ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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Who Framed Jesus?新説キリストを殺したのは誰だ?

救世主イエス・キリストを死に追いやったのは弟子のユダとされてきた。
30枚の銀貨と引き換えに・・・
しかしユダは本当に裏切り者だったのか?
それにそもそも実在したのか?
様々な福音書を詳細に調べると、イエス殺害の動機を持つ容疑者達が浮かび上がってくる。
2000年の時を経て、イエス・キリスト殺害の真相に迫る。
イエスの処刑は世界的な宗教の誕生につながった。
エルサレムでのイエス最後の5日間が、キリスト教信仰の礎となった。
罪のないイエス・キリストを陥れたと言われるのは邪悪な裏切り者イスカリオテのユダ。
しかしユダが真犯人でなかったとしたら?
誰かがイエスを陥れたのは間違いないが、研究者の間でもユダの関与については見解が分かれている。
歴史と神学の専門家たちが、この未解決事件を調査する。
新約聖書の4つの福音書をくまなく調べ、イエスが十字架にかけられるまでの数日間を検証してゆく。
福音書の記述をそれぞれ比較し、歴史資料に照らす。
浮かび上がる数々の容疑者、意外な人物にも十分な動機がある。

Sunday★5Days to the Death of Jesus
時は紀元33年頃、過ぎ越しの祭の週。
イエスが弟子達を伴ってエルサレムの郊外までやってきた。
Craig Evans(Professor of New Testament Acadia University,Nava Scotia)「人々はイエスに会うと感激した。
そばにいるだけで何か特別なものを感じたのだと思う。」
ユダヤでもっとも重要な祭を祝うため、各地から人々がエルサレムに押し寄せる。
イエスもその1人だった。
James Charlesworth(Professor of New Testament Princeton Theological Seminary)「ユダヤ教の聖典である律法では、過ぎ越しの祭はエルサレムで祝うべしとされている。
しかも毎年。」
しかし福音書によると、この年は特別だった。
ナザレのイエスが神の国の到来を告げようとしていた。
Jesus“村へ行きなさい。
そこに若いロバがつないである。
それをほどいて引いてくるのだ。”
イエスは旧約聖書の予言を現実のものにしたと福音書は記している。
ロバに乗った救世主がエルサレムに入るという予言だ。
3年間北部のガリラヤを拠点に多くの村で平等の教えを説いてきたイエスは、エルサレムでも大衆の支持を集めつつあった。
Obery Hendricks(Professor of Biblical Interpretation New York Theological Seminary)「貧しい村で育ったイエスは人々の窮状をよく理解していた。
それに彼には人の苦しみを知る鋭い感性があったのだろう。」
しかし福音書によると、イエスの教えとその影響力に脅威を感じる者もいたという。
彼らこそイエス殺しの容疑者。
ユダヤの大祭司カイヤファ、エルサレムにおけるすべての祭事を取り仕切っていた。
ローマがこの地を支配しておよそ30年、過ぎ越しの祭の週に騒動があってはならない。
何かあればローマ人が容赦しないだろう。
ローマ総督のポンティオ・ピラトが地中海沿いの本拠地カイサリアから到着した。
彼が来た目的は祭見物ではない。
法と秩序を保つため、3000人の兵士が随行していた。
混乱を極める祭で治安を維持し全員を無事に帰還させる責任があった。
他にもイエスを邪魔に思う人物がいた。
ユダヤ教の正統派であるファリサイ派、彼らはイエスと度々衝突を繰り返してきた。
イエスの進歩的な教えと人気の高さが不愉快だったのだろう。
イエス支持者の中にも平和柚木的なイエスに失望した者がいたかもしれない。
ユダヤ人の多くは町を占領するローマ人に一矢報いたいと望んでいたからだ。
そしてもう1人はヘロデ王の息子、ヘロデ・アンティパス、ガリラヤの領主だった彼はイエスを目の敵にしていた。
祭が近づくにつれ、イエスの敵達が次々と姿を消す。

Monday★4Days to the Death of Jesus
イエスは大神殿に向かった。
この日のイエスの行動が、敵対者達の逆鱗に触れた。
イエスにとって神殿は神の家だった。
しかし福音書によると、神殿は堕落した祭司達に牛耳られ、ペテン師の巣窟と化していたという。
神殿に奉納する生贄の動物は、現地の通貨でしか変えず、巡礼者達はあくどい両替商に監禁してもらうしかなかった。
Jesus“神の家は祈りの家だと書いてあるだろう。
それをよくも盗人の巣にしたな!
ここは市場とは違うんだ。”
そしてイエスは縄で鞭を作り、羊や牛をみな神殿境内から追い出し、両替商の金をまき散らし、その机を倒し、 鳩を売る者たちに言った。
“このような物をここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家とするな。”
Bart Ehrman(Professor of Religious Studies University of North Caroline at Chapel Hill)「イエスの行動は彼がガリラヤで伝道してきた思想を端的に表していると思う。
つまり腐敗しきった当時の支配体制が神によって倒され、新たな世界がもたらされるのだということ。」
支配階級である神殿の祭司長たちはイエスの乱暴な抗議に激怒したと福音書は伝えている。
彼らは両替商に神殿内での営業を許可し、見返りに利益を得ていた。
しかし憤慨したのは祭司長だけではない。
神殿での一見はローマ人やファリサイ派としてヘロデ・アンティパスにもイエスを陥れる口実を与えることとなる。
では実際に行動に移したのは誰?
福音書が名指しするのはイエスの身近な人物イスカリオテのユダ。

