ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!

テレビでドキュメントを見るのが好き!
1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。
地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共有してゆきたいです。
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神々の戦い ヘラクレス

神話における最大のアクションヒーロー、その名はヘラクレス(Herakles)
自ら犯した恐るべき罪にさいなまれ、救いを求めて不可能と思える12の試練に挑戦する。
現代人には神話でも、古代人には真実。
モデルは実在した戦士。
伝説には暗号が散りばめられている。
神話に潜む真実とは?

我々の知らない別の世界、水の中でうごめく怪しい影。
何かが現れた。
巨大な毒蛇だ。
ドラゴンのような9つの頭が宙を踊る。
猛毒の息を吐き出し、獲物を生きたまま食らう。
だがそこに強敵が現れた。
地上最強の男、神話の中の究極の人物ヘラクレス。
古代史でもっとも人気のあるヒーロー。
神と人との間に生まれ、超人的な力を持つ彼の運命はギリシャ世界の悪を討つこと。
Tom Stone(Greek Historian)「ヘラクレスは特別、同時に普遍的な存在でもある。
女好きで大酒のみ、優れたアスリートでもあった。」
Michael Fontaine(Cornell University)「現代人から見たヒーローとはめっぽう強く女性にもて、空も飛べるような人物だが、ギリシャ神話で違う。
ヒーローは超人的な力はあっても苦難に耐えねばならない。
その点ヘラクレスは完璧。
その運命は誰よりも過酷だった。」

神話のヘラクレスは数々の強敵と渡り合い、想像を絶する苦しみを味わう。
物語は女性関係にだらしない神々の王ゼウスの不倫から始まった。
Fontaine「ヘラクレスはゼウスが人間の女性Alkmeneに産ませた子。」
George Zarkadakis(Author,The Mystery of The Mind)「半分の神を表す半神とは神のように聖なる力がありながら、永遠の命を持たない人物のこと。
彼らは死ぬこともある。
ギリシャ人はより神に近づきたいという思いから半神という限りなく神に近い人間像を生み出したのではないだろうか。」

ヘラクレスには彼の破滅を企む強力な敵がいた。
ゼウスの妻、女神ヘラだ。
ゼウスは人間の女達に何人もの子を産ませた。
ヘラクレスもその1人。
ヘラはその全てを憎んだが、ヘラクレスにはゼウスの火遊びのつけをとことん払わせようとした。
ヘラの二気味はとても理不尽なものだった。
ヘラクレスに過酷な苦行を強いた。
ヘラクレスがまだ赤ん坊の頃、ある夜ヘラは2匹の毒蛇を子供部屋に送り込んだ。
Rebecca Kennedy(Union College)「幼いへらくれすは両手に1匹ずつ大蛇をつかんで2匹とも絞め殺した。
普通の子供ではないと皆が気づいた。」
David George(Saint Anselm College)「ヘラに憎まれた理由の1つもそこ。
どんなに不幸になっても殺されはしない。
それが彼の運命だった。
女神も運命には逆らえない。」
ヘラの憎しみはヘラクレスの人生を決定付けた。
この神話と事実との間にはどんなつながりがあるのだろうか?

2004年2月、ギリシャのデバイという町でヘラクレスの誕生に新たな光を当てる、驚くべき発見があった。
住宅街の地下から神殿が発掘された。
中心部にあったのは祭壇の跡。
周囲には何100個もの陶器の壷や小さな像があった。
その全てがヘラクレスをかたどったものだ。
ここは2500年前の文書にあるヘラクレスの館という謎めいた場所と関わりがあるようだ。
かつてデバイの城門を出てすぐの所にあったという。
遺跡はそうした記述にも当てはまった。
だがそれだけではない。
古文書によれば神殿はヘラクレスが生まれた場所に建てられたという。
ヒーローは実在したのだろうか?

成人したヘラクレスは半神として2つの世界を股にかける。
人間界と超自然的な世界だ。
Kenney「彼は強すぎて人の体に捕らわれた神のようなものだった。
意図せず周囲の人間を殺したり、損害を与えたりした。
自分をコントロールできなかった。」
超人的な強さのため、ヘラクレスは社会に溶け込むことができない。
Zarkadakis「誰とも心を通わすことができなかった。
実際矛盾を抱えた性格の持ち主だったようだ。
彼の父ゼウスはヘラから課せられた過酷な試練や苦難からかばってはくれなかった。
ヘラクレスは天と地の間にたった1人で放り出された。」

世間並みの幸せに飢えたヘラクレスは、美しい王女をめとり、2人の息子を得る。
だが一家の幸せははかなく消えた。
再びヘラの手が迫る。
幸せなど与えないと心に決めているのだ。
この時女神はヘラクレスを殺人者に変えた。
Kristina Milnor(Barnard College)「へラは眠っている彼に妄想を吹き込む。
正気を失ったヘラクレスには、妻と子供の姿が敵に見えた。」
真夜中ヘラクレスは世にも恐ろしい罪を犯した。
Renaud Gagne(Mcgill University)「ヘラクレスがこの血に飢えた悪夢から目を覚まし、ついに正気を取り戻すと、彼の全身は妻と息子の血にまみれていた。」
目もくらむほどの怒りがおさまると、激しい自責の念が湧き上がる。
恐るべし永遠の苦しみ。
古代ギリシャ人はこれを“流血の罪”と呼んだ。
Milnor「キリスト教の贖罪という考え方にも似ている。
罪をあがなうため、地上で善行をつむのだ。」

魂を清めるため、ヘラクレスは人も神も体験したことのない過酷な試練の数々を潜り抜ける。
旅はギリシャ世界の外側にまで及んだ。
残された足跡からは神話の裏に隠れた真実が浮かび上がる。
ヘラの呪いため、妻と我子を手にかけたヘラクレス、犯した罪を償わねばならない。
だが一体どこへ向かえばよいのか。
彼は古代ギリシャでもっとも偉大な預言者に助けを求めた。
Peter Struck(University of Pennsylvania)「重い罪を犯したヘラクレスを導けるのは、もっとも権威あるデルフォイの神託だけだった。」
デルフォイの聖なる神殿は架空の場所ではない。
人々が神託を聞いた神殿の跡は今もギリシャ中部の山岳地にある。
2500年前、ここにトランス状態の巫女が立ち、周りには不思議な煙が立ち込めていたという。
その謎めいた言葉は神のお告げとみなされた。
近年巫女の力の源が明らかになりつつある。
地質調査の結果、デルフォイの神殿は2つの断層が交差する場所の真上にあった。
John Rennie(Editor-in-chief,Scientific American)「新しい証拠によれば、こうした断層の近くでは地震活動のために地面の裂け目からエチレンガスが漏れていたようだ。
人は大量のエチレンガスを吸うとトランス状態になる。
デルフォイの巫女もそんな体験をしていたのではないだろうか。
古代ギリシャの人々が信頼を寄せたデルフォイの神託は、ガスに酔ったうわ言かもしれない。」

デルフォイの巫女はヘラクレスの罪を清めるには苦行よりほかにないと告げた。
苦行を受けるために彼は従兄弟でライバルでもあったエウリュステウス(Eurystheus)王を訪ねる。
だがこれは罠だった。
巫女とエウリュステウス王はヘラに利用されていた。
エウリュステウスはヘラの考えた12の試練を彼に与える。
後にヘラクレスの12功業として知られるものだ。
その中でヒーローはギリシャ世界を脅かす数々の敵と戦う。
獰猛な野獣に自然の驚異、よこしまな暴君、そして怪物たち。
ただ1つだけでも命の保障はないのに、それをヘラクレスは12回も乗り越えねばならない。
償いの旅が始まる。
第1の試練は人間に潜む動物的本能の象徴である野獣を殺すこと。
Nemeanのライオンだ。
ヘラクレスは弓の名手だったが、このライオンの皮膚は矢を通さなかった。
倒すには力尽くで戦うしかなかった。彼はライオンを殺し、その皮を剥ぎ、以後防具として身につけた。
それ以降へラクレスは獅子の皮をまとった姿で描かれるようになる。

エウリュステウス王は驚愕した。
ヘラクレスは第1の試練で死ぬと思っていたのだ。
そこでヒーローの息の根を止めようと、途方もない試練の数々を並べ立てる。
これら初期の試練に一貫したテーマは人間と自然との対決。
Geroge「古代ギリシャ人にとって自然とは共存できない恐ろしい相手だった。
油断すれば殺されかねない。」
第2の試練は自然が生み出したある怪物を殺すこと。
9つの頭を持つ毒蛇ヒュドラ(Hydra)
毒を吐き、一噛みで人間を食い殺す。
ヘラクレスは剣を抜き挑みかかった。
ヒュドラの首を切り落としてゆく。
だが切り口からはすぐさま2本の首が生えてくる。
この怪物は快楽に対する人間の尽きない欲望の象徴。
新しい作戦が必要、やみくもに斬るだけではこの敵に打ち勝つことはできない。
ヘラクレスは松明をとり、怪物の皮膚を焼いた。
切り株のような傷口を火で焼くと、そこからは首が生えてこなくなった。
最後の一撃、ヘラクレスは9つの首を切り落とした。
ヘラクレスは手持ちの矢を毒蛇ヒュドラの血に浸す。
こうして彼の矢は毒矢となった。
英語で毒を意味するToxicは矢を放つための弓を指すギリシャ語のトクソンからきている。

第2の試練を乗り越えたヘラクレスは厳しい世界で生き抜くため、戦士のように業を磨き続けた。
強靭な肉体、不屈の精神、たゆまぬ忍耐。
次の2つの試練においてもヘラクレスは手ごわい野獣の獣を退治する。
アルテミスの黄金の牡鹿、その逃げ足は空飛ぶ矢よりも速い。
次は凶暴な人食いイノシシ。
ヘラクレスはこれらを見事生け捕りにした。

彼の勢いをそぐため、エウリュステウスは作戦を変える。
違う種類の障害物を取り入れた。
第5の試練、ヘラクレスは人間生理の一面を象徴する過酷な作業を命じられた。
糞にまみれた巨大な家畜小屋の掃除である。
期限はたった1日。
家畜小屋が流れの速い2本の川に挟まれていることに気付いた彼は、一計を案じる。
怪力で2本の川の流れを変え、家畜小屋に大量の水を流し込み、すべてを洗い流した。
試練を乗り越えるたびにヘラクレスは家族を殺した罪をあがなってゆく。
ヘラとその手先、エウリュステウス王が思いつくいかなる障害をも見事に克服した。
戦う度にその強さは増すばかり。
逆境に打ち勝つヘラクレスの物語は古代ギリシャ人に勇気を与えただろう。
これは単なる物語なのだろうか?
ヘラクレスが実在のヒーローだとする興味深い手掛かりがある。
Struck「ヘラクレスの物語は異文化を持つ人々が地元に伝わる不屈のヒーローについて教えあうことで生まれた。
相手の話に自分達との共通点を見出しながら、伝説がまとめ上げられていった。」
古代ギリシャにおける理想の人物へラクレスは果たして実在したのだろうか?
伝説によるとヘラクレスの一族はギリシャの植民地ティリウスの出身。
そこには武勇で知られた戦士が実在したと古文書に書かれている。
彼は神々と直接のつながりがあったようだ。
名前は残っていないが、ミケーネと呼ばれる強力な王朝の支配者に仕えていたという。
神話の中でヘラクレスに12の苦行を課した従兄弟のエウリュステウスもミケーネの王。
これは単なる偶然の一致なのだろうか?

ギリシャでも指折りの伝説に満ちた遺跡オリンピア。
紀元前776年オリンピックはここで始まった。
Tony Perrottet(Author,The Naked Olympics)「数ある競技会の中でもオリンピックはもっとも洗練された威信あるものだった。
オリンピックでの勝利は人としての地位が高まり、神々に1歩近づくことを意味した。」
こうした競技会は苦行に臨むヘラクレスの挑戦に驚くほどよく似ている。
いずれもアスリートの強さと忍耐の賜物だが、両者の間にはさらに深いつながりがあるという。
オリンピアの競技場跡にあるトラックの長さは192.27m、ヘラクレスの600歩分の長さといわれていた。
オリンピアの主要な神殿からもヘラクレスとのつながりをうかがい知ることができる。
外壁には12の功業のレリーフが施されていた。
ギリシャ人にとってヘラクレスの不屈の精神は非常に大切なものだった。
彼を崇拝するアスリートの多くは諦めることよりも死を選んだ。
神話のヘラクレスを支え続けたのもこうした忍耐。

第6の試練で対決したのは獰猛な人食い鳥の群れ。
人類の到達しえない目標の象徴。
毒蛇の矢で怪鳥の群れを追い払った。
ヘラクレスはこの時12ある苦行の折り返し地点にいた。
だがあと6つ残っている。
進むほど困難は増すばかり。
ヘラは攻撃の手を緩めない。
次の3つの試練において彼は初めてギリシャを出て、手ごわい異国の敵と戦う。
これらは勢力の拡大を図っていた古代ギリシャ人の意識を繁栄したもの。
第7の試練、ヘラクレスは島国クレタに渡り、ミノス王の名高い牡牛を捕らえることを命じられる。
牡牛は神話が生まれた当時のギリシャに対するクレタの優位を表すもの。
Milnor「青銅器時代後期においてクレタは地中海地域でもっとも権力のある国家だった。
古典期におけるアテネやスパルタのように非常に大きな影響力を持つ重要な国だった。
ギリシャ人は付近で一番の大国であったクレタに貢物を納めねばならなかった。」
神話のヘラクレスはそんな関係を覆す。
彼はミノス王の牡牛を見つけ出し、戦って服従させた。
牛は船で連れ帰られ、ギリシャはクレタの要求に応じなくなる。

7つの功業が成し遂げられた。
クレタの牡牛を捕らえ、自然との戦いに勝ったヘラクレスが次に戦う相手は人間。
この後続く試練はギリシャを脅かす異国の王達との戦い。
最初の相手はリストニアの残虐な王ディオメデス。
飼っている馬に敵の肉を食べるようしつけていた。
ヘラクレスはディオメデスを馬のエサにしてしまう。
古代ギリシャにとっては明白なメッセージ。
人は自ら生み出した悪に滅ぼされる。
ヘラクレスは初めて人命を奪った。
勇猛な女性戦士、アマゾンの女王ヒッポリテの腰帯を手に入れた後、彼女達を殺した。
12のうち9つの功業が成し遂げられた。
かつてない試練の数々に挑む彼を支えたのは勇敢さと強さの持久力。
だがさらに厳しい戦いが待っていた。
ヘラクレスが赴くのはこの世の果ての向こう側。
どんなに苦行をこなしても、体の痛みは心の苦しみを癒してはくれない。
ヘラクレスは自らの罪に捕らわれていた。
ヘラクレスの心は安らぐことはなく、満たされることもなかった。
残された試練はあと3つ。
彼は地の果てへと向かわねばならない。
そして死者の国へも・・・

10番目の試練はゲリオンから牛を奪うこと。
恐るべき一族に生まれた3人分の手足と3つの頭を持つ怪物ゲリオンを倒すには、まず居場所へとたどる着かねばならない。
ヘラクレスがゲリオンのもとへ行くには地中海を渡り、大西洋に入る必要があったが、行く手には巨大な壁がそびえていた。
地中海はヨーロッパとアフリカをつなぐ山塊によって外洋と切り離されていた。
ヘラクレスは山を迂回せず、通り抜けようと決めた。
剣の一撃で山を2つに割った。
ヨーロッパとアフリカがいかにして離れたかを説明するために生まれた神話だ。
以降両岸の崖はヘラクレスと結び付けられるようになった。
Struck「古代ギリシャ人がヘラクレスの柱と呼んだ絶壁の向うは未知の世界だった。」
古代の人々にとってヘラクレスの柱とは未知の海域単なる入り口ではない。
現実と神話を隔てる扉でもあった。

かつて大西洋を目指す船は皆、ヘラクレスの柱の間を通った。
近年の調査により、ジブラルタルの岩にある洞窟からは、ヘラクレスに関連付けられる古代の遺物が大量に発見されている。
炭素年代測定にかけるとどれも紀元前800〜400年ごろまでの約400年間に作られたものだと分かった。
この場所に集中し、置かれていたということは、ここに大きな神殿があったということ。
ギリシャの船乗りはヘラクレスのように未知の世界へと旅立つ前にこの神殿で無事を祈ったという。
柱の向うに何が待っているのか、誰も知らなかった。
神話のヘラクレスは不安を抱きつつ、未知の世界へと足を踏み入れた。
柱の向うには3つの頭を持つゲリオンと牛達がいた。
怪物は山の上から巨大な岩を次々に落としてくる。
だがヘラクレスには秘密兵器があった。
以前倒したヒュドラの血に浸した毒の矢だ。
狙いを定めて弓を引く。
ゲリオンは死んだ。

ヘラクレスは牛を手に入れ10番目の功業を成し遂げた。
次の試練は世界の果てへ行き、100の頭を持つドラゴンの農園から黄金のリンゴを採ってくること。
リンゴ、農園、危険な大蛇・・・聖書におけるアダムとイヴの物語にも似ている。
George「古代の物語に共通点が多いのは人々がお互いの話を教えあっていたから。」
ヘラクレスの物語における黄金のリンゴは皮肉にも宿敵ヘラのものだった。
George「ヘラのものというだけでなく、ゼウスとの聖なる結婚の象徴でもある。
ギリシャ神話においてリンゴと結婚は大抵セットで描かれる。」
ヘクレスはリンゴを探して何年もさまようが、いっこうに見つからない。
世界の果てへたどり着いた彼は重荷を担いだ神アトラスと出会う。

Milnor「アトラスはタイタンと呼ばれる巨人族の一員で、その仕事は天空という重荷を担ぐことだった。」
今でも耳にする世界を担うという言葉はアトラスの神話に由来するもの。
疲れ果て途方にくれたヘラクレスは黄金のリンゴの在り処を知っているアトラスに、代わりに天を担ぐのでリンゴを採ってきてほしいと頼む。
アトラスはリンゴを持ち帰ってきが、そこには罠があった。
ヘラクレスにもう天を支えたくないというのだ。
ヘラクレスはそれなら肩にライオンの皮をあてて担ぎなおしたいので少し持っていてほしいと頼む。
アトラスが再び天を担ぐと、ヘラクレスは立ち去ってしまった。
ヘラクレスはついにヘラの大切なリンゴを盗んだ。

自由を勝ち取るために残る試練は1つ。
だがそれには生きて帰れないといわれる場所へ行く必要がある。
ハデスが支配する死者の国、冥界だ。
その門を守る番犬、3つの頭を持つケルベロスを捕らえねばならない。
死者の国の王ハデスは人間の魂を全て管理している。
それを手伝うのがケルベロス。
ヘラクレスはハデスの前に進み出る。
番犬を地上に連れ出す許可を求めたハデスのあげた条件は1つ。
ケルベロスと素手で戦い、押さえ込むこと。
真の力が試される瞬間。
ヘラクレスは犬を地面にくぎ伏せる。
そして服従させた。
Stone「地獄の番犬を連れ帰ってくるなどとても常識では考えられない。
つまりギリシャ神話のヒーローとは生と死の秩序さえも揺るがすことのできる存在だった。」

ヘラクレスはついに贖罪の旅を終える。
立ちはだかる全ての障害を乗り越えたのだ。
凄まじい肉体的精神的苦痛にも耐えた彼は、晴れて安らぎを得られるはずだった。
ゼウスの私生児であるヘラクレスに対するヘラの憎しみは消えなかった。
女神の呪いから逃れる道はたった1つ、死ぬこと。
彼は巨大な火葬用の祭壇を設えた。
ヘラクレスはこの地上での障害を苦痛のうちに終えた。
死によってついにヘラクレスは救われた。
神々の王ゼウスは息子の労をねぎらい、永遠の命を持つ神としてオリンポス山に迎えた。
宿敵ヘラもついには彼を受け入れた。
ヘラクレスは復活し父の待つ永遠の王国に迎えられた。
この終わりはくしくももう1人の聖なる人の子イエス・キリストを思わせる。
Fontaine「ヘラクレスの最期は自己犠牲。
キリスト教におけるヒーローも苦しみの末に永遠の命を手に入れる。
自らを焼く火によって肉体が滅び、残った本質だけが天に昇る。」

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神々の戦い ゼウス

世界の派遣を巡って実の父親に戦いを挑み、比類なき力を手に入れた神ゼウス。
ギリシャ神話における最高の権力者。
現代人には神話でも、古代人には真実。
恐ろしい世界を解き明かすためのカギなのだ。
キリスト教の何世紀も前、ゼウスを唯一の神と信じる人々がいた。
神の怒りは大災害をもたらしたという。
古代より語り継がれたゼウスの神話。
その裏に隠された驚きに真実とは?

天空を制する者は世界をも制する。
ギリシャ神話でその力を独占した神はゼウス。
人間と神々を支配し、正義を行う者として統治する。
Kristina Milnor(Barnard College)「ゼウスには義務があった。
神と人間のどちらに対しても正義をもたらすこと。」
David George(Saint Anselm College)「ギリシャの人々にとって神を崇めるということは、神に破滅させられないように気をつけるということとほとんど同じ意味だった。」
天空の支配者ゼウスは自然の力を自由に操った。
最強の武器をも手にしていた。
Peter Struck(University of Pennsylvania)「ゼウスを象徴する強力な武器は雷。
これは他の神々とも一線を画する力だった。」
ギリシャの人々は雷をゼウスの力と考えた。
Michael Fontaine(Cornell University)「神話には不可解な自然現象を説明する役割もあった。」
自然界を支配し、ギリシャでもっとも恐れられた神ゼウスはいかにしてその地位についたのだろうか?

