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2014.03.16 Sunday 00:00
滅びし古代文明の正体(前編)
現代の都市を襲う津波、命を奪いすべてを失う。 自身は町も村も徹底的に破壊する。 ハリケーンは大地をはぎ取ってゆく。 犠牲者が出て、生き残った者は土地を追われる。 自然災害は人類の痕跡を消し去る力を持っているのだろうか? 芸術も、建造物も、テクノロジーさえも・・・ 遺跡はそれが可能だと物語っている。 しかも何度も繰り返されてきたことなのだと・・・ かつて繁栄を極めた古代の都市、その遺跡が近年次々見つかっている。 それも考えられてきたよりずっと古いものが・・・ 一体何が起きて滅亡してしまったのか、現代文明が滅びる可能性は? 現代文明も地上から消える運命にあるのだろうか? 人類になす術はないのか? オマーンのRUB AL KHALI砂漠、アラビア半島の寂しくも荒涼たるこの場所は、何もない不毛地帯だと考えられてきた。 砂の海、灼熱の太陽、この地に生息するものといえば、日よけ虫か、猛毒を持った蛇、そして遊牧民のベドヴィン族のみだ。 だが、伝説に描かれた姿は現代とは違う。 この地にはおよそ5000年前の昔、神秘の都があったと記されている。 その名はウバール、豊かで美しい国だったが、不道徳な暮らしが神の怒りをかった。 そのため滅ぼされたのである。 コーランには、神の言葉に従わなかったから嵐が起こり、都が破壊されたという話がよく出てくる。 予言者の忠告を聞けばよかったのに、彼らは耳を貸さなかった。 だから消されたのだという。 長い間、歴史家や探検家はウバールが存在した証拠を探し求めてきた。 そこに宇宙時代のテクノロジーが登場した。 その技術と考古学の地道な作業により、この都が伝説ではなかったことが証明された。 1983年考古学愛好家のニコラス・クラップがNASAに型破りな提案を持ちかけた。 アラビア半島の合同調査である。 飛び立つスペースシャトルには電磁波を照射して地下を撮影する装置、シャトル映像レーダが搭載された。 まず宇宙から画像を撮影する。 次に肉眼で見えない細部がデジタル処理で鮮明にされる。 すると砂に埋もれた川床の跡や昔キャラバンが通ったルートも浮かび上がった。 RUB AL KHALI砂漠の衛星画像から、砂漠の東部の端に沿うようにしてキャラバンルートが伸び、それが1ヶ所に集まっていることが判明した。 調査では当時最新の技術だったGPSシステムを使った。 ヘリコプターにナビシステムを取り付け、衛星画像で分かったキャラバンルートをGPSの誘導でたどった。 井戸か湧水らしきものが見え、ヘリをおろして見ると遺跡と呼ぶにふさわしいものがあった。 それから歴史的な価値のある場所が次々と見つかり、その1つがウバールだと判明した。 荷物を積んだラクダやロバを引き連れた大キャラバンが、この場所にあった古代都市ウバールと沿岸地域の間を往来していたと考えられる。 ウバールは砂漠を横断してくるキャラバンの交易拠点だったのだ。 その後の発掘により、8本の塔と、高さおよそ90mの城壁があったことが判明。 高い柱を持つ都というコーランにある記述と一致した。 もし伝説通りウバールが存在したとすれば、その後の記述もまた真実なのだろうか。 それは砂に埋もれて滅んだという記述だ。 調査の結果、都の下にあった地下水脈が枯れて空洞ができ、それが崩れ町が陥没したと分かった。 それで人々は町を去ったのだろう。 これは伝説に書かれた事実と妙に一致する事実だ。 しかし大災害があったにしても、全人口が消えてしまうとは考えにくい。 本当に一切が消え去ることなど可能なのか? 文化や言語、文明さえも。 この疑問に対する考古学者や歴史家の答えはYesだ。 むしろ跡形もなく消えてしまう方が多いというのである。 この数十年の間、科学者は人類の誕生をおよそ20万年前と考えてきた。 文明の始まりも、わずか数千年前に過ぎないと。 だが新たなる発見から、本当の人類の歴史はどうなのかという疑問がわいてくる。 一般に最初の町ができ、文字が生れると文明の誕生という。 メソポタミア文明の場合は紀元前3500年頃がそれにあたる。 この時期に集団で狩猟採集生活をしていた人々が農耕社会に移行し始める。 