Wednesday★2Days to the Death of Jesus
[The Case Against Judas]
4つの福音書は一様にユダが祭司長達にイエスを売ったと記している。
いつ誰から報酬を得たかは明記されていないが、推測は可能。
Evans「この時期のエルサレムは大勢の人でごったがえしていた。
ユダが祭司長の家に出向いて使用人に話をすることも簡単だったはず。
門番にこういうのだ。
私は祭司長が旧身ありそうな情報を持っている。」
ユダが取引をした翌日、イエスと弟子達が集まり、過ぎ越しの食事をしたと伝えられている。
キリスト教における有名な場面、最後の晩餐だ。
この席でイエスはユダの裏切りを予言する。
Jesus“次の言葉は実現する。
私のパンを食べる者が私に逆らう。
ここにいる誰かが私を裏切るだろう。
私がこのパンを与えるものだ。”
ヨハネの福音書によると、ユダは晩餐を抜け出し祭司達にイエスの行き先を密告したという。
ユダの動機は?
その夜更け、エルサレム郊外にあるゲッセマネの園でイエスの予言が現実となる。

『マタイの福音書』より
イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。 
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」 
再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。
そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。 
それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。
立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

そこへユダが祭司長たちの遣わした群衆と一緒にやって来た。
群集は手に手に棍棒や剣を持っていた。ユダはあらかじめ、自分が接吻する人がその人だ、その人を捕まえろと、合図を決めていた。
ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。
イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言った。
すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。

ユダは本当にイエスを裏切ったのだろうか?
一部の歴史学者はこの説の大きな問題を指摘する。
その説はヨハネの福音書にユダがイエス一行の会計を預かっていたと記されていること。
Charlesworth「つまり中心的な人物、マタイの福音書がいうような金目当てとは思えない。
一行の会計を預かっていたのだから、嫌気がさしたらさっさと金を持ち逃げすればよい。」
金目当てでないとしたら、他にユダがイエスを裏切る理由があったのだろうか?
エルサレムへ向かうと途中、イエスはユダを含む弟子達にある約束をした。
彼らに使徒はやがて地上に出現する神の国を、イエスと共に治めるというのだ。
Ehrman「ところがいつまでたってもそんな神の国が到来しそうになかったら、裏切られたという怒りや失望を覚える弟子がいてもおかしくない。
だから12使徒の1人が不満をつのらせて信仰に背いたと伝えられるのも不思議はない。」
すでに減滅を感じていたユダが政治としんこうの中心地エルサレムで行動にでたのかもしれない。
エルサレムにはローマ支配からの独立を望む不穏な動きがあったともいわれる。
神学者もユダがそれに触発された可能性を指摘する。
Evans「町には反乱分子がいあtのでユダも彼らを目にし、感化されたのではないか。
ユダはきっとこんなことを言われたのだろう。
イエスが何をしてくれた。
数人の病を治しただけじゃないか。
我々をローマの支配から解放してくれるのか?」

イエスが神殿に乗り込んだ時、ユダはそれが全面的な暴動に発展することを期待したのだろうか?
ユダはイエスの態度にしびれをきらせ、密かに祭司長達にイエスを売り渡そうとしたのだろうか?
Evans「祭司長に会う前にユダをひきとめて問いただすことができたとしよう。
彼にどうして主を裏切ったりするのだ、と聞いたらこう答えるだろう。
裏切るだって?裏切ったのは先生だ。」
福音書によればイエスは一見相反する言動もしていたようだ。
ルカの福音書には、平和的な伝道者というイエスのイメージとは正反対の記述がみられる。
最後の晩餐でイエスは弟子達に剣をとれという。
しかしユダにとっては遅すぎた。
Jesus“履物も財布も食べ物も持たせず、お前たちを遣いに出した時、何か足りないものはあったか。
だが今は違う。
財布や荷物がある者は持って行きなさい。
剣を持っていなければ、服を売って買うのだ。”
ユダの裏切りが真実だとしたら、動機は金銭欲だったのだろうか?
それとも闘争心だったのか?
いずれにせよ、マタイの福音書によれば、ユダは罪を悔いて首をつってしまう。
しかし裏切りの動機だけでなく、ユダの存在そのものも福音書を書いた人たちの創作だった可能性はないだろうか?
ユダがローマの支配に抵抗するためにイエスを裏切ったのだとしたら、なぜ金に目がくらんだと言われ続けているのだろうか?
4つの福音書を書かれた年代順に並べると、あるパターンが浮かび上がる。
年代が下るにつれ、ユダの人物像が強欲さと邪悪さを増してゆく。
最初に書かれたマルコの福音書では、ユダは金銭を受け取ったとだけ記されている。
2番目のマタイの福音書では、銀貨30枚と金額が明記され、3番目のルカの福音書と4番目のヨハネの福音書では、ユダは金に目がくらんだはかりか悪魔に取りつかれたと書かれている。
福音書はなぜユダを悪魔にしたのか。
その答えは福音書が書かれた時期と場所にあるかもしれない。