ゼウスが初めて書物に登場したのは紀元前700年ごろのこと。
ギリシャの作家ヘシオドスが書いた『神統記』、天地創造について記された古代ギリシャ版の創世神話。
ゼウスははじめ、神々の王ではなかった。
身を潜めて父から世界の派遣を奪う時をうかがっていた。
だがその道は激しい。
父の名はクロノス、世界を支配する神々タイタン族の王。
クロノスは王として新しい世継を期待されていた。
そこで肉親を妻に迎える。
自分の姉、同じタイタン族のレア
クロノスとレアの兄弟はギリシャの次世代を担う神々を生み出した。
彼らはやがてオリンポスの神々となる。
兄弟の中にハデス、ポセイドン、ゼウスがいた。
世界はただ受け継がれたのではなく、勝ち取られたのだ。
Milnor「クロノスは子供を持つことに不安を覚えた。
息子に地位を奪われることを恐れた。
自分の妻が赤ん坊を産み落とすと、すかさず奪い取って飲み下してしまう。」
Struck「神々は不死なので、飲み込まれた子供達はただ腹の中に閉じ込められているだけ。
彼らを支配し力をつけさせないようにすることが狙いだった。」
ギリシャ人にとっては身の毛もよだつ神話。
今も昔も人を食うことはおぞましい行為。

王妃レアは恐れていた。
すでに5人の子供が飲み込まれていながら今、再びみごもったのだ。
しかし今回は計画があった。
レアは抜け出して密かに息子を産む。
未来の神々の王ゼウスだ。
だがクロノスはまた子供を飲み込もうとしていた。
レアは夫に赤ん坊の毛布でくるんだ石を差し出す。
クロノスは何も考えず、その包みを飲み込んだ。
赤ん坊のゼウスはこっそりと運び去られ、洞窟の中に隠された。
印象深い神話だが、古代の人々にとってはカギを握る秘密の洞窟は実在の場所だった。(ideon Cave)
Ioannis Myonopoulos(Columbia University)「ゼウスが産まれたとされるのはクレタ島。」
George「ゼウス信仰の聖地だった。
ゼウスへの捧げものや儀式に使うものなどが大量に出土している。
地中海沿岸の様々な場所から持ち込まれたものだった。
この見事な盾はかつて洞窟の壁に飾られていたと考えられている。
赤子だったゼウスの護衛についた者が、こうした盾を打ち鳴らしてゼウスの鳴き声がクロノスの耳に届かないようにしたという神話を表している。」

かくまわれた特別な少年、キリスト教徒やユダヤ教徒にも親しみ深い物語。
Milnor「聖なる力を持つ子供が、身を守るためにかくまわれ、やがて成長して自らの運命をまっとうするという物語は様々な宗教や神話の中に見られる。
飼葉桶に寝かされたキリストはヘロデ王の追っ手から逃れ、エジプトで生まれたモーゼもかくまわれた。」
神話のゼウスは洞窟の中で密かに成長する。
運命の日に備えて少年期を過ごしたゼウスは、世界の派遣を巡り、父が率いるタイタン族に戦いを挑もうとしていた。
洞窟で立派な神に成長したゼウスは運命に従い権力闘争に立ち上がる。
父の横暴な振る舞いに復習し、腹の中からオリンポスの神々(兄弟)を助け出す。
そしてタイタン族の手から世界の派遣を奪うのだ。
非常に大きな賭けだった。
勝てば世界が手に入り、オリンポス山の玉座から人類と神々を支配できる。
負ければタルタロスに落とされ、永久に閉じ込められてしまう。
タルタロス、冥界のもっとも深いところ。
古代ギリシャにおける地獄。

天高くそびえる神々の居城オリンポスは実在の場所。
海抜3000mにも近いギリシャの最高峰。
超自然的な存在にはピッタリの場所。
ギリシャ人にとって神々の住む天空の宮殿がどこにあるのか実感することは重要だった。
ゼウスは本拠地オリンポス山でクロノスとタイタン族に対する反乱計画を練る。
究極の骨肉の争い。
最強の味方は5人の兄と姉、オリンポスの神々。
すでに成長していたが、今だクロノスの胃に捕らわれている。
オリンポスの兄弟が自由になればタイタン族を滅ぼす戦いに加わってくれるだろう。
彼らを助けるため、ゼウスは薬を調合する。
ゼウスはクロノスの寝室に忍び込み、寝酒の杯に薬を混ぜた。
それを飲んだクロノスは激しい吐き気に襲われる。
最初に吐いたのは赤子のゼウスの代わりに妻が手渡した石。
その石はやがて古代ギリシャでもっとも権威ある神殿の礎石にんったという。
それこそデルフォイの神殿、神のお告げが下る聖地。
神話のクロノスが吐き出したという石は数1000年の時を越えた今もまだそこにある。
神話ではこの聖なる石に続きゼウスの5人の兄や姉が吐き出される。
彼らはすぐさまゼウスの革命に加わった。
Struck「ゼウスの持ち味は、その優れた知性だった。
周りを説得し、リーダーに相応しいと認めさせ、連帯関係を築くことができる。」

兄弟を味方につけたが、タイタン族を倒すには兵力がまだ足りない。
実は他にもクロノスに恨みを持つ者達がいた。
クロノスの忘れられた兄弟だ。
貪欲な怪獣キュクロプス(cyclops)と100の手を持つ巨人達。
だが彼らは地獄に捕らわれていた。
ゼウスはタルタロスに向かい、捕らわれの巨人達を解放した。
巨人達はゼウスに感謝した。
相手を敬うことを知る彼の力量を認め、味方になることを申し出た。
キュクロプスは感謝の印としてゼウスに贈り物を授けた。
雷の力である。
John Rennie(Editor-in-ohief,Scientific American)「雷は自然界でもっともは快適な力の1つ。
雷が落ちる瞬間、周りの空気の温度は約28000℃にも跳ね上がる。
太陽の表面温度の約5倍。」
戦闘準備が整った。
タイタン族はオトリス山に、ゼウスたちはオリンポス山に陣を張る。
間に広がるのはテッサリアの平原。
この戦場も実在する場所。
紀元前5世紀のペルシャ戦争から20世紀の2度に渡る世界大戦にまで続く血塗られた歴史のある場所。
神々の頂上対決もここで繰り広げられた。

大量破壊兵器と精鋭部隊を味方につけ、世界を揺るがす戦争に乗り出すゼウス。
戦いの傷跡は今も実在の場所に残るという。
山の上から父親の軍勢めがけて激しい雷を打つゼウス。
衝撃は大地の底まで揺さぶった。
方や100の手を持つ巨人達が高くそびえる山々を引きちぎって投げつける。
方や荒々しい力にあふれるタイタン族は負けずに幾度となく襲い掛かる。
この壮絶な光景は単なる神話には終わらない。
近年の研究によれば、この恐ろしい事件は古代実際に起きたものだという。
およそ3600年前、ギリシャのサントリーニ島の火山で未曾有の大噴火が起きた。
Scott A.Leonard(Author,Myth & Knowing)「過去27000年においてもっとも大きな規模の地震現象。
凄まじい威力だった。
高さおよそ5600mの山が一気に吹飛んだ。」
2006年の調査で島の噴火は当初の推定より大規模だったことが判明した。
ビルの20階の高さにまで堆積した火山灰は、島の半径50km近くを覆いつくしたという。
強烈な噴火の威力はTNT火薬6億トンにも相当したと考えられている。
強烈な爆発はギリシャ世界のほとんどを壊滅させた。
火山の成り立ちを知らない当時の人々は、神の怒りに違いないと考えたはずだ。
神話における神場みの戦いはゼウスが世界の派遣を手に入れるための闘争だった。
味方の強力な支援により、オリンポス川の勝利はほぼ目前に迫っていた。
しかしタイタン族には奥の手が残されていた。
タルタロス族の淵から呼び出された巨大な魔人キュポン。
神と魔人のデスマッチ。
善と悪との一大決戦。
ぶつかり合うのは究極の力。
最後の一撃でキュポンとタイタン族の軍勢はタルタロスへ追いやられた。
灼熱の地獄で永久に過ごすのだ。
古代よりゼウスが敵の軍勢を地獄へと落とした場所は地中海の向こう側、シチリア島にあるエトラ山の河口と伝えられた。
そして地元の伝説によれば、何世紀にも渡って繰り返されてきた噴火の影にはキュポンの存在があるという。
ギリシャ人は神話によって火山から溶岩が流れているわけを説明しようとした。
ゼウスの雷の残りがあふれ出しているのだとも、キュpンの炎の息が火山から噴出すのだとも言われていた。
その上キュポンは激しい嵐を引き起こすといわれた。
事実その名はタイフーン(Typhoon)の語源にもなっている。
だが神話の中ではその暗雲もひとまず取り払われた。
父を倒したゼウスは神々の王、万物の頂点に立つ支配者となる。
この神話は現実とどう関わっているのだろうか?

2003年オリンポス山の麓で失われた神殿が見つかった。
Dionという古代の町。
その中心部にある神殿はゼウスに捧げられていたのだ。
神殿は紀元前5世紀ごろ建てられた。
あちこちで見られる大理石のブロックに刻まれている鷲。
古代ギリシャにおいて鷲はゼウスの聖なる紋章だった。
近くの川底から出土した首のない人物像、2400年前のこの像に彫られた言葉は“いと高きゼウス”。
この“いと高き”という言葉が専門家の間で議論を呼んでいる。
古代ギリシャの多神教信仰とキリスト教などの唯一神信仰をつなぐものだという説があるのだ。
キリスト教以前もギリシャ人は唯一の神を信じていたのだろうか?
Dennis R.Macdonald(Author,The Homeric Epicsand The Gospel of Mark)「ゼウスはしばしば最高神とみなされている。
名前の語源セオスは英語のデオスと同じ、神を指す言葉。
ここからもこの上なく高い存在であることがうかがえる。」
Struck「紀元前3〜1世紀にかけて哲学者や神学者の間で新たな説が唱えられるようになった。
神とは唯一の存在で、いろいろな神話は1つの神の持つ多様な側面を象徴したものに過ぎないという意見。」

Dionに集う信者にとってゼウスは他の神々とは別格の存在だった。
唯一の神と認められた可能性も高い。
神話のゼウスはついに頂点へと上りつめた。
だがその権力は予想外の敵に脅かされる。
神々の王は身近な存在に裏切られようとしていた。
Struck「古代ギリシャの神々には、親しみがもてる。
人類同様欠点もあり、強さも弱さも持っている。
実のところ、神々は非常に大きいというだけで、私達とそう変らないとする考えもあった。」
ゼウスの人間的な欠点は、性欲を抑えきれないことだった。
ゼウスは女性をものにするためなら何でもした。
変装させもいとわない。
Michael Fontaine(Cornell University)「ゼウスは女性達の前に様々な姿で現れる。
目的を果たすためにはどんなことでもやってのけた。
例えば鷲や白鳥、牡牛などの姿を借りることはもちろん。
ある女性の夫になるすますため、人間にも変身した。」
初めてゼウスの心を捉え、その妻となたのはメティスという若く美しい女神だった。
メティスという言葉はギリシャ語で実用的な知識を表す。
ゼウスは一目見て彼女に惹かれた。

だがゼウスの愛情は権力を脅かす不吉な予言によって限りを見せる。
メティスの産む子が父の王座を奪うと予言されたのだ。
突如ゼウスは自分の父同様、子供に恐怖を覚えた。
同じ目にあうまいと考えたゼウスは徹底的な手段にでることにする。
生きたまま妻を飲み込んだのだ。
家族の愛はまたしても権力の犠牲となった。
歴史は繰り返す。
だがこの所業によってゼウスはより強く、賢くなった。
Fontaine「メティスを飲み込むことで、彼女が持っていた洞察力や用心深さをも手に入れた。
ゼウスは妻を自分の一部として体内に閉じ込め、より高い知力を身につけることができた。」
Milnor「古代ギリシャの人々は知恵やものの考え方は胃袋の中に宿ると信じていた。」
メティスの後、新たな妻を求めたゼウスは父と同じように肉親から妻を選んだ。
姉のヘラだ。
他の女性達と違い、天界でもっとも権力のある女神。
王の后に相応しい。
Milnor「ゼウスとヘラは対等な関係。
この夫婦の間に生じる様々な衝突には、当時における見方が現れている。
同じ権力を持つ者同士が一緒になればこうなってしまうものだと考えたのだろう。」

ゼウスはありとあらゆる相手と浮気を繰り返す。
女神から人間まで数多くの愛人に100以上の子宝を授けた。
Struck「ゼウスの威信が高まるにつれ、様々な都市がこの神とのつながりを求めるようになった。
一族の女性が生んだゼウスの御子から地元の支配者の家系が始まったと主張する町が次々に現れた。」
今もギリシャ周辺の都市には関連付けの跡が見られる。
アテネ、デバイ、マグネシア、マケドニア、すべてゼウスの子供達の名前。
だがそんな勢力絶倫のゼウスにヘラは苛立った。
神話によれば、堪りかねたヘラは神々の王に火遊びの代償を払わせようと決意したという。
ヘラはオリンポスの神々を味方につけ反乱を企てた。
神々はゼウスを鎖で縛りつけた。
昼寝から目覚めたゼウスはベッドに縛り付けられ、体の自由を奪われていた。
かつて救い出した兄弟による陰謀。
その時かつての戦友が助けに現れた。
100の手を持つ巨人達だ。
ゼウスの弓状を知ってはせ参じ、神々が援軍を呼んでいる隙に鎖を切った。
クーデター計画を切り抜けたゼウスはついに反撃へと転じる。
ヘラは黄金の鎖で空に吊り下げられた。
息子のアポロンと兄のポセイドンには苦役が命じられる。
そして生まれたのが古代世界に名をとどろかすトロイヤの見事な城壁。
これもまた世の不思議を理解するための神話。
古代ギリシャの人々はあまりにも強固なトロイヤの城壁の秘密をアポロンとポセイドンの苦役によって説明した。
遺跡は今もそこにある。

神話のゼウスは歯向かう者に裁きを下した。
その憤怒の矛先は人類にも向けられる。
大洪水を引き起こした。
神の怒りは聖書のノアの箱舟の物語ともつながっているのかもしれない。
Tom Stone(Author、ZEUS:A Journey Through Greece In The Footsteps Of   Journey Through Greece In The Footsteps Of A God)「悪事を働いた人間は油断しているとゼウスの雷に打たれてしまう。
ギリシャ神話ではゼウスの怒りに触れて、国や都市がまるごと滅ぼされた例が数多くある。」
古代ギリシャの詩人へしおどすはゼウスへの畏怖がなければ人間界も弱肉強食の世界になってしまうと書いた。
自然災害が起きると悪い人間胃にするゼウスの天罰と考えられた。
何が最高神の怒りにふれたのか、それを説明する神話が生まれることもあった。

ゼウスがもっとも激しい怒りを見せたのは、人が人肉を口にした時と言われている。
ゼウスはこの所業と無縁ではない。
父に兄弟をすべて飲み込まれたのだ。
人の子が同じ行為に及ぶのを見たゼウスは激しく憤り、人類を滅ぼすことを決意する。
そして大洪水が起きた。
丸9日に渡って雨が降り続け、大地は少しずつ沈んでゆく。
水は2500m近いパルナッソス山の頂にも達した。
世界中の至る所で人類が死滅する。
雨がやんだ時、残された人間はわずか2人。
箱舟を作り、その中で生き延びたのだ。
旧約聖書に驚くほどよく似ている。

John Pennie(Editor-in-Chief,Scientific American)「世界中のありとあらゆる文明において、同じような大水害についての記録が残されている。」
神話に描かれた人類を壊滅させる大洪水は、実際に起きたことなのだろうか?
この10年ほどの間に驚くべき手掛かりが見つかっている。
およそ7000年前、氷河期の氷が急激に溶けた。
流れ出た水は黒海を溢れさせ、周囲の陸地およそ440000k屬魄豕い飽み込んだという。
ゼウスの洪水はここから生まれた物語かもしれない。
強敵を退け、権力の座に君臨した神ゼウス。
だが新たな脅威が現れる。
キリストだ。
1世紀世界に広まったキリストの教えにより、ギリシャの神々の権威は色あせていった。
キリスト教は死後の救済を約束した。
死後起こりうることについて教えと説き、人々に信じるべきものを与えた。
多くの人がそれを受け入れた。
地中海沿岸にキリスト教が広まるにつれ、ゼウスの力は弱まっていった。
かつて信仰を寄せた人々からも、ついには排斥された。
Struck「古代において神々の王ゼウスが逆らうことのできないたった1つの力は運命だった。」

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神々の戦い ハデス

死者たちの住む王国。
そこには支配者がいる。
その名はハデス(Hades)
名前を口にできないほど恐れられた神。
その神話からは古代ギリシャの死の概念がうかがえる。
誰も逃れることのできない唯一の運命。
現実世界との不気味な共通点、呪い、亡霊、秘密の儀式・・・
地下に広がる冥界へと我々を誘う古代の物語、ハデス神話に潜む真実とは?

緑豊かな牧場で花を摘む、若く美しい乙女ペルセフォネ(Persephone)は狙われていた。
突然大地が口をあけた。
暗闇から不気味に手が伸び、乙女は地の底に引きずりこまれる。
死者たちの神、ハデスの后に選ばれたのだ。
神話における死の神ハデス、どんな人間も死ねばその王国に入る。
David George(Saint Anselm College)「彼らを決して逃がさないのがハデスの役目。
ギリシャ人はハデスとのかかわりを恐れた。
ハデスの神話は死後の世界を理解するために生み出された。
Geroge「こうした神話は人間の死にたくないという気持ちを反映している。
古来多くの宗教において死んだ後も人間の魂は別の世界で存在し続けるという教えが説かれてきた。
ギリシャの宗教観においてもそれは同じ。」

神話によると死者は広く隠逸な冥界に入る。
そこは支配者にちなみハデスと呼ばれた。
Kristina Milnor(Barnard College)「キリスト教の考え方では地上での行いによってその人が死後に行く世界が変るといわれている。
生前によい行いをすれば天国に、悪事を働けば地獄におちる。
しかしギリシャ人はどちらの世界も地下にあると考えていた。」
冥界は3つの層に分けられる。
死者の多くはアスポデロスの野に下る。
名もなき人々が集る寂しい場所。
Milnor「カトリックにおける辺獄という考え方にもよく似ている。
ほの暗く静かで平和なところだが、木々は嘆き悲しみ、魂はあてもなくさまよう。」

神々にたてついた者はまた別の所へ行く。
地下およそ65000kmの深さに広がる奈落の淵。
炎の川に囲まれ、囚人を永遠の責め苦にさいなむ牢獄タルタロス
幸運の者にはハデスの第3の土地、楽園が待っている。
Renaud Gagne(Mcgill University)「至福の島と呼ばれた古代ギリシャにおける天国。
自然になっているものを好きなだけ食べられる。
労働することはない。
人々は常に喜びに包まれ、輪になって踊る。
小川が流れ、純粋な友情に満ちた場所。」
神話によれば最後はみなハデスの命に従わねばならない。
だがそのときがあまりに早いこともある。

ハデスはうら若き乙女のペルセフォネを誘拐し、冥界に閉じ込めた。
だが地上では絶大な力を持つ母親がペルセフォネの行方を捜し続けていた。
豊穣主デメテル(Demeter)、世界中の食料をつかさどる女神。
デメテルの神話は季節の変化と深いかかわりがある。
女神は娘の身に何が起きたのか知らずに地上をさまよい、悲しみのあまり大地に実りをもたらすのを忘れてしまう。
植物は枯れ、人の力で芽吹かせることはできない。
地上に長い冬が訪れた。
世界が永久に凍り付いてしまうことを恐れた他の神々は、ハデスにペルセフォネを返すよう命じる。
だがハデスには計画があった。
冥界の食べ物を口にすることができればペルセフォネを冥界の一員にできるということをハデスは知っていた。
ほんの少しと進められたザクロの種を食べたペルセフォネは知らずに運命を閉ざしてしまう。
その行為は世界全体に影響をもたらした。
ペルセフォネは毎年3ヶ月、冥界に住むことになった。
種1粒について1ヶ月、残りの期間は母親のもとで過ごす。
ペルセフォネが冥界に下りている間、デメテルは地上に実りを与えない。
ギリシャ人はその期間を冬と考えた。
娘が地上に戻るとデメテルは喜び、春と夏が来る。
ペルセフォネが冥界を行き来するたび、季節が変ると考えた。
ではどう出入したのだろうか?

アテネ北西、ギリシャの都市エレウシス郊外、古代この洞窟は死の世界の出入口とみなされていた。
生と死、そして現実と神話を隔てる境界。
Sarah Iles Johnston(The Ohio State University)「古代ギリシャで冥界の入り口といわれた場所は少なくない。
みなが地元に冥界の入り口があると言いたがった。」
その中でもエレウシスの洞窟は重要視されていた。
入り口付近の遺跡は神殿の跡だということが分っている。
見つかった1枚の石版にはシンプルな言葉が貼り付けられていた。
神と女神、その名を口にできない、神に捧げられたものだ。
祀られていたのは死の神ハデス。
エレウシスを聖地としたのが古代ギリシャ最大のカルト教団。
古文書によると信者は楽園への近道を求めて集ったという。
ハデスの王国で永遠の幸福を得るのだ。
George「教団は人々を死の恐怖から解き放とうとした。
これがキリスト教の土台となった。」
古代のギリシャにおける死の象徴、無慈悲な魂の管理者ハデスははじめからこうした姿をとっていたわけではない。

神々の宮殿、静けさを切り裂く赤子の声。
生まれた男の子はハデスと名付けられた。
父の名はクロノス、ギリシャを支配する神々タイタン族の王。
自分の子供達の誰かに殺されるという予言を聞いたクロノスは、これを阻止しようと決めた。
クロノスは生まれたばかりの息子を素早く飲み込んだ。
ハデスは兄弟と共に父のいの中で成長する。
だが1人クロノスの手から逃れた子供がいた。ゼウスだ。
成長したゼウスはやがて捕らわれていた兄や姉を助け出す。
団結し、オリンポスの神々となった兄弟は、親達から世界の派遣を奪うことにした。
タイタン族との頂上決戦。

ハデス、ポセイドン、ゼウス、3人の男性神が戦利品を分割することになった。
ハデスにとって決定的な瞬間。
神々の支配体制が永久に決まるのだ。
1番の年長者はハデス。
古代ギリシャの法律では、年長者に優先権があった。
だが末の弟ゼウスには、世界を支配するという野望があった。
ゼウスの野望とハデスの権利が衝突する。
兄弟はくじで決めることにした。
天界を引き当てたものが神々の王になるのだ。
くじが引かれる。
ポセイドンは海を得た。
ゼウスは天を得て神々の最高権力者となった。
しかしハデスが得たものは残された死者の国だった。
ハデスには悲劇の始まり。
ハデスの新居は暗く荒涼として死者の悲しみに満たされていた。
洞窟があり、川が流れるじめじめした世界。
この神話は現実に基いているのだろうか?

