ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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知られざる物語 京都1200年の旅★清水寺

清水寺へと向かう参道、古の息吹を肌で感じることができる道。
正面に、聖徳太子が建てたとされる法観寺五重塔八坂の塔の名で親しまれている。
幾度も消失と再建を繰り返し、今の姿は室町時代に建て直されたもの。
京都で2番目に古い五重塔。
今は五重塔しか残されていないというこの寺、塔のみでありながらも強い存在感、まさに京都の人々の心のよりどころともいえる場所。

八坂の塔のすぐそばにあるユニークな寺、金剛寺(八坂庚申堂)に祀られているのは猿。
60年ごとにおとずれる庚申の日に寝ずにお参りすれば、どんな願いも叶うのだという。
見猿 言わ猿 聞か猿の3匹の猿が人々を見守る。

境内の至るところに吊るされた色とりどりの人形は、手足を縛られ動けなくなっているくくり猿、人間の欲望を抑え、望みがかなえられるよう、この人形を吊るす。

八坂の塔を過ぎると見えてくるのが二年坂
石畳の道が醸し出すことの情緒。
三年坂とも呼ばれる産寧坂、昔から残る2つの坂を上り清水寺へ。

賑わいをみせるメインストリート清水坂、多くの店が軒を連ねるこの道をまっすぐにのぼると姿を現すのは京都の町を守るように建てられた美しい朱色の門。
清水寺の玄関口・仁王門の真ん中には、平安時代に書かれたという清水寺の文字が。
鮮やかな朱の色から赤門とも称される清水寺の正門。
今の建物は室町時代に再建されたもの。
周りには鮮やかな朱に生える緑のスノコがあしらわれている。
屋根は入母屋造り。
平成になり修復が行われ、再建当時の色合いが蘇った。

さらに進むと見えてくるのが赤く彩られた三重塔
上に行くほど柱の間が狭くなっており、実際より高く見えるのだという。
屋根の東南に置かれたのは青龍の鬼瓦
火を防ぐ守り神である龍、火事から逃れられるように、との願いを込めたと言われている。
門を彩るのは美しい極彩色の文様。
金と漆をふんだんに使って描かれた桃山様式と呼ばれる緻密な装飾。
この塔の内部に祀られているのは密教における根源的な仏・大日如来
天井や柱などには密教の仏画が華やかな色使いで描かれている。

清水寺の中門である轟門、龍の口からでる手水が参詣者を迎える。

そして境内を進むといよいよ見えてくるのが本堂。
この奥に清水寺の本尊・十一面千手観音菩薩が祀られている。
慈悲の仏である観音菩薩は観音様の名で親しまれる馴染深い仏の1つ。
この観音は独特な姿が特徴。
頭上に4つ、左右に3つずつ、そして後ろに1つ、合計11の面。
40本の腕には25の人々を救う力が宿っているため、千の手を持つと考えられている。
長い手を伸ばし、頭の上に掲げているのは化仏と呼ばれる如来。
このように腕を頭上に高く掲げ、如来像をいただく観音は他にはなく、清水寺型と呼ばれる独自の物。

33年に1度開帳される貴重な十一面千手観音菩薩の横で観音を守っているのが二十八部衆と呼ばれる神々。
千手観音を支えるだけでなく、その強い力で観音を信じる者達をも守ると言われている。
秘仏である本尊、十一面千手観音、開帳の時以外は実際に見ることはできない。

代わりに訪れた人が拝むのが御正体、銅板を貼ったヒノキの板に浮彫の観音像が取り付けられたもの。

そして清水寺と言ってまず思い浮かぶのが多くの人が訪れる清水の舞台
しかしなぜこのような大きな舞台を清水寺は持ち合わせているのか?
参籠(神社、寺院などに一定の期間籠って祈願すること)をする人が増え、手狭になり少しずつ拡張された結果舞台になったのだという。
たくさんの人々が籠って祈願した清水寺、崖にせり出すその部隊の大きさがこの寺の人気を物語っていた。
『枕草子』(平安時代)に、当時の様子が記されている。
400枚以上のヒノキを敷き詰めた、その名の通りのヒノキの舞台では、歌舞伎、能、相撲など、様々な芸能が奉納されたという。
この舞台は傾斜の急な崖に建てられた懸造りと言われる構造、舞台造りとも呼ばれる。
支えるのは高さ数十メートルの18本のケヤキの柱。(樹齢400年以上)
ケヤキやヒノキには樹齢の倍の耐久性があると言われる。

