ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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幻解!超常ファイル ダークサイドミステリー★未確認生物の魅力

1933年4月に最初に目撃されて以来、世界中にその名が知られる巨大未確認生物ネッシー、証拠となる写真が数多く撮られながらも、20世紀最大のミステリーの正体はいまだ謎に包まれている。
でもそうした写真の中で最も有名な1枚は近年、別の意味でとても話題になった。
これはネッシーが水面に姿を現した決定的瞬間、1934年に撮影され、ネス湖に恐竜の生き残りがいるのではと世界の注目を集めた。

ところが1993年、写真を撮影した関係者が、これはおもちゃの潜水艦を使った偽物だと証言した。
この代表的な写真がねつ造とされたことで、ネッシーの存在は大きく揺らぐことになった。
しかしこのたった1枚の写真が偽物だからといって、ネッシーの存在自体を否定するのは早くない?
今でもネス湖では数多くの目撃情報が相次ぎ、その謎を研究する人が後を絶たない。
ネッシーの神秘は人々をとらえて離さない。
1990年代にネス湖で撮影された映像・・・
波を蹴立てて高速で進むコブのような物体。

2000年代にネッシー研究家が撮影した映像には、水の流れに逆らいながら首を突き出し泳ぐ物体が・・・
ネッシーを撮影したとされる写真の数々・・・

まるで私たちに巨大生物の存在をアピールしているかのようだ。
最初の報告から80年、今も続々と寄せられる目撃情報。
水中では異常な反応も記録された。
観光船船長アトキンソン「深さ23mのところで、超音波のエコーがだんだん大きくなって、突然スーッと消えた。
何かがそこにいたと思う。」
長さ6mの何か・・・
ボートで釣りをしている時の恐怖の体験・・・
週末釣り客リデル「突然大きなものが持ち上がってきて、ボートのエンジンを壊した。
すごく怖かった。」
水面を移動する謎の物体の連続写真、昨年撮影された最新映像。
24時間監視カメラでこれを捉えたミッコ・タカラさんは監視カメラを使い、世界中の誰でもネス湖を観察できるサイトを運営している。
1月に15万アクセスという人気ぶりだ。
ミッコがさんが配信したネス湖の映像の中に、怪しい物体を見つけた人は、彼に報告をよせてくる。
その数は年間2000件にも上るという。

ネッシーが潜むという神秘のベールに包まれたネス湖、それはイギリス、スコットランド北部のハイランド地方にある。
氷河が融けてできたその姿は川のように細長い。
幅は平均1.5kmに対し、全長は39kmという規模。
水深はもっとも深いところで230mにも達する。
ネッシーと聞いて多くの人々が思い描くのは古代の生き物首長竜のイメージ。
ネッシーを写したとされる証拠写真からも、首の長い生物の片鱗がうかがえる。
その正体と噂されていたのがプレシオサウルス。
およそ2億年前恐竜の時代に海で生息していた爬虫類。
体調は5mほど、大きなひれを駆使して水中を自在に泳ぎ、魚を食べていたといわれている。
はるか昔にほろんだはずの首長竜、しかしなぜ捕獲されてもいないネッシーがこのような首長竜の姿だとイメージされているのか。

1933年4月14日、当時あまり人が訪れなかったネス湖で最初にネッシーを目撃したのは地元の女性。
その貴重なインタビューが残っている。
最初の目撃者アルディー・マッカイ「湖は穏やかでアイロンをかけたようにまっ平で、木々や雲とかが全部映っていた。
そこに突然それが現れた。」
およそ100m離れた水面に現れたのは2つのコブ。
全長6mほどの巨大な物体だったという。
「それは黒くて濡れていて、水が滴り落ちていた。」
これが報道されたのは半月も後、地元新聞の小さな記事だった。

