ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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100年の難問はなぜ解けたのか〜天才数学者失踪の謎〜


それは前代未聞の出来事だった。
2006年8月、スペインのマドリードで、1人の数学者にノーベル賞以上の権威があるとされるフィールド賞が授与された。
授賞の理由は、この100年間誰も解くことのできなかったポアンカレ予想という数学の難問を証明したことだった。
しかし受賞者グレゴリ・ペレリアン博士(Grigori Perelman )は、賞金やメダルの受け取りを拒否し、さらに数学の世界から完全に姿を消してしまった。
なぜペレリマン博士は栄誉に背を向け姿を消してしまったのか、そこには100年の難問、ポアンカレ予想が持つ不思議な魔力が潜んでいるという。

ロシア第2の都市、サンクトペテルブルク、失踪したペレリアン博士はここで暮らしているという。
アパートの扉には表札はなく、ノックしても何の反応もない。
住人「彼は滅多に姿を見せません。
この5年で6回程しか彼を見ていません。
最後に見かけたのは2〜3ヶ月前。」
ペレリアン博士が勤めていたステクロワ数学研究所、姿を消す直前に撮影された博士の写真が残っている。

博士が失踪した理由は、親しい同僚にさえ全くわからない。
同僚「ペレリアン博士にとっては数学が全て。
数学は彼の人生そのもの。
彼が数学の世界から身を引いたという噂があるが、とても信じられない。」
ロシアではペレリアン博士の様子を隠しカメラで捉えた映像が繰り返し流されていた。
高校時代の恩師、アレクサンドル・アブラモフさんは、姿を消した博士のことを誰よりも心配していた。
「全くひどい報道だ。
彼に対してはもっと敬意を持って接するべきだと思う。」
アブラモフさんが知るペレリアン博士は、よく笑う明るい青年だった。
もっとも優秀だった教え子の身に、いったい何が起きたのか、博士が姿を消した理由は、アブラモフさんにも全くわからない。
実は数学者の間に伝わる不思議な話がある。
ペレリマン博士が証明したポアンカレ予想という難問には、この100年間数々の数学者の人生を翻弄し、狂わせてきた過去があるという。
博士が姿を消した理由を知るためには、ポアンカレ予想と格闘した数学者たちの足跡を辿る必要があるのだ。
ポアンカレ予想は1904年、パリで誕生した。
アンリ・ポアンカレは、数学だけでなく物理学や哲学など、あらゆる学問をマスターし、レオナルド・ダ・ヴィンチやニュートンに並ぶ知の巨人と称えられた人物。
その知の巨人がよに送りだし、100年以上かかってようやく解き明かされたポアンカレ予想、それはこんな言葉で書かれている。
単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相と言えるか?
何が何だかさっぱりわからない。
ポアンカレの出身高校で、ポアンカレ予想についての特別授業が開かれた。
パリ・オルセー大学名誉教授で数学者のヴァレンティン・ポエナル博士は、ポアンカレ予想とは何かをたった1本のロープで説明した。

「誰かが長いロープを持って、宇宙1周旅行に出かけたとする。
その人物が旅を終え、地球に無事戻ってきたとする。
ポアンカレ予想とはこの宇宙にグルリと廻らせたロープが、こんな風にいつも手元に回収できれば、宇宙の形は丸いといえるはずだという予想。」
ポアンカレ予想とはどうやら宇宙の形と関係がある問題のようだ。
それにしても宇宙の形はいったいどうすれば分るのだろうか。
どんなに科学が発達しても、宇宙の形を外から眺めることはできない。

ポアンカレの考え方をわかりやすくすると・・・
ポアンカレはこんな空想をしていた。
ロケットに長い長いロープを結び付け、宇宙空間に向け飛ばしてみたらどうだろうか。
ロケットはロープを付けたまま、ひたすら自由に宇宙空間を飛び続ける。
ロケットが宇宙を一回りして無事地球に戻ったとする。

