヌクシェクと呼ばれる石を積み上げた道標。
目印がないツンドラ地帯で、良い狩場や家へ変える方向を教えるもの。
ヌナブト準州の取り組みは、環境問題を解決する道標になるのだろうか?
ヌナブトの州都イカルイト、人口およそ7000人、その内8割がイヌイット。
今ヌナブトが直面している環境問題はどのようなものなのか?
環境大臣Daniel Shewchuk「現在直面している最大の問題は気候変動。
氷や永久凍土が溶けたり、海面が上昇している。
生態系だけでなく、インフラにも影響する。
避けて通れない問題。」
科学的な因果関係は証明されていないが、流氷のやってくる時期が遅くなったり、雪が早く溶けてしまうことも観測されている。
もう1つの重要な問題は野生生物。
ヌナブトに生息する様々な野生生物(セイウチ、ホッキョクグマ、アザラシなど)を糧にしてイヌイットは過酷な環境を生き抜いてきた。
イヌイットの大切な資源である野生生物を保護、管理してゆくのも順州政府の役目。
ヌナブトならではの取り組みが行われている。
Shewchu「イヌイットの知識を取り入れることが重要。
生態調査などにも活かしたいと考えている。
伝統と化学を組み合わせて、良い決断をしたい。」
順州政府が力を入れている取り組みの1つがホッキョクグマの管理。
ヌナブトではコミュニティごとに捕獲数が決められている。

バフィン島北部にある街ポンドインレット、およそ2000人の人口の内、9割がイヌイット。
ここでは今も狩りが生活の一部。
ハンター組合、ヌナブトの全てのコミュニティに設けられている。
それぞれの地域ごとに、野生生物の保護、管理を行っている。
ハンターに役立つ様々な情報も提供している。(環境技術プログラムの受講生募集、アザラシ皮販売のお知らせ。)
ホッキョクグマの捕獲頭数表、ここでは年間30頭しか認められていない。(オス20、メス10)
子供を産むメスはオスより大事にされている。
また1人のハンターは1頭しか捕獲してはいけない決まりになっている。
ジェイコ・アルルー(ハンター組合最高管理責任者 ハンター)は、捕獲制限には複雑な思いがある。
アルルー「ハンターは報告する義務があり、捕獲頭数をチェックしている。
バフィン島北部のホッキョクグマは危機に瀕していない。
むしろ多すぎるくらい。」
イライチャ・パニパコチェ(65歳 ハンター歴60年)「捕獲制限で昔からの慣習が変わってしまった。
ホッキョクグマが近づいてきても殺すことができないので、威嚇発砲で追い払うようになったが、それを何度も繰り返すと、ホッキョクグマの鼓膜が破れて凶暴になってしまう。」
凶暴化すれば、人を襲う危険性が高くなる。
イヌイットは動物達の習性を知り尽くしている。
パニパコチェ「ホッキョクグマを見るだけで健康状態が分かる。
大昔から動物達と共存してきた。
動物達を絶滅させたことは1度も無い。」

極北の大地で数千年間に渡り野生生物と共生してきたイヌイットたちの知識は、野生生物を守るために欠かせない。
それを象徴する会議がイカルイトで開かれた。
ホッキョクグマの捕獲制限に関する公聴会だ。
主催はヌナブト野生生物管理委員会、各地域のハンター組合と協力しながらヌナブト全域の野生生物の保護管理を担当している。
ヌナブトとグリーンランドに挟まれたバフィン湾でホッキョクグマの捕獲制限を巡って大きな問題が発生している。
Harry Flaherty(ヌナブト野生生物管理委員会委員長)「今回は捕獲制限を厳しくすることについて意見を聞く。
グリーンランドの捕獲数は年間18〜24頭と報告されていたが、実際は180頭以上獲っていた。」
グリーンランド側が捕獲制限を守っていなかった。
それぞれの捕獲制限数は1997年に推定された生息数2074頭をもとに決められた。
それが1500頭まで減っているのではないかとされ、ヌナブト側でも制限数を見直そうということになった。
公聴会には生物学者をはじめ、イヌイットのハンターや長老も出席。
委員会はそれぞれの言い分を聞き、中立の立場で環境大臣に提言する。
生物学者の見解は・・・「私達の推定によれば、捕獲がなければ年間5.5〜6%の割合で増えることになる。」
生物学者は全く捕獲しなければ、現在3000頭を超えているはずだと推定。
しかしここ10年で平均年176頭を獲っているので、1500頭近くに減っていると推定している。
一方増えていると主張する側は、イヌイットの長年の経験や観察を根拠にしている。
予定を延ばし、2日間に渡り続けられた議論の結果を受けた環境大臣が、どう結論を出すのか、世界が注目している。

