ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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仏像
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BuyMa(バイマ)

仏像は6世紀仏教伝来と同時期に日本に伝わった。
今もその技術と伝統を受け継ぐ仏師が仏の姿を彫り続けている。

鎌倉時代、武士の間に、座禅を組んで自分を律する禅の考えが広まった。
北鎌倉にある浄智寺は、禅宗、臨済宗円覚寺派に属する。
鎌倉五山第4位。


本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去・現在・未来を象徴する。
鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政(1253〜1281)の菩提を弔うために、弘安6年(1283年)に創建された。


日本は古くから仏教が多くの人に信仰されてきた。
仏を祀る寺院は現在全国におよそ80000あると言われている。
寺の多くは仏像、あるいは仏を描いた絵画や曼荼羅が納められ、訪れた人々はその像に向って拝み、祈りを捧げる。
また高度な彫刻の技術を要する仏像は、芸術品としても広く鑑賞されている。
仏像の数は文化財として登録されているものだけでも5300にのぼる。
しかし登録されていないものも多く、正確な数は把握できない。
道端のお地蔵様のように、さりげなく生活に溶け込む仏像もある。
それらも含めると、日本には数え切れないほどの仏像がある。

仏像には大きく分けて4つのグループがある。
頂点に立つのは如来。
★如来:悟りを開いたもののこと。
仏像の中でも最高の存在。
如来像の中にも宗派や役割によって様々な種類がある。
■毘盧遮那如来:仏教の教えそのものを仏の姿に表したもので、宇宙の真理を象徴する存在とされている。
↓乗蓮寺


■釈迦如来:仏教の創始者ゴータマ・シッダールタが厳しい修行の末に、悟りを開いた姿を表している。


■大日如来:密教の世界で中心に位置づけられる。


■阿弥陀如来:極楽浄土に人々を導く。


■薬師如来:病の苦しみから人々を救う。
↓東寺(教王護国寺)  


如来に続くのは菩薩。
★菩薩:人々を救いながら、将来悟りを開いて如来になろうと修行しているものの姿を表している。
■観音(観世音)菩薩:救いを求める人々の声に耳を傾け聞き取る。


■十一面観音菩薩:あらゆる方向に目を向けることは、全ての人を救済するという意味を持つ。
優しい表情、怒った顔つき、後ろに付いているのは大きな口を開けて、笑っている顔。
変化する表情は、観音が持つ能力や功徳の多面性を表している。


■弥勒菩薩:神秘的で美しい表情。
やがて如来になることを約束されている。


続いて明王。
★明王:密教の世界で、主人大日如来の命に従って人々を教え導く。
明王の「明」とは、「真言」(マントラ)を意味しており、すなわち、明王は、真言の力そのものを体現した仏である。
代表的なものに、五大明王がある。、
・不動明王(ふどうみょうおう)
↓善水寺


・隆三世明王(ごうざんぜみょうおう)
・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
↓醍醐寺「五大明王・軍荼利明王像」


・大威徳明王(だいいとくみょうおう)
・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)

その多くが(忿怒)怒りをあらわにした表情で、如来の教えを聞かない者をこらしめようとしている。
中でも中心となるのは不動明王。
ヒンドゥー教のシヴァ神に由来。


ブラフマーは、インド神話、ヒンドゥー教の神。
三神一体論(トリムールティ)では、三最高神の一人で、世界の創造と次の破壊の後の再創造を担当している。
ヒンドゥー教の教典にのっとって苦行を行ったものにはブラフマーが恩恵を与える。
4つのヴェーダを象徴する4つの顔と4本の腕を持ち、水鳥ハンサに乗った男性(多くの場合老人)の姿で表される。
手にはそれぞれ「数珠」、「聖典ヴェーダ」、「小壷」、「笏(しゃく)」を持つ。
配偶神は知恵と学問の女神サラスヴァティー(弁才天)である。
ブラーフマナ文献やウパニシャッドに説かれる宇宙の根本原理であるブラフマンを人格神として神格化したのがブラフマーである。
インド北部のアブー山に暮らしていたとされ、ここにはブラフマーを祭る大きな寺院がある。
ヒンドゥーの三つの重要な神は、他にシヴァとヴィシュヌであり、ブラフマーは宇宙の創造を、ヴィシュヌは宇宙の保持を、シヴァは宇宙の破壊をそれぞれ担当するが、同じ存在の三つの現われであるとされる。
ヴィシュヌ派によると、ブラフマーは、ヴィシュヌのへそから生えた蓮の花の中から生まれたとされ、ブラフマーの額からシヴァが生まれたとされる。