ディオス、ギリシャの地下数100km四方に広がる巨大洞窟。
川と洞穴の迷路は古文書の冥界の姿に驚くほど似ている。
Johnston「人々は洞窟のことを地上と冥界とをつなげる中間的な場所と考えていた。」
George「この地域の人々ははじめ、洞窟の中で暮らしていた。
外にでて家を建て、農業を始めるようになってからも、洞窟は聖地としての重要性を保ち続けた。」
ハデスは死後の世界を自らの王国に変えてゆく。
王の勤めは邪悪なものを罰し、善良なものに報いることだった。
死者の魂を管理するため、家来が集められた。

3つの頭を持つ獰猛な番犬ケルベロス、タルタロスの管理には100の手を持つ巨人達。
そしてもっとも忠実なる僕はカロン(Charon)
見回るのは憎しみの水路ステュクス川(Styx)
カロンの仕事は人々の魂を生きるものの世界から死者の住む冥界へと確実に送り届けることだった。
骸骨のようにやせ細り、悪霊を思わせる気味の悪い姿をしていた。
カロンの姿はやがて民間伝承の中でどこからともなく現れ、指差した相手を連れてゆく死神のモデルとなった。

カロンの前を通らずに冥界へは入れない。
その上誰もステュクス川をただでは渡れない。
死者はみな運賃を支払うことになる。
渡し守に支払うお金を持っていない霊魂はステュクス川のほとりを永遠にさまよわねばならない。
そのため古代ギリシャ人は亡くなった人の口の中やまぶたの上にコインを置いた。
儀式は不可欠なものだった。
コインがなければ魂は永遠にさまようことになる。
George「古代ギリシャ人にとっては深刻な問題だった。
多くの国家が埋葬の義務を果たさない者に対する罰則を設けていた。
家族には故人をこの世からあの世へと送り出す義務があり、これを怠れば死者は亡霊となって皆を襲うと考えられた。

幽霊の存在を信じるギリシャ人が残した手掛かりは古代のまじない人形。
墓地から発見された古代ギリシャの小さな鉛の像。
どの人形も手足が縛り付けられ、呪いの言葉が刻まれた小さな棺に入っていた。
Johnston「これらに刻まれたまじないの言葉は、死者や死の神を呼び出し、まだ生きている人物を苦しめてもらうためのものだった。
例えばボクシングの試合がある場合、相手の腕を動けなくするよう頼む。
ビジネスの分野でもよく使われた。
もし近所に商売敵が住んでいたら、死者に頼み、ライバルの仕事の邪魔をしてもらう。」
人形は冥界に入れないとみなされた死者の墓に入れられた。
さまよえる死者と呼ばれた人々の身代わりだ。
Johnston「幼くして死んだ人や殺人などで不慮の死を迎えた人、きちんと埋葬されなかった人など。
彼らの霊魂は冥界に入れず怒りや不満を抱えてさまよっているため、人に危害を加えやすいと考えられていた。」

冥界にたどり着いた霊魂は永久に閉じ込められた。
出ようとした者にはハデスの厳しい罰が下される。
それでも試みる者がいた。
山のふもとにいる痩せ衰えた1人の老人。
滝のような汗、浮き上がる静脈、彼の名はシシュポス(Sisyphus)
大胆にもハデスの意思に逆らった最初の霊魂。
シシュポスは人生を終える間際に死の神を騙そうと考えた。
Peter Struck(University of Pensylvania)「自分を埋葬するなと妻に頼んだ。
そのすれば冥界に入ることができず、あの世の手前で踏みとどまっていられる。」
シシュポスは死者の王より騙しやすい相手を知っていた。
王妃である。
Milnor「シシュポスは王妃ペルセフォネに、妻の行いを訴える。
夫の体をこれほど粗末に扱ってよいのか、ペルセフォネは同情し、彼の妻に腹を立てる。
そしてシシュポスが妻を叱るため、地上に一旦戻ることを許可した。」
シシュポスは不可能を可能にした。
死の神を欺き、自然の摂理を覆したのだ。
だが冥界の王は許さない。
ハデスを騙してただで済むはずはないのだ。
騙されたこのに気づき、怒りに燃えたハデスは即刻シシュポスを冥界へと引きずり戻す。

George「シシュポスは自分ならば神を欺き、死を欺き、自然を欺くことができると考えていた。」
古代ギリシャにおいては危険な考え。
死を欺く行為は社会をも脅かす。
George「死者はきちんと葬られ、閉じこめられるべきものだった。
彼らは生きているものから命を奪うと考えられていた。
死者がこの世をうろついていたら、寿命を吸い取られてしまう。」
死を欺こうとしたものへの罰は過酷で永遠に続くという。
シシュポスが送られたのは古代の地獄タルタロス。
灼熱の中巨大な岩石を山に押し上げるシシュポス。
1日が終わる頃、苦しみにあえぎながら頂上に着くが、石は転がり落ちる。
それを止める術はない。
シシュポスは来る日も来る日も同じ罰を受け続ける。永久に・・・
Struck「無意味な努力を永久に続けるシシュポスの物語から英語のSisypheanという言葉が生まれた。
極めて困難で終わりが見えない仕事などを表すことに使われる。」
シシュポスの物語には強いメッセージがある。
誰も死や自分の主人を騙せはしない。

シシュポスの後にも、あえて挑戦する者がいた。
その1人がオルフェウス(Orpheus)
世界1甘美な調べを奏でる音楽家。
音楽はハデスと戦う武器にもなった。
ビラと呼ばれる竪琴の名手でもあった。
George「ギリシャ語で歌い手を表すアオイドスという言葉には、呪文を唱える人という意味もあった。
つまりオルフェウスの奏でる歌には魔法の力が宿っていた。
オルフェウスが音楽より愛したものはたった1つ、若く美しい妻エウリディセ(Eurydice)
George「ギリシャの物語では必ず幸せな時に何かが起こる。
命に限り有る人の子の幸せとは、常にはかないものなのだ。」
ある日果物を摘んでいたエウリディセはサテュルスの目にとまる。
半分ヤギ、半分人間というおぞましい姿の好色な野獣。
サテュルスは襲い掛かった。
逃げ出すエウリディセ。
しかし追い詰められた。
おののき後ずさりするエウリディセが滑り落ちたのは毒蛇の巣穴。
オルフェウスが現れた頃にはすでに時遅く、妻はハデスの手の中にあった。
妻の死を受け入れられないオルフェウスはハデスの挑戦し、彼女を生きて連れ戻そうとした。
オウフェウスは地下深くを目指し、竪琴だけを武器にして危険な旅を始めた。
しくじれば妻を永遠に失うことになる。
だが成功すればヒーローだ。

オルフェウスはその美しくも悲しい歌でカロンを魅了し、ステュクス川を渡った。
だがその先にも恐ろしい邪魔者ケルベロスがいる。
3つの頭を持つ冥界の番犬。
震える指で竪琴をつま弾くオルフェウス。
ケルベロスはうっとりと聞き惚れ、音楽家を門の中に入れた。
だが最大の試練はハデスとの対面。
George「オルフェウスは偉大なる神派ですの前に進み出て音楽が神の心を動かすよう祈った。
彼は音楽家としての自分の力ではなく、音楽そのものの力を信じていた。」
オルフェウスは人類初の挑戦をする。
死者の心に魔法をかけようとしたのだ。
Milnor「美しく悲しい歌は、みなの心を打ち、ハデスさえも涙をこぼした。」
死んだ妻エウリディセが物陰から見つめていた。

音楽に心を動かされたハデスは、オルフェウスにチャンスを与えることにする。
George「ハデスは愛の力を知り、初めて敗北した。
人間にとって愛する者を失うとはどんなことなのか、永遠の命を持つハデスには理解できない。
しかしオルフェウスは音楽によって神の心を開き、妻を連れ帰る許可を得た。」
しかし1つ条件があった。
帰り道ではエウリディセがついてくることを信じねばならない。
疑って振り返れば妻は永久に失われる。
Milnor「オルフェウスとエウリディセが地上へ上ってゆくうちに、オルフェウスの心には疑いが芽生えはじめた。
エウリディセはついてきているのだろうか、自分はハデスに騙されたのではないだろうか・・・
そして地位上に近づくほど不安は大きく膨らんでいった。
あと1歩というところで耐え切れなくなったオルフェウスはついに振り向いて妻の姿を見てしまう。」
振り向いたその瞬間、彼女は冥界に引きずり戻されてしまった。
ハデスの絶対的な力が再び証明された。
だがその権威はさらに大きな存在からの挑戦を受ける。

神々の最後の対決、それを永久に記録するのは黙示録。
1人残されたオルフェウス、冥界から戻った音楽家ははてしない荒野を旅して、出会う人々に死の悲劇を歌ったという。
この神話は現実とどう関わっているのだろうか?
古代の墓地で、200年以上前から見つかっている謎めいた金の板。
Johnston「死者の口に載せて埋葬したようだ。
唇形の板に彫られたこれらの言葉は、死者の変わりに話しているという意味なのだろう。」
びっしりと彫られたハデスと冥界に関する文書は、そこに行った人物が道順を示すかのようだ。
ハデスの館の左には泉があり、魂が太陽のもとを去ったら気をつけて右に進む。
冥界の様子は神話のオルフェウスが書いた詩に由来すると言われていた。
古代の人々は死後の教訓としてオルフェウスの詩を使った。
ハデスの王国を知り、進むべき道を知るのだ。
それから数千年、冥界のイメージは変らなかった。
だが紀元後何世紀かのうちに新しい考え方が古い概念を覆す。
神ハデスにも新たなる力との対決の時が迫っていた。
イエス・キリストだ。
キリスト教にも古い秩序との壮絶な戦いの言い伝えがある。
神々の最後の戦い、決戦の舞台は冥界。
キリストがそこにいる魂を迎えに現れる。
Dennis R.Macdonald(Author'Does The New Testament Imitate Honer?')「ニコデモ福音書にキリストの冥府下りと呼ばれる話が登場する。
キリストは死後冥界に赴き、ハデスと対決する。
天国の王として現れたキリストは冥界の門を開け放ち、全ての人々の魂を天国へと導く。」
冥界でキリストは死者達に教えを説く。
やがて生けるものも死せるものもハデスを拒み、新たな救い主を受け入れる。
新しい秩序のもとで、死者達の王はどうなるのだろうか?

ハデスの最後はこの世の終わりと共に最初の黙示録に記されている。
George「黙示録によれば、死を超越する力を示すために、キリストはハデスを倒す。
そして死そのものを消しさる。」
最後の審判のため、キリストが再臨する時、ハデスは火の池に投げ込まれる。
ハデスにも市はいた魂達と同じ運命が待ち受けていた。
神でさえ、死の手から逃れることはできないのだ。

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都市と歴史★パリ


パリの歴史を物語るのは表通りではない。
それは路地裏や地下貯蔵庫、共同墓地などに隠されている。
パリは様々な技術によって何度も危機から救われてきた。
侵略の脅威にさらされた時、人々は壁を築いた。
川が干上がりそうな時は人工的に水をひいた。
革命が起きると二度と繰り返されぬよう、通りや広場の設計を変えた。
こうして数々の危機を巧みな技術で切り抜けてきた。
パリは人工の工夫により生き延びてきた街なのだ。
パリは丘やセーヌ川に遮られ、街は広がることがdきない。
高層化することもできない。
なぜなら地盤が弱く、高い建物がたてられないからだ。
パリの発展は科学技術の力なくしてありえなかった。

紀元前3世紀、ケルト系ガリア人のパリシイ族がセーヌ川に浮かぶ島に城砦を築いた。
紀元千58年この堅固な守りを初めて破ったのはローマ人だった。
彼らはこころ沼を意味するルテティア(Lutetia)と呼び、島と両岸を橋で結び、典型的なローマの街を作った。
そして範囲を左岸に広げた、現在のカルチェラタン。

ローマ史が専門のFlorence Saragoza「パリを設計したのはローマ人、自然のままの地形を最大限に利用した。」
川から離れた場所に集落を作り、洪水の被害を回避した。
やがてパリの街はローマ同様のつくりになる。
その名残は今もうかがえる。
Saragoza「ルテティアは帝国の中では小さな街だったが、共同浴場など、ローマ帝国特有の施設を備えていた。」
小さいながらも豊かな街だった。
2000年以上前、高度な技術で建てられた共同浴場には、毎日500人もの人が訪れた。
Saragoza「当時壁には一面に大理石の飾りが施されていた。
かなり広い空間。
当時共同浴場は大切な社交場だった。
入浴だけでなく、余暇の時間を楽しむ場所でもあった。
かなり大きな建物からは、当時の街の繁栄振りがうかがえる。」

辺境の都市ながら6000人もの人が住んでいた。
道路、住宅、闘技場などが次々と建設された。
街の中心には闘技場があった。
かつて健闘士たちがライオンやクマと戦った証拠が発見されている。
15000人の観客を収容できる施設。

しかし栄光は続かなかった。
紀元481年、現在のフランス人の祖先にあたるフランク族が街に侵入。
その後600年でパリの街は発展する橋や道路が増設され、交易の拠点となる。
侵略も容易になった。
ヴァイキングやイギリス人の襲撃にあう。
12世紀に即位した尊厳王フィリップ・オーギュストは外敵の侵入を防ぐため、堅固な城壁を築く。
今でも住宅の裏庭や路地にフィリップ兇琉龍箸寮廚うかがえる。
67本に及ぶ塔と城壁がおよそ2.8k屬量明僂鮗茲螳呂鵑澄

歴史家のRenaud Gagneuは、フィリップ兇諒匹魑瓩瓩動娚阿幣貊蠅砲燭匹蠱紊い拭
修道院の庭だ。
Gagneu「壁の特徴がよく残っている。
斜面に建てられている。
急いで造ったのだろう。
そこはデコボコだが切り石だ。」
壁の大半は壊れていたが、当時のまま残っているところもある。
石灰岩の切り石を手で1つ1つ積み上げている。
壁は高さが10m、厚さは2.5mで約45mごとに見張台があった。
フィリップ兇両詈匹牢莨罎世辰拭

Gagneu「どうやって壁を造ったか説明しよう。
まず切り石で壁を築く。
そして少し離してもう1枚壁を造り、その2つの壁の間に自然石を積んでゆく。
その辺に転がっている普通の石だ。」
城壁の一部がアパートの影に隠れていた。
石の積み方のてがかりになる。
Gagneuが10年以上かけて調べたところ、古い城壁は意外な場所に残っていた。
その地下駐車場では、12世紀の壁と21世紀の車が何気なく並ぶ。
上はコンサートホールで800年前の城壁のすぐ横で学生が音楽を楽しむ。
街の守りを固めたフィリップ兇麓分のために究極の要塞、つまり宮殿を建てる。

Catharine Brut「ここはフランス王の城。
王の権力を象徴している。
現在ではルーブル美術館として市民に親しまれている。
石造りの堅固な要塞であり、フランス王権の象徴。」
今日では美術館の地下に城の遺構がわずかに残っている。
当時はパリで最大の建造物だった。

フィリップ兇侶設した街を囲む城壁。
城の中心に位置するのは周囲46m、高さ30mの塔だった。
フィリップ兇没した1223年、当時街の面積は2.8k屐
多くの人が壁に守られた街に集った。
13世紀末にはパリは西ヨーロッパ最大の都市になる。

壁に守られ30万人が暮らす街はやがて危機に瀕する。
渇水、水不足に苦しむ街に意外な助っ人が現れる。
修道士の一団だ。
外観からは分らないがパリの街は数々の巧みな技術に支えられている。
13世紀になると職を求めて30万人を超す人々がパリの街に移り住む。
当時セーヌ川は夏の間干上がったが、この汚れた川が街の唯一の水源だった。
パリでは飲み水が不足した。
郊外のアパートに隠れた釣鐘形の塔がある。
地下6mの場所に導管が巡らされている。
中世の修道士が敷設した導管の半分は現存している。
修道士達は水源を探し出し、地下の導管を通して街の中央まで巧みに引き込んだ。
Gerard Duserre(Author)「ここは水の引き込みも、水源が導管より高いところにあるので、水はここから出て導管に入る。
そしてここに集り床の傾斜に沿って斜面を流れ落ちる。」
水は重力に従って導管に流れ込む。
段差で水は空気を含み同感の本船に流れ込むまでに勢いが弱まる。
ピーク時には1日に何百トンもの水が導管を流れて街の泉に運ばれた。
泉の周りの通りは導管に沿って走っている。
導水路という名のカフェまである。

Duserre「ほぼ5世紀の間、雨水とセーヌ川の水意外に街が使えるのはこの水だけ。」
しかしこれだけでは水は十分ではない。
この後パリは何百年もの間水不足が続く。
18世紀末まで水の供給はセーヌ川に頼っていた。
1人が料理や洗濯に使える水は1日わずか1リットルほど。
現在の使用量はその500倍。
1815年政府は抜本的な対策に乗り出す。
技師のルイ・ドミニク・ジラールに水不足を解決するよう命じる。
ジラールの天才的なひらめきのおかげでセーヌ川は枯渇せずにすんだ。
東部の田園地帯には豊かな水源があるが、パリまでは遠すぎる。
問題なこの水をどうやって街へ引くかだった。
ジラールが考えた策は水源とセーヌ川を運河で結ぶことだった。
水を供給できる上に船を使って街へ食料や材木を運べる。
しかしそれには問題がある。
人口が結え続けることを考えると、運河は常に満水に保つ必要がある。
船が通過するのに何万リットルもの水が失われる。
常に充填が必要。

ジラールの案は天才的だった。
付近の川の水をポンプで運河へ引き込むのだ。
しかし川は運河より低いため、水は斜面を上がらねばならない。
水理学は専門外だったがジラールが作ったシステムは今日も活用されている。
Clande Gaudin(Engineer)「水は水門を経てポンプ室へ流れ込む。
水が2つの巨大な水車を回し、大きなポンプを作動させて川の水を室内へ送り込む。
同時に別のポンプが水を流出口に押しやる。
押し出された水は10m近い高低差を上り、280m離れた運河へ流れる。」
驚くべき技術。
運河は田園地帯を100kmほど走り、パリの東から市内へ入り、街全体に水を供給する。
まずは噴水を満たす。
噴水の装飾は水を注ぎやすくするため。
もし運河がなかったら、パリの動脈セーヌ川はいつか枯れていただろう。

中世のパリでは問題は水不足だけではない。
フランスはイギリスとの百年戦争に疲弊していた。
国民的英雄ジャンヌ・ダルクの時代。
1453年ようやくイギリスがフランスから撤退、色と富を求める人々が新王が治める首都に押し寄せた。
1589年には通りに人が溢れるほどパリは人口過密になる。
渋滞も酷くなり、新しい橋の建設が不可欠だった。
そこで国王アンリ犬篭兇侶設を支持する。
“新しい橋”を意味するポン・ヌフ、セーヌ川で最初の石造りの橋だ。
当時の最新技術の橋は今ではパリ最古の橋。

今日では36の様々な橋がセーヌ川に架けられている。
ほぼ300mに1つ。
セーヌ川を下ると橋の歴史がたどれる。
ソルフェリノ橋はもっとも新しい歩行者用の橋。
100m強の川幅を1つの鉄のアーチで結んでいる。
両側の基礎を深く掘り、鉄橋を支えている。
ソルフェリノ橋は工場でパーツを作り、現場で組み立てた。
支柱はクレーンで位置決めし、溶接した。
Marc Mimram(Architect)「チュイルリー公園を散策した人が橋にたどり着き、橋を上り中央まで行く。
現地もあるので一休みした後、オルセー美術館へ行ける。」

設計者Mimramはまずコンピューターでシミュレーションした。
それにより橋に使う鉄材を最小限に抑えた。
Mimram「なるべく薄くすっきりした橋を造りたかった。
溶接だからこそ可能なこと。」

ポン・ヌフは全長278mを12のアーチでつなぐ。
川の真ん中にあるシテ島の西端を貫き、両岸を結んだ。
石を支えるため、深い基礎が必要だった。
川岸ではなく川床に直接基礎を置いた。
それが可能だったのは当時の特別な事情から。
Pierre Bauda(Engineer)「アンリ犬了代、セーヌ川は夏に干上がった。
基礎工事は夏に行われた。」
乾いた川床なら簡単だがそれでも手間取る。
工事が行えるのは1年で夏の3ヶ月のみ。
1つめの石の橋だったので工法の開発が必要だった。
Bauda「木の足場を組んで楔形にカットした石をアーチになるよう1つずつ積んだ。」

使った石は街の外の採石場からはこんだものではなく、街の地下を掘ったものだった。
石を求めて掘った穴が今も街の下に迷路のように残っている。
深いところで地下15mほどで、パリ盆地の古い地質がよく分る。
Philippe Thevenon(Archaeologist)「ここは12〜15世紀にかけて採掘された。
4600万年前の地層、硬い石灰岩の層はパリの街が海底だった頃の地層。
これが海の堆積物、海が後退して残された。」
このため石灰岩は丈夫で耐水性がある。
橋にピッタリの建材が手近で見つかったわけだ。
しかし切り出し作業は辛く危険なものだった。
Thevenon「大勢の人が怪我をしたり、死んだりした。
採掘場で働く人のための病院が建てられたほどだった。」

石を地上に運び出す方法は?
Thevenon「16世紀建設業者が石の形を注文すると、まず1トンほどの塊を切り出した。
機械のない時代に石を切り出すのは力と忍耐が必要だった。
断層線に沿って水平方向に切り込みを入れる。
寝転んでの作業。
それから両側を切る。
それでも自然に落ちない場合はクサビを打ち込む。
取れた石は丸太で滑らせ穴の下まで運び、地上にいる人間が巻き上げ機で引き上げる。」
ポン・ヌフの石の1つ1つがこうして切り出された。
橋の建設には30年かかった。
その後200年の間多くの人がポン・ヌフを渡った。
毎日歩行者80000人と馬車25000台が通った。
この橋のおかげで街中を楽に移動できるようになった。
400年以上経った今も健在。

ルネサンス期の高い技術をもってしても橋を維持するためには時折大改修が必要。
ピエール・バウダーのチームはポン・ヌフの飾り部分の担当。
バウダー「グロテスクな顔型は建設当時からのもので、おそらく石工が署名代わりに刻んだのだろう。
全部で384個あり、そのうち1つは女性。」
地下から掘った医師を建造物に使った街は、世界でもパリくらいだろう。

太陽王ルイ14世の時代、彼はパリから20km離れた郊外にヴェルサイユ宮殿を建て、王制の中心とする。
荒廃した街は王にふさわしくないとパリを捨てた。
18世紀末のパリの公衆衛生は最悪の局面を迎えていた。
そのためフランス革命の前に、パリはある奇妙な問題に直面する。
死者の反乱だ・・・
1785年パリの人口は60万人に膨れ上がり、街の中心部はスラム化した。
貧困に苦しむ人が増え、不衛生な状況下で病気が蔓延してゆく。
平均寿命は40歳で死と隣り合わせの生活だった。
遺体は市内の複数の墓地に埋められるが、すぐに腐った死体で溢れた。
公衆衛生は益々悪化した。
悪臭が病気になると信じられていたため、ついに命令が出される。
“死体を市内から撤去せよ。”
遺骨は採石場跡に運ばれた。

Gills Thomasはこの時代の研究家。
Thomas「最初に映されたイノサン墓地は22の教会が10世紀に渡り使ってきた墓地。
死体は高さ3mまで積まれ、飽和状態だった。」
当時は誰も知らなかったが死体の上に雨が降ると有害な最近が地中にしみ込み、地下水が汚染される。
Thomas「18世紀末、共同墓地がいっぱいになり、珍事が起こる。
ある人が自宅の地下に降りたら墓地からあふれた死体が転がっていた。
そこで墓地から死体を移した。」
墓掘人は2年に渡りイノサン墓地の遺体を毎晩掘り起こした。
不気味な作業を司祭が見守る。
遺体は街から十分離れた地下墓地に移された。
建設用に石を掘り出した後の閉鎖された採石場が使われた。

Thomas「作業は夜行われた。
荷車に人骨を山積みにし、黒い布で覆った。
司祭が清めの言葉を唱える。
イノサン墓地はパリで最大の墓地だったため、特に時間がかかった。
困ったことに最初に出てくるのは真近に埋められた遺体。
腐乱していないので下の遺体を掘る間服を剥ぎ石灰をまぶす。」
遺体の身元は可能な限り記録して納骨の数を明らかにした。
Thomas「骨を並べる時のルールは石の壁と同じ。
長い骨を積んだ後ろに細い骨を投げ入れる。
壁には特別に頭蓋骨が飾られる。」
18世紀死は現代と違いタブーではなく、人骨で壁を飾ることに抵抗はなかった。
この地下墓地は最後の安息地と考えられた。
1786年4月イノサン墓地からここに遺骨が移された。
まさに最初の遺骨。
パリ市内の全ての墓地から遺骨が消える。