Roma 64AD
イエスの死から数10年後、キリスト教は地中海世界に広まり、ローマにまで達した。
しかしローマ帝国の首都で公然とキリスト教徒を名乗れば、命を奪われかねない時代だった。
ローマの年代記には皇帝ネロが自分の庭を照らすためにキリスト教徒を松明代わりにして焼いたと書かれている。
彼はまたおぞましい娯楽を考案した。
キリスト教徒をライオンに食わせるのだ。
ユダヤ教の異端とみなされていたキリスト教の信者は、ローマ人からは迫害され、同胞であるユダヤ人からも拒絶されていた。
イエスの死後しばらくの間キリスト教徒は地下に潜って運動を続けていた。
信者達は密かに集い、イエスの生涯と死を語り合った。
Ehrman「キリスト教徒への迫害は彼らの自意識や伝承の解釈に影響を与えたはず。
イエスが虐げられ、最後に処刑されたという話を語る時、ずっと迫害を受けてきた自分達の姿を重ね合わせたに違いない。」
しかしやがて情勢が一変する。
66年エルサレムでユダヤ人達が立ち上がり、ローマ支配に反旗を翻した。
その報復として大勢のユダヤ人が虐殺される。
聖地エルサレムは炎に包まれ、神殿も破壊されてしまった。
福音書の執筆が始まった頃、キリスト教徒たちは難しい決断を迫られたと多くの歴史学者は考える。
キリスト教の源流であるユダヤ教に味方するか、それともローマに同調するか。
福音書を記した人々がローマにすり寄ろうとしたのなら、イエスの物語でキーとなるユダヤ人の1人を悪魔に仕立てるのも1つの方法だったかもしれない。

さらに大胆な意見もある。
ユダの人物像はあまりに不自然であり、実在したかどうか疑わしいという。
しかし異論もある。
真相はどうあれ、キリスト教信仰において重要な位置を占めるユダの物語。
しかしそれがユダヤと一線を画すために脚色、または創作されていたのだとしたら、真犯人はいったい誰?
Tuesday★3Days to the Death of Jesus
当時エルサレムにはイエスに殺意を抱いていたと思われる容疑者が他にも何人かいた。
神殿で伝道をはじめ2日が過ぎた頃、イエスは宿敵と一線を交えることになる。
相手はファリサイ派。
[The Case Against The Pharisees]
ガリラヤでの3年間、イエスはファリサイ派を攻撃してきた。
ファリサイ派はユダヤ教の律法を固く守る原理主義的な宗派。
イエスは彼らが律法の文言にとらわれ過ぎていると感じていた。
マルコの福音書によるとファリサイ派はイエスを追い落とすため罠を仕掛けたという。
Pharisees“先生質問があります。先生はこうしてわれらにウソ偽りない神の道を教えておられる。
そこでお尋ねしたい。
我々はローマ皇帝に税金を支払うべきでしょうか?”
ファリサイ派はイエスに公の場でローマの支配と皇帝を批判させようとした。
それは死に値する罪だった。
Jesus“偽善者め、なぜ私を陥れようとする。
コインを出しなさい。
これは誰の顔だ、誰の名がはいっている。”
ファリサイ派“皇帝だ”
Jesus“皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。”
Charlesworth「ファリサイ派の人々は面白くなかったはず。
これではイエスのほうが賢く強そうに見える。
イエスに恥をかかせようとして、反対に恥をかいた。」
ガリラヤでの数年間、ファリサイ派はイエスに信者を奪われてきた。
そして今度は聖都エルサレムで公然と非難される。
“律法の守護者を自任しているらしいがファリサイ派はまるで白く塗られた墓のようなものだ。
外側は美しいが、内側は骨や穢れに満ちている毒蛇の巣だ。
地獄行きをまぬかれると思うのか?”
ファリサイ派のもくろみは失敗に終わったが、これをきっかけに益々イエスを排除する決意を固めたとも考えられる。
誰がイエスをはめたのか、いつ部のファリサイ派が加担した可能性もある。
この説についても専門家の間には賛否両論がある。
Dr.Kirsti Copeland(Lecturer on Early Christianity Stanford University)「ファリサイ派がイエスを陥れるチャンスを狙っていたとは思えない。
確かにイエスと神学的意見の相違はあったが、当時彼らはそこまで関与できる政治勢力ではなかった。」
ファリサイ派ではないとしたら、イエスを捕えて裁判にかけるだけの影響力をもっていたのは誰?

エルサレムに着いたその時からイエスは多くの敵を刺激した。
彼を陥れたのがユダにせよ、ファリサイ派にせよ、その影にはある人物がいたとされている。
大祭司のCaiaphasだ。
[The Case Against Caiaphas]
イエスが神殿で起こした騒ぎはカイアファの耳にも入っていた。
Caiaphas“この男は伝説になろうとしている。
口実をつけてやつを捕えねばなるまい、手遅れになる前に。
やつを捕えるなら祭が始まる前にしよう。
祭に入れば暴動になるかもしれん。”
福音書によれば、木曜日の夜にカイアファは行動を起こした。