シヴァとは「吉祥な」という意味で、『リグ・ヴェーダ』では、暴風神ルドラの別称であった。
強力な破壊神であるルドラは、豪雨、雷などによって人間を殺す恐ろしい神であったが、反面病を癒す治癒神でもあった。
ルドラは、モンスーンの神格化であり、破壊をもたらすと共に、雨によって植物を育てるという二面性を持ち合わせていた。
その二面性は、後のシヴァへと受け継がれることになった。


シヴァの姿は、裸体に虎の皮を纏い、首には数珠と蛇を巻き付けた姿で描かれることが多い。
ぼさぼさの髪を無造作に束ね、手には三叉戟を握っている。
これは、つまり遊行者のスタイルである。
もっとも目立つ特徴は、額に引かれた3本の線。(逆に、ヴィシュヌ派の額には、Vの字が刻まれている)
それに加え、額に「第3の眼」が描かれている。
シヴァの第3の眼が一度開くと、そこからは世界を焼き尽くすほどの光線が放出されるという。
シヴァの持つ三叉戟も、重要なシンボルといえるだろう。
それは普通、雷を表していると考えられるが、ヒマラヤの峯の象徴ともいわれる。
また、彼の身体が青白いのは、牛糞を燃やした灰を身体に塗っているからだという。

シヴァの住まいは、ヒマラヤ山脈にそびえるカイラーサ山である。
その根元にはガンジス河が流れているとされている。
仏教では「鶏羅山」と呼ばれるこの山は、標高約6700mの山として、実在している。
そこで、シヴァはデーヴィーと呼ばれる数多くの妻達と暮らしている。
妻の1人パールヴァティーとの間に生まれるのが、ガネーシャとスカンダ。
シヴァの乗り物はナンディンという聖なる牛。

シヴァ神崇拝の、最も特徴的なのはリンガ崇拝。
リンガとは、抽象化されたシヴァの男性器である。
通常は、ヨーニと呼ばれる女性器を象徴した台座に乗せられ、崇拝されている。

不動明王は、戦国武将の武田信玄が思考したことでも知られている。

最後は天部。
★天部:インドの神話の中で活躍した神々が、仏教に取り入れられたもの。
「天」という言葉はサンスクリット語のデヴァ(deva)の漢訳で、本来インドでは六道(ろくどう)(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)中の天を意味し、「天界・天上界・天道」とも訳される「デーヴァ・ローカ」という言葉と、「神・鬼・天人」などを意味する「デーヴァ」という言葉は区別されていた。


しかし中国において「天」と漢訳された際に両者の区別が明確でなくなり、両方の意味を兼ね備えるようになった。


天部諸尊のルーツである古代インドのバラモン教の神々は、宇宙の創造神から、悪霊鬼神の類に至るまでさまざまである。
そのうちには、男性神(毘沙門天、大黒天など)、女性神(吉祥天、弁才天など)、貴紳形(梵天)、天女形(吉祥天)、力士形(金剛力士)、武将形(十二神将)など、さまざまな形態や性格のものを含む。
↓梵天 東大寺法華堂(三月堂)(乾漆像)


↓梵天 唐招提寺金堂(木造)


↓吉祥天立像 浄瑠璃寺

 
↓毘沙門天


東西南北の四方を守る、四天王もその1つ。
甲冑を身につけ、威厳のある武将の姿に造られ、多くは邪悪な者を踏みつけている。
如来を囲むように四方に立つ守護神。


仏像を鑑賞する時、細部の形に込められた意味を知っておくと興味が湧いてくる。
仏像の手の形(印相)には、それぞれ意味がある。


〇槎軌攬+⇒心螳
施無畏とはさまざまな恐怖を取り除くことで手を上げて指を伸ばして掌を外にめける印相、与願とは仏が人々の願いをかなえてくれることをあらわし手を前に差し出し掌を外の向ける印相で施無畏印と与願印は対になっている。
釈迦如来像に多くみられる。


C匏印
智拳とは煩悩を滅しさとりに入ることで胸の前で左の人差し指を立て、その指を右手で握る。
金剛界大日如来だけが結んでいる。


ね莊洌
来迎とは人々を救うために阿弥陀如来が迎えにくることで、右手は掌を外に向けて胸の前に上げ左手は掌を外に向けて前に出すか垂れ下げ、両手とも親指と人差し指をつける印相で手が逆の場合を逆手来迎印という。
阿弥陀如来像が結ぶ。


チ議螳(定印、法界定印)
瞑想にはいる時の形で掌を上に向けて両手を臍の前で重ね、親指をつける形で座禅などで見られる。
密教では法界定印といいう。
釈迦如来、胎蔵界大日如来、千手観音像が結ぶ。