600万人分の遺骨が慎重に地下納骨堂へ移されている間に、新たな別の反乱が起きた。
1789年フランス革命が勃発すると、パリの通りは民衆に占拠された。
バスチーユ監獄の襲撃は有名。
貴族や王政支持者が捕らえられ、処刑された。
恐怖政治の始まりだ。
そして王制から共和制に変り、1804年ナポレオンが皇帝に即位する。
彼は帝国の都にふさわしくパリの街を広げ、ナポレオン軍の勝利をたたえる凱旋門を建てる。
しかしパリを大改造したのは彼の甥・ナポレオンだった。
1850年にはパリの人口は100万人に達し、人口がかなりの過密状態となった。
交通が渋滞し経済活動が滞る。
ナポレオン靴魯僖蟆造計画に着手。
道幅を広げ交通の流れを改善し、犯罪を生むスラムを一掃する。
ナポレオン靴ウージューヌ・オスマン(Georges-Eugène Haussmann)を責任者に任命。
課題はパリの街を近代化して反乱を防止することだった。
パリの道は狭く排水溝がむき出しで、水道もない。
夜は人通りがとだえ、真っ暗な上にゴミだらけで怖くて歩けなかった。
昔の通りは有名な建物の近くに残されている。
ノートルダム大聖堂の傍に古い町並みがわずかに残っている。
道幅は狭く、貧しい人々が何十万人も住んでいた。

取り壊す前に住民をなんとかせねばならない。
大半の中産階級と同様、オスマンも彼らを追い出さねばと考えた。
土地を買い上げ、重心を追い出して道路網の整備に注力した。
鉄道の開通に伴い、主要な駅を広い通りで結べば移動が容易になる。
パリは鉄道路線によってそれぞれ別の場所に駅があり、ある地方からパリ経由で別の地方へ向かう場合、乗り換えが不便。
北側の2駅と街の中心を結ぶ通り、道幅は広く、歩道に余裕があり、街路樹が植えられた。
これらを基本にオスマンは街の縦横に幹線道路を走らせた。
また凱旋門から放射状に伸びる通りの数を増やし、シャンゼリゼ通りを拡張した。
渋滞がなくなれば街も経済も発展するはず。

街全体が建設現場となった。
スラム跡にはオスマン好みのアパートが建てられた。
高さはちょうど20m、オスマンは建物が整然と並ぶ近代的な街並みを造るべく、建物の正面にこだわった。
典型的なオスマン式の建物、1階には商店が入っている、中2階と2階はバルコニーが広め、3,4階はバルコニーが小さめ。
5階は借り手も中々つかない。
当時はエレベーターがなかったからだ。
でも広いバルコニーからの眺めはよく、新鮮な空気も入った。

街の改造には裏の目的もあった。
広くてまっすぐな道だと、軍が動きやすいのだ。
オスマンは反乱を治めやすい街を造ろうと考えたのだ。
街の東に騎兵隊を駐留させることにした。
今まで多くの反乱が発生したこの地区に軍が目を光らせるためだ。
そのためには大通りが一望できねばならない。
4.8km先の歩兵隊と連絡をとるためだ。
しかし新たに道を造るとなると、運河が邪魔になる。
橋を渡せば視界を遮り反乱者にとってバリケードを作るのに好都合となる。

オスマンが考えた解決策は運河を2km近く地下に通すという大胆なものだった。
これで橋は必要ない。
この難しい工事は完成に2年を要した。
当時まだ電気はなく、船は地下の真っ暗な運河を通ることになる。
技師らは光と空気を確保する妙案を思いつく。
Eric Pons(Engineer)「この地下道には標識意外に電気の照明はない。
天井の明り取りから外光が入る。
明かりに導かれ、船は安全に航行できる。
今でも使用されている。」

整備に伴い人口はさらに増加する。
そうなるとまた不衛生な街になりかねない。
そこで地下の改造も行う。
街の中心の噴水の下から下水道の整備を始めた。
パリの地下には通りをなぞるように下水道が走っている。
地上の地番を示すプレートがあり、道に迷うことはない。
水量は数分で劇的に増える。
道路が交わるところでは下水道も連結している。
下水は勢いよく流れこむ。
道が細ければ下水道も細い。
また下水道は水道管を通すのにも使われた。
どこにどの建物があるか、地下からでも簡単に分る。
住人はネズミだけ、彼らは何でもかじる。
強盗団が地下道から穴を掘り、切手商の店に盗みに入ったこともある。

オスマンは30年足らずでパリを激変させた。
新しい道路網で始めて街中が結ばれる。
市域が拡大され、パリの人口はさらに増える。
そして公園が造られ、初めて市民に憩いの場ができた。

街を改造しつくしたオスマンにも為しえなかった偉業を実現させたのがG.エッフェルだった。
1889年に建ったエッフェル塔は今やパリのシンボル。
鉄の梁をボルトでつないだ塔は、当時世界1他界建造物だった。
パリは世界の注目を浴びる。
建設ブームが起きてエッフェル塔と同じ技術の橋がセーヌ川に架けられる。
鉄という新しい素材が優美な装飾に彩られ、街の歴史に花を添える。

オスマンはその計画の中で、街の人口が最大300万人に達すると予想した。
オスマンは知らなかったがパリはもう1度侵略に遭うことになる。
1940年パリの街は再び敵の手に落ちる。
ヒトラー率いるナチス軍が大通りを行進し、街の中心部へ入る。
4年の占拠の間、街の建物は破壊しなかった。
しかし1944年撤退に際し、ヒトラーは破壊を指示した。
指揮官は従わなかった。
米軍が解放した時、パリはオスマンの時代のままだった。
戦後パリは再び優美な魅力を誇る街になる。
地下には地下鉄が走り、街と郊外を高速で結ぶ。
地上では時間が止まったかのようにオスマンが描いたままの街並みが広がる。
それも1972年までのことだった。
59階建ての高層ビルが建てられたのだ。
モンパルナスタワーは20世紀パリの斬新な試みだったが、以後高層ビルの建設は禁止された。
1つのビルが嫌われ、摩天楼の夢が断たれた。

しかし法律が変っても高層ビルを建てるのは難しい。
街の下には石を切り出した採石場の跡が何千とある。
パリの地下はチーズのように穴だらけ。
地下道ばかりで地盤が弱いため、高層ビルの建設には向かない。
高層ビルはパリのはずれのラ・デファンス地区に集る。
ここは現代建築の宝庫。

第二次世界大戦以降、歴代大統領は印象的な建物を残す。
高層ではないが話題性のある建物。
ポンピドゥセンター、エレベーターと空調がむき出しの斬新なディザイン。
ルーブル美術館のガラスのピラミッド・・・

パリの街は目に見えない技術に支えられている。
優れた技術が本来生活に適さない場所を魅惑的な都市に変えたのだ。

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Dive to Xibalba マヤ文明 謎の水中洞窟


マヤの神話ポポル・ヴフ「これは最初の物語である。
まだ人も動物も採りも魚も蟹もいなかった。
森も石も田にも崖も草も木もなく、ただ穏やかな海と無限の空の広がりだけがあった。」
ジャングルに栄え消えていった謎の文明、マヤ文明。
その遺跡の近くには不思議な穴が口をあけている。
セノーテと呼ばれる地下水をたたえた泉だ。
セノーテの奥深くで、おびただしい数の人骨が見つかっている。
それはおよそ1000年ほど前の古代マヤ人の遺骨。
さらにマヤの大地に数多くある洞窟からも続々と人々の痕跡が見つかっている。
闇に潜む古代マヤの地下世界。
その謎を解くカギはシバルバー(冥界 Xibalba)、神話で語られる地下の冥界にある。
この物語から古代マヤのミステリーが読み解ける。

うっそうとしたジャングルがどこまでも続くメキシコユカタン半島。
その所々に口をあけているセノーテと呼ばれる泉。
その数3000以上。
この鏡のような水の中にマヤの大地ならではのミステリーが潜んでいる。
ジャングルの下に口をあけたセノーテ、地表から10mほど下りた窪地に限りなく澄んだ水がたたずんでいる。

青く輝く光のカーテン、驚くほどの透明度、大地が濾してきた地下水。
セノーテの中には生き物達も数多く住んでいる。
ところどころに見つかる陶器の破片。
古代マヤの人々がこの水を古くから利用してきた証。
セノーテの奥に横穴が開いている。
不思議な形の鍾乳洞。
セノーテの奥は水中の鍾乳洞になっていた。
ミステリアスな水中洞窟はどこまでも続いている。

セノーテから続く水中洞窟の奥深くを調べている人たちがいる。
Fred Devosさんらメキシコ洞窟探検プロジェクトのメンバー。
洞窟潜水ならではの特殊な機材を持ち込む。
デボス「空気を吸う装置レギュレーター、ホースはとても長くなっている。
もし相棒の空気がなくなったらこれを渡す。
彼は私のタンクから空気を吸い、私は予備を使う。
こうすれば2人とも洞窟から抜け出せる。」
Fredたちが調査しているのはユカタン半島東部オシェ・ペル・ハというセノーテが密集するエリア。
セノーテの奥の水中洞窟は果たしてどうなっているのだろうか?
水中スクーターで出発、泳ぐ3倍の速度で進むことができる。
横穴の入り口に着いた。
ここから先は泳いで進む。
初めて入る洞窟では、ガイドラインというロープを張りながら進む。
複雑に枝分かれした水中洞窟、万一道を失ったら生きて帰ることはできない。
さらに天井まで水で満たされているため、何が起きても浮上して空気を吸うことはできない。
ライトが生き物の姿を捉えた。
ムカデエビ、暗闇のなかで暮らすため目がない。

迷路のような洞窟で進路を決める方法がある。
ダイバーがほんの少し底の塵を舞わせた。
すると塵は左から右へと流れてゆく。
調査は下流から来たのでここでは左、上流のほうへと向かう。
また生き物を見つけた、目がある魚、ということは・・・
洞窟の向うに光、出口だ。
セノーテは地下の横穴で別のセノーテにつながっていた。
Fredたちが12年かけて明らかにいした水中洞窟の全容:総延長は180km、100以上のセノーテが口をあけていた。
マヤ文明の大地の下には巨大な水中洞窟が網の目のように広がっていた。
水中洞窟はどうやってできたのだろうか?
それはユカタン半島の地質と関係がある。
この地は土が浅く、地面を掘るとすぐに白い岩が現れる。
石灰岩、鍾乳洞を作りやすい性質がある。
ここは亜熱帯のジャングル、雨季になると毎日のように激しい雨が降る。
それを石灰岩の大地が吸い取ってしまう。
こうして地下にしみこんだ雨水が石灰岩を溶かして鍾乳洞を作る。
やがて地下水の水位が上昇、鍾乳洞は水没し、水中洞窟になった。
そして地表が陥没し、地下水が表にでたところがセノーテになった。
雨が降っても地下の水中洞窟に吸い取られてしまうため、ユカタン半島には川がない。
大地にあわせてマヤ文明は独自の発展を遂げることになった。

ユカタン半島北部ソノット・ポシュ村、古代マヤの末裔達が暮らす村。
村の最長老ウンベルト・パラノイクさんが、村の中にあるセノーテを案内してくれた。
「昔は水はセノーテに頼っていた。
今は人が増えたから井戸を使っているが、井戸もセノーテにつながっているので今もこのセノーテの水が頼りなのさ。」

ウンベルトさんの家はセノーテのすぐ横にある。
マヤの人たちの主食は大昔から変わらずトウモロコシ。
セノーテの水に石灰をいれ、沸騰させてふやかす。
こうすると硬いトウモロコシの皮が柔らかくなる。
それを挽いて焼き上げると、マヤの人たちの主食Tortillaのできあがり。

川のないユカタン半島では、セノーテが命の水だった。
この地の文明はセノーテの水によって支えられてきた。
ユカタン半島のジャングルに花開いたマヤ文明前の昔から、16世紀にスペインの侵略を受けるまで、2000年ほど続いた文明。
高さ51m、エジプトのピラミッドをはるかにしのぐ傾斜でそびえる神殿。
神殿をちゅうしんに何万もの人が暮らす都市がいくつも築かれた。
都市を治めた王の墓、富と権力の象徴、翡翠で飾られている。
こうした高度な文明の基盤になったのが古代マヤ独特の水利用の知恵だった。

3月21日春分の日、世界各地から大勢の観光客がチチェンイツァ遺跡に集る。
この日古代マヤの人々の水利用の知恵を物語る特別な現象が起こる。
それが起こるのは大蛇の頭をもつ階段。
午後3:30、日が傾き始める。
ピラミッドの陰が大蛇の階段の壁に伸びてゆく。
光があたっている部分が大蛇の胴となった。
あたかも天から大蛇が降りてきたかのような現象。
豊穣の神ククルカンの降臨と言われている。
春分を過ぎると雨季が近づく。
それを確実に知らせるための壮大な仕掛け。

降臨したククルカンが向いているその先にはさらに神聖な場所がある。
それは聖なるセノーテ、20000人を超すこの都市の貴重な水源だった。
そしてここである儀式が行われていたこどが分っている。
セノーテの水の底からみつかった儀式の証は、ダンボール箱に収められている。
中に入っているのは人骨。
その中には不自然な傷をもつものが多くあった。
ヤルメン・ピフォアン(メキシコ人類学博物館 特別研究員)「黒曜石のナイフでつけられた傷。
生贄にした後、頭の皮をはいだ。生贄の儀式が行われた証拠。」
ある頭蓋骨には小さなひっかいたような傷がある。
生贄にしたあと、石のナイフで頭の皮をはいだためについたと考えられている。
子供のあごの骨には後ろに大きな傷がついていた。
石斧で首を切り落とそうとした跡だ。
セノーテは古代マヤの人々が生贄の儀式を行う場所だったのだ。

セノーテと生贄、古代マヤ最大のミステリーを解くカギが残されている。
Popol Vuh、マヤの世界の始まりを物語る神話。
ハイライトはまだ人類が生まれる前、Xibalbaと呼ばれる地下の冥界で繰り広げられる物語。
主人公の双子の兄弟が地下の冥界Xibalbaに赴き、そこの主と戦う。
物語の中で繰り返される生と死。
それを読み解くことでマヤの人々の死に対する考え方が見えてくるという。

「私の名前はロヘリオ・エスピノ・サ・テ、皆からはドンパコと呼ばれるシャーマン。
古のマヤの教えを伝えることを生業としている。
Popol vohで語られる冥界Xibalbaは地下にある。
現実の地下である洞窟やセノーテを私達は先制な場所と考えてきた。

Xibalbaへの道
遠い遠い昔、この地上にはHun HunahpuとVukubahpuの双子の兄弟がいた。
2人は古代まやの球技ペロータに夢中だった。
ある日地上の球技の騒ぎをXibalbaの主が聞きつけた。

「なんだこれは、地上では何をしているのだ。
こんなに大地を揺るがし騒ぎ立てているやつは一体誰だ。
今すぐ探し出して連れてこい。
ここでペロータをやらせろ。
俺達が打ち負かしてやる。」

Xibalbaの主の命令に従い、2人は球技の道具を形見に残し出発した。
2人はXibalbaに向かって急な坂道を下っていった。
途中、行く手を遮る大きな水を渡らねばならなかった。
なんとか渡りさらに行くと、4色の十字路にさしかかった。
すると西に向かう暗い道が言った。
「こちらが選ぶべき道、主の道ですよ。」
こうして彼らはXibalbaへと導かれた。」
双子の兄弟が下った地下の冥界Xibalba、そこはXibalbaの主とその手下達が支配する死の世界だった。
そこで双子の兄弟は主から課せられた試練を乗り越えられず殺されてしまう。
そして生贄として捧げられてしまった。

古代マヤの人々が信じた冥界Xibalba、2年前神話の中のXibalbaを映したかのような洞窟が発見された。
オクトゥンという町のはずれにぽっかりと開いた穴。
調査を行ったユカタン大学Guillermo de Anda、これまで数多くのセノーテに潜り、潜水調査を行ってきた水中考古学の第1人者。

2年前地元の人の案内でこの洞窟に入った。
Guillermoはすぐにただの洞窟でないことに気づいた。
それは入り口から100mほど進んだ場所でのことだった。
道、石を漆喰で固めた古代マヤの歩道路サクベだ。
本来サクベは都市を結ぶ地上の幹線道路。
人が通わない地下に作るのはほとんど例がない。
サクベは洞窟が水没している地点で行き止まりになっていたが、Guillermoはさらに先に進めるのではないかと考えた。

神話ではXibalbaに行く途中、大きな水を渡ることになっている。
この水も向うに渡れるのかもしれない。
中は驚くほど透明な水。
不思議な鍾乳石を見ながら進む。
この水の中からGuillermoは人骨を見つけている。
間違いなくここまで人が着ていた証拠。

50mほど泳ぐと水は浅くなってきた。
この先は再び水のない洞窟が続いている。
Popol Vuhの物語のように、水を渡ることができたのだ。
この洞窟の構造・・・サクベに導かれ水をくぐった先にはまだ洞窟が続いていた。
神話では大きな水を抜けた先にXibalbaへの道があった。
Guillermoは洞窟のさらに奥を目指した。
洞窟はまっすぐに奥へと延びていた。
その方角は西。
マヤの世界で西は重大な意味がある。
古代から今に至るまでマヤの人々は方角に色をつけ、意味づけてきた。
東は赤、太陽が昇ることから生命の象徴。
南は黄色で北は白、西は黒、太陽が沈むことから死を意味する。
神話Popol Vuhの地下の冥界Xibalbaへ続く道も黒だった。
死の方角である西にまっすぐ延びる洞窟。
そして西へと延びる洞窟の一番奥、おびただしい数の白く輝く鍾乳石があった。
ここまで来た古代マヤの人々はこの美しさに触れ、冥界のイメージをさらに強めたかもしれない。
洞窟は再び水没し、地下深く消えていった。

セノーテ・アンヘリータ、水深30m、流木が沈み、霞のようなものが漂う水底。
ところが底に人が吸い込まれてしまう。
不思議な底・・・濁った水の層だった。
濁りの層の下、再び透き通った水、そして水深40mに本物の底、音も光もない暗黒の世界はまるで冥界Xibalba。

双子の英雄、Xibalbaでの試練
XibalbaでHun Hunahpu達は殺されてしまった。
Hun Hunahpuは生贄にされ、その首は木に吊るされた。
すると奇跡が起きた。
1度も実らなかった木がたちまち実でいっぱいになった。
不思議な気に誰もが驚いた。
たまらずXibalbaの主は命じた。
「誰もこの木に近づいてはならぬ。
この木のもとに座ろうなどと思わぬことだ。」
ところが1人の娘がこの木下にやってきた。
首だけになったHun Hunahpuは娘の手に唾を吐きかけこう言った。
「唾には私の子孫が込められています。
死というものは死んで失われるものではなく、受け継がれてゆくもの。
さあ地上に上がってお行きなさい。」
そしてみごもった娘は地上に出て双子の兄弟を産むことになる。
この不思議な生まれの双子の兄弟こそ神話の主人公HunahpuとXbalanque。
2人はやがて立派な青年に育つ。
しかし彼らにもまた、父親と同じ運命が待っていた。

HunahpuとXbalanqueは父親と同じように球技ペロータをしていたところをとがめられ、Xibalbaに下ることになった。
しかし父とは違い全ては分っていた。
Xibalbaへの道も主の名前も、そして待ち受けている試練さえも。
Xibalbaの連中は最初の試練、闇の部屋で2人を打ち負かすことができると考えていた。
そして生贄にしてしまおうと考えていた。
2人が真っ暗な闇の部屋に入ると主の使者が燃える太陽と葉巻を持ってきた。
「これはおまえ達の明り取りの松明だ。
ただしこの松明を明日の朝、燃やしきることなく形を崩さずこのまま返せ。」
そう言って使者は去り、最初の試練が始まった。
2人には策があった。
松明には火をつけず、赤いオームの羽根をつけた。
番人達にはこれが松明が燃えているように見えた。
葉巻の先にはホタルをつけた。
このような知恵でHunahpuとXbalanqueの双子の強大なXibalbaの主が仕掛けた最初の試練を乗り越えた。
そしてさらなる難題に立ち向かっていった。
次の試練は槍が襲ってくる石槍の部屋だった。
しかし石槍にあらゆる動物の生贄の肉を約束して切り抜けた。
血に飢えたジャガーが巣食うジャガーの部屋では、骨を与えて乗り切った。
炎の部屋では火を移して炎を避け、自分達が焼かれることはなかった。
コウモリの部屋ではHunahpuが首を落とされ大ピンチに陥った。
しかしイノシシやヤマアラシ達の協力を得て首を取り返し、Hunahpuは粋をふきかえした。
Xibalbaの連中はあらゆる試練を双子の兄弟が乗り越えてきたことに驚き、2人の知恵と能力に恐れおののいたのだった。

Xibalbaと古代マヤ人の深いつながりを物語る新たな発見があった。
その遺跡はかつて入植者の農園だった畑の一角にある。(ツィビチェン)
Guillermoが2年前に発見した洞窟。
中に入ると洞窟は下へ下へと下ってゆく。
雨季になると深さ5mの大きな水溜りができるという。
そこを越えると高さ8mの急な壁が立ちはだかる。
上った先に鍾乳石に囲まれた小さな空間があった。
天井からは鋭く尖った鍾乳石。

Guillermo「これはまさに神話に出てくる石槍の部屋そのもの。
古代マヤ人はこうした洞窟に行って語り合い、想像をめぐらせていたに違いない。
そして神話が誕生したのだろう。
真っ暗で湿り気があり、そして美しい。
下界から隔離された不思議な場に触れ、特別な感情になることが神話の形成につながったのだ。」
双子の兄弟が最大の試練を受けたコウモリも、洞窟によく見られる生き物。
闇の部屋は真っ暗な洞窟。
炎の部屋は地熱で熱い洞窟。
Popol Vuhで兄弟が試練を受けた部屋は洞窟の様々な特徴が発想の源になったとGuillermoは考えている。
新たに発見されたこの洞窟で、石槍の部屋に相当する場所は中央付近にあった。
コウモリの部屋にあたるコウモリも奥にいる。

そしてGuillermoをさらに驚かせた大きな発見があった。
壁の上部にあいた小さな穴。
隙間はわずか40cm、これまでのGuillermoはたどり着くのが難しい洞窟の奥に、古代マヤ人の痕跡があるのを見つけてきた。
穴を抜けるとすぐに垂直の崖になっていた。
高さ6m、この下に何かあるというのか?
暗闇の先に何かが照らし出された。
石垣だ。
石を加工し高さ3mの石垣が築かれていた。
Guillermo「これはおそらく神殿か祭祀用の小部屋。
閉ざされた洞窟の中にさらに狭い空間を作っている。
古代マヤ人は大変な思いをして石を切り出しこの神殿を作った。
おそらく神聖な空間だったのだろう。
ここにとどまって祈ったり瞑想したに違いない。」
古代マヤの神官たちはトウモロコシが芽を出すまで、狭く暗いところにこもる苦行をしたという。
Xibalbaでの双子の試練は現実の洞窟では神官達の過酷な儀式と重なる。
さらに神殿にたどり着くまでも、狭い穴を潜り抜け、垂直な壁を降りなければならない。
ここに来ること事態が試練。
土の上に古代マヤの陶器が散らばっていた。
壁は洞窟を仕切るように作られていた。
壁の材料の粘土も石も、洞窟の外から運び込まれたもの。
何故そこまでして壁を作ったのだろうか?