自ら食物を育てることで一カ所にとどまり定住が始まる。 これが文明の始まりとみなされる。 1994年トルコ東部SANLIURFA、山腹を耕していたクルド族の農民の手が突然止まる。 半分土に埋まった大きな長方形の石に農具があたったのだ。 農民は数日間石をなんとか取り除こうと奮闘する。 それが思いもしない事態を呼ぶことになった。 農民は石に奇妙な彫り物がされていることに気づいた。 まもなく国際的に組織された発掘隊が現場に入ることになる。 発掘作業が進められた結果いくつもの巨大な石が姿を現した。 どの石も驚くほど保存状態がよく、動物の浮かし彫りがくっきり残っていた。 猪や狐、牛、何種類もの鳥、この地域には住まない動物までも・・・ だが大発見とされた最大の理由はほかにある。 トルコ語で、太鼓腹の丘を意味するこのギョベクリテペの遺跡は、11000年も前のものだったのである。 これまでに発見されたどの遺跡よりも5000年も古かったのだ。 近年レーダー画像の調査が行われ、この遺跡には直径が9mから30mの楕円形の巨大な建造物が20以上あることが分かった。 それぞれの建物の中には石灰岩を四角く削ったT字型の巨大な支柱がたち、その一部は高さおよそ2mの石壁に組み込まれている。 さらに何本かは中心に立っていた。 一体ギョペクリテペは誰が何のために造ったのだろうか。 この発見により、人類が狩猟採集生活から文明社会の生活にゆるやかに移行したというこれまでの定説が覆された。 発掘を行ったクラウス・シュミットは、ここが地域の拠点だったとみている。 非常に印象的な位置にあり、そこから世界中を見渡せる感じがするのだという。 考古学者たちは、新石器時代に遊牧民たちが遠方から旅をしてきて、何らかの儀式を行う場所だったのではないかとみている。 あるいは神殿ではないかというのもあれば、生贄をささげる場所だったとする説もある。 研究者たちはギョベクリテペが2000年近い間使われていたとみている。 そして紀元前7000年頃、意図的に埋められ打ち捨てられたというのだ。 しかしそれはなぜだろうか? 人は大事な捨てるときは何かするもの、申請で大切なものであれば、去るときは埋めて隠すなどする。 戻ってきたらその上か、近い場所に復元するつもりで。 ギョベクリテペにも同様の痕跡が見られる。 他の場所に移動する前に、意図的にこれらの建物は埋められた。 何か切迫した状況にあったと思われる。 時代を見ればわかるが、氷河期の終わりに気候変動のころに当たっている。 ちょうどこの時期に地球規模の大災害も起きた。 北アメリカ大陸に彗星か隕石が衝突したのが原因かもしれない。 その証拠は各地で確認されている。 ギョペクリテペが作られたのは、この時代のこと。 そう考えると捨てざるを得ない状況にあったことがみえてくる。 隕石の衝突によって地球に異変が起きたことが原因なのか。 それが古代人たちがギョベクリテペを捨てた理由だと考えてもよいのだろうか? あるいは逆にそれが原因で祈りをささげるための神殿としてあの建物が建てられたとも考えられないだろうか。 その答えは付近にあるアララト山にあると考える専門家がいる。 アララト山は旧約聖書の中で、ノアの方舟が大洪水がひいた後にたどり着いたとされる場所。 MT.ARARATの位置を確認すると、GOBEKLI TEPEから数100kmしか離れていないことが分かる。 あの遺跡で見つかった石に刻まれた動物の中には、なぜそこに描かれているのか説明のつかないものがいる。 あの地域には生息していない種類の動物。 問題はその動物があの当時はいたのか、あるいはどこからか連れてこられたのか。 神話を見ればお決まりの答えが出る。 あれはノアの箱舟に乗ってきた動物だと。 洪水を扱った物語はたくさんある。 世界中のどこにでもある。 アメリカ先住民のオジボア族にも中国にもギリシャ神話にも、ヒンドゥー教の神話の中にも。 つまり実際に起こった大洪水を基にしてこうした神話や伝説が作られた可能性は十分ある。 大洪水を扱った神話や伝説、方舟に動物たちをのせて救ったという話も事実を基にしたものなのだろうか。 その答えのカギは、ほかの滅亡した文明が握っている可能性がある。 そこで明かされるのは、人類の過去の姿、そして未来の姿かもしれない。 