今あなたは宇宙に巡らされたとてつもなく巨大な輪っかをつかんでいる。
そしてこれをひたすら引っ張ってロープを全部手元に回収する。

もし長い長いロープが全て回収できたとしたら、宇宙の形についてどんなことが言えるだろう。
ここで現実には不可能だが、仮に宇宙全体を外から眺めることができたらと考えてみよう。
宇宙を一周させたロープがどんな場合でも必ず回収できるならば、宇宙空間は概ね丸いと言えるのではないか、ポアンカレ予想とは、宇宙の形を大まかに知るための問いかけなのだ。
では、もしロープが引っ掛かって回収できない場合があったらどうだろう。
その時には、もしかしたら宇宙には私達には見えない巨大な穴が開いていたりして、ロープが引っ掛かっているのかもしれない。
この場合、宇宙は例えばドーナツのような形なのかもしれない。

ところで概ね丸いとか、ドーナツだとか、ロープを回収するとか、これって本当に数学の話なのか?
どうしてXとかYとか、微分積分とか、難しい記号が出てこないのだろう。
なぜポアンカレ予想は普通の数学と違うのか・・・
20世紀初頭の数学者、特に図形を扱う幾何学の専門家かからみると、世界は微分幾何学の世界に見えたかもしれない。
イギリスの知の巨人・アイザック・ニュートンが生んだ微分積分が、その後図形を扱う数学、微分幾何学へと発展していった。
難しい数式で図形を厳密に捉える、いわば堅い数学だ。

一方、それから200年後に生まれた20世紀の知の巨人・ポアンカレはこう考えた。
微分幾何学では、捉えどころのない宇宙の形は理解できない。
全く違った発想が必要だった。
こうして生み出されたのが位相幾何学(トポロジー)と呼ばれる新しい図形の捉え方だった。
ポアンカレが残したノートや論文には、従来の数学からは考えられない奇妙な図形がぎっしりと並んでいる。
宇宙の形を問いかけるポアンカレ予想には、このくらい斬新な数学が必要だったのだ。

ポエナル「トポロジーでは、ドーナツとティーカップ、この2つは同じ形。
トポロジーでは難しい方程式は使わない。
ものの捉え方が大雑把で、とても軟らかい。
ポアンカレ予想が変わって見えるのは、この新しい数学・トポロジーの分野の問題だからだ。」
トポロジーでは多少の形の違いは気にしない。
トポロジー以前の微分幾何学では、このテーブルの上のものは、それぞれ異なる形だと考えるが、トポロジーの考え方はもっと柔軟。

その訳は・・・
ポエナル「お皿とスプーン、ポットの蓋は粘土細工のように少しずつ単純な形へと変形させると、最後には全部同じ球になった。

ティーカップはドーナツと同じ形になった。
ポアンカレは細い形の違いを気にせず、穴の数が同じならば、同じ図形と見なそうと提唱したのだ。
トポロジーでは穴の数が大切なのだ。」

知の巨人・ポアンカレでさえ、自分が生んだその難問を解くことはできなかった。
ポアンカレの論文は、謎めいた予言で締めくくられている。
この問題は我々を、はるか遠くの世界へと連れてゆくことになるだろう。
難問ポアンカレ予想に挑む数学者たちの闘いは、その後100年、思いもよらぬ展開を見せることになる。