神殿が見つかった洞窟は本来長さ100mほどの大きな空間だった。
それが真ん中に壁を築くことで、2つの部屋に分割されていた。
仕切ることになんらかの意味がありそうだ。
壁には小さな入り口が作られていた。
人がようやく潜り抜けられるほどの大きさ。
壁の向うは人工物がまったくなく、まるで掃き清められたかのような清浄な空間になっていた。
洞窟は次第に狭くなり、最後は小さな天然の部屋になって終わる。
壁は人工物に溢れた神殿のある空間と仕切ることによって、奥のこの空間をより神聖なものにしていたと考えられる。

Guillermo「Xibalbaへと続く道、険しく傾き大地の中心へとつながっている道は、Popol Vuhを読むとこのような洞窟をイメージしていることが分る。
古代マヤの人々はこのような洞窟にこもり、宗教心を高めたりしたのだろう。
Popol Vuhでは簡単にしか書かれていないが、想像以上に複雑で豊かな洞窟への信仰を人々は持っていた。」
現世の人間は絶対に見ることのできない死者の国Xibalba、洞窟はその想像上の世界を疑似体験できる特別な場とみなされていたのだ。

双子の英雄の死
Xibalbaの主は地面を掘らせ、薪をたくさんいれて大きな火を起こした。
ここに双子を呼び出したが2人は怯えずすぐにやってきた。
主は「さあ若者達、甘いものでも飲もうじゃないか。
そして焚き火の上を4度飛び越えろ。」と言った。
「私達をからかわないでください。
私達が死ぬということを知らないとでも思っているのですか?」
と2人は答えた。
そして互いに向き合い、抱き合って焚き火の中へ入った。
こうして2人は一緒に死んでいった。
その様を見ていたXibalbaの主は喜び叫んだ。
「こんどこそやっつけたぞ。
やつらはとうとう死んでしまったぞ。」
2人は自ら死ぬ運命にあることを知っていた。
ここは冥界Xibalba、そもそも死者が赴く黄泉の国。
死は免れ得ないのだ。
ただしこの死で終わりではない。
死の先もまだ物語りは続くのだ。

中央アメリカのジャングルに栄えたマヤ文明チチェン・イツァ遺跡、ピラミッドの奥に壁で仕切られた平らな空間、Popol Vuhにも登場する球戯場の跡。
大きさは現代のサッカーグラウンドに匹敵する。
2つの壁の間で生ゴムのボールを蹴りあい、壁についた輪に通した方が勝ちとなった。
試合の後にはある儀式が待っていた。
球技で負けたチームの選手、ひざまずいた体の上、首がない。
そこからほとばしるのは蛇で表された血。
敗者は生贄に捧げられたのだ。

亜熱帯の太陽のもと繰り広げられる生と死。
生贄は広くマヤ全域で行われていた。
ジャングルの奥のセノーテからも生贄の痕跡が見つかっている。
ここは近くの村の共同井戸として使われてきたセノーテ。
中は入り口からは想像できない広い空間になっている。
今から10年前の調査で水のそこからおびただしい数の人骨が発見された。
眠っていたのは118体にも及ぶ人骨だった。
歯をギザギザに削っているのは古代マヤ人の証。
何故これほど多くの生贄が捧げられたのだろうか?
亜熱帯のユカタン半島、川がないため大規模な灌漑はできない。
マヤの大地で農業は雨だけが頼りだった。

昔からこの血の農業はトウモロコシの焼畑。
古代マヤの末裔ウンベルト・バラム・イクは、2haあまりの畑を耕して暮らしている。
3月、畑に火をいれる作業が行われた。
火を入れた後、トウモロコシの種をまき、雨季の雨を待つ
去年ウンベルトのトウモロコシのできは散々だった。
雨が降らない日が8ヶ月も続き、トウモロコシが実をつけずに枯れてしまった。
収穫できたわずかなトウモロコシも軽くひねっただけで種が落ちるほど質が劣る。
焼畑が行われるころ、マヤの各地で雨乞いの儀式が行われる。
雨の神チャークに貴重なニワトリを捧げる。
祭壇に供えるのはトウモロコシのパン。
マヤの人たちの大切な主食。
豊かな実りを頼るのは雨しかない。
しかしその祈りが聞き届けられない時すがったのが生贄だった。
生贄の場として選んだのがセノーテだった。
セノーテは川のないユカタン半島で人々を潤す命の水。
そこにもっとも大切な人の命を捧げ、雨を乞い願ったのだ。
マヤの人々にとって死で全てが終わるだけではなかった。
死の先に何があるのか、それを教えてくれるのが神話に登場するXibalbaの物語。

双子の英雄の再生
Xibalbaの主に殺されてしまった双子の兄弟HunahpuとXbalanque。
しかし彼らは復活を果たす。
そしてXibalbaでの反撃を開始する。
2人には死んだ後、しばらくして老いぼれてボロをまとった2人の貧しい男がXibalbaの連中の前に現れた。
彼らがHunahpuとXbalanqueのよみがえりだった。
2人は奇妙な踊りを始めた。
お互いを殺しあった。
斬られたほうは死んで横たわったかと思うとすぐにその場でよみがえるのだった。
Xibalbaの連中はすっかり驚いてしまった。
双子の兄弟の不思議な踊りは評判となり、やがてXibalbaの主に2人は招かれた。
「さあ踊れ、まずオレの犬を殺してよみがえらせるのだ。
それからオレの館を焼いて元通りにしてみせろ。」

2人は主の犬を殺し、すぐによみがえらせた。
そして主の家を焼いては元通りにしてみせた。
「素晴らしい、今度はおまえ達自身を生贄にしてみせてくれ。」
「よろしゅうございます。」
と答えて早速お互いを生贄にしてみせた。
「立て。」
というとすぐに元の体に戻って息をふきかえした。
主は2人の踊りにもう興奮を抑えられなかった。
「オレをやってくれ、生贄にしてくれ。」
「いいですとも、ちゃんと生き返りますからね。」
と答え、Xibalbaの主を殺してしまった。
Xibalbaの連中は主が殺されてしまったのを見るとたちまち散り散りに逃げ去ってしまった。
こうしてまずし男に身を変えた双子の兄弟はXibalbaの連中を打ち破った。
2人は先に殺された父親の霊をあつく弔った。
その後光に包まれ天に昇っていった。
そしてHunahpuは太陽に、Xbalanqueは月になったのである。

これで双子の物語は終わり。
死の世界、Xibalbaに勝利するこの物語は死が全ての終わりではなく、命はよみがえり、世の中を照らし続けることを伝えている。
考古学者Guillermoは神話Popol Vuhで語られる死と再生の考えはマヤの思想の根幹にあたると考えている。
例えば8世紀に作られた絵皿。
Popol Vuhの最後の場面を表していると言われている。
左端の男性が双子の主人公Hunahpu、水を捧げているのがXbalanque。
亀の甲羅で表された大地から水を受けて出てきているのが最初に殺された双子の父親。
房のような頭飾りをつけたトウモロコシの神として復活した。
この絵皿は大地の恵みが人の死によって成り立ち再生することを表している。

Guillermo「生贄も1つの循環なのだ。
1つの命や血を差し出すことで雨が降り、豊作になった他の命が続くことを願う。
これはマヤ文明の根源的な考えなのだが何かを得るには何かを差し出さねばならない。
また死んでも必ず復活すると信じていた。
生と死は循環するのだ。」

ユカタン半島の水中洞窟を調査し続けているFred、水中洞窟は想像以上の広がりを持ち、調査はジャングルの奥にまで至っている。
そてて今、その水が意外な世界とつながっていることが明らかになってきている。
そもそも地下水脈はゆったりと流れていた。
この水はどこに行くのか。
今回は下流に向かって進む。
しばらく進むと不思議な水の境界が現れた。
水質の違う水の境目にできるハロクラインという現象。
境界の下は塩水、上の真水より重いため交じり合わず、層に分かれている。
その先を進むと流れが強くなってきた。
まるで川の中を進むようだ。
明るいところに出た。
何かにつかまっていないと流されそうなほどの勢い。
飛び出したのは・・・海。
ユカタン半島の地下水脈は海へと流れ出していたのだ。
Fred達が調査してきた水中洞窟オシェ・ベル・ハ、総延長180kmの水中洞窟は一帯に降った雨を集めて海へと注ぐ巨大な地下河川だったのだ。
セノーテの水が流れ込む海からは雲が沸く。
雲は雨となって大地に降り注ぐ。
その雨を受けて芽吹くトウモロコシ。
雨の恵みで育ち人々を養う。
雨水は石灰岩をしみとおってセノーテへ。
そしてジャングルの木々の根を潤す。
やがてその水は水中洞窟を通って再び海へ流れ込む。
水中洞窟は川のない大地に恵みをもたらす水の循環の要だったのだ。

セノーテに潜りマヤの地下世界を調べてきたGuillermo、牧場の片隅で次の調査が始まった。
Guillermoがセノーテの水中で初めて古代マヤ人の遺骨を触れたのは25年前。
Guillermo「セノーテに潜ると肌で分る。
なぜここがXibalbaへと続く道なのか、洞窟に人々が託した意味は何か、マヤの人々がなずXibalbaを信じていたのか、セノーテを通して理解できる。」
マヤ文明を育んだユカタン半島、命も水もこの地下の迷宮を巡り、悠久の時を刻んでいる。

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古代世界の7不思議2

バビロンの街にはユーフラテス川が流れているが、空中庭園に水を運ぶ灌漑装置が必要。
ネブカドネザル2世の時代、Shadoofと呼ばれる灌漑装置があったことは確認されている、
スクリューのような装置で水を汲み上げたというせつもある。
人間が手入れをしなければ植物は枯れてしまう。
7不思議の中でもっとも再現が難しいもの。
残っているのは古代の歴史化が描いた記述のみ。
ストラボンはアーチ型の天井、平屋根、階段、スクリュー型の灌漑装置などについて記している。
バビロンで発掘されたものや記述から、空中庭園がどのようなものであったか想像してみよう。
粘土のレンガで造られた平屋根にビチューメンが塗られ、その上に熱帯植物が生い茂っていたであろう。
庭園を楽しむ習慣があったバビロニア人にとっては当たり前の風景だったが、それを見たギリシャ人は驚き、7不思議と考えるようになったのであろう。

ロードス島(Rhodes) ヘリオスの巨像
2300年前、ギリシャのロードス島には今日の技術にも劣らない高度な技術があった。
それを利用したのがヘリオスの巨像。
地中海に浮かぶロードス島、トルコの海岸沖16kmに位置する巨像は、首都ロードスに建てられた。
手掛かりは古代の書物に残されたスケッチと記述だけ。
高さ31m、構造は石や鉄でできていて、外側は青銅で覆われていたと言われている。
指1本は大人の大きさだったという、
Dr.Manolis I.Stefanakis(University of the Aegean,Rhodes)「巨像はロードス島に住む彫刻家カレスによって造られた。
ロードス島の人々がマケドニア軍を撃退したことを祝って建設した。
ヘリオスの巨像の建築が始まったのは紀元前292年のこと。
完成までに12年かかったといわれている。」

巨像は太陽の神であり、志摩の守護神ヘリオスをイメージして造られた。
ロードス島の人々は自分達の島が世界でもっとも美しいと信じ、それをもたらしたヘリオスを崇拝していた。
ロードス島には他にもヘリオス像がある。
人間よりも少し大きい像だが、この像から巨像を想像することができる。
Stefanakis「頭の後ろのたくさんの穴、金属の飾りがついていた。
飾りは太陽の光線をイメージしたものだった。」
巨像の頭にも同じような飾りがついていたと考えられる。
古代の文献によれば、巨像の建設には鉄の骨組みが使われたという。
その中に石材をいれ安定させた。
どのようなポーズで立たせるかによって巨像の大きさは決まる。
1説にはヘリオスは一方の手を高くあげ、もう一方の手には布をもっていたとある。
手を振るポーズは難しい。
腕の付け根の方に大きな力がかかり、補強が必要。
巨像の一方の手が額に固定されていれば安定性があるはず。
布を持っていれば3本目の足となり安定性が増す。
彫像にガウンを着せることで土台がしっかりすると文献に記されている。
布を持たせることで巨像はしっかしとした構造になる。
像の表面は青銅で覆われていた。
当時の青銅の鋳造所を見れば、巨像を造る技術があったことは明らか。

Stefanakis「この地域には同じような窯がある場所が7ヶ所ある。
ここ一帯は青銅器の鋳造所が集まっていたのだろう。
この窯で鋳造できる青銅は最大10mの像まで。」
高さ1.5mの青銅板を鋳造し、それを巨像に固定してゆかねばならない。
薄く形成した青銅板を鉄の骨組みにとめ付けてゆく。
こうして出来上がった像は柔軟性があり、強風にも耐えられる。
16世紀に描かれた絵画によれば、巨像は港で立ち、足の間を船が通っている。
だが像が完成するまでに21年間かかっている。
その間港を封鎖していたとは考えにくい。
港は島民にとってもっとも重要な場所。
Stefanakis「2500年前ロードス島の港は軍港でもあった。
あの絵の通りだとすれば島にとってもっとも重要な場所を塞いでいたことになる。」
巨像の建設者は戦争の時代を生き抜き、マケドニア軍の攻撃に耐え勝利した。
軍事の要衝である港を封鎖するはずはない。
古代の記録には、巨像が崩れ地面に落ちたというものもある。
巨像が港をまたいでそびえていたというのはルネサンス時代の空想に過ぎない。

考古学者の中には巨像はSt Nicholas要塞に建っていたという意見もある。
要塞は15世紀に建造されたが、使われている石の一部分は巨像が造られた時代のもの。
Stefanakis「ここには石弓の玉もある。」
石弓の玉はロードス島の人々がマケドニア軍の攻撃に耐えた時代のもの。
当時この地はマケドニア軍に占領されていた。
この要塞は非常に硬い岩の上に建っている。
頑丈な土台があったに違いない。

Stefanakis「私ならもっと内陸に建てただろう。
どこからでも見える高い場所を選んでいたと思う。」
町に戻り、遠くからも見える小高い丘を探してみる。
学校があった場所に、古代の建物が残っていた。
建物の一部はヘリオスの神殿だったもの。
Stefanakis「ここはロードスの町の中で一番高い場所。
海抜20mある。
2つの重要なものが発見された。
1つはヘリオスの頭、それからヘリオスに仕えた神官たちの名簿も見つかっている。
この場所はヘリオスの神殿だったのだ。」
ロードス島の人々はここでヘリオスに祈りを捧げていたのであろう。
かつて神殿だった場所には宮殿が建てられている。
中世に建造されたもの、巨像はヘリオスの神殿の庭に建てられていたのではないだろうか?
ここからは島にある3ヶ所の港を一望できる。
巨像は軍港も見下ろしていた。
Stefanakis「巨像が崩壊した時、崩れた像は住宅地に落ちたと思われる。
宮殿の周りは当時から人口が密集していたからね。」
巨像が崩れた時は家を押しつぶしたであろう。
巨像は完成から54年後に地震によって崩壊した。
巨像を再建したら島に災難がふりかかるという神のお告げに従い、島の人々は再び巨像を造らなかった。
人間の身の程知らずの野望の象徴として、800年もの間放置された。

マウソロス(Maussollos)の霊廟
トルコ南西部の町Bodrumには、かつての大都市Halicarnassusがあった。
紀元前4世紀、Halicarnassusはペルシャ帝国に属するCaria国の首都で、マウソロス王の統治下にあった。
権力を維持するため、マウソロスは妹のアルテミシアを妻にした。
霊廟は王の死後、妻が建設したものと言われている。
マウソロスはそれほど有名ではない小さな国の王だった。
ルネサンス期の画家、ヒームス・カークが描いたマウソロスの霊廟は、忠実に描かれているのだろうか?

Prof.Julian Bennett(Bilkent University)「なぜ巨大な霊廟を建設したのか真相は分らない。
マウソロスは国民からの税収によって巨万の富を持っていたといわれている。
豊かな資産を誇示するために建てたのかもしれない。」
19世紀の発掘調査で、霊廟が建っていた場所が明らかになっている。
古代ローマの科学者プレニウスは霊廟の広さを38m×30mと記している。
土台には緑色の石灰岩が使われている。
マウソロス王は土台の下にある地下室に埋葬された。
Bennett「埋葬室は建物の中心にはなかった。
盗掘者に見つからないようにするためだったと言われている。」
埋葬室に下りると盗掘者から墓を守ったと思われる大きな石がある。
埋葬室は巨大な石で封じられていた。

霊廟はプリニウスが記したとおりだったのだろうか?
プリニウスによれば霊廟の高さは42m、イスラム寺院の尖塔の2倍。
霊廟に使われていた石のほとんどは略奪によって失われた。
緑色の石灰岩は目立つため、町の周辺を調査すれば石の行方を追うことができる。
その一部は15世紀の十字軍の城に使われていた。
城に使われている大きな石から専門家達は驚くべき結論を導いた。
霊廟は石が積み上げられた構造で、内側には空間はなかったというのだ。
プリニウスによれば土台の上には柱が並べられ、ピラミッド形の屋根が載っていたという。
その証拠が城壁に残されている。
Bennett「白い大理石、入り口にある横木として使われている。
反対側から見ると段々になっており、霊廟に建っていた柱の上の部分の飾りに違いない。
この石は元の大きさのままだろうから、霊廟の柱の間隔を計算できる。」
およそ3m間隔に柱が建っていたはず。
これでプリニウスが記した柱の描写と一致した。
高さ18mの土台の上におよそ3m間隔で36本の柱が並んでいた。
その柱がピラミッド形の屋根を支えていた。

霊廟は数多くの彫像やレリーフで飾られていた、とプリニウスは描いている。
ここではレリーフの断片が発見されている。
16世紀の書物に、壊れたレリーフや彫像を窯にいれ、モルタルの原料にしたと記されている。
モルタルは城の石を接着するために使われた。
2つの彫像は断片を組み立てたもので、城の入り口にはレプリカが置いてある。
男性はマウソロス王、女性は妻のアルテミシアだといわれている。
彫像の大きさから判断すると、霊廟にはおよそ400体の彫像が飾られていた計算になる。
プリニウスによると屋根の上には4頭立ての馬車が載っていたという。
彫像の破片から、壮麗な霊廟が想像できる。
土台、柱廊、そして屋根の3段構造、美しい大理石に覆われ、一際目立つ建物、フリーズや400体もの彫像が飾られていた。
屋根の上には4頭立ての馬車があった。
英語で“壮大な墓”を意味する言葉、マウソリアムは、このマウソロスの墓に由来している。

オリンピア ゼウス像
オリンピアは古代の遺跡や遺物が数多く残る場所。
紀元前776年この地でオリンピックが始まった。
ギリシャ人にとって重要な祭だった。
およそ500m四方の広大な場所には、競技に必要な陸上トラック、水泳プール、体育館、神殿があった。
競技会はゼウスに敬意を表して行った。
Prof.Judith M.Barringer(University of Edinburgh)「像はゼウスの神殿に置かれていた。」
神殿は紀元前450年に建設され、紀元5世紀に地震によって崩壊した。
古代の人々は神殿の入り口で捧げ物をし、中に入ってゼウス像を拝観した。
残された巨大な柱から神殿の概観を想像することができる。
積み重ねて柱になっていた円筒形の石が、将棋倒しになっている。
ゼウス像の高さを知るため、柱の長さを測る。
ギリシャの旅行家パウサニアスは神殿の高さを18mと記している。
一番外側にある柱と柱の長さから、神殿の1辺は22mと推定される。
内側にはたくさんの柱があった。
ストラボンはもしゼウスが立ち上がったら屋根を越えただろうと描いている。
この像を造ったのはフィディアスという彫刻家だった。
アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿の彫像を造った人物。

ゼウスの像を造った場所が、ある発見によって明らかになっている。
フィディアスの名前が記されたカップが見つかった場所が工房だったに違いない。
ここは後に教会が建てられた。
フィディアスの工房はゼウス像を造るには理想的な広さだった。
Barringer「ゼウス像が完成したのは神殿が建てられてから20年後のこと。
つまり神殿の大きさは巨像が収まるように完璧に計算されて造られた。」
工房は神殿と同じ方向を向いて建てられていた。
太陽の光を何か重要な関係があったのだろうか?
フィディアスのデザインには太陽の光線が重要な役割を果たしていたので神殿と同じ環境を造ることが大切であった。

像には象牙が使われていた。
さらにローブやサンダルは黄金製だった。
当時象牙や黄金で彫像を造っていたのはフィディアスだけ。
高度な技術が求められる作業だった。
黄金の薄板を造るための型が、工房から発見された。
その近くでは象牙のカケラもたくさん見つかっている。
Barringer「象牙は何層にもなっており、鉛筆のように削っていた。
ギリシャ人は象牙が柔らかくなるまでしばらくの間酢に浸けていた。
型にはめて乾かし、形を整えていった。」
大小様々な大きさの象牙の板をパズルのように並べただけでしっかりした構造はできるのだろうか?
Barringer「フィディアスが造ったパルテノン神殿の像も巨大だった。
そして象牙と黄金に覆われていた。
骨組みの部分は木で造られていた。
ゼウス像もそれと同じ方法で造られたと考えられている。」

ゼウスの像に強い印象を与えるため、フィディアスは大きさだけでなく、別の工夫もした。
神殿と工房が同じ方向を向いていることから、太陽の光をうまく利用したに違いない。
使われた石は貝殻で覆われた石灰岩で、暗い色をしていたので、神殿を明るくするため、漆喰が塗られていた。
今では漆喰の色もくすんでしまったが、神殿が建てられた当時は太陽の光を浴び、白く輝いていたことであろう。
フィディアスは驚くべきアイディアを使って太陽の光を活用しようと考えた。
ゼウス像の前にキラキラと輝く池を置いた。
浅い池の反射、象牙や黄金の輝きによって、ゼウス像は崇高なものとなった。
白い柱によって囲まれた神殿を訪れた人々は畏敬の念を抱いたことであろう。
ゼウスは左手に権力の象徴である王しゃくを持ち、右手に勝利の女神ニケを載せていた。
神殿は松明が掲げられ、荘厳な雰囲気だった。

ゼウス像はキリスト教の台頭によって、再建の道を絶たれた。
391年キリスト教の教会は、ギリシャ人やローマ人の偶像崇拝を禁じた。
ローマの皇帝テオドシウス2世は神殿の破壊令を出し、ゼウス像を首都コンスタンティノープルに持ち去った。