2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島を、海底で発生したマグニチュード9.1の巨大地震が襲った。 インド洋の数100km沖を震源とする地震は、猛烈な津波を引き起こした。 ものの数分で23万人以上が命を落とし、200万人以上が家を失った。 7年後の2011年3月11日、日本の東北地方をマグニチュード9の地震が襲う。 日本がかつて経験したことのない未曾有の大地震だった。 数分後高さ9mの大津波が押し寄せ、町を容赦なく破壊していった。 24000人が死亡、負傷、または行方不明となった。 最新の防災設備を持つ現代の都市ですら、ものの数分で壊滅的な被害を受ける。 ならば同じことが起きて、古代文明の多くが滅亡したとは考えられないだろうか? 地球誕生以来、自然災害はある。 津波、地震、火山の噴火・・・ 火山噴火も文明を死に追いやってきた。 典型的な例がポンペイのベスビオ火山、町は全滅し、そこだけ時が止まってしまった。 ポンペイとヘラクラネイムの町に火山灰や軽石が降り注ぎ、火砕流も流れ込んできた結果、埋もれてしまった。 こうして町は噴火に襲われた時のまま眠り続けていた。 発見されるまでの1500年もの間。 エーゲ海に浮かぶクレタ島、HERAKLION、1894年、言語学者であり、考古学者でもあるアーサー・エヴァンズはこの島を訪れた。 粘土板に刻まれた古代ギリシャの文字と思われるものを解読するためである。 ところがエヴァンズの解読結果は歴史家たちに衝撃を与える。 それは古代ギリシャのものではなく、さらに古い時代の未知の文明のものと発表されたからだ。 その3年後エヴァンズは、探検隊を率いて発掘を行い、脅威の発見をする。 クノッソス宮殿である。 この巨大な宮殿には、美しい装飾が施された部屋があり、お湯と水がそれぞれ出る水道設備や室内トイレまで備わっていた。 エヴァンズは宮殿を建てた人々をミノア人と名付けた。 クレタ島のミノス王の神話にちなんだのである。 青銅器時代、東地中海に君臨し、大船団を持つ超大国がミノア文明だった。 地中海のほとんどの国を相手に攻撃をしていた。 ミノア文明は始めて宮殿に趣向を凝らした社会、行事を行う中庭があり、絵画やフレスコ画を飾り、建築様式も見事だった。 ミノア文明は地中海で生まれた最初の超大国とみられており、紀元前2500年から紀元前1600年の間、栄えていたと考えられている。 ではなぜそれほどの力と技術を持った人々が忽然と消えてしまったのか。 専門家たちは歴史上類をみない火山の大噴火に手掛かりがあるとみている。 クレタ島の北100kmあまりに浮かぶ島THERAで火山の爆発があったのだ。 THERAの噴火は数日か数週間にわたり、2つか3つの段階を経て起こったようだ。 噴火の兆候ははっきりと出ていたのだろう。 というのもTHERAにはポンペイやほかの場所で見つかったような人骨が発見されていない。 つまりこの島の住人には逃げる時間があった。 ところがクレタ島の住民は考えもしなかった形で噴火の影響を受けた。 火山学の見地からすると噴火にもいろいろなタイプがある。 溶岩が流れるだけの静かなものから、爆発して煙と火山灰を降らすプリニンシキ噴火、さらに大爆発のウルトラプリニンシキ噴火まで。 THERAの噴火はウルトラプリニンだと思われる。 大爆発を伴う大噴火。 その威力はすさまじいので、島のほとんどは吹き飛ばされてしまっただろう。 辺りは暗くなり、噴煙が広がり、火山灰が降り積もった。 遠く離れたギリシャの東部やトルコの南西部からも確認できただろう。 おそらく遠く離れたほかの地域でも、噴火が起こっていることは爆発の音が聞こえてきて分かっただろう。 現在では巨大な大噴火の結果、巨大な津波が発生したとみられている。 そしてそれがクレタ島の沿岸部を襲ったのだ。 THERAの噴火直後何が起きたのか・・・ まず噴火で吹き飛んだ土砂や岩石が海に落ち、沈み込んだ海面が元に戻ろうとする。 すると巨大な波紋が広がり、その波はクレタ島に向かう。 およそ20〜25分で波は島に到達、その波の高さは場所にもより、5m〜9mはあっただろう。 昔火山の噴火で古代文明が痕跡も残さず消滅したというのなら、同様の危険が現代にもあるのではないのだろうか? 現在そのような大災害が起こる可能性が指摘されている場所はアメリカの東海岸。 