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2016.02.05 Friday 00:00
古事記の世界1
古事記の魅力とは?
三浦佑之(立正大学教授 国文学者)「古事記のお話は面白い。
特に神様のお話は物語がストーリーを持っていて、様々な神様が出てきて活躍をする。
古事記(712)とは別に日本書紀(720)という歴史書は朝廷により作られた正規の歴史書、古事記はそういうものよりももっと古い日本列島に住んだ人たちの古層の意識が様々な形で神話として浮かびあがってくる。
自分たちは何でここに住んでいるのか、なんで生まれたのか、死んだらどうなるのか教えてくれる、読めてくる。
そういう魅力があると思う。」
里中真智子(漫画家)「ずっと感じているのが、意外と女性が強いということ。
そういう本質的なものがおおらかに描かれていると思う。
お話も、理屈には合わなくても、男女の違いみたいなものをするどくつくような物語もあったりして面白い。」
天と地が初めて起こった時、高天原になりました神の皆は、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、この三柱の神は皆一人神で、姿形を見せることはなかった。
大地が若く油のように浮かび、クラゲのごとく漂っている時、葦の芽のように燃え上がるものからなった神の皆は、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神、この二柱の神も姿形を現さなかった。
これら五柱の神は、特別の神で、別天つ神(ことあまつかみ)という。
その後、兄と妹で一対となる十柱の神々がなった。
その最後に現れたのが伊邪那岐神、伊邪那美神である。
天の神々は伊邪那岐の命、伊邪那美の命におおせになった。
「この漂える大地を整え固めよ、そなたたちには天の沼矛を授ける。
これを用いて国をなせ。」
伊邪那岐の命と伊邪那美の命は天の浮橋にお立ちになり、沼矛を刺し降ろして、コウロコウロとかき回された。
「矛の先から滴り落ちる潮が固まってゆく。」
「島ができましたね。」
「いざ。」
これが淤能碁呂嶋(おのごろしま)である。
「あなたの体はいったいどのようにできているのですか?」
「私の体はほとんどできあがっているのですが足りないところが一カ所だけあります。」
「私の体もすでにできあがっているのですが、余ったところが一カ所だけあります。
ですから、私の体の余ったところで、あなたの体の足りないところをふさいで、国を生もうと思います。
それでどうでしょう?」
「ええよろしいですね。」
「それならば、私とあなたで、この天の御柱の周りを廻って出会い、契りを交わしましょう。
あなたは右から回ってください。
私は左から回って出会うことにしましょう。」
「まあ、なんて素敵な殿方なのでしょう。」
「ああ、なんて素敵な乙女なのだろう。
女性が先に言葉を発したのはよくなかった。」
それでも、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は契りを交わした。
しかし・・・
「うまく国を生むことができなかったら、天つ神のもとにまいってこのことを申し上げ、お伺いをたてることにしよう。」 天に昇った伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、神々の仰せに従い鹿の骨を焼き、裂け目の現れ方を見る太占(ふとまに)の占いをした。
女性が先に言葉を発したのは、よくなかったとでている。
淤能碁呂嶋に戻り改めてやり直すのだ。
「ああなんて素敵な乙女なのだ。」
「まあ、なんて素敵な殿方なのでしょう。」
こう言い終わって契りを交わすと、まず淡道之穂之狭別嶋(淡路)が生れ、次に伊予之二名嶋(四国)、この島は、体は1つであるが顔が4つあった。
次に隠岐之三子嶋(隠岐)、筑紫嶋(九州)が生れた。
この島も、体は1つであるが、顔は4つあった。
そして、伊伎嶋(壱岐)、津嶋(対馬)、佐度(佐渡)の島が生れ、大倭豊秋津嶋(本州)が生れた。
これら8つの島が先に生まれたので、この国を大八嶋国という。
伊邪那岐の命と伊邪那美の命の会話が、古事記ではどのように表現されているのか・・・ 「故此の吾が身の成り餘れる処以ちて
汝が身の成り合わ不処に刺し塞ぎ而
国土を生み成さむと以為ふ
生むこと奈何に
とのらせば
伊邪那美命 答えて日さく
然善(しかよ)けむとまをす」
■世界はどう始まったか
日本の神話では世界が最初にあって、それから神様が生れる。
キリスト教の旧約聖書では、まず神様がいて、それから天地を創造して昼と夜を作り、1週刊で世界と人間を作る。
世界の成り立ちが全く逆。
「天と地がはじめておこったとき高天原に成りました神の御名は天之御中主神・・・」
キリスト教ではそこに絶対的な神の意志があり、神の意志のもとにこの世は成り立っているという絶対条件がある。
しかし日本人はあまりかっちりと分けるのが好きではないのか、なんとなくボワーンとこちらが気づいたらそこに世界があったという感じ。
いつからあったのかとか、なぜあるのかとか、どうなっているのかとか、そんなことはこだわらない。
「天地初めて発りし時
高天の原於成りませる神の名は
天之御中主神
此の三柱の神者
並に独神と成り坐し而
身を隠しましき」
❝成る❞とは生れてくるのではないし、絶対神作るわけでもない。
気が付いたら、ああいたという感じが❝成る❞という言葉にとてもよく表れている。
木に実が成る、それが落ち、種となりまた生えてくる。
そういう循環が❝成る❞という言葉にうまく表される。
日本には絶対神がいない。
中空構造の神話、日本の神話は真中がない。
例えば天之御中主神は、天の真ん中にいる神様という名前を持っているが、何の働きもせず、この後一度も登場しない。