月尾「アメリカの経済が世界各国の経済に影響し、また中国の生活水準の向上が、世界各地の資源に問題を起こすなど、一部の地域の活動が世界の様々な地域に影響する問題が増えている。
環境問題はその代表。
現在ヌナブト準州とグリーンランドでは、ホッキョクグマの頭数の減少が問題になっている。
これはイヌイットの人々にとって生活の糧だが、北極圏の生態系を維持するために、最近その狩猟頭数と厳しく制限する議論がイカルイトで開かれた。
昨今の世界規模での環境問題の理論では、各国が時刻の利益に走りがちだが、この広大な自然を守るために、自らを厳しく律するイヌイットの人々の活動を参考にすべきだ。」

海岸線に住宅が並ぶポンドインレット(Pond Inlet)の町。
この町にイヌイットが定住を始めたのは20世紀に入ってからだった。
長い間野生生物を追いながら移動生活をしていた彼らに変化をもたらしたもの、それはハドソン湾会社(北米大陸の毛皮貿易のために設立されたイギリスの国策会社)。
18世紀に入ってイヌイットとの毛皮取引を始めたこの会社は、各地に拠点を作った。
イヌイットの世界に西洋文化が流れ込んできて、やがて取引を目的に狩りをするイヌイットが増え、定住を始めた。
彼らの生活は一変した。
賃金労働で暮らす者も現れ、伝統的なイヌイットの精神が薄れていった。
それは動物の命と引き替えに生きるという自然の恵みへの感謝、そして仲間と食料を分かち合うことで厳しい環境を生き抜いてきたという誇り。
チャーリー・インワラック(62歳)はそんなイヌイットの精神を大切にしているキャリア50年のプロハンター。
奥さんと2人の子供を養っている。
インワラック「私達イヌイットは必要な分の獲物を獲っている。
家族のためだけでなく、町の人々が必要とする分もだ。
今は誰もが狩りに行ける時代ではない。
誰かが狩りに行けば、誰かの生活が助かる。」
息子のマイケル君はいつもお父さんと一緒に狩りにでる。
マイケル「冬でもアザラシを獲りに行く。
アザラシが息継ぎする小さな穴が空いている。
銃を持って待つ。
時には銛も使う。」

冬のアザラシ猟、氷の穴からアザラシが顔を出すところを狙う伝統的な狩猟法。
何日も待ち続けることもあるという。
伝統的な生活が忘れられず、イカルイトからポンドインレットに戻ってきた家族がいる。
エブラハム・クヌック「狩りにいく自由な時間が持てるし、落ち着ける。
イカルイトでは毎日仕事ばかりだった。
ここでは家族や兄弟と過ごす時間も取れる。」
ジョアンナ・イヌアラック「2人の息子が私達の文化を失いつつあることに気づいた。
だから戻ってくることにした。
小さい孫も3人いるが、英語しか話さなくなっていたので、社会に出る前に自分達の言語や文化を学んだ方がよいと思った。」
ヌナブト準州ではイヌイット語が公用語として認められ、町の看板や標識には英語と並びイヌイット語が表記されている。
しかし使えるのは議会や行政の場に限られていた。
特にイカルイトではビジネスでやってくる白人も多く、イヌイット語よりも英語がよく使われている。
そこでヌナブト政府は2008年に公用語法を改定。
全ての行政サービスがイヌイット語で受けられるようになった。
その立役者が文化大臣
Louis Tapardjuk「イヌイットの価値観は長老達から伝えられてきたが、若い人が言葉を理解できなくなってしまった。
私は教育も担当しているので、公用語を学校にも適用できるようにした。」
イヌイット語を学ぶ授業が増えただけでなく、イヌイット語で多くお科目が学べるようになった。
Tapardjuk「2019年に12年の教育課程を終える人は、イヌイットごと英語か仏語が話せるようになっている。
イヌイット語を第1言語として身につけて卒業する。
イヌイット文化を伝承する人材になると期待している。」
言語の復権が民族の未来を切り開くのだ。