古代世界の7不思議1

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Is it Real? The Nostradamus Effect

人は大昔から未来を予知しようとしてきた。
天体の動きや動物の内臓を利用したり、瞑想をして、吉凶を予言した。
予言の支持者は大勢居る。
歴史的事件は事前に予知されていたのだろうか?
人間は未来を予知できるのだろうか?
世紀の予言かそれとも妄想に過ぎないのか・・・
ノストラダムスの大予言について検証する。

南フランスの町Salon-de-provence、450年前世界でもっとも有名な予言者がこの地に現れた。
ルネサンス時代に未来を予知したといわれる人物。
フランス革命やナポレオンの登場、第二次世界大戦やヒトラー、月面着陸から9.11テロまで。
彼の名はミシェル・ド・ノートルダム、通称ノストラダムス。
その名前は今や予言の代名詞。
しかし彼は生前から有名人だった。
伝染病から人々を救う医師であり、フランス王室の占星術師でもあった。
さらに1550年ごろから執筆し始め、占いの本が評判となる。
そして伝説的な約1000扁の4行詩を世に出した。
“植えた野獣が川を渡り、ゲルマンの子は法に従わず”
“9人が遠に旅立ち、出発直前に悲劇が起こる”
“世界の中心の火が新しい都市を揺るがすだろう”
ノストラダムスの『予言集』は1555年の初版以来ずっと人々の関心を集めてきた。
聖書やシェイクスピアの作品と同様、1度も絶版になっていない。
ジャン・シャルル・ド・フォンブリュヌは40年以上も予言集の解読を続けている。
詩が難解なのは宗教的裁判を逃れるためか、予言が外れないための策略か。
その理由は論争の的になってきた。
フォンブリュヌは予言集から、ナポレオンの登場やベルリンの壁崩壊を解読した。
とはいえ彼の解読が外れたこともある。
1980年代ソビエト軍がパリに侵攻する。
1986年ヨハネ・パウロ2世が暗殺される。
どちらも空騒ぎに終わった。
しかしその後も解読を続けている。

Peter Lemesurier(Author,The Unknown Nostradamus)「ノストラダムスの予言は多様に解釈できる。
原文を無視した強引な解釈もある。」
Lemesurierは実際の出来事に合わせて詩が解釈されていると主張する。
これまで大惨事が起こるたび、予言が注目されていた。
特に第二次世界大戦の後、ヒトラーの台頭を予言した詩が指摘された。
“第3の者はネロ以上の悪人”(第9巻17番)
“Forneronが再建され、恥ずべき王により黄金時代は死ぬだろう”
Lemesurier「ヒトラーは新たなネロと呼ばれている。
そしてForneronはカマド職人を意味する古語。
つまりナチスの死体焼却炉を予言した。」
Victor Baines(Author,Remember the Future 米国ノストラダムス協会)「予言集にはヒトラーを思わせる言葉がある。
“ビスター”だ。
数100年前の予言とは思えない正確さだ。」
さらに9.11テロが予言されているという。
“1999年7番目の月、空から恐怖の大王が現れる”
Baines「“7番目の月”は今の暦では7月だが、ノストラダムスの時代の暦では9月のことを指した。
1999年の数字を逆にすると、テロの正確な日付になる。9-11-1。
“恐怖の大王”はオサマ・ビンラディン。」
ノストラダムスは未来を予言しつつも、あえて隠したと彼は言う。
Baines「日付も特定できたはず。
しかし具体的な日付や名前が書かれていたら、世間はパニックになるだろう。」

ノストラダムスは本当に未来が見えていたのか?
人間は未来の出来事を予知できるのか?
未来を知りたいという思いは人類共通のようだ。
大勢の人が星占いで恋愛運や仕事運を知りたがる。
タロットカードで運命を占う人も居る。
手相で寿命を予測したり、飲んだお茶の葉で運勢を占う。
水晶玉、ロウソク、コーヒーの飲みカス、フォーチューンクッキ・・・占い道具の定番。
しかし占いの領域は広がっている。
物理学者ピーター・パンセルが推進するプロジェクトには、世界中の科学者が参加している。
REGと呼ばれる計測器を使って人間の潜在能力を調べるのだ。
ノストラダムスは星で未来を占ったが、REGは人類の潜在意識で未来を予知する。
奇抜な発想だが科学者は真剣。
パンセル「量子トンネル効果を用いて乱数を発生させる。」

REGは原始的なコイン投げマシン。
毎秒200枚の電子コインをランダムに投げ、結果を記録する。
約60台のREGが世界各地に設置されている。
コインの表と裏が出る確率は通常同じだが、このバランスが崩れることがある。
その要因は人間の潜在意識にあるという。
パンセル「特に大事件が起きた時、世界の注目を一気に集めるような出来事が・・・
この実験を通じて我々が確かめたいのは、その時REGのデータも変化するのかどうかという点。」
1997年に行われたダイアナ妃の葬儀や地震や津波、年末のカウントダウンなどは世界中の注目を集めた。
その時REGデータはコインの表と裏がでる確率が微妙に変動していた。
パンセル「世界的な出来事が起こるたびに確率が変動するのであれば、関連性が立証できる。」
しかし疑問視する人もいる。
Michael Shermer(Publisher,Skeptic Magazine)「世界では毎日のように大事件が起きているが、重要な事件かどうかの判断基準が曖昧。」
パンセル「確かに基準は分かっていないが、いつデータが変化したのかを特定することはできる。」
REGのデータが1度だけ急激に変動したことがある。
パンセル「2001年9月11日のグラフを見ると、テロの前後に急上昇している。」
調べた結果データの変動は最初の飛行機の突入の約4時間前に起こっていた。

潜在意識によって未来を予知できるのだろうか?
ノストラダムスの場合は、詩を毎日1篇ずつ3年間書き続けた。
『予言集』の詩は全部で942篇。
その一部は的中したと言われる。
“皇帝がイタリア近くで生まれ、帝国は代償を払う”
“人は彼を君主というより虐殺者と呼ぶだろう”
Jaqueline Allemand(Curator,Musee de Nostradamus)「ナポレオン皇帝は元イタリア領コルシカ島の出身。
全部予言通り、何度も戦争を起こしたナポレオンは虐殺者と呼ばれた。」

ノストラダムスは歴史と未来を混ぜ合わせていて、誤植から生まれた予言もあると研究者のギナールは考える。
古代ローマの遺跡に囲まれてノストラダムスは育った。
例えば第5巻57番の詩には、ある山と古い遺跡が描かれている。
彼の故郷から数km離れた山だ。
“モンゴシェの穴を通り軍隊に警告する”
プロバンスの侵攻で偵察隊が山に入ったのは詩が書かれてから20年後。
一方誤植による別の解釈も生まれた。
GausierがGaufierになり、まだ見ぬ未来の新技術を予言した詩だと言われた。
Allemand「モンゴルフィエ兄弟が発明した熱気球のことだが、発明されたのはずっと後で、軍事用に実用化されたのは18世紀に入ってからのこと。」
熱気球の予言が本当かどうかは不明だが、ノストラダムスはサロンの町の誇り。
死後400年たった今、その人物像を語るのは伝説のみ。
Victor Baines(Author,Remember Future)「ある日ノストラダムスは村で若い修道士に出会い、突然ひざまずいて彼を“法王と呼んだ。
20〜30年後、その修道士はローマ法王になったそうだ。
ペストが流行した時には薬を作った。
バラの花びらやハーブを調合した体の免疫力を高める薬だ。」
ノストラダムスの墓を見るために、毎年数千人がサロン(Salon)の教会を訪れる。
司祭デプロンシュ神父「うつろな目をして何時間も墓の前に立ち尽くす人もいる。
“霊気を感じる”と言われると不気味だが、ここは教会なので参拝者は大歓迎。」

ノストラダムスへの関心は、9.11テロの後再燃した。
インターネットの検索件数は急増。
テロの翌日のノストラダムスの検索数は、ビンラディンの4倍だった。
Chip Heath(Professor,Stanford Graduate School of Business)「悪い事件が起こると世間は予言に注目し、解読しようとする。」
Heathは思想の波及と持続の研究をしている。
テロの後、教授と研究院生のヤファは予言が支持され続ける理由を調査した。
予言は異なる2つの事件に当てはまるかどうか、それを解明するある実験を行った。
9.11テロとロンドン大空襲は共に大都市が炎上する衝撃的な大事件だった。
2人はノストラダムスの942篇の詩の中から都市と火の単語を含む11篇の詩を選んだ。
用意した質問は2つ。
“9.11テロの予言か?”と“大空襲の予言か?”。
“世界の中心の火が新しい都市を揺るがす。”
“2つの巨石が戦い川を赤く染めるだろう。”
Heath「ノストラダムスの詩は生々しい情景を描いている。
例えば“2つの巨石が戦い”という言葉から、ツインタワーを想像すれば予言は的中したように思える。
しかしこの言葉はロンドンの大空襲も連想させる。
その場合、2つの巨石は英国軍とドイツ軍になる。」
9.11テロ説を支持した学生は1/3、大空襲説も1/3。
詩の文句を一部入替えても結果はほぼ同じだった。
Heath「天災詩人の成せる技。
服すの出来事に当てはまるような詩がたくさん書かれている。
予言者ではなく詩人。」

未来の予言者になるポイントは3つ。
‖榛遒任△襦3年間毎日書き続ける。
不幸を書く。予言が読まれるのは大惨事の時だけ。
L棲里文斥佞配K罎暴颪。例えば“ちぎれた死体”や“2つの巨石”“戦争”“死”などの言葉を用いつつ、少しだけ曖昧さを残す。
納得できない、信用できないという者もいる。
“ヒスター”の謎は解明されている。
Peter Lemesurier「ヒトラーとは無関係。
ヒスターはドナウ川の旧名。
ドナウ川とライン川はローマ帝国の国境。」
1999の並び替え(アナグラム)が9-11-1になるという説は?
Lemesurier「単なる数字遊びに過ぎない。
“1999年の7番目の月”とはっきり書いてある。」
予言は容易なことではない。
Paul Saffo(Director,Institute for the Futere)「物理学の法則によれば、この宇宙にあるものはすべて不確かな存在。
未来に起きることを前もって知ることは不可能。」
我々は株価の大暴落を予測できず、ソ連の崩壊も1年前にすら知りえなかった。
インターネット登場は予想外。
1週間後の天気は未だに正確に予報でない。
人類は未来を予測しようと努力してきた。
当たる確率が低くても予言は人を引きつける。
たとえ予知能力がなくても、未来を目指すのが人間なのだ。

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Out of Egypt☆都市

人類は自然の生活を捨て、都市へと移った。
待っていたのは厳しい生活。
1度近代化したら元には戻れない。
私達は今もその代償を払っている。
Kara Cooney(Egyptologist,UCLA)、古代エジプトを通して古代の営みを研究している。
世界には多くの共通点が見られる。
人類の本質を探る旅は、エジプトから世界へ向かう。
エジプト ルクソール
今は人で溢れているが、ピラミッド建築が始まる少し前まで都市はなかった。
都市の概念は比較的新しい。
人類は少数の家族集団で、季節ごと、移住しながら暮らしていた。
蓄えることなく、獲物を狩り、植物を採っていた。
しかし現代では人口の半数以上が都市部で生活している。
都市の起源は?
何が人々を定住や発展へ導いたのか?
段階的に起きた発展の出発点は農業。
農耕には定住が不可欠。
また農耕により食物の蓄えができたことで、農業以外の以後とをすることも可能になった。
しかし豊かな土壌を持つエジプトにおいても、農耕は困難だった。
新石器革命と呼ばれ、人類が初めて土地とつながりを持った時代。
この革命は人類の営みを変えた。
エジプト ファイユーム(Faiyum)
農業の発祥地がエジプトである証拠がカイロの南西の都市、ファイユーム(Faiyum)にある。
ナイル川沿いのファイユームには、豊かな土壌があった。
しかし川の流れは変わり続け、かつて肥えていた土地や巨大な湖は、今は不毛の砂漠。
Willeke Wendrich(Archeologist,UCLA)は、この乾燥地帯で古代の農村社会の証拠を見つけた。
紀元前5500年、最古のピラミッド建設の約3000年前のものだ。
Wendrichのチームが行っている堆積物の調査などは、地層学と呼ばれている。
黒い灰の層は古代人がカマドを使用していた証拠。
これは数10年間人が住んだ証拠。

定住には食料源の確保が求められる。
そのためには狩猟と採集の代わりに、農耕と牧畜が必要。
何故古代人は農耕を行い、定住を始めたのだろうか?
気候の変化が理由なのか、それとも多くの人を養うためか?
食物を管理することで、人々を支配できると誰かが考えたのかもしれない。
しかし真の理由は不明。
キッカケは何であれ、この農村は500年間存続した。
快適だったのだろう。
ここがエジプト最古の農村跡だが、さらに早く定住が始まった場所がある。

トルコ チャタルヒュユク(Çatalhöyük)
エジプトで農耕が始まる約2000年前、ここで定住が始まった。
発見されたのは1950年代後半、今遺跡は屋根で覆われている。
Karis Eklund(Catal Hoyuk Research Project)「定住は1400年に渡った。
紀元前7400年ごろに始まり、紀元前6000年ごろ放棄された。
人口は3〜8000人と差があり、常に変化していたようだ。」

個々の家は泥レンガや日干しレンガで出来ている。
屋根は泥と葦で造られ、木の柱で支えられた。
どの家にも薄い壁で仕切られた部屋がいくつかある。
Eklund「現代の家とは異なる点が多くある。
まず狭い、家と家との間に隙間はない。
隣との距離が近く、外壁を共有することもあり、屋根が通路代わりだったと考えられる。
家には天井の穴から入った。」

密集した家にはそれぞれ10人ほどが住んでいた。
チャタルヒュユクでは、18の層が発掘されており、高さは7階分。
Eklund「家の寿命は80年ぐらいで寿命がくると特別な方法で処理をする。
まず家を清掃する。
次に壁を磨き、屋根を取り壊す。
支柱も取り外し、壁の上半分を取り壊す。
そして丁寧に泥を埋め込み、その上に新しい家を建てた。」
古い家の真上に建てられた地層の家は、家の壁やカマドの位置も全て同じ配置だった。
この古代都市には永続性があったのだ。
住人については説が分かれている。
ある考古学者は住人全員が農民だったという。
一方他の職業の者もいたという説もある。
余剰食糧があったからだ。
Eklund「現代都市にある機能の多く、教会や墓地、産業地域や土壌、住居など、ここには全てが家の中にある。
死者は床下に埋葬され、日常生活も部屋の中で行われた。
独立した生活だったが、同時に約5000人が共に住んでいた。」
チャタルヒュユクの集落生活は、新たな試練を生んだ。
ゴミや汚水、そして病気との闘いだ。
チャタルヒュユクでは新石器時代の家の発掘が続けられている。
9000年以上前の家もある。
研究者により古代の家の内部が再現されている。
最初期の都市生活を垣間見ることが出来る。
Eklund「入り口の穴から人々は梯子を使って下りる。
煙を排出するため、ドアの真下にカマドを設置する。
ドアは換気と採光のためにあったと考えられる。」
窓はなくても壁が白いので光を反射して明るい。
石臼が置いてある。
人々は穀物や豆類に頼って生活していた。
粉にしてから食べていた。
どの家にも貯蔵庫があり、食料を貯蔵していた。

Eklund「この壁画にはいくつかの解釈がある。
まず晴れた日に、ここから見える火山だという説、火山の噴火を表し、下のブロックは家だという。
ヒョウの毛皮模様だという説もある。」
ここでの生活は安定したものだった。
古代の人々は長期間集落で暮らす方法を見出していたのだ。
しかし最初期の都市は予期せぬ事態に何度も直面する。
Cooney「5000人もの人々が何年も住み続ければ、衛生状態は悪くなって当然。
証明するのは困難だが、シラミなどの寄生虫や感染症が流行しただろう。」
進歩派リスクを伴った。
ゴミはどこに捨てていたのだろうか?
Eklund「家の間にゴミを捨てるため、汚水処理のための空間があった。」
感染症や病気、寄生虫によるリスクを考えると、チャタルヒュユクでの密集生活は進歩とは思えない。

アメリカ 高原種族
定住を始める前はどんな生活だったのかを知るために、狩猟採集文化を体験する。
現在狩猟採集民は少なく、皆地方に住んでいる。
アメリカ、オレゴン州に住む高原種族(Umatilla族、Cayuse族、Walla Walla族)、基本的に都市に定住しているが、毎年春と秋には数週間、都会の世界を後にする。
そして祖先と同じ生活に戻る。
何故部族出身の人々は、古来の生活を続けるのか?
Brian Conner(Confederated Tribes of The Umatilla)「昔の言葉や風習、狩猟採集の方法を知る人が必要。
少数でも知る者がいれば、文化は残る。」

Bobbie Connor(Dir,Tamastslikt Cultural Institute)は、部族文化研究所の所長で、若い世代に昔の風習を教えている。
Connor「高原種族がこの地に住んで、最低でも1年。
ずっと集落で生活している。
特に冬の間は渓谷のそばなど、雨風を防げる村に住む。
そして季節ごとに食料を集め、様々な場所に移住する。」
移住するためには住居も軽くする必要がある。
Marjorie Waheneka(Village Coodinator)「人々によく遊牧民と言われるが、目的を持って旅をしているので、ある意味間違い。
食料の確保とうい目的がある。」
移住生活に適した住居はテント。
高原種族は25人ほどの家族集団で旅をする。
テントを建てるのは女性の仕事。
1つのテントに5〜6人が暮らす。
Waheneka「入植者が来て発展が始まってから、病気が広がり寿命も短くなった。」
また欧州の開拓者達は先住民の生活を壊した。
土地を奪っていったのだ。
移住してきた農民や放牧民は、フェンスを造り、狩猟を妨害した。
狩猟を行っていた場所に入れなくなり、場所を求め争いが起こった。
年に数回と規模は小さいが、彼らは自然がある限り、狩猟採集の生活を続けている。

イスラエル Tel Aviv
人類は長い間狩猟採集民だった。
古代人は移住が最良の生活だと考えていた。
では何故変化したのか?
イスラエルのテルアビブには、地中海最古の人類の骨が保管されている。
7000〜9000年前の人々の健康に、都市生活が与えた影響を調べる。
様々な技術により、骨から多くのことが明らかになった。
Hershkowitzは自然人類学者で、研究には人骨の分析が欠かせない。
腕や脚の長い骨からは、健康状態が分かる。
歯1本からも古代人の生活が見えてくる。
Hershkowitz「歯から分かることは食生活や健康状態。
また成長発達や日常生活、職業など様々。
歯を食べる時だけでなく、道具として使っていたからだ。」
博士の研究対象は広範囲。
ナトゥフ文化後期の狩猟採集民から新石器時代初期の農民に及ぶ。
化学試験やDNA検査により、2つの生活に大きな違いを発見した。
博士の研究によると、新石器時代の女性は、祖先である狩猟採集民よりも長生きしていたようだ。
ならば都市で住むほうが安全で快適なようだが、定住には犠牲も伴った。
農業など反復的な労働によるストレスだ。
Hershkowitz「新しい骨がカーペットのように骨を覆っている。
これは感染症で苦しんだことを示す。
おそらく結核。
汚染された環境で生活していたからだろう。
原因は家畜として買い始めた動物。
家畜は人々に病気をもたらし、炎症性疾患が広く流行した。」
結核は都市生活がもたらした病気の1つ。
はしか、天然痘、インフルエンザ、マラリアなどの病は都市の中で瞬く間に広がることだろう。
Cooney「病気によるリスクを犯して、人々は定住するのは何故?」
ジェリコ(Jericho)
パレスティナ自治区にあり、現在でも約20000人が生活している。
現在も存続する世界最古の都市の1つ。
ジェリコは約10000万年前に造られた。
おそらくチャタルヒュユクより昔。
9000年以上前に造られた古い壁、1mほど埋まっている。
壁は巨大な円筒形の石塔につながっている。
内側には最古であろう階段も設置されている。
この壁や石塔は防衛目的で造られたと考えられている。
都市の人々は生活に必要な物資や蓄えた食糧を守っていた。
初めて自分や家族の他に守るものができた。
ジェリコは活気に満ちた村落だった。
各過程では物資を季節ごとに貯蔵していた。
穀物や油などの食料に、工芸品、これが財産だった。
住民はカゴを編み、機で布を織った。
また獣の皮をなめしたり、穀物を挽き、パンを焼いた。
こうして多くの時間を家事に費やした。
ヘリコには豊かな資源があったため、それを守ろうと巨大な防壁で村落を囲ったのだろう。
問題に直面した時、狩猟採集民なら逃げられるが、定住民は戦うしかなかった。
新石器時代の専門家Avi Gopher(Institute of Archeology,Tel Aviv)「農民の特徴は農作物を蓄えること。
狩猟採取民は蓄えず、収穫物は平等に分け、残さずすぐ使う。
蓄え始めると備蓄量に差がでる。
すると権力を持つ者が現れる。」

やがて土地の支配を巡り、争いが起こる。
狩猟採集民には考えられないこと。
かつて共有されていた土地が争いの原因となった。
問題は他にもある。
個人により生産量や蓄える能力に差があった。
人々が富を蓄え始めると、社会の構造は一変する。
歴史上初めて貧富の差が生まれた。
村が発展して都市になると、支配階級の権力がさらに増大する。
階級社会は人々の生活を大きく変えた。
チャタルヒュユクやジェリコなどの村落では、家屋の大きさや装飾に差はみられない。
貧富の差はなかったのだろう。
しかし都市が長い時間をかけて発展するに従い、貧富の概念や生活水準の差は世界中で広がっていった。

トルコ エフェソス(Ephesus)
古代ギリシャの都市で、紀元前2世紀にローマ領となる。
ここには裕福な商人や奴隷が住んでいた。
紀元前4世紀、エフェソスはギリシャに統治され、その後ローマの下で交易都市として栄えた。
人口は50万人といわれている。
エフェソスは華やかな大都市だった。

大理石で舗装された道や12000冊の本があった図書館、2000人以上を収容できる大劇場もある。
エフェソスはまさに近代都市だった。
巨大な建物や様々な人種、権威を持つ職種が存在し、豪快な家に住む支配階級がいた。
エフェソスに残る保存状態のよい邸宅、モザイクの床や壁画に中庭も確認できる。
これらは上流階級の象徴だった。
エフェソスでは貧富の差が明らかだった。
他の都市と同様、社会構造の変化が原因。
一握りの人間が市民に税や労働を課しては富を蓄えた。
こうした搾取は他の都市でも見られる。

