ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
<< July 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
LINKS
カスタム検索
RECOMMEND
PROFILE
SEARCH
<< ノストラダムス、2012年の予言 | main | 古代世界の7不思議2 >>
新日本風土記 風の国 風の民

川を伝い街を包む白い風、肱川あらし、愛媛県の北西を流れる肱川を、風速20mを超える風が濃い霧を含みながら吹き抜ける。
肱川あらしは冬の到来のしるし。
土地の漁師達はそれを目安にフグ漁の海にでる。
日本人は風に季節と暮らしの変わり目を読み取ってきた。

初夏、東北に吹くのはヤマセ、時に冷害をもたらす。
農家にとって辛い風。
冬、山から吹き降ろす乾いた風、オロシ
北陸の海に幸をもたらすアエの風
春恵みを運ぶ南東の風はイナサ
人々は“ナサケのイナサ”と呼ぶ。
恵みの風、災いの風、情けの風、日本列島に四季折々の風と人々の物語をたどる。

冬の日本列島、シベリア大陸で発生した冷たい北風が次々と押し寄せ、日本海に筋状の雲が広がる。
石川県珠洲市、能登の冬の風物詩、波の花
海中のプランクトンが出す粘液が、荒波にもまれて白い泡となり、シベリアから吹き寄せる風に運ばれてゆく。

石川県輪島市の海沿い、人々は地元で採れる竹を幾重にも重ね、間垣と呼ばれる囲いを作り、風から家を守る。
もがり笛と呼ばれる風の音、間垣の中に1歩入るとそこは穏やかな暮らしの場。
風との付き合い方を人々は知り尽くしている。

能登半島の東、富山湾では風が海の恵みを運ぶ。
祝い事の食卓を飾り、食通が喉を鳴らす寒ブリ。
ブリの大群はある風を合図に富山湾に押し寄せると言う。
ブリおこし、11〜12月にかけての季節風。
ブリが避難して湾に入ってくる。
風と友に営まれる暮らし。
明治5年創業の造り酒屋(富山県氷見市)は海を向いて建っている。
日の出直後、蔵の扉は開け放たれ、海からの風を取り入れる。
炊き上がったばかりの酒米を仕込みに適した10℃前後まで冷ます。
その風をあいの風と呼んでいる。
あいの風、あるいはあえの風という呼名は富山だけではなく、能登半島にも広がっている。
「あいの風は素性がよく、大きな台風がこない。
石川県能登町、平安時代から続く神社、酒垂神社にも、あいの風が海から運んできたものがある。
それは御神体、海では漁師に、陸では酒造りにご利益があるという神様。
海からありがたいものを運んでくるあいの風。

輪島白米街、海沿いに広大な棚田が広がる。
あいの風は田畑にも恵みをもたらす。
美味しい米ができる。
「あい」「あえ」とは何なのか?
この土地にはあえのこと呼ばれる風習がある。
12/5〜2/9までおよそ2ヶ月の間、田の神様を自宅に招き、もてなす。
あえのことの最後の日、家族は日の出前から神様のためのお膳の用意に追われる。
骨休めをしていただいた神様を田に送り出す。
食材はすべて自分達の畑で採れたもの。
神様が休んできた種もみ俵。
家の主は裃で正装し、神様をまず温かいお風呂へと導く。
神様の善には尾頭付きの鯛や、煮しめ、おはぎのてんこ盛り・・・
心づくしのご馳走。
「あえ」は漢字で「饗え」と書くという。
あえのこととは神様を酒や肴でもてなす行事なのだ。
あいの風、あえの風、人々は自分達をもてなしてくれる風への感謝を込めてそう呼んできたのかもしれない。
あえのことの後、神様はヒバの枝に載せられ田へ帰る。

鳥取砂丘、砂に描き出される風の形、風紋
風が強い冬、風紋はどこか荒々しい。
訪れる人の少ない冬、風の形がもっとも鮮やかに見える季節。
秋田県能代市、風の松原、海岸線14kmにわたり防風林が連なる。
強い冬の風は防風林の中にまで届かない。
江戸時代から飛び砂が農地に被害をもたらしていた。
心を痛めた地元の商人が自費でクロマツを植えた。
今も続く植林、現在700万本ものクロマツが人々の暮らしを守る。
日本海側に吹き付けた北風は、列島を横切る。
3000m級の脊梁山脈にぶつかる風はここで海から運んできた水蒸気を落とし、身を軽くすることで山々を乗り越えようとする。
雪を積もらせるのだ。