Thursday★1Days to the Death of Jesus
カイアファの兵士達はゲッセマネの園でイエスを捕え、町に連れ帰った。
3つの福音書によると、イエスは大祭司の屋敷に連行される前に暴行を受けている。
屋敷ではユダヤの最高法院サンヘドリンのメンバーとカイアファが待っていた。
Caiaphas“お前はメシアか、お前は神の子なのか、答えないのか!”
ヨハネの福音書以外は、カイアファがイエスを捕えて尋問した動機を明確に記している。
大祭司だったCaiaphasは、自分の神殿をイエスが踏みにじり、両替商の台を倒したことに激怒したという。
キリスト教の伝承では、イエスが神殿にはびこる腐敗を一掃したとされている。
しかし神殿の構造からみて、たった1人の行動でそれほどの騒ぎは起きないと考える専門家もいる。
神殿の広さはアメフト競技場25面分に相当する。
また過ぎ越しの祭の巡礼者達で神殿は混雑していた。
イエスが騒ぎを起こしたとしても、目撃者は限られていたはず。
神殿の一件については他にも信憑性を疑う理由がある。
福音書が書かれたのは70年にエルサレムの神殿がローマによって破壊された後と考えられている。
福音書に記された騒動はイエスの死から数10年後に起きた神殿の破壊を暗示しているという説もある。
Paula Fredriksen(Professor of Scripture Boston University)「福音書の書き手もおそらくユダヤ人なので、神殿の破壊に宗教的な意味をもたせる必要があった。
その1つの手法としてイエスの死の物語に神殿の破壊というテーマを織り込んだ。
台をひっくり返すのは破壊を象徴する行為であり、何かを転覆させること。
福音書の著者達は、なぜ神殿が破壊されたのか理由を説明しようとしたのだろう。」
カイアファが神殿の騒動を理由にイエスの身柄を拘束したという説を否定する根拠がもう1つある。
ヨハネの福音書でもイエスが両外相の台を倒すが、それは3年前にエルサレムを訪れた際の出来事そして描かれている。
その時はなんの咎めも受けていない。
この一件が数10年後の運命を暗示するために書かれたのだとしたら、架空のできごとだった可能性もある。
そしてあの時神殿での騒ぎがなかったとしたら、カイアファがイエスを死に追いやる動機もなくなる。
しかしこれで大祭司カイアファの容疑が晴れたわけではない。
イエスを捕えた大祭司カイアファは尋問を行う。
ユダヤ最高法院の評議員たちが招集され、その面前で尋問が行われたと3つの福音書に記されている。
しかしこの尋問でカイアファがイエスから望む通りの答えを聞き出したとしているのはマルコの福音書のみ。
Caiaphas“お前はメシアか、お前は神の子なのか。”
Jesus“そうだ。”
Caiaphas“これ以上証人は必要ない。
これは神への冒涜だ。
評決を!”

有罪の評決が下されると、イエスに暴行を加えるものもいた。
しかしマルコの福音書のこの記述は真実なのだろうか?
4つの福音書の最後のシーンを突き合わせてみると、またしても互いに食い違っている点がみられる。
例えばマタイの福音書とマルコの福音書では、裁判にかけたのは夜となっているが、ルカの福音書には昼間。
さらにマタイの福音書とマルコの福音書でイエスに不利な証言をした商人達は、ルカの福音書には登場しない。
Ehrman「イエスの裁判に関するエピソードは信憑性が低いと思う。
こうした情報を伝えられる人物はいないからだ。
イエスは翌日死ぬのだし、ユダヤの評議員達がキリスト教徒に裁判の様子を伝えたとも思えない。」
最高法院によるこの裁判は、新約聖書の中でもっとも真相のわからない場面。
その原因はそもそも裁判など行われていなかったからだと多くの専門家は考えている。
Charlesworth「安息日の直前に大事な過ぎ越しの祭を控えて夜に裁判を開くはずはない。
相手は無名のガリラヤ人。」
しかしイエスを無名の人物とするのはキリスト教の教義とはかけ離れた考え方。
Evans「イエスが無名なら、ユダヤの王として磔にされたり後継者が彼の言葉を後世に伝えたりするだろうか?」
いずれにせよ大祭司カイアファの権限だけではイエスを死刑にすることはできなかった。
フィロンやヨセフスなど、当時の学者によると死刑を宣告する権利があったのは支配者であるローマ人だけだった。
そのためカイアファの尋問の後、イエスはローマの総督に引き渡されている。
この点では4つの福音書すべてが一致している。
イエスは再び裁きを受けた。
尋問するのはローマの総督ポンティオ・ピラト、残忍なカイアファとイエスの血を求めて叫ぶ群衆がピラトを急き立てる。

Pilate“いったいこれは何の騒ぎだ、カイアファ!”
Caiaphas“この男は危険だ、神をそそのかしている。
この者に死刑を、磔にしろ!”
福音書によるとこの時代、過ぎ越しの祭で在任に恩赦を与え釈放する習わしがあった。
暴動と殺人の罪で投獄されていたバラバをイエスの隣に並べ、ピラトは群衆に選択をゆだねる。
Pilate“どちらか1人だ、この殺人者を釈放するか、それともこのユダヤの王か。”
Caiaphas“バラバだ、バラバを釈放しろ。”
Pilate“この男はどうする。”
Caiaphas“磔にしろ。”
カイアファはイエスの処刑を求めるよう、群衆を扇動した。
しかしこの時のユダヤの群衆を表現する言葉は実は福音書が書かれた順に変化している。
イエスが死んで35年ほど後に書かれた最初の福音書、マルコの福音書では、単に群衆とだけ記されている。
次のマタイの福音書では、群衆はイエスの死刑を求めて叫ぶ。
さらにルカの福音書では全会衆と呼び名が変わり、90年後のヨハネの福音書になると全ての民とまで言っている。
Charlesworth「すべての民とはイスラエルの国中の人を指す。
このように表現が変化した理由は明白。
ユダヤ人をイエスの処刑に加担した悪者に仕立て上げるためだ。」
マタイの福音書には、ユダヤの群衆が自らの罪を危機として叫ぶ描写がある。
Ehrman「群衆がその血の責任は我々と子孫にあると叫ぶ。
つまりユダヤ人はイエスの死に対する責任を認めるだけでなく、後の世代にまでその罪があると言っている。」
ユダヤ人が責任を認めたというマタイの福音書のこの記述は、中世の気鋭スト教徒により悪用されたと考えられている。
Ehrman「この記述は反ユダヤ主義の根拠となった。
権力を握ったキリスト教徒達がユダヤ人にはイエスを死に追いやった責任がある。
罰を受けるべきだと非難した。」
イエスの受難の物語がユダヤ人を陥れるために捻じ曲げられたものだとするならば、カイアファの人物像も実際とは違う可能性がある。
裁判の描写がねつ造されたもので、ピラトをあおった群衆も誇張されたものならば、カイアファも新約聖書に描かれたような殺意に満ちた悪者ではなかったのかもしれない。
Yisca Harani「福音その記述はローマ人に罪はないと見せるための策略だったのだろう。
誰でもよいからイエスを迫害する役割を押し付ける相手が必要だった。」
しかしユダでもカイアファでもファリサイ派でもないとしたら、イエスを死に追いやったのは一体誰なのだろうか?