京都市左京区井ノ口谷で育っているのは清水寺の舞台に使うための木。
京都府内の3箇所の山林を清水寺が購入し、ケヤキとヒノキを6000本以上植えている。
この木々が清水寺の舞台に使われるのは数百年の後の事。
そんなはるか未来にまで歴史を繋いでいくための努力が、すでに始められていた。

清水寺の舞台を下ると見える2すじの清流、音羽の滝
寺を抱く音羽の山から1200年以上にもわたってわき続ける聖なる水。
こここそが清水寺の名の由来となった場所。

かつてこの地には行叡居士と呼ばれる仙人が住んでいたという。
清水寺が建てられる前の奈良時代、200年以上生きたとされる伝説の人物。
行叡居士はこの地に小さな庵を造り、滝に打たれて修行していた。
この庵こそが清水寺の起源と言われている。
その後この地に清水寺の建物を作ったのが坂上田村麻呂
ある時妻の出産を控え、安産に良いとされる鹿を刈るため音羽山に入った。
そこへ行叡居士に庵を譲られ、千手観音を祀って修行を続けてきた延鎮上人にである。

延鎮上人は坂上田村麻呂に鹿を殺すことは観音の教えに背くのだと諭した。
深く感じ入った田村麻呂は妻と共にこの地に清水寺を建てた。
その物語を今に伝えている場所、清水寺の境内にある田村堂
お堂の中には田村麻呂とその妻の像が安置されている。
貴族の正装をした高子婦人の像(三善高子命婦坐像)、正面を力強く見据え、当時の正装をした坂上田村麻呂の像が並ぶ。

音羽の滝の真上に建つ清水寺の奥の院、いわば清水寺発祥の地。
清水寺で毎年年末に行われる今年の漢字が披露される場所としても知られる。

観音を心から崇めていた坂上田村麻呂、当時東北地方を支配していた蝦夷討伐の前に清水寺に祈願して、見事に勝利を収めたという。
その活躍の褒美として桓武天皇から立派な邸宅を賜った田村麻呂は、その屋敷をそのまま清水寺へ移築、それが今の本堂の原型だと言われている。

本堂の屋根は上の方はふっくらと膨らみ、下の方はへこんだ曲線を描く独特の形。
ムクリソリという日本の伝統的な屋根の特徴は田村麻呂の邸宅の名残。
東京スカイツリーにもムクリやソリを応用したデザインが採用されている。

平安時代紫式部も清水寺を訪れたという。
廬山寺、京都御苑の傍らにひっそりと建つ紫式部ゆかりの寺。
夏にこの寺に美しく咲き誇るのは源氏物語にも描かれた桔梗の花
紫式部はこの寺でほとんどの作品を執筆したという。
紫式部にはかつて宮殿で仕えた皇后の病の回復を祈願し、清水寺に籠ったという逸話が残されている。
“清水の方ぞ光多く見え
人のけはひもしげかりける
この尼君の子なる
大徳の声尊くて
経うちよみたるに
波だののこりなく思さる”

桂川に架かる渡月橋を渡って南へ下り自然に囲まれた嵐山へ。
時代が変わると貴族だけでなく、武士も清水寺を参るようになる。
まるで外の世界を忘れさせるように続く美しい竹林の道を抜けると、たどり着くのは足利尊氏が創建した天龍寺

数度にわたる大きな火災を経て、現在の建物は明治以降に再建されたもの。
凛とした厳かな雰囲気が漂う広いお堂。
その奥に広がる美しい庭。
緑が目にもまぶしく美しい自然豊かな境内。
大きな池を中心とした庭園は、後ろにそびえる嵐山をはじめ、周りにあるすべての景色をその長めの一部に取り込んで造られたという。
当時のそのままの形で残る3枚の石、日本最古の石橋であると伝えられている。