「ネス湖での不思議な光景、それは何だったのか?」
「モンスター、もしそうだとしたら・・・」
と怪物という断定もしていない。
コブの下、水中に何が隠れているのかは、まだわからなかった。
ところが3か月後の7月22日、それは突然陸上に姿を現した。
ドライブ中だったスパイサー夫妻が目撃したのは、細く長い首を上下に動かし、道を横切る4mほどの大きな動物。
初めて首が長い未知の生物が登場したのだ。
さらにスパイサー夫妻は重要な証言をしている。
「キングコングに出てくる恐竜ディプロドクスによく似ていた。」

映画『キング・コング』はネッシー目撃と同じ1933年に公開され、世界中で大ヒット。
はるか南の島を舞台に、巨大なゴリラと共に首の長い恐竜も登場し大暴れしていた。

イギリスの作家コナン・ドイルの小説『失われた世界』では、アマゾンンの奥地にある恐竜が生き残った世界が描かれた。
この地球上のどこかに絶滅したはずの恐竜が生きているのではないか、人々がそんな夢を抱いている時代だった。

この頃ネス湖の周囲にも大きな変化が起きていた。
1933年木々を伐採した見晴らしのよい国道82号線が完成、訪問者が増えるにつれ、ネッシーの目撃情報も急増。

翌年の1934年には、早くの多くの目撃者の証言を集め、ネッシーの謎に迫る本『ネス湖の怪物』(ルパート・ゴールド著)も出版された。
これによると40件に及ぶ目撃情報の多くができたばかりの国道からのものだということがよくわかる。
証言を基にしたネッシーの姿。

コブだけではなく、水面から首を突き出したものが多くなっている。
こうして次第に全身のイメージが固められていった。

1934年4月21日、ネッシー=首長竜のイメージを決定づける写真が発表された。
イギリス大衆紙の一面トップ、世紀のスクープ写真だ。
地元紙の小さな記事からたった一面で、ネッシーは世界一有名な未知な生物へと成長した。

しかしこの写真には、すぐに疑いの声も上がった。
波と比べて物体はかなり小さいのではないか。
また首長竜の生体からいってもこの写真の姿はあり得ないという。
古生物の専門家によると・・・
首長竜フタバスズキリュウの頸椎(首の骨)の神経棘(長い首の上側に並んでいる板状の骨)の前後が詰まっているので、首を無理にあげると神経棘同士がぶつかってしまい、90度に曲げるのは不可能。

つまり骨格の構造上、首をまっすぐにあげることは物理的に不可能なのだ。
最近の研究では、陸上の首の長い恐竜も、首を垂直にあげることはできないと言われている。ではなぜ人々はあのスクープ写真を受け入れたのか。

ネッシーとそれにまつわる社会現象に詳しい研究家トニー・ハームワース「当時はイギリス人の日常生活にカメラが入ってきた時代だった。
写真はうそをつかないという決まり文句があったほど、現代と違って人々は、写真に写っているものは本物だと思いこんでいた。」
当時作られたネス湖の絵葉書▼

道路に車を止め、湖を見る観光客、視線の先には首の長いネッシーの姿が描きこまれている。
その後も首の長いネッシー写真は次々と撮影されたが、これは恐竜の模型ではないかと言われている。▼

こちらはカワウソのしっぽとも、水中から鼻を突き出したゾウとも・・・

そしてアメリカの研究機関が水中撮影に成功した写真、のちの加工疑惑が発覚している。
ネッシーは首長竜の生き残りというイメージは最初の1年で固まったものが、確たる証拠のないまま、受け継がれたものだったのだ。

古代の首長竜の生き残りという可能性は少ないとしても、これまでにネッシーの目撃情報は数多く寄せられている。
こうした目撃例を一体どう説明するのか?
さらにネス湖はもっとも深いところで水深230m、これは海では深海にあたる謎多き世界。
例えば絶滅したと思われていた生きた化石シーラカンスが生息するのも同じ程度の深さ。
さらに深いとこに行けば、巨大なダイオウイカだってうごめいている。

