ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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生贄の歴史 Blood for The Gods★Averting Disaster

生贄の儀式は古代の宗教における暗い側面。
血を流す理由は神を喜ばせて災いを回避するためだった。
文明によって生贄の儀式は異なる。
災いを目の前にしたら神の怒りを静めるため、生贄を捧げずにいられなかった。

古代の世界は恐怖に満ちていた。
日常は厳しく寿命も短かった。
病死、餓死、戦死・・・人命は簡単に奪われた。
そこで古代の人々は必死の思い出神に生贄を捧げた。
Robert R.Cargill(Arcaeologist,UCLA)「人間が神を信じ始めた頃からあった。
人々は何とかして神をなだめ、見返りを得ようとした。」
生贄には様々な目的があった。
豊穣のため、権力を得るため・・・
しかしもっとも差し迫った目的は災いを回避するためだった。
Miranda Aldhouse-Green(Arcaeologist,Cardiff University)「神を喜ばせることで災いが回避できると信じられていた。」
Ian Morris(Arcaeologist,Stanford University)「現況が緊迫していた時代ほど人々は生贄に頼った。」
生贄の数が緊迫度を表すなら、メソアメリカの社会は緊迫の極みだっただろう。
かつて古代マヤ人はメキシコ、ユカタン半島にピラミッドを建造し、巨大都市を築いた。
そこには川がなく、真水の入手が困難だった。
都市の生活用水の供給源は雨水とセノーテと呼ばれる泉だけだった。
それほどインフラが不安定だったため、人々は神をなだめるため生贄の儀式を行った。

もっとも高度な生贄の儀式は球技の形で行われた。
Edwin Barnhart(Archaeologist,Maya Exploration Center)「彼らにとって球技は大事な宗教儀式だった。
ただのスポーツではなく、マヤの人々は球技を通して天地創造を表現した。」
競技の中で選手たちは生と死の物語を再現する。
考古学者によると、腰だけでボールを打ち合い、球技場には石の輪があった。
ルールは不明だが結果ははっきりしている。
最後に誰かが生贄になる。
生贄になったのが勝者なのか敗者なのかは不明。
とにかく命がけで戦った。
選手の1人が死を迎える。

この儀式はオルメカ文明から継承された可能性がある。
しかしマヤ文明のみが生贄の儀式に重きを置き、1300年近くユカタン半島を支配した。
彼らは多くの神々を崇拝した。雨の神チャーク、死の神キジン・・・
これらの神が求めたものは1つ、人間の血。
神を満足させなければ、病気や干ばつをもたらすと神事、マヤの人々は血をささげ続けた。
マヤ文明の全盛期、王達は常に戦争をしていた。
領土のためではなく、捕虜を得るために。
捕虜となったものは拷問を受ける。
殴られたり、爪をはがされたりした。神を称えるために・・・
Barnhart「高貴な身分の者を捕らえて捕虜にした。
捕虜は痛めつけられた後、球技に駆り出された。」

この神聖な球技において、生贄は民が死を克服することの象徴。
しかし生贄の殺し方は謎、斬首との説が有力だが、それが描かれた彫刻はない。
その代わりに生贄の首が蛇に変わっている。
これは何を意味しているのだろうか?
法医学的観点から検証する。
外科病理医Dr.Scott Nelson(Surgical Pathologist)は外傷に関する知識が豊富。
人体解剖模型を使って実験。

Nelson「彫刻では蛇が数匹首から飛び出している。
私は宗教的というより医学的な表現のように感じる。
斬首された生贄の状態を描いたのだ。
模型に人の心臓と同じ働きをするポンプを接続し、血液に見立てた青い物質を模型の頭の血管に送る。
生贄となるのはマヤの球技をプレーしていた運動選手。
運動選手の血圧は通常100の60程度。
競技中激しく動くと180手度まであがる。
殺されるかもしれない状況では200以上かもしれない。
模型のポンプを同じ血圧に設定する。
この血圧だとマヤの彫刻の蛇のように血しぶきがあがるのだろうか?
彫刻によれば斬首の道具は重量感のありそうな石の剣。
ここに用意したのは中世で使われたような長剣。
マヤの武器と同じくらいの重量。」
検証開始!首の後ろからザク!
1mほど血しぶきがあがった。
Nelson「マヤの彫刻に描かれていたとおりだ。
首から蛇が出ている彫刻は斬首の様子を医学的に描写したのだ。」