室町幕府初代将軍・足利尊氏も清水寺に自身の願いを託したという。
その願いとは?
天龍寺総務総長・栂承昭「尊氏がもっとも恐れていたのは怨霊。
だから一生懸命いろんなところに祈願した。
観音様や神仏に頼る。
清水信仰もその一環。
戦いにより弟を亡くし、自責の念が大きかった。」
尊氏は弟・忠義への思いをつづった願文を清水寺に収めた。
16世紀に描かれた『清水寺参詣曼荼羅』は、清水寺がその時代、いかに篤い信仰を集めていたかを示すものの1つ。
身分を問わず様々な人達が観音のご利益を求め、この寺を訪れる様子が描かれている。
彼らはこの場所で修行や祈願など、それぞれの目的で時を過ごした。
この曼荼羅は清水寺への参詣を全国に呼び掛けるために作られた。

清水寺には他にもさまざまな人物の逸話が残っている。
本堂にある弁慶の指跡、武蔵坊弁慶がつけたとされる傷。
弁慶と牛若丸が出会ったのは、実は清水寺だったとも言われる。

室町時代に書かれた歴史物語『義経記』には弁慶が清水寺の舞台で牛若丸に勝負を挑んだという一説が・・・
敗れた弁慶はその後、牛若丸の家来になったと言われる。
そのため清水寺には弁慶の杖や鉄下駄などの品、伝説の数々が後に作られたいった。

安土桃山時代、大公豊臣秀吉も、観音の加護を求め、何度も清水寺を参ったという。
母親が病から回復するよう、秀吉が清水寺に祈願し収めたという願文が残っている。
その甲斐あって母親は無事に回復。
後に秀吉はお礼として一万石を寄進したという。

清水寺の周りにはかつての参道である風情ある坂道がある。
その道沿いには様々な店が建ち並び、今も多くの人でにぎわう。
中でもよく知られているのが清水焼
谷口松韻堂は清水寺と共に発展した焼き物の文化を今に伝える店。
店内に並ぶのは色も形もとりどりの清水焼の器。
この店では300年物昔からこの場所で清水焼を扱っている。

店主「清水寺のふもとで良い土が出て、三年坂から上などの傾斜地を利用した登り窯があった。
盃とご飯茶碗は薄くて上品。
網目模様の茶碗、中外切れ目なく続く模様は、シルクロードを伝って中東からきた。
真ん中から見るとオアシス(命の水)。」

清水焼団地は清水焼の歴史を今に受け継ぐ場所。
伝統の焼き物を造り続ける商人達、1つ1つが丁寧な手作業。
そもそも清水焼が発展したのは都に暮す美に造詣が深い人々の厳しい注文に応えてきたため。
高いろくろ技術による洗練された美しさで時代を越え、高く評価されている。
それぞれに違った表情を見せる清水焼、繊細で色鮮やかなデザイン、決まりに捉われない自由な作風がその特徴であり最大の魅力。

もう1つ、清水寺の周りで発展した伝統工芸が扇子。
このあたりは昔から竹財が多かったため、扇子づくりが盛んになった。
扇子は元々扇と呼ばれ、平安貴族の象徴として儀式などで用いられていたという。
鮮やかに彩られた京扇子、飾りに使うものから能や茶道で使われるものまで、その種類は様々。
扇子には京に古くから伝わる美の心が現れている。
清水坂と産寧坂の交わる場所に建つ七味唐辛子の七味屋
創業は江戸時代の初め、風情ある店構えが伝える350年の歴史。
当時は茶店として清水寺を詣でる多くの人々が立ち寄った。
清水坂を登る参拝客や修行僧に、冷えた体を温めるため、さ湯に唐辛子をふりかけた辛子湯を出したのが始まり。
元々は漢方薬として日本に伝わったという唐辛子に、山椒、ゴマなどの薬味を合わせてこの店独自の七味唐辛子が生まれた。

清水寺の建物のほとんどは江戸時代に再建されたもの。
徳川家光の時代、本堂をはじめ建物の大部分は大火災により焼失してしまう。
しかし清水の観音を深く信仰していた家光の大きな援助を受けて、清水寺は無事建て直された。

寺の南側の丘の上に建つ子安の塔、現在修復中の子の塔から、これまでの説を覆す新たな事実が発見された。
これまで子安の塔も江戸時代、本堂と同時に消失し再建されたと考えられてきた。
しかし今回の修復作業で、これまで考えられていたより130年も古い時代に再建されたものだと分かった。
子安の塔に使われている木材の1つからそのことを物語る貴重な証拠が見つかった。
マス、屋根の軒を支える材料の1つに、明応9年5月4日という年号が書かれていた。
今の子安の塔は室町時代に建て直されたものであることが明らかになった。
現在その当時の姿に復元されようとしている。