ネス湖の奥底、光の届かぬ闇の世界に巨大な生物が住んでいないと、はたして断定できるのか?
でもシーラカンスやダイオウイカがいるのは広大な海の話、ネス湖は閉ざされた湖。
ネッシーの大きさは10m以上とも言われているが、そんな大きな生物が湖で生きていけるのだろうか?
スコットランド最大の湖ネス湖、そのスケールの大きさは深さを見るとよくわかる。
岸から鋭く切れ込み、水深は平均200m、貯水量7.5立法キロメートル、東京ドーム6000倍もの容積。
この大きな湖に、巨大生物はどれくらいの数が生息できるのだろうか?
そのカギを握るのは水の中の小さな生き物プランクトン。
日本に、プランクトンの量からネッシーの生息数を計算した人がいる。
湖の生体やプランクトンの専門家、ミジンコ先生こと花里孝幸教授、計算の前提となるのは食物連鎖。

植物プランクトンをミジンコが食べ、そのミジンコを魚が食べるという関係から、植物プランクトンの量がわかれば、上の生き物の数も計算できるのだ。
プランクトンや魚の量から、1例として体重1000kgの爬虫類が生存可能な数を算出した。
導き出された清掃数は体重1000kgの爬虫類が1.9個体。
この1000kgという体重は大型のワニと同じくらい。

つまりネス湖ではワニが2頭生きるのがぎりぎりで、巨大爬虫類が繁殖してゆくことなど不可能な環境なのだ。
ちなみに諏訪湖は水の量がネス湖の118分の1だが、巨大生物が生きるのにネス湖よりは適していると花里教授は語る。
「生存可能数は13.4個体、そうなると彼らはネッシーではなくスッシーになるのかな?」
巨大な爬虫類でないなら、ネッシーの正体は?
チョウザメ、大ウナギ、アザラシといった説もあるが、決定的な証拠は不十分だという。
しかも数多く目撃されてきたコブのような巨大な影は、これらの動物のものとしてはあまりにも異様。
1990年代の撮影された映像、黒い物体が高速で移動している。

まさに目撃情報に多いコブのような物体とよく似ている。
そして2013年3月、番組取材班も、謎のコブ状の物体の撮影に成功した。

まるでヘビのような姿、いくつものコブが連なっている。
未知の生物の一部のように見える。
実はこれ、船の航跡が作り出す波。
ネス湖では、観光船や釣りのボートなど、多くの船が往来する。
船が通り過ぎ、見えなくなった後でも、意外な場所で波は延々と残り続ける。
コブの形のネッシー写真は、こうした船の波を撮影したものだと推測されている。
これは鳥の群れ・・・

ではこれはどうだろう?
波や鳥の群れとは明らかに異なる。
形のはっきりした何かが流れに逆らって泳いでいるように見える。

この水の流れとは逆に進む物体に注目したのがエイドリアン・シャインさん。(ネス湖プロジェクト代表)
ネッシー現象の解明に人生を捧げてきた人。
かつては巨大生物がいると信じ、1人乗り潜水艇で湖底に潜り(1972年24時間寸推定調査)、20そうのクルーザーを使い、水中をくまなく超音波探査(1987年ディープスキャン作戦)など、徹底的に検証を続けてきた。

そして見出したのが、流木が泳いでいるかのように動く神秘的な現象だった。
「これはネス湖に起こる静振現象が引き起こしたもの。
湖の形が長方形で底が深く、湖の向きと同じ方向に風が吹くというネス湖ならではの好条件がそろった結果起こる。」
夏、細長いネス湖は風の通り道のように南西の風が吹き抜ける。
その時水の中では異変が起きる。
ネス湖はとても深いため上の層だけが暖められて下の層は冷たいまま2つの層ができている。

そこに強い南西の風が吹くと上の層が押し出され、北東に向かって大量に流れ込む現象が起きる。
上の層は30時間かけて北東の端にたどりつくと、壁に当たって向きを変え、今度は南西に向かって流れ始める。
この時水面では不思議な光景が現れる。
水の流れと風の向きは逆、そのため流れに乗った流木に対し、逆向きに波がたつので、波に逆らって泳ぐように見える。