ポアンカレ予想と数学者との闘いは、1950年代プリンストン(アメリカニュージャージー州)で最初のピークを迎えた。
トポロジーの専門家・ウルフガング・ハーケン博士、ポアンカレ予想と出会った時の第1印象は、非常に優しい問題に思えたという。
以来その証明に半生を捧げた。
ハーケン博士には最大のライバルがいた。
ギリシャ出身のクリストス・パパ・モリアコフプーロス博士、パパの愛称で知られていた。
ハーケン博士とパパは、ポアンカレ予想をめぐって激しくしのぎを削ることになる。
パパはポアンカレ予想の魔力に取りつかれた孤高の数学者と言われていた。
毎朝8時に朝食をとり、8:30に研究開始、昼食後12:30〜また研究、夕食後にも研究。
唯一人前に姿を現したのは、午後15:00のティータイムだった。
しかし同僚から食事やパーティーに誘われても、いつも断り、ポアンカレ予想の証明だけに全ての時間を費やした。
この頃ハーケン博士とパパを悩ませていたのは、宇宙を一回りさせたロープを回収しようとすると、いわばそれが複雑に絡み合ってしまうという問題だった。
ロープが絡まないようにうまく回収する方法が見つかれば、ポアンカレ予想の証明に辿りつけるはずだった。
ある時パパが珍しく後輩の数学者を呼び出した。
研究に確かな手ごたえがあったというのだ。
シルベイン・カベル博士「彼はかなり興奮した様子だった。
大きく前進したポアンカレ予想を最後まで証明したわけではないが、限りなくそれに近づいたといった。」
ところがまもなく、その証明に致命的な欠陥が見つかった。
激しいショックを受けたパパは、ますます人前に姿を現さなくなった。
精神のバランスを崩したパパに、医師は映画観賞を勧めた。
しかしパパの頭脳は映画を楽しむどころか、ポアンカレ予想の周りをひたすら駆け廻っていた。
「パパは自分がポアンカレ予想を選んだことで何を失ったのか、よく自覚していた。
彼はある時いった。
昔ギリシャに恋人がいたが結婚をあきらめたと。
もしポアンカレ予想が証明できたら、国に戻って結婚できるかもしれない。
そのためにも早く証明を完成させたいと言っていた。」
そんな中、ライバルのハーケン博士がポアンカレ予想を証明したと宣言する。
それを聞いたパパはそんなことはありえないと取り乱し、まるで人が変わったかのように苛立ちを露にするようになった。
しかしその3日後、ハーケン博士の論文に大きな間違いが見つかった。
このわずか数日間の出来事が、パパの精神をさらにかき乱すことになった。
ところがポアンカレ予想を巡る2人の対決は突然終りを告げる。
パパが癌でこの世を去ったのだ。
自宅からはポアンカレ予想についての膨大な遺稿が見つかった。
しかし肝心な部分はすべて空白のままだった。
カベル「パパはよく行った。
自分の人生はこれでよかったのだと。
数学者は常に日常の生活と数学の世界を行き来している。
数学の世界には永遠の真理があり、それを理解できるものだけに完璧な美しさを見せてくれる。
まるで迷宮に迷い込んでしまったかのように数学者はそれに思わず取りつかれてしまうのだ。」
一方のハーケン博士はパパの死後もポアンカレ予想に取りつかれたままだった。
その終りなき泥沼から救い出してくれたのは家族のさりげない言葉だった。
ハーケン「私の家族は私のことをポアンカレ病患者と呼んだ。
今お父さんはポアンカレ病にかかっているから、話もできないという風に・・・
それがよかった、家族がそうやって茶化さなければ、私はますます追い込まれていただろう。
家族が、お父さんの研究は人類史上とても重要なことなんだ、などと言っていたら最悪だったに違いない。
家族は本気で私を日常の世界へと戻してくれたのだ。」