生贄は斬首の瞬間に絶命するのだろうか?
一部の生贄は斬首後も意識があったといわれている。
Nelson「斬首は即死に近いと言われる。
すばやく脊髄を切断すれば全神経が停止する。
頚動脈、酸素を含む血液を心臓から脳に運ぶ。
首を切り落とされても脳に酸素を含む血液があれば、しばらくの間意識のある状態が続く可能性がある。
生贄は首を切られたことを認識し、執行者の顔を見ることもできたかもしれない。」
球技場は各都市にあり、何千人もの生贄が殺された。
生贄が民を救うために進んで命をささげた可能性もある。
Barnhart「マヤの戦死は生贄を羨んだとも言われている。
生贄には死後の幸せが約束され、勇敢で絶対的な戦士として人々の記憶に残ると。」

自ら血を流す者もいた。
恐ろしい儀式だが、すべては文明を守るため。
マヤの都市ヤシュチラン(Yaxchilan)にはショーク王妃の痛々しい儀式を描いた彫刻がある。
紀元前709年王妃は儀式に備えていた。
何日も祈り踊って疲れ果てた彼女は夫であるイツァムナープ・バラム2世の前にひざまずく。
王妃は祖先の霊と交流するために血を流す。
サボテンの棘を結びつけた長い紐を使う。
その紐で舌を貫く。
大量の血が流れ出る。
さらに紐を引っ張るとサボテンの棘が肉を切り裂く。
神にささげるため、血を皿にためる。
流血の勢いは激しくなり、出血多量で王妃は気を失う。
そして幻覚を見る。

Barnhart「シャーマニズムは世界各地で見られ、様々な方法でトランス状態を作る。
マヤでは流血により幻覚を起こした。」
Nelson「人間の血液の量は約5リットルで約2割までなら失っても回復する。
約4割失うと意識がなくなり回復は不可能。
マヤの人々は1〜4割の血を流し、トランス状態を引き起こした。」
1リットル以上の出血は命取り。
しかし王妃は一命をとりとめ、幻覚を見る。

祖先が血の贈り物に喜び彼女を祝福している様子が描かれた彫刻もある。
祖先を満足されたことで王は戦争で勝利を収められた。
周りの都市を征服し、60年間君臨する。
自らの権力を表す神殿まで建築した。
王妃との流血の儀式は彫刻として永遠に残る。

神殿はマヤ文明の中心的な存在だった。
しかしピラミッドや神殿以上に神聖な場所があった。
地面が陥没してできた泉セノーテと地下洞穴。
雨水以外の真水を手に入れられる場所はここだけだった。
雨の神チャークは洞穴に住むとされた。
雨雲は空に現れる前に神聖な洞穴内で形成されると信じられていた。
洞穴は地下世界への入り口だという考えもあった。
James E.Brady(Archaeolosgist,Calstate,Los Angeles)「洞穴には通路が設けられていた。
当時の人々がその中を通り、ささげ者をしたのだろう。」
チャークがもっとも喜ぶささげ者は人間の子供だった。
Brady「Naj Yunich洞穴、土から小さな骨が飛び出していた。
5〜6歳の子供の骨だと判明。」
6歳の少年が神への生贄として洞穴に連れてこられた。
体を水と雨の色である青に塗られている。
大人と供に洞穴内の狭い通路を進む。
Brady「洞穴の最下層まで進んでいった。
地球の中心に入るような気持ちだっただろう。」
少年はチャークに仕える神官の前に連れてこられ、殴り殺される。
遺体はほかの多くの少年同様、地底湖に捨てられる。
Brady「100体以上の人骨を発見した。
明らかに生贄であったとわかる。
地底湖に投げ捨てられた形跡があるからだ。」
生贄の数が状況の悪さを表している。
マヤ文明は繁栄のさなかに突然崩壊した。
都市は廃墟と化した。
崩壊の原因に関しては諸説あるが、水不足が主な原因だったといわれている。
チャークに生贄をささげても雨が降らなかったのだ。
調査により紀元後800年に7000年間で最悪とも言える干ばつが襲ったとわかっている。
水不足で作物が枯れ、餓死や病死で数千人が命を落とした。
900年までに都市の大半が廃墟と化し、密林も埋もれていった。
神に生贄をささげても無駄だった。