2013年4月6日、スコットランドのエジンバラで、ネッシー目撃80年を記念する学術研究会が開かれた。
テーマははネス湖に巨大生物が存在するかだけではなく、歴史や社会学、統計学とのかかわりから、ネッシー現象とは何かを考えるものとなった。
ネス湖には今も世界中から観光客が訪れる。
人々の期待は昔から何も変わらない。
ネッシーと出会うことだ。
ネッシーにいてほしいという人々の願いと、ネス湖の不思議な自然が生み出してきたネッシー現象、その魅力的な幻想は、これからも衰えることなく続いてゆくのだ。
人はなぜ未確認生物に思いをはせるのか・・・
伊藤龍平(台湾・南台科技大学助理教授 民族学・伝承文学から妖怪・未確認生物を研究)「未確認動物は未確認であるということが、何よりも魅力。
知的好奇心がくすぐられる。
日本でもある。
屈斜路湖のクッシー、本栖湖のモッシー、池田湖のイッシーなど、いろいろな未確認動物の話が1970年代に流行していた。

世界中に広がった未確認生物はネッシー、ビジュアルが強烈だった。
ネッシーのイメージはネッシー以前から知っていたもの。
ジュール・ヴェルヌという小説家の『地底旅行』の中にも原始のプレシオサウルスが出てきたりして、それは19世紀の小説。
ネッシーより70年くらい古くからそういうイメージはすでにあって、そこにネッシーが広まっていった。
なぜ広まったかというと、マスメディアの影響が大きかった。
だからネッシーにアマチュア研究家、セミプロの人たちがどんどん訪れ、見つけたい捕獲したいという欲望が生れていった。
信じている人にとっては、捕まらないではなく、まだ捕まっていない。
将来捕まるかもしれないという可能性を信じている。
そういう気持ちというのは誰の心にもあると思う。
未知の領域があるということを、未確認生物に限らず宇宙や古代遺跡など、本能的に欲している。
仮にネッシーの存在が否定されたとしても、どこかにまた未知の部分を見つけて人はそこに向かって進みだすと思う。」

夜空に現れた光る物体、小刻みに動きまさに未確認飛行物体、どこから見てもUFO。
でもその正体は星。
写真に写った幽霊の顔、と思いきや、その正体はTシャツの袖。

私たちの脳は、特定のパターンの影や点を、あたかも顔のように認識してしまう。
こうした不思議な認識は私たちの目の錯覚が引き起こす。
視角の不思議に迫る・・・

●視角のテスト
▼,海粒┐砲2匹の動物が隠れている?アヒル?ウサギ?

▼▲廖璽襯汽ぅ匹2つのボール、どちらが大きく見える?

▼しばらく眺めるとどんな風に見える?

,里茲Δ奮┐鯊慎楚涎舛箸いΑ
人が物を見る時の癖を教えてくれる。
竹内龍人(日本女子大学教授 目の錯覚や近くなどの実験心理学が専門)「アヒルを意識している時にはウサギは無意識になるし、ウサギを意識している時にはアヒルは無意識になる。
私たちは2つのうち一方しか認識できない。
こうした多義図形の1例が、1993年に最初に公表されたネッシーと呼ばれるものの写真。
波しぶきをあげて泳ぐ、巨大なヘビのような影、ここには全く違う生き物が隠れているという。

写真のコントラストをあげて黒を濃くしている。
これは犬が枝を加えて泳いでいる姿がぶれて撮影されたもの。
ネッシー研究者の間では、そう考えられている。
このようにあいまいな図形の場合は、その時に何を見たいか、どんな情報を与えらえたかで見え方は変わる。

△粒─∋笋燭舛砲榔の方が大きく見えるが、実は2つのボールの大きさは同じ。
私たちの視角は、最初は同じ大きさだという情報を受け取る。
しかし脳が画面の遠近感や周囲との比較の中で、奥にあるボールの方が大きいと認識する。
このネッシーの有名な写真も同じ。

