ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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大聖堂ゴシック建築の科学


古代エジプトのピラミッドよりも高く、広さは自由の女神がすっぽり収まるほど。
重力に逆らって5トンもの石を自在に積み上げ、エンパイアステイトビルと同じくらいの重さの建造物。
建築の歴史に革命を起こしたその建物こそ、ゴシック様式の大聖堂。

フランスで昔ながらの道具だけを使って中世の城の建設を再現する試みが行われている。
建築資材は地元で手に入る石と鉄、材木。
フランス、ブルゴーニュに建設中のこの城は、ゲドロン城(Chateau de Guedelon)と呼ばれている。
建築面積はサッカー場のおよそ半分にもなる。
ゲドロン城は中世建築様式の研究所であり、観光の名所にもなっている。

文献によると大聖堂の建設には古代ローマ時代の兵器を巻き上げ機として使っていたことが分かった。
この方法なら1人で自分の体重の6倍の重さのものを持ち上げることができる。
少しずつ車輪が石を吊り上げてゆく。
その間にモルタルを練る。
これも昔からの手法で、焼いた石灰岩と砂を混ぜ合わせる。
モルタルは石と石の隙間は埋めるが接着力は強くない。
乾きにくく壁の内部にはほとんど空気がないので乾くのに1000年以上かかることもある。
では石材を安定させるために何を使ったのか?

答えは圧力。
6万トンにも及ぶ建物事態の重さが1つ1つの石を固定している。
ただしそれぞれの石の層が水平でなければ壁はたちまち倒れてしまう。
ゴシック様式が現れる以前、高い建物を建てるためには厚く大きな壁を築くしかなかった。
その結果建物は巨大化し、中は真っ暗だった。
やがて聖堂建築に大きな変化が現れる。

1144年6月11日、国王と王妃をはじめ多くのフランスの名士がパリ郊外のサン・ドニで一堂に会していた。
そして王家の教会堂で革新的な建築技術を目の当たりにする。
色鮮やかな光が巨大なステンドグラスの窓から差し込んで、これまで見たこともないほどの薄い壁に降り注ぎ、高くそびえる天井を照らしている。

当時のサン・ドニ(Basilique de Saint-Denis)の修道院長シュジェ、この新しい教会堂の建築様式をモダン様式と名付けた。
しかし後世の批評家はゴート人が建てたように野蛮だという意味でゴシックと呼び嘲笑った。
しかし修道院長にとってはこの教会堂が聖書にうたわれた神の家、ソロモンの神殿に思われた。
聖書には宝石やガラスや黄金が散りばめられた神殿が数多くでてくるからだ。
修道院長にとって光は神の象徴だった。
多くの光を取り込めば、それだけ人々が神に近づけると考えた。

狭く薄暗い家で暮らしていた当時の人々は、高くそびえる光の壁に畏敬の念を抱いたことだろう。
ゴシック建築の技術者達は石ではなく、ガラスを使ってとても薄くて高い壁を築いた。
そしてもろいはずのガラスの窓が高くそびえる石の天井を支えている。
ゴシックの建築家はなぜこのようなことができたのだろうか?
その答えはスペインでばらばらに解体された教会堂にある。

建築様式はゲドロン城の分厚い壁とサン・ドニ大聖堂の高くて薄い壁の中間に位置する。
1931年アメリカの新聞王ウィリアム・ハーストがヨーロッパの教会を買い取り解体して船でカリフォルニアに運んだ。
ところが大恐慌のためにハーストは教会の再建を断念した。
そして今、経験豊かな石工職人フランク・ヘルムホルツがカリフォルニアでこの教会堂の再建に取り組んでいる。
70年前スペインでバラバラに解体された。
多くの石材が倉庫に保管されている。
まずこの石材をすべて分類するのに10年近くかかった。
そしてその後7年かけて教会堂の外観を復元した。

するとこの教会堂は2種類の建築様式で建てられていることが分かった。
教会堂の裏側、分厚い壁のロマネスク様式、丸みのある窓からはあまり光が入らない。
窓は小さく細く作らねば、間部の重さを支えられないからだ。
一方正面はゴシック様式、当時の大聖堂のように薄くて高い壁を持ち、大きな開口部からたくさんの光が差し込む。
アーチの形も違う。
先端が尖っている。
どうやらこの尖ったアーチが大聖堂の壁の高さに関係ありそうだ。

