ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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聖書の掟で知るキリスト教の世界2 セックス

聖書は、史上まれに見るベストセラーである。
この聖なる書物には2000近い規律や掟が記されている。
それは神の掟だけでなく、人間が作り従った決まりでもあった。
特にセックスに関する決まりである。

紀元前7世紀ごろの聖都エルサレム、そこに驚くべき聖書の掟の1つを見出すことができる。
IF TWO MEN ARE STRUGGLING,AND THE WIFE OF ONE COMES NEAR TO DELIVER HER HUSBAND FROM THE ONE WHO IS STRIKING HIM AND SEIZEZ HIS GENITALS,THEN YOU SHALL CUT OFF HER HAND;YOU SHALL NOT SHOW PITY.
[DEUTERONOMY(申命記) 25:11~12]
(妻が夫を救おうとして相手の急所をつかんだら、手を切り落とすこと 憐みはいらない)
この掟には重要な事柄が書かれている。
争う2人の男、止めに入る妻、つかんだ急所、3000年前の喧嘩の一場面である。
これがなぜ聖書にあるのか。
実際に起きたと仮定しよう。
妻が夫を守ろうとするのは自然なことだろう。
それともこれが、古代の人々には異様に思えたのか。

この掟を読み解くため、はっきりしている部分から検証しよう。
まず男性の急所である。
なぜ女性が狙おうとすると問題になったのだろうか。
その手掛かりは石器時代から続く風習にあるようだ。
男性器崇拝である。
古代世界では、エジプトからインドまで、男も女も男性器を崇拝した。
男根像はギリシャ語でファルスという。

ペニスには悪魔から守る聖なる力があり、神のペニスほど聖なるものはない。
そうギリシャ人は信じていた。
柱にヘルメス神の頭をのせたヘルメス柱像は、中央部にペニスがあった。
守り神として道端に置かれていた。
現代ギリシャの街ティルナコスでは、毎年男性器崇拝のお祭りが行われている。

古代の男性器崇拝は、この聖書の掟の重要性を裏付けているのだろうか?
もし神聖なものなら、生死にかかわる戦いでも、触れてはいけないはずである。
ただその掟は、夫がけんか相手の急所を攻撃することは講じていない。
つまり何をつかんだかより、誰がつかんだかを重視しているといえる。
聖書は、女性は許されないと言っている。

その証拠の1つが、現在パリのルーブル美術館に展示されている。
高さが2mを超える黒い石柱には、古代バビロニアの法律、ハンムラビ法典が刻み込まれている。
本店に282条ある法律が聖書の掟に影響を与えたと考えられている。
女性に関する法律は、掟に厳しさを裏付けているのだろうか?
法典によると女性は父親または夫の所有物で、特にセックスについてはそう明言している。
女性は男性以下で、レイプされたら石打の刑に処された。
当時女性には何の権利もなかった。
男性が女性を殺したいと思えば殺すことができ、男性は責任を負うこともなかった。

ハンムラビ法典は古代エジプトからペルシャに至るまで、社会の法制度を形作った。
その影響力を考えると、女性が男性の局部を狙えば厳罰は免れないだろう。
女性が男性器をつかむと、それは男性の誇りに対する攻撃を意味した。
こうした理由のために聖書の掟がよくある喧嘩に言及したかについては定かではない。
旧約聖書も、新約聖書にも、このような話も、また男性の急所を狙って手を失う女性も出てこない。
しかしメッセージは異なるが男性器は聖書の他の掟にも登場する。

(睾丸をつぶされた者 陰茎を切断された者は、主の会衆に加わることはできない。)
局部を損傷している男は聖なる神殿に入れないのである。
男性の局部を攻撃した女性が厳しい罰を受ける。
それは男性が神殿に入れなくなるからだろうか?

3000年前以上のインド、聖なる文書リグヴェーダが編纂され、男性に降りかかるという呪いが書かれたとされる。
4000年以上前のインドでは、生殖能力がない男性は、宦官と呼ばれていた。
どんな人物で、何をしていたのだろう?
当時のインドでは、異性愛ではない性的思考を持つ男性は、麻袋に入れられて宦官が住む地区に運ばれた。
そこには虚勢をした男性も、虚勢せず強い同性愛の思考を持つ男性もいた。
宦官の中には奴隷から兵士になった者もいた。
マリク・カーフールである。
1300年頃北インドのスルタンに仕えていたカーフールは、素早く出征して軍事指導者になり、モンゴル軍を破り南インドの大半を征服した。

