ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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サ神信仰
古代の人々は、自然の織り成す森羅万象を「カミ」と呼び、豊作や大漁の豊穣をもたらしてくれた「カミ」をもてなし称え、荒ぶる「カミ」を畏れ鎮めた。
人は、太古より自然と共に生き、「カミ」と共にあった。

神祭り、聖なる山奥の神社の漆黒の闇、境内は氏子で埋め尽くされた。
松明の火が燈され、炎はメラメラと上空へ舞いあがり、暗闇の天空を真っ赤に染める。
炎は人を陶然とさせ、次第に氏子たちの顔は紅潮、心臓の鼓動が高鳴る。
祭りの興奮は最高潮に高まり、氏子たちの体から湧き出た凄まじいエネルギーは、太古の息吹・「カミ」と感応し、忘我の境地へと導くのである。
すべては一つであり一体である。
こうした体験を共有することにより、人々は「カミ」と共にいることと氏子としての絆を再認識するのだ。
祭りとは太古より、「カミ」を通じて人間を癒し、共同体を維持させてきた。

古代から日本人は考えていた。春とは何か・・・
神が山にいる期間は万物がひそかに忌み籠もる期間であり、生命の再生を待つ期間であると考え、この期間を古代人はフユ(冬)と呼んでいた。
フユとは「御魂の殖ゆ(フユ)」であり、じっと辛抱して忌み籠もる間に、新たな生命が「殖ゆる(フユる)」期間を意味していた。
そこで冬(フユ)には、死にかけた太陽を復活させるための、さまざまな太陽祭祀が行われた。
山に帰っていた神が里に降りてくる「春」が訪れる。
この神を迎え、また、同じく山に帰っていた祖霊を迎えて、新年の豊作を願い、祖霊祭りを行うのが、正月の様々な祭りである。
「ハル」は「ハレ」であり、木の芽がいっせいに「張る(ハル)」季節であり、新たな生命が瑞々しく胎動しはじめる季節だったのだ。
人々は生命の再生を待ち、新たな生命が瑞々しく胎動しはじめる期間である春を、心から待ち望んだのだ。
春には山の神さまは田の神さまになり、「御田植えの神」になるため里に降りてくるとされていた。
そして山の神さまは山から降りて来る途中、桜に宿るという。


かつて古代日本には山の神で「サ神」という神があり、福島県・山形県・新潟県の山地狩人仲間では、山の神を「サガミ様」と、呼称している。
桜の語源の一つに、サクラの「サ」は山の神さま(稲の神さま)のことで、クラとは、神霊が依り鎮まる座を意味し、イワクラ(磐座)やタカミクラ(高御座)などの例がある。
そこから、桜を「サクラ」というようになったそうだ。
サクラは稲作信仰と強く結びついている。
福島県では種をまく時期をサクラに頼っていたとか、福島県岩代町では稲代作りの目安になるサクラを「コエアゲサクラ」といい、福島県白河市では、「稲代しめ桜」という。

また、が山の峠を越える時には、その山神に向かって手を合わせて無事を祈願し、感謝した。
そこで、テムケ(手向け)→タムケ→タウゲ→トウゲ(峠)と、峠という言葉が生まれたそうだ。
また、山神を礼拝する時に、太古の人々は立ったままでは失礼なので、必ずしゃがんで合掌した。
この、「シャガム」という言葉もサオガム(サ拝む)→シャオガム→シャガムと、「サ神」を礼拝する姿勢から生まれた言葉と言われる。
「サ神」は山神なので、通常は人気のない山頂に近い神域に住んでいて、みだりに一般庶民は近寄れなかった。
そこで、その境界線をサカイ(境) そこに、具体的に設けられた垣根がさく(柵)と言われた。

農村では豊作祈願のために、「サ神」に山から下りていただき、田植えの行われる5月をサツキと呼んだ。
サオトメ(早乙女・五月女)が、サナエ(早苗)を植える。
田の神のことを、四国地方では「サバイ」、中国地方では「サンバイ」、鹿児島県では「サツどん」と言う。
田植え月の5月、「サ神」が降りてくる意味の「サオリ」に対して、七月に昇天することをサの神が昇る「サ昇り」→「サナブリ」と言う。
「サ神様」にいろいろ祈願するために只では申しわけないのでお供え物をした。
最も欠かせない重要なものが「サケ(酒)」。
神前に「ササゲル(捧げる)」意味がある。
サカナ(魚)やサケ菜(山のもの、野のもの)も同じ、サカナ(肴)、サ神様に、お供えするものの意味。

花見の由来は、古来から祓(はら)いのための宗教的行事だったようである。
期日が設定され、野山に出かけ花を愛で、その下で楽しむことで、厄を祓(はら)い神さまと過ごすとされていた。
かつては、秋の稔りを願い、花の下でお祭りをし、花で収穫を占った。
開花は神様が降りられた証で、パッと散ると凶とされた。
また桜は山の神が降りてくる時の目印になる木として、特別に神聖視されていた。
サ神様の依る、 サクラ(サ座・桜)の木の下でサ神様にサケ(酒)やサカナ(サケ菜・肴・魚)をササゲテ(捧げて)オサガリをいただいたのだ。

神前にお供え物をしただけでは物足りなく、少しでもサ神様に喜んでいただくために、歌を歌い、踊り、神楽も催した。
こうした奉納舞などを見学していただくサ神様の貴賓席がサジキ(桟敷)であり、庶民は地面の芝のところで見ていたので、『芝居』の語が生まれた。

花祭りは花の日とか春山入りとも呼ばれ、この日にお墓参りをし、山に登って花(石楠花が多い)を摘み、それを長い竹の先につけて庭に立て、これによって山の神さまを里に迎え入れる。

「花祭り」とはお釈迦様の誕生日のこと。
仏教では灌仏会(かんぶつえ)又は釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)と言い、釈迦誕生仏像に参拝客が甘茶を掛ける行事が行われる。
仏生会・浴仏会などとも言う。
灌仏会を花祭りと呼ぶのは一般には浄土宗・浄土真宗系のお寺が多いようだが、元々はこれは仏教の灌仏会と、民間行事の花祭りとが合体してできたのではないかとも言われる。


この「花祭り」と呼ばれる灌仏会の場合、お堂を花で一杯に飾り花御堂として、その中に水盤に乗せた誕生仏を置き、竹の柄杓で甘茶あるいは五種の香水を掛ける。
またお釈迦様のお母さんの麻耶夫人が白い象が体内に入る夢を見てお釈迦様を妊娠したという伝説にもとづき、境内に大きな白い象の作り物が置かれるところもある。
この象の上に花で飾った輿にのせた誕生仏を乗せパレードをするお寺もある。


お茶を掛けるのは、生まれたばかりのお釈迦様に天から九竜が香湯を注いだという伝説にちなんだものと言われる。
一部の地方ではこの甘茶をもらって帰り、それで墨をすって「千早振る卯月八日は吉日よ神さげ虫を成敗ぞする」という歌を書いてトイレや柱などに逆さまに貼り付けると蛇や害虫がやってこない、というおまじないがある。

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milk3 (2017/07/31 7:53 PM)
サ神の存在を証明する文献史料は何一つないのに、どうして存在したと言えるのでしょうか。少なくとも歴史学では、その存在を認める学者は皆無でしょう。和歌森太郎や折口信夫らの一部の民俗学者が、ひらめきで語ったことが、さも事実であるかのように独り歩きしているとしか思えません。もしこのコメントに納得できなければ、是非とも文献史料をお示し下さい。









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