月尾「環境問題の解決に調整するため、家庭電化製品の効率を大幅に向上させ、また情報通信技術を利用した。
在宅勤務やテレビジョン会議によって移動を減らすなど、先端技術によって環境問題に挑戦する努力が始まっているが、その一方で伝統文化を見直すことも重要。
今回ヌナブト準州で政府の活動をいくつか見てきたが、それらはイヌイットの人々の経験や知識を重視したものだった。
日本が先端技術で環境問題に挑戦することはもちろん重要だが、同時に伝統文化も参考にすべきだ。」

ヌナブト準州の州都イカルイトはイヌイット語で“魚がたくさんいる場所”という意味。
最近この町の人々の生活を脅かす出来事があった。
町の中心部から程近い河口にダムの建設が計画された。
潮の満ち干によって最大12mにもなる水位の差を水力発電に利用しようとしたのだ。
実はヌナブトでは発電の方法画大きな課題となっている。
温室効果ガスを多く排出する化石燃料に頼っているからだ。
その対策として開発された水力発電プロジェクトだが、結局実現しなかった。
それは何故だったのか?
サイモン・アワ(環境大臣)「この計画がコミュニティから反対された理由は、予定地が漁場だから。
ホッキョクイワナが遡上する。
ホッキョクイワナは大事な食料源。
そのために計画を拒否した。」
エネルギーの確保と生態系の維持、どちらも重要な問題。
アワ「温室効果ガスの排出量だが、ヌナブトは化石燃料に依存しているが、人口が30000人ほどなので、カナダの他の地域に比べたら排出量は少ない。
しかし温室効果ガス排出による環境への影響は気になっている。
以前いくつかのコミュニティで風力発電を試したことがあるが、試した風力発電機は北極地方に適していなかった。
失敗の連続だった。」
風力発電は温室効果ガスの排出は少ないが、気温が-40℃にもなるヌナブトの機構に耐えられなかった。
ヌナブトには太陽が何ヶ月も顔を出さない地域がある。
太陽光も切り札にはならない。
アワ「私達は利用可能な代替エネルギーを探している。
温室効果ガス排出の問題にはいずれ対処しなければならない。」
極北の地ヌナブトでの発電は試行錯誤の連続。
波の力を利用する方法なども検討している。
一方身近なところでこんな取り組みも・・・

ポンドインレットの町並みを良く見ると、地面と建物の間があいている。
リチャード・ガブニエル(建築家、ヌナブト準州バフィン等地域振興課)「建物の下を低温に保たないと永久凍土が溶けて地盤が緩んでしまうので、家が地面から離れている。」
永久凍土とは年間を通じて0℃以下で常に凍結している土壌。
暖房などの熱で溶けると、建物が崩壊する以外にも問題が起きると指摘されている。
永久凍土に閉じ込められていた温室効果ガスが大気中に排出される心配があるのだ。
ヌナブトはほとんど全域が永久凍土、全てのコミュニティで同じような対策がとられ、学校や体育館など公共の大きな建物も地面から離れている。
こうした地道な努力の積み重ねが大きな効果につながるのだ。

カナダは鉛や銅、ニッケル、亜鉛、ダイヤモンド、金鉱など地下資源の宝庫。
中でも石油は世界第2位の埋蔵量を誇る。
とりわけ北部にはたくさんの資源が眠っている。
今後の開発への影響が懸念されるため、ヌナブトでは1999年ヌナブトインパクト調査委員会を設立。(ヌナブト全ての開発は委員会の審査を受けねばならない。)
現在審査中のプロジェクトで、大きな関心を集めているのがメアリーリバープロジェクト。
ポンドインレットの南160kmにある鉄鉱山の開発計画。
開発会社は鉄道輸送を提案している。
ヌナブト初の鉄道で、カナダ北極圏でも初めてのものになる。
鉄道で港まで運び、195000トンの鉄鉱石を運べる大型船に積み込まれる。
そしてヨーロッパや他の国々へ運ぶ。
船による輸送には問題が1つある。
セイウチの生息地域を通るのだ。
開発会社は1日おきの輸送を提案しているが、委員会では他の方法を検討している。
例えば一定期間輸送をやめればセイウチを守れる。
前例のない巨大プロジェクト、委員会も慎重に調査を進めている。
この委員会で重要視しており、他の地域と違うのは、伝統的知識を取り入れること。
長老や住民達を訪ねて話を聞き、調査に活かす。