聖書にも権力を持つ宦官階級が登場する。
列王記のアハブとイザベルだ。
紀元前9世紀、イスラエルの北王国にはアハブ王がいて、妻はイゼベルといった。
2人は別荘を持っていたが、アハブは隣のブドウ畑が欲しいと思うあまり、床に伏してしまった。
そこでイゼベルが自ら事に当たる。
彼女はブドウ畑の所有者に、神への冒涜と王への反逆の罪をでっち上げる。
すると街の人々はイゼベルの言う通り、所有者を石打の刑にして死なせた。
その後すぐ預言者エリアがイゼベルに言った。
あなたは罰を受ける あなたの体は犬の群れの餌食になり、血は通りで踏みつけられるだろう。
宦官たちはイゼベルを宮殿の窓から投げ出し、その予言通りとなった。

しかしこの掟が述べているのは宦官ではなく、神聖なものについてのイスラエル人の考え方かもしれない。
男性の生殖器は、誰が仲間で、誰が違うかを知る1つの方法だった。
聖書の掟、それは古代世界への新たな扉を開ける。

セックスは楽しいだけのものではないという。
セックスは何度も聖書に出てくるため、英語では「聖書のようなことをしよう」というスラングも生まれた。
意味は「セックスをしよう」である。
そして聖書の数多くの掟の中には男性の生殖器について述べているものもある。
なぜ聖職者たちは男性の睾丸がつぶれているかどうかを気にしたのだろう。

古代世界では身体的な特徴で部族を見分けることが多かった。
厳しいようだが、無傷の睾丸を持つ男は認められ、つぶれていれば認められなかった。
身体的な特徴で部族を見分けていたのは、古代ヘブライ人だけではない。
聖書の時代では、独自の特徴を生み出した。
例えばピアスである。
ペルシャ兵は小さな輪を、アステカ族はリップリングを、そしてローマ兵は乳首にピアスをつけた。

古代の男性の身体的特徴が重要なら、この聖書の掟は理解できる。
男性器の状態で、その人が誰で、どの部族かが分かるからである。
WHEN A MAN HAS TAKEN A NEW WIFE,HE SHALL NOT GO OUT TO WAR,NEITHER SHALL HE BE CHARGED WITH ANY BUSINESS;BUT HE SHALL BE FREE AT HOME ONE YEAR;AND SHALL CHEER UP HIS WIFE WHICH HE HAS TAKEN.
[DEUTERONOMY 24:5]
(人が新妻をめとったならば兵役に服さず公務も課せられず1年間はすべてを免除され妻を喜ばせねばならない)
2000年以上前にこの掟が書かれたころ、結婚しても確かなものは何もなかった。
当時は恐ろしい伝染病がはびこり、栄養状態もかなり悪かった。
早死にや戦士はもちろんのこと、出産時に死ぬこともよくあった。
乳幼児の死亡率が極めて高く、2人のうち1人が2歳まで生きられなかった。
女性の死亡率も高く、比較的若い時に亡くなっていた。
2世紀にアントニヌスの疫病と呼ばれる天然痘の大流行で、ローマ帝国では500万人が犠牲となった。
しかも戦争も絶え間なく起きていた。
戦争は無数の死者をもたらした。
1つの都市の人口が激減するのだ。
アテネでは信じられないほど人口を失った。
なんと10%も人口が減ってしまったのだ。
30か35歳くらいまで生きるのは、かなり難しいことだった。

病気や戦争であっけなく命が奪われていた社会では、妻と過ごす時間は大切だった。
しかし妻を喜ばせる掟は具体的にどう過ごすかを述べているようだ。
古代イスラエルでは、セックスは奨励されていた。
子供を産み、夫の家系を絶やさないことが重要だった。
イスラエル人は少数民族で、常に隣国との戦いにさらされていた。
200年にわたってユダヤ人と戦っていたローマ人を例に挙げれば、何万人も命を落としている。
人口を増やす方法は、ただ1つ、子供を作ることだった。
男性は子供を持つことを期待され、女性は身ごもることを期待されていた。
子供を増やすことに重点を置いていたのはイスラエル人だけではない。
敵のローマ人も同じことだった。
ローマ帝国の死亡率は高く、歴史家によると平均的な上層階級の男性の寿命は25歳、女性の寿命はさらに短く、男女とも40歳になれれば幸運だった。
だからこそローマ皇帝アウグストゥスは、子供を増やす対策を講じたのだろう。
子供が3人以上いる家族は税金を一定額免除された。
つまり人々は結婚することと、跡継ぎとなる子供をもうけることに重点を置かざるを得なかった。
それは社会が必要としていたから。
帝国は女性が子供を次々と生むことを求めていた。
最盛期のローマ帝国は、6500万人以上の人々を支配していたが、病気や戦争の犠牲になりかねない。