富山県館山、室堂平、標高2450m、吹雪の中じっと耐えてる生き物がいる。
国の特別天然記念物ライチョウ、体中の毛を逆立て、羽毛の中に空気を蓄え、体温を逃さないようにする。
ライチョウが向かったのは風で雪が飛ばされたところ。
木の実や葉を探し出しては、冬の間のエサにする。
氷河期から生き抜いてきたライチョウの風と向き合う知恵。

夜、日本海からの冬の風は、美しい自然の造形を生み出す。
山形と宮城の県境に位置する蔵王連邦。
10000本以上もの樹氷が並ぶ。
写真家、川田勘四郎さんは風の音を聞くと、どんな樹氷ができるかわかるという。
氷点下15℃、風速20m、山頂付近のアオモリトドマツ、風が海から運んできた水蒸気が瞬間的に凍ってゆく。
風が強ければ強いほど大きくなる樹氷。
風上に向かって伸びてゆく風の奇跡。

群馬県南部、山に雪を降らせた風は、谷あいの風の道を通ってここに吹き降ろす。
冷たく乾いた上州のからっ風
上州に暮らす人々は風の楽しみ方、生かし方を知っている。
輪切りにしたコンニャク芋を串に刺し、軒先に吊るす。
傷みが早いコンニャク芋だが、からっ風が乾燥を早めてくれる。
高崎名物縁起だるま、江戸時代貧しい農民が副業として始めて以来、200年以上続いてきた。
乾いた風が塗料を素早く乾かすため、赤い色が艶を失わないという。
正月恒例、高崎市の少林山だるま市、2日間で訪れる人は2000万人にものぼる。
毎年ここにくる養蚕農家の藤巻さん一家。
いつものように大きなだるまを買った。

藤巻さんのお蚕小屋、山に面した南北の壁は引き戸、高温多湿に弱い蚕のために、風通しをよくしている。
気温が上がる夏場、小屋に吹く風は蚕の命を守る。
恵みの風、養蚕農家の間では、“お蚕は風で飼う”という。
買ってきた今年のダルマに目を書く。
蚕は繭になるたびに脱皮を繰り返す。
その度に蚕は眠り、目を覚ます。
人々はダルマの目を蚕の目覚めを重ね合わせ、良い繭ができるようにと願いをかける。
ダルマを鮮やかに色付かせ、蚕を上部に育てる上州の風、風の通り道に生きる人の知恵と願いがここにもある。

“風”という漢字はどのように出来上がったのだろうか>
古来風は神のトリ、(オオトリ)が空を羽ばたく時に起こると考えられてきた。
この鳳の字が風の元。
春、風が吹き始めると虫が動き出すことから、紀元前3世紀には虫の字が中に入る。
風の文字が日本に伝来したのは1800年ほど前、邪馬台国の時代。
その後日本人は中に木を入れて凩(こがらし)、下るを加えて颪(おろし)、凧、凪(なぎ)など風にまつわる独自の漢字を作り上げてきた。
風への恐れ、感謝、願い、日本人の風との関わりの豊かさが表れている。

春、宮城県仙台市荒浜の人々は春から夏にかけて南東から吹いてくる風をイナサと呼んできた。
3月神社に大漁旗が掲げられる。
海の神様、八大竜王の祭の日。
荒浜には祭りに日に、イナサが吹けば、大漁に恵まれるという言い伝えがある。
風の通り道にあたる集落で毎年繰り返される早春の賑わい。
イナサが吹き始める頃、楽しみな春の味覚がやってくる。
夕暮れ、江戸時代に築かれた水路に人々が集まってくる。
シラスウナギ、体調5cmほどのウナギの稚魚が遡上してきた。
グアム島沖に孵化し、太平洋はるか3000kmの道のりを、暖流に乗り半年かけて北上してくる。
温かい風を感じた。

恵みを運ぶ風を、人々は“情けのイナサ”と呼んでいる。
日本列島を駆け上がる春、冬の眠りから目を覚ます桜。
奈良県吉野山、200種類以上あるヤマザクラは山すそから頂上へと1月かけて咲いてゆく。
風に舞う桜吹雪、そこに大切な人への思いを重ねている人がいる。
岩手県一関市の紺野さん夫婦、2人がここに桜を植え始めたのは昭和45年のこと。
その年夫婦は1人娘、江利子ちゃんを失った。
小さい頃から活発だった江利子ちゃん、山で遊ぶのが大好きだった。
しかし来年小学校にあがるという秋、江利子ちゃんはバスにひかれて亡くなった。
6歳だった。
それ以来夫婦は江利子ちゃんが遊んだ山に桜を植え、育ててきた。
思い出の桜が今年も散ってゆく。