数学者たちがポアンカレ予想と激しい格闘を続けていた頃、旧ソビエトで1人の少年が誕生した。
1966年生まれのペレリマン少年、愛称はグリーシャ、数学教師をしていた母は、幼い頃から数学の英才教育を受けさせたという。
高校はソビエト国内から優秀な生徒が集まる理数系の名門校だった。(サンクトペテルブルク第239高校)
この学校でペレリマン少年は圧倒的な才能を発揮した。
数々の数学コンクールを勝ち抜き、最年少の16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得した。
校内の壁には、今もペレリマン博士の名前が刻まれている。
国際数学オリンピックでペレリマン博士を指導したアレクサンドル・アブラモフさん、数学オリンピックに出場した子供たちの中でもペレリマン少年はひと際目を引いた。
問題を解くスピードも抜群に速く、解答も驚くほど短く簡潔だったからだ。
「これは当時のグリーシャの答案の下書き、普通の子供が何度も計算をやり直すところを、グリーシャはたった3行で終わらせた。
豊かな想像力がシンプルかつ宇宙区市い解放を生み出している。」
さらにアブラモフさんが鮮明に覚えているのは、いつも笑顔を絶やさないペレリマン少年の明るい性格だった。
「問題を考えている時の彼の仕草はとてもユーモラスだった。
ズボンの膝をこすりながら体を揺らす。
私達はどうしても解けない難しい問題を、死の問題と呼んだ。
しかし死の問題が何問ならんでいようと、グリーシャはケロリと解いてしまった。」
ペレリマン少年にとっては、数学オリンピックで出題されるトップレベルの何問でさえ、簡単に思えた。
いつか誰も解くことのできないほどの難問を解いてみたい、ペレリマン少年の夢はこの頃に固まった。
高校時代の友人・ガラバノスさんは、当時のペレリマン少年は、ポアンカレ予想はもちろん、トポロジーについても全く興味を持っていなかったという。
そしてペレリマン少年は、数学以上に物理学の才能に抜きんでていたという。
ペレリマン少年の、この物理学の才能が、その後世紀の難問ポアンカレ予想を解き明かす最大のカギとなってゆく。
ポアンカレ予想を解き明かす数学者は。1960年代の半ばを過ぎても現れなかった。
しかしポアンカレ予想と共に生み出された新しい数学トポロジーは、アメリカで数学の王者と呼ばれるまでに成長していた。
微分幾何学は時代遅れだ、古い数学なんてぶっとばせ!
この時代フィールズ賞の多くをトポロジーの専門家が獲得した。
それだけではない、トポロジーの発想は、数学以外の研究や実社会へも応用されていった。
まさにトポロジーこそが数学だという時代がやってきた。

60年代を代表するトポロジーのカリスマ、スティーブン・スメール博士(カリフォルニア大学名誉教授)、稀代の天才と謳われた彼はやることなすこと型破りだった。
天才スメールは過去の数学者たちの過ちを避ける方策を探した。
これまでとは違う攻め方ができないかと考えた。
そもそもポアンカレ予想は3次元の空間である宇宙にロープを巡らせ、その輪が回収できれば、宇宙は丸いはずだと言えるという予想だった。
スメール博士はこの予想を証明するための、ある奇抜な廻り道を考えた。
宇宙がもし3次元空間ではなかったとしたらどうだろう?
もし仮に4次元や5次元の空間だったとしたら・・・
3次元に暮らす私達には、そんな世界を想像すらできない。
でも数学者たちは、ありもしない世界を頭の中で作り出すことが大好き。
スメール博士の戦略は、まず宇宙空間が仮に6次元や5次元など、実際よりも高い次元だと考え、その後順番に低い次元へと進み、最後に3次元の宇宙の問題であるポアンカレ予想を攻略しようというものだった。
わざわざ3次元より高い次元のことを考える利点とは何なのか?
その理由は、数々の数学者を悩ませていた、あのロープの絡み合いが、高い次元の宇宙では起きないからだという。
スメール博士の考えを、ジェットコースターを例に説明する。
3次元空間を自由に駆け巡るジェットコースター、まずは地面に映ったレールの影を見てみよう。
レールの影は互いに交差し、複雑に絡み合っている。

でも目線を3次元空間に移してみると、レールはぶつかり合っていない。
2次元ではぶつかり合ってしまうレールも、それより次元が高い3次元空間では、ぶつかりあわないのだ。
同じように3次元の空間の中では、決してほどけなかったロープの絡み合いが、4次元や5次元の空間の中なら簡単にほどけてしまうことを、スメール博士達は証明してみせた。