ペルーでは干ばつに見舞われた人々が生贄の血を飲むことで神をなだめようとした。
ペルーが栄えていたモチェ文化。
紀元後700年ペルーの海岸に建つ月の神殿。
羽根と純金に身を包んだ神官が神に血をささげるため生贄を待っている。
モチェの人々は紀元後100年から海岸沿いを支配した。
ピラミッドはマヤとアステカのそれに匹敵する。
美術品はリアルで不気味、エロチック。
モチェの人々は希少なものを大切にしていた。雨だ・・・
John Verano(Physical Anthropologist,Tulane University)「ペルーの北海岸は雨が非常に少なく、乾燥した地域。」

モチェの人々は雨を降らせるために血を流す必要があると考えた。
敵の部族の戦士が神殿に連れてこられた。
神官はトゥミと呼ばれるナイフを持っている。
防御や戦闘に使われることはなく、喉を切るためだけに作られた道具。
喉を切られるまでに生贄の心拍数と血圧は急上昇。
神官がナイフを使い筋肉と動脈を大きく切り裂く。
生贄の首からほとばしる血を杯に集め飲み干す。
血が神と神官の栄養となるのだ。
モチェの人々は捕虜の血を飲むことで、地の中に含まれる生命の源を取り入れようとした。

杯の血を飲む神官が壁画に描かれている。
これは正しいのだろうか?
Nelson「ここに血に見立てた液体がある。
人間の血液量は約10袋分。
喉を切れば約4袋分採取できるだろう。
ワインボトル1本分だ。」
飲むのに十分な量がありそうだ。
血を飲み干した後に残った遺体は広場の裏に捨てられた。
他の生贄の遺体が積み重なった上に・・・

モチェでは5世紀近く生贄の儀式が続けられた。
しかし800年前後に状況が変わる。
干ばつに襲われたのだ。
マヤとは逆にモチェは豪雨に見舞われた。
エルニーニョ現象だ。
数10年に1度アメリカ大陸の西海岸を襲う異常気象。
この時の異常気象は数100年で最悪だった。
エルニーニョ現象はひどい場合、強烈な鉄砲水を起こす。
鉄砲水はすべてを流し去り、かんがい用の水路も破壊する。
被害の痕跡は木の年輪や地質学的堆積物に残されている。

生贄を捨てた穴にも、土に半分埋まった大量の骨を考古学者が見つけた。
嵐の中、穴に投げ込まれたと思われる。
モチェの窮地の象徴。
神官は豪雨の中、生贄の喉を切り続けた。
雨をやませるために。
しかし無駄だった。
紀元後800年ごろ、モチェ文明は崩壊。
都市は廃墟と化した。
生贄の儀式が行われていた証拠は不気味な壁画と神をなだめることに失敗し、土に埋もれた生贄の骨だけ。
モチェ文明が崩壊した頃、別の場所で新たな生贄の文化が生まれた。