田植えの季節、農家の人々は風の動きから目が離せない時期。
東北の農家を苦しめる北東からの冷たく湿った風、ヤナセ
冷害から早苗を守るため、水を深く掘って風をしのぐ。
田植えの頃の風に悩まされるのは東北地方だけではない。

愛媛県四国中央市一帯でも、山から海へと激しい風が吹き降ろす。
やまじ風、時には台風をも上回る、風速60mを超える。
植えたばかりの早苗はひとたまりもない。
風上に向けて鎌をたてる、風切り鎌という風習が今も続いている。
風が静まるようにと鎌を向ける先は、標高1200mの豊受山、風の神が住むと信じられている。
町の人々は毎年田植えを終えた頃、山に御参りに行く。
お供えするのは団子、山頂付近に作られたホコラの横にある穴にも団子を捧げる。
風の神がこの穴の奥深くに住み、風を噴出すと信じられている。
風の神を祀る龍田大社(奈良県三郷町)、全国の風の神の中でもっとも知られている。
この神社で年に1度行われる祭、風鎮大祭
7世紀後半記された『日本書記』、天武天皇が風の神を龍田の立野に祀らせたとある。
はるか1300年も前にこの土地は、風の神と深い関わりがあった。
祭では人々を苦しめる暴風が静まり、ほどよい風が吹くことを祈って刀を斬る。

何故ここに風の神が祀られたのか?
禰宜・上田安徳「ご本殿は2棟ある。
向かって左側が男の神様、志那都彦大神、右側が女の神様、志那都姫大神。
お二方あわせて風の神様と申し上げる。
元々奈良盆地は湖だった。
やがて湖の端が切れて中の水が流れ出てゆく。
ちょうど風音道がそこにできる。」
太古の昔、湖だった奈良盆地、その水が大阪湾に向かって流れ出て、大和川ができた。
風の通り道となったその川沿いに、龍田大社が位置している。
「風の道沿いに上ってきた風を例えば台風、暴風をこの辺りで一旦順風に制御する。
この境内で雲の流れ方を見ると、これからどういう天候になってゆくか分るし、上空高いところでビデオの早送りのような風が流れた時には、この辺にしばらくすると突風が吹く。」
境内には郷も不思議な風が吹き抜ける。

江戸時代の絵師、俵屋宗達が『風神雷神図屏風』に描いた風の神、日本人が風の神といえば思い浮かべるお馴染みのキャラクター。
風神ははるかシルクロードを渡りやってきた。

かつて仏教の修行のために、700あまりの石窟が彫られた敦煌莫高窟、その石窟の1つに風神と雷神が描かれている。
しかしその中央には宗達の絵にはない神の姿が。
戦いの神アシュラ神、仏教の世界では風神雷神はアシュラ神を守る、いわば脇役だった。
そして風神は仏教と共に日本に渡ってきた。
平安時代に建てられた京都、三十三間堂でも、風塵は脇役的存在。
風の袋を背負った風神、観音様を守るように雷神と共に両脇にひかえている。

この風神を主役の座に押し上げたのが俵屋宗達。
風神雷神を左右に描きながらも、中央の本尊を省いてしまった。
風神の表情は親しみやすく、いたずらっ子のような愛嬌がある。
宗達が風神に込めたのは、風を恐れながらも愛し続けてきた日本人の心なのかもしれない。

作詞家・松本隆「私にとっては風とは過去から吹いてくるもの。」
♪風立ちぬ、今は秋、今日から私は心の旅人〜♪By松田聖子。
♪曇りガラスの向うは風の街、問わず語りの心が切ないね〜♪By寺尾聰。
作詞家・松本隆さんが生まれ育ったのは東京南青山。
この界隈を風町と予備、都市とそこを吹き抜ける風を作品の中に取り入れてきた。
松本「廃墟の風・・・風は自然のもの。
体の外側にあるもの。
町は人間が造ったもの、その2つは本当はあまり結びつかないが、町の新しい建物もモダンな建物も、時間がたつと雨風にあらわれて段々自然に近づいてくる。
時間軸で見た場合、風と町が交差する接点があって、その辺が風町と僕が呼んだもの。
風は太古の昔から変らないが、いろんなものを運ぶ。
風の便り・・・ネットワークの風。
風のことを書きたいが、風は言葉にならない。
実態がつかめない。
目に見えず透明だが、肌に感じる。
そういう意味で、愛とか生、人間にとって大事なことは皆目に見えない。」