スペイン領カナリア諸島にあるラ・パルマ島には断層があって、この島の大部分が海になだれ落ちる可能性が考えられる。 もしそれが起きれば、巨大な津波が発生するだろう。 もしも、ラ・パルマ島の火山が大噴火を起こしたら、大西洋に面した沿岸部がぐるっと被災する可能性がある。 カナダのニューファンドランド島からアメリカ東海岸、カリブ海や南米のブラジルまで、アメリカ東海岸に達する波の高さは10m〜20mにはなるだろう。 この波の高さは、2004年スマトラ沖地震や、2011年に日本で起きた大地震の直後に発生した津波に匹敵する。 しかし自然が引き起こす火山噴火や地震、津波といった災害で、文明が跡形もなく消え去ることはありうるのだろうか。 その後何世紀にもわたって人類の歴史を変えてしまう破壊力はあるのか。 ブルガリアのVARNA、黒海に面したこの町は、何世紀も前からリゾート地として栄え、ヨーロッパや中東の旅人と商人を迎えにぎわった。 すでに2世紀にはローマ人が公衆浴場を次々と作り、保養地として利用していた。 だがそんな旅行客はもちろん、地元の人々ですら知らなかった秘密が町のしたに埋もれていた。 その秘密とはヨーロッパの歴史を永遠に塗り替えるほどのもの。 それは1972年の秋の終わりだった。 ヴァルナの工業地区で建設工事が計画され、作業員たちが電線を地下に通すため掘削工事をしていた時のこと。 作業員の1人が1mほどの深さの溝を掘ったところで銅でできた品物を見つけた。 彼はそれをとっておこうと思い家に持ち帰った。 それから数週間後のこと、彼が持ち帰ったものを見た近所の人が興味を持った。 それからDalgopolという町の博物館の館長が家にやってきたが、目の前に並んだ品々を見た途端、飛び上がって驚いた。 翌日ヴァルナの考古学博物館の館長アレキサンダー・ミンチョフと職員が工事現場を訪れる。 そして驚くべき発見をした。 発掘が行われた結果、この建設用地は遠い昔死者を埋葬した墓地だったことが判明する。 300を超える墓があり、その年代は紀元前4500年頃のものと推定された。 だが驚きの発見は人骨の古さにとどまらない。 それは彼らが高い技術を誇る文明を持っていたという事実だった。 墓の中には緻密なデザインの副葬品が15000点以上あった。 銅製の斧、翡翠の飾り、おびただしい数の金のアクセサリー・・・ とりわけ豪華だったのが43番の墓45〜50歳くらいの男性が埋葬されていた。 副葬品に素晴らしいものが多く、中でも目を引いたのが金のペニスケース。 性的な支配力、繁殖力の象徴だろう。 同時に政治的な権力を示す金の杖も見つかったこの2つの力、つまり性的な支配力と政治権力がリンクした例は世界の他の地域では発見されていない。 金の埋葬品は多く出てきたが、取り出されたものの多くが一定の人骨に集中していた。 この事実はヨーロッパの古代史における常識を覆すものだった。 先史時代の社会では人々は皆平等だったと信じられていた。 共に働き収穫したものを分かち合っていた。 身分による差はなかったと考えられていた。 でも彼らは現代人と同じだったのだろう。 金や宝石を有難がり、便利な道具を使ていたのだろう。 出土品からヴァルナは先史時代、交易の都として栄え、フランスやスペインと銅製の武器を取引していたことが分かった。 それはメソポタミアが交易の中心となる1500年も前のこと。 ヴァルナはなぜ消えてしまったのか。 紀元前4200年頃、気候に異変が起きた。 気候が変動し、川の水位が上がり、気温も上昇した。 その結果農作物に大きな被害が出るようになったと考えられる。 気候の変動による干ばつや飢饉、それが本当にヴァルナの文明が消えた原因だったのだろうか。 近年中東で行われている発掘作業から新たな情報が次々と報告されている。 多くの専門家たちはその情報の中にこそ、ヴァルナはもちろん消えた文明の謎を解く鍵があるとみている。 一方で異論を唱え、驚くべき説を説く者もいる。 自然災害や地球規模の異変にとどまらず、核爆発で滅んだ可能性があるというのだ。 現代文明も終わりに近いことを意味しているのだろうか。 シリアの北東部にあるTELL HAMOUKAR、イラクとの国境から北に10km余りの場所にある。 西暦2000年、シカゴ大学オリエント研究所の発掘隊は衝撃的な発表をした。 なんと6000年以上前に存在した未知の文明の遺跡を発見したというのだ。 