こだけではネッシーの大きさはわからない。
周囲が切り取られる前の写真が↓

奥には湖の岸が写っている。
周囲の状況が見えたことで、小さいものを写した写真だったことがわかる。
の写真、止まっているはずの模様が、動いて見える。
人の目は、何かを集中して見るときに、どんなに視線を固定しようとしても、目は常に細かく動いてしまう。
それを脳が図形の方が動いていると認識してしまう。
例えば暗い夜空に明るい光があったりすると、同様なことが起きて、それがジワーっと動いて見えたりする。
それを未確認飛行物体と思うことはあるのだ。
私たちは頭の中で作り出した映像を認識しているのだ。

アメリカで空飛ぶ円盤が最初に話題になったのは、第二次世界大戦昇竜直後の1947年、実業家ケネス・アーノルドが9つの謎の飛行物体を目撃し、報道されてからのこと。
しかし日本では、それより130年も前に、円盤形の乗り物と、そこから現れた謎の女性について記録されていた。
1803年江戸時代後半の天下泰平のさなか、江戸からおよそ100km離れた鹿島灘、現在の茨城県南部の海岸でその事件は起きた。
まるで空飛ぶ円盤のような乗り物が浜辺に現れた。
❝うつろ舟の蛮女❞と題された記録には、事件の経緯が生々しく記されている。(風聞集『兎園小説』)

「享和3年(1803)亥の年の春、2月22日の正午、常陸国はらやどりという浜にて沖のかたに舟のごときもの遥かに見えし」
記録によると、この円盤形の乗り物は、幅5.5m、頂部には窓が3つついており、素材は硝子性だった。
下半分には鉄が段々に張られ、縞模様になっている。
そして船内には謎の文字、全く解読不能。

奇妙な乗り物ら降りてきたのは美しい女性。
そのいでたちは明らかに日本のものではない。
髪は赤毛、腰まで伸びた白いつけ髪。
大事そうに抱えていたのは謎の箱。
誰にも触らせようとしない。

この女を見て、村の老人が不吉な事件を思い出した。
昔正体不明の女が流れ着いたことがある。
男の生首を持っていた。
不倫をした男女が男は殺され、女は海に追放されたのではないか。
今回も箱の中身が何であれ、面倒なことになりそうだった。

「浦人等はうちつどひて評議 又もとのごとく 女を船に乗せて沖へ引出し 推流したり」
村人たちは事件を役所に報告することなく、女を再び流してしまった。

この記録が書かれたのは事件から25年後、江戸で開かれた『兎園会』、一流の文人たちが奇妙な噂話を持ち寄って披露する風変わりな会。
兎園会の主催者は、江戸を代表する作家・曲亭(滝沢)馬琴。
事件は馬琴とその息子が披露したもの。
滝沢馬琴と言えば、代表作は『南総里見八犬伝』、舞台に数奇な運命で結ばれた8人の英雄、豪傑があやかしや妖術使いと戦う大長編幻想小説。

そんな馬琴なら、この怪しい事件を自ら創作していても不思議ではない。
しかし現代、馬琴の創作では説明のつかない新資料が次々と発見されている。
昨年4月、茨城県で見つかったとされる絵図、馬琴の絵とはだいぶ印象が違う。

実際に起きた事件として世間に広めたと思われる瓦版、東北の武士が江戸での噂を基に記した日記↓

愛知で見つかった風聞集は、馬琴のものとは全く異なる色使い。

さらに京都からもメモ書きのように記された資料が見つかった。

事件は様々なバリエーションを持っていることが明らかになったのだ。
それでも資料を比較すると、いくつかの共通点が浮かび上がってくる。
まずはこの乗り物↓

丸い形で、窓や下半分に縦の線、中は空洞。
当時日本近海に現れていた外国船とは全く異なる姿形。
そして女性が海を越えてやってきている点。
いずれも謎の箱で何かを持ち込もうとしている。
これらの共通点は何を意味するのか。