詳しく調べるため、ヘルムホルツはアーチの縮尺模型を作ることにした。
まず木の骨組みを作る。
石が積みあがるまで、この骨組みがアーチを支える。
実物の16分の1の大きさだが、1つ1つの石を正確に置いていかねばならない。
石を斜めに積んでゆくと、重力が作用し始め、応力と呼ばれる圧力が生じる。
半円形のアーチでは応力は横方向に強く作用し支柱を押し広げようとする。
そのためアーチが高すぎたり広すぎたりすると中央が凹み崩れてしまう。
しかしアーチの先をとがらせると応力が下の方向に向くので、高いアーチを作ることが可能になる。
尖塔アーチと呼ばれる先端の尖ったアーチこそが高くそびえる大聖堂を築くための最初の技術革新だった。

しかしこの尖塔アーチにも限界はあった。
その尖ったアーチは重力を下に向けるが、それでも柱の先端部分には応力が生じる。
この問題を解決しなければ、石の継ぎ目が離れてアーチ全体が崩れてしまう。
パリから北へ130kmに崩壊寸前の大聖堂がある。
1220年新興都市アミアンは人口20000人という町に相応しい立派な大聖堂の建設に取り掛かることになった。
当時大聖堂の建築はブームとなっていた。
サン・ドニの教会堂に刺激を受けて、パリ周辺、やがてはヨーロッパ全土にゴシック建築の大聖堂が続々と建設された。
どの町も地上でもっとも高く、光に満ちた教会を目指した。
アミアン(Amiens)大聖堂も他の多くの大聖堂と同じく、十字架の形をしている。
十字架の交差部分には先の尖ったアーチのような高い壁が築かれた。
その高さは12階建てのビルほどもある。
しかしこの高さが構造的な欠陥を招いたと考える人もいる。
カリフォルニアの模型と同じく、このアーチにも石の圧力がかかっている。
2階から見てみると、割れ目や亀裂がよく見える。
ひび割れたアーチの左側んは大きな中央の柱があり、重さが何1000トンもある石の天井を支えている。
つまりこの割れ目は大聖堂の中心部が崩壊の危機にあるという警告なのかもしれない。

この大聖堂がどうなっているのか、ハイテク機器でスキャンする。
レーザー光線、1秒間に数1000回という速度で建物との距離を測定する。
壁全体を見渡しながらレーザーを発射して測定を行い、計測したデータを座標に落として三次元モデルを作る。
わずか数分でアミアン大聖堂の中央部分全体がスキャンされた。
コンピューターが描きだしたきわめて精密な大聖堂の三次元モデル、聖堂の傷み方が分かる。
中央の柱にしぼり、損傷の兆を探す。
柱と柱の間の距離を3つの高さで測定。
柱がまっすぐなら距離は3か所とも同じはず。
一番下で測ると11m60cm、これが基準。
過ぎに3mの高さで測ると11m50cm、10cm狭まっている。
三次元モデルからすぐに石の柱がまっすぐでないことが分かった。
さらに一番上、柱頭のすぐ下で距離を測ると11m70cm、柱の中央と比べて20cmも差がある。
三次元モデルで見ると柱は2方向に動いている。
下のほうでは内側に、上のほうでは外側に歪んでいる。
上でも下でもアーチの石が押し出され、柱に圧力をかけている。
コンピューターが作り上げたモデルから、壁の割れ目の原因は、アーチが柱を押し出しているためだと分かった。
このままずっと押し続ければ、いずれはアーチが倒れ、壁全体が崩れ落ちてしまうだろう。

根本的な原因はアーチに働く応力。
カリフォルニアでも同じ問題に取り組んでいた。
もし今木の骨組みを外せば、応力は柱上の石を押し出そうとしているので、アーチは崩れてしまう。
この応力に対抗してアーチを支える腕木のようなものを作った。
この見事な解決策は飛び梁と呼ばれている。
飛び梁(Flying buttress)をうまく機能させるためには、取り付ける位置が重要。
取り付ける位置が高すぎるとアーチの下の部分が崩れる可能性がある。
逆に低すぎると、アーチの上の部分が押し出されてしまう。
モルタルで固定されていない石のアーチは慎重に迫枠と呼ばれる木の支えを外す。
実際のゴシック大聖堂では飛び梁の大きさは圧倒的なスケール。
入り組んだ蜘蛛の巣のように石の飛び梁は地面から天に向かって高々と延びている。
飛び梁は尖塔アーチに次ぐ
ゴシック建築第2の技術革新。
飛び梁のおかげで大聖堂は天の光を捕え、空に届くほどにそびえ立つことができた。
大聖堂の天井の高さを支えているのは尖塔アーチと飛び梁、ただし大聖堂の構造はトランプで作った家に似ている。
どれ1つ石がかけても建っていられない。
ためしに石を1つだけ動かすと×××
アーチを外側から支える飛び梁がなければ、横方向の力が柱を押し倒し、全体が崩れてしまう。
横方向の力がアミアン大聖堂の中央の柱をゆがめ、倒壊の危機を招いている。