Friday★The Day of Jesus Death
過ぎ越しの祭の日の夜明け、ローマの総督ポンティオ・ピラトは戸を叩く音で目を覚ました。
ユダもカイアファも福音書の中で汚名を着せられあtだけだという説が本当だとすると、ローマの総督ピラトの人物像はどのように変わるだろう?
彼はイエスの死について責任逃れをしたことで知られる人物。
[The Case Against Pilate]
1世紀の歴史学者ヨセフスによると、イエスに死刑を言い渡したのはピラト。
しかしそもそもイエスを捕えるよう命じたのも彼だったという可能性はないだろうか?
過ぎ越しの祭のこの時期、イエスの教えは挑発的だと受け取られた。
Copeland「過ぎ越しの祭の間は神の国について話をしただけでもかなり危険。
この祭は神が虐げられていたイスラエルの民を救った日を祝うものだから、その間は役人が神経質になる。」
ピラトとカイアファは互いをよく知る関係だった。
Pilate“いったいこれは何の騒ぎだ、カイアファ!何事だ!”
Caiaphas“この男は神をそそのかし、騒ぎを起こしています。
国を脅かす者です。”
Pilate“ならこの国の法で裁け。”
Caiaphas“私たちには権限はありません。
この者に死刑を!磔にしろ!”
Harani「ピラトはユダヤ人を見下していただけでなく、きっと心底嫌っていたのではないだろうか。
彼にとってユダヤ人は行動も食べる者も違う理解できない相手だったろう。
だが彼は総督としてどのようにふるまうべきかよくわかっていた。
何事もなく無事に支配下の地域を治めていくためには、あまり民を刺激してはいけないということを知っていた。」
4つの福音書すべてでピラトはユダヤの祭司に言われ、仕方なくイエスに死刑を宣告する人物として描かれている。
福音書におけるピラトの描写は群衆とは逆に時代が進むにつれ、同情的に描かれる。
最初に書かれたマルコの福音書ではピラトは優柔不断で面倒を嫌う人物だった。
Fredriksen「福音書の順番が進むにつれ、ピラトは徐々に善人になり、大祭司とユダヤ人は悪人になる。」
Pilate“この男が何をした。死刑にするほどの罪はないだろう。
鞭打ちで十分だ。
一体何の罪なのだ。”
最後のヨハネの福音書で描かれたピラトは、なんとかイエスを救えないものかと揺れ動いている。
ピラトはイエスを罵倒する群衆の前から彼を連れ出し、自分の屋敷に保護する。
処刑を正当化するためには、イエスが暴動を画策している証拠を見つけねばならない。

Pilate“何をした。お前を連れてきたのはユダヤの祭司だ。
お前は王を名乗っているのか?
私はユダヤ人でないからわからないのだ。
お前は王なのか?”
Jesus“私の王国はこの世にはない。
もしあるなら私を慕うものが今頃戦っているだろう。”
ヨハネの福音書でのピラトは、イエスに罪はないと群衆に向かい叫ぶ。
しかし群衆に屈してしまった。
Pilate“私にはお前を釈放する権限も磔にする権限もあるのだぞ。”
Jesus“神が与えない限り、あなたには何の権限もないはずだ。”
Ehrman「この場面のピラトには支配者としての威厳がない。
優柔不断で決心をつけることができない。」
Fredriksen「キリスト教の伝承では、ピラトはイエスの処刑に消極的だたっとされている。
ヨハネの福音書では、祭司達の罪よりはマシだとイエスに言われる。」
Jesus“私をあなたに引き渡したものの罪はもっと重い。”
とうとうピラトは群衆の要求をのむ。
マタイの福音書では最後に彼は手を洗い罪を清めたとされている。
Pilate“水をもて、望みどおりにしよう。
だがこの人の死について私には責任がない。”