災難に打ち勝つ唯一の手段は子供を産むことだった。
聖書の掟で、夫は家にいて子作りに励み、妻を喜ばせようと勧めるのは当然かもしれない。
しかしこの掟は男性に警告も発しているようだ。
家を離れるときの危険性である。
家を離れると、常に新たな誘惑が待ち受けている。
そして常に新たな問題が生じる。
男性が戦争へ行ったら、戻ってこないかもしれない。
誘惑の一例は他の女性との出会いだが、聖書のある掟では、それは絶対に避けるべきこととしている。
BUT I SAY TO YOU THAT ANYONE WHO HAS LOOKED AT A WOMAN WITH LUST HAS ALREADY COMMITTED ADULTERY WITH HER IN HIS HEART
[MATTEW(マタイによる福音書) 5:28]
(みだらな心で人の妻を見たら、既に心の中でその女を犯したのである。)
妻以外の女性のことを考えただけで浮気したことになるのだ。
不倫は普遍的なもの、どの社会でも調査をすると不倫が行われていた。
不倫は人間が生れながらに持つ特徴のようだが、人間のように頻繁にセックスする動物もほとんどいない。
人間は生殖のためももちろん、喜びや社会性のためにもセックスをする。
そこが動物と違う。
人間は女性が排卵期でなくでもセックスを行う数少ない生き物。
女性が妊娠中でも授乳の時期でも閉経後でも生理中でもセックスをする。
哺乳動物で社会性のためにセックスをするのはチンパンジー、ボノボ、イルカだ。
ただし古代世界では、相手を間違うと致命的な結果を招いた。
この掟では、情欲を抱いただけで姦通。
しかし本来ある欲望を抑えることはなかなか難しい。
だが実際は世界的に有名な男性がその掟を破っている。
道徳的指導者たちがカーター氏の記事に反応。
大統領工法のジミー・カーターは、雑誌プレイボーイに対しこう語った。
みだらな心で女性を見て、心の中で姦淫をしたが、神はお許しになるだろう。
カーターは神の許しを信じていたようだが、掟を書いた人はそうではなかったようだ。

2000年前の不倫は現代と同じだったのだろうか?
古代世界の不倫というのは結婚している女性と関係を持つ男性をさしていた。
古代オリエントのような一夫多妻制の社会では、結婚していない女性となら誰とでも関係をもてた。
扱いが男性と女性とで違っていた。
そして不可解なことに古代イスラエルでは、不倫が起きた場所により処罰が異なっていた。
もし男性が人妻と関係を持ち、それが町の中で起きたとしたら、2人とも処刑された。
なぜなら同意の上での不倫と判断されたから。
もし男性が町の外で人妻と関係を持った場合、女性は同意していないと判断された。
大声で叫んでも誰にも聞こえないからだ。
その場合、男性だけが処刑された。
古代世界の部族社会は家系を重視しており、家族がすべてだった。
女性が夫以外の男性と関係を持ち、妊娠したとしよう。
それは恥ずべき事どころか、不倫で生まれた子供は、男性とその子孫を呪うと言われている。
ローマ人も不倫を脅威とみなしていた。
1世紀、皇帝アウグストゥスはユリウス法を制定し、不倫を取り締まった。
罪人は円形競技場に連行され、何千もの見物人の前で石打の刑を受けた。
新約聖書では、手厳しいものになっている。
考えただけで行為に及んだとしているのだ。
古代世界では、人間の思考には神秘的な力があると信じられていた。
多くの宗教には禁欲的なグループがある。
彼らは今生きている世界から抜け出して抑えきれない欲望や衝動から解放されようと願っている。
どうやって欲望を抑えるのか?