もちろんアミアン大聖堂にも飛び梁はある。
建物の外側からアーチを支えている。
ではなぜ支えきれなかったのか?
ここで再びハイテクの力を借りよう。
三次元モデルを見た専門家はすぐに重大なミスに気付いた。
建物の外の飛び梁の位置が正しくない。
位置が高すぎ飛び梁がほとんど機能していない。
天井のアーチに働く外向きの力を抑えることができなかった。
そこで建設から200年以上たって修理が行われた。
より頑丈な飛び梁を、もとの梁よりも低い位置に取り付け、アーチを支えた。
こうして後世の建築家が新たに飛び梁を取り付け、壁を安定させた。
ゴシック様式で画期的だったのは、なんといっても優れた石造建築の技術、尖塔アーチと飛び梁。
こうした技術革新によって光に満ちた美しい壁がもたらされた。
大聖堂の壁はほとんどがこうしたガラスでできている。
なぜこのガラスの壁で、巨大な石の天井を支えられるのだろうか?

12世紀の教会堂を復元する作業も終盤にさしかかった。
これから中央の12本の柱を取り付ける。
柱の頭部を吊り上げて固定する。
隣では天井の組立作業をしている。
カナメ石と呼ばれる天井中央の石をはめてみる。
800年前の石材がうまく組み合わせられるかどうか試すのだ。
この天井の構造はRib vaultと呼ばれている。
先の尖ったアーチを2つ交差させて作られている。
このRib vaultが天井の重みを柱へ導くため、壁には負担がかからずに済む。
重みは補助アーチに集中するので、アーチとアーチのあいだはすべて窓にすることができる。
リブヴォールトはゴシック様式における3つめの技術革新。
尖塔アーチや飛び梁と共に建物の重さを支え、地面へと導く骨組みなのだ。
こうして重さから解放された壁には色とりどりのガラス窓をはめ込むことができるようになった。

ニューヨークではガラス職人が中世と同じ方法でステンドグラス作りに取り組んでいる。
基本的な工程は今も変わっていない。
粉状にした石英結晶、様々な金属、ソーダ灰の混合。
化学製品の混合物を炉にいれる。
炉の温度は摂氏1200℃、火山の溶岩より高温。
中世の職人はガラスに金属を混ぜると様々な色を作れることを知っていた。
銅を混ぜると緑や赤のガラス、コバルトを加えると青、セレンを混ぜるとオレンジや黄色になる。
熱したガラスを回転させ、円盤状に形を整える。
こうした技術を使って中世の職人たちは万華鏡のように色とりどりのガラスを作った。
そして複雑で精密な図柄を持つ巨大なステンドグラスの窓を生み出した。
ここに描かれているのは聖書にでてくる様々な物語。
アダムとイヴ、ノアの箱舟、イエス・キリストの復活・・・
中世には文字が読める人はごくわずかだった。
そのためステンドグラスの窓が光で語られる聖書となった。
天から差す色鮮やかな光の壁に包まれた広々とした空間、その中で中世の人々は辛い日常を忘れ、楽園の気分を体験した。
広々とした神聖な空間を作ったのは人々を神に近づけるという宗教的な目的のためだった。
しかしそれは技術の革新と結びついて初めて実現した。
尖塔アーチと飛び梁とリヴボールト、この3つの技術革新がなければ大聖堂の建築は不可能だった。

しかし天の光を求める信仰心が技術の限界を追い越した時、大聖堂は崩れ落ちる運命にあった。
アミアン大聖堂が建設されていた頃、60km離れたボーヴェという町の人々もアミアンよりも大きく美しい大聖堂を築きたいと望んでいた。
しかしこの高さが災いを招く。
ボーヴェ大聖堂(cathédrale saint-pierre de beauvais)は建設中の1284年、そしてそののち1573年にも崩れ落ちるという事態に見舞われた。
大惨事を招いたのはボーヴェ大聖堂だけではない。
町同士が競って危険な高さに挑んだため、事故が絶えなかった。
なぜそんなにも高さを求めたのか?