真ん中が存在しないことに特徴がある。
国生み神話の舞台、淡路島、まるで神がかき回したかのように、大きなうねりをあげて渦を巻く淡路の海。
この海にオノゴロ島と伝えられる伝説の島がある。
沼島、周囲およそ10km、人口500人ほどの小さな島。
島に古くから伝わる古文書がある。
天と地が最初に起こった時の始まりの地である・・・
♪神のつくりし おのころ島 由緒も深き この島は
我らが国の 起源ぞと 聞くさえ いとど嬉しけれ♪
島の高台にある、おのころ神社、国を生む二柱の神の像。
沼島の名はこの神が持つ、天の沼矛(ぬぼこ)に由来しているという。
住民「古代語で沼(ぬ)は、珠とか神々の精神が宿ったとか、光り輝くといった意味がある。 矛を引き上げたときにポタポタ潮の滴が落ちて、勝手に凝り固まって島になった。
だから、おのころ神社にも、自分で凝り固まる神社、と書いてある。」
おのごろ島の名の意味は、おのずから凝り固まって成った島・・・
その名のとおり、沼島を形作る岩石は、神が混ぜ合わせ、凝り固まったかのような形をしている。
沼島は、太古の地殻変動がそのままの形で見て取れる岩々から成りたっている。
島の南東に回り込むと突如異様な巨岩が姿を表す。
オノゴロ島に降り立った二柱の神がたてたという天の御柱であると伝えられている。
古事記では、伊邪那岐の命は御柱の左から、伊邪那美の命は右から回った。 そうして次々と国を生んでいった。 古事記の世界をそのまま表したかのような沼島の自然。 国生みの神話の起源について、ある興味深い説がある。 それははるか海を越えてやってきた民族がもたらしたものであるという。 その民族とは海人族(あまぞく)、縄文時代の終わりにはるか南方から渡来した海人族は、やがて沼島をはじめとする淡路の海に進出した。 彼らが新たに生み出した技術に、塩づくりがある。 海水を煮詰めて塩をとる太古の塩づくり、海人族たちが長い棒を使って海水をかき回す様子から、海をかき混ぜて島を生む島生みの神話を生んだとも伝えられている。 日本の起源を語り継ぐ国生みの神話、そこにはまだ多くの謎が秘められている。 故 二柱の神 天の浮橋に立たし而(て) 其の沼矛を指し下して画かせ者(ば) 塩許々袁々呂々(こをろこをろ)迩画き鳴し而(て) 引き上げます時 其の矛の末自(さきよ)り垂落る塩之累積(しおのつもり) 嶋と成りき 是淤能碁呂嶋なり 外来の文字を利用して、やまとことばに当て字をしていった。 言葉に対するこだわりが古事記には残されており、日本書紀(漢文)とは全く違う。 やまとことばの音を大事にしている。 語り部によって語り継がれた神話。 いくつもの国を生み終えた伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、さらに神々をお生みになった。 「まず家づくりの神々を生むことにしよう。」 そして岩・土の男神、石・砂の女神、戸口の神、屋根の神などを生んでいった。 「次に自然をつかさどる神々を生もう。」 海野神と河口の神が生れ、風の神、木の神、山の神の野女神など多くの自然をつかさどる神々が生れた。 さらに船の神、食物の神、最後に火の神をお生みになった。 火の神をお生みになった時、伊邪那美の命は、ひどいやけどを負われた。 伊邪那美の命が吐いたものから鉱山の神がなった。 たれいでたしものものから粘土の神、流れ出た尿からは田畑の水の女神がなった。 こうして伊邪那美の命はお亡くなりになられた。 「愛する我がミコトをたった1人の子に変えようとは。」 伊邪那岐の命の涙からは、泉の神・泣沢女神がなった。 伊邪那美の命は、出雲の国とほうきの国の境にある比婆之山に葬られた。 伊邪那岐の命は、火の神をお切りになった。 火の神からは刀剣にまつわる様々な神々がなった。 そして伊邪那岐の命は、愛する伊邪那美の命に今一度会いたいとあとを追って、黄泉の国へと向かう決意をなされた。 そこには思いもよらぬ再会が待ち受けていた。 古事記は伊邪那美の神が葬られた地について、こう記している。 其の所神避(かむさ)りましし伊邪那美神者 出雲国と伯伎国与の堺の比婆之山に葬りまつりき 1000mを超える山々が連なる中国山地、その1つに、神の眠る山、比婆山がある。 古事記の記述から、この山は伊邪那美の神が眠る候補地の1つとして古くから信仰を集めてきた。 麓にある熊野神社、ここは伊邪那美の神が眠る神域への入り口、山の頂へと向かう参道が続いている。 熊野神社は比婆の山それ自体を祀り、信仰の対象としている。 古来より神の山として恐れ、敬われてきた比婆山、戦前は祭などの決められた時以外、山に入ることは避けられてきた。 人々が足を踏み入れるのは、この拝礼所まで。 山へ入ることが許された日、人々はあるものを目指し山頂へと向かった。 神社から続く5kmほどの参道、比婆山には日本で最も大きなトチの木など、神が眠るにふさわしい豊かな自然が残されている。 山頂で人々を待ち受けているのは、イチイの老木、頂の聖域を守る神の木。 その奥に天に向かって伸びるブナの原生林がある。 木々の根元にあるのは、苔むした大きな石、幅3mほどのこの巨石こそ、伊邪那美の神が降臨すると言われる御陵石。 比婆山の西、ほぼ同じ高さを持つ吾妻山、土地の言い伝えには、こんな話が残されている。 伊邪那美の神を葬った後、この山の山頂に立った夫の伊邪那岐の命、比婆山が見渡せるこの場所から最愛の人を思い「吾が妻よ」と叫んだことが吾妻山の名前の由来と言われている。 神の山、比婆山、深い自然に抱かれたこの地で、伊邪那美の神は今も静かな眠りについている。 ↓つづき・・・ http://poyoland.jugem.jp/?eid=768 |
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