事件からおよそ150年後の大正時代、この3つの共通点から謎を解き明かしたのが、民俗学学者・柳田國男。
大正15年に発表した論文『うつぼ船の話』で、柳田はこう語っている。
「古代日本には、海を越えて漂着し人々に何かをもたらした神々の伝承が多い。
そしてその神が乗る空洞の乗り物を❝うつぼ舟❞と呼んだのである。」
この伝承がもとにあると追跡する一方、絵図については真っ向から切り捨てる。
「船の中に書いてある4つの異形文字が、今ではもっとも明白に此話の駄法螺なることを証明する。
世界にどこにも無い文字だ。」
この乗り物が本当に外国から来たものなら、実在する文字に似ているはずだと柳田は考えた。しかし戦後事態は意外な展開を迎える。
柳田のころには存在しなかった空飛ぶ円盤の世界的なブームが到来。
この文字が地球上にないからこそ、宇宙から来たと考えるべきだという新説が登場した。
そもそも日本では、1000年以上も前から空に怪しいものが飛んでいた。
舞台は聖徳太子の時代、奈良・飛鳥の里。
飛鳥寺の竣工式の時、異変は起きた。
一筋の紫雲がたなびき、蓮の花のような形のようなものが仏堂を覆った。
そして五色の光を放ち、西方に飛び去った。
謎の円盤は昔から日本に現れていたのだろうか?

岐阜県岐阜市、事件の資料を整理分析し、その真相を探ろうという研究者がいる。
岐阜大学工学部の田中嘉津夫教授、様々なバリエーションの出発点、出所となった史料がどれなのかを探っている。
注目したのは瓦版の一説。

❝去亥❞、亥の年とは事件があった1803年のこと。
去るという表記からは、この瓦版が次の亥の年、1815年より以前に書かれたことを意味している。
「おそらく1807年、8年に書かれた。
馬琴の『兎園小説』が1825年、おそらくそれより前に出た文書。」

田中教授はこの瓦版がもっとも古い史料だとにらんでいる。
さらに田中教授は瓦版の絵をもとに謎を解く手がかりの絵を見出した。
瓦版と似た雰囲気の女性の絵、実はこの女性も同じ場所、鹿島灘に流れ着いたと言われている。
その名は金色姫、鹿島灘一体に養蚕をもたらしたと伝わる女神。

鹿島灘にほど近い星福寺、かつて金色姫を本尊とし、今も本堂の奥に大切に祀っている。
海を越えて養蚕をもたらしたという女神、金色姫の像、その手には箱、中には蚕が入っているという。
箱を持つ女神は日本ではきわめて珍しいもの。
円盤漂着事件は、この金色姫の伝承をモデルに作られたと考えられる。
さらに田中教授は、金色姫の札にもう1つ重要なカギを見出した。
お札に記された御利益の文章、その作者は曲亭陳人、これは曲亭(滝沢)馬琴の別名。
再び現れた馬琴、これは何を意味するのか。

1825年、馬琴が人づてに知った話として書いた『兎園小説』話の出所として考えられる瓦版。
女性のモデルと考えられる金色姫、そのお札にも馬琴の名。
田中教授はこれを基に、大胆な仮説を想定している。
「馬琴が伝説の裏を知っているのでは?
瓦版は馬琴が描いたのでは?」
馬琴が生きた江戸時代後期、妖怪の話や絵図がはやるなど、人々は日常とはかけ離れた異界の存在に強い関心を持っていた。

いわゆる鎖国が200年近く続くなか、人々は海の向こうからやってくる見知らぬものに想像と憧れを膨らませていた。

↑『仙堺異聞』仙人や天女の国を訪れた男が、その様子を語り、話題となった記録。
世はまさに、異界ブーム真っ只中。

人々は異界から流れついた美女というミステリアスな話に熱中し噂が口づてに広まることで、数多くの記録が残ったのかもしれない。
しかし当時の人々は当時の人々はいったい、どこからこのような奇抜な乗り物を発想したのだろうか?

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ゆーま (2016/02/11 5:23 PM)
スパイサー夫妻が目撃したものは何だったんだろう。
poyo (2016/02/11 10:36 PM)
ゆーまさん、恐竜の生き残りですよ、きっと…









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