その答えが大聖堂の大きさを示す数字の中に隠されているかもしれないという。
パリのノートルダム寺院、もっとも有名なゴシック様式の大聖堂。

レーザースキャナを使ってノートルダム寺院を調べる。
まず1階と2階それぞれの高さを測った。
各階とも32.8feet、およそ10m。
しかし中世には現代とは違う単位が使われていた。
ステファン・ヴァンリファレンジ(ジョージア大学)「中世の尺度Royal feetに換算すると上下階ともおよそ30Royal feetになる。」

合計すると高さ60Royal feet、この30と60という数字を見て、ヴァンリファレンジはひらめいた。
フランス最古の図書館の1つ、マザラン図書館で、中世の文献の写本を調べた。
ステファン・ヴァンリファレンジ「ノートルダム寺院の建設に携わった司祭Petrus Comestorが12世紀末に記した書物。」
『スコラ哲学的聖書物語』というこの本はノートルダム寺院の建設中に書かれた。
Comestorは旧約聖書の一説を引用し、地上に作られた神の家と称えられるエルサレムのソロモンの神殿について詳しく説明している。

「1階の住居は高さ30Cubits、その上の住居も高さ30Cubitsだった。」
ノートルダム寺院の建設者にとってソロモンの神殿の大きさは極めて重要な意味をもっていたようだ。
1階の高さが30Cubits、2階までの高さが60Cubits、30Royal feetと30Cubits、数字が一致する。
これは単なる偶然の一致なのか、それとも聖書の中の神聖な数字が意図的に大聖堂に組み込まれたのか。
パリの南西およそ90kmにあるゴシック建築の最高峰シャルトル大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Chartres)に手掛かりがあった。

シャルトル大聖堂のステンドグラスはほとんどが800年前のもの、ここでは聖書の物語はステンドグラスだけでなく、石にも刻まれている。
イエス・キリストや聖母マリア、そして12使徒の石像が外壁をとりまいている。
しかしゴシック建築の専門家シャクリーン・ユング(イエール大学)が注目するのはキリスト教が誕生する数100年前に活躍した古代ギリシャや古代ローマの学者達の像。
アリストテレスやユークリッド、そしてピタゴラスの姿もある。
シャルトル大聖堂を建設した聖職者は古代の異教徒を崇めていたのだ。

ここに大聖堂を建設するにあたって聖職者たちは古代ギリシャと古代ローマの思想を研究した。
そして宇宙の究極の美は完璧な比率と理想的な数字に基づいているという考えに注目する。
神は聖なる数学者であり、神聖な数字を用いて宇宙を想像したと考えたからだ。
中世の聖職者は聖書の中の数字こそが神が用いた神聖な尺度だと考えた。
アミアン大聖堂、聖なる数字を探してみよう。
まず十字架の中心にあたる正方形をした部分の寸法を測る。
中央の正方形の1辺はアミアン大聖堂の建設者が使ったRoman feetという単位で測ると50Roman feetだった。
50というのも聖書に登場する重要な数字。
神がノアに作るよう命じた箱舟は幅が50Cubitsだった。
ノートルダム寺院と同じくアミアン大聖堂にも聖書に示された数字が取り入れられているようだ。
レーザースキャンした画像を見直してみた。
カナメ石を1つ選び線を床まで下すと敷石までの距離がでる。
42.55m、測定した距離を中世の単位に変換する。
するともう1つの聖なる数字144が現れた。
この数字は新約聖書の中で神の都と呼ばれる天国の城壁の高さ144Cubitsと一致する。
ヨハネの黙示録の一説でヨハネがアポロンに見た都の城壁を測ると144Cubitsだった。
そしてなんとアミアン大聖堂が完成した時の式典で司祭が朗読したのも、神の都の城壁の高さが144だと記されたヨハネ黙示録の一説だった。

聖なる数字がほかにもないか、一部が崩れかけたボーヴェ大聖堂も調べた。
大聖堂の高さは144.3Cubits、アミアンでもボーヴェでも設計者は大聖堂を神の都と同じ高さに設計しようとした。
ノートルダム大聖堂で30というソロモン神殿の数字が、アミアン大聖堂で50というノアの方舟の数字が見つかった。
他にも大聖堂の設計に聖書の数字が使われていたという証拠が発見された。
ゴシック建築の建設者たちは聖なる数字を取り入れ、大聖堂を地上の天国にしようとした。
人々に辛い日常を忘れさせ、永遠の高みへといざなう神聖な空間を生み出そうとした。
大聖堂の構造にもキリスト教の救済の象徴が取り入れられている。
十字架だ。
大聖堂は人々を天国へと運んでくれる輸送のための手段なのだ。

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/// (2011/04/03 11:34 PM)
神とは、長さ、幅、高さ、深さである。(サン・ベルナール)

テンプル騎士団の後援者であるサン・ベルナールは初期のゴシック建築の発展と普及に貢献した。(彼はシャルトルの大聖堂が建てられた1134年に権力の最高潮に登り、塔や全ての建物の神聖な幾何学原理の実行を強調。)  ゴシック建築は1134年シャルトルの大聖堂の北塔の建築で生まれた。1134年の直前、ベルナールはシャルトルの司教Geoffreyと特に親しい友情を育て、ゴシック様式の「一般的ではない熱意」を吹き込み、建築業者らとほとんど毎日の交渉を行った。

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