Πぬ鐶膨螳
阿弥陀如来が瞑想している時の印相で両手の掌を上に向け臍の前で重ね、両方の人差し指を合わせて立て、その指先に親指を載せる。


Ч瀚皸
降魔とは修行をさまたげる悪魔を降すことで右手を膝の前で掌を内側に向けて垂れ下げ指を伸ばす。
釈迦如来像が結ぶ。


╂睨^
両手を胸の前に構え親指と小指以外の指で輪の形にするものが多い。
釈迦如来像と阿弥陀如来像が結ぶ。


仏像の持つ道具(持物)にも、1つ1つ意味がある。


〔堯…曄覆笋辰魁
薬師如来が持つ薬の入った壷。
∧ 珠(ほうじゅ)
財宝を降らしたり不幸な災いを除くとされる珠で地蔵菩薩や吉祥天などが持つ。


水 瓶(すいびょう)
汚れを払う霊水が入っている仏具で菩薩が持ち水瓶に蓮華を挿したものもある。
な 剣(ほうけん)
煩悩を断ち切る智慧の刀で明王、天部などが持つ。
ハ 華(れんげ)
煩悩に汚れていない清らかさを示すもので、開いた蓮華(開蓮華)と蕾の蓮華(未敷蓮華)の2種類があり、観音菩薩の象徴。
羂 索(けんさく)
投げ縄の意味を持つ武器の一種で、これを投げて人々をもれなく救うものとされ、不空羂索観音像や不動明王像、千手観音像が持つ。


ф 磨(かつま)
三鈷杵を十字に組み合わせた手裏剣のような武器で仏の智慧の働きを表わす。
明王などが持っている。


宝 塔(ほうとう)
仏舎利(釈尊の遺骨)を納めた塔で四天王のうち多聞天や毘沙門天が持つ。


錫 杖(しゃくじょう)
僧侶が山を歩く時に持つ道具で地蔵菩薩が六道を巡る象徴として持つ。
金剛杵(独鈷杵)(こんごうしょ・とっこしょ)
密教で使われる煩悩を破る武器。把手の両端に先の尖った鈷(こ、切っ先)のついた杵形のもので明王や金剛力士などの天部の諸像が持ち、鈷の数で名前が変わる。
金剛杵(三鈷杵)(こんごうしょ・さんこしょ)
鈷先が3つに分かれるもの。

千手観音は1つ1つの手に道具を持っている。
苦しみを除く宝珠、煩悩を打ち砕く銀棒・・・
↓唐招提寺 千手観音立像(国宝)


如来の頭全体に並ぶイボのようなものは、長い修行の間に、髪の毛が丸まってできたもの。
仏像の坐り方にもいろいろあり、台座との組み合わせになっていることが多い。

仏像が背負っている光背も様々。
如来や菩薩の光背は、仏の拝殿に射す光を表している。
明王の場合は光背が炎になっていることが多く、怒りを表している。


仏教はインドでGautama Siddhaarthaの教えに基づき開かれた。
Gautama Siddhaarthaは、日本ではサンスクリットの釈迦牟尼を省略した形の釈迦として知られている。
やがて人々は、釈迦の姿を仏像にするようになった。
最初の仏像は、釈迦の死後およそ500年経った1世紀頃、現在のパキスタン北部のガンダーラ地方で造られた。
釈迦がモデルになった当時の仏像は、シルクロードを経て、他の地域にも伝わり、約400年後、日本にも入ってきた。
初めは釈迦をモデルにしたものだけだったが、長い歴史を経て、多くの種類の仏像が生まれた。
また仏教そのものの世界観が複雑になり、多くの宗派が誕生した。

その結果として、如来や菩薩の種類も増えた。
また同時にヒンドゥー教の神々や、日本土着の神々が取り入れられ、明王や天部などが出てきた。

色々な仏像は、どのように日本各地に広まったのだろうか?
仏教伝来と共に、当時大陸にあった最先端の文化や技術が導入された。
瓦屋根や木組みなど、高度な技術を要する寺院建築、漢字を多用した仏典・・・。
同時に仏像彫刻も伝えられた。
奈良、飛鳥寺に、日本最古と伝えられる仏像がある。
↓飛鳥大仏 高さ2.8m
当時仏教導入を強力に推し進め、強い権力を持っていた蘇我氏の発願によって造られた。


その後平城京を新たに都とし、律令制度を整え、強い中央集権国家を目指した。
当時大陸では中国の唐が巨大な勢力を誇っていた。
日本は貢物を贈り、学問や技術を学んでいた。
そんな中、聖武天皇は、国家の維新をかけ、大仏を製作した。
詔が743年に出され、大仏造りが始まった。
全国から集められた人足は、延べ260万人。
当時の国民の2人に1人は大仏造りに携わっていたと言われる。
そして752年、奈良東大寺に、巨大な仏像が完成した。
高さ15m、銅製、世界最大級の仏像、奈良の大仏。
開眼式には全国から1万人の僧侶を集め、インドからも僧侶を呼び寄せた。
海外からの参列者も加わり、式典は盛大に行われた。
大仏造営は、仏教を中心とした国造りの大きなステップであると同時に、日本の国力と威信を内外に示すものでもあった。