ポアンカレ予想を高い次元から順に攻めてみようというこの試みは、フィールズ賞に輝いた。
ところがスメール博士の戦略は、大きな挫折を迎えることになる。
4次元や5次元ではうまくいった手法が、現実の3次元の宇宙でのロープの絡みには、なぜか全く通用しなかった。
天才スメールはポアンカレ予想から撤退するという選択をした。

完全に行き詰ったかに見えたポアンカレ予想の研究、しかしマジシャンの異名を持つ数学者ウィリアム・サーストン博士の登場が、誰も予想しなかった新しい道を切り開くことになる。
サーストン博士は過去の数学者達が悩み続けてきたロープの絡みを解こうとする努力はもう諦めるべきだと考えた。
ポアンカレ予想には全く新しいアプローチが必要だと直感したのだ。
ポアンカレ予想はこう言っている。
宇宙にロープを1周させて、その輪が回収できれば、宇宙は丸いと言えるはずだ。
しかしこの問いかけは、もしロープが回収できなかった場合、宇宙が例えばドーナツ型なのか、それとも全く別の形なのか、一切ふれていない。
サーストン博士は悩み続けた。
宇宙が丸くないとすると、他にどんな形があり得るのだろう。
革命的なアプローチへの入り口だった。

サーストン「私はこう考えた。
トポロジーを使って、宇宙がとり得る形を全部調べ上げることはできないかと。」
丸い形以外に、宇宙の形にはどんなものがあり得るのか、サーストン博士は身の周りにある形をヒントに、その分類を始めた。
手にとって見える形を分類するのは簡単、かつてポアンカレがやったように、リンゴは丸い形の代表、それ以外は穴の数で分類することができた。
問題は宇宙のように決して外から眺めることができない形を、どうやって分類すればよいのか、10年以上にわたる試行錯誤のすえ、サーストン博士は驚くべき結論に達した。

1982年に発表されたサーストン博士の論文で、博士はある1つの壮大な予想を述べた。
宇宙が例えどんな形であろうとも、それは必ず最大で8種類の異なる断片から成り立っているはずだ。
この大胆な予想はサーストンの幾何化予想と名付けられた。
3次元閉多様体は一様な幾何構造の断片に分解できるだろう。
ポエナル「数学者はサーストンをマジシャンに例えた。
彼は自分の帽子から魔法のようにすばらしい考え方をいきなり出してみせた。」

サーストンの幾何化予想を万華鏡に例えて説明するとこうなる。
万華鏡の模様は変幻自在、しかしその複雑な模様も、元を辿ればいくつかのビーズが生み出しているにすぎない。
サーストン博士によると、宇宙の形もまた同じ。
宇宙がたとえどんなに複雑な形であったとしても、いわば8種類のビーズが絡み合って出来ているはずだという。
サーストン「つまり有限の数のビーズが、無限に複雑な図形を生み出す。
同じように宇宙がどんな形だったとしても、最大で8つの種類の断片がつながりあって出来ているはず。」

数学者達がもっとも驚いたのは、サーストンの幾何化予想が実はその一部にポアンカレ予想をも含む壮大なる問いかけであるという事実だった。
もしサーストン博士の予想通り、宇宙が最大8種類の断片の組み合わせでできていたとしよう。
サーストン博士によると、その8種類の断片とは、1つは丸い形で、それ以外は数学者でさえ理解するのが難しいほどの丸くない形。
ここでポアンカレのロープを思い出そう。
宇宙の断片の中に1つでも丸くない形が含まれていた場合、ロープがひっかかって回収できないことに数学者達は気付いた。
つまり幾何化予想が正しければ、ポアンカレの予想通り、ロープがひっかからずに回収できた時には宇宙は丸いと言えるのだ。
ポアンカレ予想を攻略するには、サーストンの幾何化予想を証明すればよい、数学者達が立ち向かうべき相手はロープの絡みあいの問題から、宇宙がどんな形であっても必ず8つの断片に分解できることの証明にとってかわった。
ところがサーストン博士自身は、自分が世に問いかけた幾何化予想に対して意外な道を選んだ。
サーストン「もちろん自分の手で証明しようと努力はした。
でもそれ以降はなぜかアイディアが枯れてしまった。
そういう時は引き下がるのが賢明だ。」