しかしピラトは本当に優柔不断な人物だったのだろうか?
1世紀の歴史学者が残した資料によると、彼の人物像は福音書の描写とはかけ離れている。
Obrey Hendricks(Professor of Biblical Interpretation New York Theological Seminary)「ピラトは領地の民をあまりにも手荒に扱ったために、ローマに呼び戻された数少ない総督の1人。
当時残虐行為はそれほど珍しくなかったのに呼び戻されたのだから相当ひどかったのだろう。」
福音書が書かれた頃、エルサレムはローマ帝国の支配下にあった。
ローマ人の危険を損ねないようピラトの人物像を取り繕ってかいたのだろうか?
当時の哲学者でユダヤ人のフィロンは著書の中でピラトを次のように表現している。
頑固で柔軟性がない上に残酷な男だと。
さらに詳しく書き残しているのは同じく学者のヨセフス。
Some Years Earlier
ヨセフスの著書にはピラトの卑怯なやり方を示すエピソードが記されている。
ピラトは以前にもエルサレムで群衆に取り囲まれたことがあった。
彼はエルサレムに巨大な水道施設を建設していた。
立派なプロジェクトだがその資金はユダヤの神殿から略奪されたものだった。
怒った住民達がピラトにつめ寄る。
ぴらとには打つ手がないかに見えた。
しかし実はピラトはこの時を密かに待っていた。
群衆の中にあらかじめユダヤ人に変装した兵士を紛れ込ませていた。
群衆がいよいよ迫ってくると兵士はマントを脱ぎ捨て剣を抜く。
この話が本当なら、福音書に書かれたピラトの描写は疑わしくなってくる。

臆病な役人と残酷な軍人、どちらがピラトの真の姿なのか。
福音書と古代の学者による記述。
どちらを信じればよいのだろう。
2人の学者はいずれもユダヤ人であり、中立ではないという意見もある。
Evans「ヨセフスとフィロンはわざとピラトを悪者にしたのではないか。
彼らは偏見を持っていて、ピラトを堕落した怪物として描いた。」
しかしヨセフスとフィロンの記述がもし正しかったとしたら深い意味が秘められている。
Charlesworth「ピラトは決断力のある政治家で、時には冷酷な面も見せただろう。
イエスのことなどどうでもよかったはず。
福音書のピラトは史実と違っている。
ローマの支配下で福音書を語り継ぐだめにわざと美化して描いたと考えるべきだ。」
ピラトが臆病ものではなく、残忍な人間だったとしたら、ピラトとカイアファの関係も全く違ったものであったろう。
Pilate“騒ぎになるのは我慢ならん。
イエスという預言者がいるな。
もめ事を起こしそうか。”
Fredriksen「カイアファはイエスは危険人物ではないと答えたと思う。
彼らは丸腰。」
Caiaphas“口だけです。
確かに彼の話を聞く民は熱心。
イエスを連れて来たらそれ以上何もしないで頂けますか?”
Pilate“よし15分で連れてこい。
私は暇ではない。
今すぐケリをつけるぞ。”
もしもイエスの死がピラト1人の仕業であったとしたら、イエスはエルサレムに着いた直後からずっと目をつけられていたのかもしれない。
ピラトはその週エルサレムに3000人のローマ兵を配置したと言われている。
兵士達は騒ぎを起こしそうな者を探していた。
そして見つけたのがイエス。
Ehrman「ローマ兵達にはユダヤの民が話すアラム語はわからない。
でも大勢の民衆がロバに乗った男をメシアと呼んで迎えていた。
それを見たらアラム語を知らなくてもメシアがユダヤの王を意味すると分かっただろう。」
では神殿での騒動を報告したのが祭司ではなくローマ兵だったとしたら、確かに神殿は総督官邸であるアントニア要塞に隣接していた。
最初にイエスを捕えるよう指示したのもカイアファではなくピラトだったのかもしれない。
ヨハネの福音書にはゲッセマネの園でイエスを捕えた者達の中にローマ兵がいたと書かれている。
もしそうならイエスを捕えるよう命令をだしたのはピラトである可能性が高い。

ユダヤ人の問題はユダヤ人が解決すべきだと考えたピラトはイエスをひとまず大祭司カイアファに引き渡したのかもしれない。
ヨハネの福音書に書かれたイエスとカイアファの面会の場面は他の福音書とは大きく異なっている。
ヨハネの福音書ではユダヤ最高法院の裁判は開かれず、イエスとカイアファは2人だけで話をする。
カイアファはピラトから目障りに思われていたイエスを説得し、救おうとしたのだろうか?
しかし説得は失敗する。
結局イエスがピラトの手に引き渡されたのは4つの福音書の一致するところ。
しかしもしピラトが臆病な役人ではなく、冷酷な暴君であったとしたら、この後の展開はどうなるのだろう?
Pilate“静かに!お前は王を名乗っているのか?ユダヤの王なのか?”
ヨセフスやフィロンの資料にあるような残虐なピラトなら、群衆に振り回されることなどないだろう。
Ehrman「ピラトの尋問の時、群衆はいなかったと思う。
誰かがメモをとっていたわけではないので、実際のことはわからない。
イエスの磔を求めたのはユダヤの群衆で、ピラトはそれに屈しただけだというのは後世のキリスト教徒の作り話なのだ。」
もし群衆が存在しなかったのなら、囚人バラバは?
暴動の最中に逮捕されたバラバも実在しなかったのかもしれない。
イエスの処刑を求めた群衆もバラバもいなかったとしたら、イエスを連れ去ったのがローマ兵で尋問したのは無慈悲なローマの総督だったなら、イエスを殺したのはユダヤ人でなかったことになる。
しかしイエスを連れ去ったのも処刑したのもピラト1人の仕業だったとしたなら、本当の動機は何だったのか?
ただ町の平和を乱す者を排除したかったのか、もっと大きな陰謀が絡んでいたのか、それとも福音書にはイエスを殺した容疑者がまだ他にも隠されているのだろうか?