古代に繁栄した都市テル・ハモーカルが姿を現した瞬間である。 それは立派な住宅が立ち並び、商業が栄え役所もある町だった。 テル・ハモーカルの発見は従来の定説を覆した。 これまで世界最古の古代都市はここから東へ640kmにある南メソポタミア、現在のイラクだと考えられていた。 しかしもしテル・ハモーカルがそれほど繁栄していたのだとすれば、なぜ突然消えてしまったのだろう? 外部からの攻撃を受けたのだろうか? 紀元前4000年期に町が焼かれている。 それを示す人骨が12体発見された。 個の人骨はいずれも埋葬されたように見えず、攻撃を受けて都市が破壊されたという説は信憑性が高い。 当時の戦争は、双方入り乱れての接近戦がほとんど。 ただ武器を使った可能性もある。 玉、といっても銃弾ではなく、布に入れて振り回しながら投げるもの。 町に火を放たれるほど容赦ない戦いによってテル・ハモーカルが破壊されたのだろう。 当時北のテル・ハモーカルに対し、南にウルクという都市があったことはすでに分かっている。 それぞれ違う独自の文明が発展していた。 だからおそらく北と南の対立があったのだろう。 テル・ハモーカルから西に数100km、そこにはもう1つの古代遺跡テル・カラメルがある。 2007年発掘隊によってこの遺跡の中から巨大な石の塔の土台が5つ発見された。 塔は直径がおよそ4m、高さがおよそ6mあったと推測されている。 この塔は少なくとも10000年前には建てられていたらしい。 この遺跡はシリア北部にあり、ギョベクリテペからそう離れていなく、同一の文化だったと思われる。 しかしこの建物がなぜ造られたのか、全くの謎。 防御的な造りをしているのはわかる。 動物か人間かはわからないが、敵がいたのだろう。 恒久的な石の建物としては、人間が組織力をもって建てた最古のもの。 最古とされていたゲリコの遺跡より2000年も古い。 テル・カラメルが発見されたことにより、新石器時代に移行する前の段階は1つだけだったという説は捨てざるを得なくなった。 独自に高度な発達を遂げた場所も全く違う文化がいくつも出てきたからだ。 影響しあった形跡もなく、発展の仕方も様々、進歩のレベルも場所によって全く違う。 テル・ハモーカルとテル・カラメルが滅亡した原因は南側にあったメソポタミアから侵略されたためとみられている。 領土争いだけが古代文明が滅亡した原因だったとは考えにくい。 近年にわかには信じがたい大胆な説が発表されている。 常識では考えにくい現象が起こり、テル・カラメルやテル・ハモーカルが滅亡したというのだ。 核爆発である。 1972年、アフリカのガボンで核分裂の痕跡が発見されたのだ。 それはウラン鉱山の地底だった。 原子炉でしか発生しない物質が発見された。 その物質がいつ発生したのか測定したところ、20億年の前のものだったことが分かった。 太陽で自然の核融合が起きているおかげで人間は生きていられる。 では地球ではどうなのか? じつは1950年代には、地底に天然の原子炉を作りうる物質は何なのか、予測が建てられていた。 1つはウラン235、地球のあちこちにあり、金よりも多い物質。 このウランは重く核分裂しやすい元素だが、日常的に採掘されている。 これが核分裂を起こすには、このウランを濃縮したもののほかにもう1つ物質が必要。 中性子の活動を抑制し、核分裂を促進する物質、水。 西アフリカには十分な水と天然の濃縮ウランが豊富にそろっていた。 だから天然の原子炉ができたのだろう。 自然界にあるウランで核爆発が起きるという予測が現実のものとなってほしくはない。 もしあってもウランは地下に存在するので何かあれば火山の活動みたいになるだろう。 自然災害に似ていると思われる。 自然の核爆発が実際に起きた場合、ウランの鉱床から数100km、あるいは数1000kmにわたり、大地は吹き飛んでしまうとみられている。 西アフリカで核分裂が起きていたのなら、他の場所で起きていた可能性もある。 あのテル・ハモーカルでも。 古代文明は本当に地中の奥深くで起こった自然の核爆発が原因で滅亡したのだろうか。 それとも古の都をことごとく破壊したものは、はるか彼方から地球にやってきたものなのだろうか? |
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