北欧のバイキングが“血の鷲”と呼ばれる儀式を行っていた。
紀元後900年までにヨーロッパの大半がキリスト教国となり、多神教が残っていたのは北欧の一部だけだった。
それらの地域では生贄の儀式が行われてた。
965年北欧の海岸では暗黒の時代を迎えていた。
バイキングの生贄の儀式だ。
John Grinsby(Archaeologist,University of Kent)「ヨーロッパでは10〜11世紀まで生贄の習慣があった。」
北欧を拠点にしていたバイキングは度胸と力を重んじ、戦闘が生活の中心だった。
そして多数の神を信じていた。
雷の神トール、命を落とした戦士を迎えにくる女神フライヤ、そして最高神オーディン、捕虜の血を生贄として信者に求めた。

オーディンは戦争の勝利を約束する代わりに血を求め、バイキングは血の鷲と呼ばれる生贄の義気を行った。
捕虜を連れてきて背中に鷲の形を彫った。
生贄の顔や鼻には海水がかけられた。
儀式の間意識を失わせないように。
生贄が苦しむほどオーディンが喜ぶとされた。
背骨を露出させるために生贄は背中を切れたと研究者は考えている。
Grinsby「彼らは背骨の両側から肋骨を切った。
肋骨を左右に広げるとちょうど翼の形になった。」
彼らは儀式の最後の段階で生贄の肺を引き出し、翼に見立てた。
あまりにも奇怪な話であるため、実際に儀式が存在さのか疑問を持つ研究者もいる。
このような儀式は現実に可能なのだろうか?

Nslson「バイキングが使っていたような鉄製の短剣を用意した。
非常に営利で大きさがある。
太い血管や内臓を避けながら背中の軟組織に刃をいれ、肋骨に到達させる。
骨が割れる音がする。
軟組織を避ける肺まで手を届かせたいので肋骨を割る。
もはや命はないだろう。
背中を切り、肺を問いだして翼に見立てたと言われている。
しかし胸壁に穴をあけると空気が流入し、風船の空気が抜けるように肺は虚脱する。
しぼんでしまいテニスボール大になる。
この方法で肺を引き出したのではないと思う。」
しかし別の方法がある。
人体解剖模型で再び実験し、儀式の全容を明らかにする。
Nelson「肩甲骨はウィングボーンとも呼ばれる。
背面にあ大きく平らな骨だ。
では短剣を寝かせて背中の筋肉を水平方向に切ってゆく。
肺を傷つけないように。
肩甲骨をはがすために増帽筋を切る。
背中の筋肉を切り終えたので肩甲骨を立ててみる。
翼に見える。
反対側も同じようにすれば、まさに血の鷲。
この方法なら生贄は最低でも数分間は生き延びただろう。」
バイキングはオーディンを満足させるため、血の鷲の儀式を行った。
戦争に勝利すると感謝の印として生贄をささげた。
彼らの生贄の儀式は他にもあり、ヨーロッパ全土を恐怖に陥れた。
ある儀式の生贄は首を絞められ、剣で刺された後に焼かれた。

血の鷲と呼ばれる生贄の儀式は実際に行われた可能性がある。
しかしバイキングに関する言い伝えの大半は虚構。
“敵の頭蓋で酒を飲んでた。”
“村を襲撃し焼き払った。”
“角のある兜を被っていた。”
これは誤解。
しかしバイキングの葬儀の言い伝えは事実。
彼らが死者を乗せた船を焼いたとの証言が残っている。
葬儀において生贄の儀式が行われていたことはあまり知られていない。
アラブ人の旅人イヴン・ファドランが紀元後921年にバイキングと生活を共にした。
彼は記録を残している。
Minda Aldhouse-Green(Archaeologist,Cardiff University「バイキングの首領を埋葬する際、葬儀は数日間にわたった。
その中で奴隷の少女が生贄になった。」