月尾「企業の社会貢献を評価するCSR(Corporate Social Responsibility 企業の社会的責任)は、最近では財務状況以上に企業を評価する重要な指標になりつつある。
カナダのケベック州北部でニッケルを採掘しているスイスの鉱山会社エクストラータは、イヌイットの文化の維持に貢献し、また海洋生物が生息する自然環境を保護するため、毎年3〜6月の4ヶ月間は砕氷船を利用しないなどの貢献により、ニューズウィークが世界の企業を対象に2008年に行ったCSR評価で世界第1位に輝いた。
そして最近CSR活動のCをはずし、SR活動にしようという動きが始まっている。
Corporate(企業)だけでなく、Consumer(消費者)、Citizen(市民)そしてCommunity(地域社会)が一体となって環境問題をはじめとする社会問題の解決に取り組んでゆこうという気持ちを表したもの。
現在ヌナブト準州で計画されているエネルギー資源や鉱物資源の開発については自然環境の保護や伝統文化の維持を前提とした極めて厳しい事前評価がなされている。
まさにSR活動だと思う。
これまで多少の外部不経済(郊外など企業や組織がその活動によって外部環境に与える損失)は無視しながら発展してきた産業も、最近では二酸化炭素の排出規制や環境税の導入により、その不経済を企業内部に取り込むことが要請されている。
このような時代に世界有数の埋蔵資源を持つカナダ北部で行われている議論は環境の時代の世界が参考にすべきものだと思う。」

ヌナブト準州を実現させたイヌイット、その取り組みはどこまで成果をあげているのだろうか?
月尾「ヌナブト準州が誕生してほぼ10年、ヌナブトの人々の生活に大きな変化がありましたか?」
サイモン・アワ(環境副大臣)「10年は短い年月だから今判断するのは難しい。
学びながら成長している段階。
少しずつは変わり続けている。」
月尾「イヌイットの人が政府の中に入ってイヌイットの伝統や考え方が問題解決に反映されるのが重要ですね。」
大きな権限を勝ち取ったイヌイット、世界は注目している。
アワ「ヌナブト準州がどのように誕生したかよく聞かれる。
ヌナブト協定の交渉は20年かかった。
私はハンターでもあり、冬はアザラシ狩りに行く。
アザラシが息継ぎする氷の穴の前で待つ。
何時間もたっていることは大変な忍耐力が必要。
しかしアザラシはいつか出てくる。
食料が得られると分かっているのだ。
ヌナブト協定でもイヌイットは決して諦めなかった。
時間がかかってもいずれは実現できると分かっていた。
アザラシ狩りと同じように大変な我慢が必要。
そうすれば報われるのだ。」

月尾「産業革命を主要な要因として成立した近代社会では、国家に権限を集中させ、その巨大な力で世界の中で優位に立つというのが基本戦略だった。
日本は明治以来その戦略を着実に実行し、世界有数の国家になることに成功した。
しかし現在産業革命から200年以上経過し、社会は情報の創造を基礎とする情報社会に移行しつつある。
そこでは巨大で一律な集権国家ではなく、多様で小規模な自治体が集合した分権国家が重要とされ、日本でも2000年4月に不十分ではあるものの地方分権一括法が施行され、その方向に向かいつつある。
しかし既得権益集団などの反対もあり、必ずしも順調に進展しているわけではない。
カナダは元々連邦国家だが、さらにその中に先住民族であるイヌイットの人々を中心とするヌナブト準州を成立させ、より多様な文化を持つ国家に発展していこうとしている。
今回ヌナブト準州を巡って感じたことは、日本も地方主権の新しい多様な制度、政治、経済、文化などを持った国家として発展してゆくために、極めて参考になるのではないかということ。」

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