Caiaphas“この者は民を惑わし、あちこちで騒ぎを起こしています。
はじめはガリラヤ、今はこのあたりで。”
Pilate“ガリラヤ人か、それなら彼の処分はヘロデに任せよう。ヘロデを呼べ。”
ガリラヤのユダヤ人領主ヘロデ・アンティパスは悪名高きヘロデ王の息子。
[The Case Against Herode Antipas]
マタイの福音書によるとベツレヘムでイエスが生まれた時、ヘロデ大王は自分の地域お脅かすユダヤ人の王が誕生したと聞き、ベツレヘム一帯の幼い男の子を皆殺しにした。
それから30数年で息子のヘロデは父親が取り逃がしたイエスを殺すため、エルサレムにやってきたのかもしれない。
ユダヤ人の領主といってもヘロデ・アンティパスがその地位にいられたのはローマ帝国の恩情のおかけ。
ローマで教育を受けた彼は領地の民に尽くすことより、皇帝の機嫌をとることや快楽にふけることを優先した。
イエスの指導者であり、親戚でもあった洗礼者ヨハネが領主ヘロデの逆鱗にふれたことがあった。
ヘロデの結婚を近親婚であると断罪したためだ。
ヨハネが民の支持を得ていたことで尻込みしたヘロデは彼を処刑せず、投獄した。
マルコの福音書には官能的な舞で宴の客をもてなした義理の娘サロメにヘロデが褒美をとらせたエピソードが記されている。
サロメが褒美に欲しがったのはヨハネの首だった。
マタイの福音書とマルコの福音書には、ヘロデがガリラヤにメシアを名乗る預言者が現れたと聞きつけた時のことが書かれている。
ヘロデはイエスを洗礼者ヨハネの再来を恐れた。
ルカの福音書によれば大勢の弟子に囲まれるようになったイエスをヘロデはますます必死になって捕えようとしたという。
さらに彼がイエスを狙ったのは政治的な理由だけでなく、経済的な理由があったのかもしれない。
イエスの使命は罪びとを救うことだった。
不正を働く徴税人がよい例。
12使徒のマタイはイエスの説得により徴税人の仕事を捨てて弟子になったとるかの福音書に記されている。
ヘロデは激怒したことだろう。
Charlesworth「徴税人が不正を働くほどヘロデにお金が入る。
だから悪を正すイエスは邪魔者。」
ルカの福音書ではイエスと度々衝突したファリサイ派の人々までもがヘロデが命を狙っているとイエスに警告している。
緊迫した状況だったという証拠。

Jesus“ヘロデに私は今日も明日も悪霊を追い出し、病をいやすのに忙しいと伝えなさい。
とにかく預言者がエルサレム以外で祈ることはないから大丈夫だよ。”
ヘロデ・アンティパスは追い続けたイエスをついにエルサレムで捕えたのだろうか?
Evans「たぶんヘロデはピラトがイエスを殺すように仕向けたのではないかと思う。
民から支持されている伝道者を処刑するなら、自分の手を汚すより、ローマ人にその役回りを押し付けるほうが明らかに好都合。」
イエスの裁判が2度ではなく3度行われたといているのはルカの福音書だけ。
Herode“やっと会えたな、ずいぶん探したんだぞ。
どうした?噂の奇跡とやらを見れてみろよ。
やってみろ、お得意の手品をな。フッフッフ・・・
メシアだと?神の子だと?フッフッフ・・・”
ヘロデはイエスを嘲笑い、王の装束をまとわせた。
Herode“これで王らしくなったな。王に見えるだろう。”
イエスを陥れたのはヘロデなのか、そしてピラトがイエスを磔にしたのは、ヘロデと友好関係を築けば双方の得になると考えたからか。
ルカの福音書には次のような一説がある。
この日ヘロデとピラトは仲が良くなった。
この説を裏付けるかもしれない証拠がもう1つある。
1886年エジプトで修道士の墓の発掘調査が行われ、その中から見つかったのは失われた福音書の1つ、ペトロの福音書の断片。
Ehrman「ペトロの福音書ではイエスの処刑を命ずるのはピラトではなくヘロデ・アンティパスだった。」
Charlesworth「洗礼者ヨハネから始まった動きを快く思っていなかったヘロデは、それがイエスへと引き継がれるのを阻止したいと思っていた。
そこへイエスがうまい具合にエルサレムを訪れた。
きっとヘロデは大喜びでイエスを捕まえただろう。」

残忍で利己的なローマの総督とふしだらなガリラヤの領主、イエス殺害はこの2人の陰謀だったのだろうか?
もしこの説が正しければ、福音書の著者達はローマ帝国の機嫌をとるために真実を隠していたことになる。
しかし福音書にはイエスが苦しみ死んでゆくことを望むまったく別の動機を持つ人物があと1人だけ存在する。
イエスの受難が神の意志によるものであったなら、糸をひいていたのはイエス自身だったのかもしれないのだ。
キリスト教の正当な教義では、イエスの死は神の計画音一部とされている。
人間の罪をあがなうために、神はイエスを犠牲にした。
ではイエスは神の大いなる計画にやむなく参加したのだろうか?
それとも自ら計画を推し進めたのか。