首領の船を陸に揚げ、儀式が始まる。
船上に彼の遺体を置き、供え物で囲む。
葬儀を執り行う年長の女性祭司は“死の天使”と呼ばれた。
一団は10日間にわたり飲み食いを続け、首領の道連れとして奴隷の少女を選ぶ。
少女は酒を飲まされ、バイキング達に奉仕した。性的にも。
10日目に死の天使が少女に首領の傍に行くように命じる。
覚悟を決めた少女は装飾品をはずし、死の天使に渡す。
合図によりバイキング達は少女の首を絞める。
少女が最期に見る光景は死の天使が短剣をかざし、心臓に突き刺しとどめを刺すところだ。
少女の遺体は首領の横に並べられる。
最後に2人の遺体と供え物や財宝を乗せた船に火が放たれる。
言い伝えと違い、海上ではなく陸上で燃やされた。
船の燃える速度が速いほど神が満足し、死者の冥福が約束されると考えられた。
ヨーロッパに残る最後の生贄の習慣だった。

この葬儀は数10年間続けられたが、後のバイキングはキリスト教に改宗。
神に血をささげることはなくなった。
オーディンではなく聖書を信じるようになる。
しかし聖書にも生贄が出てくる。
旧約聖書には、動物の生贄が登場し、次のような文がある。
“雄羊を祭壇の上で焼きなさい。
これは主へのささげ物である。”
Robert R.Cargill(Archaeologist,UCLA)「煙によって神のもとに香りを運ぶためだった。
羊が焼ける匂いをささげると、神が喜ぶというのだ。」
聖書には人間の生贄についても書かれている。
神が生贄の血を求めるというバイキングには馴染みやすい話。
この話は旧約聖書に登場し、アブラハムの息子イサクを生贄として要求する。
「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大一神教は、ある出来事でつながっている。
アブラハムの生贄の話だ。」
神は血が流れる前にアブラハムを止める。
アブラハムの信仰心を試したのだ。

聖書ではそれ以降人間の生贄を否定した。
しかし生贄は行われ続けた。
生贄に火の中を歩かせる儀式を非難する記述がある。
ヘブライ人の敵カナン人が行っていた儀式で詳細は不明だが、聖書の作者は嫌悪していた。
ヘブライ人が同様の儀式を行っていたという説もある。
青銅製の像の前で生贄を火に投げこんだという記録が残っている。
聖書はカナン人の宗教儀式を非難している。
ヘブライ人の敵だったカナン人は子供に火の中を歩かせるという生贄の儀式を行っていた。

紀元前300年、カナン人が住む町のはずれにある神聖な場所に住民達が集まる。
Molechと呼ばれる偶像神を崇めるためだ。
モレクは嵐の神バアルとしても知られる。
モレクをなだめなければ洪水や干ばつが起こるとされた。
モレクは聖書で邪神と呼ばれている。
ヘブライ人はモレクのための生贄の儀式を非難した。
古代ギリシャの歴史家が儀式の詳細について記している。
紀元前4世紀カナンの植民都市カルタゴで生贄の儀式が行われた。
選ばれた若い母親が赤ん坊を差し出す。
そして祭司が赤ん坊を青銅製の像にささげる。

Ian Morris(Archaeologist,Stanford University)「赤ん坊は像の腕に置かれた。
周りでは音楽が流れ、赤ん坊の下から炎があがった。」
神が満足すると不思議なことに像の腕が動き出す。
像が熱せられると腕が伸び、赤ん坊は炎の中に落とされる。
数多くの赤ん坊が生贄としてささげられた。
この儀式は紀元前1200年から140年まで続けられたと研究者たちは考えている。
カナン人の植民地に広まったからだ。
北アフリカのカルタゴ、儀式の場の近くで20000個もの骨つぼが見つかっている。
中には焼死した赤ん坊の骨が入っている。
Morris「碑文が刻まれたものもあった。
神へのささげものであると記されていた。」
母親はなぜこの残酷な儀式に赤ん坊を差し出したのだろうか?
古代世界の厳しさが浮き彫りになる。
1700年代以前の社会では子供の半数が5歳になる前に自然の原因で命を落とした。
子供を生贄にすることに抵抗がなかったのだろう。」
絶望的な状況におかれた古代の人々は多数の命を救うために少数の命を犠牲にした。
予測不能の災いに、人生を左右された時代、人々は生贄をささげる儀式に頼った。
罪なき者の血と引き換えに、神の慈悲を求めたのだ。