清水寺の境内にある忠僕茶屋にもある物語が隠されている。
幕末、安政の大獄により幕府に追われた清水寺の月照(清水寺成就院第24世住職)は西郷隆盛を頼り、薩摩へとのがれる。
しかし時の薩摩藩は月照を受け入れず、2人は入水自殺を図るも月照のみが命を落としてしまう。
忠僕茶屋は月照をしのび、彼のしもべが始めた店だという。

鮮やかな朱色をした清水寺の正門・仁王門の少し奥にひっそりとたたずむもう1つの門・西門
ひと際目を引く神殿風のたたずまい。
全体は朱色に彩られ、要所に散りばめられるのは極彩色の華やかな装飾。
細部には華麗な彫刻や文様も。
京の町が一望できるこの門から見る日没は心奪われるほどの美しさ。

清水寺は平安京に遷都される前からここに祀られていたというが、おそらく縄文弥生の時期からここは冷水が沸く聖地だったと思われる。
水はとても貴重だったので、神として祀られていた。
水に対する信仰がもともとあって、そこに清水寺が建てられたのではないか。
水に対する信仰、太鼓よりの信仰がもとにあり、そこに清水のお堂が建ち、信仰が重ねられ、現在に発展した。
ゆえに現在でもなお、人々を魅了してやまないのではないか。

| poyo | 紀行 | comments(9) | trackbacks(0) | - |
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uni (2011/11/16 12:37 PM)
清水寺は高校のとき修学旅行で行ったなあ
清水焼を買いました
このあいだ息子が友人と
行ってきました
一度ゆっくり京都見物したいものです
日本人の故郷ですよね
poyo (2011/11/16 8:22 PM)
uniさん、私は観音様の御開帳に行った覚えがあります。
日本のお寺に入ると、ヨーロッパの石造教会とは違う、ずっしりとした空気を感じます。
nenji (2011/11/20 11:29 PM)
すごいね、これだけよく調べたなあ。
ぼくは、この漢字の発表の時に取材してたよ。まあ、一般参詣者のマナーの悪い事(笑)
成就院は行った?あそこの庭はすごいよ。月の庭っていうんだと思った。八坂の搭は、特別公開の時2階まで登れるから、登ったよ。ちょっと怖かったけどね。
poyo (2011/11/21 8:13 PM)
nenjiさん、読んでくれてありがとう。
このブログは、私が観た番組をメモして書いているので、自分で調べたわけではないのだよ。
月の庭、行ったことないよ。
日本国内でも、いろんなところに取材に行ったのかな?
しかし2階で怖かったとは・・・
私はトルコで、トロイの木馬の模型?に登ったよ。
nenji (2011/11/22 12:19 AM)
そうか、なんかよくできているなーと思ったよ。
京都は2年間いて、寺と神社は200〜300は行ったなあ。おかげで文化財と歴史に目覚めて、今でもたまに京都に行ってるよ。法観寺の2階は、天井が低くてやたら揺れて、なんか怖かった。あの塔は目立つけど、地震が来たら一発で倒れると思う。最近も行ったけど、大徳寺の弧蓬庵の小堀遠州の茶室が良かったな。あとは、今出川浄福寺の「外から2つの建物に見えるけど、実は1つで最古の違法建築」っていうのが面白かったよ(笑)
poyo (2011/11/22 10:03 PM)
nenjiさん、そういう感動を、言葉にできるって羨ましいよ。
違法建築ね・・・私は仕事柄、その言葉に敏感になってしまうよ。
小堀遠州などの茶室、数寄屋建築は、竹材などの使い方に、日本人の美意識を感じるよ。
犬山に移築された如庵もよく知られているね。
カーボンオフセット (2013/03/16 6:49 PM)
 日本最古の寺院は島根県安来市の瑞光山清水寺では?
poyo (2013/03/17 9:04 PM)
カーボンオフセットさん、貴重な情報を教えてくださり、ありがとうございます。
古代の人の信仰心を、忘れてはならないと思います。
予言書 (2019/05/30 2:43 AM)
いつも お世話になっておりますm(__)m

予言書を発見しました、

見ていただけると光栄です。

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