夏、日本列島は高気圧に覆われ、風が吹きぬくくなる。
林立するビルが風の通り道をふさぎ、人工の温かい風が都市をさらに熱くする。
わずかな風を楽しむ日本人の知恵。
古くから暮らしに風を取り入れる工夫を凝らしてきた。

江戸時代の屋並が今も残る京都の町屋。
暖簾が風の動きを感じさせてくれる。
打ち水が空気を冷やす。
格子のすき間から冷やされた空気が奥の部屋まで通り抜ける。
家の中にもある風の通り道。
風が止まる季節だからこそ、かすかに頬をなでる風が心地よい。

北海道襟裳岬は昆布漁の最盛期を迎える。
漁師たちは毎年この時期、家族で海岸に立ち並ぶ昆布小屋に移り住んでくる。
しかし襟裳岬は夏でも強い風が吹き付け、激しく海が荒れる。
船を出せない日、漁師たちは家族総出で波にもまれながら昆布を拾う。
昆布漁が解禁になるのは7〜10月、風がおさまって船が出せるのは1カ月に10日ほどしかない。
昆布小屋に住む家族、3世代10人、作業の多い昆布漁を一家で支える。
獲った昆布はすぐに乾かさないと質が落ちてしまう。
ほどよい風の具合を見計らって昆布を干す。
家族全員の洗濯物も一緒。

漁師達は家族と時を過ごしながら、海の凪ぐ日を待つ。
朝4:30、風の合図を見計らい、この日船を出すことにした。
沖合100mほどの所に実入りのよい昆布が待っている。
風をよみながら生きる。
北国の短い夏。

富山県八尾町、夏の終わり、風への祈りが響く。
おわら風の盆、立春から数えて210日目に吹き荒れる風を静めようと江戸時代から続いてきたと言われる。
八尾の風情や男と女の心情が短い七五調に歌われる。
女踊りの仕草は川に舞うホタルを追い求める姿を現している。
男踊りは鍬をうち、大地を耕す姿を現した力強い踊り。
老若男女が思い思いの衣装をつけ、3日3晩願いを込め、踊り続ける。
どうか風がおさまり、秋の収穫がうまくいきますように。

秋、40haのススキ野原が広がる奈良県曽爾村。
秋の深まり、風は谷から吹き上げてくる。
日本を襲う巨大台風を捉えたNASAの映像、厚い雲が日本列島を覆い尽くしている。
台風は野分きと呼ばれ、古くから日本人に恐れられてきた。

2004年厳島神社(世界遺産)が台風に襲われた時、屋根の檜皮がシートごと吹き飛ばされた。
台風から1夜明けた神社、社の周りには柱や床板などの部材が散乱、海にせり出していた部分は跡形もなくなっていた。
しかし本殿は全く被害を受けなかった。
造営以来800年もの間、本殿だけは自然災害による致命的被害を免れている。
厳島神社は元々山を背にして風を遮ることのできる場所に建てられている。
ところが神社の背後に1ヵ所だけ稜線が窪んでいる所がある。
台風はこの風の通り道を吹き下ろし、木々をなぎ倒していた。
山間を抜け、一気に神社に襲いかかる風。
しかし本殿だけは風の通り道からわずかに右側に外れて建てられていた。
長く風雪をくぐりぬけてきた厳島神社。
人々は風と付き合う知恵と技の限りをつくして神のいる場所を守り続けてきた。

愛媛県愛南町、やがて訪れる冬への備えが始まる。
冬になると潮巻きと呼ばれる突風が海から潮を巻き込みながら、1日中吹きつける。
人々は石を積み上げて江戸時代から家や畑を守ってきた。
潮巻きが吹きあげる冬を前に、石垣をしっかりと組み直す。
高齢化が進み、今では石垣を修復できる人は町で1人となった。

三重県御浜長、土地の名は風の名をとって尾呂志
1000m級の紀伊山地から1年を通じて強風が吹き下ろす。
集落には平屋建てが多く、屋根は低くなだらかな傾斜で造られている。
まるで風に身をかがめるかのよう。
風がもたらすのは辛いことだけではない。
「米作りには大変良い、虫があまり湧かないし、虫が少なければ風が揺れ、根元から虫が湧かない。」
尾呂志地区を見下ろす風伝峠、雨が降った日の翌日、稀にしか起こらない現象がある。
風伝おろし、峠の向こうの盆地から、白い風が押し寄せてくる。
霧は雨が降って盆地に溜まった湿気が冷やされてできたもの。
風伝おろしは冬の到来を告げる風でもある。