数学者達が宇宙の形を8つの断片に分解する試みに一斉に取り組み始めた1990年代、アメリカに1人の青年が降り立った。
これがポアンカレ予想の研究の大きな転換期になる。
笑顔が印象的なグリゴリ・ペレリマン博士、この時26歳になっていた。
アメリカへ渡ったキッカケは、祖国ソビエトの崩壊だった。
これまで閉ざされてきた東西両陣営の数学者の交流が本格化したのだ。
ペレリマン博士の専門分野はトポロジーに王座を奪われたと言われた微分幾何学だった。
新天地のアメリカで、博士は微分幾何学の発展に貢献する。
1994年博士は微分幾何学の問題の1つ、ソウル予想を証明した。
得意満面のプレリマン博士、余りに簡潔な論文を見て、研究室の教授は、もう少し言葉を足して丁寧に書き直すべきだと指導した。
しかし博士はそれを拒否した。
ジェフ・チーガー博士(ニューヨーク大学教授)「彼に書き直しを拒否された時、アマデウスという映画を思い出した。
皇帝がモーツァルトにこう言った。音楽は素晴らしかったが、音符の数が少し多すぎる。
するとモーツァルトは皇帝に、どの音符が余分なのか正確に教えてほしいと噛みついた。
自分の作品には、余分な音符もなければ、足りない音符もないと答えた。」
ところがアメリカにわたって3年目、それまで明るく快活だったペレリマンが突然研究室に閉じこもり、人付き合いを避けるようになった。
キッカケはある論文との出会いだった。
この頃アメリカで話題をさらった研究論文、著者のハミルトン博士は・・・
リッチフローと呼ばれる宇宙の形を巧みに変形させる方程式を利用すれば、宇宙がどんな形であったとしても、8つの断片に分解できるかもしれないと主張していた。
リッチフロー方程式は、元をたどればペレリマン博士が高校時代に親しんだ物理学の方程式だった。
誰も解いたことのない何問をいつか解いてみたい、その目標がサーストンの幾何化予想、そしてポアンカレ予想に定まったのだ。

それから7年後の2002年秋、数学界に奇妙なうわさが流れた。
インターネット上にポアンカレ予想と幾何化予想の証明が出ているというのだ。
ポアンカレ予想を証明したという数学者の早合点は、この頃もしばしば数学界を騒がせていた。
そのインターネットの論文についても、当初ほとんどの数学者が本気にしなかった。
ところが数学者達が詳しく読み進めても、その内容には中々間違いが見つからない。
どこかに論理の飛躍があるはずだ。
数学者達の疑いは消えなかった。
翌2003年アメリカの数学界はインターネットの論文の執筆者を招き解説を求めた。
会場はポアンカレ予想に挑み続けてきた数学者をはじめ、トポロジーの専門家で埋め尽くされた。
壇上に現れたのは、かつて何問が解けるかもしれないと言い残してアメリカを後にした、あのペレリマン博士だった。
数学者達がなにより驚いたのは、ペレリマン博士の証明の進め方だった。
トポロジーの研究者達が使ってきた手法とは似ても似つかないものだった。
ペレリマン博士は自らの専門分野である微分幾何学を駆使し、さらに高校時代に育んだ物理学の知識を導引して、物理学をいわば温めたり膨らませたりしながら、それを8つの断片に分解してみせた。
エネルギーや温度など、本来の数学では使われないはずの物理学の用語を次々と登場させ、トポロジーこそが数学の王者であると信じてきた研究者達の度肝を抜いた。
ペレリマン博士は2002〜2003年にかけ、合計3つの論文を執筆した。
(リッチフローの3次元多様体への応用)