200年頃、キリスト教指導者オリゲネスは悍ましい方法で試している。
自ら去勢し、信仰の証として禁欲を貫こうとした。
それから100年後、肉欲から逃れるためキリスト教徒は修行にでた。
有名なのは荒野の教父達である。
自由意思を示す行為として、現実世界から逃れた。
日々起きる仕事や結婚生活での心配ごとなどから逃れるためだ。
荒野の教父たちは日常を逃れて性行為を絶つだけでなく、食べることの喜びからも遠ざかった。
断食は性行為から気をそらし、神に集中するための究極の修行だった。
2000年前、断食が荒野の教父達の心と体にどう影響したかはわからない。
しかし現代科学によってその過酷さが解明された。
1944年、断食が心と体にそう影響するかを調べるため、アメリカでミネソタ飢餓実験が行われた。
被験者36人が半年間飢餓状態におかれた。
その結果興味深いのは鬱状態に陥り不安になったこと。
被験者の1人は指を3本斧で切り落としたが理由を言えなかった。

今も昔も、自らを飢餓状態におくことは、極端な意志の表し方と言えよう。
しかしそれでも掟を守れということなのだろうか。
それとも聖書は、人間にもう少し寛大なのだろうか。
旧約聖書や福音書の記者たちは、人間は感情を持ち、何かを考える者だと捉えていた。
しかしそんな考えに何度も浸ると、やがてそう行動するようになる。
絶え間なくその考えを頭に浮かべていると、いつしかその考え方に乗っ取られてしまう。

(ひれやうろこのない生き物は海のものでも川のものでもすべて汚らわしいものだ。)
この掟が書かれた時期ははっきりしないが、現代医学が登場する数千年前、今から2500年以上前とされる。
聖書記者たちは知っていたことがある。
甲殻類はろ過してエサを摂るので、もし大量のチフス菌が下水に流れ出たら、甲殻類を食べると腸チフスになる恐れがある。
また甲殻類はアレルギー反応の一種であるアナヒラキシーショックの原因の1つ。
古代の人々は甲殻類は食べないほうがよいと分かっていたのだ。
甲殻類が危険視されていたのは古代だけではない。
現在アメリカ人の2.3%、つまり700万人近くが甲殻類にアレルギーを持つと言われている。
古代の人々には病気やアレルギーの知識はなかったようだが、この掟は健康に関連しているらしい。
しかもこれには地理的要素もあるとみられる。

古代イスラエルの乾いた砂漠に甲殻類はいなかった。
そのため他の土地の食べ物だと思われたようだ。
古代イスラエル人は海岸の周りを支配することはあまりなかった。
海沿いに住む人々は甲殻類を食べていたが、古代イスラエル人はこの食べ物がすぐに手に入らなかったので、禁止することで隣国と差別化した。

聖書も他の法典も実際に何かが起きたために掟を定めている。
つまり遊女と結婚した祭司が1人以上いたということになる。
旧約聖書には613の掟があり、そのうち247はレビ記にある。
この掟が書かれたとされるイエスの時代から400年ほど前、みだらなことが行われていた。
この掟の謎を紐解く前に、史上最古の職業とされる売春について・・・
現代と違い3000年前は、娼婦として仕事をしても投獄されなかった。
聖書は特に売春を禁じていないが、古代イスラエル社会では、娼婦は社会の底辺にいた。
現代のように、娼婦になることは最後の手段だったのだ。
古代世界では、娼婦は小さな部屋にベッドとなる石がある売春宿で働いていた。
ローマではこうした宿はオオカミの家を意味するルパナーレと呼ばれた。
火山の噴火で破壊されたポンペイの町から、紀元1世紀の売春宿が発見された。
その壁に性的な場面を描いた絵があった。
古代世界の男性は、口コミに頼ったのかもしれない。
トルコのエフェソスに、売春宿とみられる建物がある。
面白いのは、入り口の1つが通りの向こうの図書館につながっていること。
つまり図書館に行くと言って、売春宿に行くことができた。
時に神殿は売春宿の代わりをした。
豊穣祈願の儀式には、儀式的な売春が行われた。

古代イスラエルでは、もちろん娼婦は日陰の存在だったが、祭司は名高い公の人物だった。
祭祀が聖なる指導者なら、なぜ娼婦との結婚を考えたのか。
本当に結婚したのなら、なぜ戒める掟が書かれたのか。
古代世界ではなんと娼婦と祭祀が同じ仕事をすることもあった。
紀元前5世紀、古代ギリシャのコリント、ここには聖なる娼婦がいて、愛と美の女神アフロディティの神殿でサービスを行った。
紀元前464年ギリシャの軍人で歴史家のクセノポンが、感謝のしるしとして100人の若い女性を神殿に奉納している。
性的なサービスをすることで報酬を得る売春婦は特殊な身分にあった。
神殿へ来る娼婦は神への捧げもの、または神の力に加わるものと受け止められていた。
カナン人は嵐の神バールを信仰していたが、その中心は性行為だという。
バール神の信仰は、古代の豊穣を祈る儀式とかかわっていた。
もしバール神を性的に興奮させることができれば、バール神は彼の種で雲を肥沃にすると考えられていた。
そうすれば雨が降り、大地は実り豊かになり、家畜も太る。
人々は儀式的な売春という行為で豊穣をもたらしていた。
古代イスラエル人はバール信仰を避けていた。
よってこの掟は祭司への警告かもしれない。
聖書の掟の謎は答えが見つからない場合が多い。
しかしこの祭祀と娼婦との結婚を禁じる掟には理由が1つあるという。
祭司の元祖はアルンで大祭司だった。
彼の息子たちも祭司としてアロンを支えた。
祭司の仕事は世襲されていた。
娼婦を娶ることの懸念の1つは生れてきた子供が本当に自分の子かわからないこと。
2000年前には父親を確定する検査はなかった。
だから祭司たちは家系を汚さないために娼婦を避けていたかもしれない。