ペルーチャンチャン(Chan Chan)
現在のペルーにあるチャンチャンは、1000〜1450年頃まで繁栄した都市、チムー王国の首都として最盛期には人口30000人を有した。
歴代の王はチャンチャンに住み、巨大な王国を支配した。
中心地には高い壁に囲まれた王宮がいくつも存在する。
この壁により、上流階級と一般市民は物理的に隔てられていた。
上流階級の生活は市民頼みだった。
職人が上質なタペストリー織物、陶器、金属品を作り上げ、それらを王宮に納めた。
王宮に出入できる人は限られていた。
迷路のように建てられた日干しレンガの壁は精巧に作られた防壁。
物資を保管する倉庫を守るためのもの。
Jason Toohey(U.C.Santa Barbara)「この場所には簡単に近づけなかった。
曲がりくねった道や高い壁で簡単に人が入れないようにした。
王国では物資を守るために出入は厳しく制限され、高い壁で囲み、内部の動きをつかんでいたのだろう。」
階級はあらかじめ決まっていると人々は考えた。
神話によると太陽神が3種類の卵を創る。
金の卵は支配者達、銀はその妻、銅はその他の人々。
銅の人々は壁の外で暮らす。
チャンチャンは貧しい人々も住む都市だった。
壁の外側にある建築物は中のものとは明らかに違う。
ここには簡素な家や職人の工房が立ち並んでいた。
この古代都市が示すように、一部の人が権力を握っていた。
Toohey「多くの人は経済的な格差が大きくても、この構造から抜け出す手段を持ち合わせていなかった。」

メキシコ パレンケ(Palenque)
新世界では様々な王国が繁栄した。
しかし上流階級が誇った栄華は続かなかった。
時に彼らの権力驚くほどもろかった。
16世紀スペイン人探検家はメキシコで驚きの光景を目にする。
ピラミッドや神殿、宮殿などの巨石建造物が荒廃した都市にあった。
この都市は地元のマヤ族から“堅固な家”と呼ばれ、スペイン語では要塞を意味する“パレンケ”。
名前とは裏腹に他の都市と同様、パレンケも衰退していった。
王の命を受けた人々の働きによってパレンケは400〜800年頃、都市国家として全盛を迎える。
この狭い地域は7000人が住んだといわれる。
王は権力を誇示するため、次々と巨大な建物を建造する。
1500棟ほど存在すると言われるが、都市の大部分は未だ地中に埋もれていると言われる。
農地と森に囲まれたパレンケは、豊富な食物や資源に恵まれ、5世紀に渡り発展を遂げた。
好立地だったのだろう。
考古学者Venegas「ここには川が5つあり、生活用水が豊富にあった。
北側は崖が行く手を阻み、後方は山だった。自然の要塞だった。」
しかし他の都市と同様、何かが原因となり、権威は失われ、都市は衰退した。
800年頃からパレンケは荒廃し、900年には森林が都市を覆い始めた。
Venegas「神殿を建設する際、人々は周りの森林を伐採した。
化粧漆喰を作るため、木材を燃やした。
1トンの漆喰は3トンの木材を要した。
森林はやがて減ってゆく。
消費が供給を上回ったため、森林が姿を消すと、木の根により保たれていた表土が流出し始める。
木々がないと表土が不足してトウモロコシや豆が育たない。」
その結果資源を巡る争いが起こった。
9世紀には大規模な干ばつも襲う。
パレンケが滅びた理由は他の都市と同様に都市の成長で資源が枯渇したから。
都市が急激に発展すると、崩壊の危機が訪れる。

カンボジア アンコール(Angkor)
パレンケが廃墟と化した頃、勢力を拡大した都市があった。
9〜15世紀までカンボジアのアンコールは活気溢れる大都市だった。
荘厳な寺院や王宮が数多く建造され、大勢の人々が暮らす住居も立ち並んだ。
クメール王朝の首都アンコールは東南アジア最大の都市だった。
歴代の王は都市を拡大し続け、面積は約3000k屬泙燃搬隋
産業革命以前の都市としては最大で、ニューヨークの5行政区を上回る。
都市には繁栄をもたらしたのは高度な水利施設だった。
2000年にNASAが捉えた映像で、その水路や貯水池が明らかになった。
それらにはモンスーンがもたらす雨水が蓄えられていた。
乾季には飲み水や灌漑に利用された。
この利水施設により、アンコールは栄華を極め、人口は100万人を突破した。
皮肉なことにアンコールは発展しすぎたため崩壊を招いた。
何世紀もたつと巨大な施設は維持が困難となる。
やがて機能が停止し、都市を干ばつが襲った。
弱体化した都市は侵略者の標的となった。

アンコールが衰退した原因はパレンケや他の都市と同じだった。
人口の増加や都市の拡大、資源の急激な消費などが都市を崩壊させたのだ。
技術の力は崩壊を防げなかった。
1万年の歳月を経て、都市の建物は日干しレンガから鉄鋼やコンクリートに変わった。
現在の都市は発展し続けている。
しかし新石器革命が起きてから多くの都市が崩壊を迎えた。
そして現在の都市も同じ悩みを抱えている。
エフェソスやチャンチャンでは、貧富の差が明白だった。
それは現代も同じ。
多くの人が都市に集まり、共に生活するようになると、人種、職種、宗教、身分に分かれて住み分けるようになる。
エルサレムが良い例、この都市では人々が密集し、社会ごとに生活している。
20年間エルサレムの問題を研究するRuz「信仰、宗教の違う人が狭い場所で共生している。
人々の密集が引き起こしす問題は世界共通。
問題は圧倒的な社会の数。
人々は自分の社会の中だけで生活している。
別の社会との接点を持たないため、互いに無関心。」
異なる社会との共存は、都市の緊張を高める。
Ruz「都市と地方における違いも大きな問題。
都市の社会は地方と比べかなり複雑。」
人類ははるか昔から生活してきたが、都市を造り始めたのは1万年ほど前のこと。
古代都市の多くは滅びた。
しかし新しい都市が誕生し、興亡は限りなく続く。
都市が抱える衛生や給水などの問題は、医学や技術の進歩で善処された。
その結果人口は増え続けている。
都市は再び衰退するのだろうか?
世界の人口は増加する一方で、70億人に迫っている。
大半が都市に住んでいる。
清潔な水は減少し続け、危険な伝染病は増える一方。
石油や土地を巡る争いは激しさを増してゆき、暴力は絶えない。
今ある都市はどうなるのだろうか?

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Out of Egypt☆聖なる暴力―取引

生贄、人体切断、拷問、戦争、すべて神の名における行為。
歴史上切り離せない宗教と暴力、信仰心は時として、聖なる暴力へと発展する。
エジプト学者Kara Cooney(Egyptologist,UCLA)、古代エジプトを通して人類の営みを研究している。
世界には多くの共通点が見られる。
人類の本質を探る旅は、エジプトから世界へ向かう。
エジプトの神殿で、古代宗教について探る。
数千年前、王達が様々な神を祭った。
神殿には大きな共通点がある。
壁一面に描かれた恐ろしい壁画だ。
流血や虐殺の様子が描かれている。
信仰の場には似つかわしくない。
Cooney「現代から考えれば不自然だが、歴史上宗教と暴力の間には深い結びつきがある。」
宗教の根本は概して寛容、思いやり、平和だが、信仰は残虐行為とも強いつながりがある。
人間は神の名の下に暴力を繰り返してきた。
権力のためか、信仰を強要するためなのか、あるいは自然を支配するためか、宗教と暴力を結びつけるものとは?

古代エジプトの例を検証するため、ナイル川西岸を訪れる。
ここは日が没する死者の国。
紀元前12世紀に作られたラムセス3世の葬祭殿。
早速入り口で驚かされるのは、敵の頭を大きなこん棒で打ち据える王の姿。
古代エジプトの壁画に典型的なモチーフで、王の力を象徴する絵。
もっと深い意味もある。
神殿に描いた絵は、現実になるとされていた。
残虐な描写をすることで、古代の人々は神殿を守ろうとした。
また取引もした。
敵の命と引き換えに、秩序と繁栄を得た。
そのおかげで毎朝太陽は昇り、ナイルは流れ続けた。

Cooney「捕虜を大虐殺する様子、古代エジプトの戦場で実際に行われた可能性がある残虐な風習。
捕虜にした敵の手や性器を切り落としてその数を数えている。」
目的は敵の死者数を知ること。
性器の切断は死後の転生を防ぐと考えられていた。
Cooney「こんな記録がある。
ラムセス3世は、この神殿に切断した手や性器を納めさせた。
それを神に捧げることで、この神殿とエジプト全土の安全と秩序を祈願した。」

エジプト中の壁画に描かれた残虐な行為が実際に行われたという証拠はない。
しかしこのような暴力と信仰の関係は世界中に存在する。
100〜800年頃モチェと呼ばれる文化がペルー北部沿岸で栄えた。
モチェ文化が築いた驚異的な神殿やピラミッドがエル・ブルホ遺跡に残っている。
近年そのピラミッドでエジプトそっくりの描写が発見された。
ピラミッド頂上にあった壁画に描かれた首切りの神の姿はエジプトの王が敵を殺す姿と酷似している。

2つの文化に接点はないが、残虐な行為が神を喜ばせるという信仰は共通しているようだ。
ピラミッドの壁一面に残酷な戦いの様子や捕虜の死の行進などの様子が等身大で描かれている。
生贄の捕虜が首を縄で縛られ、裸で連行されている。
1本の縄でつながれ、引っ張られる姿は何とも苦しそうだ。

エジプト同様壁画には解説は添えられていない。
他にも生贄を捧げた形跡がある。
残酷な宗教儀式によるもので、2005年の考古学調査で発見された。
考古学者リオス「15歳くらいと思われる少女で、頭を殴られている。
胴体を切断された成人男性の骨も出た。」

モチェにおける生贄の捧げ方はいくつかあったようだ。
頭を砕かれた者や、首を切断された者、血を抜かれた者もいたようだ。
人間の血を捧げて神を喜ばせるという取引が行われていたのだ。
おそらく生贄は、繁栄を得るための神への贈り物だった。
しかしモチェ文化に文字はなく、真相は未だ謎。

ほぼ同時代、その約3200km北でもマヤ文化で恐ろしい宗教儀式が行われていた。
メキシコ南部パレンケ遺跡の象形文字に、人間を生贄にした記述がある。
考古学者Alonso Mendezと、7世紀の壁画と象形文字を調べる。
敵を殺そうとする姿がエジプトとそっくり。
Mendez「力と支配を表す古典的な表現。
ガイコツから植物が芽吹く姿は、極めて重要なモチーフ。
死は生命をもたらす。
この外壁は西向き、日没の方向、死者の国の方向。
頭蓋骨などの骨や種は同じ意味を持つ。
農民が畑へ行き、種を収穫するように、王は戦いに行き、捕虜を手に入れる。」

マヤも取引で繁栄を得た。
文明の発展のため、貴重な人命を捧げた。
生贄の儀式はピラミッド頂上と、宮殿で行われたと考えられている。
中庭には捕虜について記した象形文字がある。
Mendez「おそらくこの建物の落成儀式で生贄となった者がいる。
儀式用の建物には生命エネルギーの補充が必要だったのだろう。
人間の血はその点で最高の捧げものだった。」

マヤの宗教において、犠牲は創造の源であり、この世界も神の自己犠牲で造られたとされている。
神の犠牲を讃え、人々は独特な球技を行った。
そして神への負債を血で返済した。
Mendez「スピード感のある競技で、ボールを打ち合って勝敗を決めたようだ。
壁にボールをぶつけ合って行うゲーム。
激しくボールを跳ね返らせ、壁の上のゴールを狙った。」
しかし単なる競技ではなく、試合後に生贄が捧げられた。
試合の敗者か勝者の可能性もある。
しずれにせよ、死の犠牲と新たな命が取引された。
古代信仰では、秩序を得るために戦った。
人々は激しい競技と生贄の力で秩序を回復しようとした。

メキシコシティ中央、古代アステカ王国の首都テノチティトラン遺跡、15世紀には人口数十万の大都市として繁栄し、9階建ての神殿テンプロ・マヨールを建立。
テノチティトランはアステカの政教の中心で、マヤ文化と同様に生贄の風習があった。
スペインの征服者達はこの地へ来て驚いた。
アステカ文明を特徴付ける頭蓋骨台、これを模した古代彫刻も存在する。
考古学者チャベス「頭蓋骨を他なのように並べたのは宗教的、政治的メッセージ。
古代人は人間の頭の中に魂があると考えた。
捕虜の首を切った。
殺し方が残虐なほどエネルギーも大きい。」

危機的常用においてはさらに残虐性が要求された。
1450年頃、この地はひどい干害で凶作に見舞われ、最後の手段がとられた。
チャベス「チャックモール、当時施した塗料が残っている。
器を持っているようだが、生贄の台でもあったようだ。
ここで42人の子供の骨が発見された。
雨の神トラロックへ多くの生贄を献上した。
子供は純粋なものと考えられており、トラロックの手助けをするとも言われる。」

新大陸の宗教の原点は生贄。
モチェもマヤもアステカも人々は血を流すことで救われると信じたのだろう。

生贄の風習は古代に限らず現代にも存在する。
スリランカ、伝統的なヒンドゥ教寺院。
ヒンドゥ教は多神教で、その起源は5000年前、古代エジプトの宗教と同時代。
現在主に南アジアで10億人に信仰されている。
世界で3番目に信者の多い宗教。
寺院に祭られているのは地母神ドゥルガー、無敵とされる戦いの女神。
彼女の強い慈悲が苦境から信者を救うといわれる。
女性がドゥルガーの像にお祈りに来た。
ミルクをかけ、良縁と子宝を祈願する。
1980年までは血が捧げられていた。
ただし人間ではない。
まだ捧げものは必要だと考えられているが、今は別のものを捧げている。
まずココナッツの実を買い、灯油をかけて着火。
これが聖なる捧げもの。
様々な神に対して行われる儀式、祈願者は少しの間神と対話して、その後自らの手で神に捧げる。
人々はこの儀式を重んじ、ココナッツが割れねば恵みは得られないと信じている。
古代に捧げていた生贄の代わりだが、今でも霊験のある儀式。

聖なる暴力が個人的に利用されることもある。
暴力を象徴する儀式で、報復を果たそうというのだ。
スリランカの南岸沖、シーニガマ村の島、全国から巡礼者が絶えない。
島の仏教寺院には、報復の神デヴォルが祭られている。
古代の宗教儀式を用いて神に祈りを捧げ、憎む相手を呪ってくれるように頼む。
暴力や盗みに遭ったり、身内を殺された者などが、報復を求めここを訪れる。
デヴォルには過ちを正す力があると言われる。
非公式だが悪人を裁くシステムなのだ。
もし盗難にあったらここで盗人を呪い、そのことを村の全員に知らせる。
ここへ来ると脅すだけで盗人が自首することさえある。
儀式ではまず聖なる石の横にひざまずき、数種類のスパイスをすりつぶす。
スパイスの刺激は神の罰を象徴する。
そうしながら呪いをかけ、相手に貧困や病気、または死が訪れるよう願う。
その後呪いを強めるため、ココナッツの実を叩き割る。
この儀式なら、暴力を行わずに秩序を維持できる。
被害者が自ら手を下さず、強い力を持った神に報復を依頼するのだ。

世界には神の慈悲を讃える聖なる暴力もある。
エジプトのルクソール、犠牲祭は神に感謝するイスラムの休日。
家族が集まる祝宴の肉には特別な意味がある。
まず祭りに初日に羊をさばく。
精肉業者が家々を回り、素早く安らかに殺す。
この地域の全世帯が行う。
犠牲祭は祝祭でもあり、また内省のときでもある。
この儀式が神の慈悲を再現したものだからだ。
それはかつて神が敬虔な信者と交わした取引だった。
聖書およびコーランで、アブラハムは神の指示で息子を連れ、山へ行く。
生贄を捧げる儀式を行うためだ。
生贄は彼の息子だった。
アブラハムは神に従い息子に向けて刀を振り上げる。
その時天使が現れ、アブラハムの手をとめ、代わりに羊を与えた。
この逸話に基づいて神の慈悲を讃えるため、毎年羊を殺して犠牲祭を祝う。
羊の肉は3つに分けられ、その1つは羊を買える家から貧しい者への施し。
またその血には特別な力がある。
血の手形は新築の建物に神の恵みと幸運を呼ぶ。

アバラハムの物語は宗教の枠を超え、語られている。
しかし宗教の名の下に残虐行為も行われている。
15〜18世紀ヨーロッパと新大陸に神の名における暴力が横行する。
高まる魔女への恐怖から、多くの人々が絞首刑や水責め、火あぶりに処された。
その影響はマサチューセッツ州の植民地村セーラムへも波及。
短い期間だが、1692年からこの地では、告発と処刑が横行。
利権と信仰が絡み合い、事件が起こった。
17世紀セーラムはキリスト原理主義の清教徒達の村だった。
清教徒は特に悪魔を恐れていた。
ある時2人の少女がのたうち、意味不明な言葉を話すのを見て、人々は悪魔の仕業と恐れた。
少女2人はあろうことか隣人達が魔術を使い、自分達を苦しめているという。
そして1692年の冬、一連の魔女裁判が始まった。
まず告発されたのは、社会の外れ者達、奴隷や浮浪者、身寄りのない物など。
次に告発されたのは、高潔な女性信徒、71歳のレベッカ・ナースだった。
家が残っている。
レベッカは悪魔の仲間である上に、村人を苦しめているとして責められた。
セーラム魔女博物館の館長アリソン「17世紀の人々は見えない世界を信じていた。
幽霊や悪例などの存在も信じていた。
悪魔が村にいると恐れ、悪魔に従う手下もいると言われていた。
レベッカは清教徒達の母とも言われる女性だったようで、誰からも尊敬され、賞賛された。」
告発の理由は悪魔とは無関係の可能性もある。
レベッカの持つ広大な土地を、村は住宅地にしたがっていた。
他にも裕福な村の名士達を捕らえ、財産を没収し、利を得ようともくろんだ。

アリソン「レベッカは違法な魔術を使ったという罪で、1692年6月に裁判を受ける。
聖書にはこうある。“女呪術師を生かしておいてはならない。”」
29名が有罪になったと言われる。
当初レベッカは無罪だったが、評決の最中、少女達が叫び暴れ始めた。
これはレベッカの魔術の仕業だとされ、判決は有罪に変更。
魔術を使った者への罰は死刑。
そしてか弱い老婦人は村の監房から絞首台の丘と呼ばれる場所へ連行される。
アリソン「1692年中に4回有罪者の絞首刑が執行された。
彼らは家族に別れを告げ、毅然と死に臨んだ。
実に悲しい光景だったという。
19人が絞首刑になった。
主に女性で男性は5人、奴隷や浮浪者だけでなく、レベッカのような村の名士まで告発された。
当時は社会がとても複雑だったと思われる。
利益や権力、恨みなど、様々な思惑があったのだろう。
しかし最大の原因は恐怖だと思う。」
神の敵である悪魔への恐怖に対抗した結果なのだ。

古代エジプトやマヤと同様に、魔女の処刑も取引と言える。
村を浄化するには生贄が必要と考えられた。
セーラムの人々は信仰の力で秩序を守った。
ただし彼らに都合のよい秩序。
処刑は合法とされたが、その法とは進行に基づくものだった。
聖なる取引から始まった宗教と暴力の関係。
残虐な行為は神の恵みの代価だった。
しかし時代が進むにつれ、信仰に個人的絵利益が絡み始める。
ペルー、リマ市のアルマス広場、1736年のクリスマスイブ、ここに異端者が連行された。
Auto De Feと呼ばれる儀式のためだ。
彼らは観衆の中で鞭を打たれる。
生きたまま焼かれた者もいた。
セーラム同様、法的権力を得た宗教指導者がこれを指揮した。
しかしセーラムの件とは違い、この恐怖は世界へと波及した。
スペイン異端審問だ。

宗教裁判の一種である異端審問制度は、1478年フェルナンド2世とイサベル1世が創設した。
目的はスペイン帝国にいる異端者の根絶。
カトリック教徒以外は全て異端者とみなされた。
宗教的権威者は、異端者を思うがままに裁いた。
審問所もスペインの全植民地に儲けられた。
リマで処刑された女性アナ・デ・カストロは裕福で美しく、誇り高い人物だった。
アナはスペイン生まれのユダヤ人で、迫害を恐れ、両親と共にキリスト教に改宗し、ペルーへ移住。
しかし異端審問所の監房で、罪を悔い改めるよう言われた。
当時の審問所が残る博物館を訪ねる。
懲罰房に約8日間、暗闇に1人にされた。
ここで黙想し、祈り、罪を悔いて告白する。
もし告白しなければ、拷問室行き。
拷問の方法は拷問台、水責め、宙吊りの3種類。
宙吊りは両手を後ろで縛り、つるし上げる方法で、体重で腕が裂けてゆく。
耐えたら教会から破門され、火あぶりの刑になる。
アナはあくまで潔白を主張し、火あぶりの刑を宣告される。
宗教異端者に対する刑、経済的は思惑もあった。
彼女は資産家だったので、処刑後大きな財産が審問所の所有となった。
15世紀後半〜19世紀前半に、スペイン異端審問は、世界中で10万人以上の人々を非公開裁判にかけた。
処刑された人数は数千人とも言われる。
裕福なユダヤ人やアラブ人も対象だった。
似たような例はいくつもある。
これらの宗教的な暴力は、秩序の拡大のために行われたもの。

三大宗教の聖地とされるエルサレムは、世界でもっとも紛争の激しい場所。
どこよりも複雑で長い宗教的暴力の歴史を持つ都市。
文化地理学者のルズ博士はこのエルサレムで狭い地域における対立する宗教のせめぎ合いを見てきた。
ルズ「多数の人間の多様な感情が入り組んでいる。
エルサレムは複雑な場所。
街角ごとにまるで違う街にきたような印象を受ける。
全てのものが意味を持ち、全ての人に主張がある。
例えば誰かが店を開いたとすれば、それは社会主張を持つことになる。
多くの人が神の名のもとにここを自分達の聖地だと主張し、命をも落とした。
中世から残るダマスカス門の上からエルサレム史における大事件の現場を見る。
歴史を通じてエルサレムはユダヤ教やキリスト教、イスラム教の支配下におかれた。
旧市街を囲む堅固な城壁が現在も残っている。

1095年教皇ウルバヌス2世は聖地エルサレム奪還のため、十字軍を結成。
軍人から一般市民までもがヨーロッパから徒歩で聖地を目指した。
遠征に参加すれば、赦罪が約束され、富も手に入ると言われた。
略奪も正当化された。
イスラム教徒のものは正当に自分のものになるとした。
ルズ「信じがたいことに、彼らは3年間も歩き続けてエルサレムに着いた。
その日はイスラムの礼拝日だったため、苦もなく城壁を突破した。
市内へ侵攻すると、そこからは大惨劇だった。
城壁の中で大虐殺が始まった。」
このキリスト教徒の十字軍のように、他宗教への暴力は歴史を通じ繰り返し行われてきた。
今も宗教観のせめぎ合いは存在し、信仰する宗教の違う者達の間には、緊張感が漂う。
それがエルサレムの市場や住宅地では日常。
象徴的な建物の付近ではなおさら。
世界からキリスト教徒が集まる聖墳墓教会、キリストが磔にされ、復活したとされる場所。
しかし見上げるとイスラムの塔がそびえ、礼拝の呼びかけが聞こえる。
ルズ「この辺りにモスクはないので呼びかけは不要。
これはいわば彼らの挑戦。
大きな存在をアピールしているのだ。」
このような摩擦はエルサレムでは日常。
そこからほど近い第2神殿の跡、嘆きの壁ではユダヤ教徒が祈りを捧げている。
その壁の上にはイスラム教徒の岩のドームとアクサーモスクが見える。
ここは預言者ムハンマドが昇天した地とされ、イスラム教徒の聖地。
そして目を戻せばユダヤ教徒の聖地とキリスト復活の地は目と鼻の先。
これが長年摩擦の絶えない理由。
人々は世界中で聖なる暴力を繰り返してきた。
時と場所は違えどその目的は同じ。
信仰する神を喜ばせるため、報復のため、そして社会的権力のため。
聖なる暴力と引き替えに、秩序と平和が得られると人々は信じてきた。