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みみ (2011/11/09 2:09 PM)
うーん、なるほど。
「生贄なんて野蛮」「反キリスト的」と思ってる白人が大多数でしょうけども、考えてみれば「キリスト教」という宗教自体が生贄の思想そのものです。

「イエスキリストが人類のために身代わりとなり鞭打たれ辱められ十字架にかけられた〜」「であるから、我々の罪は許された〜」なんて他者に責任転嫁するのは、まさに生贄思想としか・・・
poyo (2011/11/09 8:46 PM)
みみさん、コメントありがとうございます。
宗教に限らず、自分さえ生き延びれば・・・
という考えはよくないですね。
自分だけ生き延びて、みんないなくなっちゃったら、どうするんだろう?
とも (2011/12/16 4:04 AM)
歴史って深いですね〜 生き延びるタメに生贄を捧げてって口減らしなどの恩恵はあったんでしょうけど自然の脅威には神頼みしかなかったんでしょうね 死ってどんな形であれ苦痛でしょうからある意味平等ではあるんですけど他人に苦痛を伴って殺されるって想像しただけでも怖いです。 
ここで学んで思ったことは信仰が悪いとは思いませんが想像の壮大な産物を崇め頼るんではなく自分の出来ることをして生きていくってのが大切なのかなって思いました。

poyo (2011/12/16 11:02 PM)
ともさん、コメントありがとうございます。
神様は、みんなのハートの中、つまり脳の中?に存在するのかもしれません。
私も、宗教や信仰は持っていませんが、自然を崇拝するというか、大切にすることを、私を含め現代人は忘れすぎだと思います。
人間は、頂点ではないのです。
どんどんどんどん、人間が住む場所が増え、動植物の住処を奪っていることを、どう思いますか?
自分のできることとは、自分のためのことですか?
誰かのためのことですか?
私達を生かしてくれている、自然界のものたちのためですか?
感謝の心を持ち続けたいと思います。
とも (2011/12/17 10:47 PM)
書き込みに返信ありがとうございます^^
こういった話は弟ともして答えは出ないまま雑談になるのですが楽しくて熱く語ったりします。
このコメント欄を使っての意見交換は失礼かなとも思いましたが許してくださいね
崇拝に関しては神ってゆう概念は無くて先祖に感謝することが大切だと思っています、自然に感謝も子供の頃には良く言われてたのに忘れてる自分に気がつきました。
人口増加を考えると複雑で肉を食べるために哺乳類を飼って殺してってシステムを一つ取って考えると残酷だし生贄と何が違うんだろうと思います、自然の怖さってのは自分たちが思ってる以上に過酷で人類を守ってきた結果が現在なんでしょうが自滅しちゃいそうで怖いですね。
自分で出来ることとは神や仏に手を合わせて生贄を捧げる努力よりその知恵を現実的な方に努力し家族や仲間を守るって意味です。
私も感謝の気持ちは大切にしたいと思います
乱雑な長い文章ですみません
poyo (2011/12/20 4:51 PM)
ともさん、弟さんと楽しく語り合えるなんてすばらしいですね。
私はどうも、この手の話になると、興奮してしまうのです。
自分だって、電力などのエネルギーを使いまくり、自然に感謝することもできていないのに、なぜか人間がしていることに腹がたつのです。
人間は、他の動植物と共存できないのでしょうか?
だけど、明治時代にアイルランドからやってきた文人・小泉八雲は、日本人の自然崇拝、自然との結びつきの深さに感動したそうです。
そんな日本人の心を大切にしてゆきたいです。









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