それは数学者達による、足掛4年の研究を経て、正しい証明であることが確認された。
宇宙がどんな形をしていたとしても、それは最大で8種類の断片からなるというサーストンの幾何化予想が証明されたのだ。
それは同時にロープを1周させ、それを回収できる宇宙は丸い宇宙であるという100年の何問、ポアンカレ予想が証明された瞬間でもあった。
ミハイル・グロモフ博士(フランス高等科学研究所)「100年に1度の奇跡を説明するのは実に困難。
しかしペレリマン博士が孤独に耐えたことが成功の理由かもしれない。
孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入するということ。
人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったに違いない。
ペレリマン博士はそれに最後まで耐えたのだ。」

サンクトペテルブルク、歴史に残る偉業を成し遂げながら、人前から姿を消したペレリマン博士の消息を訪ね、高校時代の恩師アブラモフさんがモスクワからやってきた。
アブラモフさんは明るく快活だった教え子が、人付き合いを避け、孤独な世界に入り込んだ今の状況が、どうしても信じられない。
なぜペレリマン博士は姿をくらましてしまったのか、アフラモフさんは博士の自宅のそばで、彼の帰りを待ち続けた。
5時間後、ようやく電話がつながった。
世紀の難問と闘いを経たペレリマン博士は、恩師の訪問さえ拒絶した。
「彼は全く別人になってしまった。
彼が生きている世界は、私達が生きている世界とはもはや違うようだ。
ポアンカレ予想を証明することは私達には想像すらできない恐ろしい試練だったのかもしれない。
その試練を彼は1人でくぐりぬけた。
しかしその結果、彼は何かを失ってしまったのだ。」
かつて数々の数学者の人生を翻弄してきたポアンカレ予想、その世紀の難問を解き明かすという闘いは、私達の想像をはるかに超えたものだったのかもしれない。
数学の世界では、21世紀に解決されるべきなんもんが、ポアンカレ予想の他に6つあげられている。
数学者達は、今日も青の難問に取り組み、闘い続けている。
いったいなぜ、数学者達は何問に挑み続けるのだろう。
そしてそれはどのような体験なのだろうか?

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arurisuka (2012/09/17 5:36 AM)
サーストン博士はちょうど一カ月前に亡くなってしまったのか・・・
poyo (2012/09/17 8:46 AM)
arurisukaさん、コメントありがとうございます。
サーストン博士、亡くなってしまったのですね・・・
数学に一生を捧げ、死の直後に(夢)見たものは、何だったのでしょう?
こういったことは、解明しなければならないという使命感に束縛されてしまう苦しみ、なんとなくわかる気がします。
私も「・・・しなければ・・・自分は●●でなければ・・・」といつも自分でプレッシャーを作ってしまうのです。
muso (2014/09/10 10:08 PM)
突然ですが、宇宙のかたちがひどく気になり調べたところとてもわかりやすい資料を作ってくている人がいる事に感謝します。
蛇足ですが、私の予想では球体だったのですが、、
8つの組み合わせを絞り出すための闘いはこの世で最も静かで激しいものではないかとさえ思えます。
muso (2014/09/10 10:16 PM)
穴とは、、
これは無の発見と同等の発見だったのですね。
素人がすみません。
ただ、どうしても伝えたくて。
最後までのご拝読、ありがとうございました。
poyo (2014/09/14 1:42 AM)
musoさん、コメントありがとうございます。
この記事は、NHKで放映していた番組の丸写しです。
この話は難しすぎて、よく理解できませんでした。
難問に取り組もうとしている人がいます。
宇宙については、その正確な回答は確かめることができないですね。
宇宙は生きものなので、数式で表すことはできないのでは?と思います。
小梶 あきら (2016/09/22 7:02 PM)
数学の世界は良くわからないが、難問を解くためにいわば人生をかけるという数学者の姿勢に限りない共感を覚える。最近囲碁や将棋のソフトが現状での人間の最高の力を上回ったというニュースを聞くとペレリマンとコンピューターを競わせたいという無責任な感慨にとらわれる。人間の可能性は一体どれほどなのかこの問題を解明して欲しいと思う。









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