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トランプの謎

テンプル騎士団に始まり、ブードゥー教の司祭まで、トランプの歴史には、謎や神秘、悪魔の陰がつきまとう。
トランプの数字や絵札に隠された意味とは?
そしてトランプの秘密を握るものとは?
トランプ発祥の地については色々議論がある。
由来はインド、ペルシャ、またはエジプトの奴隷にまでそれぞれ結びつき、諸説は食い違う。
David Parlett(Author,The Oxford Guide to Card Games)「一番最初にトランプが登場するのは1294年の中国。」
Yasha Beresiner(Playing Card Collector and Dealer)「中国はトランプの他に様々なものを発明した。
トランプの紙はもちろん、桑の樹皮に初めて印刷を施したのも中国。」

中国で発見された初期のトランプには、コインが描かれているが、ヨーロッパのスペイン語圏のトランプにも、図柄の1つにコインが印刷されている。

当時のトランプは現存しない。
傷みやすいので寿命が短い。
特に印刷技術の発明後は、トランプが汚れたら新しく一式そろえて古いトランプは捨ててしまった。
一説によると、トランプが発明されたのはペルシャとも言われている。
ペルシャから東はインドや中国へ、西はエジプトまで、そしてエジプトからヨーロッパへ伝わったと専門家達は見ている。
14世紀、マムルーク王国のマムルーク人は、奴隷兵士の集まりだった。
エジプトのムスリムの勢力へ抵抗するため、トルコやロシアから連れてこられた。
Thierry Depaulis(Co-Author,A Wicked Pack of Cards)「次第にマムルーク人はエジプト国内の実権を握るようになり、貿易の道を開いていった。
アレクサンドリアの貿易商達は、初めて見るトランプ遊びに夢中になり、ついには自分達の国にまでトランプを持ち込んだ。」

この時代と現代のトランプには興味深い共通点がある。
Parlett「4つのマークには剣やホロ競技のスティック、グラスやゴブレット、コインがある。
これらは興味や気晴らし、王国時代の貴族の職業を表している。」
Beresiner「マムルーク人にとって、ホロ競技は身近なものとして知られていた。
現在のトランプのクラブはホロ競技のスティックやバトンがその原型と言われている。」
マムルーク王国時代の別の剣やカップ、コインのマークなどは、形を変えずに今のイタリアやスペインで使われている。

トランプが1度南ヨーロッパへ伝わると、普及するのは早かった。
1377年ドミニコ修道会士のジョン・ラインフェルドはスイスにトランプが登場したと書いた。
ブラバント候の明細書には、トランプの購入で出費がかさんだことが記されている。
それから15年後のフランス、ジャックマン・グリゴナーは金メッキが施されたトランプを、国王に上納し、56ソロを払った記録がある。
トランプはかなり急速に大量に広まってった。
あるドイツの歴史家は、この不況振りをシュパイル・カルテン・インバジオーン(トランプの侵略)と表現した。
トランプの普及はヨーロッパを移動する軍隊によるところが大きく、国と文化を越え、他国へと浸透してゆく様をこの言葉はうまく表現している。
歴史家達はトランプがイギリスへ渡ったのも軍の移動があったからこそと考えている。
Parlett「15世紀初頭には、イギリスとフランスの百年戦争は後半期に入っていた。
おそらくトランプはその頃にフランスからイギリスへ広まり渡ったと考えられる。」

さらにトランプは兵士のポケットや探検家達の船に入り込んで大西洋を横断、アメリカ大陸に上陸を果たす。
Parlett「トランプはアメリカの先住民をも魅了し、熱中させた。
彼らは紙にトランプを印刷する手段を持っていなかった。
早い頃から皮のトランプに自分達のシンボルとデザインをつけていた。」
初期のトランプは入れ替わり立ち代りデザインが変更された。
人々は自分達の文化をトランプに残したがった。
イタリアとスペインでは、マムルーク王国時代のデザインである剣やバトン、カップやコインなどを反映させた。
一方ドイツは田園地帯が国の主要部分だったので、ドングリや鷹狩りのための鈴、ハート、木の葉などが用いられた。

フランスではトランプの製造者が徹底的に単純なシンボルを採用することにした。
Beresiner「ハートとダイヤを表す赤、スペードとクラブの黒、フランスが考え出した2色使いは商業的に考えても都合のよいものだった。」
Depaulis「2色使いによって簡素化が図れたために、フランスのトランプ製造者達は良質な紙を使って見易さを向上させることができた。」
フランスで始まったこの手法は成功を収め、このデザインは現在のトランプの基盤となった。
絵札に描かれているデザインもまた、異なった文化や習慣の影響を受けながら完成していった。
初期のトランプにはクイーンは描かれていない。
王家が男性優位の社会だったからである。

もっとも古い勘定書の1つに、次のような明細が残っている。
Depaulis「マークが4種類でトランプが54枚。
マーク別にトランプが13枚ずつ。
ただし絵札は3枚で、王が1人に仕官が2人、クイーンはいない。」
現在でもイタリア、スペイン、ドイツには絵札の人物が3人の男性のみで、クイーンが含まれないトランプがある。
フランスがデザインしたトランプは、この掟を破り、クイーンが描かれている。
Depaulis「それには多くの解釈がある。
昔からある説としては、フランス人は礼儀正しかったので、その誠実な姿勢がトランプの中にクイーンを登場させたのだというのだが、真実ではないだろう。」

14世紀末になると、トランプ遊びはヨーロッパ中を席巻していった。
その楽しさは文化や階級の差を飛び越えていった。
教会や国家はこの遊びが人間をギャンブルや不道徳な行いへ導くとし、トランプ遊びに介入するようになった。
トランプの売買や使用を取り締まる決定が下されると、世間では絶対的な2つの要素、死と税金が話題となった。
トランプがヨーロッパへ伝えられた当初、手作りで高価なトランプは、身分の高い人間のものだった。
しかし印刷技術が発達し、トランプは民衆へと広まった。
トランプ遊びの人気が高まるにつれ、古くから人類の気晴らしだったことが当然行われるようになった。
ギャンブルだ。

Depaulis「18世紀も終わりになると、人々は賭け事なしではトランプ遊びをしなくなった。」
トランプには実に様々な組み合わせとゲームが存在する。
ギャンブルは最高のパートナーを見つけ、聖職者達は頭をかかえることになる。
Jean Huets(Co-Author,The Encyclopedia of Tarot)教会はトランプの賭け事をやめさせようと手をつくした。
実際もっとも古い歴史的文書の1つはトランプ遊びに対する説教。」
教会はトランプで遊ぶことを制限または禁止する法令を交付し始めた。
Parlett「ギャンブルが規制された理由の1つは不正や犯罪を誘発させると考えられていたから。」
それから100年以上に渡り、ヨーロッパ中でこのような法令が公布された結果、トランプで遊ぶことは悪い影響を及ぼすとみなされた。

1376年フィレンツェ市において、メイベと呼ばれるトランプ遊びを禁止する法律が施行された。
その2年後のドイツでは、掛け金が大きいギャンブルについては罰金を科すと布告された。
Parlett「1423年聖ベルナルディーノはボローニャでトランプ遊びについて説教を行った。
そして大衆が差し出した幾千ものトランプを焼き捨てた。」
イギリスでもトランプ遊びは社会全体に災いをもたらすとして、教会と国家によって取り締まる動きが見られた。
15世紀、議会はクリスマス前後の12日間以外はトランプ遊びを禁止したと言われている。

16世紀にはヘンリー8世は船乗り達がトランプ遊びに熱中して訓練にならないと不平をもらした。
そして17世紀になると、トランプの製造会社は免許を与えるよう国王に訴えた。
John Card(The Worshipful Co.of Markers of Playing Cards)「チャールズ1世はピューリタン革命のために財源を確保する必要があったので、1628年にトランプ製造会社に免許を与えた。」
その会社は今もThe Worshipful Co.of Markers of Playing Cardsという名で存続する。
Card「当時あった27の製造会社は保護貿易を推進できる立場にあった。
そういうわけで、フランスからトランプをイギリスへ輸入することを禁止した。」
その見返りとして、チャールズ1世は製造会社にトランプ1式につき税金を課した。
税金はすぐに6ペンス(現在の約600円)にまで引き上げた。
税金はその後も上がり続け、トランプ1箱でついには2シリング6ペンス(約3000円)にまで跳ね上がった。
脱税を防ぐため、税務当局はスペードのエースの印刷を管理した。
そしてトランプ製造会社がトランプを1式作るたびに税金を納めさせ、それから初めてエースを渡した。
しかしそれでも税金から逃れようとする者もいた。
リチャード・ハーディングはスペードのエースを寄贈し、1805年中央刑事裁判所で死刑判決を受けた。
スペードのエースは縁起が悪いと考えられた所以かもしれない。
ヨーロッパでもトランプがもっと安く製造できる地域では、その当時の特徴を生かし、トランプの表面だけを印刷していた。
Gejus Van Diggele(Author,The Secandary Use of Cards)「トランプの紙はしっかりしたつくり。
紙が貴重な時代には、色々なことが行われた。」
裏面が白紙のトランプには実に様々な使い道があり、通貨の代わりになることさえあった。
Diggele「今で言うクレジットカードのような使われ方をしたものもある。
このトランプは1788年当時の食券。
ベルギーから他の都市へ行軍してゆく17名の兵士に渡された。
このトランプで兵士は食事にありつくことができた。
店では軍にトランプを見せて、お金を受け取っていた。」
トランプの裏面は、ラブレターや招待状、後の第二次世界大戦中には、避難地図を隠す目的で使われていた。
18世紀オランダで貧困にあえぐ母親達は、トランプの裏に赤ん坊のことを書き記し、児童養護施設に置き去りにした。
彼女達にとってトランプ以外に簡単に手に入るものがなかった。
大抵の場合トランプには子供の名前と悲痛なメッセージが残されていた。
もしトランプの半分が切り取られていたら、いつか母親が残りの半分を持って赤ん坊を迎えに来ると言う意味だった。
トランプがそのままの形であれば、赤ん坊に迎えが来ることはない。

宗教的にも政治的にも混乱し、社会は激変していた。
今なお残る昔のトランプには、かつての持ち主の生涯を連想させるものがある。
しかしながらトランプの絵柄には、それ以上にヨコシマな意味が隠されていると考える者もいる。
Simon Cox(Author,Cracking the Da vinci Code)「トランプが自分への答を告げているのでは、といった密かな思いがオカルト的な発想に結びつきやすいのだろう。」
明確な説明は手引きがないにも係わらず、人々はトランプの数字に意義を見出そうとする。
4つのマークは四季を意味しているのだろうか?
トランプ1式が52枚なのは、1年が52週だから、カードが13までなのは、太陰月に関係があるのかも。
数学理論は果てない。
Cox「数字に意味があると考えるのは、数秘術に基づいていると思われる。
基本的な数秘術の考え方は、数字や数字の象徴に難解で汚れた知恵が宿るというもの。
そのように数字を示されると、単なるトランプ遊びでは物足りなく感じるのだろう。」

19世紀には隠された意味の探求がテーマになっている。
ザ・ソルジャーズ・アルマナック、バイブル・アンド・プレイヤー・ブックという話が生まれた。
教会にいた兵士が聖書を出す代わりに自分のトランプを見ていた。
それを聖職者が見つけ、強く非難すると兵士は言った。
「このトランプが私の聖書だ。
エースは神が唯一絶対だと思い出す。
2と3は膣なる神と子なるキリストの三位一体を思い出す。
4を見れば4人の伝道者を思い出し、5を見れば5人の賢い乙女を思い出し、6を見れば天地創造の6日目、7を見れば神の安息日を思い出す。」
兵士はすべてのカード、数字カードと絵札について述べていった。
最後に兵士はキングのカードを取り出し、牧師に言った。
「王のカードを見ると天地の作り主、すなわち全知全能の父なる神を私は思い起こすのです。」
Huets「トランプには人を和やかにさせる力がある。
手の中に納まって手軽だし、つまり兵士が天地創造の7日間を語ることができたのは、トランプがいかに融通が利く存在で、どれほど話題が豊富なのかを示している。」

兵士の話だけがトランプの数字の謎を解読する手掛かりではない。
秘められた象徴的なものを伝えているという主張も多い。
Cox「フリーメイソンが関係していると思うのは、その影響力を何からでも感じるから。
フリーメイソンが先人の知恵や知識を伝える手段として暗号を用いたことから出た発想であるが、それはお互いにだけ許された暗号。
トランプには比喩的イメージがあり、そこに秘密のメッセージが隠されているという。
例えばアカシアの小枝がフリーメイソンの儀式では重要なシンボルだが、このアカシアがハートのジャックの手に握られているという説がある。
Beresiner「フリーメイソンの紋章は、アカシアの小枝に象徴的な意味を込めているが、アカシアの葉は、フリーメイソンの紋章だけのものではない。」
さらにはクイーンが持っているバラはフリーメイソンのシンボルであり、別の秘密結社バラ十字団のシンボルと同じだという説が唱えられた。

ハートのキングの腕が4本なので、古代エジプトのアメン神を表すとされ、アメン神には腕が4本ある。
このことからエジプトはフリーメイソンが持つ秘密情報の隠し場所だと言われる。
Cox「そう思い込めば何でもそう見えてくる。
先入観念がなくなれば、それはないだろ。
他の人が理屈にあった解釈を作為的に当てはめるのだ。」
初期にトランプの絵柄ができた時の記録がないため、世間に出回っている噂の白黒をはっきりさせるのは難しいが、それらが存在することによて、トランプの社会的重要性が際立つのだ。
他のどんなカードよりも、タロットカードの謎と憶測の多さに勝るものはないだろう。
タロットには未来を予言し、アドバイスできる並外れたパワーがあると言われている。
ある説によるとエジプトの遊牧民族がタロットをヨーロッパに伝えたという。
Cox「エジプトに古くからいたとされる遊牧民族は、エジプト国内を移動しながら生活していた。
タロットはエジプトが発祥の地だと後になって言われるようになり、遊牧民族には重要な役目があったように思われていた。」
しかし現存する最古のタロットカードの年代を測定すると、15世紀中頃、トランプが登場した後である。
当時イタリアで一番裕福だと信じられていたミラノ口のフィリッポ・ビスコンティが作られたカードである。

Huets「この手書きのカードは非常に高価で、貴族に使われていた。
1枚1枚個別に作られた。」
トランプを発展させ、新たな別のカードが付け足された。
このカードがタロットの始まりだと歴史家は見ている。
これをトリオンフィ、またはトライアンフと呼んだ。
Parlett「特別に作られたこのカードの役目は普通のトランプをやり込めることだった。
カードはすべて切り札だったので、勝利を意味するトリオンフィと呼ばれた。」
このカードは全部で21枚あって、それぞれに象徴的な絵が描かれていた。
トランプはマークごとに絵札があり、全部で56枚あった。
そこへ切り札が加えられた。
さらに愚者の絵札が1枚加わり、タロットカード1式の標準枚数である78枚になる。
これにより複雑に進化したトランプは、現代のブリッジに近いゲームができた。
トランプと同様にタロットの面白さは瞬く間にヨーロッパ中に広まった。
タロットが他と違っていた点は、札に描かれていた絵にあった。
Depaulis「そこには象徴的な意味と、15世紀始めにタロットカードをデザインした者が込めた何かが表現されていた。
それを理解する手掛かりは今はない。」

タロットの象徴について明確な説明がいっさいないにも係わらず、話題が尽きることはない。
いったい誰が考えだし、何のために利用したのか?
Huets「なぞめいた秘密結社と象徴的な意味を持つタロットが結びつかないはずはない。」
もっとも根強く伝わっている伝説の1つは秘密めいたテンプル騎士団があげられる。
12世紀十字軍遠征の時、優秀な騎士団が創設された。
話はテンプル騎士団がエルサレムで聖杯と書物を発見したというものである。
Cox「そしてテンプル騎士団は中東から品々を持ち帰るのだが、図像学や美術品、信仰体系などは彼らには全く縁のないものだった。」
タロットカードにはテンプル騎士団のシンボルが見られるという。
テンプル騎士団の十字架とバフォメットの頭、バフォメットの頭は悪魔のカードに影響を与えたといわれ、テンプル騎士団は入団儀式の時にこの偶像を利用としたとされる。

14世紀始めにテンプル騎士団は激しい迫害にあい、その時彼らはタロットカードに秘密を預け、未来に託したという。
Huets「タロットカードが秘密結社の人間によって作られたと考えるのは、教えを隠しとおせる上に、広めることができるから。」
しかし歴史家達によって諸説は徐々に退けられる。
Huets「テンプル騎士団はタロットカードが出回る前に解散していた。
彼らが地下に逃れ、タロットカードを使って教えを広めたとするのは説得力に欠ける。」
タロットカードのシンボルは、15世紀に流行した風俗を単に反映させただけと専門家は見ている。
イタリア、ルネサンス期の只中、復興運動が盛り上がり、古代文化を見直そうという空気が流れていた。
Huets「ルネサンス期はそれぞれの意見がうまく調和した時代だった。
錬金術、占星術、ユダヤ教のカバラなどがルネサンスの哲学者達に認められていた。
タロットのシンボルも、よく知られた存在だった。」

人々にとってタロットが示す象徴は分かりきっていても、現代の視点で見ると、かなり風変わりなものが多い。
Huets「タロットは楽しい遊びだったはずなのに、カードの製作者達は何故ガイコツ姿の死神などを描こうと決めたのか全く検討がつかない。」
ガイコツ姿の死神に加えて、タロットカードには他にも不吉で謎めいたカードがある。
燃え盛る塔、悪魔、吊るされる男。

しかしこのカードはイタリアの象徴としてよく知られていた。
足から逆さまに吊るされていたら、それは反逆罪で告発されたことを意味した。
他のカードが意味するものはもっと根本的なもの。
そして後世へと受け継がれてきた永遠普遍の価値である。
John Bonner(Author,Oabalah:A Magical Primer)「あからさまなイメージの裏に、根本は何も変わらないというメッセージが込められている。
タロットカードは全て共通のテーマを持っている。
人間の意識や、自分が生まれてきた世界に対してどのように向き合ってゆくかということ。」
Huets「タロットカードが持っていると言われるコンセプトは、虚栄心、死、愛や運命など。」
手の込んだデザインにも係わらず、タロットカードはトランプのようなゲームをするために登場してきた。

18世紀に入るとタロットカードには全く別の解釈が付け加えられた。
Cox「人々はカードに占いの要素を見出し始めた。
タロットカードは豊富な絵柄と占いのヒントを備えていたので、カード占いをする者や、オカルト信仰者の間で人気が出た。」
タロットと占いを合体させた立役者は18世紀パリからやってきたパリエッテという名の種売りだった。
その後は神秘的に見せるために改名し、Etteillaとして知られ、プロの占い師として先駆け的存在であったと同時にもっとも影響力をもった1人だった。
Etteillaはカードそれぞれに意味をあてがった。
悪魔のカードをForce Majeureと呼び、大きな力を表すとしていた。
しかしこれが逆さまになると弱小を示唆した。
特定の場所にカードを配ったり、並べたりすることで、カードにはそれぞれ新しい意味が生じる。
人生における障害や希望、恐怖、さらには未来で起きることが暗示される。
タロットカードの様々な使い方を考えると、占いはその一部にしかすぎなかった。
オカルト信仰に携行している者は、タロットの世界に引きつけられ、謎めいたシンボルに別の意味を見出した。

18世紀後期、フランスの学者だったアントワクール・デジャベランとカムデマレがタロットカードの象徴的な意味と歴史を読み解こうと試みた。
デジャベランの解釈は、高い関心を持っていた古代エジプトから強い影響を受けていた。
Huets「自分が持っているタロットは、知恵の神トトの書だったと自分の本に書いた。
アレクサンドリア図書館が火災の時に回収したが、本物だと分かるまで黙っていたと主張した。」
トトの書というのはエジプト神話では知恵の書とされ、全ての知識の源がその本に収められているとされている。
デジャベランのタロット解釈は、フランスのオカルト信仰者にすぐ受け入れられ、その中にエリファス・ディーバイもいた。
ディーバイは22枚のタロットカードはヘブライ語のアルファベット22文字に関係があると見ていた。
ディーバイはタロットを極めることで、カバラの英知をつきとめられると信じていた。
Bonner「精巧に描かれている22枚の絵がある。
そこには人間の普遍の価値や、あり方が表現されている。
先人達の知恵がそのまま残っていて、時代を越えて巡ってくる可能性は捨てきれない。
それほど重要ではないカードゲームが今も残っているということは、教会の厳しい取締りがあったからなのか、それとも単に取るに足らない遊びが何100年という年月を経て、その存在意義を深めていったからなのかもしれない。」
可能性としてタロットカードに過去のことだけでなく、未来を予測する力があるとしたら、かなり心が惹かれるだろう。

18〜19世紀にかけて、こういった解釈は急激にヨーロッパ中に広まった。
イギリスでは影響を受けたオカルト信仰者達が独自にカードを作り始めた。
Huets「アーサー・エドワードウェイトは絵札や切り札だけでなく、数字カードを含めて全部のカードに挿絵を施した。
これにより、それぞれのカードが一目で見分けやすくなった。」
アーサーが作ったタロットカードは後に世界中で大人気となり、大勢の想像力をかきたてた。
ウェイトの弟子だったアレイスター・グローリーは特別なカードを作った。
フリーダ・ハリスという画家と独特なオカルト用タロットを政策した。
1組のカードを描くのに5年を要した。
20世紀のオカルト信仰者を経て、タロットは身近になり、多くの愛好者ができた。
現在異なった多くのオカルト信仰者がさらなる精神的教えを学び深めるために、タロットを使用している。
ニューオリンズ、タロットはブードゥー教で必要不可欠な存在だった。
ブードゥー教は伝統的に西アフリカ由来の貝殻、骨、石などで未来を読み取り、言い当てる。
占い師はブードゥー教のために特別デザインされたタロットを使用する。
現在タロットは、予言やお告げを与えるものというより、未来のための案内役と認識されている。
タロットはオカルト信仰の人々にとっては、古代から受け継がれたもっと大きな力と、重要な意味を持つ存在。
1組のカードが紡ぎだす物語、どちらも飛びぬけて複雑であり、飛びぬけて単純。
それがトランプが持つ世界共通の魅力たる所以だろう。

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