平安時代には、華やかな貴族の社会となる一方、まもなく仏の教えが通じない末法の世が来るという、末法思想が広まった。
飢饉や天災が起こると、貴族達はこの世を憂い、死後の極楽浄土に救いを求めるようになった。
当時の権力者、藤原氏が建立した平等院は、末法の世が始まるといわれた1052年に創建された。
本堂は極楽浄土の宮殿を模したという。
その中に納められた本尊は、極楽浄土へ人々を導くという阿弥陀如来像。
この時代には、貴族達が極楽浄土に憧れ、数多くの寺院や仏像を造るようになった。

やがて武士の支配する鎌倉時代になると、戦いの勝利を願い、勇ましい姿の仏像が好まれるようになった。
この時代、運慶と快慶という2人の天才仏師が現れ、弟子達と共に次々と仏像彫刻の傑作を生み出した。
その代表作の1つが奈良東大寺の南大門にある、金剛力士像。
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形( うんぎょう)像の2体を一対とし、高さ8m、重量6トンを超える巨像。
生気みなぎる躍動感に満ちた動き、隆々と盛り上がる腕や胸の筋肉。
見る者を圧倒する猛々しい表情。
金剛力士像は、美術作品としても最高級の質を備えている。


日本の仏像のほとんどは木造。
日本では、古来木が崇められてきた。
神聖なものとして、信仰の対象とされる木もある。
そして木から仏像を造ることで、その木に宿る特別な力を生かすことができると考えられたのかもしれない。

現代の仏師、松本明慶さんは、運慶、快慶に続く名門慶派の流れをくむ仏師。
仏像を造り続けて40年余。
仏の慈しみの表情を求め、日々造り続けている。
年間に製作する仏像はおよそ150体。
明慶さんが仏像を彫り始めたキッカケは、4歳年下の弟が、心臓の手術中に亡くなったこと。
人の死が、あまりにも突然訪れる体験に、本当に仏はいるのか、と愁いた。
仏様自身がどういう人なのか、知りたくて、仏像を彫り続けた。
仏を彫っている時は、時が経つのを忘れるのだという。


京都大原野にある明慶さんのアトリエ。
広島県大願寺から、不動明王大仏製作の依頼を受けた。
ノミ入れ式:大仏に使う木に、加持祈祷をして工程の無事を祈る。
明慶さんは、製作に入る3年前、あらかじめ5分の1の雛形を造り、完成したイメージを固めておいた。
実際の大仏を作るのに先立ち、雛形を沸騰した湯につける。
板と板を貼り合わせていた接着材が溶け出し、輪切りにされたように、1枚ずつパーツが分解されてゆく。
頭部だけで、18枚の板となる。
これが設計図となり、この板をそれぞれ5倍に拡大し、実物大の大仏を造ってゆく。
弟子達も総動員で大仏造りが進められる。
木出し:木の状態や木目を読んで、どこにどの角材を置くのか決めてゆく。
今回使用する角材は、およそ50000本。
それらをパズルのように組み合わせる。
パーツを接着し、大きく形を造ってゆく。
1枚1枚丁寧に貼り合わせてゆく。
粗彫:主だった輪郭と表情を形取る。
怒りの表情の中に、慈しみの心をどう表すか、不動明王は仏師にとって表現の難しい仏だと言われる。
顔の表情が定まってきたところで、顔を胴体へ載せる。
頭部の重さは約300kg。
少しのズレも許されない。
そして3ヵ月後、いよいよ目を入れて命を吹き込む。
この不動明王の目は、これから長い間、この世で人々を見守り続けることになる。
この大仏と向き合う時、人々は何を祈るのか、明慶さんは様々な思いを込めながら、丁寧に修正してゆく。
製作開始から4年、身の丈5mの不動明王が姿を現した。
明慶さんは、わが子を惜しむように最後の磨きをかけてゆく。
そして奉納の日、威風堂々とたたずむ不動明王に人々は手を合わせる。
仏師が仏像に込めた思いは、これから何十年何百年と人々の祈りを受け止めてゆくことになる。


道端など、日本中至る所で見かける地蔵。
生まれる前やその直後に世を去ってしまった子供の供養としての役割を果すものもある。
その他に、旅人を見守ってくれたり、時には道標としても使われる。
仏像は、時には優しく、時には厳しく日本人を見守り続けてくれている。
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ラピュタ大佐ファン (2017/04/23 10:42 PM)
 私も行ったことがあります。素敵な場所ですよね。
あと清水寺、足立美術館、和鋼博物館にもいきました。たたら製鉄が盛んだったらしいですね。あと和鋼博物館から見える十神山、なんかジブリの天空の城ラピュタを思い起こすような、かわいい小山が綺麗でした。









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