[The Case Against Jesus]
Jesus“教えてくれ、神は私をなんと呼ぶ?”
弟子“救世主です。”
エルサレムへの道すがら、イエスは弟子たちに自分の死を予告する。
Jesus“私は酷い仕打ちを受ける。
長老や祭司や法律家が私を糾弾し殺すだろう。
これは神のお考えなのだ。”
イエスにとってそれは単なる預言以上のものだったようだ。
予言が現実になるよう仕向けたのは彼自身だったのだろうか?
Evans「イエスは着々と計画を進めていた節がある。
例えばエルサレムに着いた時はロバを用意させ、予言通りロバに乗って町に入った。」
イエスは祭司やローマ兵の注意をひくためにわざと仰々しく町に入ったのだろうか。
神殿での騒動も反感をかうための策略のようにも思える。
ファリサイ派との一件も同じ。
これらの事件を起こした時、イエスは逮捕されないよう慎重に行動していた。
それは過ぎ越しの祭の終盤までは捕まるわけにはいかなかったからだろうか?
ルカとマルコの福音書には最後の晩餐もイエスの計画の一部だったと臭わせる場面が描かれている。
Jesus“お前たち来てくれ。都へ行くんだ。
そこへ水瓶を持った男が待っている。
ついてゆくと家に着く。”
Hendricks“イエスは弟子達に町にいる協力者に会うよう指示する。
協力者に会い言葉を伝えれば、過ぎ越しの食事のための秘密の部屋を準備してくれる手はずになっていた。」
最後の晩餐を含め、すべてを計画していたとしたら、最終的にあの夜逮捕されるためにイエスはどんな手を使ったのだろう。
それには共犯者が必要。
イエスの居場所の情報をわざともらす人物、ユダの裏切りも計画の一部だったのか?
近年この説を後押しする驚くべき証拠が浮上した。
1983年スイスのジュネーブでその存在が確認された。
ユダの福音書だ。
Jesus“私に協力すれば、お前は永遠に非難されるだろう。
でもやってくれたら、神の国の秘密を授けよう。”
Judas“できません。”
Jesus“私とてやはりこの重みから解放されることを願う。
でもそれは私が決めることではない。
神のご意志だ。
お前は皆を超越するのだ。”
ユダの福音書は聖典として広く認められてはいない。
しかしそこに書かれていることが真実なら、ユダの裏切りはイエスの説得によるもので、ユダには罪がないということになる。
イエス自身が密告をしこんだのなら、ゲッセマネの園での出来事も全く違う意味を持つ。
マルコの福音書にはまもなく訪れるはずの苦難から救ってほしいとイエスが神に祈る場面がある。
Jesus“父よ、万能なる父よ。
どうかこの盃を私から過ぎ去らせてください。”
Evans「ゲッセマネの園でひれ伏して神に祈りをささげる姿にイエスの本当の心の内が垣間見える。
できることならこの運命から逃れたいと願っている。
でも最後にはこう言う。
私の願いより御心のままに。」

綿密に練り上げた閉殻がいよいよ大詰めを迎え、わずかな迷いが胸をよぎったのだろうか。
ゲッセマネの園はエルサレムを見下ろす丘にある。
夜であっても兵士達が近づいて来ればすぐに気づくはず。
Charlesworth「追手がくるのにただ待っていた。
なぜ砂漠ににげないのか、そうすれば見つかることはない。」
都へ到着して5日後、イエスはエルサレム郊外の丘の上で十字架に磔にされる。
筋書き通りであったかはわからないが、イエスは生身の人間として肉体的苦痛を感じただろう。
Charlesworth「イエスはこう叫んだ。
神よ、なぜ私をお見捨てになったのか。」
Evans「イエスが激しい痛みに耐えたのは、決して自ら望んだことではなかった。
でも彼はその時、これは神のお決めになったことだろ考えて、進んで受け入れたのだと思う。」
十字架にかけられたイエスの姿は、キリスト教でもっとも重要なシンボル。
イエスを十字架に追いやったのは一体誰だったのか?
4つの福音書では裏切り者のユダが犯人ということになっている。
ユダが大祭司カイアファにイエスを売り、カイアファが民衆を扇動したという。
また敵対するファリサイ派や血気にはやった信者の仕業である可能性も福音書からは読み取ることができる。
歴史書などの記録によれば、残忍で無慈悲なローマの総督ピラトも容疑者の1人。
ふしだらなガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスも父の代から受け継いだ動機があった。
福音書を読み解くには、それが書かれた当時の不安定な時代背景を考慮し、互いに食い違う福音書の物語を突き合わせ、さらにそれ以外の文献とも照らし合わせなければならない。
キリストを殺したのは誰か、それは容易には真相にたどり着けない究極の謎。

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マルコ (2015/07/16 5:06 PM)
真犯人は、使徒ヨハネだ。

使徒ヨハネは、ゼベダイの実子ではなく。これはあくまで私の想像であるが、使徒ヨハネは、大祭司カイファの不義の子、実子である。

過ぎ越しの祭りが近づく中、イスカリオテのユダが、ヨハネの持ち物のなかから、イエス以下他の弟子たちとマグダラのマリアのすべての似顔絵見つけたのだ。
 
 ユダは主イエスと相談した。ことは緊急事態である。もし、アジト及び、似顔絵まで、サンヘドリンに渡されていたら、すべての使徒たちが、殺されしまうかもしれない。
 主イエスは、ユダに、サンヘドリンへの潜入を命じた。
 真犯人は、使徒ヨハネだ。ヨハネこそ、ルシファーだったんだよ。









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