(父の妻を犯してはならない。父を辱めることだからである。)
英語で犯すは「裸から覆いを取る」と表現されるが、聖書で性行為は意外な言葉で表現されている。
セックスをするとは足元に横たわると表現されているのだ。
この掟は育ての母と関係を持つことに触れているが、当時は近親相姦と考えられていた。
現代も3000年前もタブーだったようだ。
この親族とセックスをしないことには生物学的な理由がある。
人間も他の種にも生まれつき近親相姦を行わないという性質がある。
有性生殖の目的は異なる遺伝子をかけ合せてより生命力のある親より強い個体を生み出すこと。
親族との生殖では先天性異常をもたらすことがある。
しかし育ての母親など血縁関係がない人とセックスをして、何が問題なのだろうか。
古代イスラエル社会では、妻は男の所有物である。
つまり父親の妻とセックスをすることは無礼なだけではない。
盗みなのだ。
妻は夫以外の男性が触れてはいけなかったが、窮屈な場所に大勢で住む人には厳しい掟だった。
古代の農民は大きなテントに大家族で暮らし、家族は並んで眠っていたのである。
まず夫と妻がいて、第1婦人以外の妻がいる。
そして息子や娘の結婚相手がいる。
息子にも複数の妻がいる。
男性の家系の家族を中心に、3世代、4世代の家族が1つ屋根で暮らしていた。
近親相姦の掟が生れたのは、こうした背景がある。

エジプトに住んでいたギリシャ人は、兄弟同士の結婚が許されていた。
一族の富が外に出ず、とどめておける。
一緒に育っているので仲が良い。
知らない家族と縁組をして問題が起き、夫婦の仲が悪くなるよりずっと安心。
驚くことに結婚契約書を交わす習慣があったのだ。
100点に及ぶパピルスの結婚契約書が発見されているが、そこにははっきり父親と母親は同じと書かれている。
同じ親を持つ兄弟の結婚・・・

近親相姦の掟に矛盾しなくても、食い違っているような興味深い記録がある。
レビレート婚、子供のいない夫婦で夫が死んだ場合、残された妻は夫の兄弟と結婚するというしきたり。
第二次世界大戦中の軍人も、軍の基地でパートナーを紹介しあるパーティーを行っていた。
それは空軍パイロットと、その妻や恋人たちが主催したもの。
パイロットは日本へ飛行任務に就く男性たちで、死亡率は25%近くに達していた。
同僚やパートナーでコミュニティを作ることが重要だった。
そうすれば男女が親しみを覚え、もし戦士した場合には仲間が妻の面倒を見てくれると安心できた。

2001年の同時多発テロのの後、消防士の妻がこう言った。
夫はツインタワーで亡くなった。
でもその後私は彼の親友と恋に落ち、どうしてよいかわからないという相談を受けた。
そこで彼女に聖書の時代、レビレート婚の話をした。
故人の思い出を称えるだけでなく、その人生や価値観を広めたいという兄弟たちの思い。
それがレビレート婚。
普通なら受け入れることはできないが、悲劇に見舞われた時は受け入れられるだけでなく、最も聖なる行動になる。
セックスと性欲についての聖書の掟は、互いに矛盾していることが多い。
セックスがよい時もあれば、タブーの時もある。
聖書はどういう立場をとっているのか。
聖書に書かれている戒めの言葉を読むと、セックスに対してとても神経質な見方をする箇所がある。
そのせいかセックスは不道徳で下品などと思われている。
でも神からの贈り物として祝福する文書もある。
そういった言葉から、セックスに対して健全かつ分別を持つという教えを見出していくべきなのだ。
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