11月、九州で吹き始めた北風を捉えて始まる漁がある。(熊本県八代海)
独特の帆をはった打瀬船を使う。
エビ漁、漁場に行く時以外、エンジンは一切使わず、風の力を利用して漁をする。
警戒心が強いエビに気付かれないようにするためだ。
エビを捉えるのは海底45mに沈める網。
帆は全部で9枚、どの帆を張るかは風の向きや強さで判断する。
風を受け、船をゆっくりと横滑りさせながら、海底に沈めた網を引いてゆく。
刻一刻と変わってゆく風を読んでは夫婦が気持ちを合わせて帆を上げ下げする。
漁をはじめて3時間、船は網を引いて10kmほど移動した。
体長20cmほどのアシアカエビ、季節風が強まる冬、水温が下がりエビが海底でじっと動かなくなるこの時期に漁は最盛期を迎える。

登山家・田部井淳子「私にとって風は生きているという証拠を感じるもの。」
1975年、女性として世界初のエベレスト登頂を果たして以来、7大陸最高峰を制覇するなど、世界の山々に挑み続けている田部井さんが山で感じてきた風の怖さ、厳しさ。
「風に当たった瞬間、凍傷になり、怖いなと思った。」
人を傷つける風、しかし人を癒し、励ます風。
「自分の皮膚全部で感じるものは少ないが、風は全体で感じることができる。
頭から足の先まで自分を包み込む。
ああ生きている、生かされている・・・
ここに来ないと味わえないものだと感じる。
自然からの贈り物。」

山形県南陽市置賜盆地、人々が冬の訪れの目安にしてきたことがある。
晴れた日の朝、上昇気流に乗って蜘蛛が空を飛ぶ。
腹部を動かし風にうまく乗れるように糸の向きを合わせる。
成功の確率はわずか100分の1。
蜘蛛が移動するのはエサがなくなる冬に共食いを防ぐため。
蜘蛛の冬支度を人々は雪むかえと呼ぶ。

三重県鈴鹿山脈から吹き下ろす鈴鹿おろしを待って始まる作業がある。
鈴鹿墨作り、質の良い墨を作るには、冷たく乾いた空気が必要。
鈴鹿おろしが吹く冬の間が1年で一番忙しい季節。
松や菜種、ゴマなど数種類の油のススを使い分けて作る墨、ほどよく乾燥するまでには冬を3〜5度過ごさなければならない。

仙台市荒浜、冬、奥羽山脈から吹き下ろす西風を土地の人々はナライと呼ぶ。
漁師の家では鮭を使った冬の保存食作りが始まる。
ここがナライの風の通り道。
風が身をしっかりと引き締め、熟成させた鮭が正月の食卓を飾る。

青森県下北半島、冬、海から吹きつけるのは強く冷たい西風。
風雪に耐え、走る列車がある。
下北半島の西側を走る大湊線
野辺地〜大湊間58kmを結ぶ。
地元の人にとっては無くてはならない生活路線。
朝夕は高校生達で満員になる。
大湊線は大正10年の開通以来、風に悩まされてきた。
風速25mを超えると列車は運行停止。
列車が止まるとJRの手配で代行バスがでる。
南北に延びる大湊線の中程、陸奥横浜駅、駅員の沖津勝夫さんが対応におわれる。
風速計の値が気になる。
沖津さんは昭和40年国鉄に入社、昭和43年から大湊線に配属になり、運転手になった。
5年前に運転手を退き、定年を迎えたが、関連会社に席を置き、駅員として働き続けている。
沖津さんは午後6時で勤務を終え、以後陸奥横浜駅は無人駅となる。
沖津さんの住まいは横浜町吹越、下北半島の中でも特に風が強い町だという。
風の音と共にある暮らし。

近年新たな風の音が加わった。
10数年前から下北半島は風力発電が盛んになった。
月に1度、電力会社の社員がメンテナンスのために登る。
高さは76m、20階建てのビルの高さに相当する。
冬は風力発電がもっとも力を発揮する季節だという。
寒いと空気の比重が重くなるので風速が同じでも発電できるエネルギーが大きくなる。
本州の北の果て、下北半島。
人々はこの土地で過酷な風と向かい合い、それを受け入れながら暮らしてきた。
待ち焦がれた春、新しく生まれた風の風景が広がる。
四季を通じて風を待ち、風を読んできた日本人。
風がまた通り道を探して日本列島を吹き抜けてゆく。

| poyo | JAPAN | comments(0) | trackbacks(0) | - |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | - | - | - |









url: http://poyoland.jugem.jp/trackback/567